新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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第五章の始まりです


第五章
ロマリア大陸⑥


 

 

 

 一行は門をくぐり、町の外に出る。

 宿屋で朝食を食べる時、リーシャはしきりにメルエの世話を焼いていた。

 本来、メルエの躾役であるサラが、食事の時はメルエの隣の席に座っていたが、リーシャにその場所を取られたサラは、苦笑しながら戸惑うメルエを眺めていた。

 

「カミュ?……まずはどこへ向かうんだ?」

 

「話に出て来た『ノルド』というホビットのいる洞窟へ向かう」

 

 メルエの手を引いたリーシャが、門を出てすぐにカミュへと問いかけを投げる。良く晴れた空を見上げながら、カミュはそれに答えた。

 カミュに釣られて空を見上げるメルエの表情は笑顔。

 リーシャはそれが嬉しかった。

 

 メルエの表情を見る限り、その表情の理由が『虐待を行って来た義母からの解放』というものではない事が解る。

 メルエの中で、何かが変化したのだろう。それが、アンジェへの認識なのか、それともメルエの気持ちなのかは解らない。

 それでも、空を見上げ、両手を広げながら笑顔で青空を見ているメルエを見ていると、その変化が悪い物ではない事だけはリーシャには解った。

 カミュは、『親を他人として見ている』とメルエを評価している。だが、リーシャは、そうではないのではと考えていた。

 メルエは虐待を行うアンジェに諦めた訳でもはない。只単にその『愛』を今尚欲していただけなのであろう。故に、昨日アンジェにつかまり恐怖で身体を硬直させながらもその行為を見ていた。

 メルエの髪を愛おしそうに撫でるアンジェを見た時に自分の中にあるアンジェの姿が崩れて行ったのかもしれない。それを見て、軽い混乱に陥り、感情的に髪飾りを投げ捨てようとはしたが、一晩ベッドの中で何かを考え、そして答えを出したのだろう。

 

「ふふふ。メルエ、ほら」

 

「…………ん…………」

 

 笑顔のメルエを見つめ、頬笑みを浮かべたリーシャは、メルエに向かって手を差し伸べる。笑顔のままリーシャに頷き返し、メルエはその手を取った。

 彼等の旅はまだ始まったばかり。

 だが、確実に一人一人の心は変化して行く。

 それが成長なのかどうかは、本人達も解らないだろう。

 

 

 

 前を行くカミュがアッサラームから北の位置にある森の中へと足を踏み入れる前に、何やら詠唱を始めた。

 

「??」

 

 カミュが詠唱を完成させるのと同時に、カミュの身体を淡い青色の光が包み込む。その光は次第に大きく広がり、最終的には、サラやメルエ、そして最後尾を歩くリーシャをもすっぽりと覆う程の物となった。

 まるで魔法力のドームの中にいるような感覚を味わうが、それも一瞬の事。全員をすっぽりと覆い終わった青い光は、その色を失くして行き、次第に消え失せた。

 突然の出来事に驚いた三人であるが、その不思議な光景に同時に首を傾げる。そんな三人の表情を無視し、詠唱を終えたカミュはそのまま森の中へと入って行った。

 

「カミュ、先程の魔法は何だ?」

 

 森をしばらく歩いた後、少し休憩を兼ね木の根元に座り込んだ時、水筒の水を飲み終えたリーシャがカミュへと問いかけた。サラもまた興味深そうにカミュを見上げ、メルエは水筒の水を美味しそうに飲んでいる。

 メルエにとって魔法は特別な物であるが、別段それに興味を示す訳ではない。

 

「……トヘロスという魔法らしい……」

 

「……らしい?」

 

 周囲を見回り、木の根元に腰を落としたカミュがリーシャの問いに答えるが、その言葉にサラは妙な引っかかりを覚えた。

 まるで他人から聞いたような言葉。不明確な答えで、自分でも正しいのか解らないとでも言うような口ぶりに疑問を持ったのだ。

 

「もしかして、『あの夜』に女王様から拝領した『魔道書』の魔法か?」

 

「……何が言いたいのか理解は出来ないが、あの『魔道書』に載っていた魔法だ」

 

「で、では、『勇者』様にしか使えない魔法という物ですか?」

 

「…………カミュ…………ずるい…………」

 

 カミュの言葉に思い至ったリーシャが、一部分を強調するように問いかけるが、カミュはそんなリーシャを不思議そうな表情で見た後、その問いを肯定した。

 カミュが頷くのを見たサラが『古代英雄の残した遺産』という答えに辿り着き、カミュ専用という言葉に、水を口に含んでいたメルエが不満を漏らす。

 

「それは、どんな効果のある魔法なのですか?」

 

「そうだな。私達の周囲を包み込むように光っていたが、あれは何だ?」

 

 頬を膨らますメルエを微笑ましく見た後、サラはその効力を聞き、自分達に効力を及ぼす為、リーシャもまたカミュへと視線を戻した。

 

「……簡単に言えば、<聖水>と同じ効果を持つ魔法らしい。魔法力が包み込んだ部分には弱い魔物は近寄る事が出来ない。まぁ、余りにも力量が違う魔物には効果はないようだが」

 

「……力量が違う?」

 

 カミュの回答に再び首を傾げるサラ。しかし、流石に数多くの魔物と、宮廷騎士として対峙して来た経験のあるリーシャはカミュの発言を理解出来た。

 

「つまり、私達よりも強い魔物という事だ。私達が相対した事のない魔物の中には、信じられない程の力を持った魔物もいるだろう。今の私達ではどうしても敵わない魔物もいるのかもしれない」

 

「えっ!? わ、私達は『魔王』を倒す為に旅をしているのではないのですか?」

 

 サラはリーシャの口にする事に驚愕した。まさか、生粋の『戦士』であるリーシャがこのような事を言うとは思っていなかったのだ。

 

「確かに、私達の目的は『魔王討伐』だ。しかし、今の私達が『魔王バラモス』に勝てると思う程、私は馬鹿ではないつもりだ」

 

「……ふっ……」

 

 リーシャが口にする言葉一つ一つが妙な違和感を持たせる。サラには、それが何故であるか解らないが、カミュは鼻で笑うような態度を取った。

 瞬時に鋭い視線をカミュに向けるリーシャ。だが、サラが縮み上がるような視線を受けても、カミュは口端を上げる仕草で笑っていた。

 

「このパーティーの力量はまだまだ未熟だ。それは、何もサラやメルエの事だけではない。カミュや、当然私もまだまだ未熟者の一人なんだ。だが、サラも気付いているだろうが、私達の力量はアリアハンを出た頃よりも確実に上がっている」

 

「は、はい」

 

 カミュに向かって苦虫を噛み殺したような表情を浮かべたリーシャが言葉を続ける。

 その内容はサラも感じていた事。

 アリアハンを出た時には、サラが使えた魔法など高が知れていた。それは、契約をして来なかった訳ではなく、契約が出来なかったという理由があってこそなのだ。

 つまり、サラは、ここまでの旅の中で、新しい魔法の契約を可能とするだけの力量を備えたという事に他ならない。

 

「今日明日にでも『魔王バラモス』を倒すべきなのは理解しているが、私達が魔王の居城に明日辿りつける訳ではない。魔王と対峙する時、その力量を身につけていればそれで良いとも思っている」

 

「はい」

 

「…………メルエも…………」

 

 リーシャの言葉に、納得したように真剣に頷くサラ。

 そして、自分もと声を上げるメルエ。

 そんな三人の姿を見て、カミュは水を口に含んだ。

 

 

 

 カミュが習得した新魔法<トヘロス>により、森の中で魔物と戦闘を行う事はなかった。途中、<キャットフライ>と出くわしはしたが、カミュの周囲を包む雰囲気をあからさまに嫌がり、一行に襲いかかる事なく逃げて行っている。

 魔物との戦闘もなく一行は森の中を進み、森の先にある山肌にぶつかる。そびえ立つ山肌は、険しい外観を表し、東へと向かう者をはっきりと拒んでいるようだった。

 

「カミュ様。あれではないですか?」

 

「…………あ………な…………」

 

 しばらく山肌に沿って歩む一行は、陽が高く上りきった頃、その横穴を見つけた。

 先頭を歩くカミュに何かを発見した旨を告げるサラの言葉に、メルエもその方向へと視線を向け、その存在を告げる。

 メルエの言葉通り、木が生い茂り見えにくくはあるが、確かにぽっかりと山肌に穴が空いている。それは、人が立って入れる程の大きさで、明らかに人工的に掘られた事が解るものであった。

 

「……入るぞ……」

 

 穴の内部を少し確認したカミュの言葉に、一行は軽く頷き、洞窟内へと足を踏み入れる。その洞穴は、入口こそ明かりが日光しかないものであったが、内部は所々に火が灯され、カミュ達が<たいまつ>を使用する必要はなかった。

 

「魔物の気配が全くありませんね」

 

「そうだな。これ程の洞窟内に魔物が住みつかないとは」

 

 サラが口にしたように、この洞窟内には不思議と邪気に満ちてはいなかった。<西の洞窟>にあった『聖なる泉』の周辺の様な聖なる空気に満ちている訳ではないが、邪悪な気配は一切しない。

 サラの呟きに答えたリーシャが言うように、これ程の規模の洞窟内であれば、魔物が住処として好む物と言っても良い。しかし、これ程邪悪な気配がしないとなれば、魔物が一匹もいないと言っても良いのだろう。

 

「……あれは?」

 

 周囲への警戒を弱めて、そのまま一本道を進む一行の前に、一段と大きな明かりが見える。先頭を歩くカミュが漏らした言葉に全員が前方を注視すると、そこには生活感のある家具などが置かれた部屋が見えた。

 

「こんな場所に、人が住んでいるのか?」

 

「そ、そのようですね」

 

 その奇妙な様子に当然の疑問を口にするリーシャの言葉をサラが肯定した。

 家具は、手作り感のある木で出来た物で、テーブルと椅子が一組。誰かが住んでいたとしても、一人住まいの可能性が高い事が見受けられる。

 

「なんだ?……アンタ達は?」

 

 きょろきょろと周囲を見渡していたメルエは、急に聞こえた声に驚いたが、声と共に奥から現れた姿にそれ以上の驚きを表す。

 それもその筈。

 奥から現れた先程の野太い声の持ち主は、顔面を覆い尽くす程の髭を蓄えた男。

 肌は浅黒く、腕は太い。

 しかし、メルエが驚いたのはそこではない。

 身長がメルエとそう変わらないのだ。

 

「……アリアハンから来ましたカミュと申します。東の大陸に渡りたく、ホビット族のノルド殿という御仁を探しております」

 

「ほぉ……」

 

 表れた小人と思われる中年の男にカミュは軽く頭を下げた後、目的を話し始めた。

 例の如く、カミュが話し始めた事で、後ろに控えるリーシャとサラは口を開く事はしない。メルエもまた急ぎリーシャの下に戻り、リーシャの後ろに隠れるようにしながら、興味深げに小人を見ていた。

 

「私がその『ノルド』だが、東の大陸に渡る方法など知らんぞ」

 

「……そうですか……」

 

 正直な話、ノルドと名乗る小人は驚いていた。

 エルフ族に連なる者といえども、ホビット族は所謂小人である。それも、同じく小人族であるドワーフ族とは違い、強大な力もない。通常の『人間』であれば、その姿を見て侮り、罵る事もある。

 それが目の前の若者にはない。どんなに表面を繕っていても、内面で考えている事は滲み出て来る物。

 いや、それがこのホビット族の特技の一つなのかもしれない。相手が考えている事など、良く解る。現に若者の後ろに控える、僧侶帽を被った少女は、通常の『人』が考えるような事を頭に浮かべているようだった。

 

「アンタは何者だ?」

 

「……申し訳ありません。おっしゃっている意味が理解できませんが……」

 

 カミュを不思議な生き物を見るような目で見ていたノルドは思わず、その疑問を口にしてしまった。

 突然掛けられた言葉に、今度はカミュが困惑を示す。そんなカミュの姿を見て、ノルドの顔は自然と緩んで行った。

 彼は、本当にノルドの言葉が意味する内容に思い当たるものがないのだろう。つまり、彼にとって、ホビット族という種族を蔑視する理由がないという事。

 よくよく彼の後ろに控える者達を見れば、その表情の奥に困惑や驚きが見えるが、侮蔑や嫌悪のような不愉快な物は何一つない。

 青年と同じぐらいの背丈がある戦士の様な女性は、初めて見る生物への純粋な驚きがあり、その足元でちらちらこちらを見ている幼い少女の目は、単純な好奇心が露わになっている。最も『人』としての色が濃い僧侶でさえ、『人』以外の生物に対する『恐れ』こそあれ、侮蔑の視線を向けてはいないのだ。

 

「悪いが、アンタ達の言う『東の大陸への道』はここにはない」

 

「……では、どこに?」

 

 少し緩んだ表情のままノルドが口にした言葉に、カミュは純粋に疑問を呈す。

 そのやり取りに、ノルドは思わず笑い声を洩らした。

 

「ははは。アンタはあの方達によく似ているな」

 

「……あの方達……?」

 

 ノルドの頭に浮かぶ二人の人物。

 それはカミュと同じように、自分を特別視しない瞳を持った二人の男。

 一人は、一国の王という『人』の世界で最高位に値する地位を約束されながらも、見聞を広めるために世界を歩いた男。

 そしてもう一人は……

 

「アンタはアリアハンから来たと言っていたな?」

 

「……はい……」

 

 ノルドの口ぶりが、カミュの頭に嫌な予感を感じさせる。

 そして、それは現実のものとなる。

 

「『オルテガ』という人物を知らぬか?」

 

「!!」

 

「オルテガ様もここに訪れたのか!?」

 

 予想通りのノルドの言葉。

 しかし、予想はしていても、その名が出た事にカミュの眉は顰められる。

 ノルドは、その表情に『嫌悪』を見た。

 いや、『憎悪』に近いのかもしれない。

 

 青年が黙してしまった事により、後ろに控えていた女性の戦士が口を開く。

 相手に物を尋ねる物言いではないが、彼女の心に見下しているような感情がないため、それがこの女性の人柄なのだろう。若しくは、育って来た環境なのかもしれない。

 

「ほぉ……何やら関係がある人間か?」

 

「カミュ様は、その『オルテガ』様のご子息です」

 

 今度口を開いたのは、最も『人』らしい僧侶。

 その口調も生来の物のようだ。

 彼女の生い立ちが、何に対してもどこか遠慮せざるを得ないものだったのだろう。

 

 いつもはカミュの出自を口外する事を控えているサラであったが、ここでははっきりとカミュの出自を告白した。それは、オルテガの息子というステータスがあれば、このホビットが東への道を教えてくれるのではないだろうかという考えがあった為だ。

 

「そうか。ならば、その瞳も合点が行く」

 

「では、東への道も……」

 

「いや、オルテガ殿は、東へは行ってはいない。確か、ポルトガから船に乗ったという話だ」

 

 一人頷いたノルドの姿に、サラはもう一度東への道を尋ねるが、返って来た答えは期待通りの物ではなかった。

 ノルドの話では、オルテガは東の大陸には徒歩ではなく船を使って渡ったという事。

 

「まぁ、今は海の魔物の凶暴化によって、連絡船などは出ていないかもしれないがな」

 

 そして、続いた言葉は、サラだけではなく、リーシャをも絶望へと落とすものだった。

 徒歩で歩く道もなければ、海を渡る船も出ていない。それは、『魔王討伐』の旅の終わりを意味するのだ。

 

「さぁ、私はそんな道は知らないんだ。帰った、帰った」

 

 愕然とするサラを追い出すように、ノルドは手を叩きながら一行を穴の外へと誘導する。言葉こそ邪険な物であるが、その対応は一行の歩調に合わせた物で、『とてとて』と歩くメルエに優しい視線を送り、微笑む場面などもあった。

 メルエもまた、微笑まれた事によって、ノルドと視線を合わせて微笑み返す。

 幼い彼女にとって、初めて見る種族ではあるが、そこはやはりメルエであった。誰に対しても何の先入観もない。

 『自分に微笑んでくれる』

 その嬉しい行為だけで、メルエは心を許す。

 いや、最大の原因は、カミュかもしれない。

 メルエの傍にいるカミュが敵対心を表していない。

 それが、メルエの中の方程式なのかもしれない。

 

 

 

「カミュ、どうするんだ?」

 

 穴から抜け、森に出た一行は、目的地を見失い途方に暮れる。そんな中、口を開いたのはパーティー最年長の女性だった。しかし、それは、方向性を示す物ではなく、そのパーティーのリーダーである青年に方向性を求めるという、何とも他人任せな物となる。

 

「……一度ポルトガに行くしかないだろう。東の大陸へは『船』を使うしかない。今現在、ポルトガから船が出ているかどうかは解らないが、行ってみるしか選択肢が残っていない筈だ」

 

「……そうですね……」

 

 そんなリーシャに、軽く溜息を吐いたカミュの言葉は、一時的な代替案だった。

 サラもまた、カミュの言う通りに、選択肢が一つしか残っていない事を理解し、同意を示す。胸の前で腕を組んだリーシャも、そんなカミュの言葉に小さく頷き、一行の方向性が決定した。

 

「しかし、カミュ。ポルトガにどうやって行くのかは知っているのか?」

 

「はっ!? そ、そうですね……肝心のポルトガへの道を知らない事にはどうにもなりません」

 

 方向性は決まったが、そこへ行く方法がリーシャもサラも思いつかない。故に、今回も、全てをカミュへと丸投げする事になるのだ。

 そんな二人の言葉にもう一度溜息を吐いたカミュは、少し離れた所で、木を見上げているメルエへ視線を向けた。

 メルエにとって、三人の会話の内容には興味がない。三人が行く場所へ共に行くだけ。もはや、メルエが恐怖を抱く場所など何処にもないのだ。

 

「……ロマリアの西に関所があるらしい。その関所へ行ってみる」

 

「そ、それは……もう一度ロマリア城に上がるという事ですか?」

 

 ロマリアの西にある関所というのであれば、当然ロマリア国が管轄する関所となる。ロマリア国とポルトガ国を結ぶ関所を無断で通過する訳にはいかない。しかし、サラも、そしてリーシャも、ロマリア城に上がる事に拒絶感があった。

 自分達の監視の為に兵士を送り込んだ国。しかし、その兵士は任務の全うよりも、『人々の生活の守護』という兵士としての道を選び、その尊い命を落とした。

 リーシャとサラの心に影を落としているのはその事だった。

 

「……必要があれば、そうする……」

 

 カミュはそう言うが、必要がない訳はない。それこそ、強引に関所を突破すれば、一行は晴れて犯罪者となり、ロマリア国が大義名分を掲げて討伐を命じる事が出来るようになるのだ。

 

「わかった。では、まずロマリア城に向かおう。メルエ! 行くぞ!」

 

「…………ん…………」

 

 行く場所も、方向性も決まった。もはや、後は動き出すだけだ。

 未だに木を見上げ、この森に住む小動物を嬉しそうに眺めているメルエをリーシャが呼び寄せ、森を抜ける為に歩き出す。サラはまだ何か思う事があるのか、思い詰めた表情を浮かべるが、リーシャと共にカミュも歩き出した事に気が付き、慌ててその後を追う事となる。

 

 

 

 カミュの『トヘロス』の効果が切れたためなのか、ロマリア領へと向かう一行の前には再び『魔物』が襲いかかって来る。

 魔物は<キャットフライ>に<暴れザル>等が大半で、<暴れザル>に対してはサラの<マヌーサ>や<ラリホー>といった補助魔法で撹乱した後、止めをメルエの攻撃魔法で刺すと行った形で倒して行った。<キャットフライ>に至っては、イシス地方の魔物と相対し、<ピラミッド>内部で死線を潜り抜けて来たカミュ達にとってもはや敵ではなかった。

 <キャットフライ>が<マホトーン>を唱える暇もなく、カミュとリーシャがその翼を切り落とし、サラがその胸を突き刺した。

 力量の差に怯え、逃げ出す魔物をカミュは追う事はせず、リーシャもまた、その魔物の姿を遠目に見ながら構えを解く。唯一人、サラだけは未だに魔物を逃がす事に抵抗感を持ってはいたが、その魔物を追う事はせず、苦々しい表情を浮かべて見つめていた。

 一行は、ロマリア領とイシス地方を結ぶ大きな橋の手前で野営を行い、翌日の陽が昇り始めたと同時に、その橋を渡り始める。

 

「メルエ、いつまでも見ていると陽が暮れてしまうぞ?」

 

「…………ん…………」

 

 橋から見える雄大な大地。

 それをメルエが橋の手すりの下から眺めている。

 朝日の輝く川。

 その先に広がる大地。

 そして遠くそびえ立つ山々。

 それは、本当に幻想的な光景だった。

 

 皆が橋を渡って行く間、カミュのマントから抜け出したメルエは、その光景をまるで目に焼き付けるかの様に眺めていた。

 その姿を、どこか哀しげに見つめるサラ。

 メルエと共に、後方から遠い目で見つめるカミュ。

 このままではいつまで経っても前に進めなくなるのではと感じたリーシャが、手すりを掴むメルエに声をかけ、手を伸ばした。リーシャの言葉に、振り向いて頷いたメルエは、その手を掴む。

 

 この橋を渡りきれば、そこはロマリア領。

 様々な事があった大地にカミュ達は再び降り立った。

 

 

 

 厭味たらしい門番を相手にせずに城下町内に入った一行は、その活気に驚いた。

 カミュ達が初めてこの城下町を訪れた時も、その活気に驚きはしたが、ここまでの物ではなかった筈。それがサラには不思議であり、少し困惑の表情を表すが、彼女の同道者はどこか納得が行ったような表情を浮かべていた。

 

「カミュ。この活気は何なのだ?」

 

 そんなサラの疑問と同じものを感じたリーシャが、例の如くカミュへと問いかける。その問いに、振り向いたカミュは、これもいつも通り深い溜息を吐いた。

 

「……税率でも下がったのだろう……」

 

「なに? どういう事だ?」

 

 そして、これまたいつも通り、リーシャはカミュの言葉が指し示す結論に到達出来ない。しかし、カミュの一言で、サラはその結論に達する事が出来た。

 

「つ、つまり、ノアニールから税を取り立て、この城下町の税を軽減させたという事ですか?」

 

「……おそらくな……」

 

 カミュの予想。それは、復活したノアニールの住民に重税をかけ、その分『お膝元』である城下町の税を軽減させたというのだ。

 税が下がれば、人々の暮らしに余裕が出る。

 余裕が出れば、人々の消費力が高まる。

 消費力が高まれば、店などにも活気が出る。

 店に活気が出れば町に出てくる人間も増えると言った、良い循環になっているという事だった。

 

「な、ならば、逆にノアニールの村は、どんどん寂れて行くではないか!?」

 

「……周辺国の視線が集まるのは、この城下町だけだ。国領の田舎であれば、ある程度は無理が利くのだろう。逃げるにしても、国外には出る事など出来ないのだからな」

 

「そ、そんな……」

 

 ようやく理解に及んだリーシャの投げかけに返すカミュの言葉は、サラを絶句させるような内容だった。

 ただ、国を切り盛りするという事は、サラが考えているような綺麗事だけでは無理な事もまた事実なのである。

 

「…………」

 

「……メルエ、呆けているとはぐれるぞ……」

 

 カミュのマントから手がいつの間にか離れ、周囲を興味深そうに眺めていたメルエにカミュが呼びかけ、その声に気が付いたメルエがカミュの許へと戻って来る。

 メルエですら、この活気に驚きの表情を浮かべたのだ。

 メルエが育った場所は、夜の町<アッサラーム>。

 それでも尚、メルエが驚いた事で、今のロマリア城下町の雰囲気が解るだろう。

 

「……城へ上がる……」

 

 メルエが戻った事を確認したカミュは、ロマリア城へと続く街道を真っ直ぐ歩いて行く。その後ろをメルエとサラ。そして最後尾をリーシャという順で、一行は城へと向かった。

 

 

 

「ほう……勇者カミュよ、よく戻った」

 

「はっ。ロマリア国王様におかれましても、ご健勝の事とお慶び申し上げます」

 

 謁見の間に通された一行を待っていたのは、以前と変わらず玉座に座る二人の王族。ロマリア国王と、ロマリア国の施策を担っているであろう王女である。

 

「して、此度は如何様な用向きじゃ?」

 

「はっ。この先の旅を続けるに当たり、ポルトガ国への入国をお許し頂きたく、参上致しました」

 

 跪くカミュの、仮面をつけた会話は進む。

 その間、カミュの後方に控えたリーシャ達三人に出番はない。

 顔を上げる事もせず、ひたすら床に敷いてある赤い絨毯を見つめ続ける。

 

「ほぉ……ポルトガとな……」

 

「はっ」

 

 その時、カミュの言葉に少し考える仕草をする国王の横の玉座に座る王女が、何かを思いついたような表情を浮かべた。

 

「ポルトガは貿易で伸し上がってきた国。『船』を手に入れるおつもりですか?」

 

「……いえ。『船』を手に入れる程、私達に余裕はございません。もし、定期的に船が出ているのであれば、乗船させて頂こうとは考えております」

 

 国王に代わり口を開いた王女の言葉に、カミュは律儀に答えて行く。カミュのその言葉で、王女は、カミュ達が<イシス>においても、国からの援助を断った事を知った。

 実際は、そのような申し出自体がなかったのだが、『勇者』という存在が各国を訪れるのは、援助の願いが第一目的である事が多いからだ。

 

「なるほど。良いでしょう。西の関所の守兵には、貴方方の事は伝えておきます」

 

「……有難き幸せ……」

 

「しかし、ポルトガと我が国を隔てる通路には、その昔に鍵をかけておる筈。それはどうするのじゃ?」

 

 国王を差し置いて、カミュ達に許可を出す王女の言葉に、カミュは若干驚きを見せるが、すぐに表情を戻し、丁重に頭を下げた。しかし、会話に乗り遅れた国王が、一つの危惧を口にする。

 カミュは、国王の言葉にもう一度顔を上げた時に、国王へと視線を向ける王女のどこか歪んだ笑みを見た。

 一国の王女といえども、それはカミュが先日相対した、絶世の美女が浮かべる微笑みとは真逆の物。

 それは、慈しみと優しさにあふれた微笑みと違う、どこか黒い影が伴う微笑み。

 

「確かに、あの扉の鍵は、もはやこの国にはございませんね」

 

「ならば、この者達もポルトガへと渡る事は出来ぬであろう」

 

 王女が口にした言葉は、カミュ達一行を驚かせたが、その後に続いた国王の問いに返答した王女の言葉は、絶望すら感じるようなものだった。

 

「いえ。私達は、この者達に許可を与えたのです。その後の事をどうするのかは、この者達の仕事。私達には関係ございません」

 

「……」

 

 許可は与えた。

 そこへ行くのは許すが、その扉を開き、ポルトガへと渡る方法は自ら考えろ。

 王女の考えにカミュは言葉を失った。

 

 もしかすると、あの朝にカミュが王女に発した言葉を、根に持っているのではとも思ったが、この聡明な国の独裁者がそのような些細な事で嫌がらせをするなどという事は、カミュには考えられなかった。

 そこが年若いカミュの限界なのかもしれない。

 

「……ポルトガへの入国のご許可を頂き、有難き幸せ。関所に関しては、私どもの方で思案致します」

 

「そうですか。ではご用も済んだ様子。これにて……」

 

「……お待ち下さい」

 

 カミュがもう一度頭を下げた事により、王女が謁見の幕を下ろそうとするが、その声を顔を上げたままのカミュが遮った。

 王族の言葉を遮るなど、罪にも値するほどの行為。

 それを、仮面を被ったままのカミュがするという事に、後ろに控えていたリーシャとサラも驚きを表し、思わず顔を上げてしまった。

 

「まだ何かあるのか?」

 

 そう問いかけるロマリア国王に対し、一度瞳を閉じ、一息空気を飲み込んだ後、カミュは口を開いた。

 その言葉は謁見の間の空気を凍らせる。

 

「……アッサラームで一人の兵士が命を落としました……」

 

「!!」

 

 カミュの言葉に、リーシャとサラは息を飲んだ。まさか、カミュがその事を口にするとは思わなかったのだ。

 ロマリアの監視ではないかというのは、カミュ達の推測でしかない。推測の域を出ない物を、疑惑の相手にぶつける事の愚かしさを知らないカミュではない筈だ。

 しかも、相手は一国の王族。

 王族に疑念をぶつけるなど死を覚悟しているとしか思えないものだった。

 

「……それが、なにか?」

 

 ロマリア王女とカミュの視線が完全にぶつかる。

 一国の王女と目を合わせるという行為だけでも、それは畏れ多い事。それでもカミュは真っ直ぐと王女を見つめ返す。

 その瞳に映る物は冷たい光。

 何者も恐れないカミュだからこそ出来る瞳なのかもしれない。

 

「……その兵士は、アッサラームやイシスまで我々の後を付いて来ていました」

 

「それは、我々ロマリア国が差し向けた者とでも言うつもりですか?」

 

 カミュの話す言葉に、徐々に表情を険しくして行く王女。

 反対に、ロマリア国王や大臣の表情は若干青ざめ、狼狽が手に取るように分かる。

 リーシャやサラが見ても、この国の実権の在処は一目瞭然だった。

 

「……いえ。そうは言いません。ただこれを……」

 

「!!」

 

 カミュが差し出した物。それは、王女ですら表情を変える程の物だった。

 アッサラームのあの夜、アンジェの遺体を運ぶリーシャやサラとは別に、兵士の遺骸を教会まで運んだカミュがその兵士の胸の中で見つけた物。

 

「……それは、兵士の身分証です……」

 

「……」

 

 各国の正規の兵には身分証がある。

 傭兵や使い捨ての兵などと違い、正規兵は国の所有物であるからだ。

 

「……その兵士は、アッサラームの町で住民の命を護るため、町に入り込んだ魔物と戦い、そして命を落としました……」

 

「!!」

 

 身分証を大臣から受け取り、若干顔を顰めた王女ではあったが、カミュが続けた言葉に息を飲んだ。

 国王はもはや灰のように佇むだけである。

 

「兵士の亡骸はアッサラームの教会の墓地に埋葬されました。その兵士の尊い犠牲により、町の住民の犠牲は皆無となっています」

 

 カミュの言葉に、リーシャやサラが反論の視線を向ける。

 確かにリーシャやサラが考えている通り、アッサラームで犠牲はあった。

 メルエの義母であるアンジェその人である。

 

「……どんな命を受けていたのかは解りませんが、自国から受けた命よりも、他国の町に住む住民の命を優先させたその兵士の死をお伝えしない事は、色々とお力添えを頂いたロマリア王国に対する無礼に当たると考え、これをお持ち致しました」

 

「……」

 

 リーシャとサラの視線。そして、どこか哀しげな光を宿すメルエの視線を受けながらも、カミュは言葉を続ける。

 そのカミュの目を見つめる王女の表情に、もはや狼狽は見えない。未だに慌てふためく国王と大臣とは違い、その表情はまさしく一国を束ねる王族の顔。

 

「……叶う事ならば、その兵士の勇気と優しさにお褒めのお言葉を……」

 

 最後にカミュはそう締め括った。

 その言葉がカミュの本心なのかは解らない。ただ、その兵士に対してリーシャやサラが感じた『人』の一部をカミュも感じていたのかもしれない。

 そう、リーシャは考えた。

 

「……話は解りました。確かにこれはロマリアの身分証。よくぞ持ち帰ってくれました。大義でありました」

 

「はっ」

 

 暫しの逡巡の後、王女が口にした言葉。

 それは、暗にカミュの言葉を全面的に認めた事になる。

 カミュ達の監視の為にロマリアが兵を送ったという事実を、明確に言葉にはしていないが、カミュ達がそのように考えている事は王女にも伝わっている筈。つまり、周囲の人間には解らなくとも、カミュ達に向かっての肯定という事になるのだ。

 王女もそれを理解しての発言なのだろう。

 

「……では……」

 

「こ、これにて謁見を終了する。」

 

 カミュが頭を下げた事を確認した王女が、未だに狼狽を見せる大臣に視線を送り、それを受けた大臣は慌てたように謁見の幕を下ろした。

 

 

 

 謁見の間を出て行くカミュ達一行の背が消えた後、王女は深い溜息を吐いた。

 それは、どんな意味を持つものなのかは、隣に座る国王には解らない。

 

「父上……この兵士は、身寄りのない者。ただ、このままでは国の沽券に係わります。直ちにアッサラームに使者を向け、遺体の引き取りを」

 

「……うむ……」

 

 王女の言葉に、頷く国王。再び国王としての威厳を戻した国王は、傍に立つ大臣に視線を送り、それを受けた大臣は人選や手配の為、席を外す。

 必然的に国王と王女の二人となった謁見の間に静けさが広がった。

 

「今回はしてやられました。まさかあのような形で報告して来るとは……」

 

「これからは、あ奴等の行動を監視する事が難しくなるのぉ」

 

 一つ溜息を吐いた王女に、国王が思案気な表情を浮かべ、言葉を発する。狼狽が顔に出やすく、交渉に向いていないといえども、そこは一国の国王。

 これまでのカミュと王女の会話で、それが齎す弊害に思い至っていた。

 

「そうですね。しかし、心配はいらないでしょう。すでに各国へは通知済み。彼等の行動は逐一世界に届く事は間違いないでしょうから」

 

「ふむ。しかし、あ奴等はポルトガに入国出来るのか?」

 

「それも心配は無用でしょう……あの者達ならば……」

 

 国王と王女の会話は続く。

 カミュ達一行のこれからについて。

 初めてこの謁見の間に現れた彼等を見た時、とてもではないが『魔王討伐』は無理だろうと国王も王女も感じていた。

 それが、『金の冠』を取り返し、ノアニールの村を解放し、そして今、イシスへの旅を終えて新たな土地を目指して歩き出している。王女は自分の胸にある彼らへの期待が、会う度に大きくなっている事に気が付いていた。

 おそらく、彼ら自身は、周囲が感じる程の大きな『成長』を実感してはいないだろう。しかし、彼等を一度でも見た事のある人間は、時間の経過と共に確かに変わって行く彼等を否が応でも認めずにはいられないのだ。

 

 

 

「……カミュ様……」

 

 ロマリア城を出て、町の門へと続く街道を歩いている途中で、サラが口を開いた。サラの声に振り向いたカミュに、リーシャが口を開く。

 

「何故、アッサラームでの犠牲を皆無と言ったのだ!? お前は、あの女性は『人』ではないとでも言うつもりなのか?」

 

 リーシャが発した言葉は、サラと同じもの。

 謁見の間で疑問に思い、危うく反論の声を上げそうになったものである。

 リーシャは、メルエの義母であるアンジェの死に様を侮辱するようなカミュの言葉が許せなかった。

 確かにアンジェがメルエに行って来た物は許される事ではない。しかし、あの最後は、母としての確かな『愛』を感じるものだった。

 カミュの言葉は、その『愛』すらも否定するようなもの。それがリーシャには悔しかった。

 

「……誰が何時そんな事を言った?……アンタが短絡的な事は知っていたが、いい加減にしてくれ」

 

「な、なに!?」

 

 そんな怒りに燃えるリーシャに向かって発したカミュの言葉は、溜息の混じった明らかな呆れ。もはや諦めの境地に達していそうなそれに、リーシャは目を見開いた。

 

「……メルエ……」

 

「…………ん…………」

 

 リーシャの視線を無視し、カミュはメルエを自分の下へと呼び寄せる。呼ばれたメルエは、先程までの会話で下がった眉のまま、カミュの下へと駆け寄って来た。

 カミュのマントの裾を掴み、見上げるメルエの帽子を取り、軽く頭を撫でる。くすぐったそうに目を細めたメルエの表情から哀しみが少しずつ消えて行った。

 

「……あれは、俺の責任だ。あの兵士が負う物ではない」

 

「……カミュ様……」

 

 カミュに言わせれば、それはカミュ達一行の責任であり、あの兵士が背負う物ではないという事なのだろう。

 もし、カミュがメルエの動向に注視し、メルエと共にあの広間に出ていたら、アンジェの命が散る事はなかったのだ。

 それが、カミュの胸に残る懺悔。

 

「……あの時、メルエと共に宿屋に残ると言ったアンタの意見を無視し、メルエを連れて行く事を強行したのは俺だ。あの義母親が死ぬ事になったのは、そんな俺の独断の責任」

 

「……カミュ……」

 

 カミュの表情は、今までに見た事のない程の悲痛なもの。

 それがカミュの後悔の深さを物語っていた。

 リーシャはそれが理解出来た。

 カミュを胸の奥で苦しめている後悔が……

 

「…………わらっ………てた…………」

 

「……メルエ?」

 

 そんな苦しみの表情を浮かべるカミュに声をかける事が出来ないリーシャとサラ。

 その時、不意に口を開いたのは、カミュのマントの裾を握る幼い少女。

 アンジェに庇われ、その命を救われたアンジェの義理の娘であるメルエだった。

 

「…………はじ………めて…………」

 

「……メルエ……」

 

 悲痛な表情のカミュに、何かを伝えようと一所懸命に話すメルエの姿は、サラの目から涙を溢れ出させる。

 それが、何の涙なのかはサラにすら解らない。ただ、メルエの哀しみを含んだ必死な表情がサラの涙を誘うのだ。

 

「…………メルエ………に…………」

 

「わかった! わかった、メルエ! もう良い、もう良いんだ!」

 

 メルエの頬を水滴が流れる。その溢れ出る涙を見た時、リーシャが動いた。

 メルエを後ろから抱き締め、その髪に顔を埋める。

 メルエは、あの町を出てから哀しみの表情を見せる事はあっても、決して泣く事はなかった。それを見たリーシャは、カミュの言うように『アンジェを他人として見ている』という言葉が、どうしても頭から離れて行かなかった。違うと思っていても、頭の片隅では『やはりそうなのでは?』という想いが抜けなかったのだ。

 だが、それは間違いだった。

 メルエは、しっかりとアンジェの最後の笑みの意味を理解している。故に、前を向いて歩いていたのだ。

 カミュ達と出会い、喜びと楽しみを知ったメルエは、あの義母を許せない気持ちはあっただろう。それは、髪飾りを投げ捨てようとする行動が示している。

 しかし、それでもアンジェが最後に伝えようとしたものは、メルエの心に届いていたのだ。

 リーシャはその事実に涙した。

 

「……メルエ……ありがとう…………すまない」

 

 しゃがみ込み、後ろからリーシャに抱かれるメルエに視線を合わせたカミュは、相反した単語をメルエへと伝える。

 自分を気遣ってくれた事への感謝。

 そして、護る事が出来なかった事への謝罪。

 それは、メルエだけでなく、メルエの義母をも護れなかった事への謝罪だった。

 

「…………ん…………」

 

 涙を流しながらも、しっかりと頷くメルエに、サラの涙は加速する。一人の幼子を中心に涙する集団は、活気あふれた城下町で異様な光景だった。

 次第に周囲の注意がカミュ達一行に向けられる事となり、それに気が付いたカミュは門へと向かい歩き始めた。

 

「…………いく…………」

 

「あ、あぁ、そうだな。行こう、サラ」

 

「は、はい……ぐずっ……」

 

 メルエの言葉に立ちあがったリーシャは、サラへと声をかけ、三人は歩き出す。

 周囲の奇異の視線を無視し、ただ前を歩く青年の背を追いかけて。

 

 

 

「ここは、ロマリア管轄の関所だ。どのような要件だ?」

 

 ロマリア城下町を出た一行は、ロマリア城から北西へと歩き、一夜を明かした後、この場所に辿り着く。そこは簡素な関所だった。

 守番となる兵士が一人。そして、ロマリアとポルトガを結ぶであろう通路の入口と見られる場所は建物で覆われており、ロマリア王女の言っていた通りの扉がある。

 

「アリアハンのカミュと申します。ポルトガへの入国許可は、ロマリア国王様と王女様に頂いております」

 

 訝しげにカミュ達を見つめる兵士に、仮面を被ったカミュが頭を下げる。

 兵士の怪訝は当然の感情。

 カミュ達のパーティー構成は、青年一人に女性が一人。

 そして、まだ女性とは言い切れない少女の様な者が一人に、明らかな幼子が一人。

 とても『魔王討伐』等に向かう人間達には見えない。

 

「……確かに……しかし、この通路のカギは、疾うの昔に失われている。カギを壊し中に入ろうとしても無駄だぞ?」

 

 カミュから許可証を受け取り、中身を確認した兵士の言葉は、これもまた王女が話した内容と同じ物だった。

 扉は大きく、その周囲にはとても高い塀を持つ建物が覆っている。加えて、その扉は鉄製で、とても人間の力で破壊出来る物ではない。

 

「……カミュ様……どうするのですか?」

 

「流石にあの扉は、私でも壊せないぞ?」

 

「……」

 

 小声でカミュに問いかけるサラの問いにカミュは振り向く事はなかったが、リーシャが発した言葉に、思わずカミュは振り返ってしまった。

 同じく、疑問を呈したサラであっても、そんなリーシャを呆然と見つめてしまう。

 

「な、なんだ?」

 

「……何でもない」

 

 自分に向けられる複数の視線にたじろぐリーシャに、カミュは溜息を洩らした後、兵士が護る通路への入口へと歩いて行った。

 

「どうするつもりなのでしょう?」

 

「…………カギ…………ある…………」

 

「メルエ!」

 

 カミュの行動を不思議に思ったサラが口にした疑問に答えたのは、リーシャの手を握っていた少女だった。

 メルエの答えと、入口の扉に辿り着いたカミュがメルエを呼ぶ声が重なる。

 

「ん?……あっ!」

 

「そうか!」

 

 カミュの下へと駆け寄り、肩から提げたポシェットの中身を探るメルエの姿を見て、ようやくリーシャとサラにも合点がいった。

 何故、あれの存在を忘れていたのだろう。

 その伝説となりつつあった道具を手に入れる為に、彼等は<ピラミッド>と呼ばれる古代建造物へ入ったのだった。

 メルエが今、ポシェットの中を確認しているのは、その<魔法のカギ>を取り出しているのだろう。

 基本的にカギ等の小物はメルエのポシェットに入っている。それは、メルエが持つ事を主張した為でもあるが、メルエの方が激しい動きがない分、落として無くす事はないだろうというカミュの考えもあったのだ。

 そこで、リーシャに持たせたりなどしたら『あっという間に、何処かへ消えて無くなりそうだ』という余計な一言を付け加えた為、リーシャが激昂したのは、また別のお話。

 

 カチャリ

 

 メルエから<魔法のカギ>を受け取ったカミュが、扉の鍵穴にそれを差し込む。

 カギを回す事もせずに、周囲に乾いた音が響いた。

 

「な、なんだそのカギは!?」

 

 黙って成り行きを見ていた兵士が、十年以上前に紛失された鍵が開く現場を目撃し、言葉を失っている。もはや、徒歩でポルトガへ渡る事は出来ないであろうとさえ思われていた問題が、今、目の前で解決されたのだ。

 それも、まだ年若い四人の人間によって。

 

「……行くぞ……」

 

「…………ん…………」

 

 守番に軽く一礼した後、重い鉄製の扉を開けたカミュは、その中へと入って行く。カミュから返された<魔法のカギ>を大事そうにポシェットへと戻した後に、メルエが続いて行った。

 

「ロマリアも、他国からの魔物の流入を恐れて、交流を閉じていたのですね」

 

「……そうだな……」

 

 カミュ達の後を追う前にサラが溢した言葉に、リーシャが一つ頷き、歩き出す。

 サラの言う通り、元来この関所は関税などの徴収の為に作られた物であったが、魔物の横行が激しくなり、そして世界の希望である一人の青年の死によって、その門が閉じられる事になった。

 それは、他国からの強力な魔物の流入を恐れて、<旅の扉>という門を閉じたアリアハン国の様に。

 

 目の前で遭遇した、信じがたい出来事に呆然と佇む守番の横をリーシャとサラが通り過ぎ、十数年ぶりに開かれた重い扉を潜って行く。そして再び、重厚感のある音を立て、その扉は閉められた。

 しかし、もうその扉は誰もが開けられる扉。

 他国との交流を再開させ、古い体質を破壊するような音を立てて閉まって行く扉を眺めながら、守番は我に帰った。

 

 『誰も開ける事が出来なかったこの扉は、未来へと繋がる扉となるのかもしれない』

 

 そんな誰にも言う事の出来ない不思議な想いが胸に湧き上がる。不思議な感覚の余韻を残したまま、守番は報告の為にロマリア城に向かって歩き出した。

 

 

 

 

 

 




読んで頂きありがとうございます。

ようやく第五章の始まりです。
第五章は、この物語の中でもかなりの重要度となっています。
頑張って描いて行きます。

ご意見ご感想を心よりお待ちしています。

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