カミュ一行は地下に降りたところにある、長い直線の通路を歩いていた。
ロマリア王国とポルトガ王国は険しい断崖絶壁の山々に隔たれている。そして、山々の隙間のようにぽっかりと空いた場所には、海から流れ込む大きな河が広がっていた。
ロマリアの関所を抜けた場所は地下への階段があり、地下へ降りた場所は、その河の真下に位置する。そこに地下通路が作られていた。
ロマリアとポルトガが友好関係を結んでいた頃、その行き来には流れが急な河である事から橋を架ける事も出来ず、渡し船が必要であった。
しかし、急な河を渡る渡し船の為、物資などの運搬はスムーズには行かない。その為、その河の下にトンネルを作る事によって人々の往来をスムーズにしようと考えた両国の国王が、多数の人員の犠牲を払いながらも建設を継続し、完成させた通路であった。
それが、今から百年程前の話である。
カミュを先頭に、直線に延びる通路を歩く。<たいまつ>に照らされた通路は、十数年使われなかった事もあり、埃にまみれてはいるが、魔物達の放つ邪気を感じさせない。
それが解るのであろう。カミュの後ろをサラと、その手を握るメルエが歩く。二人は所々で笑顔を見せながら、歌を口ずさんでいた。
ノアニールでサラの歌を聞いたメルエは、それからほぼ毎日、サラに歌をせがむようになっていた。
サラが謡った歌を聞き、自分も口ずさむ。いつしか、文字や言葉を覚えるよりも早く、その音程を物にし始めていた。そこは義理とはいえ、世界で五指に入る歓楽の町<アッサラーム>の劇場でNO.1の地位に手をかけた踊り子の娘という事なのかもしれない。
そんな陽気な二人の後ろを歩くのは、アリアハン屈指の騎士。先頭を歩きながらも、時々振り向き、メルエの様子を確かめるカミュを見ながらリーシャは考えに耽っていた。
『カミュは変わった』
それが、今リーシャの頭の中にある想い。
徐々に変わり行くカミュを見ては来たが、これ程に感じたのは始めたかもしれない。
そう考えたのは、ロマリア城での一件。
『……叶う事ならば、その兵士の勇気と優しさにお褒めのお言葉を……』
カミュは謁見の間で、玉座に座る二人の王族に向かってそう語った。
初めは気にも留めなかった。
リーシャには判別出来なかったが、カミュは何らかの交渉をしていたのではないかと思っていたのだ。
あの兵士のような、自分達の監視に対しての抑制。それの交渉をする為にあの兵士の死を美化した形で国王に告げたのではないかと。
しかし、それは、謁見の間を後にした時に、間違いだと気が付いた。
『……あれは、俺の責任だ。あの兵士が負う物ではない……』
そう語るカミュの表情を見て、リーシャは自分の浅はかさを悔やんだ。
カミュは心からそう感じていたのだろう。
自国の民でもない、アッサラームの町民を救う為に散った一人の兵士の命を尊いと。
それでも尚、失ってしまった一つの命は、その兵士が負う物ではなく、その場に居合わせた自分が負う物だと。
アリアハンを出た頃のカミュであれば、間違いなくそんな考えをする事はなかったとリーシャは断言できる。
『自分には関係のない事』で済ませてしまっていただろう。
魔物と戦い散った兵士の命を『自分の力量も解らぬ馬鹿な男』と吐き捨てていたかもしれない。
メルエを庇って死んだアンジェを『自分の命よりも他者の命を優先した人間』と嘲笑ったかもしれない。
それこそ『無意味な死』と。
何がカミュを変えているのかは解らない。ただ、カミュは確かに変わっていた。
魔物の命の重みを語った少年は、今まで蔑んだような瞳を向けていた『人』の命の重みをも体感しているのかもしれない。
それがこの先、カミュをどんな風に変えて行くのか。
それはリーシャにも解らない。
ただ、その変化が齎す可能性は広がったのではないかとリーシャは思っていた。
「…………シャ…………」
「ん?……どうした、メルエ?」
考え事に耽っていたリーシャは、近くから聞こえて来た声で思考から戻される。
ふと足元を見ると、若干頬を膨らませたメルエがリーシャを見上げていた。
「…………いっぱ………い………よん………だ…………」
「ん?……ああ、すまない。少し考え事をしていたみたいだ」
自分に向かって頬を膨らませるメルエを見て、リーシャは苦笑する。
おそらく何度もリーシャの名を呼んだのであろう。自分を無視するように歩くリーシャに、哀しみを感じていたのか、目には涙まで溜めていた。
リーシャは、そんなメルエの帽子を取り、軽く髪を撫でてやった後、メルエの手を握り直し、先頭でこちらを振り返っているカミュの後を追って歩き出した。
一行が地下通路を歩き終わり、階段を上った先は、ポルトガ領だった。
一段上がった場所にあるその関所の名残から見える広大な大地は見る者を魅了する。
大地の中央には、高くそびえ立つ巨大な山。その周辺を樹海の様な森が円を作るようにその山々を囲んでいる。
そして遙か遠くに見える海。貿易国であるポルトガ城はその海の近くにあるのだろう。
「凄い光景ですね」
「…………ひろ………い…………」
「そうだな。とても美しい」
その光景を見たサラがメルエに感動を伝え、メルエが目を丸くする。
そんな二人に微笑みながら、遠くを見据えるリーシャ。
三人の髪を遙か遠くから吹く海風が撫でて行く。
「……行くぞ……」
三人を一度振り返ったカミュが先を促し、広大な大地へと降りて行く。
新たなる大地への旅立ち。
彼等は、また一歩『魔王討伐』への道を踏み出した。
「お、おい! カミュ!」
「……ああ……」
新たなる大地に降り立ち、地図を確認しながら、海の方へと進む一行の足取りを止める気配。
その気配に気づいたリーシャが、気配のする方向に目を凝らし、驚きの声を上げる。リーシャだけではなく、そちらに視線を動かしたカミュもまた、驚きに目を見開いていた。サラの手を握るメルエは、サラの後ろに隠れてしまい、サラは武器を構える事も忘れ、その奇態な生物に驚きの視線を向けていた。
カミュ達の方向にゆっくりと近づいて来る四体の魔物らしき影。
それは、大きな人面に手と足が生えたような奇態な生物。
全体的に腐敗したような肉に顔面を持ち、その顔面から小さな手足が生えている。
その右手にはメルエの<魔道師の杖>のような木の杖を持っていた。
<ドルイド>
古代の僧侶と云われる者の名。『精霊ルビス』を信仰している教会に属している訳ではなく、独自の神を信仰する云わば『異教徒』であったため、人の町から追い出され、森や山の中で独自に生活をしていた。その教えも独特であり、『人』を神への生贄として捧げるため、人の町での罪人を匿って、その者を生贄としたり、生贄の為に奴隷商人から奴隷を買ったりしていたと伝えられている。いつしか、その存在が『人』の間で忘れ去られた頃に現れた魔物。その身体は、数多くの人間の死肉で出来ており、多くの人々の無念が顔となって死肉に浮かび上がったと云われている。生贄の死肉で出来ているのか。それとも、ドルイドと呼ばれた僧侶達の死肉で出来ているのか。それは解らないが、森の奥から出て来るその姿を恐れた人々から『ドルイド』という僧侶の名称をつけられた。
「カミュ! 来るぞ!」
「……ああ……」
斧と剣を構えたリーシャとカミュは、それぞれ奇態な魔物へと向かって行く。その二人の姿を見て我に帰ったサラもまた、背中から<鉄の槍>を構え、メルエを後ろに庇う。メルエもまた、杖を高々と掲げ、詠唱の準備に入っていた。
しかし、そんな一行の出鼻は大きく挫かれる事になる。
「@%#&@」
一体の<ドルイド>に向かって斧を振り上げたリーシャに、その魔物は手に持つ杖を向け、人語ではない詠唱を行ったのだ。
咄嗟の行動に、カミュがリーシャの方向に割り込んで来るが、それも間に合わない。リーシャの周囲の空気が真空と化し、鋭い刃となって襲いかかって来た。
庇うように入って来たカミュが<うろこの盾>を掲げるが、それも襲いかかる真空の刃を全て防げる訳ではない。
「くっ!」
自分の皮膚を切り裂いて行く風に苦痛の声を洩らすカミュ。
そして、その後ろにいるリーシャもまた斧を持つ手を切られていた。
「……一度下がるぞ……」
「わ、わかった」
真空の刃がある程度落ち着いた時に、カミュが振り返る事なく発した言葉に、リーシャも一つ頷き、二人はサラとメルエがいる後ろに下がった。
「だ、大丈夫ですか? ホイミをかけます。こちらへ」
戻って来たカミュとリーシャの身体の至る所から血が流れているのを見たサラが、二人の身体に<ホイミ>をかけて行く。
淡く光る緑色の光が、二人の患部を包み込み、傷を癒す。
「サラ、ありがとう。もう大丈夫だ。それより、カミュ。あれは<バギ>か?」
「……アンタ……魔法の名を憶えていたのか?」
「な、なんだと!?」
サラの治療を受けたリーシャは、視線を<ドルイド>から外す事なくカミュへと問いかけるが、同じく<ドルイド>に視線を向けていたカミュは、そのリーシャの言葉に心底驚いたように目を見開き振り返った。
その態度が、リーシャの怒りを誘う。
魔物を前にした者達の雰囲気ではないその空気が、サラとメルエに安心感を与えた。
「ふふ。リーシャさんのおっしゃる通り、あれは<バギ>です。何故、魔物が『経典』の魔法を使えるのかは解りませんが……」
戦場には似合わない空気に少し笑顔を見せたサラであったが、瞬時にその表情を引き締め、四体の<ドルイド>へと視線を向けてリーシャの考えを肯定した。
サラは、魔物が魔法を使う事は理解している。
以前遭遇した<ホイミスライム>が『経典』にある<ホイミ>を使用した。
それは、サラの中にある常識を大きく覆す出来事だったのだ。
しかし、サラは、<エルフの女王>からこの世の真実とも言える話を聞く事になる。それがサラの世界観を根底から揺るがして行くのだ。
<エルフの隠れ里>で聞いた話がサラの中で大きく影響している証拠に、サラは<ドルイド>が<バギ>を使用した事に、あの時程のショックを受けてはいなかった。
「カミュ! あの四体に<バギ>を連発されたら、近寄る事が出来ないぞ?」
「……一人が囮になるしかないな……」
方針を尋ねるリーシャの言葉は、サラもカミュも聞き慣れた。全てをカミュに丸投げしているように聞こえはするが、リーシャ自身が、自分が考える事に向いていない事を理解しての事。
それは、自分が独断で行動した結果、待っていたのが仲間の危機であるというものへの恐怖と言っても良いだろう。
それをカミュもサラも理解しているのだ。
「囮!? まさか、またお前がやると言うんじゃないだろうな!?」
「……他に誰がいる?」
しかし、提示された策は、一人を危険に晒す物。そして、それを聞いたリーシャは、再び自分を危険に晒そうとする青年に咎めるような視線を送る。
その視線に怯む様子もなく返されたカミュの言葉は、リーシャの表情を歪めてしまった。
「お前は……」
「だ、大丈夫です。カミュ様とリーシャさんは、そのまま魔物達に向かって下さい。<バギ>の詠唱を確認したら、盾を構えて頂きますが、何とかなると思いますので……」
カミュの発言に表情を歪めたリーシャは、何かを言おうと口を開くが、それはサラの言葉に阻まれた。
最近、時として見せる、サラの強気の態度。それは、今やリーシャの中では確固たる地位を築いていた。
「何か策があるんだな?」
「はい」
自分の問いかけに、強く頷くサラに、リーシャは小さく作った笑顔で頷き返す。少し前で魔物を警戒しているカミュと頷き合った後、リーシャとカミュは<ドルイド>に向かって駆け出した。
如動き出したカミュ達に、<ドルイド>達は一斉に杖を向ける。
基本的に死肉で出来た<ドルイド>達は動きが遅い。遅いが故に、魔法を行使出来るようになったのか、それとも、魔法を使うが故に、更に動きが遅くなったのか。
一体の<ドルイド>がリーシャに向かってその杖を振り上げ、先程と同じような詠唱を行う。その動きを見たリーシャは、手に持つ<青銅の盾>を構え、真空の刃の衝撃に備えた。
詠唱が完成した<ドルイド>の杖先から風が狂ったように吹き荒れる。
リーシャの持つ<青銅の盾>に乾いた金属音と共に襲って来る相当な衝撃。
真空と化した刃が青銅で出来た盾を削って行く。盾では防ぎきれなかった風の刃がリーシャの頬をかすり、肉を切り裂いた。
「ぐっ!」
暴風が終わり、盾を下して、駆け出そうとしたリーシャは、自分に向かって再び杖を上げるもう一体の<ドルイド>の姿を見た。
先程の<バギ>をまともに受け、リーシャの左手に装備されている<青銅の盾>は、もはや盾としての機能を全う出来る程の性能がない事は見て解る。
『まずい』
そう考えたリーシャの前に<うろこの盾>を構えたカミュが立ち塞がった。
最初の<バギ>をまともに受けたカミュの盾ではあるが、流石はロマリアの宝物庫にあった盾だけあり、その強度は<青銅の盾>を遥かに凌ぐ。魔法にも、その防御力を発揮するという言葉通り、盾を覆う魔物のうろこには傷一つなかった。
「@%#&@」
「マホトーン!!」
魔物の詠唱が始まり、もう一度来る衝撃にカミュとリーシャが身構えた時、後方から呪文の詠唱が聞こえた。
それは、このパーティー内最強である補助魔法の使い手。そして、常に成長を続ける年若い僧侶。魔物の詠唱に被せるように唱えられたその呪文は、固まっていた四体の<ドルイド>を不思議な光で包み込む。
その効力は、実際にサラやメルエがアッサラームへと向かう途中で体験したもの。
相手の魔法力を乱し、その行使を阻害する魔法。
カミュとリーシャに向けて振り下ろした<ドルイド>の杖からは何も生み出されはしなかった。
それは、サラの<マホトーン>が確かに効いた証。
大きな顔面を困惑に歪める<ドルイド>達は、それでも奇声を上げ、先程と同じような人語ではない詠唱を行うが、その杖の先からは何も生み出されはしなかった。
魔法が使えない以上、もはやリーシャやカミュの相手ではない。死肉の集まりであるその身体の動きは遅く、武器は手に持つ杖だけ。
そのような魔物に遅れを取る程、カミュやリーシャは弱くはなかった。
「やぁぁぁ!」
「ふん!」
瞬く間に自分の近くにいた一体を斬り捨てたリーシャが、カミュへと視線を向けると、カミュの方も一体を片付け終わっていた。
残るは二体。
残った<ドルイド>達に、それぞれの武器を構えたカミュ達の頬を熱された空気が撫でて行く。その原因が何であるかを悟った二人は、瞬時に後方へと飛んだ。
「…………ベギラマ…………」
もはやその二体をカミュ達が相手をする必要はなかった。
後方で闘いの成り行きを見ていたパーティー内最強の『魔法使い』が、小さな手に持つ<魔道師の杖>を振り翳し、『魔道書』に載る最強の灼熱呪文を唱えたのだ。
「グモォォォォォォ」
二体の<ドルイド>達は、成す術もなく炎の海に飲まれて行った。
身体を象っている死肉が焼けて行く臭いが、平原に広がる。その異臭に顔を顰めるメルエではあったが、カミュとリーシャは、その炎を武器を構えたまま眺めていた。
二人のその表情は、とても似通っている。
驚きと哀しみと後悔が入り混じったような表情。
それは、奇しくも、イシス砂漠で見せたカミュの表情を表現したリーシャの言葉通りの表情だった。
「サラ! <マホトーン>も使えるようになったのだな?」
「……アンタ……魔法名を憶えているのか?」
「お、お前は、先程から何が言いたいんだ!?」
戦闘が終わり、リーシャとカミュは、サラとメルエのいる後方へと歩み寄る。その途中で、こちらに視線を向けたサラに語りかけるリーシャの言葉を、本当に不思議そうに眺めて後にカミュの吐き出した物が、再びリーシャの心に怒りの火をつけた。
「あっ!? は、はい。少し前に覚えたばかりですが、上手く行って良かったです。時には魔封じに罹り難い者もいるようですけれど」
「そうなのか?……まぁ、何にしても良くやった」
カミュへと怒りの視線を向けるリーシャに慌てて声をかけるサラ。そんなサラの言葉を聞き、『もしかすると、あの中でまだ<バギ>が使えた魔物がいたかもしれない』という事に想いが及ぶが、リーシャは笑顔でサラの健闘を讃えた。
その言葉に嬉しそうに微笑むサラの横で頬を膨らます一人の少女。
「…………メルエも…………」
「ん? そうだったな。メルエも良くやった」
不満顔で、自分の成果を告げて来るメルエに苦笑しながらも、リーシャは帽子を取ったメルエの頭を優しく撫でてやる。その手を嬉しそうに目を細めて受け入れるメルエを、サラも微笑みを浮かべたまま眺めていた。
「……マホトーンの効力は絶対ではない。これから先は、あの魔物のように魔法を行使する魔物も多くなるだろうな」
「そうだな。色々と対策を練る必要がありそうだな」
そんな三人のやり取りを見ていたカミュが発した言葉に、リーシャの表情も真剣な物へと変わって行く。この先の闘いでは、カミュやリーシャが先頭を切って魔物に飛び込んで行くだけでは、必ずしも万全とは言えない事をリーシャも理解したのだ。
「とりあえずは、ポルトガに向かいましょう。戦闘では、私もメルエもいます。私達の用途の違う魔法とお二人の剣を交えれば、出来ない戦闘方法はないと思いますから」
「……」
「あ、ああ……そ、そうだな」
深刻な表情を浮かべるカミュとリーシャにメルエの帽子を被せ終わったサラが口を開く。その内容に、カミュは驚いたような表情を浮かべ、リーシャは何故か口籠った。
それは、サラの成長を目の当たりにしたからなのかもしれない。今のサラは、アリアハンを出たばかりの時の様な、力のない少女ではない。
自分で槍を取って闘い、魔法で仲間を援護する。それが少しずつ、本当に少しずつ、サラの自信となって行っているだろう。それにカミュとリーシャは驚いたのだ。
しかし、カミュとリーシャには、サラの真実の『誇り』がどこにあるのか解ってはいない。いや、サラにさえ、それが何なのかは理解していないのだろう。
サラの『誇り』。
それは、今、サラの手で被せてもらった<とんがり帽子>を嬉しそうに掴み、サラの手を握って来た幼い少女。
ここ最近、メルエは、戦闘となれば、必ずサラの傍に寄って来るようになっていた。
それは、カミュ達が前線に向かう為である事も確か。
しかし、カミュ達が魔物へと向かった時に、頼れるのはサラだと感じている事に他ならない。
『誰かに頼られる』
そんな事は、サラは生まれて初めての経験なのだ。幼くして両親を亡くし、町の教会の神父に育てられた。そして、旅立つまで神父に『愛』を注がれ、旅立ってからは、常にカミュとリーシャに護られていた。
サラ自身が誰かを頼る人生を歩んで来ていたのだ。
そんな自分が生まれて初めて頼られた。
それがサラの心の奥で責任感と変わって行ったのは必然だろう。
「……行くぞ……」
「あ、ああ」
メルエと共に笑顔を浮かべるサラを眺めながら、物思いに耽っていたリーシャにカミュの声がかかった。その言葉が号令となり、一行は再び平原を南に向かって歩き出す。
「しかし……派手にやられてしまったな……」
ポルトガ城への道を歩きながら、リーシャは自分の左腕に装備していた<青銅の盾>を眺めてしみじみと呟く。
その言葉通り、先程の戦闘で<バギ>をまともに受けた<青銅の盾>は、元々の綺麗な円の形を崩し、所々欠けてしまっている。削れられた部分を中心にヒビのような亀裂が入り、もう一度大きな衝撃を受けた途端に、粉々に粉砕されてしまう事は誰の目にも明らかであった。
今の一行は、隊列を組むというよりも、一纏まりになって歩いている。行列を組むよりも、先程相対した<ドルイド>に遭遇した場合、対処しやすいというリーシャの考えがあったからだ。
そのリーシャの考えにカミュも頷いた事から、一行は纏まって歩いている。だが、先頭がカミュである事には変わりはなかった。
「私の盾をお使いになりますか?」
「いや、大丈夫だ。どちらかと言えば、私よりもサラの方が危なっかしいからな」
しみじみと呟くリーシャに向かって、サラが自分の左腕に装備している<青銅の盾>をリーシャへと差し出す。元々、この盾はリーシャの物だった筈であり、それを返すだけという事がサラにとっては当たり前の事だったのだが、それはリーシャに笑顔で断られた。
サラにとってどこか不満が残る言葉を添えて……
「……危険の度合いは、アンタもそう変わらないだろう?」
「なんだと!?」
不満顔のサラの代わりに、前を歩いていたカミュが口を開いた。
そこからはいつものやり取りが始まる。この二人の掛け合いは、アリアハンを出た頃から全く変わらない。
徐々に変わって行く四人の心情。その中にも変わらない物がある事にサラは微笑んだ。
「……いつも、相手の魔法の影響を受けるのはアンタだ……まぁ、盾があろうとなかろうと魔法の影響は受けるだろうがな……」
「ぐっ! 古い事をいつまでも言うな!」
古い話をいつまでも蒸し返すカミュにリーシャは激昂する。
そんなリーシャに振り向いたカミュの口端もまた、いつものように上がっていた。
「……ポルトガへ行けば、新しい武器や防具も手に入るだろう」
「そ、そうですね。ポルトガであれば、目新しい商品等があるかもしれませんね」
リーシャの怒気を、いつものように右から左へと流したカミュが口にした言葉に、サラは慌てたように両手を振りながらリーシャに声をかける。
「ふん! そうだな。イシスでは気候の為に新しい防具などを見る事は出来なかったが、貿易で栄えたポルトガであれば、何か面白い物があるかもしれないな」
「…………メルエも…………」
気を取り直したリーシャの言葉に、今まで黙って皆を見上げていたメルエが自分もと声を上げる。そんな幼い我儘にリーシャは苦笑した。
メルエにとって、このパーティーと共に行く買い物はとても楽しいイベントの一つであった。幼い頃から物を買い与えられた事など一度もないメルエにとって、生まれて初めてカミュによって買い与えられた、今頭の上に乗っている<とんがり帽子>は『アンの花冠』も相まって、一番の宝物となっている。
そんなメルエは、新しい土地での買い物には、『自分にも何か買い与えられるのではないか?』という期待を持ってしまうのだ。
大好きな人間から与えられる喜びを知ったメルエに、期待するなと言う方が無理な話であろう。
「ふふ。メルエには、これ以上ない程の防具が揃っているだろう?」
「…………むぅ…………」
そんなメルエの姿に苦笑を浮かべながら、リーシャが窘めるが、当のメルエの頬は膨れて行った。
『ずるい』とでも言いたげに頬を膨らますメルエに、リーシャは困ったような表情を見せ、メルエの頭を撫でた。
「メルエは、アンの服は気に入らないのか?」
「!!」
頬を膨らませていたメルエは、リーシャの言葉に顔を上げ、力一杯に首を横に振る。
リーシャの言葉は、それこそ『ずるい』言葉だろう。メルエの心情を理解した上で、その心情を利用しているのだ。しかし、リーシャは、最近になって感情を豊かにして来たメルエを止める術を、これ以外に持ち合わせてはいなかった。
メルエは、喜怒哀楽を表すようになった。<カザーブの村>に向かうあの森の入口で出会った時と比べると、本当に雲泥の差である。
まだ、リーシャ達三人にしかその表情を見せる事はないが、怒る時は頬を膨らませて、顔を背ける。哀しい時には目に涙を一杯に溜め、楽しい時には花咲くように微笑む。そんなメルエの変化がリーシャは嬉しい反面、少し寂しくもあった。
メルエの感情は豊かになった。
初めて会った時とは比べようもなく。
そして、わずか数日前に母親を失った幼子とは思えない程に。
確かに、メルエにアンジェの最後の想いは届いていた。そして、それをメルエは受け止めた。
だが、その死を悲しみ、塞ぎ込む程には、メルエの中でアンジェへの『愛』は戻って来なかったのだろう。いや、初めから、そのような物はなかったのかもしれない。それが、『愛』を受けて育って来たリーシャには哀しく感じたのだ。
「メルエが着ている『アンの服』以上の防具は、おそらくここにはないぞ?」
「…………ん…………」
残念そうに俯くメルエの頭を軽く撫でてやったリーシャは、再びその手をとって歩き出す。
『メルエが『愛』を知らないのであれば、自分こそが伝えてやろう』と堅く胸に誓って。
そんなリーシャとメルエのやり取りを、微笑みを浮かべながら見ていたサラもまた、心に誓っているのだ。
『どんな事からも、メルエを護る』と。
それもまた一つの『愛』
そして、興味なさげに前を向いて歩いている青年もまた、変化を始めている。
初めて覚えた『他人への情』。
だが家族からの『愛』を知らない彼は気付かない。
それは、もはや肉親を想う『家族愛』に酷似した情だという事を。
「さあ、行こう」
「はい」
「…………ん…………」
それぞれに、それぞれの想いを胸に、新たな大地を再び歩き出した一行の肌を徐々に湿った空気が撫でて行く。
それは、海が近い証拠。
目的地である『ポルトガ城』が近づいている証拠であった。
読んで頂きありがとうございました。
この物語は、なかなか目的地にたどり着かない事で有名です(笑
どうしても、その場所へ向かう途中の過程を描きたいと思ってしまい、長くなってしまいます。
ご意見、ご感想を心よりお待ちしています。