新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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アジトの洞窟(バハラタ東の洞窟)②

 

 

 

 血飛沫を上げて倒れて行く人であった物。

 その後ろで唖然とした表情を浮かべるもう一人の盗賊は、首を失くし倒れて行く同僚の姿から視線を外す余裕もなく、先程その同僚の首を斬り落とした<鋼鉄の剣>によって切り伏せられた。

 再び空中に迸る真っ赤な液体を、サラは何か別世界の物のように見ていた。

 グプタに武器を向けていた二人の人間は、もはや身動き一つしない。

 それが示すもの。

 それは『死』。

 

「……あ……あ……」

 

「何事だ!?」

 

 サラが呆然とその光景を見ている方向から、騒ぎを聞きつけた盗賊達が現れた。隣の部屋のような場所の扉を開け、出て来た三人の男達も、己の武器を抜く暇もなく、斬り捨てられて行く。

 

 世界を……そして『人』を救うと信じられている『勇者』の手によって……

 

 一人目は、素早く間を詰めたカミュの持つ<鋼鉄の剣>で首を突かれ、一瞬の内に絶命した。

 二人目は、倒れ行く同僚の陰から現れたカミュに対応する暇もなく、肩から腰に掛けて斬られ、数秒の痙攣の後、その命を落とす。

 最後の一人は、同僚が瞬時に死に絶えた事を確認し、腰の武器に掛けた腕をカミュに斬り捨てられた。

 空中に飛んで行く自らの腕と、傷口から噴き出す血液が、その男の見た最後の光景となる。首の後ろから侵入した<鋼鉄の剣>は振り抜かれ、胴と頭を分断したのだ。

 

「……」

 

 一瞬の内に、生きていた『人間』が、物言わぬ肉塊へと変わって行く。

 その光景に、サラだけではなく、リーシャも言葉を失っていた。

 魔物相手に何度も剣を振って来た。だが、魔王の出現により、人間同士の争いが無くなった頃に宮廷に入ったリーシャは、まだ人を斬った事がない。故に、自分の腕を『人』に対して試した事はなかった。

 しかし、ならず者とはいえ、人々を恐怖に陥れていた盗賊達を、カミュが次々と斬り伏せて行く姿を見て、リーシャは初めて自分たちの能力の高さを知る事になる。

 自分達は、もはや、余程の事がない限り、『人』に対して遅れを取る事がないのだと。

 

「……あ……あ……」

 

 何かを言葉にしたいのだが、声が出て来ないサラは、先程と同じように言葉にならない何かを口にするが、それはカミュへは届かない。サラの身体が完全に硬直し、動かないのだ。

 それは、自分が信じて来た物が崩れ去った瞬間を意味する。

 『カミュが『人』を殺したのでは?』と<シャンパーニの塔>でも考えた。しかし、あの時は、その後にカンダタ自ら、部下の首を斬り落していた事から、まだ息があったのだと無理やり思い込む事にしていたのだ。

 

 『人を殺す』

 

 その行動は、当然『忌み嫌われる』行為である。

 そして、『人』を至上としているルビス教では、最も罪深き行為に当たるのだ。

 それを『人の世界』を救うと伝えられる『勇者』が行った。

 サラの頭の中は、完全な混乱状態に陥っていた。

 

「…………カミュ………だ!!…………うぅぅ…………」

 

 そんな中、最後の一人を斬り捨てたカミュに向かって口を開いたのは、メルエだった。

 メルエは、<シャンパーニの塔>でリーシャから『人を殺す者は、忌み嫌われる』と教わった。故に、カミュを止めようとしたのだ。

 しかし、その言葉は、最後まで告げる事が許されなかった。

 後ろから伸びて来た手が、メルエの口を塞ぐ。少しの間、身を捩るようにしていたメルエであったが、その手がリーシャの物であると理解した後は、哀しそうにカミュの背中を見つめていた。

 

「……カミュ様……何故……?」

 

 サラがようやく絞り出した言葉は、メルエのような片言の言葉。それ程、サラは、今見た光景にショックを受けていたのだ。

 そして、何かを言おうと再度開いたサラの口は、振り向いたカミュの姿に閉じられてしまう。

 振り向いたカミュの顔には、真っ赤な血液が付着し、その血飛沫は、カミュの衣服にも飛んでいた。魔物との戦闘においても、その体液が付着しないように攻撃を行うカミュにしては珍しいもの。

 それが、カミュの『覚悟』を顕著に表わしていたのかもしれない。

 

「……何がだ?」

 

 一度、振り上げた<鋼鉄の剣>を一気に振り下ろし、剣についた血液を振り払う。床に飛び散った血液は、一直線に床を濡らす。

 それが、サラには、自分とカミュを隔てる境界線に見えた。

 

「……な、なぜ……なぜ……こ、殺したのですか……?」

 

 それでも、勇気を振り絞ってカミュへと問いかける。サラの身体は、硬直が解けた代わりに、小刻みに震え出していた。

 それは、『恐怖』。

 畏怖する者としてのカミュではなく、純粋な『恐怖』の対象としてサラはカミュを見ていたのだ。

 

「……サラ……」

 

「…………」

 

 小刻みに震えながらも、前に立つカミュへと問いかけるサラに、リーシャは心配そうな視線を向け、メルエは眉を下げながら、二人を見ていた。

 

「……逆に聞きたいのだが、アンタはここに何をしに来た?」

 

「え?」

 

 暫し無言でサラに視線を投げた後に呟いたカミュの言葉が、サラの思考を完全に止めてしまった。

 カミュが何を問いかけているのかがサラには理解出来ない。

 何故、問いかけていた筈の自分が、逆に問いかけられているのかが解らないのだ。

 

「……アンタは、そこで伸びている男と、町長の孫を救いに来たのか?」

 

「え?……な、なにを……」

 

 完全にサラの方に身体を向けたカミュの持つ<鋼鉄の剣>は、血液を振り払ったとはいえ、『人間』の血液と脂で気色悪い程の光沢を誇っていた。

 その剣の姿にサラの顔から血液が下がって行き、尚更カミュの質問の意味を考える事が出来なくなっていた。

 グプタは既に気を失っている。

 初太刀が迫る緊張感と、それから開放された脱力感で、意識を手放していたのだ。

 

「……カミュ……」

 

「……ふぅ……」

 

 サラが固まってしまった事で、リーシャが間に入ろうと声を発し、そのリーシャの声を聞いたカミュは、呆れ果てたように溜息を吐き出した。

 カミュのその行為が、サラを思考の淵から引き摺り出す。

 

「と、当然です。グプタさんとタニアさんを救う為に、私はここに来たのです」

 

「……」

 

 覚醒したサラの言葉に、再び視線を動かしたカミュの瞳は、背筋が凍ってしまうのではないかと思うほど冷たい物だった。

 その瞳にたじろぐサラは、隣のリーシャへと視線を動かすが、そこにあったのは『憐れみの視線』。リーシャがサラを見つめるその瞳には、サラを労わるような物が混じっていた。

 それにサラは混乱する。

 『何故?』と……

 

「……アンタは、俺に言った筈だ。『バハラタという町を盗賊から救いたい』と」

 

「え?」

 

 混乱に陥ったサラは、続いたカミュの言葉に、更なる混乱へと落ちて行く。

 『何が違うのか?』

 『その前に、それが何故人殺しに繋がるのか?』

 そんな疑問は、サラの口を吐いて出る事はなく、頭の中で渦巻いて行った。

 

「俺はアンタに言った筈だ。『今回は、メルエを救った時とは違う』と」

 

「な、なにが違うと言うのですか? そ、それと、『人』を殺す事がどう繋がると言うのですか!?」

 

 カミュの意味不明な言葉に、ついにサラは爆発した。

 叫ぶように口を開けて睨むサラを、カミュは未だに冷たい瞳で見つめている。

 メルエはもはや口を開かない。リーシャの陰に隠れるように身を隠し、サラとカミュを不安そうに見ていた。

 

「メルエの時は、あの奴隷商人さえ退ければ良かった」

 

「い、今だって、そうすれば良いではないですか!?」

 

 カミュの言葉に、サラは噛み付く。頭に血が上り、前後不覚に陥っているのだ。メルエは、こんなサラを初めて見たのだが、リーシャは一度見ている。

 それは、アリアハンを出て間もない時。あの森で、カミュがルビスの教えを真っ向から否定した時だった。

 

「アンタは、本当にあのバハラタという町一つを救う気はあるのか?」

 

「あ、当たり前です」

 

 冷たく、射るような視線を真っ向から受けながらも、サラはカミュの言葉にしっかりと頷いた。

 それを見るリーシャの顔が歪んで行く。彼女には、これからカミュが話す内容が見えているのだ。

 

「ここにいる盗賊が生き残った場合、その怒りはどこへ向かう?」

 

「は?」

 

「……カミュ……」

 

 遂に核心へと踏み込んだカミュの言葉に、リーシャは不安を口にする。ちらりと視線を動かしはしたが、カミュはリーシャの眼差しを無視し、話を続けた。

 

「メルエの時に、俺に斬られた者達の報復は、俺達に向かった筈だ。例え、奴隷として手に入れた筈のメルエへ向けられたとしても、俺達が護ってやれば良かった」

 

「……はっ!?」

 

 サラは決して愚者ではない。

 頭に血が上って、冷静な判断が出来ないだけなのである。

 順序立てて話すカミュの言葉に、サラの瞳は大きく見開かれた。

 

「……だが……ここで、俺達があの盗賊達を痛めつけるだけで逃がせば、報復は俺達を雇ったであろうバハラタの町へ向かう。俺達があの町に住むのなら何とかなるが、俺にそのような生活は許されてはいない」

 

「……そ、それは……」

 

 カミュが話す内容の大凡を察したサラは上手く言葉を繋ぐ事が出来ない。瞳は釘付けになったかのようにカミュから離せはしないが、その瞳は波打つように揺れ動いていた。

 

「であれば、俺達があの町を離れた後、あの町は地獄絵図になるだろう。男達は殺され、女達は犯される。報復である以上、あの町が存続する必要はない。金目の物は奪われ、人は絶えるだろう」

 

 カミュが話す事は、正直『極論』である。

 しかし、サラにはカミュの言葉を否定出来なかった。

 可能性はゼロではないのだ。

 いや、むしろそうなる事は必然であろう。

 

「俺は、アンタに言った筈だ。『覚悟を決めろ』と。町長の孫娘とその恋人を救うだけならば、この盗賊達を生かす事は出来る。だが……以前もアンタに問いかけたが、その後にこの盗賊達が犯す罪の責任をアンタはどう取るつもりだ?」

 

「……そ、そんな……」

 

 サラは救いを求めるようにリーシャに視線を送った時、この問題で孤立しているのは自分だけなのだという事を知る事になる。リーシャの瞳は、サラを心配している色を湛えつつも、厳しく強い光を宿していたのだ。

 そしてサラは思い出す。

 バハラタでリーシャが告げた、あの一言を……

 

 『今回に限っては、私はサラの行動に異議を唱える事もしないが、同時にカミュの行動や言動を止める気もない』

 

 それは、今、サラの目の前で起こっている出来事を予想しての物だったのだろう。

 リーシャも知っていたのだ。

 あの町を救う為には、『人』を殺めなければならないという事を。

 

「アンタに『人』を殺せとは言わない。これは俺の役目だ。だが、アンタはこの事実から目を背ける事は許されない。何故なら、アンタは、その先にある町の住民の平穏を望んでここにいるからだ」

 

「……し、しかし……」

 

 カミュの言葉はとても厳しい。その内容にリーシャの表情が更に歪んだ。

 カミュと対峙し、自身の中にある根本的な部分を揺り動かされているであろうサラを気遣って。

 

「アンタがどれほど否定しようと、それが事実だ。アンタが『人』を救う為に、魔物を根絶やしにしようと願うのと同じ様に、町一つを救うという事は、その脅威を根絶やしにする必要がある。その脅威が『魔物』だろうと『人』だろうと、行う事は同じだ。いや、思考がある分、『人』の方が厄介だろうな」

 

 サラは、もう何も口に出来ない。

 何を発すれば良いのかすら解らない。

 カミュの言い分は納得出来ない。

 しかし、否定も出来ないのだ。

 

「……カミュ……お客様だ……」

 

 そんな茫然自失なサラから視線を外したリーシャは、カミュの背後から現れた数人の盗賊を見て、カミュへと声をかける。その声は、哀しみに満ちていた。

 

 『サラは、もうここでは役に立たないだろう』

 

 リーシャはそう考えていた。

 いや、もしかすると、『もうこの旅を続ける事すら無理かもしれない』とさえ思っていたのかもしれない。それ程に、サラの衝撃が伝わって来たのだ。

 故に、呆然自失のサラを庇うように、リーシャはサラの目の前に立った。

 

「なんだ、てめぇら!?」

 

「おい! なんだこれは!? てめぇがやったのか!?」

 

 数人の盗賊達が姿を現し、その先頭にいた二人が目の前に広がる惨状を目にして、怒りを露にした。

 首がない死体が二つ倒れ、離れた場所に二つの首が転がっている。他の三体は、それぞれ斬り口は違うが、総じて呼吸を止め、『生』という鎖から解き放たれていた。

 五体の死体とその物言わぬ肉塊から溢れ出た血の海に立つ青年を見て、奇声を発し、数人の男達は武器を抜く。それは、怒りからなのか、それとも『恐怖』からのものだったのか。

 その疑問に対し、もはやこの数人の男達ですら考える時間はなかった。

 

「ベギラマ」

 

 右手を突き出したカミュが発した一言が、数人の男達の人生の幕を下ろす。

 カミュの右手から迸った熱風は、カミュへと一直線に向かってくる男達の前に着弾し、その場所を炎の海と化した。

 炎の大海原に成す術もなく飲み込まれて行く盗賊達。

 周囲に木霊する、『人間』が発するとは思えない悲鳴。

 それと共に周囲を満たす、肉を焼く異臭。

 その全てが、サラの脳を麻痺させて行く。

 もう既に、カミュが殺した『人』の数は十人に及んでいる。

 『人の世界』を救う『勇者』が起こす惨劇。サラの頭の許容範囲では理解する事が適わない程の出来事。

 サラは目の前が真っ暗な闇に覆われていくような感覚に陥る。

 

「て、てめぇら……誰に牙を剥いたのか解ってやがるのか!?」

 

「……お前達が誰であろうと、興味はない……」

 

 もはや、半分以上腰が引けた状態で、一人の男がカミュへと言葉を投げかけるが、それに対する返答は、冷たく、男達に避ける事が出来ない『死』への道を指し示す物だった。

 

「くそっ! 俺達がカンダタ一味と知って……」

 

「もう良い。俺様が相手をしてやる」

 

 『死』への恐怖に、再び叫び出す一人の盗賊の言葉を遮る者が一人、後方から大きな斧を持って現れた。

 その者が持つ斧は、カンダタが持っていたハルバードの様な物ではなく、どちらかといえば、リーシャが持っている<鉄の斧>に近い物だった。

 

「へっ……てめぇらも運がなかったな。兄貴が相手じゃ、死んだも同然だ」

 

「兄貴! こいつらの仇を討ってくれ!」

 

 斧を持った筋肉質の巨漢が前に出るのと反比例に、先程まで叫んでいた盗賊達は後ろに下がって行く。

 彼らは知っているのだ。

 この巨漢の男の戦いの傍に居れば、巻き込まれて命を失う事を。

 

<殺人鬼>

カンダタ一味には、様々な人間が集まって来る。食うに困って、集った者。用心棒崩れが、己の欲望を満たす為に身を寄せた者。そして、その中でも、純粋に『人を殺す』という事に愉悦を見出す者が稀に存在した。幼い頃から他者よりも力が強く、他者を虐げて育った者は、当然集団での生活は出来なくなって行く。そして、そんな中で自分を示す方法を知らぬ者達が行き着く場所は『殺人』。自分の力を誇示している内に人を殺し、人を殺した自分に対する他者の怯えの瞳に愉悦を感じた者の成れの果て。それが<殺人鬼>である。

 

「小僧! 構えな。ここまで派手にやらかしたんだ。当然、覚悟は出来ているんだろう? 俺様を退屈させるなよ」

 

「……覚悟? アンタのような木偶の坊を相手にするのに、『覚悟』など必要なのか?」

 

 斧を肩に乗せて挑発する<殺人鬼>に対し、返って来たのは明らかな『挑発』。そんなカミュらしくない言葉に、リーシャですら驚いた。

 <殺人鬼>は、カミュの挑発に対し、口元に厭らしい笑みを浮かべて、肩から斧を下ろす。覆面によって覆われている為、表情こそ見えないが、リーシャやサラが見れば、生理的な嫌悪を示す程の笑みだろう。

 

「そこまで啖呵を切ったんだ。殺されても文句はないんだろうな!!」

 

 言葉を言い終わると同時に、<殺人鬼>はその斧を大きく振り回すように、横殴りの一撃をカミュへと向ける。しかし、予想以上の速度を持ったその一撃は、カミュではない者が持つ<鉄の盾>によって防がれた。

 鉄と鉄とがぶつかり合う乾いた音が洞窟内に響き渡り、今までの張りつめていた緊迫の糸を断ち切って行く。

 

「……思っていた程の威力はないのだな……」

 

 左手に装備した<鉄の盾>で横殴りの斧を受け止めたのはリーシャ。巨漢の男の一撃を受け止めたにも拘らず、その身体は吹き飛ばされる事もなく、微動だにしない。

 『人』を超越し始めているのは、何もカミュ一人ではないのだ。

 

「なんだぁ? 今度は女か? 良いぜ……たっぷりと痛めつけた後に、楽しませてもらうさ」

 

「……おい……」

 

 自分の一撃を受け止めたのが、斧と盾を構えてはいるが、歳若い女である事を確認した<殺人鬼>は口元を醜く歪まし、涎すら垂らしそうな笑みを浮かべた。

 <殺人鬼>に対して、嫌悪感を露にするリーシャにカミュは声をかけるが、リーシャから返って来た言葉に驚かされる事となる。

 

「……カミュは下がっていろ……こいつのような者の相手は、本来、騎士である私の仕事だ。お前はそこで見ていろ」

 

「……アンタ……」

 

 カミュの方に視線を向けることなく<殺人鬼>を睨むリーシャの<鉄の斧>を持つ右手は小刻みに震えている。

 リーシャの言う通り、町を脅かすならず者の討伐は、本来国家に仕える騎士達の仕事の一つである。如何に自治都市であり、どこの国にも属さない町とはいえ、民の平穏な生活を護る事は騎士の誇り高き仕事の一つ。

 

 だが、リーシャは人を殺めた事はない。

 それでも彼女は、『覚悟』を決めたのだ。

 『この者を殺す』と。

 しかし、心と身体は一つではない。

 決意をしても、その行為を行う事に躊躇いはあるのだ。

 それでも、リーシャは前に出た。

 常に汚れ役を買って出る、哀しい青年の代わりに……

 

「へっへっへ。なんだ? 女、てめぇ、震えてるじゃねぇか? 怖がる事はねぇ。少し痛いかも知れねぇが、すぐに楽しくなるさ」

 

 下衆な笑いを零す<殺人鬼>の後ろから、これまた下衆な笑い声を上げる盗賊達の姿にも、リーシャは激昂する事はなかった。

 静かに、ゆっくりと気持ちを落ち着けて行く。

 

「……最後の言葉は言い終わったのか?」

 

 そして、再び瞳を開けたリーシャの瞳は、確かな輝きを宿していた。

 手の震えも、いつの間にか治まっている。

 リーシャが、只の『戦士』から、誇り高き『騎士』へと変化した証拠であった。

 

「ちっ! 気に食わねぇ。女は言いなりになってりゃ良いんだ!!」

 

 リーシャの態度に腹を立てたのか、<殺人鬼>は手に持つ斧を再び振り回す。大きく振るった斧が、唸りを上げてリーシャへと振り下ろされた。

 しかし、その斧は、リーシャには届かない。動きをしっかりと見ていたリーシャは、頭上に<鉄の盾>を掲げ、<殺人鬼>の一撃を防いだのだ。

 先程、リーシャの発した言葉が虚勢ではない証拠に、振り下ろされた斧を受けても、リーシャの身体は揺らぎもしなかった。

 

「やぁ!!」

 

 頭上に掲げた盾を払うように横へずらすと、その予想外の力強さに、<殺人鬼>の身体は斧と一緒に横へと流れる。それを見逃さずに、リーシャは<鉄の斧>を振り下ろした。

 浅く抉られた<殺人鬼>の肩口から鮮血が噴き出す。思ったより手応えがない事に、瞬間顔を顰めたリーシャではあったが、再び表情を引き締め、斧と盾を構え直した。

 

「くそっ! てめぇ! もう許さねぇ! 殺してやる!」

 

「!!」

 

 弱者だと見下していた女に傷つけられた事に激昂した<殺人鬼>が、斧を両手に持ち替え、矢継ぎ早にリーシャへと攻撃を繰り出す。リーシャは、その全ての攻撃を<鉄の盾>と<鉄の斧>で捌いて行った。

 盾で防御し、斧で弾く。それは、カミュにはない、対人の訓練をして来たリーシャならではの戦法。

 

 幼い頃から、人との訓練は欠かした事はない。それは決して『人』を葬る為の訓練ではなかった。

 『人』を護るための鍛錬が、今、護るべき『人』を殺す事に使われている。それをリーシャは苦々しく思っていた。

 しかし、リーシャの中でそれとは異なる想いもあり、それが今、リーシャを奮い立たせている。

 その想いこそが、リーシャが変化した原因なのかもしれない。

 

「死ねぇぇぇ!!」

 

 怒りに駆られた大きな叫び声をあげながら、振り抜かれた<殺人鬼>の斧は、リーシャの盾が滑り込む前に、リーシャの首目掛けて襲い掛かった。

 その光景にメルエは目を瞑ってしまう。

 大好きな姉が殺されてしまう。それは、メルエにとって絶望に近い物だった。

 

 しかし、首を刈られるような、肉を切り裂く音ではなく、洞窟内に響いたのは乾いた金属音だった。

 予想外の音に、再び目を開けたメルエが見た物は、首を曲げ、<殺人鬼>の斧を頭に被った<鉄兜>で防いでいたリーシャの姿だった。

 

「なっ、なんだと!?」

 

 渾身の一振りを頭で受け止められ、首の骨を折る事もなく、左右に首を曲げて構え直すリーシャを見て、ようやく<殺人鬼>は自分の中に芽生えつつある感情に気が付いた。

 それは、幼い頃から一度たりとも感じた事がない者。

 

 『恐怖』

 

 自分の力量では、到底及びも付かない者へ抱く感情。そして、それに駆られれば、自身の身体がまるで違う者に操られてしまったのではと感じる程に言う事を聞かなくなるもの。

 それを<殺人鬼>は生まれて初めて感じていた。

 

「うぉぉぉぉぉ!!」

 

 恐怖に駆られた<殺人鬼>は先程とは毛色の違う叫び声を上げて、リーシャへと斧を振り下ろす。しかし、リーシャという『戦士』に飲まれてしまった<殺人鬼>に、もはや勝ち目などあろう筈がない。

 凄まじい金属音を上げて<鉄の盾>で弾かれた<殺人鬼>の斧は、その右手と共に大きく横に振られ、自身の身体をがら空きにさせてしまう。その隙を見逃すリーシャではなかった。

 

「やぁ!」

 

 遠心力を利用するように、振り下ろされたリーシャの斧は、<殺人鬼>の左肩口から胸を通り、右足太腿までを大きく斬り裂いた。

 斧を振り抜いたリーシャの動きから一拍遅れるように、<殺人鬼>の肩口から胸に掛けて傷口が開く。それと同時に血飛沫が天井に向かって噴き出した。

 誰が見ても致命傷。

 もはやこの<殺人鬼>の命は残り数秒という程の物。

 それは、リーシャもまた、『忌むべき者』となった証。

 その青年が動くまでは……

 

「ふん!」

 

「なっ!?」

 

 突如自分の前に現れた影に、リーシャは驚きを表す。今まで、二人の戦いを静観していた青年が、抜き身の剣を構えたまま、自分と<殺人鬼>の間に入ったかと思うと、血飛沫を上げる<殺人鬼>の首を一閃したのだ。

 一瞬宙に浮いた<殺人鬼>の首は、リーシャの斧を受けた時の驚きの表情のまま、地へと落ちて行った。そして、先程以上の血液を首から天井へと噴出させる。

 その血液は、完全に<殺人鬼>の命を奪った証。それをリーシャは呆然と見つめていた。

 

「カ、カミュ! な、何をする!?」

 

 我に返ったリーシャが、カミュへと詰め寄った。

 それは、己の獲物を取られたというような馬鹿げた理由ではない。

 己の覚悟を汚されたという気高い怒り。

 しかし、振り向いたカミュの表情に、リーシャは二の句を繋げる事が出来なかった。

 

「……アンタが被る必要はない。これは、俺の役目だ……」

 

「……カミュ……お前は……」

 

 哀しく、そして儚く脆い表情。そして、カミュの口から出た言葉に、リーシャの胸は締め付けられる程、居た堪れない想いを抱いた。

 カミュは決してリーシャの『決意』と『覚悟』を愚弄した訳ではない。その気高い想いを理解して尚、その役目をリーシャが担う事を許さなかった。

 

「あ、兄貴が……ば、化け物!」

 

「ひぃぃぃ!」

 

 首から上を失くし、仰向けに倒れゆく<殺人鬼>の体躯を茫然と見ていた盗賊達は、一人の叫びを皮切りに、恐怖を張り付けた表情を浮かべ、我先にと逃げ出し始める。

 

「ふん!」

 

 しかし、力量に差があるものから逃げ出す事など出来ない。冷徹に、何の感情も見い出せないその青年は、逃げ出す盗賊達を背中から斬りつける。

 噴き出す血液。

 悲鳴と共に倒れ行くならず者。

 そこは、まさに地獄絵図であった。

 周囲に血の臭いが充満して行く中、一人のならず者を除き、全ての盗賊達が息絶えた。

 首と胴を分断された者。

 胸から盛大に血液を流す者。

 肩口から斬り裂かれ、身体がほぼ半分になっている者。

 その形態は様々であるが、皆総じて『死』という概念を受け入れた肉塊となった。

 

「……」

 

「ひぃぃぃ! た、たすけてくれ!」

 

 マントに返り血を付着させ、人間の血液と脂で妖しく光る剣を突き付けるカミュに、残った盗賊が許しを乞う。しかし、それを見下ろすカミュの瞳は、とても冷たく、何の感情も見出す事が出来ないものだった。

 

「……カミュ……」

 

 リーシャは、悔しそうに顔を歪める。

 カミュの胸に宿る哀しい考えは理解しているつもりだった。しかし、それは甘かったのだ。

 彼が自分の存在をどう感じているのか。それをリーシャは測り間違っていた。

 

「…………カミュ…………だめ…………」

 

 誰しもが茫然とカミュを見つめる中、一人の少女が行動に移る。リーシャが前に出てから、目の前で起こる惨劇の一部始終を瞬きせずに見続けたメルエが、カミュの腰に後ろからしがみ付いたのだ。

 

「……メルエ……」

 

 振り返るカミュの瞳は冷たく、一度たりともメルエに向けた事のないもの。それに対し、一瞬メルエの身体が硬直する。

 それでもメルエは、口を開いた。

 

「…………メルエ………やる…………」

 

「……」

 

 何かを決意したように、手に持つ<魔道士の杖>を掲げるメルエを見るカミュの目が変化を起こす。その目から冷たく突き放すような光が消えて行ったのだ。

 先程まで、カミュの本質を見るメルエの瞳にも恐怖を植え付けた瞳はない。一度瞳を閉じたカミュは、メルエの目をしっかり見つめ、口を開く。

 

「……大丈夫だ……メルエは、このような事をする必要はない……」

 

 盗賊に剣を突き付けながらカミュが呟くように言葉を漏らす。

 喉元に剣を突き付けられている男は身動きが出来ない。

 メルエは、その男を一瞥した後、もう一度カミュに向かって口を開いた。

 

「…………カミュ……だけ………だめ…………」

 

「メルエ……」

 

 その言葉に、リーシャはメルエの胸にある想いを理解した。

 メルエは、未だにリーシャが話した内容を信じている。

 『人殺し』は『忌み嫌われる者』。

 それをメルエは信じているのだ。

 故に、『人』を殺したカミュは、他人から忌み嫌われる事になる。それはメルエにとって、我慢出来ないものなのだろう。

 自分の大好きな人間が、他者から忌み嫌われ、遠ざけられる。それでも、自分だけはこの青年が大好きである事を伝えたい。自分を救い、自分に『楽しさ』と『喜び』と『幸せ』を教えてくれた、この不器用で優しい青年に。

 それが、メルエの言葉に表れていたのだ。

 

「……俺は、元々そういう存在だ……」

 

「…………むぅ…………」

 

「カミュ!」

 

 それでも、メルエのその想いはカミュに届かなかった。

 カミュの口から出る哀しい言葉。その言葉に、メルエは『むっ』としたようにむくれ、リーシャがカミュの名を叫ぶ。

 会話は終了したとでも言うように、視線を盗賊に戻したカミュの姿に、メルエはリーシャの腰に抱き付き、顔を埋めてしまった。

 メルエの幼い思考で懸命に考え、決意した言葉は、無碍に斬り捨てられたのだ。

 

「…………うぅぅ…………」

 

「……メルエ……」

 

 リーシャの腰にしがみつき、嗚咽のような唸り声を上げるメルエの背をリーシャは優しく撫でた。

 メルエは、自分の想いを懸命にカミュへと伝えた。しかし、その想いは届かない。そうなれば、この自分の大好きな青年に、その想いをどのように伝えれば理解してもらえるのかが、今のメルエには解らないのだ。

 自分の大好きな青年が『忌み嫌われる者』になる事は嫌。それが、既にどうしようもないものであれば、自分だけでも味方である事、そして、例え誰が嫌おうとも自分だけは大好きである事を伝えたい。

 だが、その方法がメルエにはもう思い付かないのだ。その悔しさに、メルエは唸っていた。

 

「……バハラタの町長の孫娘はどこにいる……」

 

「ひぃぃ!」

 

 一度振るったカミュの<鋼鉄の剣>から、こびり付いた血痕が男の顔に飛び散る。自分の顔に、先程まで生きていた同僚の血液が付着し、男は悲鳴を上げた。

 その悲鳴がしばらく放心状態になっていたサラを覚醒させた。

 

「はっ!? こ、これは……」

 

 自分の目の前に広がる惨状。

 目を覆っても、その立ち込める臭気に吐き気をもよおしそうな空気の中で、佇むカミュとへたり込んでいる盗賊。そして、その後ろでリーシャにしがみつくメルエとその背を撫でるリーシャ。

 その光景にサラは絶句した。

 

「……話さないのなら、それでも良い。お前の死が早まるだけだ……」

 

「ひぃぃ! は、はなす。話すからたすけてくれ!」

 

 喉の皮を切り裂き、血液が流れる温かさを感じた男は、両手を挙げてカミュへと命乞いを繰り返す。男の言葉に剣を引いたカミュは、続く言葉を待つように、冷たい瞳で男を見下ろしていた。

 

「お、女は、あそこにある牢に入れてある。ま、まだ何もしてねぇ。本当だ」

 

 男が指さす方向には、男達が出て来るために開け放たれたままになっている扉があった。その部屋の中に牢があり、その中に閉じ込めているのだと言うのだ。

 男の焦りぶりから、その言葉が嘘偽りのない物である事が窺える。この状況で尚、カミュ達を陥れる算段を思い付く者達ならば、このような場所で徒党を組んではいないだろう。

 

「……案内しろ……」

 

「わ、わかった。こ、殺さないでくれ……」

 

 カミュの剣が引かれた事により、立ち上がった男は、震える足を懸命に前へと出しながら、部屋に向かって歩き出した。その後をカミュが続き、腰にしがみついたままのメルエを抱きかかえるようにリーシャも歩き出す。

 残されたのは、サラ一人。血溜まりに十人以上の死体が転がる中、サラは一人の青年の背中を眺める事しか出来なかった。

 

「……開けろ……」

 

「は、はい!」

 

 後ろに剣先の感触を感じながら、男は辿り着いた牢の端にあるレバーに手をかけた。レバーを下ろすと、轟音と共に鉄格子が上がって行く。

 中には、一人の女性。これが、バハラタ町長の孫娘なのであろう。自分の目の前の鉄格子が上がって行くのを不思議なものでも見るように茫然と眺めている。その姿は年相応で、十七、十八の歳の人間を最近カミュとサラしか見ていないリーシャにとって、とても幼く見えるものだった。

 

「あ、案内したんだ。た、たすけてくれ!」

 

「……」

 

 鉄格子を開け終えた男は、カミュへの命乞いを再開する。そんな男を冷たく見下ろしながらも、カミュは視線をリーシャへと動かした。

 カミュのその視線が意味する事を理解したリーシャは、メルエを連れたまま牢の中に入って行く。

 

「あ、貴女達は?」

 

「貴女の祖父から依頼を受けた。立てるか?……外では恋人も待っている」

 

 鉄格子を見ていたような不安気な瞳をリーシャに向けたタニアは、リーシャの口からグプタの存在を聞き、表情を驚きのものへと変化させる。

 祖父である町長が自分を救う為に、個人的に傭兵などを雇う可能性は考えていた。実際に救いに来た傭兵が、年若い男と年若い女性、そして年端も行かぬ少女である事に驚きはしたが、それ以上に『商人』であるグプタもまたこの洞窟に来ている事に驚いたのだ。

 

「グプタも……グプタが来ているのですか!?」

 

「ああ。多少怪我はしているが、命に別状はない筈だ」

 

 タニアの問いかけに対するリーシャの返答に、タニアは安堵の溜息を吐いた。溜息を吐き終えたタニアは、再び顔を上げ、周囲に視線を巡らす。そして、明らかな落胆の表情を浮かべた。

 

「グプタなら、外で気を失っている」

 

「ああ……グプタ……」

 

 リーシャの言葉を聞いたタニアは、そのまま立ち上がり、牢屋の外へ駆け出して行く。救いに来てくれたリーシャ達に感謝の意を表す事もなく、現状を推し量る事もなく、唯々愛しい人間に会いたいという想いを吐き出すように。

 リーシャの脇を抜け、外へと飛び出して行くタニアを見て、リーシャは複雑な表情を浮かべた。外に出た彼女がどのように反応し、自分達をどのように見るのか。

 リーシャにはそれがある程度予想出来ていたのだ。

 

「……今度はカンダタの場所に案内してもらおう……」

 

「そ、そんな事が出来る訳……!!」

 

 タニアが去った方向を見る事もなく、カミュはへたり込む男に次の指示を出した。その指示に拒絶を表そうとする男は、再び突き付けられた<鋼鉄の剣>の剣先に言葉を飲み込む。それ程に、今のカミュ醸し出す雰囲気は凄まじかった。

 『人』一人の抵抗する心をも飲み込んでしまう程の威圧感。それは、傍で見ていたリーシャさえも身震いする程の物だったのだ。

 男を先頭に、外へと出たリーシャは、意識を取り戻したグプタとその身体を支えているタニアの表情を見て、自分が考えていた予想が外れていない事を知る。

 二人の顔に張り付いているものは『恐怖』。周囲に散らばる『人』であった者達の残骸とその残骸から流れ出た赤黒い血液の中で、お互いの身体を抱き合う二人は、分かりやすい程の感情をカミュへと向けていた。

 

「……リーシャさん……」

 

 それは、ここまで共に旅して来た『精霊ルビス』に仕える僧侶も同じだった。

 『疑惑』と『混乱』。そしてそれ以上の恐怖という感情を、リーシャの横に立つ青年に向けていたのだ。

 全身に傷をつけていたグプタに回復呪文を掛けたのだろう。グプタの身体から傷は消えている。

 

「私達は、これからカンダタの下へ向かう。サラは二人をバハラタまで送ってやってくれ」

 

「えっ!?」

 

 サラの言葉に視線を向けたリーシャの口から出たものは、サラの思考を迷走させる。

 自分を二人の護衛とする事。それは、カミュ達三人でカンダタという、盗賊の頭目の場所へと向かう事を示している。

 即ち、自分が見限られた事を意味していると、サラの頭は理解した。

 

 『人を殺す』という罪を受け入れ、それを行う事を覚悟したリーシャ。

 他人から忌み嫌われる行為である事を信じているが、それでも自分の大好きな人間の為に自分もその罪を被る事を覚悟したメルエ。

 そんな中、サラは意識を飛ばしてしまうだけだった。その事で、カミュは見切りをつけたのかもしれない。

 『町一つを救う』という行為を軽く考え、それを『人の世界』を救う『勇者』に願った自分の覚悟の低さを見限って……

 

「……わ、わたしも……」

 

「いや。その二人だけでは、この洞窟からバハラタまでの道程は厳しいだろう?……町に無事送り届けてこそ、救った事になるんじゃないか?」

 

 言葉は柔らかい。しかし、リーシャの言葉は、サラには違うように聞こえた。

 『ここから先では、お前は役に立たないから、早々に帰れ』と。

 故に、サラは言葉を発する事が出来ない。カミュはもう、サラの方向を見ようともしない。メルエはリーシャの腰にしがみつき、サラの方に顔を向けない。そして、リーシャは『町へ帰れ』と言う。

 そんな自分の意識の中で、四面楚歌の状況を作ったサラを救い出したのは、意外な人間の言葉だった。

 

「い、いえ。わ、わたしたちは、自力で町まで帰ります」

 

「そ、そうです。ここまで来る事も出来たのです。タニアは私が命をかけて護ります」

 

 それは、カミュの方へ『恐怖』の視線を向けていた二人の男女。

 慌てたように立ち上がると、じりじりと後退するように、カミュ達から距離を空け、階段の方へ動いていた。

 常識的に考えれば、グプタのような戦う術のない者がこの場所まで来る事が出来た事が奇跡に近い。それなのにも拘わらず、更に戦う術のないタニアという女性が増え、それが成せる可能性は、往路よりも低くなる事は明白なのだ。

 

「……待て……」

 

「!!」

 

 グプタとタニアの行動を止める声は、彼らの恐怖の対象である青年から掛った。その声に身を固くした二人は、後退する足を止め、二人の下へ一歩一歩近づく足に息を飲む。

 恐怖によって二人の足は竦み、全身が小刻みに震え出していた。それでも、タニアを護るように前へと踏み出したグプタの覚悟は本物なのであろう。

 

「……どうしても行くと言うのなら、止めはしない。気休めにしかならないだろうが、身体にこれを振り掛けてから行け……」

 

 しかし、恐怖に身を強張らせる二人の前に差し出された手の上には、二つの瓶があった。

 それは、教会が販売している水であり、魔物をある程度寄せ付けないようにする<聖水>と呼ばれる品物であった。

 

「あ、あの……」

 

「……少なからず、魔物から身を隠す役には立つだろう……」

 

 恐怖の対象であった者から差し出された物をグプタは訝しげに見つめる。その視線を然して気にした様子もなく、むしろ当然の事のように受け止めたカミュは、再度声を掛けた後、グプタの手のひらに小瓶を置き、踵を返した。

 

「……行くぞ……」

 

「……ああ……」

 

「…………ん…………」

 

 カミュはリーシャの横を抜け、へたり込んでいる盗賊に剣を突き付けながら、声を出す。その声に、小さくリーシャが反応を返し、その足元でメルエも小さく頷いた。

 そして、三人は奥へと歩き出す。

 

「ま、待ってください! わ、わたしも行きます!」

 

 三人の後姿を暫く見ていたサラは、意を決したように前を歩くカミュへと声をかける。しかし、そのサラの声にカミュは振り返りも、言葉を返しもしない。それでもサラは三人に追いついた。

 

「サラ。無理をする必要はないぞ」

 

「い、いえ。行きます」

 

 隣に駆けて来たサラに対して心配そうな表情を向けるリーシャに、サラは力無く頷く。しかし、リーシャはサラの瞳の中に確かな物を見た。

 それが何なのかは解らないが、サラの中で何かが変化している事だけは、リーシャにも理解出来たのだ。

 

 

 

 先頭を歩く男が大きな扉の前に立ち、その扉に付いている金具を三回叩くと、中から二度叩く音が聞こえて来た。今度は、金具を一度叩くと、大きな音を立てながら扉が開き出す。

 扉が開ききり、中の様子が徐々に見えて来た。

 とても洞窟の中にある空間とは思えない調度品が並んではいるが、その中に居たのは十人にも満たない男達と、見た事のある筋肉質の大男だけだった。

 

「な、なんだてめぇら!?」

 

 扉を開けた男が、カミュたちの姿を見て、驚愕の声を発する。

 この扉は大きく厚い。

 故に、外での騒動が一切聞こえなかったのであろう。

 

「……カンダタに用がある……」

 

 ここまでの道を先導していた男を突き飛ばし、姿を露にしたカミュが、突き飛ばされて態勢を崩した男を斬り捨てる。

 衝撃的なカミュ達の登場に、後ろで笑い声を上げていた男達の視線が集まり、種類の違う喧騒が空間を支配し始めた。

 血飛沫を上げて倒れ込む男に、中に居た男達の瞳は鋭く尖り、カミュの後ろに控えているリーシャの表情は歪む。だが、そこに驚きはない。唯一人、最後尾から見ていたサラの瞳だけは、驚愕に開かれていた。

 

 そして、満を持したように、一人の大男が立ち上がる。

 

 再び対峙する、アリアハンの『勇者』とロマリアの『義賊』。

 この戦いが、一行に新たな変化を巻き起こす事となる。

 

 

 

 

 




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