新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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ピラミッド②

 

 

 

 湿気の少ない建造物の中、外の気温とはかけ離れた涼しい空気が支配する。

 リーシャが破壊した<人喰い箱>であった木片が散らばるフロアの中央部分では、『人』の希望である青年が静かな寝息を立てて眠っていた。

 その青年の胸の上で、涙の跡を色濃く残した幼い少女もまた眠りにつき、先程までで魔法力を大量に使用した法衣を纏う少女もまた、少し前に倒れるように眠ってしまった。

 唯一人、この場で何も出来ず、見守る事しか出来なかった女性が、魔物の巣食うこの場所で見張りを兼ねて起きていたのだ。

 メルエの頬に残る涙の跡を見ながら、リーシャは先程一行を襲った混乱を思い出す。それは、まさに阿鼻叫喚と言っても良い状況であった。

 

 

 

 

 血が止まらず、床を満たしていくように流れ出るカミュの命の灯。

 一向に目を開かないカミュを見て、涙を流し、最後にはリーシャやサラですら聞いた事もない声を上げて泣き出すメルエ。

 メルエが泣く事を見るのは初めてではない。しかし、声を上げ泣き叫ぶという姿は、リーシャもサラも初めて見た。

 それは、リーシャが倒れた時と違い、サラが安心できる言葉をかけなかった為。

 メルエにとって、事、怪我等に関しては、サラの言う事は絶対なのだ。

 サラが『大丈夫』と言えば、心配の必要はない。しかし、カミュに対してはどこか弱気な発言をしたサラを見たメルエは、困惑し、絶望した。

 

「大丈夫です! メルエ、大丈夫! 絶対にカミュ様は死なせません。私を信じてください!」

 

 メルエが泣き叫び、リーシャが絶望に呆然とする中、そんな二人を強引に現実へと戻したのは、先程と同じように珍しい強気な発言をするサラであった。

 その瞳は、どこか自信のない揺らぎを見せるが、その奥にある炎はまさしく『決意』。

 以前、リーシャが倒れた時に、メルエが宿した瞳の炎と酷似したものであった。

 

「……………えぐっ………サラ………えっぐ…………」

 

「メルエ、私はメルエに嘘を言ったことはありませんよ? 私がメルエに『大丈夫』と言ったのなら、『大丈夫』です」

 

 サラの強い声に、泣き叫んでいたメルエが、嗚咽を繰り返しながらもサラを見つめ、その視線を受けたサラは、尚も強く頷いた。

 そのサラの様子が、どこか危うく、しかし、どこか頼もしい。

 リーシャは、以前カミュと話したように、サラの成長を認めなければならないと場違いな感想を持っていた。

 

「し、しかし、サラ……どうするつもりだ? <ホイミ>では無理なのだろう?」

 

「……はい……」

 

「…………カミュ………えぐっ………だめ…………?」

 

 我に返ったリーシャの問いかけに、悔しそうに俯くサラを見て、メルエは再び涙を溢し始める。もはや、メルエは完全にパニック状態なのだ。

 アッサラームの町にいた頃には何度も殴られ、何度も罵倒されて来た。

 道端に他人が倒れていようと、例えその者が死んでいようと、メルエの心が動く事はなかったのだが、今のメルエの心はあの頃とは異なる。

 倒れ伏す青年によって世界を知り、呆然とする女性戦士によって愛を知り、今何かの決意に燃える僧侶によって心を教わったメルエは、もはや人形ではないのだ。

 

「大丈夫です……<ホイミ>でなければ良いのです……」

 

「……サラ?」

 

 顔を上げたサラの表情はいつになく厳しい。それは、意見や思考の食い違いから、カミュと相対する時のサラよりも厳しいもの。

 その表情に、メルエは若干の怯えを見せ、リーシャは疑問を感じずにはいられなかった。

 一度、胸の前で大きく印を切り、胸の前で手を合わせたサラは、その手を天高く掲げ、未だにじわじわと血が滲み出ているカミュの腹部へと押し当てる。

 

「ベホイミ!!」

 

 サラの詠唱と共に、サラの手のひらだけでなく、腕の肘部分までが淡い緑の光に包まれて行く。

 その光の強さは、<ホイミ>の比ではない。

 サラから放たれた淡い緑色の光は、カミュの腹部を起点にカミュの身体を包んで行った。

 

「…………サラ…………」

 

「……」

 

 今まで見た事もない不思議な光景に、リーシャとメルエは言葉を失う。

 <ホイミ>では、傷を癒す速度よりも、傷つけられた内臓から滲み出す血液の喪失の方が早くなってしまっていたが、今サラが唱えた<ホイミ>の上位魔法である<ベホイミ>の癒しの力は、カミュの血液の流出を許さず、内臓の傷を塞ぎ、更には腹部に開けられた穴をも塞いで行ったのだ。

 

「……ふぅ……良かった……成功した……良かった……うぅぅ」

 

 腕を包むように覆っていた淡い緑色の光が消えた時、カミュの腹部の傷も綺麗に消えていた。

 カミュの傷跡を確かめたサラは、安堵からなのか、声を詰まらせて嗚咽を漏らす。

 

「…………カミュ…………だいじょうぶ…………?」

 

「ぐずっ……は、はい! もう大丈夫ですよ。傷は治りました。後は少しずつ<ホイミ>をかけて行けば、目も覚めると思います……うぅぅ……」

 

 不思議な光景を間も辺りにし、カミュの傷跡も消えた事で、メルエは、回復関係で最も信頼を置いているサラへとその容体について尋ねた。

 鼻をすすりながらも、満面の笑みでメルエに答えるサラであったが、サラの答えを聞いたメルエの双眸から再び大粒の涙が流れるのを見て、自らも再び嗚咽してしまう。

 

「ふふふ。ありがとう、サラ。よくやってくれた。もう、立派な僧侶だな」

 

 そんな妹のように思っている二人の可愛らしい姿に頬を緩めたリーシャが、サラへと労いの言葉をかけながら、二人の傍に腰を下ろした。

 

「……わ、私も……初めてだったので……心配で……心配で……」

 

「ああ。それでも、サラがしてくれた事に変わりはない。サラのした事は、この世界にとっても本当に重大な事だ。自信を持て」

 

「…………サラ………ありが………とう…………」

 

<ベホイミ>

教会が保持する『経典』内に記載されている上位の回復呪文。その効力は<ホイミ>を遥かに凌ぎ、瀕死である人間の傷も癒すと云われている。古の賢者の使用した回復呪文が『経典』に記載されていない今、事実上は僧侶が使用する最上級の回復呪文であると言っても過言ではない。

 

 この魔法の習得。

 これが、<イシス>の町で情報収集をリーシャに押し付ける事になった三つ目の理由であった。

 彼女がメルエの状況を知り、そしてカミュへと宣言した僧侶としてのレベルアップ。

 その必要性を強く感じ始めていたサラは、あの砂漠の途中に一人で住んでいた老人の家でも、そして<イシス>の町でも、夜、全員が寝静まってから、経典を手に持ち契約の儀式を行っていた。

 

 そして、それが契約出来たのは、昨日。

 あの<イシス>での夜だった。

 契約は出来たが、行使をした事がない魔法。

 それをこの土壇場で使用するという行為は、並大抵の勇気ではない。それを成功させたサラが、感極まり涙を流す事をリーシャは誇らしく思った。

 

「ぐずっ……は、はい……でも……本当に良かった……」

 

「…………サラ…………」

 

 リーシャの言葉に、更に涙を溢すサラへメルエが飛び付く。

 サラの薄い胸の中で泣くメルエを強く抱き締め、サラは今、自分の立ち位置を確立した事を改めて感じていた。

 

「ふふふ……ぐずっ……メルエ、まだカミュ様に<ホイミ>をかけてあげなければいけません。もう少しでカミュ様も目覚めると思いますから、カミュ様のお傍で待っていて下さい」

 

「…………ん…………」

 

 しばらく抱き合っていた二人ではあったが、涙を拭きながら話すサラの言葉に、メルエが小さく頷き、サラの胸から離れ、横たわるカミュの傍へと移動して行く。

 その間、リーシャは、周囲の警戒をしながらも、二人を穏やかな気持ちで眺めていた。

 

「サラ。ここで少し休んで行こう。カミュも言っていたが、ここでの探索はそう急ぐものではない。ゆっくりカミュが起きるのを待とう」

 

「あっ、は、はい」

 

 リーシャが腰を落ち着けた事により、サラの胸の中の焦りは皆無となった。

 カミュの命の鼓動は消えていない。今は、身体が失われた血液の回復をしているだけであり、後はその回復を待つだけなのである。

 

 

 

 

 先程まで、この場所で抱き合い涙を流していた二人は、今深い眠りについている。

 片方は魔法の行使での疲れの為。

 もう片方は、極度の不安とその解放による泣き疲れの為。

 

「……サラも、メルエもどんどん成長して行く……私はこのままで良いのだろうか……」

 

 静かな寝息が響く、古の建造物の中でリーシャの声だけが闇に溶けて行く。

 それは自問自答。

 リーシャは、妹の様な二人の成長を頼もしく感じると共に、寂しさも感じ始めていた。

 

「……うっ……」

 

 そんな物思いに耽っていたリーシャの耳に、先程までの騒動の原因でもある青年の声が入って来た。

 目を開き、身体を起こそうとしたのだろう。しかし、胸の上で眠るメルエの存在に気が付き、起きるに起きられず、困ったように再び身体を横たえるカミュを見て、リーシャは口元を緩めた。

 

「まだ寝ていろ。お前は死にかけたんだ」

 

「……アンタの代わりにな……」

 

「ぐっ!」

 

 微笑みながらカミュの顔近くに座り込んだリーシャの声に、視線だけを向けたカミュは一瞬自分の身に起こったことに想いを巡らし、皮肉気に口を開いた。

 それは、間違いない事実。

 <人喰い箱>の前にいたのは、カミュではなくリーシャだった筈。

 メルエを窘めるリーシャは、<人喰い箱>に背を向けた状態であった。であるならば、本来、カミュが受けた傷はリーシャが受け、生と死との狭間を行き来していたのはリーシャであった可能性が高いのだ。

 

「……すまなかった……お前のおかげだ」

 

「……俺も生きている……アンタが受けたとしても、生きているという事だ」

 

 頭を下げるリーシャに、驚いたように目を開いたカミュが呟いた言葉は、遠回しながらもリーシャが気にかける必要がない事を伝えるものだった。

 

「後でサラによく礼を言っておけよ。サラがいなければ、お前は死んでいたのだからな」

 

「……わかった……」

 

 リーシャの言葉に素直に頷くカミュに、リーシャも驚きを浮かべる。彼がここまで素直に頷くとは思っていなかったのだ。

 眠っているメルエを胸から太腿の位置まで移動させ、膝枕をしてもらうように眠らせてから、カミュは身体を起こした。

 

「それと、今回は私が救われたから、強くは言えないが、お前はもう少し自分の身体を気にかけろ! お前はこの世界に住む『人』の希望なんだ。私とは違う」

 

 身体を起こしたカミュに、リーシャが声をかける。その内容は、『勇者』として送り出されたカミュの責任を追及するものであった。

 そんなリーシャの言葉に、カミュは目を細める。

 

「……俺もアンタも同じ『人間』だ。生まれた家が違うだけで、『人』としての価値に違いなどない……それに、俺はこの旅は『死への旅』だと言った筈だ」

 

「な、なに!? ならば、お前は、今生きている事も余計な事だとでも言うのか!? サラがあれ程必死になってお前を救った事を余計な世話だとでも言うつもりか!?」

 

 冷たく細められた視線を発し、カミュが口にした言葉に、反射的にリーシャは激昂してしまう。

 サラがあれ程までに強い決意を示し、勇気を振り絞って魔法を行使した後、その安堵から大粒の涙を溢した姿が、カミュにとって無駄な事と片づけられる事がリーシャには我慢ならなかった。

 

「……どこをどう聞けば、そういう事になる? あの僧侶が回復呪文を唱えた事によって命を繋ぎ留めた事に関しては、感謝している。俺が言っているのは、この旅の途中で、何処でどういう死に方をしようと覚悟は出来ているという事だ」

 

「ぐっ……だが、それも間違っているだろう! お前はこの世界の『勇者』なんだ。オルテガ様に代わり、魔王を討伐出来るのは、お前しかいないんだぞ!?」

 

 リーシャは頭に血が上っていて気がつかない。

 カミュが素直にサラに対して感謝の意を示している事を。

 それは、カミュが唯の死にたがりではない事を示していた。

 命を繋ぎとめてくれた者に対しての素直な感謝。それは生への執着とは少し違う想い。それが何であるのかは当の本人すら気がついていないのかもしれない。

 

「……アンタが言うように、俺は『そういう存在』だ。ただ、『魔王』を討伐出来るか否かは、解らない。この世界にいる以上、俺はそれを求められ、それ以外の生き方は許されないだろう。旅は続ける……だが、その先が『魔王討伐の成功』なのか、それとも『死』なのかは、俺の判断でどうこう出来る物ではない」

 

「……」

 

 呆然とするリーシャに向かって、カミュは一息入れた後にもう一度口を開く。

 会話の内容はとても辛辣な物ではあったが、語るカミュの口調は、以前とは違い、若干柔らかな物へと変わっていた。

 

「……アンタが慕う『オルテガ』という存在と俺は別物だ。『オルテガ』に出来た事全てを俺に求めないでくれ……アンタが慕う存在ですら成しえなかった事を、俺が出来るとは思わない事だ」

 

 カミュの淡々とした口調に、リーシャは言葉を発する事が出来なかった。

 ただ、リーシャの心の中では、あらゆる感情が蠢く。

 『違う』

 『こんな問答をする為に、言葉を交わしたのではない』と。

 

「ち、ちがっ……いや、もう良い。ただ、カミュ。お前が自分の死をどういう風に考えているのかは解ったが、メルエの顔を見てみろ」

 

「……」

 

 自分の胸にある想いを伝えようとして、リーシャは諦めた。

 今の自分では、正確に想いをカミュに伝える事が出来ないと感じたからだ。故に、リーシャは視点を変える事とした。

 

「メルエの頬に残るその跡こそ、お前が考えるべきものだ。お前は、自らの『死』を受け入れる覚悟はあるのだろう。だが、メルエにはお前の『死』を受け入れる覚悟などない! お前はそれを解っているのか!?」

 

「……」

 

 突如として切り口が変わったリーシャの言葉に、カミュは押し黙ってしまう。

 視線を向けたメルエの頬には、くっきりと残る涙の痕。

 余程泣き続けていたのだろう。その瞼は赤く腫れ、疲れ切ったように深い眠りに落ちていた。

 

「私とて、目標は『魔王討伐』という使命だが、お前の言うとおり、それが必ずしも実現出来るとは思っていない。いや、実現する為に最大限の努力はする。しかし、この旅がそのような甘い旅ではない事ぐらいは百も承知だ」

 

 一度、自分の胸の中にある説明できない感情を吐き出し始めたリーシャの言葉は止まらなかった。カミュが口を開く間を与えないように、言葉を捲し立てて行く。

 カミュの目には先程までの冷たい光はもう存在しない。

 そこにあるのは、『困惑』と『焦り』。

 まさか、この頭の固い戦士からこのような事を言われるとは思っていなかったのであろう。

 

「だが、カミュ。メルエはお前に『魔王討伐』を無理強いしているのか? メルエがお前を『勇者』として見ているのか? 確かにお前の使命は成功するかどうか解らない『魔王討伐』だ。それでも、その先にある未来が『お前の死』では駄目なんだ」

 

「……」

 

 そこまで言い切って、リーシャはカミュから視線を外した。

 まるで逃げるように外されたリーシャの視線にカミュは首を傾げる。直線的な性格を持つこの『戦士』が、まるで何かに罪悪感を覚えているかのように視線を外したのだ。

 

「私は、お前を一人の人間として見ていたかと問われれば、アリアハンを出た時は確実に見ていなかった……いや、今でもどうかわからない……しかし、メルエは違う! メルエにとって、お前はカミュなんだ……それを今日実感した。メルエだけは血の気を失うお前を見て『カミュの死』というものを連想し、絶望していた。私やサラは、『勇者の死』としてしか見ていなかったのかもしれない……」

 

 リーシャの頭は下げられ、カミュの瞳と交差する事はない。

 自分でも収集がつかない程の想いが、零れ出しているのだ。

 それは『懺悔』のようにも聞こえる。

 

「……すまない……もう何を言っているのか解らないな……とにかく、お前は自分の身をもう少し考えてくれ」

 

「……」

 

 もはや、自分でも何をどう話したのか、それがどういう意味だったのかが理解出来なくなってしまったリーシャは、最初にカミュに掛けた言葉をもう一度口にする事で口を閉じた。

 カミュは黙して何も語らない。

 ただ、目の前で下を向いている頭の固かった女性戦士を見ていた。

 

「……アンタはどこまで変わって行くつもりだ?」

 

「な、なんだそれは!?」

 

 不意に口を開いたカミュの言葉にリーシャの思考が追い付かない。リーシャが今まで必死に話した内容など無視したように話すカミュの顔を見る為に、リーシャは俯いていた顔を上げた。

 

「……俺の頭が追い付かない……」

 

「ば、馬鹿にしているのか!?」

 

 カミュの言葉の真意が何処にあるのかがリーシャには理解出来ない。故に、小馬鹿にされたように感じ、反射的にカミュへと怒りを向けた。

 それに対し、カミュは軽い溜息を吐き出し、リーシャを真っ直ぐ見つめ返す。

 

「……その辺りは変わらないな」

 

「ぐっ!」

 

 カミュとリーシャのやり取りに先程までの重苦しいものはない。

 あるのは、会話と同様に軽い空気。

 

「……それに、アンタも以前にメルエを護る為に身を挺した筈だが?」

 

「あ、あれは、身体が勝手に動いたんだ!」

 

 カミュの表情に先程と違った余裕が戻って来ている。そんなカミュにリーシャが敵う筈もなく、いつものように、後手後手に回ってしまう。しかし、そんな軽い空気も変化する。

 次のカミュの言葉が、周囲の時を止めたように空気を固めてしまった。

 

「……ならば、俺もそれと同じで良い……」

 

「は?」

 

 カミュが言う事。それは、リーシャがメルエを救った時のように、リーシャを救う為に無意識に飛び込んで来たというのだ。

 リーシャは、ここまで、様々な難局をカミュが越えて来たのを見ている。

 <ノアニール>でも<エルフの隠れ里>でも<カザーブ>でも、彼は、やり方はどうあれ、そこに住む者の心を救って来た。

 しかし、<ノアニール>の村の住人を救う為にカミュが身を挺するとは思えない。

 『エルフ』は『人』であるカミュの救いなど必要としないだろう。

 <カザーブ>のトルドに対しては、もしかしたらカミュは動くかもしれないが、想像が難しい。

 そうなれば、カミュが無意識に助けたリーシャは、カミュの周囲にいる人間の中でも違う意味を持っているという事になる。

 その事にリーシャの理解が追い付いていかない。

 

「……う……う~ん……」

 

 カミュの目を見つめ呆然としているリーシャの横で、眠りから覚醒する声が聞こえ始める。

 ゆっくりと顔を上げ、目を擦るのは、カミュを死の淵から生還させた功労者。

 傷が塞がった後も、<ホイミ>をかけ、カミュの覚醒を速めたサラであった。

 

「はっ! も、申し訳ありません。カ、カミュ様、どこか具合の悪いところはありませんか? 一応、一通り<ホイミ>をかけておきましたが……」

 

 顔を上げて、真っ先にカミュの身を案じるサラ。

 それは、先程リーシャが言っていた『勇者』として見ているものなのか、それとも、『カミュ個人』を見て発しているものなのかは解らない。

 

「……いや、大丈夫だ。アンタには本当に助けられた。ありがとう」

 

「ふぇ!? い、いえ。そ、僧侶として当然の事をしたまでです。私もカミュ様を……『勇者様』を救う事が出来て嬉しく思います」

 

「……」

 

 カミュが示す感謝の意を受け、サラは眠気が吹っ飛んで行く。何度かカミュの感謝を受け取りはしたが、カミュと感謝が未だに結びつかないのだ。

 そして、その後に続けたサラの言葉が、リーシャの表情に微かな影を差す。

 

「…………うっ…………」

 

 周囲の騒がしさに、パーティー最後の少女も眠りから覚醒する。

 カミュの太腿から顔を上げ、何度も目を擦り、開いた目に飛び込んで来たカミュの顔に、メルエは輝くような笑顔を浮かべた。

 

「…………カミュ!…………」

 

「ふふふ」

 

 カミュの首に巻きつくように抱きついたメルエを、サラは微笑みを浮かべながら見つめ、カミュはメルエを複雑な想いを持って迎え入れていた。

 それは、先程のリーシャの言葉。

 『メルエにとってお前は<カミュ>なんだ』

 それは、カミュが初めて受ける見解。

 自分を『アリアハンの勇者』としてではなく、ましてや『オルテガの息子』としてでもない、純粋に『カミュ』として見られる事は、カミュには初めての体験だったのだ。

 この純粋で小さな少女は、『アリアハン』という国も知らなければ、『オルテガ』という存在も知らないのだから、当然の事なのかもしれないが、カミュはこの後、メルエとどう接していけば良いのかが解らなかった。

 

「今まで通りで良い。メルエにとってそれが『カミュ』なんだ」

 

「??」

 

 そんなカミュの困惑顔を見ていたリーシャが口を開き、その会話の内容が理解出来ないサラとメルエが仲良く首を傾げた。

 

「……時々、アンタが解らなくなる」

 

「お前は、私をどう見ているんだ!!」

 

 自分の胸の内をリーシャが悟る事は、今回ばかりではない。

 カミュが、胸の内で悩み、表情に出さないまでもその悩みに苦しんでいる時、必ず現れるのは、この女性戦士であった。

 カミュに『脳味噌まで筋肉で出来ているのでは?』と揶揄される程に軽率な行動に出る事も多い反面、人の心の機微には敏感。そんなリーシャという存在が、カミュは時々解らなくなっていた。

 

「……良く解りませんが……カミュ様、もう少し休んで行かれますか?」

 

「いや。アンタのお陰で、体調も大分戻った。このまま探索を続ける」

 

 カミュとリーシャのやり取りが理解出来ないサラではあったが、カミュの身を案じ休憩を示唆した。

 そのサラの言葉をさらりと流したカミュは、そのまま探索する為に立ち上がる。若干のふらつきを覚え、血液流出による貧血状態である事が解るが、時間が解決してくれると、カミュはそのまま自分の状態を把握していた。

 <人喰い箱>の牙を受けたカミュの腹部の<みかわしの服>には大きな穴が空き、マントや服には乾いた血液がべったりとこびり付いている。

 結果論にはなるが、もし、カミュの身に着けている防具が<鉄の鎧>であれば、カミュは死に繋がる程の怪我にはならなかったのかもしれない。

 

「…………カミュ…………いたい…………?」

 

「ん?……ああ、大丈夫だ。メルエ、血で汚れている部分のマントは握るな」

 

「…………ん…………」

 

 少しふらついたカミュを心配そうに見上げるメルエの瞳は、純粋に『カミュ』を心配しているもの。それがカミュにとっては不思議な光景に見えた。

 それでも、そんなメルエの手が汚れる事を心配するカミュの心もまた、メルエを妹のように思っている証拠なのだ。

 かなりの時間をこの空間で過ごした一行ではあったが、再びこの古の建造物の中に眠ると云われる『魔法のカギ』を求めて歩き出す。

 彼等四人を取り巻く空気は、ゆっくりとではあるが、確実に変化を起こしていた。

 

 

 

「…………」

 

「……前言は撤回しよう。アンタは何も変わらない」

 

 カミュの一大事で、一行は忘れていた。彼等が<人喰い箱>のある場所を目指すきっかけになったのも、全てリーシャが指し示した方角へと歩いて来たからだという事を。

 その行き着く先など、決まっている。

 『行き止まり』であった。

 

「くそっ!」

 

「あれ?……なんでしょう? 壁に何かついていますが……」

 

 吐き捨てるように言葉を吐くリーシャの姿を横目に、サラは自分達の行き先を遮るようにそびえる壁の中央にある小さく丸いボタンの様な物を見つけた。

 

「……なんだこれは?」

 

「…………おす…………?」

 

「ちょ、ちょっと待て、メルエ! 何でもかんでも無闇に触るな! また、誰かが傷ついたらどうする!」

 

 目を凝らすカミュを見上げたメルエが、壁に付いているボタンを押そうと指を伸ばすのをリーシャが慌てて止めに入る。

 リーシャの言葉に、先程のカミュの姿を思い出したメルエは、眉を下げ、俯いてしまった。

 

「ああああ!! も、もしかしたら……」

 

「な、なんだ、サラ。突然大声を上げるな」

 

 しょんぼりと俯いてしまったメルエを慰めようと手を伸ばしたリーシャの後ろから、サラが素っ頓狂な声を上げた。

 そのサラの大声に全員が驚き、サラへと振り返る。一斉に視線が自分に集まった事に驚いたサラであったが、呼吸を整え、自分の考えを話し始めた。

 

「<イシス>のお城で聞いた童歌ですよ。あの子供達は、『まんまるボタンはお日様ボタン。小さなボタンで扉が開く。東の東から西の西』と謡っていました」

 

「ん?……それが何か関係があるのか?」

 

 人の心の機微には素早い回転を見せるリーシャの頭ではあったが、サラの話す謎解きのような物にはその回転力を全く発揮しない。

 

「……なるほどな。このボタンが、その扉を開く鍵だと言うのか? では、『東の東から西の西』という部分は?」

 

 対して、カミュには何か納得がいったようだ。

 困惑顔のリーシャを置いて、カミュとサラの話が始まる。

 

「そこが、まだ解りませんが、きっとここ以外にもボタンがある筈です」

 

「何が、何だというのだ!? 私にはさっぱり解らないぞ!」

 

 勝手に進むカミュ達の話に置いて行かれてしまい、リーシャは癇癪を起こして行く。メルエはというと、ピラミッドの床を歩く、小さな小さな生物に興味を引かれたらしく、しゃがみ込んで、行列を作る<蟻>を眺めていた。

 

「……アンタはこの先どちらの方向に行けば良いと思う?」

 

「な、なに!? それとこれとどう……先程の曲がり道を左だな……」

 

 リーシャの言葉を無視して問いかけるカミュの目が真剣なものである事を見たリーシャは、反論するのを諦め、自分が思った先を指し示す。

 

「……だそうだ。とりあえず行ってみる」

 

「そ、そうですね。わかりました」

 

 躊躇なくリーシャの指し示した方角に移動しようとするカミュの考えが解っただけに、サラは戸惑うが、その意図を測りきれていないリーシャは、ただ、自分の意見がすんなり通った事を喜んでいた。

 

 

 

 リーシャが指し示した方角は、計四方向。

 その全てが『行き止まり』であった。

 その事に肩を落とすリーシャであったが、カミュやサラはその事を責めるような言葉は発しなかった。

 むしろ、改めて見直したような視線を送ってくるサラを、リーシャは不思議に思う事となる。

 

「……これで四つ目ですね……」

 

「……ああ……」

 

 リーシャが指し示した方角にある『行き止まり』は、最初に辿り着いた時と同じように、細い道の先が壁となっており、その壁にも全く同じ丸いボタンが取り付けられていた。

 

「……おそらく、このボタンが最後ではないかと思います。ここまでの道は一本道でした。そこで二手に分かれて同じボタンが二つ。一番最初に見たボタンも、その手前の別れ道の先にもう一つのボタンがありました」

 

「……『東の東から西の西』か……」

 

「何だと言うんだ!? 解るように説明してくれ!」

 

 サラとカミュの会話はどんどん進んで行く。それにリーシャとメルエは置いて行かれていた。

 いや、関心を示さないメルエと違い、リーシャは聞いていても理解が出来ない。

 

「……この<ピラミッド>の入口から考えて、このボタンがある場所が、東の方角でしょう。そして、東側にある二つのボタンの内、最も東にあるのがこのボタン……」

 

「東側にある東のボタンを押した後に、西側にある西のボタンを押せば……」

 

 サラの推理は、カミュの考えているものと同じだった。

 四つのボタン。

 ピラミッド内で、東側に二つ。そして西側に二つ。

 童歌がカギとなるならば、指し示す内容はそれしかない。

 

「……お前達は、意図的に私を無視しているのか?」

 

 サラとカミュの話が進み、説明を求めるリーシャの声等聞こえない素振りを見せる二人にリーシャの癇癪が爆発しそうになっていた。

 それにサラは、大いに慌てる。

 

「い、いえ! そのような事はありません!」

 

「……アンタに話した所で、理解出来ないだろうからな」

 

「カ、カミュ様!!」

 

 弁解しようとするサラの言葉を遮って、口を開いたカミュの言葉は辛辣。そのような事を言われれば、リーシャでなくても、通常の人間であれば怒り出す。

 案の定、リーシャの肩は震えていた。

 

「そんな事、聞いてみなければ解らないだろう!!」

 

「……何事にも適材適所がある。こういう事は他人に任せておけ」

 

 激昂したように叫ぶリーシャに対し、何も感じてはいないように、カミュは言葉を返した。

 それは、サラにしてみれば、恐ろしい発言。そのままリーシャの背にある<鉄の斧>で首を刈られてしまうのではないかとすら考えた。

 

「カミュ……お前は、私は考える事に向いていないと言うのか!?」

 

「……アンタは向いていると思っていたのか?」

 

 怒りに燃えるリーシャの顔を、本当に不思議そうに見るカミュの表情は、先程まで恐怖に強張っていたサラの顔を微笑みに変えてしまう程に自然なものだった。

 

「…………リーシャ………たべる…………?」

 

「~~~~~~~!! もういい!! やる事があるなら、さっさとしろ!」

 

 カミュ達の会話を眺めていたメルエがポシェットから例の種を取り出した事で、この問答は終了した。

 最後にメルエの帽子を取り、その頭に軽く拳骨を落としたリーシャは、不貞腐れたように後ろを向いてしまう。不貞腐れたリーシャに謝罪をしているメルエを余所に、サラとカミュは再び<ピラミッド>の謎解きを始めた。

 

「おそらく、カミュ様の言うとおり、この『東の東』に位置するボタンを押した後、先程見た『西の西』に位置するボタンを押すのではないかと……」

 

「……押せばどうなる?」

 

 考えれば、こうしてカミュとサラが向き合って話し合う事など、この旅が始まって以来初めての事かもしれない。それ程までに、彼等の距離は懸け離れていたのだ。

 『魔王討伐』という同じ目的に向かってはいるものの、視線の先にある物が違い過ぎていた。

 本当に少しずつ、彼等の距離が縮まって来ているのかもしれない。

 

「そ、それは、わかりません……もしかすると、罠のような物が出て来てしまうかもしれませんが……」

 

 サラの推理はカミュの考えと同じもの。ただ、その先に何が待っているのかは予測が出来ない。それをサラに問いかける形となり、自分の意見に賛成の手を上げてくれないのを見て、サラの自信は萎んで行ってしまう。

 

「……やってみなければ解らないか……メルエ!!」

 

 俯いてしまったサラを横目に、呟くそうな言葉を漏らしたカミュが、リーシャの傍にいるメルエを呼んだ。

 カミュの声に首を向けた後、メルエはカミュの下へ『とてとて』と走ってくる。

 

「……メルエ、そのボタンを押して良いぞ……」

 

「…………ん…………」

 

 カミュの言葉に表情を笑顔に変えて頷くメルエ。

 それを見たサラは血相を変えた。

 

「カミュ様! メルエにさせるおつもりですか!?」

 

「……心配するな。メルエの身に何かが起こるような事はない」

 

「…………メルエ…………おす…………」

 

 サラの心配は尤もな事だ。

 押した途端ボタンの場所から弓矢が飛び出して来るかもしれない。

 床が抜け、下へ落とされるかもしれない。

 そんな危険な役をメルエにさせようとするカミュが信じられなかった。

 

「カミュ、お前はまた私に同じ言葉を言わせるつもりか?」

 

「……死ぬ事はない……」

 

 サラとカミュのやり取りを見ていたリーシャの呟きは、低く小さな物だったが、嫌な汗が出る程の迫力があった。

 そのリーシャの声を聞いたカミュさえも、視線を合わせようとはしない。

 

「し、しかし、メルエが押す必要はどこにもありません!」

 

「…………もう…………おした…………」

 

「えぇぇぇぇ!!」

 

 尚も反論しようとするサラの耳に、信じられないような事実が響く。丸いボタンに指を伸ばし、それを深く押しきったメルエがカミュの足元から声を発したのだ。

 サラは、そのメルエの姿を確認し、大袈裟な驚きを表すが、彼女の心理的にそれは決して大袈裟なものではなかったのかもしれない。

 

「押してしまっては、もうどうしようもないな……メルエの身は大丈夫だったし、次に行くんだろ、カミュ?」

 

「リ、リーシャさんも何を落ち着いて……どうしようもないではありません!」

 

 ボタンを押した事に満足そうな笑みを浮かべるメルエの手を引いたリーシャは、カミュの方へ視線を向けるが、サラはそれを許す事が出来なかった。

 

「サラ、そんなに怒るな。もう、押してしまったものはどうしようもないだろう? 次はサラが押せば良いじゃないか」

 

「私が押したかった訳ではありません!」

 

「…………おに…………」

 

「何故ですか!?」

 

 いつものように、とても生死を賭けた場所でのやり取りとは思えない空気が広がり始める。

 いや、実際、メルエには始めからそのような感覚はないのかもしれない。ただ、カミュ達が行く場所に行かないという選択肢がないだけなのだろう。

 それでも、先程のカミュの一大事は彼女にとって、生まれて初めて『死』というものを実感した瞬間であった。

 

 

 

 未だ興奮冷めやらぬサラを連れ、再び最初に見つけたボタンの場所へと戻って行く。その間にも、魔物との戦闘もあったが、出て来た魔物は<火炎ムカデ>や<大王ガマ>であり、一行を死の淵をに落とすようなものではなかった。

 

「またメルエが押すと、サラが怒るから、次はカミュが押せ!」

 

「…………うぅぅ…………」

 

「に、睨んでも駄目です!」

 

 リーシャの言葉に、メルエが恨めしそうにサラを睨む。

 サラは一瞬怯みかけるが、気丈にメルエを見つめ返した。

 

「……わかった……」

 

 カミュがボタンの前まで進み、そのボタンを奥まで押し込む。

 

 ガゴン!

 

 ボタンが押し込まれると同時に、どこかで何かが開くような音が聞こえた。

 それは、ボタンがあった壁を見つめる一行の遥か後ろの方。その音は一向全員の耳に確かに入って来た。

 

「カミュ、今のは?」

 

「……わからない。とりあえず、音のした方へ向かう」

 

 いつものように、カミュへと問いかけるリーシャの言葉に律儀に返した後、先頭をカミュが歩き、一行は音が聞こえた場所に向かって歩き出す。

 その先に彼等が求める<魔法のカギ>がある事を信じて。

 

「しかし、『オルテガ』様の軌跡を辿ってここまで来たが、<魔法のカギ>という物は、これからの旅に必要な物なのか?」

 

「……」

 

「リ、リーシャさん……」

 

 カミュを先頭に、東と西のボタンへと続く通路の中央から延びる一本道を歩いている時に不意に溢したリーシャの言葉に、カミュは絶句した。サラも同様に、溜息を吐き出す。

 

「な、なんだ!? 私は何か変な事を言ったのか?」

 

「……いや、もういい……」

 

「<魔法のカギ>自体が本当にあるのかどうかすら解りません。いえ、<魔法のカギ>を求めていた『オルテガ』様が<イシス>を訪れて尚、その伝説が伝えられ続けている事が、その存在を否定している可能性の方が高いのです」

 

 カミュが疲れたように視線を前に戻した事で、代わりにリーシャの前を歩くサラが口を開く。既にメルエは、リーシャの手からカミュのマントに移っている。

 何度も言うが、メルエにとって、カミュ達と共に居る事が出来れば、その理由等はどうでも良いものなのだ。

 

「では、一体何の為に?」

 

「『オルテガ』様の軌跡を探る為です。『オルテガ』様が何故、<魔法のカギ>を求めたのか。そのカギを何に使うつもりでいたのか。それを知るためにも、<魔法のカギ>の有無はとても重要なのです」

 

 二人が話している間も、歩は進む。サラの言葉に納得したのか分からないリーシャの曖昧な声が返って来た頃、カミュの前には開かれた扉が現れた。

 かなり分厚い鉄で出来ているその扉は、とても人間の力で開く事は不可能に思われる。それが壁に押し込まれるように開かれていた。

 

「先程のボタンの仕掛けでしょうか?」

 

「……ああ……そうだろうな……」

 

 大きく重い扉だった物を見上げながら呟いたサラの言葉を、カミュが肯定するように頷く。

そして、その二人を残し、前へ進む者がいた。

 

「…………はこ…………」

 

「メルエ!!」

 

 前方に見える一段上った祭壇の様な場所に見えた物に興味を示したメルエである。再び、宝箱に向かって、『とてとて』と駆け出すメルエを、リーシャが追って行った。

 

「メルエ! 何度言えば解るんだ! いい加減、私も本当に怒るぞ!」

 

「…………うぅぅ…………」

 

 祭壇を駆け上がろうとするメルエの服を捕まえたリーシャが、メルエの向きを変え、怒りの瞳を向けた。

 その瞳を見たメルエは、自分が本気で怒られている事を知り、目に涙を溜め始める。

 

「いいか、メルエ。メルエは、まさか先程カミュが死の淵を彷徨った事を忘れた訳ではないだろう?……あの後、誰もメルエを責めなかった。だが、敢えて私は言おう。あの時、カミュが瀕死の怪我を負ったのは、カミュの言う事を聞かずに宝箱に近寄ろうとしたメルエの責任だ」

 

「!!」

 

 祭壇の麓で、向き合ったリーシャとメルエ。後ろから近づいて来たカミュとサラの二人は、リーシャの言葉に驚いた。

 リーシャの言う通り、あの時の事で誰もメルエを責めはしなかった。

 傷を負ったカミュも、本来傷を負う筈だったリーシャも、そしてメルエの躾役であるサラでさえも。

 しかし、それは間違っていたのかもしれない。

 故に、リーシャは心を鬼にしてメルエと向きあう。

 己の罪を自覚させるために。

 メルエ自身の成長の為に。

 

「あのまま、もしカミュが死んでしまっていたら、メルエがカミュを殺した事になる。メルエが取った行動はそれ程の事だ。それにも拘らず、同じ行動をするという事は、メルエはこの中の誰かを殺したいという事なのか?」

 

「…………ちが…………」

 

「では何故同じ事をする! カミュだけではなく、私もメルエにそれは駄目だと言った筈だ!」

 

 メルエに辛辣な言葉を投げかけるリーシャ。その言葉に反論しようとするメルエの言葉に被せるように、語気を荒げ、怒気を隠そうともしない。メルエの瞳に溜まった涙は、既に頬を伝っている。

 

「…………ごめん………なさい………ごめ…………」

 

「いいか、メルエ。私達は、この先もメルエと旅をして行きたい。その為に私達はメルエに話をしている。何もメルエの嫌がる事をしたい訳ではない。メルエと旅を続ける為に必要だと思った事を言っているんだ」

 

 リーシャの言葉が自分に向けられている事。

 いつも優しく微笑むリーシャの瞳が本気の怒りを表している事。

 それが、自分が起こした行動に原因がある事。

 それを理解したメルエは、涙で滲んだ瞳をリーシャに向けながら、何度も謝罪の言葉を発する。

 それは、見ていて痛々しい程の姿。実際サラは、リーシャの怒りに驚く反面、当然の事と考えていたが、メルエの表情を見た時に、何故か罪悪感が胸を襲っていた。

 

「解るな、メルエ? ボタンの時のように、カミュも私もメルエを護れる状況である時には、メルエにボタンを押させてやるし、宝箱も開けさせてやる。だから勝手に動くな」

 

「…………ん…………」

 

 メルエの肩に置き、念を押すように語りかけるリーシャに、メルエは力強く頷いた。

 サラはその様子を痛々しく見守っていたが、ふと隣を見て、再び驚いた。隣に立っていたカミュの表情がとても優しいものだったのだ。

 リーシャとメルエのやり取りを、とても優しい表情で眺めるカミュ。

 驚いていたサラであったが、そのカミュの表情に、自然と自分の表情も緩んで行くのが解る。

 カミュがリーシャとメルエに何を見たのかは解らない。ただ、その瞳は、アリアハンを出たばかりの時に自分達に向けていたものではない。

 それが、サラにはとても嬉しかった。

 

 

 

 リーシャの胸でしばらく泣いていたメルエが落ち着いたのを見計らって、カミュが宝箱へと近づいて行く。その後ろをリーシャに手を引かれたメルエが続いた。

 宝箱を見下ろしたカミュが、背中から剣を抜き、宝箱を数回小突き、それに対し、宝箱が何の反応も示さない事を確認し、カミュは振り返る。

 

「……メルエ……開けても良いぞ……」

 

 カミュのその言葉に、メルエは手を握っているリーシャを見上げ、そのリーシャが頷いた事を確認し、カミュに護られるように宝箱の前にしゃがみ込んだ。

 宝箱の渕に手をかけ、ゆっくりとそれを開いて行く。

 

「…………???…………」

 

 そこにあったのは、宝箱の大きさに似合わない小さな物。

 金色の輝きを放つ、小さな物がひっそりと納まっていた。

 

「……<魔法のカギ>か?」

 

「……これが……」

 

 メルエが宝箱から取り出したものは、本当に小さな鍵。

 それは、奇妙な形をした鍵だった。

 

<魔法のカギ>

古来<イシス>の国宝とされていたものであり、門外不出とされていた。その鍵自体に解錠の術式が組み込まれており、魔法の力によって扉や宝箱にかかった鍵を開ける事が出来るように作られている。何代も前の<イシス王>がその力を危惧し、自分の遺体と共に、<ピラミッド>に封印した。いつしか、国宝として保持していた<イシス>ですらも伝説として語り継がれる物になり下がり、今までその存在が明るみに出る事はなかったのだ。

 

「…………ん…………」

 

「!! メルエ……それをポシェットに入れて、後ろに下がっていろ……」

 

 <魔法のカギ>をメルエから受け取ろうと動いたカミュが、何かの気配に気が付き、メルエを後ろに下がらせる。メルエは、カミュの言葉の真剣さに、即座に<魔法のカギ>をポシェットへと押し込み、後ろに控えるサラの傍まで下がって行った。

 

「カミュ!」

 

「……わかっている……『王家の護人』か……」

 

 自分達を取り巻く不穏な空気を感じ、背中の斧を手に構えたリーシャの叫びに反応したカミュの呟きはサラの首を傾けさせた。

 しかし、そのサラの疑問もすぐに恐怖という形で解消される。

 

「ひぃぃぃ!」

 

「サラ! 恐れるな!」

 

 カミュ達の数歩前の地面から突如飛び出した物。

 それは、人の手。

 その余りにも奇妙な光景に、サラは叫び声を上げる。

 地面から突き出された手は、人の手の形はしているが、肌は見えない。白であったであろう包帯の様なものが巻き付いた腕が地面から次々と突き出されて来た。

 

「メルエ! 呪文の準備だ!」

 

「…………ん…………」

 

 カミュの指示にメルエが頷いた頃には、地面から突き出された腕は、その全貌を露わにしていた。

 腕と同じように、全身を包帯で覆いつくすように巻いている人型の魔物。いや、あれは正式には魔物とは言えないのかもしれない。

 

「……あれは、『人』ですか?」

 

「……正確には、『人』であった物だ。王家の兵士だろう。女王の死に殉じた者達……そして、いつしか蘇る女王とその財宝を護る『護り人』……」

 

 その魔物の姿を見たサラの率直な疑問に、剣を構えながらカミュが答える。それは、決してサラが望んでいた答えではない。

 カミュの言葉通りであれば、目の前に現れた者達は、自分達の責務を全うしている誇り高き騎士なのだ。

 サラは、そこに迷いを感じる。

 

<ミイラ男>

全身の臓器全てを取り出され、包帯で包まれた後、湿気のない所に放置され水分を抜かれたミイラである。本来、<イシス王家>の女王の死後にその身を護る兵として共に安置されていた。その使命は甦る女王の兵となること。そして、それまでの間、女王の遺骸を護ること。復活の際に使用する財宝を守護すること。これら三つの誓約があり、死後はその呪いとも言える使命だけを忠実に守り通す。

 

「……カミュ様は、あの『人』達も葬り去るのですか?」

 

 故に、サラは尋ねてしまう。

 返ってくる答えなど解っている筈。

 しかも、この質問は、サラ自身もとても理不尽な物である事は承知している。

 目の前に現れた者達が、もはや、『人』という括りではない事も。

 

「……ああ……俺に敵意を向ける以上、倒し続ける……俺は『死』すらも認めてもらえないようだからな」

 

 しかし、カミュの答えはサラの想像の遥か斜めを行っていた。

 そして、カミュの表情。

 それは薄い微笑。

 今まで見た事のないような、『哀しみ』とも『喜び』とも受け取れるような、本当に小さな小さな笑み。

 

「……カミュ……」

 

「……行くぞ……メルエ、<ベギラマ>の準備を!」

 

 カミュの表情を見、言葉を聞いて驚いたのは、サラだけではなかった。

 リーシャもまた、一瞬ではあるが、カミュを見て呆けた表情を浮かべた。

 カミュが言った事は、回復したカミュと二人で話した内容。

 それは、自分の言葉がカミュへと届いていた証拠。

 その事実にリーシャは驚いたのだ。

 

 カミュはメルエへの指示と共に<ミイラ男>へと走り込んで行く。そして、それに気が付いたリーシャもまた斧を構えて駆けた。

 

「……動きが遅い……一ヶ所に集める……」

 

「わかった!」

 

 近付いて来たリーシャに作戦を告げると、カミュは横に広がり始めた<ミイラ男>を誘導するように剣を振るう。

 基本的にアンデットである<ミイラ男>の動きは、他のアンデット種と同じように遅い。カミュへと腕を振り回すが、難なく避けられ、その腕を斬り捨てられて行った。

 カミュとは反対側に移動したリーシャも斧を振り回しながら、<ミイラ男>の活動範囲を狭めて行く。そして、五体いた<ミイラ男>は、カミュの思惑通りに一ヶ所へと集められて行った。

 

「メルエ!」

 

「…………ん…………ベギラマ…………」

 

 カミュの掛け声にメルエが手に持つ<魔道師の杖>を掲げ、呪文の詠唱を行った。

 メルエが振り下げた<魔道師の杖>の先から強烈な熱風が巻き起こる。

 その熱風は、一ヶ所に集められた元『人』であった者達に、確実に着弾した。

 ミイラ化し、完全に身体から水分を抜かれている者達であり、更には長い時を経て来たため、包帯もかなり劣化している。メルエの<ベギラマ>が巻き起こす炎の海に飲み込まれた瞬間、その身体は勢いよく燃え上がって行った。

 

「……あ…あ……」

 

 唯一人、その光景を哀しげに見つめる人間。

 それは、『人』を救う為に旅出た者。

 だが、そんな想いとは相反する『復讐』の炎を胸に灯す少女。

 サラは、自分の中で生まれる葛藤をその燃え盛る炎の中に見ていた。

 

 カミュとリーシャがサラとメルエの下に戻った時には、既に戦闘は終了していた。

 激しい炎の中で悶えていた<ミイラ男>五体は、その身体を消し炭へと変化させる。後に残ったのは何とも言えない臭いと、焼け焦げた包帯の様な残りカスだけだった。

 

「サラ、余り考え込むな。私達は前へ進まなければならない。過去を護る彼等とは見ている先が違うのだ」

 

「……はい……」

 

 呆然と燃えカスを見つめるサラの肩に手をかけたリーシャが語りかけるが、サラはどこか上の空の様な返答をする。そんなサラに溜息を吐きながら、カミュは歩き出した。

 実際、目的であった<魔法のカギ>は入手したのだから、メルエの持つ<リレミト>の魔法で<ピラミッド>からの脱出をしても良かったのだが、今のサラの状態を考えると、危険を含んでいる可能性の方が高いため、歩いて出る事を考えたのだ。

 

 

 

 カミュを先頭にメルエ、サラ、リーシャの隊列で出口へと戻って行く。道中で魔物との戦闘は行うが、それにサラはほとんど参戦していなかった。

 何かを考えるように俯き、決意をしたように顔を上げては、魔物を見て再び悩み出す。そのように歩いている途中、サラは突然床が無くなったような錯覚に陥った。

 

「え!?」

 

 考えに没頭していたため、自分に起きた状況が掴みきれない。

 しかし、それは錯覚ではなかった。

 サラが踏み出した先の床は見事にまで消え失せていたのだ。

 

「…………サラ…………」

 

 バランスを崩し、そのまま落ちて行こうとするサラに気が付いたメルエがその手を掴んだ。

 しかし、サラよりも体重の軽いメルエがサラの落下を食い止める事など出来る筈がない。重力に従い下へと落ちて行くサラと共にメルエも落ちて行った。

 

「メルエ!!」

 

 そして、当然のようにそのメルエ服をリーシャが掴むが、加速の付いた二人を支える事は不可能。

 まるで闇に吸い込まれるように、リーシャの身体までもが穴の中へと落ちて行った。

 

「ちっ!? メルエ!」

 

「…………ん…………スクルト…………」

 

 落下の瞬間、舌打ちと共に叫ばれたカミュの言葉に反応し、メルエが唱えた魔法は、パーティーの守備力を上げるもの。

 以前、<シャンパーニの塔>での落下の際に使用した方法を取ったのだ。

 

「……はぁ……」

 

 落下を確認したカミュが、溜息を一つ吐いた後、三人が落ちて行った穴へと飛び込んで行った。

 

 

 

 

 




読んで頂きありがとうございました。

ピラミッドは、私にとってドラクエⅢの中でもかなり印象的な場所でした。
故に、物語として描いて行く中で、比重が大きくなってしまっています。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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