新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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アジトの洞窟(バハラタ東の洞窟)③

 

 

 

「おりゃぁぁぁ!」

 

 カンダタの振るうハルバードが、カミュの髪先を掠め、数本の髪の毛が宙を舞う。それでも、自分の渾身の一撃をかわされたカンダタは、驚きと共に盛大な舌打ちを鳴らした。

 リーシャの技量が上がっていると同様に、今カンダタと対峙しているカミュの技量もまた上がっているのだ。

 

「ふん!」

  

 力を込めた一撃をかわされ、身体が泳いだところをカミュの<鋼鉄の剣>が振り下ろされる。しかし、その剣は、ハルバードの柄によって防がれた。

 正に一進一退の攻防。

 カンダタは、この短い期間で自分の場所まで駆け上がって来た青年の成長の早さに驚く。対するカミュは、それでもまだ、この大男を超えられていない事に苦虫を噛み潰していた。

 

「そりゃ!」

 

 一瞬の隙を突いたカンダタの一撃が、<鋼鉄の剣>を持つカミュの右腕を切り裂く。

 飛び散る鮮血。

 それほど深くはない傷だが、その衝撃にカミュは剣を落としそうになる。そんなカミュの危機に動く一つの影。

 

「…………メ………!!………うぅぅ…………」

 

「……メルエ、駄目だ……」

 

 カミュの危機に、後ろで控えていた幼き少女が杖を振り翳した。しかし、詠唱を紡ぐその口は、その横に立つ女性戦士によって塞がれる事となる。

 これは、『勇者』同士の戦い。

 例え盗賊であろうと、仲間の命を護る為に戦うカンダタに、リーシャにも思うところがあったのだろう。今、この戦いに、割り込んではいけないと。

 自分の口を塞ぐリーシャに対して、メルエは疑問と若干の怒りを含めた瞳を向けるが、リーシャは静かに首を振る。この戦いは、見ているだけしか出来ないのだと。

 

「……ホイミ……」

 

「ちっ! そう言えば、回復魔法も使えるんだったな」

 

 カンダタと距離を取ったカミュが、右腕に左手を重ね詠唱を行う姿を見て、カンダタは忌々しげに舌打ちをした。

 淡い緑色の光がカミュの傷を癒して行く。血液が止まり、傷が塞がって行った。

 

「一撃で仕留めなければ駄目か」

 

「……易々とはさせないさ……」

 

 先程の表情とは全く違う笑みを浮かべたカンダタは、再びハルバードを高々と掲げた。

 カンダタの笑みを受け、カミュもまた薄い笑みを返す。

 

 『今日のカミュは良くしゃべる』

 

 そんな場違いの感想をサラは考えていた。

 まるで別世界のもののような『人』と『人』の殺し合い。その中で、笑みを浮かべ合う二人。そんな心情がサラには全く理解出来なかった。

 命のやり取りをしている中で、相手を気遣う余裕などサラにはない。

 『魔物を殺す事』

 唯、それだけを考えて、槍を振い、呪文を唱えて来た。

 そして、サラは硬直する。

 『カミュは、魔物を殺す時に、今の自分と同じ思いを抱いていたのではないのか?』と。

 抵抗感と拒絶感。それでいて、その行為を行う事を否定は出来ないという事実。そして、その行為を行わなければいけない立場に思い悩んだのではないか。

 

「余り時間をかけられねぇ。お前を()った後に、後ろの連中も()らなければいけないんでな」

 

「……」

 

 サラが思考に没頭している間に発したカンダタの一言は、周りの空気を凍らせた。その一言を耳にしたカミュの表情が変わったのだ。

 いや、変わったのではなく、失われたと言った方が正しいかもしれない。表情を失ったカミュが纏う空気もまた様変わりして行く。

 

「……良いねぇ……ようやく本気になったか? 迷うな! お前はもう既に決めている筈だ! 相手は俺だ……必死に護ってみろ!」

 

 カンダタのハルバードが再び振り抜かれる。その速度は常人ではかわせぬもの。

 しかし、もはやカミュとて常人の域からはみ出した存在。左腕に装備した<鉄の盾>によってその攻撃を受け止める。

 凄まじい衝撃を受けながらも、カミュの冷たい瞳がカンダタを射抜いた。

 

「……ギラ……」

 

 剣だけの勝負と考えていたリーシャ達は、カミュが詠唱を行った事に驚いた。

 唯一人、カンダタを除いて。

 

「おりゃぁぁぁぁ!」

 

 <ギラ>の熱風を身体に受けながらも、カンダタはハルバードを振り回す。本来ならば、対象の前に着弾し、炎の海を広げる<ギラ>という魔法を、自ら振るう武器によって吹き飛ばしたのだ。

 

「!!」

 

 余りの出来事に、カミュだけではなく、リーシャ達でさえ言葉を失っていた。

 カンダタの腕や顔には火傷こそあるが、死に至るような傷はない。魔法を使う者にとって、それが如何に尋常ではなく、如何に恐るべき事なのか、それをメルエもサラも感じていたのだ。

 

「さぁ、再開だ」

 

「!!」

 

 自分の前にあった熱風が霧散した事を確認したカンダタが、カミュに向かって突進して来た。その体格に似合わない速度に、カミュは虚を突かれた形となる。

 『武器を振われる』と<鉄の盾>を構えたカミュを嘲笑うかのように、カンダタは武器を振るわず、その肩を勢いそのままにカミュの腹部へとめり込ませた。

 

「ぐふっ!」

 

 一瞬、呼吸が出来なくなるような感覚に陥ったカミュは、そのまま後方の壁へ激突する。息を吸い込む事の出来ないカミュの目の前は火花が散ったような輝きを放ち、視界が奪われた。

 

「じゃあな、勇者様」

 

 視界の戻らないカミュの頭上に振り下ろされるハルバード。

 カミュが激突する瞬間に素早く駆け寄り、カンダタがその武器を振り上げていたのだ。

 対人の殺し合いに関しては、カンダタの方が経験は上。実戦という括りであれば、リーシャよりも上なのだろう。

 

「…………ヒャド…………」

 

「なに!?」

 

 確実に仕留めたと確信したカンダタは、周囲への意識を完全に飛ばしていた。

 先程から自分とこの青年の戦いに割り込んで来ないとは言え、彼らは仲間。その事を忘れる事はなかったのだ。しかし、勝ちを確信した時に、その注意が逸れてしまった。

 カミュの危機に、身体が動いてしまったリーシャの腕が自分の体から離れた事で、メルエは杖を振るったのだ。

 メルエにとってみれば、リーシャの考える矜持や、カミュとカンダタの誇り等、全く関係がないし、意味もない。自分の大切な人間が危機に陥っている。その理由だけで、自分が魔法を使う事に何の躊躇いもないのだ。

 

「くそっ」

 

 カンダタが振り下ろしたハルバードの刃の部分は凍り付き、冷気の衝撃を受けた軌道は横へとずれる。カミュの脳天に向かって振り下ろされたハルバードは、カミュの顔の横の壁に食い込まれた。

 目の前の火花が収まったカミュは、カンダタの腹を力一杯蹴り飛ばし、距離を取る。腹部に受けた衝撃で、壁から抜けたハルバードと共に後方へと下がるカンダタは、呼吸を整え、もう一度武器を構えた。

 

「……メルエ、ありがとう……だが、もう大丈夫だ」

 

「…………ん…………」

 

 未だに杖を構えるメルエの傍に近付いたカミュは、彼女を背に庇うように立ち、声をかける。それは、勝負の邪魔をした事への叱責ではなく、感謝の意を表す言葉。そのカミュの瞳はメルエには見えないが、感謝の言葉と共に吐き出したカミュの言葉が、これ以上のメルエの介入を認めない事を示唆している事にメルエも気がついた。

 それに、メルエも小さく頷いたのだ。

 

「ふははははっ! 参った、参った」

 

「……」

 

 そんな二人を遠くから見ていたカンダタは、盛大な笑い声を発する。それを見つめるカミュの瞳が再び変化した。

 しかし、それは先程のような凍りつく色ではなく、何かに燃えるような瞳。

 それが表すのは『決意』。

 先程の『怒り』とは異なる感情。

 

「よし、よし。それがお前の本気の目なんだな。別に全員でかかって来ても良いんだぞ?」

 

「……俺一人で十分だ……」

 

 カミュ達を侮るような言葉とは裏腹に、しっかりと構えを取るカンダタに向かってカミュは飛び出す。ハルバードによる迎撃に備えるように<鉄の盾>を構えながら突き出した剣は、カンダタの予想を遙かに超える速度だった。

 

「くっ!」

 

 カミュの剣がカンダタの頬を掠める。ぱっくりと切れた頬から流れ出る血液の色が、カミュやリーシャやサラと同じような人間である事を示していた。

 カミュの剣を辛うじて避けたカンダタは、カミュに向かってハルバードの柄を突き出す。

 振り回す時間はないと考えたのだろう。柄がカミュの顔面に直撃する前に、鈍い光沢を持つ盾がカミュの顔を覆い隠した。

 

「やぁぁぁぁぁ!」

 

 横薙ぎに震われる<鋼鉄の剣>。

 それをハルバードの刃で受け止めたカンダタは、今日何度目になるか分からない驚きの表情を浮かべた。

 

 『コイツは、戦いの中で成長している』

 

 カンダタがそう感じるのも無理はない。先程までのカミュであれば、カンダタは傷を受ける気はしなかった。

 後ろにいる三人が協力し、四対一の戦いであれば、カンダタに勝ち目は露ほどもないだろう。しかし、『カミュ一人であれば何とかなる』と考えていたカンダタの思惑は、今まさに崩れ去ろうとしていた。

 

「……カミュ……」

 

 それは、リーシャも同様だった。

 彼女は、カミュとカンダタでは、まだ実力が違うと思っていた。

 <シャンパーニの塔>でカンダタと戦ってから、自分達は様々な強敵と戦って来た。そして、その間も鍛錬を欠かした事などない。

 <ノアニール>の周辺では様々な魔物と戦い、<アッサラーム>周辺では巨大ざるとの戦闘で生き残り、<イシス>では護り人達との命のやり取りを切り抜けた。

 そして、カミュだけを見れば、再び<アッサラーム>に戻った時に、今まで見た事のない魔物も一振りで斬り倒した。

 それでも、対人という括りでは、カミュはまだカンダタに届かないと考えていたのだ。だが、それは間違いだったのかもしれない。

 カミュの成長の速度は凄まじい。それこそ、焦りを感じる程に。それは、リーシャの考えを大きく超える物だった。

 

「いやぁぁぁ!」

 

「くっ! くそっ!」

 

 珍しく声を張り上げて振るうカミュの剣は、その『覚悟』と『決意』と『想い』を乗せ、カンダタへと振るわれる。その剣の重さは、カンダタが今まで受けて来た攻撃の比ではなかった。

 それは、カンダタの気持ちの問題かもしれない。しかし、現にカミュの剣を受けているカンダタは、その攻撃を捌き切れなくなっていたのだ。

 剣を弾いて、ハルバードを振り上げた時には、カミュの次の剣が迫って来る。要するに、カンダタには攻撃に転じる時間がないのだ。

 矢継ぎ早に迫って来るカミュの突きを何度目かに弾いた後、自分の視界はカミュの手に覆われた。

 『しまった!』とカンダタが思う間もなく、手を広げたカミュの詠唱が完成する。

 

「ラリホー」

 

「!!」

 

 それは、以前メルエを救う為にサラが唱えた『経典』に記載されている魔法。

 相手の脳神経に作用し、強烈な睡魔に襲われる呪文。効果は相手によるが、不意打ちのように唱えられた魔法がカンダタの神経を蝕んで行く。

 カンダタは、以前カミュが唱えたような<メラ>や先程唱えた<ギラ>のような攻撃呪文だと思っていた。その思い込みがカンダタの運命を変えて行く。

 

「ふん!」

 

「ぐはっ!」

 

 <ラリホー>の効力によって、意識が朦朧とし始めたカンダタの肩に、<鋼鉄の剣>が突き刺さった。

 元来の筋肉質な身体によって、刃を途中で止めてはいるが、剣が深々と刺さっている限り、軽傷ではない。

 

「……終わりだ……」

 

 強烈な眠気と、怪我による意識の混濁の中、カンダタは膝を着いた自分目掛けて振り下ろされる血と脂で光る剣を見た。

 その瞬間、誰もがカンダタの最後を予測していた。

 顔を歪めるリーシャも、カミュのような感情の見えない瞳で見つめるメルエも。そして、カンダタ本人も。

 

 

 

 ギシィィ!

 

 しかし、それは、カミュの振り下ろす剣を受け止めた音によって破られた。

 カンダタを庇うように掲げられ盾。

 それは、以前はカミュの左腕に装着されていた物であり、カンダタの故郷である国の国王から賜った物。

 そして、その盾の現在の所有者は一人。

 

「……何をしている?」

 

「そ、それは……」

 

 カミュが冷たく見下ろす人物。

 それは、『人』を殺すという光景に言葉を失い、自分が望んだ未来が、その行為なくては成し得ない物である事に自分を見失っていた『僧侶』。

 そして、今までカミュとカンダタの戦いを茫然と見つめていたサラだった。

 

「ぐっ……な、なんだぁ?」

 

「う、動かないで下さい。それ以上は、死に至ります」

 

 朦朧とする意識の中、目の前に見える青色が何か分からずに声を出し、動こうとするカンダタをサラが押さえつける。それは、この盗賊の命を心配してのもの。

 

「……どけ……」

 

「ど、どきません! も、もう勝敗は決しました!」

 

 血と脂で光る剣を突き付け、冷やかに口を開くカミュの姿に、サラは気丈にも言葉を返す。その声は震えきっており、カミュという人物へ抱いている『恐怖』を如実に表していた。

 

「……サラ……」

 

「……」

 

 サラの気配にリーシャが気付いた時は、既にサラが駆け出した後だった。だが、初めから、リーシャはサラの行動を止める気はなかった。

 それは、バハラタの町で口にしている。

 今回の自分の役目は『見守る事』だけだと。

 

 メルエはよく解らない。

 カミュが剣を抜き、敵対している人物であれば、それは『悪い者』。

 カミュは自分に敵対する者にしか牙を剥かない。それは『魔物』であろうと『人』であろうと変わりはないのだ。

 故に、そんなカミュの敵を救おうとするサラの行動が解らない。

 

「……アンタは、何をしているのか理解しているのか?」

 

「そ、それは……」

 

 冷たく見下ろすカミュが持つ剣は、カンダタではなく、サラに向けられている。それが、サラの行為を糾弾している事を示していた。

 勝敗は決した、もはやカンダタはカミュへと反撃する力は残っていない。もし、カンダタがサラを人質に取ったとしても、カミュは容赦なく剣を振るうだろう。

 それ程の威圧感を放つカミュの瞳にサラは震えた。

 

「……ぐっ……嬢ちゃん、コイツの言う通りだ。退いてくれ」

 

「ど、どきません! もう良いではないですか!? そこまでして死ぬ事に意味があるのですか!?」

 

「……アンタが望んだ事だ……」

 

 ようやく戻って来た意識は、痛みをはっきりとカンダタの頭に届けて行く。痛みを堪えながらサラを押し退けようとするカンダタを、サラは再び抑え込んだ。

 そして、そんなサラの叫ぶような問いかけに、カミュの冷たい回答が響く。

 『目を背けるな』と。

 

「し、しかし、この人は部下に言いました。『真っ当に生きて、罪を償え』と。それならば、バハラタの町が襲われる可能性もない筈です!」

 

「……嬢ちゃん……」

 

「……アンタは、何も考えていないのだな……」

 

 サラの言葉に、驚いたように見上げるカンダタとは別に、カミュの瞳は変化して行った。

 それは、先程までの凍るような冷たい瞳ではなく、憐れむような瞳。

 哀しみを湛え、それでいてこの先に続く何かを見据えているような瞳だった。

 

「な、なにがですか!? 考えています。考えて、考えて、それでもこの人が死ぬ意味が見出せないから、ここにいるのです!」

 

「……サラ……」

 

 そんなカミュの変化が熱くなったサラには見えない。

 確かにサラは、カミュが『人』を殺した瞬間を目撃したその時から、自分が望んだ物や自分が想像していた未来に伴う『覚悟』と『リスク』を考えて、考えて、考え抜いた。

 しかし、それは、カミュから見ればまだ表面上で考えただけの物だった。

 

「……アンタは、それを背負う事が出来るのか?」

 

「は?」

 

 辛そうに歪めたカミュの顔を見て、サラは拍子の抜けた声を上げる。事実、カミュの言っている事が理解出来ない。それは、リーシャも同じだった。

 ここから先でカミュが語る内容は、リーシャにも解らないものだったのだ。それが理解出来ているのは、この場ではカミュと、そして当事者であるカンダタだけ。

 

「……おい……」

 

「……ああ……」

 

 カミュの視線を受け、カンダタは一つ頷いた。

 それが何を意味するのか。

 それがサラには解らない。

 

「バハラタの町長の娘を攫ったのは、前と同じように部下の独断なのか?」

 

「いや。あれは俺の命令だ」

 

「!!」

 

 サラは、もしかしたらとは思っていた。

 もしかして、またこの頭目は知らなかったのではないかと。

 

「……『義賊』が聞いて呆れるな……」

 

「違いねぇ。だが、今のこの一味には、その道しか残されていないのも事実だ」

 

 剣を突き出すカミュと、肩から血を流し続けるカンダタとの会話の先がサラには読めない。それが全て自分に向かってくる刃先になるとは思いもよらなかった。

 しかし、無情にもカミュの冷たい視線の矛先がサラへと移動する。身も竦むような瞳に、サラは再び息を飲んだ。

 

「……アンタは、こんな奴等を救ってどうするつもりだ?」

 

「そ、それでも……それでも殺す必要は……」

 

 カミュの目がもう一度サラへと向かう。

 その瞳には冷たい光はなく、もはや哀しみしか映し出されていなかった。

 

「……バハラタだけではない。コイツ達が犯して来た罪によって親を奪われた者や子を奪われた者もいただろう。自分の大事な者を殺された者も凌辱された者もいるだろう。アンタは、そういう人間に対して、どう申し開きをするつもりだ?」

 

「……そ、それは……」

 

 カミュが再び口を開いたその言葉は、サラの胸に大きな杭となって突き刺さった。

 考えた事もない事柄。

 『人』の命を救ってまで、受ける仕打ちにサラの頭は混乱して行く。

 ふと視線を向けると、リーシャまでもが唖然とした表情になっており、それを予想していなかったのは自分だけではない事を知るが、その足元で眉尻を下げてこちらを見つめるメルエの瞳を見て、サラは凄まじい衝撃を受けた。

 彼女もまた、カンダタ一味によって『酷い死』という未来へ進まなければならなかった一人なのである。

 

「……この男の首を俺達が持っていかなければ、カンダタという盗賊を逃がした事はすぐに広まるだろう。その後に待っているものは、『憎しみ』という対象を失った人間の視線だけだ」

 

「え?」

 

 そこで、カミュは一つ目を瞑った。

 カンダタという強敵も既に戦う力は残っていない為に出来る行動。

 そして、一つ溜息を吐いた後に呟くように出したカミュの言葉は、サラを奈落の底へと落して行った。

 

「……アンタが俺に向けていたような『憎しみ』だ……」

 

「!!」

 

「カ、カミュ!」

 

 自分の復讐の的である『魔物』という存在に慈悲をかけるカミュに、サラが感情的になっていた事は確かである。

 アリアハンを出てから、<シャンパーニの塔>辺りまで、『魔物』という諸悪の根源を見逃がすカミュに対し、サラは『憎悪』に近い感情を持った事もある。

 

 『これが勇者のする事か?』

 『何故、自分を苦しめた魔物に慈悲を与えるのか?』

 

 その想いは、『憎しみ』となってカミュへと向けられていた。

 その事実は、自分の中だけで消化していると思っていたサラは、その事実にカミュが気付いていた事に驚き、言葉を失う。

 そして、カミュが語る事実。

 『憎しみ』の対象になり得る物は、何も魔物だけではない。その対象が『人』である者もいるのだ。ならば、サラがその人間に対して行った慈悲の行為は、『憎しみ』を持つ者にとって許し難い事。

 それこそ、『憎悪』の念を抱く程に……

 

 サラの頭の中は、もはや混沌状態に陥っており、思考を止めざるを得なくなる。

 その結果、サラの口から出たのは感情論。

 

「そ、それでも……救いたいのです!」

 

「……その結果、アンタだけではなく、後ろの戦士やメルエまでもがその視線を受ける事になってまでもか?」

 

「!!」

 

 サラの思考が再開する。自分を糾弾しているだけに考えていたカミュの言葉は、後ろにいる二人の身まで気遣うものであった事に驚きよりも衝撃を受けたのだ。

 自分だけならまだしも、リーシャやメルエまでもが『憎しみ』の対象となる。その事実に、サラの胸は搔き乱された。

 

「……アンタにそれ程の『覚悟』があるのか?」

 

「……あ……あ……」

 

「嬢ちゃん、ありがとうよ。もう良い」

 

 最後の言葉と共に向けられたカミュの瞳に再び冷たい光が宿る。

 『覚悟』がないのなら出て来るなと。

 下がって見ていろと。

 

「……もう一度言う……今ならコイツを殺すだけで、全てが終わる。『殺人』という責を負うのも俺一人で足りる」

 

 カミュがもう一度剣を振り上げた。

 その剣を見上げたサラの目に光は失われている。

 そんなサラを哀しそうに見つめるリーシャ。

 そして、全てを受け入れるように右腕でサラをどかし、目を瞑るカンダタ。

 時間がゆっくりと流れて行った。

 

 

 

「待ってください!!」

 

 そんな緩やかに進む時間を破る叫び。

 それは、カンダタに再び覆い被さるように身を呈した僧侶から発せられた。

 

「サラ!」

 

「…………スカラ…………」

 

 もはや突き下ろされたカミュの剣は止まらない。

 叫ぶリーシャ。

 急遽、杖を掲げ呪文を唱えるメルエ。

 しかし、間に合わない。

 

「ぐっ!」

 

「はっ!」

 

 誰もが間に合わないと思った時、サラと剣の間に大男が割って入った。

 カミュの剣は、カンダタの肩を突き刺し、貫通する。致命傷ではないが、カミュの抉られた左肩の傷で朦朧とする意識を奪うには十分な物だった。

 

「あ、あ……ベ、ベホイミ……」

 

「……おい……」

 

 自分を庇うように肩に傷を受け、気を失ったカンダタに、サラは慌てたように<べホイミ>を唱える。サラの二の腕までも覆うような緑色の光は、以前にカミュを瀕死の状態から救い出したようにカンダタの傷を塞いで行った。

 そんなサラの後姿に、静かに剣を引いたカミュが声をかける。その声にびくりと身体を震わせたサラは、カミュの方を振り返らずにカンダタの治療に専念した。

 

「……何度も言わせるな……どけ……」

 

「……カミュ……サラ……」

 

 再度厳しい言葉を投げるカミュに、堪らず駆け寄ろうとしたリーシャの足が止まった。

 震える手でカンダタの傷を癒していた『僧侶』の瞳から溢れ出す物を見てしまったのだ。

 それは何を意味しているのかは解らない。それでも、リーシャは『今は自分が入る場面ではない』という事を理解した。

 

「……わかっています……わかっています!!」

 

「…………サラ…………」

 

 絞り出すように吐き出すサラの声。

 その声に、リーシャの足下からメルエが顔を出した。

 

「『人』も『エルフ』も……そして……そして、『魔物』も生きているという事も……その命が、掛け替えのない一つの命だという事も」

 

「……」

 

「……サラ……」

 

 淡い緑色の光に包まれながら絞り出すサラの声は、既に涙が混じった物だった。

 塞がって行くカンダタの傷口に、落ちて行く水滴。

 その背中をカミュは無言で見つめる。

 カミュの瞳からは先程までの威圧感は消えていた。しかし、何も感じていないような冷たさだけは未だに残っている。

 

「……私の信じて来た事が、この旅では全く通用しないという事も……」

 

「……」

 

 涙と共に吐き出されるサラの想い。

 それは、ここまでの旅で悩み続けた先で辿り着いた答え。

 認めたくはなく、認める事を拒み続けた答え。

 自分の全てを否定し、自分の存在意義となる根底までも揺るがす答え。

 サラはそこに到達していたのだ。

 

「それでも……それでも! 私は『人』を救いたい! 例え、その結果、『人』から恨まれる事になろうと……『人』から蔑まれようと……私は救える命を救いたいのです。『人』の可能性を信じたいのです」

 

 吐き出したサラの『決意』。

 それはとても尊く、とても儚い。

 そして、それはとても独善的でもある物。

 

「……アンタの独断で、メルエが同じように見られてもか?」

 

「……それは……」

 

 叫ぶサラの決意に、カミュが止めを刺す。

 それが一番サラの心を傷つけている事。

 自分の我儘で、幼いメルエを『憎しみ』の対象としてしまう事に。

 

「…………メルエ………大丈夫…………」

 

「……メルエ……」

 

 そんなサラの迷いは、サラの下へ歩み寄ったメルエの一言で、霧を払ったように晴れ渡った。

 メルエの顔に浮かぶのは『笑顔』。

 サラが何を心配しているのかを正確に理解している訳ではないだろう。それでも、メルエにとって、カミュとリーシャと、そしてこの悩める姉であるサラがいれば、それ以外はどうであっても良いのだ。

 

「……リーシャさん……」

 

「私も大丈夫だ。サラが考え抜いて出した答えだ。私はそれに従おう」

 

 そんなメルエの後方に移動して来たリーシャへ視線を送ると、この姉のように慕う女性戦士は強く厳しい瞳を向け、力強く頷いてくれた。

 残るは、最後の一人。

 今、自分に笑顔を向ける幼い少女を護るために、自分を糾弾した青年。

 

「……カミュ様……」

 

「……元々、俺はそういう存在だ……」

 

 見上げた青年の瞳に、もはや冷たい光は宿っていなかった。

 その光は、憐れみでも哀しみでもなく、強く優しい光。

 

「……カミュ様は、私に『思考がある分、人の方が厄介だ』とおっしゃいました。ですが、私は思考がある分、人は強いのだとも思うのです」

 

「……」

 

 カミュの瞳を真っ直ぐ見つめるサラの瞳はもう揺らがない。

 その瞳に宿る強い光。

 それは、『人を導く』という生業を持つ『僧侶』の光。

 本来、迷い、悩み、惑う人々を救い、そして道を指し示す者の宿す光。

 その光に、カミュは自然と微笑んだ。

 

「思考があるから、道を踏み外す事もありますが、やり直す事も出来ます。私は、そんな『人』の心を信じたい」

 

 それは、サラの素直な気持ち。

 そして、サラ自身の変化が齎した言葉だろう。

 『復讐』という念に駆られて動いていた自分自身を見つめ直した結果。

 もう、彼女の瞳は『憎悪』に燃えた炎を宿してはいない。

 

「……アンタが『覚悟』を決めたのなら、それで良い……」

 

「は、はい!」

 

 涙を振り払ったサラの瞳は、本来の慈しみを湛えていた。

 カミュの微笑みを受け、サラも精一杯の笑顔を見せる。

 これから待つ厳しい道を全て受け入れる慈愛の微笑みを。

 このパーティーを包み込む可能性を示す程の温かな微笑みを。

 それは、心を冷やしていた人間にも届いて行った。

 

「……ありがとうよ……精一杯、真っ当に生きて行くように努力する……」

 

「目が覚めたのですか!?」

 

 サラの腕から施される暖かな慈愛の光を受け、カンダタは目を覚ました。

 後半の言葉しか、彼は聞いてはいない。だが、自分はこの足手纏いと侮っていた少女に救われた事を知った。

 

「この! 『努力する』ではない! お前は、真っ当に生きなければならないんだ!」

 

 今まで、優しい瞳をサラに向けていたリーシャの目が吊り上がる。本当の優しさを持ったサラの心を受けて尚、真っ当に生きる事をしない可能性を口にするカンダタに怒りを覚えたのだ。

 

「サラの……私の妹の『決意』を無駄にするな!」

 

「……リーシャさん……」

 

「ふっ」

 

 リーシャの激昂に、サラは涙を流し、カミュは軽い微笑を浮かべる。

 メルエも『むっ』としたように頬を膨らませ、カンダタを睨んでいた。

 

「わ、わかった。必ず、アンタ方に後悔をさせないように、精一杯生き抜いてみるさ。俺が罪を償うのは、かなり後になってしまうようだな」

 

「……アンタへの『憎しみ』は、この僧侶が全て背負うそうだ……」

 

「ふぇ!?」

 

 貫かれた肩の傷も癒え、しっかりと動く手のひらを見つめながら、カンダタは呟いた。物を盗み、人を傷つけ、人を殺めて来たこの手で何が出来るのかと。

 そんなカンダタの自嘲の笑みは、剣に付く血糊を拭き終え、剣を背中に収め終わったカミュが口を開く事によって、驚きへと変わった。

 突然の言葉に、サラは素っ頓狂な声を上げ、リーシャは軽い笑みを浮かべる。メルエは、自分の肩から掛る水筒から出した水で濡らした布をカミュへと渡し、顔に付いた血痕を拭き取るように促していた。

 

「ふっ……ふははははっ! ありがとうよ。このカンダタ。死ぬ気で生き抜いて見せるさ」

 

「何だそれは。随分矛盾した話だな」

 

「……アンタがそれを言うのか?」

 

 今までこの男が犯した罪の全てが許される訳ではない。それでも、カンダタは救われた気がした。

 この『人間』達が救う世界ならば、きっと弱い者も救われる世の中なのかもしれない。現に彼らは、国家が殲滅できなかった、弱い者の脅威である『カンダタ一味』をたった四人で壊滅させたのだ。

 

 『生きて罪を償おう』

 

 カミュの呆れたような溜息を受けて、怒りを露にするリーシャを見ながら、カンダタの胸に新たな希望が宿る。

 『この者達の為にも、恥じぬ一生を終えよう』と。

 どれ程の困難にぶつかろうと、どれ程の苦難が待っていようと、今この時から、カンダタに『立ち止まる』という選択肢は残されてはいない。

 

「……アンタ達が歩む道に幸あらん事を……」

 

「……」

 

 立ち上がったカンダタは、一度カミュ達に深々と頭を下げた。

 そんなカンダタの様子に誰一人口を開く事なく、同じような視線を向ける。

 顔を上げたカンダタは、カミュ達の瞳を見て、もう一度微笑んだ。

 

「……もう会う事はないかもしれねぇ。それでも、俺はアンタ方の無事を祈り、どこかで必死に生きて行く事を誓う」

 

「……」

 

「が、頑張ってください!」

 

 カンダタの誓いに何も返さないカミュの代わりに口を開いたサラの言葉は、どこかずれた物であり、くすくすと笑うリーシャを一睨みするサラの表情に、この部屋に入って来た時のような迷いはない。

 『じゃあな』という軽い別れの言葉を残し、カンダタは部屋を出て行った。

 

 彼のこの先の人生は、決して平坦な道ではない。

 むしろ、今まで歩んできた道よりも険しく、過酷な道なのかもしれない。

 それでも、もう道を踏み外す事はないだろう。

 サラはそう信じて疑わなかった。

 

 

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございます。

これにてカンダタ編終了です。
第五章はあと一話あります。

ご意見、ご感想をありがとうございます。

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