新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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~幕間~【ダーマ周辺】②

 

 

 

 山を下り始め、既に二回目の日の出を見た頃に、ようやく険しい山道が緩やかになって来た。

 急な下りを下り続けた事によって、サラの膝は笑っている。奇妙な動きをするサラを、既にリーシャに抱き抱えられているメルエが笑い、その事にサラが憤慨するという、何とも気が抜けるやり取りが続けられる中、カミュが背中の剣に手を掛けた。

 

「メルエ! 下ろすぞ!」

 

「…………ん…………」

 

 カミュの行動を見たリーシャが、抱えているメルエを下ろし、背中に括り着けられた<鉄の斧>を手に取った。

 サラも笑う膝を抑えつけながら、<鉄の槍>を手に取る。しかし、緊張感を高める一行の前に現れたのは、それこそサラとメルエのやり取りのように気が抜けてしまいそうになる者だった。

 

「ス、スライムなのか?」

 

 目の前に現れた二体の魔物を見て、上げていた斧を下ろしながら、リーシャは驚きの声を上げた。

 何時もならば、魔物に対して驚きの声を上げるリーシャに溜息を吐くカミュも、その魔物の姿を見て、表情を驚きの物に変化させる。メルエは初めて見る魔物に興味を示し、そのぷるぷると震える身体を輝く目で見ていた。

 

「ふぅ」

 

「リーシャさん!」

 

 魔物の姿に気を緩め、一つ息を吐いたリーシャにサラが叫び声を上げる。スライム状の魔物に対して、気を緩める一行の中で、サラだけが冷静だった。

 ぷるぷると震え、厭らしい笑みを浮かべるスライム状の魔物の動きに注視していたサラは、その魔物が勢いを溜めるように一度後ろに飛んだのを目にする。

 

「ぐぼっ!」

 

 そして、リーシャ目掛けて突っ込んで来たのだ。

 飛びかかって来たスライムは、強烈な体当たりをリーシャの腹部に繰り出した。

 リーシャの身体は、バハラタの町で購入した<鋼鉄の鎧>によって護られている。本来ならば、スライム如きの攻撃ではびくともしない筈ではあるが、リーシャはその攻撃で、溜まっていた息を吐き出すような苦悶の声を上げた。

 

「リ、リーシャさん!」

 

 膝をついたリーシャに、サラが駆け寄って行く。スライムが攻撃を繰り出した、リーシャの腹部を覆う鎧を確認すると、鋼鉄で出来たそれが醜く窪んでいた。

 その状態にサラだけではなく、カミュさえも驚きに目を丸くする。

 

「油断するな! 構えろ!」

 

 早々に立ち直ったのはカミュ。

 驚きの表情を浮かべたままの二人に、剣を構えながら檄を飛ばす。

 

「あっ!?」

 

 しかし、カミュの言葉に意識を魔物に向けたサラであったが、信じられない光景に再び驚愕の声を上げた。

 それは、リーシャも同じで、腹部を押さえながら立ち上がった先の魔物に驚きの表情を浮かべる。

 

「も、もう一体は、どこへ行ったんだ?」

 

 一行の前に現れたのは、二体の魔物だった筈。

 それが、目の前にいるのは、リーシャに攻撃を繰り出した一体のスライムだけなのだ。

 

「……逃げたようだな……」

 

「えっ!?」

 

 カミュの呟きに、サラは言葉に詰まる。リーシャが攻撃された事に気を取られている間に、全員の目を搔い潜って逃げ遂せてしまったのだ。

 その素早さは、魔物の動きに目が慣れ始めていたと考えていたサラにとって驚愕に値する物であり、カミュやリーシャにとっても顔を顰めざるを得ない程の物だった。

 

「H&U4$」

 

 驚愕に身体を固めた三人に向かって、残った一体のスライムが奇声を発した。

 経験上、それが魔物による魔法の詠唱である事を察したカミュとリーシャが、サラとメルエの前に立ち、<鉄の盾>を掲げる。

 カミュとリーシャの予想通り、詠唱と共に一瞬光を纏ったスライムの口から、拳大の火球が飛び出し、護りに入ったリーシャの盾に直撃した。

 盾に弾かれ飛び散る火球を見て、サラは再び、驚きを表す。

 『これは断じてスライムではない』と

 

<メタルスライム>

世界各地に生息する亜種のスライム。アリアハン大陸に生息するスライムと同様、その身体はゲル状になっているが、色は透き通るような青ではなく、金属のような鋼鉄色をしている。そして、その色の通り、見た目の質感とは違い、鋼鉄よりも硬く、人が装備する金属の防具を容易く破壊する程の強度を誇る。また、その素早さは魔物の中でも群を抜いており、人が目で追う事の出来る物ではないのだ。更には、魔法までも使用し、スライムと侮った人間を翻弄しする。

 

「くっ! カミュ! どうする!?」

 

「……どうするもこうするも、アンタは心眼でも開眼しているのか?」

 

 初めて対峙する魔物への対策をカミュへと問いかけるリーシャへの答えは、溜息と共に吐き出された。

 カミュの言う通り、目で追えない魔物の動きを捉えるとすれば、それこそ『心眼』のような特殊な技能がなければ無理に等しい。

 

「ならば、勘に頼るしかない!」

 

 カミュの吐き捨てるような答えに、リーシャは手に持つ斧を高々と掲げ、<メタルスライム>のいる場所へと振り下ろす。しかし、リーシャがそこに斧を振り下ろした時には、既に魔物の姿は欠片もなかった。

 無常にも地面に突き刺さる<鉄の斧>を見て、忌々しげに舌打ちをしたリーシャは、再び周囲へ視線を動かした。

 

「そこか!」

 

 再び振るわれるリーシャの斧は、先程と同じ結果しか生み出さなかった。

 その間も、魔物の動きを注意深く見ていたカミュが素早く身を動かす。そして、<メタルスライム>との距離を一気に詰めたカミュは右手に持つ剣を振り抜いた。

 しかし、<メタルスライム>を捉えた筈のカミュの剣は、その特殊な金属のような魔物の身体に弾かれる。金属と金属が擦れるような音を発し、カミュの剣は軌道をずらされたのだ。

 リーシャと同じ様に舌打ちをするカミュとは正反対に、<メタルスライム>は奇妙な笑みを浮かべ、再びカミュ達を嘲笑うかのように動き出した。

 

「メルエ!」

 

「…………ん………メラミ…………」

 

 <メタルスライム>がカミュ達から離れた事を確認したサラが、<魔道士の杖>を掲げるメルエへと指示を出し、それに一つ頷いたメルエが、現在所有する最大の攻撃呪文を詠唱した。

 詠唱と同時に、メルエの持つ杖の先から、先程<メタルスライム>が発した物とは比べ物にならない程の火球が飛び出して行く。

 

「なっ!?」

 

「!!」

 

 しかし、確実に<メタルスライム>を捉えた筈のメルエの<メラミ>は、魔物の身体に触れた瞬間に、まるで何かによって弾かれるように霧散した。

 その事実にリーシャは声を上げ、カミュとサラは言葉を失った。

 

「…………うぅぅ…………」

 

 そして、絶対の自信を持つ魔法を無効化されたメルエは、悔しそうに目に涙を溜めながら唸り始める。その光景は、それ程不可解な物であり、カミュ達にとって手段を全て奪われたに等しい物であった。

 

「……早速、魔法の効かない魔物の登場だ……待ちに待ったアンタの出番ではないのか?」

 

「な、なにっ!?」

 

 剣の攻撃も難しい。そして、頼みの綱であるメルエの魔法も効果がない。そんな絶望的な状況であるにも拘わらず、カミュの口端は上がっていた。

 リーシャは驚きの声を上げるが、そんなカミュの表情と、その言葉の内容に、何故か自分でも理由が解らないまま、笑顔を浮かべた。

 

「わかった。私に剣の腕で劣るカミュは、そこで黙って見ていろ!」

 

「リ、リーシャさん!?」

 

 口端を上げるカミュの顔を見ながら不敵な笑みを浮かべるリーシャが、再び斧を構える。現状を把握しているサラにとって、それは何とも不思議な光景だった。

 しかし、ここに、未だに納得していない人物が一人。

 その人物は、手にした杖を再び掲げた。

 

「…………ヒャド…………」

 

 火炎の呪文が効果を示さないのならば、冷気の呪文。

 それは、この旅に於いて、この少女が学んだ戦闘方法の一つ。

 しかし、幼い少女が学んだ物は、この規格外な魔物によって崩されてしまう。

 

「メルエ、私の後ろへ。ここは、カミュ様とリーシャさんに任せましょう」

 

「…………うぅぅ………ぐずっ…………」

 

 先程放った<メラミ>と同様、<メタルスライム>の身体に触れるか触れないかの所で霧散して行く冷気を見て、サラはメルエの手を引いた。

 今まで少なからず効力を発揮して来た筈の自分の魔法が全く役に立たない。それは、メルエにとって、自分という存在価値を否定された事に等しく、知らず知らずに涙が零れていた。

 そんなメルエを抱きしめるように自分の後ろへ移動させたサラは、カミュ達の戦いに注視する。もし、たった一体の魔物に翻弄されているところに、別の魔物が出現したとすれば、その魔物はサラとメルエの役目となる。

 それをサラは理解していたのだ。

 

「やぁぁぁ!」

 

 動き回る<メタルスライム>目掛け、力一杯<鉄の斧>を振るうリーシャであったが、その斧は魔物に掠りもせずに、土埃を上げるばかり。次第にリーシャの呼吸も乱れ始め、魔物を狙う集中力も散漫となって来る。

 

「H&U4$」

 

 そんな隙を突き、再び<メタルスライム>はリーシャに向かって<メラ>を唱えた。

 斧を振り下ろした直後であった為、咄嗟に防御出来ないリーシャは、多少の火傷を負う覚悟を決めた。

 しかし、その火球がリーシャに届く事はなく、リーシャの視界は一人の青年の背中によって塞がれる形となる。

 同時に響く火球が盾に当たる音と、周囲を瞬間的に温める熱気が広がった。

 

「……アンタの出番だとは言ったが、意地になり過ぎだ……」

 

「う、うるさい!」

 

 盾で<メラ>を防いだ後、振り返りもせずに呟くカミュに、リーシャは口篭りながらも反論を返そうとするが、うまく言葉は出て来なかった。

 確かにカミュの言う通り、意地になっていた感は拭えない。

 

 『自分にはこれしかない』

 

 そうリーシャが考えるのも無理はないだろう。

 魔法の才能はない。

 転職という形で魔法力を備えたとしても、共に歩む幼い少女にその魔法力は敵わない。

 剣を振い、敵を淘汰して行く事しか出来ないのだ。

 それは、『魔法』という神秘ではなく、努力次第では誰でも到達出来る物だとリーシャは考えていた。

 体を鍛え、剣を振い、それを重ねて行った結果。つまり、誰にでも可能な事。そこに才能の有無は関係ない。リーシャ自身、そう信じて剣を振って来ていた故に出た考えであった。

 

「……」

 

「カミュ、どけ!」

 

 溜息を吐くカミュを押し退け、前に出たリーシャの目の前には、ただただ広がる大地しか見えなかった。

 先程まで自分達の前を動き回っていた小さな魔物の姿はどこにもなく、それは戦闘の終了を意味している。

 

「くそっ! 逃げられたか!」

 

 心底悔しそうに舌打ちをするリーシャを、何時もならもう一度溜息を吐く筈のカミュが冷めた目で見ている。

 そんな二人を遠巻きで見つめるサラとメルエは、何故か二人に近づく事は出来なかった。

 

「……先程は、俺の言い方が悪かった……すまない」

 

「な、なに?」

 

 息の荒いリーシャに対し、突然呟かれたカミュの言葉は、リーシャに驚きと戸惑いをもたらす物だった。

 滅多に頭を下げる事のないカミュが、理由もなく謝罪をする訳がない。だが、リーシャには、その理由が思い浮かばなかったのだ。

 

「アンタは、本当に自分が戦闘で役に立っていないとでも思っているのか?」

 

「……カミュ様……」

 

「ど、どういう事だ?」

 

 顔を上げたカミュの真剣な瞳に、サラは声を漏らし、リーシャの戸惑いを強くする。二人の間に流れる不穏な空気を敏感に感じ取ったメルエが、リーシャの足元へ移動して来た。

 しかし、戸惑うリーシャはその事にすら気付かない。

 

「アンタは、ここにいる人間を何度護って来た?……この二人の命を何度救って来た?」

 

「……」

 

 カミュの問い掛けは、いつものようなリーシャをからかうような物ではなく、真剣そのもの。

 それは、サラの心に突き刺さり、メルエの心を大きく揺さぶった。

 そして、リーシャの心を大きく動かして行く。

 

「……確かに、俺はアンタに何度も殺されかけた……」

 

「ぐっ……」

 

 一つ溜息を吐いたカミュの呟きに、リーシャは再び言葉に詰まる。

 カミュへ危害を加えたのは、アリアハンを出て既に三度。

 細かい物を含めれば、更に多いのかもしれない。

 

「だが、少なくとも、メルエはアンタがいなければここにはいない。それは、そこの『僧侶』も同じ筈だ」

 

「!!」

 

「…………」

 

 カミュの言葉に言葉を失うリーシャとは別に、サラもまた言葉に詰まる。カミュの発した物の中にあった『僧侶』という言葉に反応したのだ。

 しかし、もしかすると、カミュにしてみれば、サラこそ本当の『僧侶』なのかもしれない。

 

「アンタがいるから、その二人は魔法を唱えられる。アンタがいるから、今アンタの足元にいるメルエは笑顔を作る。アンタがいるから、その僧侶は立ち上がり、アンタがいるから、旅を続けている筈だ」

 

「……カミュ様……」

 

「……」

 

 サラの心は正しくカミュが話す通りだった。

 リーシャがいなければ、サラは疾うの昔に潰れていた。

 人の心は弱い。その弱い心の中にある小さな強さは、自分一人では輝かせる事等出来ない。

 サラが悩み、考え続ける中、その先にある道へと歩き出す力をくれたのは、このアリアハンが誇る宮廷騎士。

 短慮で、短気で、そして誰よりも暖かな女性。

 サラにとって、第二の師であり、そして幼い頃から恋焦がれた『姉』のような存在。

 

「例え、魔法が使えなくとも……アンタがいなければ、魔物との戦闘など不可能だ」

 

「……カミュ……」

 

 何でもない事のように言葉を発し、カミュは再び山道を下り始めた。

 しかし、そのカミュの一言に、リーシャは時が止まってしまったように固まり、サラはこの世の最後を見たかのように目を見開いていた。唯一人、メルエだけは、リーシャの足元で不思議そうに二人を見上げ、カミュの後を追うように駆け出した。

 メルエだけが知るカミュの本質。

 一度たりとも、カミュを『勇者』として見た事のない少女だけが感じていたカミュの瞳。

 それは、常に周囲を見渡し、気を配る事の出来る者の瞳だった。

 

 リーシャが魔法を欲する心は、唯単に魔法に対する憧れだけではなかったのだ。

 常に後方に控える二人の妹のような存在を気にかけ、二人の負担になるような戦闘をしまいと動いていたリーシャであったが、サラとメルエの急速な成長速度は、そんなリーシャの心に焦りを生み出していた。

 

 急速な成長は、その戦闘での活躍に相反し、それ相応の危険を伴う。それをリーシャは経験から知っていたのだ。

 ましてやメルエは心も身体も成長しきってはいない。幼い少女には不釣り合いな程の魔法力を有し、強力な魔法を使用するメルエ。

 しかし、それは諸刃の剣であり、何時、以前のように魔法力が暴走し、メルエの身体を傷つけるか分からない。

 

 サラは直接戦闘の力量を大きく伸ばした。ある程度の魔物であれば、一対一で戦う事は出来るだろうし、相手が『人』であれば、幼い頃から戦闘訓練をしている歴戦の者達以外には遅れを取る事はないだろう。

 しかし、サラの心は今動き始めている。幼い頃から信じ続けていた物を自ら手放し、それでも前へ進もうともがいているのだ。

 それは、とても不安定で、とても儚い。

 

 そんな二人を傍で見ているリーシャにとって、ただ斧や剣を振るうだけしか出来ない自分と言う存在に焦りを感じていた。

 『自分も何か成長しているのだろうか?』

 まだ子供と言っても過言ではない二人の成長速度は、成人してからある程度の歳を重ねたリーシャと比べる事の出来ない物だった。

 自分の成長を肌で感じるよりも、身近にいる人間の成長を目の当たりにする機会が多く、自分の成長は霧がかかったように見えなくなって行く。

 そんな『恐怖』にも似た『焦り』がリーシャを蝕んでいた。

 

「…………いく…………」

 

 未だに茫然と佇む二人の下に、一度カミュの方へと駆け出したメルエが戻って来た。

 リーシャの手を握り、軽く引くように力を込めたメルエの手にリーシャは現実に引き戻される。

 茫然とカミュの背中を眺めていたリーシャの瞳に光が戻り、視線を自分の足下に移すと、柔らかな笑顔を浮かべたメルエの表情が映った。

 

「あ、ああ。行こう」

 

「…………ん…………」

 

 メルエの手を引くリーシャの心は晴れた。

 完全に悩みや焦りが消えたかと言えば、そうではない。

 ただ、もはや自分という存在を見失う事などないだろう。

 

 たった一言。

 それは、とても素気なく、とても簡素な物。

 それでも、リーシャにはそれで充分だった。

 自分の立ち位置が確定した瞬間。

 彼女は再び前へと歩き出す。

 

「サラ! 置いて行くぞ!」

 

「えっ!? は、はい!」

 

 メルエの手を握ったリーシャが、未だに茫然と自分の世界から帰還しないサラに声をかける。まるで夢から覚めたばかりのように、瞬きを繰り返したサラは、リーシャの後ろを歩き出した。

 カミュの言葉。それは、サラの中でカミュの変化を明確にする物であると同時に、自分達が仲間として受け入れられた証拠でもあった。

 何度か、そのような場面がなかった訳ではない。ただ、これ程までに明確な言葉を投げて来たのは初めてであった。

 

 『リーシャがいなければ、魔物との戦闘は不可能』

 

 それは、一人で旅する事に固執し、リーシャやサラを拒絶していた者の言葉ではない。

 ここまでの旅の中で、サラはカミュが一人で旅に出る事に固執していた理由を朧気ではあるが理解し始めている。そんなカミュの変化は、サラにとって驚愕する物ではあったが、同時にとても心地良い物でもあった。

 そして、それは前を歩く女性戦士にとっても同じ事なのであろう。彼女のメルエに向ける柔らかな笑顔がそれを物語っていた。

 

 

 

 その後、一行は何事もなく山を下り終え、眼前に広がる森の前に辿り着く。リーシャの手を握るメルエが森の木々を見上げ、そわそわし始めるのを見て、リーシャの顔に苦笑が浮かんだ。

 再び、森の中に入り、様々な生き物を目にする事に期待と喜びが湧いて来ているのであろう。

 

「メルエ、今回は目的があるから、それ程ゆっくりはしていられないぞ」

 

「…………ん…………」

 

 メルエを見下ろし、優しく掛けるリーシャの言葉に、メルエは眉を下げながら頷いた。メルエの何処となく寂しそうな姿に、サラもまた苦笑を洩らす。ただ、リーシャはメルエに視線を向ける前に、一度空を見上げていた。

 山の中腹で一行が戦闘をしている辺りから、実は雲行きが悪くなって来ているのだ。

 

「そうですね。また雨となるのかもしれませんね」

 

 リーシャと同じ不安をサラも持っていた。

 『何故、塔を目の前にすると雲行きが怪しくなるのか?』という疑問と共に。

 だが、二人の不安が杞憂ではない証拠に、上空の雲と共に湿った空気が一行の頬を撫で始める。それと共に徐々に肌で感じる温度も低下して行った。

 そして、一行が森を抜けようかとする頃、日没と同時に天から滴が落ち始める。

 森を抜けて、見渡しの良い場所で野営を行おうと考えていたカミュではあったが、その雨脚が強まった事により、もう一度森の中へと戻って行った。

 

「カミュ、この辺りは良いんじゃないか?」

 

「……ああ……何とか湿っていない枯れ木を集められれば良いが……」

 

 再び森へと戻った一行は野営ができる場所を探し、その場で準備を始める。いつもはサラやメルエの仕事であった枯れ木集めに、カミュやリーシャも参加する。

 それというのも、<シャンパーニの塔>の事を考えると、余分な枯れ木を集めていた方が良い事は明白だからであった。

 

「…………ん…………」

 

「おっ!? たくさん集めたな。偉いぞ、メルエ」

 

 周辺に落ちている枯れ木を集め、両手に抱えるように持っていたメルエが、自分が取った獲物を誇らしげにリーシャへと見せ、それを褒めるリーシャに満足気な笑みを溢す。

 そんな二人に笑顔を見せながら、サラも木の根元等で湿気を帯びていない木々を拾い集めた。

 

 

 

 生い茂る木々の葉が雨を遮っている場所で火を熾し、食事を終えた後、山道の下山で疲れていた身体を横たえ、メルエとサラは眠りに就いた。

 見張りはカミュの筈なのだが、一向にリーシャが身体を横たえる様子もなく、その事を不思議に思いながらも、カミュは口を開く事なく、火に薪をくべて行く。

 

「今日は、お前の誕生日だな」

 

「はぁ?」

 

 カミュの方を見ようともせず、突然口を開いたリーシャに、カミュは間の抜けたような答えを返した。

 リーシャの言っている内容に咄嗟に思い当たる事がなく、呆けた顔をしているカミュの顔を見て、リーシャは薄く微笑む。

 

「アリアハンを出てから、ちょうど一年になる」

 

「……ああ……」

 

 言い方を変えたリーシャの言葉に、ようやく合点がいったようにカミュが頷いた。

 彼にとって、もはや自分が生まれた日などには興味はなく、むしろこの世に生を受けた忌まわしき日なのかもしれない。

 生まれたその日に『次代の勇者』となり、それから僅か一年もしない内に『当代の勇者』となった。

 それは、決して周りの人間が考えるような華やかな物ではなかったのだろう。

 

「お前は、随分変わったな」

 

「……」

 

 カミュの顔を見ながら、しみじみと話すリーシャから視線を外し、カミュは燃え盛る炎を見つめる。

 時間と共に強まって行く雨が、カミュ達を護る木々達を強く打ち付ける音だけが森に響いていた。

 

「ふっ。認めたくないならば、それでも良い」

 

 自分の話す内容を理解している筈なのに答えようとしないカミュに、リーシャは軽く微笑んだ後、カミュと同じ様に燃える炎を見ながら、まるで自分の胸の内を曝け出すように話し出す。

 

「今日は、すまなかった」

 

 何かを決意したように呟いたリーシャの言葉は、パチパチと水分を飛ばしながら燃え盛る火炎の中へと溶けて行く。

 この場にいるのはカミュとリーシャ。

 奇しくも、アリアハン城という『魔王討伐』の第一歩目から共に歩き出した者達だけであった。

 

「……」

 

「お前の言う通り、自分の中にある焦りに惑わされ、意地になっていた」

 

 カミュに向かって頭を下げるリーシャにちらりと視線を送り、直ぐにカミュは炎へと視線を戻す。もう一度炎に向かって小さな枯れ木を放り投げたカミュは、ゆっくりと口を開いた。

 

「……アンタが何かに惑わされるのは、いつもの事だ……」

 

「ぐっ……」

 

 素直に胸の内を話すリーシャを突き放すようなカミュの一言に、言葉が詰まるリーシャであったが、カミュを一睨みした後、気を取り直し、再び口を開く。

 

「お前の言う通りだ。私はサラのように考える力もなければ、メルエのように内に秘めた魔法力もない」

 

「まだ言っているのか?」

 

 リーシャの口から出た懺悔に近い物に、カミュは視線をリーシャに戻して大きな溜息を吐いた。

 カミュにしてみれば、リーシャという存在の必要性は当に説いた筈なのだ。それなのにも拘わらず、またそれを蒸し返すという事は、もはや何を言っても無駄という事になる。

 

「何度でも言う。私は剣を振るうしか能がない」

 

 <メタルスライム>との戦闘の前に話した内容と同じ物をリーシャは再び口にする。しかし、その口調は以前の物とは全く異なった物でもあった。

 自信なさげに、悔しそうに呟くのではなく、半ば開き直ったような口ぶり。それでも話す内容が同じ事に、カミュは再び視線をリーシャへと向けた。

 

「それは……」

 

「だが、お前は……サラは、メルエは、そんな私でも必要だと言ってくれた」

 

 もう一度溜息を吐きながら口を開いたカミュの言葉を遮って、リーシャは言葉を被せる。その内容とは裏腹に、瞳に宿る炎は、カミュの目の前で燃え盛る焚き火の炎よりも強かった。

 

「私は、サラに以前、『私は迷わず、悩まずに剣を振るうだけ』と言ったのだ。だが、私は焦り、迷い、悩んでしまった」

 

「……それが『人』だ……」

 

 独白を続けるリーシャの言葉に、カミュは持論を口にする。

 思い、悩み、迷う者こそ『人』なのだと。

 それは、幼い頃から『人』の様々な部分を見て来たカミュだからこそ口にする事が出来る物なのだろう。

 故に、以前のリーシャやサラはそれを当然の物として受け入れる事が出来なかった。

 

「そうだな……それが『人』だ。だが、私の迷いは晴れた。もう、自分の振るう剣に迷いはない。いや、今は斧だな……」

 

 だが、今のリーシャは違う。

 自らの迷いがあった事を認め、それを吐き出した事で心が軽くなったのであろう。リーシャは薄い笑みを浮かべながら、話し続ける。

 

「この一年で……カミュ、お前の剣の腕はかなり上達した。私を超える日も近いのかもしれない」

 

「……」

 

 カミュの眉間に皺が寄る。

 カミュにとって未だに超える事の出来ない壁が、目の前で口を開くアリアハンの騎士なのだ。

 カミュ自身、自分の力量がアリアハンを出た時とは比べ物にならない程に上達している事は理解していた。それでも、この単細胞の戦士に勝てると自惚れる程、カミュは馬鹿ではない。

 それを理解しているからこそ、カミュは顔を顰めたのだ。

 

「だが、私も負けてはいない。私は、お前より前に出て戦おう。それが私の役目だ。前線に出て、メルエが魔法を使う隙を作る。サラが唱えた魔法によって弱体化した敵を討つ。そして、サラやメルエが倒せない魔物は私が倒そう」

 

 一度自嘲気味に微笑み、カミュの成長を認めたリーシャは、再び顔を上げる。

 そして、自分の決意を語り出した。

 それは、メルエの手を握り、その微笑を見ながら誓った『想い』。

 自分の出来得る限りで、皆を護るという『誓い』。

 

「この一年で、サラも変わった。それは、本当の意味での成長なのかもしれない。そして、お前も……」

 

 カミュと視線がぶつかり、リーシャはその目を見つめる。

 アリアハンを出る時には、能面のように何の感情も見出せない表情に見えた物も、今ではその微かな変化で感情をある程度まで読み取れる程になった。

 アリアハンを出た時に、追い付いて来たサラを見ていた冷たい瞳の奥に、とても暖かく、とても優しい光を宿していた事も知った。

 それは、何もカミュの成長だけが原因ではないのだが、それにリーシャは気が付かない。

 

「……アンタは、変わり過ぎだ……」

 

 先に視線を外したのは、カミュだった。

 再び炎へと視線を戻す際にカミュが呟いた言葉に、リーシャは自然と微笑む。何度か言われた事のある言葉だが、今はそれが褒め言葉のように聞こえたのだ。

 

「カミュ。お前が何を想い、どのような考えでこの道を歩くのか、私にはまだ解らない。だが、私は、お前こそが『勇者』だと信じている」

 

「……」

 

 視線を外したカミュの横顔を見つめながら呟くリーシャの言葉は、激しい雨音に搔き消されて行く。それでも、赤々と燃える炎を見つめていたカミュの耳にだけはその声は届いていた。

 いや、『その心へ』なのかもしれない。

 

「……それだけだ」

 

 もう、自分の方へ視線を向けず、答えも返さないカミュに対し、『全ては話し終えた』とリーシャはカミュに背を向けるように身体を横たえた。

 雨脚は先程よりも強まり、吹き出した風に木々達が揺れる。

 雨が葉を打つ音が響く中、リーシャが意識を手放そうとした時、その声は届いた。

 

「……以前、アンタに言われた言葉をそのまま返す……『魔王討伐』という未来の先がアンタの死では意味がない」

 

「……ああ……わかっている……」

 

 横たえた身体をそのままに、リーシャはカミュの言葉を聞き、一瞬目を見開いた。まさか、カミュからこの言葉が出て来るとは思ってもみなかったのだ。

 そして、リーシャは、再び瞳を閉じ、薄く微笑みながら言葉を返す。

 

 カミュが新しい薪をくべたのだろう。湿気を帯びた枝が炎の中でパチパチと音を立てていた。

 『成長』という名の『変化』を起こし始めている四人の夜が、また一つ更けて行く。

 

 既にアリアハンを出て一年。

 『魔王』の影響力は弱まるどころか強まって行き、蔓延る魔物の凶暴さも増して来ていた。

 それでも、まだ『人』は生きている。

 いつか、この世界を『勇者』と呼ばれる者が救ってくれると信じて。

 

 

 

 

 

 翌朝、サラが目を覚ました時には、既にリーシャもカミュも出発の準備をしていた。

 昨晩よりも雨脚は弱まっており、<シャンパーニの塔>へ向かった時のような暴風雨ではない。ただ、『しとしと』と降る細かい雨ではあったが、止む気配は皆無であった。

 細かく降り続く雨は、派手ではないが、確実に歩く者の体温を奪い、体力を削って行く。暴風雨のようにそれが顕著でない分、旅の人間にとっては厄介な物であった。

 

「メルエ、起きて下さい」

 

「…………うぅぅ…………」

 

 寒さの為か、カミュのマントに包まり、顔まですっぽりと入ったまま眠っていたメルエは唸り声を上げながら瞳を開いた。

 目を何度か擦った後も、暫し焦点の合わない瞳で呆けたような表情を浮かべているメルエに軽く微笑みながら、サラも身支度を始める。

 支度を整え終わった一行は、体温の低下を極力避けるために、マントや布で身体を覆い、森の外へと足を踏み出した。

 昨晩から降り続いている雨は大地を濡らし、気温自体を大幅に低下させて行く。

 

「……メルエ……」

 

「…………ん…………」

 

 カミュの呼ぶ声に頷いたメルエが、カミュへと近づいて行く。以前と同じ様にメルエの体温を護るために、マントの中に導いたのだ。

 頷いたメルエは、駆ける事なく、ゆっくりとした歩調でカミュのマントへ潜り込んで行った。

 

「……行くぞ」

 

 メルエを収容したカミュは、後ろの二人に視線を送って出発の合図を出す。その言葉に返事は返さず、リーシャとサラはゆっくりと頷いた。

 空は黒い雲で覆われ、通常であれば、明るく大地を照らし、暖かな光を注いでくれる太陽の姿を見る事は出来ない。

 冷たい雨は容赦なく一行の体温を奪って行った。

 

 

 

 雨という影響もあってか、一行は魔物との遭遇もなく、平原の向こうに聳え立つ塔を発見する。

 暗い雲の影響からか、塔の上部は下からでは見えない。

 それでも距離のある場所からでもその塔の大きさだけは認識が出来た。

 

「メルエ、大丈夫か?」

 

「…………ん…………」

 

 雨よけの為にマントの中に入っていたメルエにカミュが声をかけるが、メルエはマントの中から顔を出す事なく、言葉を返して来る。その事を若干訝しげに思ったが、寒さのせいだろうと判断し、カミュは塔の入り口へと手を掛けた。

 リーシャが後に続き、雨に顔を打たれる事を気にせずに塔を見上げていたサラも、慌てたように塔の内部へと入って行く。

 一行を飲み込んだ塔の扉が重々しい音を立てて閉められた。

 

<ガルナの塔>

神々に最も近い場所と云われる<ダーマ神殿>と共に建てられたと伝えられるこの塔は、<ダーマ神殿>で洗礼を受け、神々の下へ向かう事の許された者が、天へと登るために建立されたと言い伝えられていた。

 

 だが、今やこの<ガルナの塔>が持つ『天へと続く階段』という異名を、もはや誰も知る者はいない。

 

 

 

 

 




読んで頂きありがとうございました。

ガルナの塔です。
ゲーム中では色々なイベントがあった場所。
その辺りも含めて楽しんで頂ければ嬉しいです。

ご意見ご感想を心よりお待ちしています。

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