新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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戦闘⑤【バハラタ周辺】

 

 

 カミュ一行が野営地を出る頃には、陽は高く上っていた。

 あれから、野営地では、一つの事件が起こっている。それは、パーティーの中で最も遅い起床となった少女の目が開いた事から始まった。

 身体を起こしてから何度も目を擦り、覚醒を果たしたメルエは、周囲を見渡して自分の家族を探す。その姿は雛鳥が親を探すものに良く似ており、見ていてほほえましい気持ちになるものであった。

 通常であればの話だが……

 

 しかし、覚醒を終えたメルエの瞳に飛び込んで来た光景は、とてもほほえましい物ではなかったのだ。

 カミュの前で、跪く様に座り込んでいるメルエが慕う僧侶の姿はボロボロであり、その横に座っている、これもメルエが母の様に慕う女性戦士は、どこか不貞腐れたような顔でカミュを見上げていた。

 カミュが何かをリーシャとサラに何かを語りかけているが、少し離れた場所で眠っていたメルエにはその声は届いていない。故に、メルエの胸に不安が募って行った。

 そしてメルエの不安は現実のものとなった。

 身体を起こし、三人の下へと『とてとて』駆け出したメルエの瞳に、ゆっくりと横に倒れて行くサラの姿が映ったのだ。

 それは、メルエの胸に、驚きと共に絶望を感じさせる程のもの。

 

「サラ!?」

 

「!?」

 

 駆け寄ろうとするメルエの足が絶望で止まってしまった時、リーシャとカミュの叫び声が森の中に響いた。

 

「…………サラ…………サラ…………」

 

 リーシャとカミュの叫び声に、再び動き始めたメルエの足は、真っ直ぐ横になるように倒れ込んだサラへと向かう。メルエの登場に、カミュは少し驚いた表情を見せるが、リーシャはどこかバツの悪い顔を作った。

 

「少し気を失っただけだ。心配するな」

 

「…………ほんと…………?」

 

 メルエの中で、治療に関して最も信頼できるのはサラなのだ。

 例え絶対的強者であり、最高の保護者として見られているカミュであったとしても、事、治療に関しては、サラには敵わない。故に、メルエの口から出た言葉は、再確認のようなものだった。

 そして、メルエの言葉に『心外だ』とばかりに顔を顰めたカミュが、一つ溜息を吐いた後、倒れたサラの状態を細かく確認する。

 所々にある擦り傷や、切り傷に<ホイミ>をかけ、もう一度メルエの方を向いて『大丈夫だ』という言葉を発した事で、ようやくメルエは納得したように頷いた。

 

「…………ま……もの…………?」

 

 しかし、頷いた後に、顔を上げたメルエの瞳は怒りに燃えていた。

 自分の大事な姉であり、友にもなり得るサラをこのような姿にした者への純粋な『怒り』。

 それは、感情という『人』として当然の物をようやく持ち始めたメルエにとって、ようやく芽生えたもの。

 そのメルエの瞳を見て、カミュは柔らかく目を細めたが、傍で見ていたリーシャの表情は、大きな変化を見せる。それは、どこか『恐怖』にも似たものだった。

 

「……いや、この僧侶をこんな状態にしたのは魔物ではない……」

 

「カ、カミュ!!」

 

 怒りに燃えるメルエと視線を合わせるようにしゃがみ込んだカミュは、サラをこの状態にした者の正体を語り始めるが、それに慌てたのは、リーシャ。

 

「…………???…………」

 

 『魔物でなければ、誰なのだ?』

 そう言いたげに小首を傾げるメルエに、カミュは一つ大きな溜息を吐いた。

 カミュが溜息を吐いた事で、メルエの視線はリーシャへと移る。

 純粋な疑問を向けるメルエの視線を受け、リーシャは声に詰まった。

 

「この僧侶を、これ程に痛めつけたのは、そこにいる戦士だ」

 

「カ、カミュ!!」

 

 カミュが真実を告げる。その言葉に、ようやくリーシャは声を出すが、それは唯、名を呼ぶだけに留まる。

 それは、とある少女の視線を受けたため。

 カミュの言葉を聞くように視線を向けたメルエの瞳が、もう一度リーシャへと戻って来る。それはとても厳しいものであり、母親が子供を叱る時に見せるような瞳だった。

 

「…………リーシャ………だめ…………」

 

「うっ!?」

 

 厳しいメルエの視線にリーシャがたじろぐ。

 それはいつもとは逆の立場。

 初めて受けたメルエの厳しい瞳に、リーシャは泣きたくなって来た。

 

「…………だめ…………」

 

「そうだな。何があったかは知らないが、鍛錬にしては行き過ぎだ。アンタはこの僧侶を、ここで脱落させたいのか?」

 

 メルエの言葉に乗って相手を諌める。

 この方法もいつもならリーシャが行う筈のもの。

 それが、今は自分に向かっている。

 

「それは違う!!」

 

「ならば、完全に行き過ぎだ。忘れるな。コイツは『僧侶』だ。『戦士』でもなければ『武闘家』でもない。武器を持ち、振り回す身体能力をアンタや俺と一緒に考えるな。」

 

「…………ごめん……なさい………いう…………」

 

 カミュが口にする言葉は正論。

 しかし、リーシャは少し驚いていた。

 カミュの言葉は、サラをしっかりと仲間として見ている証拠であったのだ。

 以前、カミュには『自分達を仲間として扱え』と約束させた事はある。あれから、ほぼ毎朝、カミュと模擬戦を行って来たが、リーシャは一度たりとも負けた事はない。つまりは、あの時の約束は、継続されているという事。

 しかし、今のカミュの表情や態度を見る限り、そんな約束などの拘束もなしに言葉を発しているように感じた。

 それが、リーシャには嬉しかったのだ。

 

「…………ごめん……なさい………いう…………」

 

 しかし、そんなリーシャの小さな喜びの時間はすぐに弾け飛ぶ。再び口を開いたメルエの言葉は、珍しく強いものだった。

 そんな初めて受けるメルエの言葉に、リーシャは何か言いようのない物が込み上げて来た。

 

「わ、わかった。サラが起きたら謝っておく」

 

「…………ん…………」

 

 リーシャが諦めたように答えると、ようやくメルエの瞳が柔らかな物へと変わって行った。

 最後には笑顔に変わったメルエの表情に、リーシャは安堵の溜息を吐き、サラの頭に水で濡らした布を載せたカミュもまた、その表情を優しい物へと変えて行く。

 

「しかし、これで出発は昼過ぎになるだろうな」

 

「ぐっ!? す、すまない」

 

 カミュが何気なく呟いた言葉はリーシャの胸を抉って行く。カミュの言葉は別段リーシャを責めるようなものではなかったが、淡々と現状を語るそれは、事実であるが故に、尚更リーシャの罪悪感を刺激するのだ。

 

「…………カミュ………だめ…………」

 

 表情を曇らすリーシャへの助け舟は、意外な場所から飛んで来た。

 立つ位置を変え、今度はリーシャを護るように立つ小さな背中は、先程までリーシャを糾弾していた幼い少女の物。

 

「……メルエ……」

 

「わかっている。別に責めている訳ではない」

 

 小さな背中を愛おしい者を見るように見つめるリーシャの呟きは、メルエに向かって溜息を吐きながら答えたカミュの言葉に掻き消された。

 

「ただ……この僧侶はアンタが診ていろ」

 

「わかった」

 

「…………メルエも…………」

 

 横になって寝息をたてているサラの看病は、リーシャの仕事となり、メルエはそれに付き合うように、サラの傍へと駆け寄って行く。ただ、当のメルエが、暫くはサラの頭に乗せる布を濡らしたりしてはいたが、その内にサラの胸の上で眠ってしまった事は、また別のお話。

 

 そのような小さな出来事があったのだが、昼近くになって目を覚ましたサラには、一連の流れを知る由もない。目を覚ました事に気が付いたリーシャが突然頭を下げた事に驚いたサラが『私が、まだ未熟である事がいけないのです』と返答してしまったため、この話は、そこで終わりを告げた。

 サラに遅れて目を覚ましたメルエが、サラに向かって可愛らしい笑顔を向けた理由が理解出来ないサラではあったが、その笑顔は自然に心を温めるようなものだった。

 

 

 

「カミュ様?」

 

 サラが起き、食事を取った後に一行は、再び森を出る為に歩き出した。

 森は深く、密集した木々は、人間の方向感覚さえも失わせる。そんな中でも迷いなく歩くカミュの背中を追って歩いて来ていたサラは、突然カミュが背中の剣を抜いた事に驚いた。

 『カミュが背中の剣に手をかける=魔物の襲来』

 この構図が成り立っている一行ではあるが、サラの感覚が間違っていなければ、今、周囲に魔物の気配は感じられない。

 

「……動くな……」

 

 剣を静かに構えたカミュは、呟くような小さな声を溢す。その声に圧されたように動きを止めたサラと、その手を握るメルエとは別にリーシャも<鉄の斧>を構えた。

 リーシャが武器を構えた事によって、サラも再び周囲への警戒を強める。しかし、サラが感じる物は、風を受けた木々のざわめきと小動物の鳴き声、そして虫達の羽音などだけであった。

 

「……羽音?」

 

 不自然ではないと思われていた森の音で、その中に一つ引っかかる物が存在する事に、サラは眉を顰めた。

 それもその筈。元来、虫の羽音などは、人間の耳元を飛んでいない限り、聞こえて来る事などあり得ない。

 つまり、それは『異常』なのだ。

 

「ふん!」

 

 その事にサラが気付いた瞬間、カミュの持つ<鋼鉄の剣>の剣先がサラとその手を握るメルエの目の前に振り下ろされた。

 驚いたメルエが目を丸くし、口を開けたまま固まってしまったサラの目の前に何かが落ちて来る。それが、巨大なハチの姿をした魔物である事に気がついた時には、一行は既に同じ姿の魔物の群れに囲まれていた。

 

<ハンターフライ>

アリアハン大陸に住む<さそり蜂>やカザーブの村の周辺に生息する<キラービー>の上位種に当たる魔物。上位種なだけに、そのすばやさは下位の二種を凌ぎ、巨大な羽を震わせて飛び回る。尾には巨大な毒針を所有し、人間の身体を麻痺させ、その後に体液を食すのだ。

 

 その数は三体。

 カミュ達を取り囲むように羽音を響かせている。

 

「カミュ! 針に気をつけろ!」

 

「……それは、こっちの台詞だ」

 

 飛び回る<ハンターフライ>に斧を振りながら、リーシャはカミュへと振り返って注意を促すが、カミュは周囲への警戒を怠らずに溜息を吐いた。

 

「!!」

 

「@#(9&)」

 

 そんなカミュの態度に何かを言い返そうと口を開きかけたリーシャの耳に奇妙な音が聞こえて来る。

 それは羽と羽を擦り合わせたような音。

 生来持つ人間の生理的な部分を刺激する不快な音だった。

 

「下がれ!」

 

 思わず耳を塞いでしまったサラやメルエに声を飛ばすカミュ。メルエに至っては、声と共に首根っこを掴まれ、宙を舞った。

 何かに受け止められたメルエは、そこがカミュの腕の中である事に安堵し、先程いた場所に目を向け、そしてその光景に驚いた。

 

「…………ギラ…………?」

 

「……ああ……」

 

 カミュの腕の中で呟いたメルエの言葉にカミュが一つ頷く。一行の頬に突き刺さるほどの熱風が周囲を支配し、その熱風を生み出している赤い海が広がっており、それは、メルエの放つ<ベギラマ>程の威力はないが、通常の人間なら丸焦げになりかねない程の灼熱であった。

 

「メルエ! 無事か!?」

 

 二人の下にリーシャとサラが駆け寄る。リーシャの立ち位置は<ギラ>の攻撃範囲からずれており、サラはメルエが宙に舞ったと同時に自身の身を後方に下げていた為に、手に火傷を負った程度のもので済んでいた。

 

「サラ。前に唱えた、『魔法を封じ込める呪文』は使えるか?」

 

「えっ!? あ、は、はい。しかし、あの魔法は、必ず効くとは限りません」

 

 自信の手に<ホイミ>をかけていたサラに、リーシャが問いかける。その内容にサラは答えるが、それはリーシャにとって期待通りの物ではなかった。

 ただ、サラの言っている事は事実。

 <マホトーン>は、必ずその効果を敵全てに及ぼす物ではない。生来魔法の効き難い種族もいれば、個体ベースでも差はある。更には運次第で効かないという事もあり得るのだ。

 

「それでも良い。もう一度<マホトーン>の詠唱を頼む」

 

「は、はい!」

 

 少し肩を落としたリーシャを余所に、カミュがサラへと声をかける。一瞬、その言葉の内容に、驚いたような表情を見せたサラであったが、すぐに表情を戻し、大きく頷いた。

 昨晩、リーシャがサラに語った内容。

 カミュがサラをしっかり見ており、認め始めているという事実。

 それが今、サラにもはっきりと分かった。

 サラの尚一層の成長が不可欠であるという事は当然ではあるが、ただ、それは順を追って行けば良い事なのである。

 

「炎が晴れるぞ!」

 

「はい! マホトーン!」

 

 目の前に広がっていた炎の海が、潮が引いて行くように消えて行く。それを見たリーシャの掛け声と共に、サラの詠唱が完成する。

 <ギラ>による炎によって、カミュ達の身も焼かれたと考えていたであろう<ハンターフライ>は、一箇所に集結していた。故に、三体の魔物は、サラの呪文行使の恰好の餌食となる。

 

「@#(9&)」

 

 一体の<ハンターフライ>が先程と同じ羽音を立てた事で、一行は一瞬身構えるが、その魔法が発現しない事が確認されてからの行動は速かった。

 

「やぁ!!」

 

 自分の身に起きた事を理解出来ていない<ハンターフライ>が再び羽を擦り合わせ、魔法の行使を試みるが、その結果は変わらない。それでも尚、羽を擦り合わせようとする<ハンターフライ>ではあったが、三度目の時間が与えられる事はなかった。

 リーシャが一閃した<鉄の斧>は寸分の狂いもなく<ハンターフライ>の胴体を斬り分ける。透明な羽と共に斬り裂かれた身体は、バラバラと地面に落ち、活動を停止させた。

 

「ふん!」

 

 斧を構え直して振り返ったリーシャの目に、<鋼鉄の剣>で<ハンターフライ>を突き刺すカミュの姿が映った。

 一息ついたリーシャは、再び自分の耳に飛び込んで来た羽音に、弾かれたように視線を向ける。

 そこにいたのは、羽を震わせる<ハンターフライ>。そして、徐々に纏わり付いて来るような、熱気を纏った空気が収束されて行く。

 

「…………ベギラマ…………」

 

 だが、その熱風は、リーシャの後方から吹いて来た、もう一つの熱風によって押し戻される。リーシャの目の前で攻防を続ける二つの熱風は徐々にその位置を変えて行った。

 それは、リーシャ側へではなく、魔物側へと……

 

「キュイ―――――――!!」

 

 羽音とも叫びともつかない奇怪な音を立てて炎に飲み込まれて行く魔物を、カミュはいつものように、どこか哀しげな表情を浮かべて見ていた。

 <ギラ>と<ベギラマ>の威力には雲泥の差がある。しかし、本来の所有者であると云われている魔物が唱える物と、人間が唱える物とでは、その性能に違いが生じて来る事もまた事実。

 つまり、例え<ベギラマ>と<ギラ>であろうと、通常の魔法使いが使った<ベギラマ>であったのであれば、魔物が唱えた<ギラ>と拮抗する事はあっても、押し返す事は不可能と言っても過言ではないのだ。

 その事をカミュは知っていた。

 カミュが今見ている光景。それが、メルエの異常性を表しているという事実が、カミュを苦しめていたのだ。

 

「…………ん…………」

 

「あ、ああ。よくやった」

 

 炎の海が引き、丸焦げとなった<ハンターフライ>の死体だけとなったのを確認したメルエが、帽子を取って、カミュへと頭を向ける。しかし、いつもと同じようにメルエの頭を撫でるカミュの表情は優れない。

 今、カミュの手を受け、気持ち良さそうに目を細める少女に、この能力(ちから)を与えてしまったのはカミュ自身である。もし、カミュがあの時に、メルエを魔方陣に入れなければ、メルエが魔法を契約する事もなかった。

 それは、他の人間と同じように『普通』として暮らして行く可能性を奪ったのに等しい。

 魔法を知ってしまった為に、その異常性が表に出てしまったメルエには、もう二度と『普通』に暮らす機会は訪れないだろう。その事実がカミュを苦しめる。

 

「カミュ。迷うな。お前が迷えば、メルエが苦しむ」

 

「!?」

 

 メルエは、カミュの次にリーシャの下で頭を撫でてもらい、今は最後のサラの場所へと移動していた。

 無表情の中にも、何かに悩む雰囲気を察したのであろう。リーシャがカミュへと声をかける。

 何時になっても慣れぬ、自身の心の中を見抜かれるという感覚に、カミュは顔を勢い良く上げてしまう。そんなカミュの行動に苦笑したリーシャが話し出すが、その内容は、カミュを心から動揺させた。

 

「私は、以前にお前に言ったぞ? 『メルエが何者であろうと、あの娘は私の妹だ』と。お前は違うのか?」

 

「……いや……」

 

 自分の問いかけをカミュが否定した事に、満足そうに頷いたリーシャの顔は、とても優しい笑みが浮かんでいた。

 

「ならば、何を悩む? メルエが妹ならば、あの娘が私達の傍を離れる事はない。この先、どれ程の事実が明らかになろうと、私達がメルエを護ってやれば良い」

 

「……ああ……」

 

 自分の言葉に、驚きの表情を浮かべたままのカミュを見て、『本当に彼の頭の中に、自分の言葉は届いているのか?』という疑問を持ったリーシャではあったが、再び頷いたカミュにもう一度笑顔を向ける。

 

「さあ、行こう。私達の妹に『船』と大海原を見せてやる為にも『黒胡椒』を手に入れなければな」

 

「……アンタは変わり過ぎだ……」

 

「な、なんだそれは!?」

 

 メルエに海を渡る船を見せてやることを考えながら話をしていたリーシャに、カミュはようやくいつもの調子を取り戻す。そのカミュの言葉に、剥きになって反論しようとしたリーシャであったが、さっさと背を向け、メルエとサラの方向に歩き出すカミュが一言小さく呟いた声を聞いて、苦笑に近い表情を浮かべた。

 

『……ありがとう……』

 

 リーシャの耳には、確かにそう聞こえた。

 

「……お前も、相当変わったのだぞ……」

 

 そんなリーシャの呟きは、誰の耳にも届かない。

 森にはいつもの静けさが戻り、リーシャは一人微笑みを浮かべていた。

 

 

 

 歩き出した一行は、引き続き森の中を歩いて行く。

 その間、魔物との遭遇はかなりの数に及んだ。

 そのほとんどが<ヒートギズモ>や<ハンターフライ>であった。

 初見の時と同じような戦い方を行い、それらの魔物を駆逐していくのだが、メルエの魔法の行使に、もう、カミュの表情は動かなかった。

 カミュの中で、確固たる想いが固まったのだ。

 

「…………うみ………きらい…………」

 

 それは、リーシャがメルエに船の事を話した事から始まった。

 『船』という単語がいまいち理解出来ずにいたメルエは、その説明の中にあった『海』という単語に顔をあからさまに顰める。

 別段、船が手に入ると決まった訳ではない。ただ、『黒胡椒』が手に入れば、大きな資金が手に入る。なにせ、一国の国王が、手に入れた『黒胡椒』全てを買い取ると宣言したのだ。

 一粒が黄金一粒と同価値と謳われた代物だ。とすれば、一粒、二粒では話にならないが、有り金全てを投入すれば、それなりの数量の確保は間違いないだろう。

 リーシャは、その資金で『船』を買うつもりなのだ。ただ、彼女は、このパーティーの財布をカミュが握っている事を失念しているのだが……

 

「あはは。メルエは潮風が苦手なのか? しかし、船の上から見る海は、きっと素晴らしいと思うぞ」

 

「そうですね。陸地が全く見えず、見渡す限り全て海という景色は、どのようなものなのでしょう」

 

「…………うみ………いや…………」

 

 メルエの顰め顔を無視するような形で、リーシャとサラの会話は進んで行く。リーシャもサラも、船には乗った事がないのだ。故に、まだ見た事のない光景に夢を巡らす。

 

 

 

 そんな一行が森を抜けたのは、既に陽も完全に落ち、周囲が夕陽の名残りの明かりのみとなった頃だった。

 足を前に出す度に、周囲の明かりが薄れ、闇が広がって行く。後方の森が小さくなった頃には、辺りを完全に闇が包み込む夜と化していた。

 

「リ、リーシャさん。<たいまつ>を灯した方が良いのではないですか?」

 

「なんだ? 怖いのか、サラ?」

 

 一歩前を歩くカミュの背中さえも見辛くなった時、サラが意を決したように、後ろを歩くリーシャへと声をかける。そんなサラの声に、どこか意地悪い笑顔を浮かべ、リーシャはサラをからかうが、その一言に剥きになったサラは、メルエの手を引いて『ずんずん』と先へ歩き出した。

 その時、先頭を歩くカミュが、突然立ち止まる。

 

「カミュ様?」

 

「…………なに…………?」

 

 前を歩くカミュが立ち止まった事によって、必然的に止まらざるを得なくなったサラとメルエが、前を歩くカミュへと声をかける。しかし、カミュは、そんな二人の問いかけに答える事なく、警戒感とは違う何かを身体に纏い、周囲を見渡す。

 

「どうした?……ん!!」

 

 三人の動きが止まったことで駆け寄って来たリーシャもまた、カミュと同じように顔を顰めながら周囲を見渡し始める。

 

「カミュ……死臭だ」

 

「……ああ……」

 

 それは、カミュもリーシャも何度か嗅いだ事のある臭い。

 生物として、受け入れる事の出来ない臭い。

 生物が死に絶え、自然の摂理によって腐敗した後に漂う臭いに他ならなかった。

 それは、この近くに、死体が何の弔いもされずに放置されている可能性を示唆している。

 

「しかし、この近くには、魔物はいないのでしょうか?」

 

 カミュとリーシャが溢す言葉の指し示すものを感じ取ったサラは、頭に浮かんだ疑問をそのまま口にした。

 それは、今の時代であれば、最もな疑問である。

 通常、このような平原で『人』が死ぬという事は、魔物に襲われたものが大半であり、魔物に襲われたという事は、その肉は全て食され、腐敗する部分が残らない事になる。つまり、それ以外の可能性としては、『人』が『人』によって殺され、魔物が寄り付かない場所に放置されたということ。

 

「…………なにか………くる…………」

 

 そんな疑問をカミュに投げかけたサラの手を握り、今まで小首を傾げていた筈のメルエが、ある一方に顔を向けたまま、小さく呟いた。

 それは、もはやサラでも認めざるを得ない通告。

 人外の者の来訪。

 

「構えろ!」

 

 カミュの言葉とともに、四人は陣形を立て直す。

 メルエが見ていた方角に向かって、前をカミュとリーシャが。

 その後ろにサラとメルエという、現状で最高の布陣。

 

 ズズズズ……

 

「うっ!」

 

 構えを取ったまま一点を見据える四人の耳に、何か重い物を引きずるような音が聞こえて来た時、先程まで微かにしていた死臭が、強さを増して行った。

 引き摺る音が大きくなればなる程に強まる死臭に、思わずサラは口元を押さえる。それ程に強烈な臭いだったのだ。

 

「ウゥゥゥゥゥ……アァァァァ」

 

 そして、一行の視界に、その姿がはっきりと映った時、カミュですらも、口元を押さえずにはいられない程の臭気が周囲を満たしていた。

 

<腐った死体>

その名の通り、死して尚、放置されていた人間の遺体に宿る怨念が魔王の力によって、その肉体とともに彷徨いだした魔物。脳まで腐敗が進み、もはや意識などはない。人の血肉を食し、腐敗の進行を緩める為だけに人間を襲う。ただ、死体なだけに、その動きは緩慢であり、集団に襲われない限り、逃げる事は可能である。

 

「ごほっ……カミュ!……どうする!?」

 

 目の前まで迫って来た<くさった死体>の放つ強力な死臭に、リーシャでさえむせ返る。

 <腐った死体>の数は三体。

 魔物とはいえ、元は唯の死体。焼き払う事や、斬り伏せる事は可能だろう。しかし、今のメルエに魔法を使わせる事は、不可能に近い。

 余りの臭いに、メルエはサラの背中に顔を埋めてしまっていた。当のカミュでさえ、辛うじて右手で剣は握ってはいるが、左手は鼻と口に当て、眉を顰めているのだ。

 

「ここから南へ行けば、<バハラタ>という町があるはずだ。ごほっ……俺が<ギラ>を放つ。アンタは後ろの二人を連れて、全速力で南へ走れ!」

 

「仕方ないな……サラ! 聞いた通りだ。カミュの詠唱の完成と共に、南に向かって走るぞ!」

 

 三体の<腐った死体>を見据えながら声を絞り出したカミュの言葉に、リーシャは後方の二人へ指示を出す。

 魔物から逃げるという事に一瞬抵抗感を感じたサラであったが、『相手は元は人間だった者』と考える事にし、頷いた。

 しかし、肝心のカミュの詠唱がなかなか完成しない。実際、自分達の周囲に立ちこめる死臭は、意識を遥か彼方に飛ばしてしまう程の強さなのだ。呪文の詠唱を始めても、その臭気によって、集中力が続かない。

 それは、あのカミュであっても苦しめられていた。

 

「…………リーシャ…………」

 

 一向に状況が好転しない中、突如、今まで顔を埋めていたメルエの声が周囲に響く。その声に、リーシャは、咄嗟に左手に装備している<鉄の盾>を掲げた。

 

「ぐはっ!」

 

 構えた盾に襲い掛かる、凄まじいまでの衝撃。それは、アッサラーム付近で遭遇した<暴れザル>の一撃に勝るとも劣らないもの。

 盾で完全に防いだとはいえ、リーシャの身体は宙に浮き、サラとメルエの位置まで弾き飛ばされた。

 通常、人間は、自分の持っている力を100%使用する事など不可能である。それは、強固な物に対して100%の力でぶつかれば、自分もまた多大なダメージを負うからであり、無意識の内にその力をセーブしているのだ。

 それを抑えない時、それは捨て身の時以外にあり得ない。

 しかし、<腐った死体>に痛覚はない。故に、自身の腕や身体が壊れようとも、お構いなしなのだ。

 常に100%の力での行動。それが、元は人間でありながらも、リーシャ程の『戦士』を吹き飛ばした所以である。

 

「ごほっ……カミュ!?」

 

「わかっている!……ギラ!」

 

 リーシャの問いかけに答えたカミュの声は、珍しく苛立っている。自分の力を思うように引き出せない事が、カミュの苛立ちとなっているのかもしれない。

 リーシャと違い、自分の意思で、後方に飛んだカミュは、着地と同時に呪文を行使した。

 一箇所に集まった<腐った死体>の前に着弾した灼熱呪文は、炎を立ち上らせ、カミュ達と<腐った死体>との間に、炎の壁を作り出す。

 

「走れ!」

 

「!!」

 

 カミュの言葉と同時に、他の三人が一斉に背中を向け、南へ向かって走り出す。もはや後方を振り返る余裕などはない。息が詰まる程の臭気は、炎によって遮断された。

 三人は口元から手を離し、懸命に駆けて行く。

 

「ギラ!」

 

 一歩遅れてスタートを切ったカミュは、振り向き様に、もう一度<ギラ>の呪文を行使し、炎の壁をもう一層作り出した後に、駆け出す。

 途中、サラの後方を懸命に走るメルエを抱き抱えたカミュは、夜の闇を走った。

 <ギラ>の炎が晴れた時、そこには、三体の<くさった死体>が放つ死臭と、腐った肉の焼けた異臭だけが残されていた。

 

 

 

 

 

 


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