新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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アジトの洞窟(バハラタ東の洞窟)①

 

 

 

 グプタは走っていた。

 バハラタの町が掴んだ盗賊のアジトは、<聖なる川>を二度渡った先にある名も無き洞窟。グプタはそこを目指し、ひた走っていた。

 盗賊一味の名は<カンダタ一味>。

 地続きにあるロマリア大陸で大きく活動をしていた賊だ。

 近年、海を渡り、この大陸にも勢力を伸ばし始めていた賊ではあるが、その頭目となる『カンダタ』自身は、ロマリア大陸を住処としていた為、この東の大陸ではそれ程派手な活動をしてはいなかった。

 

「……はぁ……はぁ……」

 

 それが変化したのは、ここ最近。何故か、頭目である『カンダタ』が、この東の大陸へ移動して来た事から、一味の大きな動きが始まった。

 バハラタに来る商人達の荷台の強奪に始まり、ついにはバハラタの町への脅迫に至るまでのものとなって来る。

 

「クキャ――――――!!」

 

「くそっ! 来るな!」

 

 グプタは商人であり、魔物と戦う術など持ち合わせてはいない。稀に、行商人の中には、盗賊や魔物から売り物である商品を護る為に武器を手にして戦う商人もいるが、グプタは根っからの商人であった。

 ありくいの様な数匹の魔物に囲まれながら、グプタは逃げ道を探す。

 基本的に、力量に差がある者からの逃亡は不可能に等しい。それでも、わずかな隙を見逃さぬように、グプタは駆け出した。

 しかし、魔物は、その長い舌を巧みに使い、グプタの逃げ道を塞ぐように回り込む。回り込まれた際に傷ついたグプタの腕からは、赤い血が滴り落ちていた。

 

<アントベア>

アリアハン大陸に生息する<おおありくい>の上位種に当たる魔物である。<おおありくい>と同じように長い舌を持ち、その舌で相手を捕食する。しかも、上位種というだけあり、その体毛は<おおありくい>よりも硬く、その色素も異なっていた。

 

「魔物なんかに構っている暇は無いんだ!」

 

「―――!!―――」

 

 回り込んだ<アントベア>に体当たりをするように駆け出したグプタに対し、虚を突かれた形となった<アントベア>は、思わず、グプタに道を開けてしまった。

 目の前に開かれた道を、グプタは脇目も振らずに突き進む。それは、彼のような、魔物と対抗する力の無い人間が、魔物と相対した時に出来る唯一の方法が成功した事を意味していた。

 

 息が切れる事も構わずに、グプタは走り続ける。陽が真上に位置する頃に、彼は一度目の<聖なる川>を渡った。

 渡った先にあるのは森。

 この森の先にある離島に存在する、カンダタ一味のアジトに行くためには、もう一度、この<聖なる川>を渡る必要があった。

 グプタは、この<聖なる川>を重視してはいない。基本的に彼は、生まれも育ちもバハラタではないのだ。

 もし、<聖なる川>がバハラタに伝わる通りの物であるのならば、自分もタニアも今の状況に陥ってはいない筈だとグプタは考えていた。

 

 彼は、小さな村で、五人兄弟の末っ子として生を受けた。

 小さな村で自給自足の生活を続ける一家にとって、五人目の子供は、決して喜ばしい物ではなかった。

 グプタと名付けられた彼の着る物は、全て上の兄弟のお下がり。そして、食事に関しても、既に両親の手伝いをしていた兄弟達の残り物を食す毎日だった。

 それでも、口減らしの為に捨てられたり、奴隷として売られる事がなかっただけでも幸せだったのかもしれない。しかし、年が十二を過ぎた時、グプタは生まれた家を、夜逃げ同然に出て行った。

 

 『ゴールドさえあれば』

 『豊かでさえあれば』

 

 そんな夢を持って。

 そして、彼が目指した場所は、夜の町でも、大国の城下町でもなく、商業で成り立っている都市である<バハラタ>。

 そして、彼が志した職業は『商人』だった。

 

「わしの店で働きたい言うのか?」

 

「はい。これからの時代で生き残る事が出来るのは、商人だと思っています」

 

 グプタが門を叩いたのは、<バハラタ>という異質な町の中でも、一店舗しかない『黒胡椒』を販売している店。

 様々な商売が盛んなバハラタでも特化した商売を行っている場所であった。

 

「このような、魔物が横行する時代では、商いなどは衰退して行く一途であるのにか?」

 

「……私はそのように思いません。例え、魔物が蔓延ろうとも、人が生きている以上、物の需要は決して無くなる事はないと思います。そして、境遇が厳しく、貧しくなれば貧しくなる程、人は贅沢を求め、趣向に走る筈です」

 

 『黒胡椒』の店の店主であり、この商業都市の町長でもある初老の男は、目の前に跪く少年へ驚きの目を向けた。

 この店に奉公したいと言って来る者は、男の商売が大きくなる程に増えて来る。一人で商いをする事に限界を感じていた店主ではあったが、彼の商人としての眼鏡に適う人物は、一人として現れなかった。

 それが、このような年端も行かぬ少年によって崩されるとは思ってもみなかったのだ。

 彼の下に来た若者は皆、『いつか誰かが世界を救ってくれる。そうなれば、商人の時代だ』と言う者ばかりであった。

 しかし、『商人とは、そのような不確かな未来を見る者では駄目だ』と店主は考えていた。先を見なくては商売にはならない。そして、その『先』と呼ばれる未来は、他力本願である不確かな物であってはならないのだ。

 それを、この少年は、既にこの歳で理解している。その事に店主は驚いた。

 

「わかった。しかし、私の商売は農作業から始まる。ただ単に物を仕入れて売る商人ではないぞ。それでも良いのか?」

 

「はい。幼い頃より、農作業はしてきております」

 

 そして、このバハラタで、いや、この世界で唯一の『黒胡椒』を育てて売る店の跡取りとなる男が生まれる。

 それからのグプタは懸命に働いた。朝早くから畑に出て、夜は盗賊対策のために警備に出る。

 それもこれも、彼の夢の為。

 彼には、いつかこの店を出て、自分の店を持つという野望があった。それまでは、この新たな需要を掘り起こし、莫大な財産と地位を築いた男の下で学び、資金を貯める事に全てを費やすつもりだったのだ。

 

 しかし、そんな彼の野望をも打ち砕く者の出現が、グプタの描く未来図を大きく変えて行く事となる。

 それが、この『黒胡椒』屋の店主の孫娘に当たるタニアであった。

 幼い頃に両親を失ったタニアは、歳が近いという事もあり、グプタへ笑顔を向けるようになって行く。畑仕事をしているグプタに食事を持って来るのも、店番をしているグプタにお茶を入れてくれるのもタニアであった。

 奉公先の孫娘であるタニアに対し、懸想する事も出来なければ、邪険にする事など出来よう筈のないグプタは、大いに戸惑った。

 しかし、いつでも優しい笑顔を向けてくれるタニアに、淡い想いを持つなという方が無理な注文であろう。淡い想いは、日を追う毎に強まり、その想いはタニアへ届く。

 そしてその日は訪れた。

 

「私は、タニアを愛してしまいました。これ程のご恩を受けておきながら、本当に申し訳なく……」

 

「おじいちゃん。私はグプタを本当に愛しています」

 

 意を決して、グプタとタニアは主人と相対した。

 それこそ、この店から追い出される事も覚悟の上。

 そして、もしそうなったとしたら、『二人でこの町を出よう』とまで決意していた。

 

「くっ……あははは! そんな事で、何をそこまで思い詰めている?……このわしが、その事に気が付いていないとでも思っていたのか? あははははっ」

 

 しかし、歳を取ってから、一人娘であるタニアの母を授かり、既に年老いていた主人の反応は、決意を固くしていた二人の予想を大きく逸脱したものだった。

 

「……おじいちゃん?」

 

「グプタ! お前は既に、わしの孫も同然じゃ。それが誠の孫となるだけの話。だが、わしの大事なタニアの婿となるのだ。それはつまり、この店の跡取りという事。ならば、今まで以上に厳しい修行を覚悟しておけよ」

 

 不思議な物でも見るように目を見開くタニアを見ながら、主人はまじめな表情に戻した後、グプタへと語りかけた。

 『この町を出て、自分の店を開く』というグプタの野望は、この瞬間、完全に消え去った。

 しかし、それは悲しむべき事ではない。

 何故なら、それと同時に、生まれた家を出た時に持っていた、グプタの『幸せの定義』もまた、変化した瞬間だったのだから。

 

 

 

 そんな幸せへの道を歩み出した二人を襲った悲劇。

 厳しい修行の中、泥のように眠っていたグプタは、タニアの身に降りかかった事件に気が付く事はなかった。

 例え、気が付いていたとしても、『商人』であるグプタに何が出来た訳でもない。最悪、グプタの命はその時に失われていたかもしれない。それでも、『愛する人間の危機に何も出来なかった』という事が今、グプタを突き動かしていた。

 何度目かの魔物との遭遇を、逃亡という形で切り抜け、<聖なる川>に架かる二本目の橋を渡る頃には、グプタの身体は満身創痍といった状態であった。

 橋を渡った先に広がる大きな森。旅慣れた冒険者達であれば、その中を動き回る事も可能であろう。

 だが、グプタは『商人』。しかも、地図やコンパス等の道具は持って来てはいなかった。

 森の中に入ったグプタは、何度も方向を見失い、自分の立ち位置すらも分からなくなる。魔物と遭遇しては逃げ、方向を見失っては魔物とかち合った。

 それでも前に進むグプタの目に、岩肌の側面にぽっかりと空いた穴が飛び込んで来る。

 疲れ切っていたグプタではあるが、愛しい人間の身を案じ、陽が陰り始めた森から、陽の光が届かない洞窟へと足を踏み入れた。

 後になってみれば、森を彷徨ったこの時間が、グプタの明暗を分けるものだったのかもしれない。

 

 

 

「おいおい。このアジトに何の用だ?」

 

「ぎゃはははは! なんだ、このお坊ちゃんは?……よく見りゃ、傷だらけじゃねぇか」

 

 洞窟に入り、グプタはここでも大いに彷徨う事となった。至る所に、魔物達の姿があり、逃げる度にグプタの身体の傷は増えて行く。

 人の手が入れられた洞窟の壁は、石を積み重ねたものであり、見渡す限り同じ光景が広がる場所をグプタは彷徨い続けた。

 彷徨う中、ようやく発見した下のフロアへと続く階段を下りた先で、グプタは二人の人間と遭遇する。

 

「タニアを返せ!」

 

「タニア?……ああ……もしかして、昨日攫って来た、バハラタの町長の孫の事か?」

 

 その二人は、身なりから見て、盗賊である事は間違いない。

 ならば、それはカンダタの子分となる筈。

 そして、グプタはその二人に叫ぶ。

 『愛しい者を返せ』と。

 

 しかし、それは『自分達こそが強者』と考えている、このならず者達にいやらしい笑みを浮かべさせる程度の効果しかなかった。

 所詮、グプタの身なりは『商人』。どれだけ大声を上げようとも、どれ程に虚勢を張ろうと、彼はカンダタ一味に脅威を感じさせる存在ではないのだ。

 

「お前は、あの孫の男か?」

 

「ぎゃははは! 残念だったな。あの女は大事な人質だ」

 

「タ、タニアに何をした!?」

 

 いやらしい笑みを浮かべる男達の言葉に、グプタは最悪のイメージを思い浮かべてしまう。

 頭や腕、いや、身体中から血を流し続け、鬼のような形相で叫ぶグプタに、カンダタの子分たちは、先程とは違う、おぞましい表情を浮かべて口を開く。

 

「あぁ?」

 

「安心しな。まだ何もしてねぇよ。まぁ、これでもまだ、バハラタ側が俺達の要求を突っぱねるのなら、あの女がどうなるかは知らねぇけどよ」

 

 弱者であるはずのグプタの態度に、若干の苛立ちを見せた子分が凄む中、もう一人の子分がグプタの言葉に答えた。

 その内容に安堵したのも束の間。その後の事を考え、グプタの表情が凍り付く。

 

 グプタの主人であるバハラタの町長は、おそらく自分の愛する孫娘よりも、自分の町を優先させるだろう。

 彼が任された町に住む人間は、カンダタ一味の登場によってその数を大幅に減らしたとはいえ、そこは大都市。夜の町であるアッサラームや、ロマリア城下町にも引けを取らない程の人間が生活をしている。

 その数多くの住民の苦しみと引き換えに、自分の孫娘を救うとは到底思えない。

 それをグプタは理解していた。

 また、その決断をする、主人の苦しみも理解していたのだ。

 おそらく、グプタも立場が立場であれば、同じ様な選択をしていたであろう。故に今、グプタは、たった一人でここに立っているのである。

 だが、その事実が指し示す未来は一つ。

 愛するタニアの身に降りかかる不幸である。

 『死』という結末は、ほぼ確実であり、更には『死』に至る前に、『死』よりも辛く苦しい物が待っている事だろう。

 

「くそっ! そんな事をさせるものか!」

 

「ぎゃははは! じゃあ、どうするんだ?……まさか、俺達に挑んでくるつもりか? 只でさえ傷だらけの身体なのによ」

 

 いきり立つグプタを嘲笑うかのように、口元を歪ませる子分達は、自分の腰にある武器に手を掛けた。

 着の身着のままで出て来たグプタには、それに対抗する術はない。

 

「もう良いだろう?……こんな馬鹿、さっさと殺しちまうぜ。人質は、あの女一人で良い訳だし、俺は男には興味なんかねぇぞ」

 

「ぎゃははは! それは俺だって同じだ。じゃあ、悪いが死んでもらうとするか」

 

 グプタの態度に苛立っていた子分の一人が、武器を鞘から抜き放つ。それに追随するように、もう一人も武器を抜いた。

 グプタの命運も、今まさに尽きようとしていた。

 

「逃げるなよ。一思いに死んだほうが楽だぜ」

 

「くそっ!」

 

 言葉と共に振り下ろされる剣を紙一重で避けたグプタの腕が、ぱっくりと斬り裂かれた。滲み出るように流れる血液が、洞窟の床へと滴り落ちて行く。

 

「逃げるなと言ってるんだ!」

 

「!!」

 

 一度は辛うじて避けたグプタであったが、横合いから飛んで来るもう一人の剣を見て絶望した。『避けられない』と感じたグプタは、目を瞑る事もせず、自分に向かって来る剣先を呆然と見つめる。

 その時、諦めかけていたグプタの瞳に映る剣先の動きが止まった。

 『何事?』と思い、顔を上げたグプタが見た物は、先程自分に向かって剣を振るったであろう男が、首から上を失い、倒れて行く姿だった。

 

 

 

 

 

 グプタが目の前で起きた出来事に困惑する数刻前。

 カミュ達は、焦っていた。

 

 町長の計らいで、カミュ達の装備品は昼前までに仕上がっていた。

 武器屋にて、その装備を受け取る際に見た店主の表情に、再びリーシャは怒りを覚える。

 そこに表れていたのは『疑惑』と『侮り』。『このような奴等に何が出来るのか?』という疑念と、『何故、自分がこのような奴等のために無理をしなければいけないのか?』という侮り。

 それを正面から見たリーシャが、再び怒りを露にしたのは仕方がない事なのかもしれない。サラもまた、店主の表情を見て、顔を顰めた事がその証拠だろう。

 装備品を受け取った一行は、町長の見送りを受けてバハラタを後にする。幼いメルエがいる事から、歩く速度を速めはするが駆ける事はなく、町長から聞いた<アジトの洞窟>を目指していた。

 

「カミュ……もしかすると、あの男は走り続けているのではないか?」

 

「……ああ……急ぐぞ!」

 

 陽が高くなる頃に、ようやく<聖なる川>に架けられた一本目の橋に差し掛かったカミュ達は、途中で見えて来ると考えていたグプタの背中が一向に見えて来ない事に焦りを感じ始めていた。

 歩いて一日以上かかる距離を走り続ける事は、人間には到底不可能である。カミュ達は、その事を考慮に入れて、ここまで歩いて来たのだ。

 だが、幼いメルエがいるとはいえ、旅慣れたカミュ達の足で追いつけないとなれば、可能性は一つしかない。不可能だと思われていた行為を、グプタが行っているという事。そうであれば、差は縮まるばかりか、広がって行く可能性すらあるのだ。

 

「メルエ! 抱き上げるから、舌を噛むなよ!」

 

「行くぞ!」

 

 サラの手を握っていたメルエを、リーシャが抱き抱えるように持ち上げ、カミュの言葉と同時に、一行は駆け出した。

 『方角はカミュが示してくれる』。

 そんな、信用とも言える思いを持つリーシャとサラが、カミュの速度に置いて行かれぬように懸命に走った。

 

 

 

 一行が二度目の橋を渡り、その先の森を抜けた場所にある洞窟に辿り着いた時には、陽は落ち、辺りを闇が覆い始めた頃だった。

 

「カミュ、急ごう」

 

 洞窟の手前で、メルエを下ろしたリーシャは、息を切らせながらも、早々に中へ入る事をカミュへ進言する。それに一つ頷いたカミュが無言で中に入り、その後をメルエが続く。ここまでの道を走り、もはや疲労困憊に近いサラも、不満を口にする事なく洞窟へと入って行った。

 

「……どっちだ?」

 

「な、なに!?」

 

 洞窟内に入ったカミュが、後ろにいるリーシャへと問いかける。突然の問いかけに、リーシャは驚きを表すが、サラは何か得心が行ったのか、納得の表情を浮かべていた。

 

「や、やはり、このような場所では、リーシャさんが頼りですね」

 

「な、なに!? そ、そうか?……まずは、真っ直ぐだな」

 

 入ってすぐに三方向へと分かれる場所に出た事で、カミュは方向を探る為にリーシャに問いかけたのだ。

 カミュの意図を察したサラが、追従するようにリーシャに問いかけると、少し気を良くしたようなリーシャが得意気に方向を示した。

 

「……わかった……」

 

 言葉とは裏腹に、カミュは右へと進路を取った。

 その事に驚いたリーシャの表情は、怒りへと変化して行く。しかし、その後をサラとメルエが続いて歩いて行ったため、リーシャは口を開く事が出来なかった。

 カミュやサラの考えに反し、進んだ先は、先程と同じ様に三方へと続く道。

 『そら見ろ』とばかりにカミュを見るリーシャに対し、溜息を吐いたカミュは、再びリーシャへと道を尋ねる。

 

「ここは、左だな」

 

「……わかった……」

 

 『今度こそ』と得意げになって道を指し示すリーシャの言葉に、一つ頷いたカミュは、真っ直ぐ進んで行く。その事に、今度こそ怒りを露にしたリーシャがカミュへと怒鳴るが、当の本人は、涼しい顔で歩き出していた。

 

「……」

 

「ほら見ろ!」

 

 リーシャの指し示す方角ではない方向へ進路を取り続ける一行ではあったが、進む先進む先、全てが同じ様な場所であった。

 流石のサラも目の前に広がる光景に言葉を失い、自分の指し示した方角に行かない事を非難するようにリーシャが声を上げる。

 

「カミュ様……そろそろリーシャさんの言う方向へ進んでみてはどうですか?」

 

「そうだ!」

 

 サラの援護を受けて、リーシャは強気になりながらカミュへと訴えかける。後方からの言葉に、大きな溜息を吐いたカミュは、『わかった』と一言呟いた後、リーシャの指し示す方角へと足を向けた。

 同じ様な場所を歩きながら、逐一リーシャの意見を聞きながら進む一行であったが、不意にカミュの足が止まった事により、三人に緊張が走る。

 それが、魔物の襲来を意味する事は、全員が知っているからだ。

 

「カミュ!」

 

「……また、実体のない魔物か……」

 

 斧を手にしたリーシャが、カミュへと声をかける。

 カミュが呟いた言葉通り、気配はあるが、実体が見えない。

 バハラタ周辺で遭遇した<ヒートギズモ>のように、実体の掴めない魔物の可能性を考え、全員が各々の武器に手を掛ける。

 この洞窟は、盗賊のアジトであるが故に、回廊の至る所に火が灯され、周囲を明るく照らしている。カミュは、その灯りに照らされた壁に、奇妙な影を見た。

 

「!!」

 

「な、なんだ、あれは!?」

 

 灯りに照らし出された影は五つ。

 壁に映っている影は、本来カミュ達四人の物以外あり得ない。

 だが、壁には別の物がもう一体ある。

 明らかに異常であった。

 

「メルエ! サラの後ろに!」

 

 リーシャの声が響き、もはや定位置になりつつあるサラの後方へとメルエは下がった。その間に、カミュも背中から<鋼鉄の剣>を抜き、戦闘態勢に入る。

 壁に映し出されていた影は、そのまま壁から抜き出るように、一行の前にその姿を現した。

 

<怪しい影>

魔物の中でも特異中の特異な存在。様々な魔物の影を映し出して来た壁などに記憶されていた物が、魔王の影響を受けて、生命を得た物と云われている。その生態や構造は、全く解明されてはいない。

 

「ふん!」

 

 突如として、目の前に現れた魔物に、リーシャは反射的に斧を振るう。

 力任せに振るわれた斧は、影のような魔物を分断した。

 

「……やはり駄目か……」

 

「カミュ!? どうする!?」

 

 リーシャが斧で両断した影は、何事もなかったように、その形状を戻して行く。カミュはある程度予想していたようだが、リーシャは自分の攻撃が全く通用しなかった事に狼狽し、カミュへと声をかけた。

 

「くっ!」

 

「カミュ!」

 

 カミュへと視線を動かしたリーシャの瞳に、カミュの目の前に移動した<怪しい影>が映り込む。音もなく移動した<怪しい影>の振るった腕が、咄嗟に顔を庇ったカミュの右腕に食い込んだ。

 黒い影が流れるように払われたカミュの右腕に、四本の筋ができた瞬間、その筋から真っ赤な血液が噴出する。それを見て、リーシャは叫び、メルエは目に涙を溜めた。

 

「カミュ様! リーシャさん! 一度後ろへ!」

 

 後方でメルエを護るサラからの声に、リーシャとカミュが、一度態勢を整える為に後方へと下がる。カミュへと攻撃を繰り出した<怪しい影>は、様子を見るように漂っていた。

 

「カミュ様、こちらに。ホイミ!」

 

「……すまない……」

 

「カミュ!? どうする!?」

 

 カミュの腕に<ホイミ>をかけ、傷を癒すサラの横から、リーシャが先程の言葉を繰り返す。その時、小さな影が動いた。

 

「…………メルエ…………やる…………」

 

「なに!?」

 

 リーシャの腕を引くように、自分の存在を誇示するのは、パーティーが誇る『魔法使い』の少女。

 右手に<魔道士の杖>を持ち、上目遣いに見上げる瞳は自信に満ちていた。

 

「しかし、魔物の特徴も解らないのに……」

 

「…………あたらしい………おぼえた…………」

 

「なに!?」

 

 サラの苦言に対してメルエの発した言葉は、リーシャを軽く驚かせる。

 久しぶりに聞いたメルエの言葉。

 それは、新たな魔法との契約を済ませた証。

 

「……わかった……メルエ、頼む」

 

「…………ん…………」

 

 カミュの言葉に、嬉しそうに頷いたメルエを見て、サラも軽く溜息を吐く。

 サラは自分では気付いていないが、カミュがこう言う以上、メルエの魔法が発動された後は必ずカミュがメルエを護ると考えている事を、信じているのだ。

 故に、それ以上の苦言を言う事はない。

 

「仕方ありません。ですが、呪文の行使のタイミングは私が計ります。カミュ様とリーシャさんは、その間、魔物の注意を逸らしてください」

 

「……わかった……」

 

「よし。サラ。メルエ。頼んだぞ!」

 

 魔物に視線を向けながら、カミュとリーシャに指示を出すサラを、リーシャは頼もしく見ていた。

 あのカミュでさえ、今のサラの言葉に反論を示さない。

 それは、サラを信用している証。

 戦闘において、自己の判断のみで動いていた筈のカミュが、他人の判断を受け入れているのだ。それがリーシャには、眩しく映った。

 

「では、メルエ、良いですね?」

 

「…………ん…………」

 

 カミュとリーシャが、再び<怪しい影>と対峙する為に、前線へと躍り出る。それを確認したサラが、メルエへ視線を送り、問いかけた。

 サラの瞳を真っ直ぐ見ながら頷くメルエに、サラは柔らかな笑顔を浮かべて頷き返す。

 

「やぁ!」

 

 そんな二人のやり取りの最中に、リーシャが<怪しい影>へと斧を振るう。しかし、先程と同じ様に、確かに分断した影は、再び形状を戻し、元の影へと戻って行った。

 

「下がれ!」

 

 斧を振り切ったリーシャに、カミュの檄が飛ぶ。リーシャを押しのけるように割り込んで来たカミュは、その左手に持つ<鉄の盾>を掲げ、今まさに振り抜かれようとする<怪しい影>の腕を受け止めた。

 盾に来る衝撃など、何一つない。ただ確かに<怪しい影>の攻撃は、カミュの盾を掠めたのだ。その証拠に、金属を擦るような音が洞窟内に響き渡る。

 音だけで、自分が攻撃を受け止めた事を確認したカミュは、そのまま、右手に持つ<鋼鉄の剣>を振り下ろした。

 それでも、やはり<怪しい影>にダメージを与えた様子はない。袈裟斬りに斬り裂かれた<怪しい影>の胴体が揺らぐ。その時、二人が待っていた声が響いた。

 

「メルエ!」

 

「…………ん…………メラミ…………」

 

「!!」

 

「くそっ!」

 

 サラの叫び声、そして、それに応じたメルエの詠唱。

 詠唱の完成と共に、<魔道士の杖>の先から発生した物は、リーシャの身体を硬直させた。

 横にいるリーシャの様子に、顔を歪めたカミュが、リーシャを抱えるように飛び、メルエの魔法の攻撃範囲から脱出する。

 

 メルエの杖の先から出たのは『火球』。

 しかし、それは信じられない程の大きさだった。

 メルエの『メラ』の形状は、カミュのそれよりも大きい。

 しかし、今、メルエが唱えた物はその比ではなかったのだ。

 

<メラミ>

火炎系魔法<メラ>の上位魔法に当たる。古の賢者が残した魔法以外では、『魔道書』に載っている火炎系魔法の最上位に当たる魔法だ。その威力は<メラ>を遥かに凌ぎ、通常の魔法使いであっても、ある程度の魔物を一撃で仕留める事が可能な程の威力を誇る。

 

「――――――」

 

 メルエの杖から放射された火球は、真っ直ぐ<怪しい影>へ向かい、直撃する。叫ぶ暇もなく、自身の身体以上の大きさの火球を受けた<怪しい影>は一瞬の内に消え失せた。

 そのまま、火球は壁に直撃し、凄まじい音を立てて弾け飛ぶ。

 

「くっ!」

 

「……な……な……」

 

 指示を出していた筈の、サラですら言葉が出て来ない。リーシャは呆然と、<怪しい影>がいた場所を眺め、カミュは苦々しく壁を見つめていた。

 火球が衝突した壁は、焦げた跡と共に、焼きついたような黒い影が張り付いている。それが、<怪しい影>だった物なのだろう。

 凄まじい程の高温で瞬時に焼かれた影は、そのまま壁へと焼き付いた。メルエの使った魔法は、それ程の威力があったのだ。

 

「…………ん…………」

 

「ああ、よくやった」

 

 いつものように、自ら帽子を取り、頭を差し出すメルエの頭をカミュが撫でる。

 その手を嬉しそうに受け入れるメルエを、リーシャは心配気に見つめていた。

 

「…………ん…………」

 

「ん?……ああ。その前に、メルエ、約束してくれ」

 

 自分の所へ駆け寄って来たメルエが頭を差し出す姿を見て、リーシャはメルエと目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。

 そんなリーシャの行動に、メルエは不思議そうに小首を傾げる。

 

「今の新しい魔法は、広い場所で使う事」

 

「…………ん…………」

 

 口を開いたリーシャが発した言葉が、魔法を禁ずる物ではなかった事に、メルエは即座に頷いた。

 そんなメルエに優しく頷いたリーシャは、もう一度口を開く。

 

「もう一つ。この魔法は、サラの指示の下で使用する事」

 

「…………」

 

 もう一つの注意は、メルエにとって理解が難しい物だった。

 故に、大きく首を傾げる。

 メルエの姿に苦笑したリーシャは、説明を付け加えた。

 

「あの魔法は、強大すぎる。あれを使った時に、私やカミュが巻き込まれてしまったら大変だろ?」

 

「…………ん…………」

 

 リーシャが、優しい表情を浮かべて、メルエへ語る。その内容に、少し考える素振りを見せたメルエは、真剣な表情に戻り、大きく頷いた。

 メルエは、『自分が制御出来る』とは言わない。

 メルエにとって、カミュもサラも、そして今、自分に笑顔を向けるリーシャも、自分を導き護ってくれる、信用出来る人間だからだ。

 

「よし。メルエ、よくやった」

 

 もう一度メルエの頭を撫でるリーシャの考えは別のところにあった。

 今、メルエが唱えた<メラミ>という魔法は、余りにも強力すぎる。魔物相手でも、一瞬の内に焼き尽くしてしまう程に。

 もし、それを『人』に向けて唱えたのであれば、ひとたまりもないだろう。一歩間違えれば、メルエを『殺人者』としてしまう事になる。

 それは、リーシャにとって、どうしても避けたい事柄だった。

 

「……先を急ぐ……」

 

「そうですね。行きましょう、メルエ」

 

「…………ん…………」

 

 そんなリーシャの考えは、メルエ以外の二人には届いていた。

 メルエの魔法の威力に一番驚いていたのはサラである。

 だが、サラは、既に心に決めているのだ。

 『メルエを護る』と。

 それは、メルエの素性が明らかになった時、どうなるか分からない。

 もし、メルエが『人』でなかったとしたら、おそらく悩むだろう、苦しむだろう。そして、泣く事になるかもしれない。

 それでも、自分はこの幼き少女を護る為に、全力を尽くすに違いない。サラは、そう考えていた。

 

 

 

 一行は、先へと進んで行った。リーシャの指し示す通りに進んで行くと、徐々に景色が変わって行く。三方に分かれる道が二方になり、やがて一方向となった。

 

「カミュ様、あれは扉ではないですか?」

 

「……メルエ……」

 

「…………ん…………」

 

 行き止まりかと思われた進行方向には、暗闇で見え辛いが、扉のような物が佇んでいる。それを確認したカミュは、後方でリーシャの手を握るメルエを呼んだ。

 カミュに呼ばれた事により、カミュの横へと移動したメルエが、肩から掛けられたポシェットに手を入れ、<魔法のカギ>を取り出した。

 

 カチャリ

 

 乾いた音を立て、一行の進行を妨げる扉の鍵が解かれた。

 扉を開けて潜った先には、再び同じ様な回廊が存在し、リーシャの出番となる。

 『左だ』と答えるリーシャの言う通りに歩を進めて行くと、一行の前に、遂に行き止まりが姿を現した。

 

「ここが最後のようですね」

 

 行き止まりである事を確認したサラが周囲を見渡すが、周囲を照らす灯りが弱く、隅々を確認出来る程ではない。

 カミュが袋に入れておいた<たいまつ>に火を移し、周囲に翳した事により、奥に下へと降りる階段が視界に入って来た。

 

「この下か」

 

「急ぎましょう」

 

 階段に近づき、下の様子を確認するリーシャをサラが急かす。サラの言葉に、リーシャはカミュへと視線を送るが、カミュは一つ頷き、階段を下り始めた。

 待ちきれないようにサラが続き、メルエとリーシャが最後に降りる。

 

 リーシャは、今見た、カミュが頷く時の表情が頭に残った。

 それは、以前<シャンパーニの塔>で見せたものと同じ表情。

 あの時は、メルエの瞳に浮かぶ『憎悪』の欠片に関して不安を覚えたリーシャに対して見せたものであるが、今回は、サラの焦りに対してのリーシャの不安だった。

 

 そして、カミュの表情が何を意味するのか。

 それをリーシャは理解していた。

 この後、サラは苦しみ、悩む。

 そして、その悩みはカミュへと矛先を変えるかもしれない。

 それでも、カミュはその感情を受け止めるだろう。

 己を犠牲にしても……

 リーシャは、それが哀しかった。

 

 

 

「逃げるなと言ってるんだ!」

 

 階下に降りたサラの耳に、何者かの叫びが入ってくる。視線を向けたサラは、息を呑んだ。

 一行が救おうとする対象であるグプタが、今まさに振り上げられた剣を、その身に受けようとしていたのだ。

 

「あっ!」

 

 サラは息を呑む。

 救おうとしていた者が、目の前で息絶える姿を想像して。

 

 肉を斬り裂くような音が洞窟内に響き、それと共に真っ赤な血液が噴出し、飛び散る。しかし、それはサラが予想していた血液ではなかった。

 サラの視界に入った物。それは、いやらしい笑みを浮かべながら地面に落ちて行く首と、首から上を失い、天井に向かって噴水のように血液を吹き上げる身体。

 

 そして、それを手に握る<鋼鉄の剣>で斬り落とした『勇者』の姿であった。

 

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

サラの苦悩の始まりです。
この章は、彼女の為にあると言っても過言ではない章です。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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