「アンリ! 余計なことは話さなくてよろしい! 貴女は<イシス国>の女王なのです。私の言う事を聞いていればそれで良いのです!」
アリアハンという辺境の貧しい国が送り出した二度目の勇者との会見を終えたアンリは、祖母であり、イシスの家老でもある老婆に連れられ、自室に戻された。
「……申し訳ありません……」
「ふん! 勘違いはしないよう。貴女は唯の女王なのですから、政には口を挟まぬように。ましてや、自国の内情を旅の者に話すなど以ての外です!」
現女王を自室へと投げ出し、高圧的な言葉を吐き捨てた後、老婆は部屋を去って行く。
残されたのは、<イシス>という国家の名ばかりの女王。
本来、その美しさと優しさを慕われ、多くの国民から支持を受ける筈の存在。
そして、現女王である彼女には、その才が確実に引き継がれていた。
母である先代女王の持つ指導力や人々を纏め惹きつける神々しさ。更には、先程までいた祖母である老婆の持つ賢しさ。その全てを、彼女は受け継いでいたのだ。
しかし、それが今まで表に出る事はなかった。傀儡として担がれ、実質の権力は祖母が握っている。
彼女には女王であるという仮面しか手渡されてはいなかった。
「……あの人も……私と同じ目をしていた……」
一人残った部屋の中で、備え付けられていた鏡台の鏡に映る自分の瞳を眺め、アンリは呟く。
この部屋は母である先代女王が使い、死んだ部屋。この部屋にある全てが母の形見なのである。
アンリの呟いた言葉は、先程謁見の為に部屋に入って来た四人の旅の者を見て感じた事であった。
代表して自分の前に跪いた青年の瞳を見た瞬間、アンリはその瞳の中に自分が持っている感情と同じ物を見た。
それは『絶望』と『諦め』。
故に、初対面にも拘わらず、あのような事を問いかけてしまった。
彼は何の為に旅を続けるのか?
彼の胸に『希望』はあるのか?
あるとすれば、何を見て『希望』としているのか?
そんな疑問が次々とアンリの頭に浮かんでは消えて行った。
「……それでも……何か違う……私とは何かが……」
アンリはアリアハンが送り出した『勇者』の中に自分を見た。その想いは、アンリの発言に驚いた彼が顔を上げ、その瞳を再度見た時も変わらなかった。
しかし、彼女の悲痛な叫びに対し、彼が最後に発した言葉。
その時にアンリは違和感を覚えたのだ。
『……私は、そういう存在ですので……』
その言葉を発した『勇者』と称される存在の瞳は先程までとは宿している光が違った。
その光の違いが何なのかがアンリには解らないが、違う事だけは肌で感じていたのだ。
「……それに……あの娘も……」
もう一人。
アンリの頭に浮かんだ少女。
驚きに顔を上げる『勇者』を心配そうに見つめていた幼い娘。
その娘の瞳もまた、アンリと同じ物を宿していた形跡をアンリは感じていた。
おそらく、通常の人間にはその違いが解らないだろう。それが、アンリがこの砂漠の王国である<イシス>の正当な継承権を有している証拠なのかもしれない。
「……でも、あの娘はもう違う……『希望』と『喜び』に満ちていた」
アンリは鏡に映る自分の顔を見ながら一人呟き続ける。
謁見の間で自分と相対している青年を心配気に見つめ、隣で跪く女性戦士の手を握っていた少女は、その瞳を自分に向けて来たのだ。
その瞳はとても攻撃的な瞳。
今にも叫び出しそうな程に怒りに燃えた目をしていた。
『自分の大好きな人間を虐めるな!』
その瞳を見て、アンリは言葉に詰まった。
おそらく、あの少女は、アンリと同じような『絶望』と『諦め』の中を生きていたのだろう。そして、その中から引き出し、救い出してくれたのが彼なのかもしれない。
それがアンリにはとても羨ましい。
自分はそれをどれ程に願った事か。
この『絶望』と『諦め』に支配された世界から救い出してくれる存在が現れる事を。
「……私は……母上様……」
彼女は確かに母の愛を注がれて育って来た。しかし、その幸せも、この世界に産まれ落ちて数年後には断ち切られてしまう。
イシス女王の突然死。
それがアンリの世界を一変させた。
母の死に際し、彼女は即位の儀式を済ませ、すぐさま女王として玉座に座る事となる。右も左も解らなかった彼女は、祖母である女官に頼らざるを得なかったのだ。
しかし、今にして思えば、不思議な事ばかり。
先代女王である母は、公的には『病死』とされた。だが、アンリはその日の午前中まで元気な母を見ていたのだ。とても突然命を奪う病魔に侵されている様子などなかった。
そして、最も不可思議なのは、アンリは母の死体を一度も見てはいない。死後の葬儀の際もその姿を見る事はなく、何よりも、母の死体は火葬されたのだ。
<イシス>では、王族の遺骸はその身体から水分抜き、ミイラとされる。
それは、古人が王族は甦るという考えがあった事が原因とされるが、それがこの時代まで風習として残っていたのだ。
しかし、母である女王は例外的に火葬された。
何かを隠すように燃やされ、骨だけになった母との対面。
それは、幼いアンリの心に大きな疑惑として残っていた。
「……あの人は……どのようにして前を向いたのでしょう……」
アンリが<イシス>の女王としてではなく、一人の人間として想いを馳せた青年は、前方にそびえ立つ途方もなく大きな太古の建造物を仲間と共に見上げていた。
「…………おおきい…………」
「……そうですね。予想以上です。これ程の物を何百年も前に建造したとは、俄かには信じられませんね」
自分の何百倍もの大きさを誇る建造物を、首を直角に曲げながら見上げるメルエの横で、サラはその建造物を建てた<イシス王家>の威信を目の当たりにし、驚きを漏らしていた。
「凄いな。イシスという国は、古からこれ程の技術と文化を持っていたのだな」
「……行くぞ……」
同じように<ピラミッド>を見上げていたリーシャの横をカミュが通り過ぎて行く。未だに首を直角に曲げているメルエの背中を押し、リーシャがその後に続いた。
「止まれ!! ここは<イシス国>の所有地だ。許可証はあるのか?」
カミュ達が<ピラミッド>の入口に差しかかった時、その小さな入口の前に門番の様に兵士が二人立っていた。
よく見ると、その横には、急造で作り上げた掘っ建て小屋があり、この兵士達が寝食をそこで行っている事が窺われる。
「……女王陛下及び、筆頭文官の方から許可は頂いております……」
「ふん! 許可証に間違いはないな……では、四人で6000ゴールドだ!」
「はぁ!?」
その門番の兵士達に、許可を受けている旨を伝えながらカミュが渡した許可証を眺めていた兵士が続けた言葉は、リーシャとサラの予想を遥かに越えたものだった。
ゴールドを要求する兵士達を唖然と見る二人を余所に、カミュは当然の事のように腰の革袋へ手を伸ばす。
それをまるで不可思議な生物を見るようにリーシャは眺めていた。
「……確かに……しかし、アンタ方も物好きだな。こんな場所にはもう何一つ宝物などありはしないのによ」
カミュからゴールドを受け取った兵士は、その数を数え終えると、カミュ達に呆れたような、それでいて蔑むような瞳を向けていた。
サラからしてみれば、自分達の国の王家が眠る古代の建造物に無闇に人を入れ、その上、入場料の様な物まで要求する<イシス国>の方に呆れを感じてしまうものだったのだ。
一行は、兵士達の不愉快な視線を無視し、<ピラミッド>の中へと足を踏み入れる。そこは、もはや観光地の様になっており、薄暗くはあるが、道の端には火が灯され、視界が開けていた。
砂漠の中心で容赦のない直射日光を浴びている時の様な、焼けるような暑さを感じる事はなく、むしろひんやりと肌寒さすら感じる程の気温である。
「もはや、王家が眠る墓の様相ではないな……」
辺りには、人が何人も通った形跡が色濃く残されている。それは、決して全ての人間が生きて帰っている訳ではない事も示されていた。
「……魔物に食われたのか?」
「……その様ですね……」
道端の向こうに、白骨が転がっている。その白骨の様子を見ると、まだ新しい物だ。この<ピラミッド>に巣食う魔物に襲われ、命を落とした後に食されたのだろう。
それが、今の<イシス王家>の在り方を示していた。
王家の墓にある財宝を切り売りするような行為。横行する墓荒らし対策として、門番を立てたが、それでも中に入ろうとする者が後を絶たず、その結果、入ろうとする者から通行料を取る事で採算を取ろうとしたのだろう。
それは、現女王の威光が下々まで及んでいない事を隠す為とはいえ、余りにも外道な行為である。王家が誇る先祖の霊に対して、敬意を欠くその行為は、一行の胸に複雑な想いを起こさせる。
そんな白骨など見向きもせずに、カミュは真っ直ぐ続く道を歩いて行った。メルエはカミュの背中だけを見つめ歩き、その後ろを周囲に視線を向けながらサラが続く。最後尾で周囲を警戒しながらリーシャが歩いて出した。
「…………???…………」
どれ程歩いただろうか、意に立ち止まったカミュの背中を、首を傾げて見上げたメルエは、余所見をしながら歩いていたサラに後ろから衝突された。
「あっ!?」
サラよりも体重の軽いメルエは、後ろからの衝撃に前へと押し出される。転ばぬように、前に立ち止まっていたカミュのマントを掴もうと手を伸ばすが、その手は空しく空を切り、メルエは倒れ込むように更に前へと出て行った。
ガゴン!
その瞬間、メルエが手を突こうとした床が消えた。
石畳が敷き詰められていた白い床の一ヶ所が消え、まるでメルエを誘うように真っ暗な闇が口を開ける。
「メルエ!!」
咄嗟に手を伸ばすカミュの手は、虚空へと落ちて行くメルエの服の裾をしっかりと握りしめる。間一髪のタイミングであった。
空中に浮かぶように掴まれたメルエは、自分に纏わりつくような闇に恐怖を覚える。
ゆっくりと上げられ、しっかりとした床に足が付いた瞬間、後方から血相を変えて近づくリーシャの胸に飛び込んで行った。
「……注意して進め……」
「も、申し訳ありません!」
メルエの行方を見守った後、カミュは鋭い視線をサラへと向ける。久しく見ていなかったカミュの冷たい視線に、サラの背筋に冷たい汗が流れた。
自分の不注意で、メルエを危ない目に合わせてしまった。
それが、サラに恐怖を植え付けたのだ。
「メルエ……ごめんなさい」
「…………サラ…………きらい…………」
「はぅっ!!」
リーシャに抱かれるメルエに向かって頭を下げたサラに対し、メルエは以前によく発していた言葉を口にする。
涙目で訴えるような言葉は、サラの胸を深く抉った。
「ふふっ。メルエ、無事だったのだ。あまりサラを責めてやるな」
「…………こわか………った…………」
サラを庇うリーシャの言葉に、メルエの頬は瞬時に膨れ上がった。
最近、サラの指導の下、言語のボキャブラリーが増え始めているメルエは、頬を膨らませたまま、自分の感じた恐怖をリーシャへと訴える。
「そうだな。サラも注意しろ。ここは何があるか解らない場所だ。行動一つで死に繋がる事もある」
「……はい……本当に申し訳ありません……」
リーシャからも注意を受けたサラは、もう一度メルエに頭を下げたまま俯いてしまう。
サラの謝罪を受け入れる様子をようやく見せたメルエは、その手を握るために近づいて行った。
「……それを、アンタが言う事自体が驚きだがな」
「……カミュ……何が言いたい?」
しかし、それで終わらないのが、このパーティーだった。
サラに注意を促すリーシャに、若干の呆れを見せながら呟いたカミュの言葉は、リーシャを豹変させる。
「……今までの経験から物を言ったまでだ……この中で一番、アンタが行動に注意を払って欲しいと俺は思うが?」
「……ほぅ……カミュ……それは、私に喧嘩を売っているのだな?」
カミュの口端は上がっていない。
つまり、それはからかいではなく、事実なのだ。
リーシャには認識はないのだが。
「……マヌーサに掛かり、仲間を攻撃したり……<きのこ>と間違えて眠りに就いたり……アンタが行って来た数々の事を知っていれば、当然の事だと思うが?」
「ぐっ!? 古い事をいつまでも……」
カミュから言われた言葉に、リーシャの頭にもようやく合点が行った。
反論する意欲も削がれて行く。
そんな二人のやり取りに、サラとメルエの顔にも自然と笑みが浮かび始めた。
「カミュ! それで、どっちに進むんだ!!」
これ以上の問答は自分が不利になるだけという事を理解したリーシャは、四方に分かれた道の行く先をカミュへと問いかける。そんな八つ当たり気味のリーシャの反論にも涼しげな顔で答えようとするカミュの表情が、リーシャの苛立ちを更に濃い物として行った。
「……アンタはどっちだと思う?」
「な、なに!?……うっ……右だ……若しくは左だ……」
カミュの答えはリーシャの意表を突く物であり、答えに詰まるリーシャであったが、自分が思った方角を示す。そこには、以前の失敗からなのか、ある種の保険を掛けているような節が見え隠れしていた。
「……ならば、このまま真っ直ぐ進むべきなのだろうな……」
「なんだと!? 私は右か左だと言ったはずだ!」
「……だからこそ、右へも左へも曲がらずに進むべきではないのか?」
その頃には、カミュの表情に変化が出ている事にサラは気が付いていた。あれは、カミュがリーシャをからかっている時の物だ。
確かに、サラもリーシャが右か左だと言うのであれば、カミュの考え通り、真っ直ぐ進むべきではないかと思う。それ程、カミュやサラの頭の中には、『リーシャの指し示す方角=行き止まり』という方程式が信憑性を持っていた。
いや、確立されていると言っても良いだろう。
「ぐっ!? 右だ! 行ってみれば解る!」
「……リーシャさん……」
カミュの表情の変化に気が付いたリーシャは、もはや後には引けない。
自分の心の中に『もしかすれば、また行き止まりかもしれない』という想いがないとは言えないのだが、目の前で口端を上げるカミュを見ては、そんな弱気を口にする訳にもいかなかった。
「……わかった。急ぐ訳でもない」
からかってはいたが、ここまで意固地になるとは予想していなかったのだろう。カミュは一つ溜息を吐いた後、リーシャが指し示す右へと歩み始める。その後を、二人のやり取りを不思議そうに見ていたメルエが続き、未だに怒りに震えるリーシャを促してサラが後を追った。
「……」
「……やはりか……」
右へと進んだ一行は、その先一本道となった通路を歩いた。
そして行き着いた先は、やはりカミュとサラが想像していた場所であり、リーシャが一抹の不安を抱えた場所。
右へも左へも、そして前にも進む事が出来ない『行き止まり』であった。
「わ、わたしは、右か左と言ったぞ!」
「……リーシャさん……」
暫し呆然と高くそびえる壁を眺めていたリーシャであったが、我に帰った後、先程掛けた保険を切り札として出すが、流石のサラもその言葉に溜息しか出て来なかった。
「…………はこ…………」
「あっ!? メ、メルエ!!」
リーシャに対して溜息を吐くカミュとサラを余所に、今まで不思議そうに三人を見ていたメルエが何かを見つけ走り出す。メルエの動きに気が付いたサラはメルエに視線を向けるが、そんなサラの横をすり抜けるようにメルエはある一点へと向かって走り出していた。
メルエが見つけた物。
それは、俗にいう宝箱であった。
宝物が納められる箱。
煌びやかな装飾が施されていない事から、それ程高価な物が入っているとは思えないが、それでも<イシス王家>の遺体と共に納められている以上、ある程度の価値のある物の可能性を否定する事は出来ない。
「メルエ! 勝手に開けるな!」
メルエの行動に、珍しく語気を荒げたカミュではあったが、その声はメルエには届いていなかった。
小さな笑顔を作り、その箱に手を掛けたメルエは、そのまま勢いよく箱を開け、そして表情を曇らせた。
「…………ない…………」
「えっ!?……あれ? 本当に空っぽですね……」
メルエの開けた箱の中身を、追いついたサラが覗き込むと、そこには何も納められていなかった。
箱の底がそのまま見えるだけ。
メルエにしてみれば、洞窟や塔などで見つけた箱は、<西の洞窟>でアンとギルバードの遺骨の傍にあったあの箱だけだった。
その中身は、『エルフの至宝』と謳われた『夢見るルビー』。
それは、強烈にメルエの心と頭に残っていたのだろう。
『あの様な綺麗な物が入っているのでは?』と思ったメルエは、喜び勇んで箱を開けたのだ。
「……近年は墓荒らしが横行していたという話を聞いていなかったのか?……そんな場所で、入口に程近い所にある宝箱の中身が抜かれもせずに残っている訳がない」
眉を下げ、自分を見つめるメルエに、カミュは深い溜息を洩らす。カミュの言葉の内容が理解出来たサラは、納得はするが複雑な想いを抱いた。
王家の人間が死後も苦労する事のないようにと、遺体と共に納められた財宝を盗んで行くという行為に、釈然としない想いがあったのだ。しかし、それは結果的に、今自分達が行っている行為に結びつく事に気が付き、また落胆する。
「……サラ、余り深く考えるな。我々が進む道に必要な物がここにある。ただ、それだけだ」
「……しかし……」
サラの表情を見て、彼女が何を考えているのかを察したリーシャが、サラへと声をかける。それは、根本的な救済にはなり得ない言葉ではあったが、その言葉がリーシャ自体もまた、サラと同じ葛藤を持っている事を示していた。
それでも、サラとは違い、リーシャは自分の目的の為に割り切る事の出来る経験があった。
それは、一朝一夕に培われた物ではない。
勿論、リーシャの中に死者への敬意がない訳ではない。それは、<シャンパーニの塔>で死者の衣服に火をつけるメルエを窘めた事からも窺える。
だが、リーシャにとって、死者への敬意よりも、アリアハン国王からの命である『魔王討伐』という物の方が重い物であるというだけの事であった。
「さあ、カミュ、行こう。次は左の道だ」
「……アンタは……この状況でまだ、左へ進むつもりなのか?」
「当たり前だ!」
サラを促し、先へと進もうとするリーシャの言葉に、カミュは驚きを示した。
まさか、自分が指し示した方角が、案の定『行き止まり』であったにも拘わらず、保険として発した左の道へと進む事をまだ頑固に主張するとは思っていなかったのだ。
「……」
「……もう良いだろう……今回は、アンタに聞いた俺が悪かった」
元の十字路まで戻り、再度入口から見て左の方向に歩き出した一行が辿り着いた場所は、先程と入って来た方角が違うだけの『行き止まり』。
サラは、リーシャがある意味、カミュよりも勝る能力を持っている事を認めざるを得なかった。
閉ざされた道を見つけるという才能を。
「…………はこ…………」
「メルエ! 開けるなと言っただろう!」
落胆を示すリーシャの横から、先程と同じように何かを見つけたメルエが走り出す。
メルエの姿に先程よりも大きな声でカミュが怒鳴るが、すでにメルエは、再び見つけた宝箱に手を掛けていた。
「…………ない…………」
「また、空っぽなのですか……?」
落胆し、眉を下げるメルエの後ろから、先程と同じようにサラが覗き込むが、宝箱の中身もまた、先程と変わらず底が見えるだけであった。
「……その前に……メルエ、勝手に何でも手を掛けるな」
「…………ごめん………なさい…………」
緊張感に欠けたサラの言葉を遮り、カミュがメルエの瞳を見つめた。
その目は真剣であり、顔を上げたメルエもカミュが真剣に自分に向かって注意をしている事を悟る。叱られた事で込み上げる哀しさを堪えてカミュへ頭を下げるメルエの瞳に、涙が溜まって行き、その顔を見たカミュは、溜息を吐く事しか出来なかった。
「……カミュ……剣を抜け……」
「!!」
そんな、メルエとカミュのやり取りの中、今まで自分の指し示す方角の行き先に落胆していた筈のリーシャの声が響く。何かを押し殺すような、何かから身を隠すような低い声は、リーシャがカミュへ怒りを向けているのかと錯覚してしまう程の物であった。
実際、サラは『こんな場所で、また?』と考えてしまっていたのだ。しかし、リーシャの身体は、カミュへではなく、この行き止まりへの入口に向かっている。
それが示す事は一つしかあり得ない。
それは、魔物の襲撃。
「ゲゲゲッゲ」
斧を構えたリーシャの横に、背中から剣を抜いたカミュが並び立った時、入口の方から何か喉を鳴らすような音が聞こえて来た。
そして、次第にその全貌が見えて来る。
赤黒い色をし、長い舌を床に付くほど垂らした魔物。色以外であれば、ここに来る前に見た事のあるような魔物だった。
<大王ガマ>
その名の通り、カエルの魔物の中でも最上種に位置する魔物である。カエル系の魔物の頂点に立つだけあって、その跳躍力は群を抜いており、跳躍から繰り出される攻撃もまた、他のカエル系の魔物とは桁違いの威力を誇る。群れを成す事が多く、大抵は同種の者と行動を共にする事が多い。
「ゲコッ! ゲゲゲ」
カミュ達『人間』の匂いに釣られて出て来た<大王ガマ>は三体。天井がある<ピラミッド>の中では、自慢の跳躍力も半減するとはいえ、決して侮る事は出来ない。
「カミュ!」
「……わかった……」
しかし、アリアハンを出てから、彼らもまた、既に数え切れない程、魔物と対峙して来た。
その度に、前線で剣を振るっていたのは、彼等二人。
自分の名前を呼ばれるだけで、相手の意図する事を理解し、静かに頷く相手の姿で自分の意図が伝わった事を理解する。
「メルエ!」
「…………ん…………」
それは、後方に控える二人とて同じ。
自分達がする役割を理解し、それを確認し合う。
彼等は、すでにパーティーとしての基礎を築き始めているのだ。
カミュ達一行という食料を見つけ、喜び勇んで飛びかかろうとする一体を、先に飛び出したリーシャの斧が牽制する。
後ろ脚をたたみ、跳躍への力を溜めた<大王ガマ>の太腿部分をリーシャの斧が掠め、その体液を飛び散らせた。
「ゲギャ―――――――!」
叫び声にならぬ奇声を発し、<大王ガマ>が後方へと後ずさるが、斧を振り抜いたリーシャにもう一体の<大王ガマ>が飛びかかって来る。
しかし、それに気が付いたリーシャに焦りは見られない。
「ピギャ―――――――!」
飛び掛かって来る<大王ガマ>がリーシャへと伸ばした両腕は、リーシャの目の前ですっぱりと消え失せ、その体躯が床へと叩き落とされる。
そして、リーシャの視界を覆うように現れた背中。
カミュである。
リーシャより一歩後に駆け出したカミュが横合いから剣を振るったのだ。
「……流石に隙が多過ぎだ……」
「お前こそ、出て来るのが遅過ぎだ!」
背中を向けながら溜息を洩らすカミュに向けて放ったリーシャの言葉は、語気こそ荒いものの、その表情には笑みが浮かんでいた。
カミュに腕を斬られた<大王ガマ>は同族の中へと戻って行くが、それは後方に控える二人にとって恰好の的となる。
「…………ベギラマ…………」
カミュとリーシャが下がるのを確認し、見える三体の魔物に向けてメルエが<魔道師の杖>を掲げ、詠唱を行う。詠唱の完成と共に、杖の先から凄まじい熱風が巻き起こり、三体の<大王ガマ>に着弾。
魔物の周囲を炎が覆い、飲み込んで行くかに思われた。
「…………!!…………」
しかし、メルエが放った現時点での最強呪文に飲まれたのは、リーシャの斧で生命線である太腿を傷つけられた一体だけ。
残る二体は、熱風の着弾と同時に両脇へと跳躍していたのだ。
無傷の一体が伸ばした舌が、メルエの腕から<魔道師の杖>を弾き飛ばす。少し前の様に自ら投げ捨てた訳でもなく、乾いた音を立てて転がる杖を、メルエは反射的に追ってしまう。
それは、サラという庇護を離れてしまう事と同義。
狙い澄ましたように<大王ガマ>が飛びかかって行った。
「メルエ!!」
サラの叫びに自分の状況を察したメルエは、拾い上げた杖を掲げる余裕もなく、目を瞑る。
直後に自分に訪れる痛みと衝撃に恐怖しながら。
「……ゲ……ゲ……コ……」
しかし、メルエに訪れたのは、衝撃でも痛みでもなく、途切れ途切れに聞こえる魔物の苦悶の声だった。
恐る恐る目を空けたメルエの視界に飛び込んで来たのは、彼女が最も頼りとする人間の一人。
常に表情を変えず、自分を導いてくれる青年。
「……勝手に動くな……」
「…………ん…………」
飛びかかったカエルを横一線の剣筋で斬り捨てて、若干呆れた目を向けるカミュであった。カミュの注意に、深く頷いたメルエは、そのマントの中へと潜り込む。どんな場所であっても、自分にとって最も安全で安心できる場所へと。
「バギ!!」
メルエをマントの中へと迎え入れたカミュが残る一体に目を向けた時には、すでに戦闘は終局を迎えていた。
サラがその腕を掲げて唱えた呪文によって、両腕を失っている<大王ガマ>は切り刻まれて行く。床や壁にその体液を飛ばしながら吹き飛んだ<大王ガマ>に、止めの一撃をリーシャの斧が加えた。
もはや、断末魔の叫びすら上げる事の出来ない<大王ガマ>は、数度の痙攣をした後に沈黙し、その活動を停止する。
「メルエ! 無事か!?」
「…………ん…………」
魔物の身体から斧を抜いたリーシャがカミュの下へと近づく。リーシャの問いかけに、カミュのマントから顔だけを出したメルエはリーシャに向かって満面の笑みを浮かべながら頷くのだった。
「でも、メルエの魔法が効かないなんて……」
「そうだな……ここの魔物は、ここにしか生息しない魔物なのかもしれないな。注意して進む事にしよう」
和やかな雰囲気の中、サラは斬り捨てられた魔物の死骸を見ながら、胸に湧き上がった不安を口にする。サラの言葉に少し考える素振りをしたリーシャが答えるが、それを若干呆れた表情を浮かべながら見る視線に気が付いた。
「な、なんだ?……私は、何か可笑しな事を言ったか?」
「……いや、言っている事はまともだ……ただ、この『行き止まり』へ来る事になったそもそもの原因はアンタだという事を忘れないでくれ……」
「ぐっ! べ、別段、魔物はここだけに出てくる訳ではないだろう!? あのまま真っ直ぐ進んだとしても、魔物と遭遇していた可能性はある筈だ!」
カミュの表情を見て、自信なさ気に問いかけるリーシャに容赦ない言葉が降り注いだ。
それに過剰に反応するリーシャの言葉は至極当然の事ではあるが、サラにはどこか滑稽に映ってしまう。
「……サラ……何か面白い事でもあったのか?」
「い、いえ! な、なにもありません!」
くすくすと笑うサラを振り返るリーシャの表情は、サラの笑いを消すには十分な威力を誇っていた。
風切り音が鳴りそうな程、首を横に振るサラの姿は蛇に睨まれた蛙の如し。
「……どうでも良いが、先に進むぞ」
「ど、どうでも良いって!……カミュ様が原因なのですよ!」
リーシャとサラのやり取りを興味なさ気に流し、先へと進もうとするカミュの背中に、サラの悲痛な叫びが轟いた。
一行は、元の位置に戻って、カミュが指し示した通り入口から真っ直ぐ続く道を歩き始める。
しばらくは一本道となっており、迷う事なく進む一行であったのだが……
「…………」
再び、行く先に迷う十字路に出る。先頭で立ち止まったカミュを不思議そうにメルエが見上げ、サラは不安そうな瞳でカミュの背中を見つめていた。
「こ、今度こそ、左じゃないかと思うんだが……」
「……リーシャさん……」
『本当にこの人はめげない』
半ば尊敬に変わりつつあるサラの想いは、リーシャへと向けられた。
どれ程、失敗をしようと前へと進もうとする意思。
おそらく、カミュもそれに気が付いているのだ。
只単に、意固地となって自分の考えを押し付けようとしている訳ではなく、仲間を大切にし、『その行く先を示唆する事が出来れば』と真剣に考えている結果だからこそ、カミュもまた皮肉は言うが、それを糾弾したりしないのではないかとサラは考えていた。
「……左ではないとしたら?」
いや、それはサラの思い過ごしかもしれない。
カミュは、リーシャの推測から本当に正しい道を見出そうとしているだけではないだろうか。
「うん?……あ、ああ……左ではなかったら、今度も真っ直ぐじゃないか?」
「……そうか……」
若干自信なさ気に聞こえるリーシャの声であったが、その言葉を聞いたカミュは、迷わず右へと進路を取る。カミュの態度に一瞬驚愕の表情を浮かべたリーシャだが、悔しそうに唇を噛んだ後、少し肩を落としてカミュの後を追った。
サラはそのリーシャの表情に複雑な想いを抱くが、よくよく考えれば、カミュの行動はある意味当然の結果であり、考え方によっては、リーシャがパーティーの行く先を示唆している事になる事に気が付き、そのまま歩き出す。
見方によれば、カミュはこのリーシャの特異な能力を頼りにしているのだ。
確かに、行く先が解る相手よりも、『行き止まり』が解る人間がいる方が行動の幅が広がる可能性がある。それを今のリーシャに告げたとしても、怒りの矛先が自分に変わるだけなので、サラは黙っておく事にした。
右に進路を取った一行は、そのまま道なりへと進む。その先には、大きな銅像が立ち、まるで何かを護っているかの様に一行を見下ろしていた。
「……墓の守り人か……」
「……凄いですね……本当の人のようです」
墓の番人。
王家の復活の為、その遺体と財宝を護る銅像。
それは、とても古の人間が作ったとは思えない程の完成度を誇っていた。
「……」
その銅像の完成度に驚くリーシャとサラに、カミュは何かを言いかけるが、何かを飲み込むように口を噤み、先へと進む。
唯一人、そんなカミュの様子に気が付いたメルエであったが、カミュが何を言うつもりだったのかまでは解らない。必然的に、首を傾げる事しか出来なかった。
銅像があった場所から、更に道なりへ進むと、上へと続く階段が現れる。この辺りから、所々にしか明かりが灯されていない事から、侵入者が限られて来ている事を示唆していた。
壁にかけられた火から、買っておいた<たいまつ>へ火を移し、一行は階段を上って行く。基本、この<ピラミッド>に入ってからは、十字路の様な別れ道が出現しない限り一本道が続いていた。
侵入者を拒むように道は細く、自然と縦に伸びるような隊列を組まざるを得ない。
「…………」
再び現れた別れ道。
その前で佇む一行。
流石に今度は、いくら視線を向けられようとも、リーシャは言葉を発しなかった。
「……どっちだ?」
「何故、私に聞く?……私が道を示しても、その方向には行かないのだから、お前が決めれば良いだろう?」
堪りかねたように、振り向きざまにカミュはリーシャへと視線を送るが、それに対してのリーシャの答えは、素っ気ない物だった。
「……アンタは、メルエと同じ年頃の子供なのか?」
「…………リーシャ………メルエと………同じ…………?」
呆れを含んだ溜息を洩らすカミュ。
自分の名前が出た事に反応し、リーシャを振り返るメルエの純粋な瞳。
それが、リーシャを追い詰めて行く。
「ぐっ! 今度こそ右だ! 私は言ったぞ! まさか、今度もそれを無視して進むつもりか!?」
「……わかった。良い加減、自分の能力に気がついてくれ」
再び盛大な溜息を洩らしたカミュは、若干の諦めを匂わせながら、リーシャの指示通り、右へと進路を取る。
しかし、そんなカミュやサラの予想に反して、リーシャの指し示した方角には道が続き、やがて、下へと降りる階段が現れた。
「ほ、ほら、言った通りだろ!」
「……でも……また下へと降りるのですか?」
階段を見つけ、子供のようにはしゃぐリーシャの横で、不安を隠しきれないサラが呟き、カミュの表情も概ねそれに同意しているようであった。
それでも、そこに階段がある以上、降りて見なければならない。<西の洞窟>では、上っては下り、下りては上るを繰り返した先に、目的地が現れた。
故に、胸に一抹の不安と、何故かとても嫌な予感を抱きながらも、サラは階下へと降りて行った。
「…………はこ…………」
下りた先は、少し開けた空間で、そこに二つの宝箱が鎮座していた。
カミュのマントの裾を握っていたメルエが、目敏くそれを見つけ、先程カミュから受けた注意を忘れて駆け寄って行く。
「メルエ! カミュに駄目だと言われただろう!」
「…………!!…………」
宝箱に駆け寄るメルエに、慌てたように声を荒げてリーシャが駆け寄った。
先程のカミュの真剣な瞳を思い出したメルエが、宝箱の前で踏み止まり、メルエに追いついたリーシャが、宝箱とメルエの間に入るように立つ。そして、メルエへと少し怒ったような表情を向けて、その行為を窘め始めた時、その場に異変が起こった。
サラは、リーシャがメルエを窘める姿を微笑ましく見ていたが、突如横に立っていたカミュが駆け出した事に驚く。
彼女は、メルエとリーシャの直線状に立っていた為、その異変に気がつかなかったのだ。
「どけ!!」
素早くリーシャの下へと駆け寄ったカミュが、珍しい程の声を上げ、リーシャを吹き飛ばしたのが見えた後、その音が全員の耳へと入った。
それは、身の毛が逆立つような音。
鋭い刃物が肉に突き刺さるような音。
鋭い牙が、生きている生物の肉を食い破るような音だった。
「カミュ!!」
リーシャを突き飛ばし、メルエの前に代わって立ったカミュの腹部に、何かが牙を立てている。
それは、先程メルエが駆け寄ろうとした物。
本来であれば、貴重品が納められている筈の『宝箱』であった。
その箱の様な物がカミュから離れたと同時に、カミュの腹部からその生命の源である赤い液体が盛大に吹き出し、床を真っ赤に染め上げた。
<人喰い箱>
その名の通り、人を食す箱である。何故、この魔物が生まれたのかは解明されていない。長い年月が経過した宝箱に、そこで命を落とした者達の怨念が宿り、魔王の魔力の影響で魔物化した物という説もある。『宝箱』と勘違いして近づいた人間をその鋭い牙で突き刺し、喰い千切る。その牙の鋭さは、肉食である魔物の中でも上位に位置し、凄まじい攻撃力を誇った。
「…………カミュ…………カミュ…………?」
自分の目の前でゆっくりと倒れて行くカミュをメルエは信じられない物を見るように眺めていた。
メルエの中で、カミュは『絶対的強者』なのだ。どんな事からも逃げる事はなく、どんな敵でも倒れる事はない。
そんなカミュが、真っ赤な血を噴き出しながら倒れて行く。
それがメルエには信じられなかった。
それは、サラにとっても同じ事だった。
どんなに皮肉を言われても、どれ程衝突を繰り返しても、この世で唯一『魔王討伐』への道を歩める存在であるカミュは、倒れる事はないと、心のどこかで考えていたのだ。
『勇者も人だ』と言いきったリーシャも、心の奥ではカミュと『死』という単語は繋がっていなかった。
それらが今、目の前で崩れて行く。
「サラ! カミュに回復魔法を!」
それでも、一番先に現実に戻ったのは、やはりリーシャだった。
『カミュが自分を庇った』
その事実に困惑しながらも、目の前で箱の渕に生える牙をカタカタと鳴らす魔物へ斧を構える。
「は、はい! メルエ! 早くこっちへ!」
「…………カミュ…………?…………カミュ…………?」
リーシャの声に我に返ったサラが、回復を行うためにカミュへと近寄り、自分の背にメルエを移動させようとするが、メルエは、床を真っ赤に染め上げてピクリとも動かないカミュの傍を離れようとしない。
「カタタカタタッタタタ」
そんなメルエを<人喰い箱>は見逃さない。奇妙な音を立て、その牙の生えた口のような物を開け、メルエへと襲いかかる。
しかし、メルエの覚醒は、<人喰い箱>の考えを大きく超えていた。
「…………ベギラマ…………」
<人喰い箱>に向かって上げたメルエの顔に浮かんでいる表情。
それは、純粋な怒り。
リーシャの時とは、また少し違うその感情は、メルエが掲げた腕から発した熱風の量が物語っていた。
カミュやリーシャに禁じられていた、触媒を解さない魔法の行使。
しかし、本来の魔力の流れを認識し始めたメルエには、すでに触媒を必要とはしていなかった。
メルエが放った熱風は、大きく開けた<人喰い箱>の口の中へと吸い込まれて行く。
「アバババ、ゴバゴバ」
直接体内に取り込まれた熱風は、<人喰い箱>の内部にて炎の海と化す。瞬間的に閉じてしまった口の中で燃え盛る炎に、<人喰い箱>は奇妙な音を発しながら、黒煙を吐き始めた。
「…………リーシャ…………」
「ああ! 任せろ!」
地面でのた打ち回りながら黒煙を吐く<人喰い箱>を冷たく見下ろしたメルエは、呟くようにリーシャの名を呼ぶ。
メルエの意図を把握したリーシャは、手に持つ<鉄の斧>を高々と掲げ、渾身の力を込めて<人喰い箱>へと振り下ろした。
派手な音を立て、砕け散る木片。
所々黒く焦げたそれは、<人喰い箱>であった物の一部。
リーシャの渾身の力を込めた一撃は、寸分の狂いもなく<人喰い箱>に突き刺さり、粉々に粉砕したのだ。
まるで薪でも割るように叩き割られた<人喰い箱>は原型も留めない程に砕け散り、その息吹を停止させていた。
「サラ! カミュは!?」
辺りに散らばった木片が動かない事を確認したリーシャは、未だに倒れて動かないカミュの下へと駆け寄るが、そこには、必死に<ホイミ>をかけ続けるサラの姿があった。
「…………カミュ…………」
「<ホイミ>では追い付きません……深く抉られ、内臓が傷ついていて……血が止まらないのです……」
心配そうにカミュの名を呟くメルエに、先程までの様な眼の光はない。
そして、その横でカミュの腹部に手をかざすサラの声も悲痛に震えていた。
「で、では……カミュは……カミュは、死んでしまうというのか!?」
「…………カミュ…………だめ…………」
パーティー唯一の回復役であるサラの魔法でも回復しないと言うのだ。
それは、即ち死に繋がるということ。
リーシャの叫びの意味を理解したのだろう。
傍に座るメルエの瞳から大粒の涙が零れ出す。
「サラ! 何とかならないのか!?」
「……くっ! 大丈夫です……カミュ様は絶対に死なせません」
こんな時にリーシャの様な戦士に出来る事など何一つない。
リーシャの胸に自身の無力さに対する憤りが突き刺さる。
故に、無茶な事だと解ってはいても、サラに大声を上げるしかなかった。
そんなリーシャの叫びを聞き、サラは一瞬悔しそうに顔を顰める。
しかし、噛みしめた唇を開き、再び絞り出した言葉は、サラにしては珍しい強気な発言であった。
読んで頂き、ありがとうございました。
イシスと言えば「ピラミッド」。
皆様にも、様々な思い出があると思います。
このピラミッド編は、もう2話程かかります。
ご意見、ご感想を心よりお待ちしています。