バハラタ東の森
誰からも感謝される事はなく、誰に見送られる事もなく、カミュ達はバハラタを後にした。
町の門を潜る時に、リーシャの制止も聞かずに振り返ったサラが見た物は、遠巻きに見つめる数多くの嫌悪の瞳。それは、町を救ってくれた者達への物ではなく、罪人に向けるような暗く、哀しい物だった。
「さあ、サラの夢見た<ダーマ神殿>へ出発だ!」
俯きかけたサラの顔を強引に上げるようなリーシャの言葉。
それは、とても優しい反面、とても厳しい。
『目を背けるな』
『選んだ道を振り返るな』
サラにはそう聞こえた。そして、サラは顔を上げる。
『後悔はないか?』と問われれば、即答は出来ない。
『哀しいか?』と問われれば、迷いなく頷くだろう。
だが、『ならば、カンダタを殺せば良かったのか?』、『この町の現状を無視して、先に進めば良かったか?』と問われれば、間違いなく首を横に振る。だからこそ、サラは顔を上げ、前を歩く青年の背を見た。
自分がその在り方を疑っていた『勇者』と呼ばれる青年の背中を……
今回の件で、サラは初めて理解した。
何故リーシャが、カミュを『勇者だ』と言って笑ったのかを。
この青年こそが『勇者』なのだという事を。
カミュはおそらく否定するだろう。
『何も成してはいない』と。
だが、サラは見たのだ。
確かな『覚悟』とそれ以上の『哀しみ』を持って、『人』に剣を振るうカミュを。
「…………サラ…………」
「あっ、は、はい。行きましょう、メルエ」
ぼんやりとカミュの背を眺めるサラの足元から声がかかる。心配そうに眉を下げたメルエの表情を見て、サラは笑顔を作った。
それは、まだ心からの笑顔ではないかもしれない。この先で、サラが心から笑える事があるのかどうかも分からない。それでも、サラはメルエに微笑んだ。
「…………ん…………」
サラの微笑みを見て、メルエは花咲くように笑い、サラの手を取った。そして、サラに教えて貰った歌を口ずさむ。そんなメルエを見て、サラの顔が歪みそうになった。
町一つの住民の全てを敵に回したとしても、その行為を認め、そして自分に笑顔を向けてくれる仲間達の存在を実感して。
「サラ、顔を下げるな」
「は、はい!」
再び俯きそうになるサラの顔を、再びリーシャの声が持ち上げる。力強く返事を返すサラの瞳に光が宿った。
それは、脆く儚い光かもしれない。だが、その小さな光は、同じ様に小さな三つの光に護られ、その輝きを増して行くのだろう。
一行は、<アジトの洞窟>へ向かった時に渡った最初の橋を渡る。ここまでの道で、<ハンターフライ>や<アントベア>等の魔物と遭遇して来たが、もはやカミュ達を脅かす存在にはならなかった。
特に、<ヒートギズモ>に遭遇した際はその力量差が明確に現れていた。
奇声という詠唱を行った<ヒートギズモ>が、目の前に立つカミュやリーシャの後方で杖を掲げる幼い少女を確認し、詠唱を途中で止めて逃げ出したのだ。
杖を掲げるメルエの纏う膨大な魔法力に恐れをなし、自ら敵わないと理解したのだろう。
それ程に一行の成長は顕著であった。
もはや『人』という枠組みを逸脱し始めているカミュとリーシャ。
魔法力の制御の方法を知り、新たな魔法を習得して行くメルエ。
そして、一つ殻を破ったサラ。
この四人に、集団戦で敵う人間はいないのかもしれない。
「カミュ! 本当にこっちなのか?」
「……悪いが、方向に関してだけは、アンタに疑われたくはない」
「なんだと!」
橋を渡りきり、一行の目の前に森が出現した頃に、リーシャとカミュのいつものやり取りが始まった。
もはや慣れた物である為、メルエもサラの隣で楽しそうに笑顔を作りながら眺めている。サラもそんな優しい雰囲気に自然と微笑んだ。
「……あの男が言うには、この森を北へ進んだ先にある山脈の頂上付近に<ダーマ神殿>があるらしい……」
「そうなのか?」
溜息を一つ吐き、片手に地図を持ったままのカミュが、いきり立つリーシャに昨日会った男の話を伝えた。
実際は、リーシャもその場に居たのだから、説明する必要はない筈なのだが、それを彼女は覚えていなかったのだろう。
「……何度も言うが、俺はアンタと同じように旅をして来ている筈だ。『そうなのか?』と問われても、『そうらしい』としか答えられない」
「ぷっ!」
カミュの何とも間の抜けた答えに、サラは噴き出してしまった。何故なら、その通りだからだ。
何があろうと、カミュの指し示す方角に歩き続けて来た一行である為、進行方向をカミュへと尋ねるのだが、その相手も自分達と同じ様に初めての場所を歩いているのである。故に、リーシャの問いに対しても確かな答えは出来ないし、むしろカミュと同じ事を聞いていた筈のリーシャに対して答える事自体が奇妙な物なのだ。
「……サラ……何か面白い事でもあったのか?」
「い、いえ! 何も!」
噴き出したサラに対し、不穏な空気を醸し出すリーシャが振り向く。その顔は柔らかい物ではあるが、口調と瞳が笑ってはいなかった。
飛び上りそうな程の声を上げ、サラは大きく首を横に振り、その手を握っていたメルエは恐怖に引き攣った表情を浮かべながら固まってしまった。
「……メルエを怯えさすな」
「くっ! す、すまない……」
何とも間の抜けたやり取りである。
サラの手を握るメルエに軽く頭を下げたリーシャは、厳しい視線をサラに向けた。
「この森を北へ向かう」
先頭を歩くカミュの声に、それぞれが頷いた後に、一行は森の中へと入って行った。その際に、先程まで表情を強張らせていたメルエが、サラの下からリーシャの横へと移動し、その手を握り、リーシャに柔らかく微笑む。
それは、メルエの愛情表現の一つ。
自分が相手を『好きだ』という意思を表現する為に、メルエは相手に微笑む。自分がされて嬉しい事を相手にする事で、自分の気持ちを伝えようというのだろう。
そんなメルエの心を察したリーシャも、メルエに向かって暖かな微笑みを浮かべた。
森へ入った一行の進行速度は、急速に落ちて行く。例の如く、メルエが立ち止まってしまうのだ。
世界を知らない少女にとって、この世に生きる『人』以外の生物が全て珍しい。それは、何も動物とは限らない。森の木々の脇に咲く小さな花も、その花に集う色とりどりの虫達も、メルエにとって初めて見る物であり、心躍る物なのだ。
「……カミュ……」
「……仕方がないだろ……」
リーシャの手を離し、地面にしゃがみ込んで花々を見つめるメルエに、リーシャは眉尻を下げてカミュへと言葉を漏らすが、その言葉を聞いたカミュもまた、溜息を吐いた後、その場に佇むのだ。
もう一人、大きな溜息を吐く人間。
この先にあると云われている<ダーマ神殿>に胸を躍らせていたサラである。
一刻も早く<ダーマ>へ辿り着きたい。だが、今のメルエを咎める事は彼女にも出来ないのだ。
幼い頃から自由な時などなく、自分の意志で何かを見つめた事のない少女が、今目を輝かせて色々な物に目を向けている姿を咎める事など、サラには出来ない。故に、やりきれない想いを、溜息として吐き出すしかなかった。
「メルエ、そろそろ行くぞ」
「…………ん…………」
だが、いつまでも同じ場所に留まっている訳にはいかない為、リーシャは手を差し伸べる。その手を少し残念そうに握るメルエの表情を見て、サラは少し胸を痛めた。
メルエは花を摘んだり、虫を捕まえたりという事をしない。アンが作ったような花冠を作る時は別だが、基本的に眺めているだけである。
それは、その場所が彼らにとって生きる場所だという事を理解しているのかもしれない。
「!!」
メルエの手を握り、軽く頭を撫でた後、前へ進もうとしたリーシャが即座に身構える。前を歩いている筈のカミュが立ち止まっていたのだ。そして、ゆっくりと背中の剣に手を掛けた。
その仕草を見たサラもまた胸の前にある結び目を紐解いて<鉄の槍>を身構え、リーシャの手を離したメルエがその後ろに移動し、<魔道士の杖>を掲げる。
戦闘準備は整った。
「ギニャ――――!」
「ま、また飛ぶ猫か!?」
「……アンタは、登場する魔物にいちいち驚かなくては、気が済まないのか?」
一行の前に姿を現したのは、以前、アッサラームへの道中で遭遇したような翼のある猫。その姿に、再び驚きを表すリーシャに、カミュは溜息を吐き、サラはその場の雰囲気にそぐわないような笑顔を見せた。
<キャットバット>
その名の通り、蝙蝠のような翼を持つ猫である。以前にカミュ達が遭遇した<キャットフライ>の上位種と言われているが、その翼の特徴や体毛の違いから、その説は信憑性が低いともされている。深い青色をした体毛は、蝙蝠そのものであり、闇夜に紛れれば、その姿は人間に識別する事が困難となる。本来は洞窟内などに生息し、夜になってから森に食料を求めて飛び出す魔物である。
「やぁ!」
<キャットバット>の数は四体。
カミュの言葉を無視したように、リーシャが斧片手に飛び出す。リーシャが一閃した斧は、初めてみる攻撃的な人間に戸惑っていた<キャットバット>の胴体へと正確に吸い込まれ、その身体を空中で斬り分けた。
「くっ!」
しかし、相手も魔物。素早く意識を戻し、攻撃をしきったリーシャに向かい、その鋭い爪を振り翳す。
盾も間に合わない状態で、斧を持つ右手を上げたリーシャの前に、光沢のある鎧を身につけた背中が立ちはだかった。
何かが軋むような音を立てたのは、カミュが持つ<鉄の盾>。咄嗟にリーシャと<キャットバット>の間に滑り込んだカミュは、その盾で鋭く光る爪を防いだのだ。
「……一度下がる……」
「わかった!」
後ろを振り向く事なく呟くカミュに、大きく頷いたリーシャは、後方へと下がった。そこに待っているのは、魔法の使い手である二人の少女。
「メルエ、まだですよ。あの魔物は<マホトーン>を使うかもしれません」
「…………ん…………」
二人が戻った先では、頼りになる術者二人が魔法の使い所を協議していた。
初めて対する魔物の特性を知らない故に、リーシャのように無闇にに突っ込む事はしない。彼女達には、咄嗟の攻撃に備えるだけの体力はないのだ。
「私がとりあえず<マホトーン>を唱えてみます。その後で、メルエは<ベギラマ>を」
「…………ん…………」
サラの目を見て、しっかりと頷いたメルエは、杖を構え、その時を待つ。カミュ達が下がりきった事を確認したサラは、メルエの前に立ち詠唱を開始した。
その時だった。
「ニャニャニャ!」
「!!!」
<キャットバット>の一体が、翼をバタつかせながら、奇妙な動きを始めたのだ。
飛び方は、全くの出鱈目のようで、どこか法則に基づいているようなもの。
その動きに目を奪われたサラは、掲げていた腕を下ろしそうになる。何故か、自分の身体から精神力なり、気力なりが吸い出されているような感覚に陥ったのだ。
まるで宙に浮かんだかのような、浮遊感に襲われ、サラの身体から力が抜けて行く。
「うっ!」
「…………サラ…………」
突如膝をついたサラに、メルエが心配そうに駆け寄る。眩暈のような感覚を味わい、ふらつきながらも立ち上がるサラが、気丈な笑顔をメルエへと見せた。
「ふふ。大丈夫です。あの魔物は何か奇妙な技を使うようですが、どうやら<マホトーン>は使わないようですね。メルエ、遠慮なく<ベギラマ>を。ただ、森は燃やさないように気をつけて下さいね。メルエの大好きな花や動物達が困ってしまいますから」
「…………ん…………」
サラの笑顔に大きく頷いたメルエが杖を高々と掲げた。
そのメルエの姿を確認し、カミュとリーシャも風上へと移動する。
「あっ! メルエ、逃げる魔物には追い打ちは不要ですよ」
「…………ん…………」
メルエの背中にかけるサラの言葉を聞いて、カミュとリーシャは、勢いよく振り返ってしまう。
それは、無理もない事だろう。あのサラが、自分の言葉ではっきりと魔物を逃がしても良いと宣言したのだ。
「…………ベギラマ…………」
振り向いたカミュ達の横を、強烈な熱風が通り過ぎて行く。
それは、『人』としては、規格外に位置する程の熱量。
メルエが普通ではない証。
「ギニャ――――――!!」
メルエの杖から発した熱風が<キャットバット>の目の前に着弾し、その内二体を炎が包み込んだ。
大海原と化した炎の海は、周囲の木々を避けるように魔物だけを飲み込んで行く。その光景を茫然と見つめるリーシャとは別に、カミュの動きは速かった。
「ふん!」
「ギニャ――――――!!」
炎を避けた一体の<キャットバット>が、仲間を包み込む炎を作り出した幼い少女に向かって突進していたのだ。
それを視界の端に捕らえたカミュは、炎の海を横切り、メルエの前で<キャットバット>を斬り捨てた。
「……ふぅ……」
「…………カミュ…………」
自分の目の前で、息を吐き、剣を背中に収めるカミュを見て、メルエは杖を下ろした。そのままカミュのマントの中に潜り込み、マントの主を見上げて微笑む。
そんなメルエに、苦笑を浮かべながら、帽子を取った頭を優しく撫でるカミュを見て、サラはどこか感慨深い想いを抱いていた。
『魔物』と『人』であれば、どちらが価値のある存在なのかを悩んでいた『勇者』の中にも、確かな優先順位が存在するのだと。
メルエのという人物は、彼が何よりも優先して護るべき者なのだろう。その事実が嬉しく、そして複雑だった。
以前、カミュは、自分がメルエと対峙する事になれば敵に回る事を宣言した。それは、例えメルエが全世界において『悪』となろうとも、カミュはメルエを護るために全世界と敵対するという事と同じだろう。
極端な考えかもしれないが、サラは確信を持っていた。
もし、『魔王』がメルエだとしたら、カミュは『魔王』側に付くだろうと。
もし、そうなった時、果たして全世界を上げてこの二人を討伐できるのか……
サラは、そんな馬鹿げた想像に頭を悩ませる。
「サラ、どうした? また、可笑しな事を考えているのか?」
「えっ!? 可笑しな事?……わ、私は可笑しな事を考えた事などありませんよ!?」
リーシャの何もかもを見透かしたような笑みを見て、サラは慌てて首を振る事になる。
確かにリーシャにとって見れば、サラは時々とんでもない思い違いから、とんでもない想像に行き着く事がある。そんな理由から、大慌てで首を振るサラをリーシャはしばらく訝しげな瞳で見つめていた。
一行は森を抜ける事なく、日没を迎える。いつものように、サラとメルエが薪を拾い、リーシャとカミュが食料を調達して行った。
食事が終わり、一息ついた頃には、陽も完全に落ち、木々の隙間から大きな月が見えていた。
月明かりはいつものように優しく一行を照らし、中央で燃え盛る炎が暖かな空気を運んでいる。カミュが見張りをするという事になり、他の三人が眠りにつく頃、辺りは夜の闇と静けさに支配された。
夜の森にフクロウの鳴き声が響き始めて、どのくらいの時が経った頃だろう。
不意にカミュの傍にあるマントが動き始めた。
それは、パーティー内最年少の少女が眠る時に包まる物。
「……どうした?」
「…………」
むくりと起き出した少女は、カミュの問い掛けに答える事なく、カミュの下へと移動を始める。火の傍で胡坐をかくように座っていたカミュの足の間にすっぽりと納まるように座ったメルエは、眠そうに目を擦りながらも、目の前にある火を見つめていた。
何も口を開かないメルエを不審に思いながらも、カミュは炎に薪を入れながら、メルエの包まっていたマントでもう一度メルエを包み込む。
その時、不意に顔を上げたメルエの瞳を見て、カミュは驚いた。
「……どうした?」
「…………」
再度カミュは同じ言葉を繰り返すが、メルエからの返答はない。
ただ、その瞳に浮かぶ色は『怯え』。
いや、正確には『不安』なのかもしれない。
「…………カミュ………だけ………だめ…………」
「……」
そして、その想いを吐き出すように、遂にメルエの口は開かれた。
それは、あの<バハラタ東の洞窟>でメルエが口にした物と同じ言葉。
カミュが『人』を殺すという罪を一人で背負うように剣を振るうのを見て、メルエが口にした物だった。
「…………カミュ………すき…………」
「……ああ……」
自分の気持ちを吐き出すように、呟くメルエの言葉。
それは、妹が兄に対して口にするような愛情。
娘が父親に告げるような親愛。
「…………メルエ………リーシャ………すき…………」
「……ああ……」
「…………サラ………も…………」
自分をこの世界に生んでくれたのは、紛れもなくこの三人。
物心ついた頃から、閉鎖された世界を彷徨い続けた少女を、広く果てなき世界へ連れ出してくれたのは、カミュであり、リーシャであり、サラなのだ。
言葉という『人』の伝達手法を使う事がなかった少女が、その方法を使って何とか自分の想いを伝えたいと思う人間。それは、間違いなくこの三人だけ。
だからこそ、必死に言葉を紡ぐ。
この自分を救い出してくれた青年に想いを伝えようと……
「…………メルエ………カミュ………護る…………」
「……俺は大丈夫だ……」
それでも、伝わらない。
幼いメルエから見ても、この年若い『勇者』は大丈夫ではなかった。
サラの口にする『大丈夫』はメルエにとって絶対なのだが、この青年が自分について口にする『大丈夫』は、全く『大丈夫』ではないのだ。
それをメルエは心の奥底で感じ取っていたのかもしれない。
「…………メルエ………も…………」
カミュの胸の辺りで、大きく首を振った後、メルエは小さく声を零す。
それは、カミュの『決意』ともリーシャの『決意』とも、そしてサラの『決意』とも違う、メルエの『想い』。
それはとても儚く、そしてとても哀しく、そしてとても尊い。
幼い少女が胸に秘めた『想い』
それこそが、このパーティーを導く礎になる程の『強さ』
『一人ではない』
『一人にはさせない』
常に一人という過去を持ち、その恐怖を知らずに育った少女が、初めて知った自分の過去に対する恐怖。その恐怖を教えてくれ、そしてその恐怖から救い出してくれた者達だからこそ、その場所へは行かせたくはない。
「……メルエ……」
「…………うぅぅ………ぐずっ…………」
どうすれば、この『勇者』と呼ばれる青年に、自分の『想い』を伝える事が出来るのか。それがメルエには解らない。
必死に言葉を繋ぎ、語りかけるが、自分が期待している答えが返って来る事はなかった。
「……泣くな……」
「…………ぐずっ………うぅぅ…………」
自分の思い通りに行かない状況に、どうしたら良いのか解らなくなったメルエは、大粒の涙を零しながら、嗚咽を繰り返す。
そんな状況に、カミュは一つ溜息を吐き、メルエの頭に手を乗せながら、森の木々の隙間から顔を出す綺麗な月を見上げた。
「メルエには、もう何度も護ってもらっているさ」
「…………ぐずぅ…………」
メルエの髪を撫でながら、カミュは独り言を呟くように口を開いた。
何度もしゃくりあげながら、メルエは顔を上へと上げる。
涙で濡れた瞳に、月を見上げるカミュの顔が映った。
「メルエが居るから、俺はまだ笑う事が出来る」
「…………???…………」
それの何処が護っている事になるのかがメルエには解らない。だが、自分の頭の上に置かれているカミュの手がとても優しい事に、メルエの心は次第に落ち着きを取り戻し始めた。
「メルエが居るから、俺は……歩む道を見失わずにいられる」
「…………ぐずっ…………」
その言葉を呟いたカミュは、見上げていた顔を下ろし、中央にある炎の方へと視線を移した。
自然とメルエの視線も炎へと移り、奇妙な静けさが辺りを満たして行く。
「……ありがとう……」
どれくらい時間が経っただろう。
それは、長い時間だったかもしれないし、ほんの僅かな時かも知れない。
不意に告げられた言葉は、メルエの心へと届いて行く。
「…………ん…………」
涙を拭う事なく、メルエは小さく頷いた。
そして、そのまま再びカミュに包まれながら静かに涙を流す。
暫しの間、カミュはメルエの頭を撫でながら月を見上げていた。
その内、泣き疲れたのか、メルエはカミュの腕の中で静かな寝息を立て始める。
自身が歩む道を明るく照らす、小さな太陽の休息を、優しい微笑みを浮かべながら見つめたカミュは、そのままメルエの身体を近くに横たえ、その太陽が凍えぬように薪を炎にくべて行った。
サラは嗚咽を抑えながら、泣いていた。
メルエの『想い』を知り、そしてカミュの『苦悩』を知り。
メルエの声が聞こえた気がして、ふと目を覚ましたサラは、小さいが激しいメルエの感情を含んだ声を聞く事になる。それは、自分が起こした物の結果。
あの町を救いたいと自分が言う事さえしなければ、カミュが洞窟内で『人』を殺す事はなかった。
そして、あの幼い少女をこれほど苦しめる事はなかった筈だ。
『申し訳ない』
そんな考えが頭を掠めた時に、冷酷だと考えていた『勇者』の言葉がサラの耳に入って来た。
それは、今まで感じていたサラの考えを大きく覆すものであり、ある意味予想をしていた事。
『メルエが居るから、まだ笑う事が出来る』
『メルエが居るから、歩む道を見失わずにいられる』
それは、この青年の本心なのだろう。彼もまた、自分の歩む道を模索しているのだ。そして、その道は自分を見失う可能性がある程に過酷な物である事を知っているのだろう。
初めて知ったカミュの内心。
それは、サラを大きく変えて行く事となる。
何故なら、彼女もその道を既に歩み始めているのだから……
太陽が昇り始め、朝日が森に届き始める頃には、一行は再び森の中を歩き始めていた。
昨晩のやり取りがあった為か、メルエはリーシャの横で、物悲しい空気を纏いながら歩き、サラもまた考えに耽っているように押し黙ったように歩いている。
「二人とも、どうした?」
「えっ!? あ、はい。大丈夫です」
そんな二人の様子の理由が分からないリーシャは、その理由を問いかけるが、メルエは黙ったまま何も答えず、サラは脈絡のない回答を返して来る。
リーシャは首を傾げるしかなかった。
「……そろそろ、森を抜ける筈だ……」
後方を歩く三人の様子を気にした様子もなく、カミュは地図を見ながら言葉を漏らした。
カミュの言う通り、太陽が真上に上った頃から、周囲の木々の密度が薄くなっている。それは、森の出口が近い事を意味していた。
森の木々に遮られていた日光が、突如目に飛び込んで来る事で、一瞬視界が奪われる。再び戻った視界の先には、地肌が剥き出しになった山肌が見えていた。
「この山を登るのか?」
「……この頂上付近にあるという事だからな……」
リーシャの問いかけに、もう何度目になるか分からない答えを返すカミュ。
そんないつものやり取りの中にも、笑顔は生まれなかった。
「!!」
それは、何もパーティーの心情の変化だけが理由ではない。いち早く気付いたメルエが、杖を構えた事によって走った緊張が、望まれない来訪者を意味していたのだ。
「メルエ! 下がれ!」
「…………ん…………」
素早くメルエの前に移動したカミュが、メルエを後方に誘導し、リーシャと共に前線に立って敵を確認する。カミュに遅れてサラとメルエの前に立ったリーシャが見た者の姿は、以前に一度見たそれであった。
「<バギ>を使う奴か?」
「……いや、同じ魔物ではないだろう……」
一行の目の前に現れた魔物。それはポルトガ地方に足を踏み入れたばかりの時に一行が遭遇した魔物に似た姿をしていた。
得体も知れない物の中央に人面が浮かび上がり、まるで顔に手足が生えているような姿。
人里離れた森を住処として、今や絶滅したと云われる異教徒達。
それが二体。
<幻術師>
ポルトガ地方に生息する<ドルイド>の上位種と云われている。『精霊ルビス』以外の神を信仰する異教徒である<ドルイド>の中でも高位に位置する役職を有していた者達の死肉が寄せ集まった物ではないかという推測も出ていた。その名の通り、人を惑わすとも伝えられてはいるが、その真意を見た者は皆等しく命を落としているために、推測の域を出ていない。
「サラ! あの魔法を封じる呪文を!」
「あっ! は、はい!」
リーシャの言葉に頷いたサラが詠唱を始め、それを完成させる前に動いたのは<幻術師>の方だった。
「54‘’#0」
人語ではない声が響いた途端、サラの前にいるリーシャの動きが止まった。
不穏な空気が周囲を漂う。
気のせいか、身体の中央に人面を浮かべる<幻術師>の表情が笑ったように見えた。
「……気のせいか、何かとてつもなく嫌な予感がするのだが……」
「き、気のせいではないかもしれません……」
隣に立つリーシャの行動停止を見て、カミュは言葉を呟いた。それに対し、サラも同様の感覚を受けていたため、戸惑いながらも返答する。
唯一人、メルエだけは状況が掴めず、動きが止まったリーシャを、小首を傾げながら眺めていた。
そして、再び時は動き出す。
「うぉぉぉぉぉ!!」
突如として、獣のような上げた女性騎士は、隣に立つカミュへと向かって、手にした斧を振り抜いた。
その叫びに驚いたメルエは、サラの腰にしがみつき、サラの行動を止めてしまう。
「くっ! またか!?」
リーシャの斧を<鉄の盾>で受け止めたカミュが苦悶の声を上げる。
リーシャがカミュに攻撃を加えるのは、これで三度目。その内二度は、リーシャが正気であったが、今回は完全に様相が違う。
「……錯乱しているのですか?」
「…………サラ…………」
リーシャの行動に唖然としていたサラの発した言葉は、その光景を明確に表わしていた。
しかし、サラがそれを深く考える時間はなく、敵の接近に気付いたメルエの言葉で、手に持つ<うろこの盾>を顔の前に掲げた。
リーシャに呪文を行使した魔物は後ろで静観しているが、もう一体の<幻術師>がサラ目掛けて手に持つ樫のような杖を振るったのだ。
間一髪、それを盾で受け止めたサラは、もう一方の手で、<鉄の槍>を前へと突き出す。しかし、既に身を離した<幻術師>の身体を貫く事はなかった。
「メルエ! 一度離れて下さい!」
「…………うぅぅ…………」
未だに腰にしがみつくメルエに指示を出すサラであったが、メルエは何故か首を振りながらサラから離れようとしない。
その間にも、サラの視界の端では、カミュとリーシャの攻防が続いていた。
「メルエ! 今、この状況で、我儘は許しません!」
「!!」
初めて聞く、自分に向けられたサラの怒気。
それに驚いたメルエは、サラの腰から手を放してしまった。
サラが怒った姿は見た事はある。
しかし、それはどこかメルエを諭すような優しい物。
『鬼』と称されても、メルエを想い、導くような物だった。
サラが怒鳴った姿も見た事はある。
その時のサラは、自分の心を叫ぶように、声を荒げていた。
ただ、それは何れもメルエに向けられた物ではなかったのだ。
「メルエ。リーシャさんがあのようになってしまった以上、カミュ様は動けません。二人を護るのは、私達の仕事ですよ」
「…………」
初めて叱られた子供のように、目を見開いていたメルエは、その目をしっかりと見て話すサラの言葉をぼんやりと聞いていた。
何時でも自分に向けてくれていた優しい笑みは、今のサラの顔に浮かんではいない。
「メルエは……メルエはカミュ様を護るのでしょう?」
「!!…………ん…………」
続いて繋がれたサラの言葉が、メルエの意識を現実に戻して行く。
昨晩、メルエがカミュに向けて話した言葉。
それは、メルエの『想い』。
そして『決意』。
メルエは、今度はサラに向かってしっかりと頷いた。
「私は、先程の魔物と戦います。メルエは、カミュ様達に向かって行く魔物を」
「…………ん…………」
「ふふ。頼みましたよ、メルエ」
サラの指示に、厳しい表情で頷いたメルエを見て、サラは柔らかく微笑む。
自分が頼りにする者に頼られる。その責任と、その喜びに、メルエは強く頷くのだった。
「くそっ! 何故、アンタはいつも俺だけを狙うんだ!」
「うりゃぁぁぁぁ!」
サラとメルエの『決意』の儀式が済んだ頃、カミュは窮地に立たされていた。
リーシャの振るう斧は、とてつもなく重い。何度も<鉄の盾>で受け止めては来たが、その左手は痺れて、もはや動かしようがないところまで来ていた。
それでも、カミュは右手を支えにしながら、何度もリーシャの斧を受け止める。
リーシャの瞳に生気はなく、それは何かによって意識を奪われている証拠。
その原因となる者は、今も尚、カミュ達の傍で奇妙な笑みを浮かべていた。
<メダパニ>
それは、魔道書に記載されている呪文の一つ。対象の脳内に影響を及ぼし、対象の意識を錯乱させる。錯乱した者は、敵味方の区別がつかなくなるどころか、自分の意識すらも失い、ただ目の前の者を排除しようと動くのだ。それは、諸刃の剣で、自身の限界をもセーブ出来なくなる事から、攻撃を繰り出す度に自身の身体を傷つけて行く事にもなる。
「このっ!」
遂に、カミュが剣を抜いた。今まで、鞘に剣を収めたまま、リーシャと対峙していたが、通常時でも剣を交えて敵う相手ではない以上、カミュが剣を抜かずに窮地を脱する事など不可能なのだ。
カミュの突き出した剣がリーシャの頬を掠める。殺すつもりなどない。ただ、少しでも傷をつければ、正気に戻るかもしれないと考えた一撃であったが、カミュと同じように力量を上げているリーシャに対し、そのような甘い考えが通用する訳はなかった。
「うぉぉぉぉぉぉ!!」
紙一重で避けたカミュの剣先は、リーシャの頬を傷つける事なく、リーシャの装備している<鉄兜>を締める革の留め紐を切り裂いただけ。
リーシャはそのまま斧を振りかぶり、カミュへと一直線に振り下ろす。その大きな動きに、留め紐を失った<鉄兜>が地面へと落ちて行った。
「くそっ!」
もはや<鉄の盾>を上げる力も残っていないカミュは、リーシャの振り下ろした斧を<鋼鉄の剣>で受け止める。しかし、両手で斧を振り下ろすリーシャの力を片手で受け止める事など不可能だった。
そのままリーシャに押し倒されるように仰向けに倒れ込むカミュの剣は、倒れる勢いで更に重くなった斧をぎりぎりの所で抑えていた。
そのまま両者ともに動けない時が流れ、徐々にカミュが力で押されて行く中で、カミュの視界に一体の魔物が映り込む。今まで、リーシャの激しい攻撃の為に、付け入る隙のなかった<幻術師>がカミュへ近づきながら、樫のような木で出来た杖を振り翳していたのだ。
そのまま、振り降ろされれば、如何にカミュといえども、無事には済まない。その威力は想像出来ないが、最悪、頭を潰される可能性がない訳でもない。
「くそっ!」
目の前に振り下ろされる杖を見て、忌々しげに呟いたカミュの周囲の空気が急速に変化して行く。
まるで、そこだけが氷の世界にいるような程の冷気が立ち込め、急速に一点に収束されて行った。
「…………ヒャド…………」
このパーティー最強の攻撃魔法の使い手が、最も得意とする魔法。
その詠唱が、カミュの耳へと届いた。
その瞬間、振り下されようとしていた<幻術師>の杖が凍りつく。
冷気の勢いに押された杖は、凍りついたまま吹き飛んで行った。
「ギャッ」
自分の身に起きた事が即座に理解出来ない<幻術師>は、慌てて距離を取る。死肉に浮かんだ人面の瞳は、杖を掲げた小さな『魔法使い』へと向けられた。
尖った三角の帽子を被り、マントを翻しながら、厳しい瞳を向けるその『魔法使い』が纏う空気は、魔物であり、古い異端の魔術師でもある<幻術師>から見ても異常な程の魔力。
ボコン
「なっ!」
「あいたっ!」
緊迫した状況の中、非力な力で何かを殴る音が響き渡り、それに驚いた声と、痛みに耐えるような声が響いた。
そこに広がるのは、本当に奇妙な光景。
驚きに見開かれたカミュの珍しい表情と、そして、斧から手を離し、頭を押さえるリーシャの姿。
手から離れた斧は、カミュの顔のすぐ横の地面に突き刺さっていた。
「…………リーシャ………だめ…………」
そして、先程、カミュに襲いかかる女性騎士の頭を強かに叩いた<魔道士の杖>を掲げて立つメルエ。
「メ、メルエ! な、何をする!?」
「…………ごめんな……さい………いう…………」
先程意識が戻ったばかりのリーシャに状況を掴める訳がない。ただ、振り返った先で、杖を掲げて立つ少女を見て、自分の頭の痛みの理由を察したのだ。
そして、自分の抗議の声を無視するように、謝罪を要求するメルエを見て、自分が何をしているのかを冷静に考える事となる。
「……どうでも良いが、良い加減退いてくれないか……」
「はっ!? 何故、お前がいるんだ!?」
考えようとした矢先に、下から声がかかった事に驚いたリーシャが、周囲の人間から見れば、明らかに見当違いな疑問を口にする。それに対し、大きな溜息を吐きながら立ち上がったカミュは、痺れた左腕を振りながら、メルエへと近づいて行った。
「…………ごめんな……さい………いう…………」
「ど、どういう事だ?」
未だにリーシャに鋭い瞳を向けるメルエに戸惑うリーシャは、その横に立つカミュへと再度疑問を投げかける。しかし、メルエの瞳が和らぐ事はない。その光景に状況がかなり悪い方向にある事を、流石のリーシャも理解する事となった。
「……アンタは、いつも通りに、魔物の唱える呪文の影響を受けて錯乱した為に、俺への攻撃を繰り返していた」
「なに!?」
それは、リーシャの予想もしない言葉だった。
仲間であるカミュへ斧を向け、振り回していたと言うのだ。勿論、そのような過去があった事をリーシャも忘れてはいない。しかし、リーシャの頭に残る記憶の中では、<幻術師>に向けて魔法を唱えるようにサラへ指示を出した所までしかないのだ。
「いつも思うが、何故、アンタは俺にしか攻撃をして来ない?」
「……すまない……」
カミュの話を聞き、最初は信じられないといった表情をしていたリーシャであったが、続くカミュの言葉と、メルエの厳しい視線を受け、カミュの言葉に嘘がない事を悟る。
「……メルエ、助かった……あのままでは、この脳筋馬鹿に殺されるところだった」
「…………ん…………」
「ぐっ!」
カミュの謝礼に、笑顔を取り戻すメルエ。
しかし、リーシャは苦虫を噛み潰したような渋い表情を浮かべた。
「…………まだ………サラ…………」
「わかっている」
メルエが呟いた一言に、カミュは静かに頷いた。
まだ、魔物が去った訳ではない。カミュ達から離れた所で、<鉄の槍>を振るう僧侶の姿が見える。
まだ、倒し切ってはいないが、それも時間の問題だろう。カミュやリーシャの力量が上がっているのと同じように、もはや、サラも並の僧侶では敵わない程の実力を有しているのだ。
「……私に……私に任せろ」
「!!」
サラの方向に視線を向けたカミュの後ろから、地響きのような声が響いて来た。
その声に驚いたメルエは、カミュの陰に隠れてしまう。
はっきりと見せるリーシャの怒り。それは、傍にいたメルエすらも怯えさせ程に強力な物だった。
「……あの僧侶の方へは、俺とメルエで向かう。アンタは、杖を失くしたその魔物を頼む」
「……わかった……」
静かな怒りを燃やすリーシャを置いて、カミュとメルエはサラの下へと向かった。
再び拾い上げた<鉄の斧>を頭上で一回しした後、リーシャは猛然と<幻術師>に向かって突進して行く。
「54‘’#0」
杖を失くしながらも、短い腕をリーシャに向けて広げ、先程と同じ詠唱を繰り広げた。再び、足を止めたリーシャに、サラの下へ走りながら振り向いたカミュは冷たい汗を流す。
「……何度も……」
「ギャ?」
自分の魔法が効果を現したと思っていた<幻術師>は、肩を震わしながら近づいて来るリーシャに戸惑っていた。
そして、次の瞬間、この魔物の生は終わりを告げる。
『怒り』という人間の四大感情の一つに支配されているリーシャの頭の中を操作出来る程の魔力を、<幻術師>は持ち合わせてはいなかった。
「何度も、同じ手を食らうかぁ!」
自分の攻撃範囲に入った時、叫びと共に振り抜かれた<鉄の斧>は、その刃先に何かを纏っているのではと疑いたくなる程の威力を誇る。
正確に<幻術師>の胴体に入り込んだ斧は、まるでチーズでも切るように、何の抵抗感もなくその身体を寸断する。体液を噴き出す余裕もなく、両断された<幻術師>の身体は、地面へと崩れて行った。
その最後を見届けたリーシャは、一つ鼻を鳴らした後、斧を背中へと戻し、カミュ達が向かったサラのいる方向へと視線を移す。
そこでも、既に戦闘は終了していた。
実際、カミュ達の応援は必要ではなかったかもしれない。しかし、孤軍奮闘していたサラにとって、カミュを連れて戻って来たメルエの姿は、安堵と共に、再び勇気を奮い立たせるものであったのも確かであろう。
「やぁぁぁ!」
最後の突きは、見事に<幻術師>の眉間部分へと突き刺さり、その身体を貫通した。
<鉄の槍>に串刺しにされた魔物は、そのまま数度痙攣を起こした後、全身の力を抜いたように崩れて行った。
「…………サラ…………」
「はぁ、はぁ。は、はい。メルエ、ありがとうございます」
「…………ん…………」
心配そうに近づいたメルエに、サラは笑顔を返し、それを見たメルエもまた微笑みながら頷いた。彼女達の中には、確かな信頼が既に確立されていた。
それを目の当たりにしたカミュもまた、表情こそ変えないが、優しげな瞳で二人を見つめる。
三人がリーシャの下へ戻ると、リーシャが三人に向かって深々と頭を下げていた。その姿にサラは驚き、カミュは口端を上げる。
「すまなかった」
「い、いえ。リーシャさんの責任ではありません。あの魔法は、おそらく<メダパニ>と言って、誰にでも影響する可能性はある物です」
『経典』を基礎とする僧侶であるサラも、『魔道書』に載っている呪文の名と効果だけは覚えている。それは、最近メルエから『魔道書』を借り、中の魔法を覚えようとしているからだった。
サラの中には、このパーティー内で、魔法についての知識だけは誰にも負けないようになろうという思いがあるからだ。
「……もう、アンタの脳の弱さには慣れた……」
「な、なんだと!」
サラの慰めと言える優しい言葉とは裏腹に、小馬鹿にしたようなカミュの発言に、抗議の声を上げるリーシャであるが、本来そのような資格は、この女性戦士にはない。それは、何も言わずに、リーシャを見つめているメルエの視線が物語っていた。
「……メルエ……すまない」
「…………ん…………」
メルエの視線を受け、カミュへ噛み付く事を止めたリーシャは、メルエへと頭を下げた。
そんなリーシャの姿を見て、メルエの瞳が柔らかな物へと変わって行く。メルエの笑顔を受け、リーシャも微笑むが、その微笑みはすぐに驚きに変わった。
「……それに、もう、アンタ一人が錯乱したとしても、全滅する事などあり得ない筈だ」
「……カミュ様……」
呆気にとられたように口を空けるリーシャ。
不思議そうに首を傾げるメルエ。
何か、奇妙な物を見るような視線を向けるサラ。
一行を取り巻く空気が止まった。
「そ、それは、もう私など必要ないという事か!?」
「……リーシャさん……」
「……」
再び時を動かしたのは、リーシャだった。しかし、それは、どこか呆れを含む視線を受けるような発言。
サラは、どこか諦めたような言葉を吐き、カミュとメルエは、表情こそ違うが、黙り込んでしまった。
「……アンタは、何を言っている?」
「…………リーシャ………いない………だめ…………」
「リーシャさんがいらっしゃらなかったら、私達は洞窟などをどのように歩けば良いと言うのですか!?」
それぞれがそれぞれの言葉で疑問を呈す。若干何かを履き違えたような事を言っている人物もいるが、総じて皆、リーシャがこのパーティーに必要な人物である事を明言していた。
サラの言葉に若干の引っかかりを覚えるが、メルエの眉尻を下げたような瞳を受け、リーシャは『ほぅ』と息を吐き出す。
彼女の中にも、信じられない速さで成長を続けるサラやメルエ、そしてカミュに対して焦りを感じていたのは事実。
年齢という部分で、他の三人よりも先に進んでいた経験という優位性が失われて行く事への焦り。それは、気付かない程にゆっくりとリーシャを蝕んで来ていたのだ。
「…………リーシャ…………」
「メルエ、ありがとう」
自分の傍へと寄って来るメルエを愛おしそうに抱きしめ、リーシャは顔を綻ばせた。
その二人の様子を見ながら、サラもまた笑顔を浮かべる。だが、彼女には、彼女の発言を思い出したリーシャによる、詰問という地獄が待っているのだが、今の彼女に知る由はない。
読んで頂き、ありがとうございました。
第六章の始まりです。
第六章は、「ドラゴンクエストⅢ」というゲームの中でとても新鮮で、とても重要なあの場所の話となります。
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