新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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ガルナの塔①

 

 

 

 塔の内部に入った一行は、その内部の構造に驚いた。

 <シャンパーニの塔>のように吹き曝しの塔ではなく、そこはまるで居住区のような佇まい。周囲はしっかりとした壁に覆われ、風や雨が入って来る事はない。

 上部の方はどうなっているのかは解らないが、少なくとも、この一階部分には魔物の気配はなかった。

 

「す、すごいですね」

 

「こ、ここには、人が住んでいるのか?」

 

 感想を漏らすサラの横で、リーシャが疑問を溢す。リーシャの頭の中には、<ナジミの塔>にあった宿屋が思い浮かんでいるのかもしれない。

 

「……」

 

「……行くぞ……」

 

 

 門を入ってすぐの場所で立ち止まっていた一行を、カミュの一言が動かし出す。カミュが歩き出すのと同時に、その裾を握っていたメルエが言葉を返す事なく歩き出した。

 カミュのマントから全く顔を出さないメルエを不思議に思いながらも、リーシャはサラを促して先へと進む。

 

 

 

 塔の一階部分は、リーシャの助けを借りる事なく進める程に広々とした空間であり、また、風や雨を心配する必要がない分、自由に歩き回れそうに感じる。

 

「カミュ、左右に部屋のような物があるぞ?」

 

 歩き出してすぐの事だった。

 カミュやサラの感じた物とは違い、この女性戦士は、一行に道を指し示さずにはいられないらしい。左右に首を動かしたリーシャは、前を歩くカミュに声をかけた。

 その声にカミュは大きな溜息を吐き、サラはばつの悪そうな表情を浮かべる。

 

「……何故アンタは……いや、いい……」

 

 カミュは、何かを諦めたように言葉を途中で切り上げた。そして、リーシャの言葉を受け入れる形で、左へと進路を取る。

 満足気にカミュの後ろを歩くリーシャの横で、サラは苦笑を浮かべる他なかった。

 左へと進んだ一行は、リーシャが言った通りの、部屋のような空間に出ると、そこには篝火のような物が四隅に灯され、その中央に法衣を纏った男が立っていた。

 

「ほほぉ……新たな来訪者とは珍しい」

 

 男はカミュ達を目に留めると、目を見開いた後にどこか歓迎とは違う声で、言葉を溢す。男の言葉通り、この塔を訪れる人間は珍しいのだろうが、その言葉には何処となく他意が混じっているように感じた。

 

「ここで何をなさっているのですか?」

 

 そんな男に口を開いたのはサラ。

 この塔は、<ダーマ神殿>が認めし、神聖なる塔。

 その塔に『僧侶』がいる事は何ら不思議な事ではないが、もはやこの塔に居住しているようにさえ見えるこの男に、サラは疑問を感じたのだ。

 

「ふむ。失礼ですが、貴女方こそ、この塔へどのような用件で?」

 

 サラの疑問に対し、男は不躾に疑問で返して来る。その瞳は、人の良さそうな光を残しながらも、奥に妖しい物を秘めていた。

 カミュにはその光が何を意味しているのかを理解していたが、サラにはそんな『人』の影をまだ充分に理解してはいなかった。

 

「失礼致しました。私はアリアハン教会に所属していた者です。<ダーマ神殿>にて、教皇様より<ガルナの塔>へと指針を頂きました」

 

「……」

 

「サラ!」

 

 故に、サラは男の質問に対し、真面目に答えてしまう。カミュは、そんなサラに溜息を漏らし、リーシャは思わずサラの名を叫んでしまった。

 リーシャもまた、目の前に立つ男の瞳に宿る光を何度も見て来ている。故に、その相手に対してその感情を更に煽るような行為をするサラを諌めたのだ。

 しかし、カミュからしてみれば、リーシャの行為に対しても溜息を吐きたい所ではあったが、この場ではそれを押さえ、早急に立ち去ろうと考えていた。

 サラの失言に対して意識を向けていた二人は気付かない。ここにおいても、サラは自分を『僧侶』とはしていないのだ。

 そればかりか、アリアハン教会に属している『僧侶』である事を、まるで過去の出来事であるように話していた。

 

「ほほぉ……これは、これは。教皇様より直々にお言葉を頂いたのですか?……それでは貴女は<ダーマ神殿>に辿り着けたと?」

 

「えっ!? あ、は、はい」

 

 先程までの人の良さそうな瞳の色が一気に失われて行く。代わって表に出て来たのは、探るような『疑心』に満ちた瞳。

 サラとて、あの<ダーマ神殿>で聞いた言葉は覚えていた。しかし、この神聖な塔に出入りする『僧侶』であるのなら、既に聖地に辿り着いた者だろうと考えていたのだ。

 

「では、教皇様から『悟りの書』について、お聞きになったのですね?」

 

「えっ? さ、悟りの書ですか?」

 

 自分が考えていた流れを大きく逸脱し始めた会話に戸惑うサラは、男の口から発せられた初めて聞く単語に、思わず聞き返してしまう。そんなサラの様子を見て、男は明らかな落胆を表した。

 

「教皇様にお会いし、直にお言葉を頂いたのならば、この言い伝えの信憑性も増すと思ったのですが……」

 

「……言い伝え?」

 

 落胆の溜息と共に吐き出された言葉に反応したのはカミュだった。

 『悟りの書』という単語には対して興味はなかったが、男の言う『言い伝え』と呼ばれる物は、教皇が自分達に告げた理解出来ない事を解き明かす鍵になるのではないかと考えたのだ。

 

「貴女は、本当に<ダーマ神殿>に辿り着かれたのですか?……いくら他国の『僧侶』といえども、<ダーマ神殿>という聖地と、ルビス様に最も近き教皇様に対しての侮辱は許されざる行為ですぞ」

 

 戸惑うサラに対し、顔を上げた男は、まるで糾弾するように言葉を投げつける。それは、ルビス教の聖地と云われる<ダーマ神殿>と、絶対的な君臨者である教皇を侮辱したという事に対しての怒りではなく、何か別の物に対しての苛つきを吐き出しているようにも思えた。

 

「……申し訳ない……この者は、幼い頃に魔物に襲われ、心を病んでいるのです」

 

「ぶっ!」

 

「カ、カミュ様!」

 

 そんな怒りを向ける男に対し、代わりに前に出たカミュの言葉に、リーシャは思わず噴き出してしまった。

 それはいつもならサラの役目であるのだが、当のサラは瞬時に顔を真っ赤に染め、カミュへ抗議を口にする。

 

「……黙っていろ……」

 

 しかし、リーシャの持つ陽気な雰囲気とは真逆に、重苦しく口を開き、小声でサラに向けて呟いたカミュの迫力にサラは口を噤んだ。

 

「……供の者が失礼致しました。<ダーマ神殿>に向かわれる方々が、この塔に赴く事を噂で聞き、足を運んだのです」

 

「……そうでしたか。幼い頃に魔物に襲われるなど……さぞ、お辛い事でしたでしょうに……」

 

 サラやリーシャを押しのけるように前に出たカミュの言葉は、とても重苦しく、目を伏せるように男へと頭を下げた事で、男はその言葉を信じたようだ。

 リーシャが笑いを堪えて手で口を押さえた姿が、嗚咽を堪えるように見えたのも、一つの要因なのかもしれない。

 

「『心を病んだ者も受け入れて頂けるのでは?』と、<ダーマ神殿>を目指していたのですが……」

 

「……そうですか……」

 

 続くカミュの言葉に、男は沈痛の表情を浮かべる。もしかすると、最初に瞳の中にあった『人の良さそうな光』が彼の本質なのかもしれない。

 

「……大変恐縮なのですが、宜しければ、先程お話しにありました『言い伝え』と言う物を教えて頂けませんでしょうか? 初見の方にこのような事をお聞きするのは、大変失礼なのですが、私達は『藁にも縋りたい』程でして……」

 

「あっ!?」

 

 しかし、カミュが続いて漏らした言葉に、男はあからさまに表情を歪めた。

 それは、カミュ達の内情を良く知りもせず、自分が持っている情報を漏らしてしまった事への後悔なのか、それとも本心からカミュの言葉を信じてのものなのかは解らない。

 ただ、カミュの迫力ある呟きに暫く停止していたサラの活動は、再び覚醒した時には、先程とは比べ物にならない程荒れていた。

 そして、それを抑えるリーシャの顔は、何かを堪えるように歪んでおり、男にはそれが、気が触れた女性と涙ながらに抑える女性と映ったのかもしれない。

 

「……心中お察し致します……こちらこそ、失礼を致しました」

 

「いえ」

 

 未だに後ろで暴れるサラを必死で抑えるリーシャ。

 普段であれば全く逆の立場になっている構図は、メルエから見れば滑稽な物であったであろうが、そのメルエはカミュのマントの中で身動き一つしていない。顔を出す事もなく、口を開く事もなかったのだ。

 

「『言い伝え』とは、この塔のどこかに<悟りの書>と呼ばれる物が存在し、それを手にすれば『賢者』にもなれると云われている物です」

 

 カミュにもう一度頭を下げた男は、この<ガルナの塔>に纏わる言い伝えを話し始める。その内容は、カミュにとって別段興味を惹く物ではなかった。

 だが、この塔の一階部分に居住している人間の殆どが、その『悟りの書』という代物を欲しているのだという事だけは理解する。

 

「そうですか」

 

「貴方方には、余り役には立たないものかもしれませんね」

 

 どこか申し訳なさそうに呟く男の言葉に、その男の本質が垣間見えた。

 丁重に頭を下げたカミュは、そのまま踵を返し、元の通路へと戻って行く。何か叫びそうになっているサラを押さえて、その後をリーシャが続いて行った。

 

 

 

「カ、カミュ様、酷いではありませんか!?」

 

 男がいた空間から離れたのを確認し、サラが抗議の声を上げる。それは、自分を『心が病んでいる』と紹介したカミュへの抗議だった。

 リーシャは笑いを堪えながら、その二人の様子を見ていたが、振り返ったカミュの瞳を見て、その笑いも急速に冷めて行く。

 

「アンタ達は、揃いも揃って馬鹿なのか?」

 

「えっ!?」

 

「な、なに?」

 

 カミュが持つ予想外の雰囲気に、サラは威圧されたように言葉を詰まらせる。傍観者であると考えていた自分までもが、カミュの言葉の対象になっている事に、リーシャまでもが驚きの声を上げた。

 

「アンタ達は、<ダーマ>であの教皇の話を聞いていなかったのか?」

 

 振り返ったカミュの瞳は冷たく、表情は抜け落ちたような能面顔。

 その表情は、自分達が起こした失態を追求する物であり、気付かない内に何かをしてしまったのではと考えたリーシャは、続くカミュの言葉を待つしかなかった。

 

「ここ数十年間で<ダーマ>へ辿り着いた『僧侶』は、教皇の傍に控えていた男以外はアンタが久方ぶりだと言っていた筈だ。それが何を意味するのかも解らないのか?」

 

「……ど、どういう事だ?」

 

 カミュの放つ『僧侶』という単語に固まってしまったサラの代わりに、カミュの言葉を全く理解できないリーシャが問いかける。そんなリーシャの納得が行っていない表情を見て、カミュは盛大な溜息を吐いた。

 

「この塔にいる『僧侶』は、誰一人<ダーマ>には辿り着いていない。つまり、誰も教皇をその目にしていないという事だ」

 

「だから何なのだ!?」

 

 物分かりの悪いリーシャに、カミュは溜息を吐き、顔を下げる。

 そんなカミュの様子に、ようやくサラが戻って来た。

 

「つまり、誰もが<ダーマ神殿>という存在も、教皇様の存在も信じていないという事ですか?」

 

「そうは言わない。アンタ方『僧侶』は、ルビスという精霊の下、<ダーマ>の存在も教皇の存在も信じてはいるのだろう。だが、確かめる術はない。『そう云われている』、『そう教えられた』という存在を見た者はいない」

 

 カミュの言うとおり、教皇の言葉を信じるのであれば、今この世界で生きている人間の中で<ダーマ神殿>を見た者は皆無に等しいという事になる。それは、その存在自体が噂の域を出ていない事を意味していた。

 いや、神聖な場所という認識から、それこそ『言い伝え』なのかもしれない。

 

「そんな場所に行き、半ば伝説化した『教皇』という存在に会った等と話せば、まず信じないだろう。だが、その話が信憑性を増せば、信じざるを得なくなり、その結果どうなるのかはアンタ方でも分るだろう?」

 

「……」

 

「どうなるんだ?」

 

 カミュの言葉に、声を失くしたサラとは違い、リーシャは素直にカミュへと問いかける。カミュは再び溜息を吐き、そして顔を上げた。

 

「この僧侶は、祀り上げられる。本人の意思など関係なく、全ての人間の救世主としての行動を要求され、それは強制となって行く。『誰も辿り着けなかった<ダーマ神殿>へ赴き、教皇の言葉を聞いた者』として、全世界の人間の傀儡だ」

 

「!!」

 

 カミュの話す内容。それをリーシャもサラも否定が出来なかった。

 何故なら、その証拠が、今自分達の目の前に立ち、冷たい目をしながら話をしているのだから。

 

「し、しかし……もはや、会う事もないだろう……」

 

「ならば、名など叫ぶな!」

 

 弁解をするように言葉を絞り出したリーシャに、珍しく語気の荒いカミュの言葉がぶつけられる。そんなカミュの姿にリーシャは目を丸くした。

 

「この僧侶は、『自分はアリアハン教会に所属していた者』と名乗った。それだけでも充分に存在を明確にしたようなものだ。加えて、アンタが名を漏らした事によって、この僧侶の存在は断定された」

 

「うっ……」

 

 カミュの糾弾に対し、反論が出来ない。

 もし、あの男がその気になれば、アリアハン教会に行き、サラの帰りを待つだけでも可能であるが、名を漏らした事によって、この先の旅路で『サラという名の、アリアハン教会に属する僧侶』と聞けば、その足跡を辿る事が可能となるのだ。

 

「傀儡となった人間に自由はない。安息の生活もなければ、死の自由すらもない」

 

「……カミュ様……」

 

 悲痛の表情を浮かべ、カミュを見つめるサラが言葉を漏らす。それは、自分の未来の可能性を示唆された事への絶望か、それともカミュの生い立ちを垣間見た事への悲痛なのか。

 

「……サラ、すまない……」

 

「いえ!? わ、わたしもそのような事は考えてもいませんでした。リーシャさんに責任はありません」

 

「アンタも同じだ。あの男の瞳にあったのは明らかな『嫉妬』だ。そして、<悟りの書>と呼ばれる物を取られるのではないかという『恐れ』。それを理解せずに、自分の素姓と経緯を話す事の危険性を理解しろ」

 

 リーシャに対して、言葉をかけていたサラへと矛先は移動する。カミュの言葉は、見方を変えれば、サラという存在を心配しているのと同義。

 だが、それにこの二人は気付かない。それ程にカミュの話した考察は、リーシャやサラにとって青天の霹靂であったのだ。

 考えもせず、予想も出来ない程の『人』の心の裏側。そして、それが引き起こす事態の重大さが彼女達の思考を止めてしまう程の物だった。

 

「……はい……し、しかし……私はもう……」

 

 カミュの言葉に俯きながら答えるサラを、リーシャは顔を歪めて見ていた。

 おそらく、『自分にはそのような資格はない』とでも言いたいのだろう。そんなサラの苦悩を理解しているからこそ、リーシャは自分の失態に心を痛めていた。

 

「俺は、アンタ以外の『僧侶』を見た事はない」

 

「えっ!?」

 

「……カミュ……」

 

 しかし、下がって行ったサラの顔は、カミュの繋げた言葉に弾かれたように上がった。

 リーシャも同様に顔を上げ、目を見開いてカミュを見ている。そんな二人の様子を見る事もなく、再びカミュは歩き出した。

 

 カミュの言葉には、『サラ以外の人間を僧侶として認めてはいない』というような意味が混じっていた。

 その事にリーシャもサラも気が付いたのだ。

 教会の人間を心底嫌っているような素振りを見せていたカミュが、その教会の人間を認めている。

 そんな言葉に、リーシャもサラも固まってしまった。

 ただ、このようなやり取りの間も、カミュのマントの中から顔も出さず、一言も言葉を発していないメルエを気にする余裕は、この三人にはなかった。

 

 

 

「人生とは、『悟り』と『救い』を求める巡礼の旅です。<ガルナの塔>へようこそ」

 

 入口を入って右側の方向に進路を取った一行は、再び開けた空間に出る。そこには、先程の男と同じような法衣を纏った女性が、椅子に腰掛け、カミュ達の来訪に驚きの表情を見せていた。

 しかし、カミュの後ろに立つ、法衣を纏ったサラを見ると、顔に作られたような微笑を浮かべ、歓迎の言葉を述べる。そんな女性僧侶にカミュは冷ややかな瞳を向け、サラは丁寧に頭を下げた。

 

「貴女も<悟りの書>を?」

 

「い、いえ。ルビス教における聖地と名高い<ガルナの塔>へ巡礼に参りました」

 

 頭を下げ終え、顔を上げたサラに対して女性僧侶が発した言葉の中には、再びあの単語が入っていた。

 サラは、先程のカミュの言葉を思い出し、無難な答えを探し出す。どこか探るような瞳を向けていた女性僧侶は、もう一度顔に笑顔を浮かべた。

 

「そうですか。それは、ご苦労様です」

 

 そう言って胸で十字を切る女性僧侶に、サラは再び頭を下げた。

 言葉少なく、その場を後にした一行に会話はない。先頭を歩くカミュは黙して何も語らず、サラは何故自分がこの場所に来る必要があったのかを考え、リーシャは一連の出来事について頭を悩ませていた。

 

 

 

「しかし、また『悟り』か……」

 

 右へ曲がったところに居た男と同じ様に『悟り』という言葉を使った女性僧侶の言葉に、リーシャは呟きを漏らした。

 リーシャの呟きに意識を戻したサラは、少し考え込む。

 

「……<悟りの書>とは何なのでしょう?」

 

 リーシャと同じく、サラもその不思議な代物に対して疑問を持っていた。

 <ダーマ神殿>で教皇はこの塔にある物について一言も話はしなかった。ただ、『そこへ行ってみよ』という言葉を告げただけに過ぎない。

 

「何れにしても、あの僧侶達がそれを手にする事はないだろう」

 

 疑問を持つ二人とは別に、カミュは全く違う感想を抱いていた。

 『悟りの書』という物がどのような代物なのかは解らない。しかし、教皇の言葉を信じるのであれば、それは『資格』と言っても過言ではない物。

 つまり、教皇の言葉と、先程の男の言葉を繋ぎ合わせると、それは『賢者になる為の資格』なのかもしれない。

 

「どういう事だ?」

 

 例の通り、自分では理解出来ない事をカミュへと問いかけるリーシャの姿に、サラに笑顔が生まれ、カミュは大きな溜息を吐く。

 しかし、今度のカミュは、ちらりとサラに視線を向けただけで、リーシャに対して答えを与える事はなかった。

 再び塔の一階部分を歩き出してしまったカミュに、リーシャは一瞬顔を顰めるが、一度視線を向けられたサラは大いに戸惑った。

 『また、何か自分に落ち度があったのだろうか』と。

 

 

 

 前を見ながら、自分のマントの中で静かに歩いているメルエを気にかけて歩くカミュは、先程の僧侶達の言葉を思い出していた。

 彼等は総じて、『悟りの書』と呼ばれる物を求めてこの塔を訪れたのだろう。それは、ルビス教の僧侶としての出世欲なのか、それとも『賢者』と呼ばれる存在に対しての憧れなのか、はたまた、<ダーマ神殿>へ辿り着く為の手段と考えているのか。

 その何れであろうと、彼らにある物は全て『欲』である。

 彼らは、自分達が崇める『精霊ルビス』という存在に何の疑問も抱かず、妄信的にそれを信じている。いや、今のカミュは、そうではないと感じ始めていた。

 彼らは『精霊ルビス』を妄信的に信じているのではなく、『精霊ルビス』という高貴な存在を媒体として人間の都合の良いように作られた『教え』を妄信的に信じているのだ。

 

「……メルエ、大丈夫か?」

 

「…………ん…………」

 

 一度、メルエへと声をかけ、短い言葉が返って来た事で、再びカミュは思考に入る。

 彼らのような僧侶は、それ故に<ダーマ神殿>に足を踏み入れられないのかもしれない。

 あの場所は、己の欲の為に、その強大な力を使われないよう、初代教皇によって護られている。

 教皇は、『選ばれし者であれば、必ず『それ』の方から呼びかける』とサラに対して語っていた。それはつまり、その代物を手にする資格を有する者を、それ自体が選定するという事なのだろう。

 それこそ、来る者を選定する初代教皇のように。

 

「……カミュ様?」

 

 そこで、カミュはもう一度、後ろを歩く法衣を纏った少女を振り返る。その視線を受けたサラは、若干身を強張らせ、恐る恐るカミュの名を呼んだ。

 しかし、再び何も答えずに、歩き出したカミュに、サラは何とも言えない恐怖感を味わってしまう。

 

 『もし、本当にその代物が、それを有する資格のある人間を選ぶとしたら、あの僧侶だろう』

 

 カミュは密かにそう考えていたのだ。

 カミュが生を受けてから十数年間、カミュの前に現れたどの僧侶とも違う存在。

 初めは、『教会の人間』という認識に違わぬ存在だった。

 魔物を憎み、それを殲滅する事を良しとし、それに相反する者へも憎悪を向ける。自分に刷り込まれた知識と価値観だけで物事を判断し、それ以外を認めようとはしない。

 だが、何時の間にか、彼女は変わっていた。

 常に自分の中に存在する『教え』と、目の前で起こっている事象とで悩み、苦しんでいた。そして、その中での自分の存在自体に再び悩む。

 『精霊ルビス』という存在を疑う事は一度もなく、それでいながら『教え』に対して悩み続ける。

 

 『甘い』

 

 吐き捨てれば、たった一言。

 『人』が犯す様々な醜さを目の当たりにしながらも、『人を救いたい』と罪人をも許し、そして再び『人の弱さ』を目の当たりにする。それでも『人の強さ』を信じ、歩き始めたと思えば、あれだけ憎しみを向けていた魔物さえも救い出す。

 そして、そんな自分の変化を認めながらも、自己の存在を否定する。

 カミュが見て来た『僧侶』という存在の中で、誰よりも弱く、誰よりも脆い。そして、誰よりも甘く、誰よりも危うい。

 しかし、カミュが見て来た『人』という存在の中で、誰よりも強いのだ。

 それは、後ろを歩くリーシャのような強さではないし、カミュのマントの中にいるメルエのような強さでもない。

 自分と共に育って来た価値観が壊れて尚、前に進もうとする強さ。

 それをカミュは認めていた。

 

 

 

「カミュ! そこにも部屋のようなものがあるぞ!」

 

 先程自分が指示した場所で、余り心地良いとは言えないまでも、情報が手に入った事に自信を持ったリーシャが、再びカミュへと行き先を指し示す。もはや、カミュにその声を拒む気力はなかった。

 深い溜息を吐き、道をまっすぐに進む。

 

「!?」

 

「こ、これは……『旅の扉』ですか?」

 

 その道の先にある狭い空間に出た時、そこには人はいなかった。

 例の如く『行き止まり』ではあったが、その先にある泉のような渦を巻く物はメルエ以外の三人にとって見覚えがある物。

 

<旅の扉>

カミュ、リーシャ、サラの三人がアリアハンという生まれ故郷を出る際に使用した物。それは、泉のような形で、渦を巻く水が湛えられている。一度その泉に身を落とせば、その泉と繋がっている遥か遠くの泉へと移動する事が出来る物。故に『旅の扉』

 

「カミュ……入るのか?」

 

「……アンタがこの道を選んだのではないのか?」

 

 アリアハンを出る時に感じた、あの何とも言えない浮遊感を思い出し、問いかけるリーシャへの答えはとても冷たい物で、リーシャは言葉に詰まってしまう。

 確かに、この道を指し示したのはリーシャであるが、行くかどうかを決めるのは常にカミュであった事を考えると、リーシャが罪悪感を覚える必要性はそれ程ない筈であるのだが。

 

「……メルエ、しっかりつかまっていろ……」

 

「…………ん…………」

 

 一度足下にいるメルエを抱きかかえるように持ち上げたカミュは、自分の身体を掴むメルエの力が弱い事に気付き、メルエへと注意を投げかける。それに対し、メルエは小さく頷いた後、カミュの首に回す腕に力を入れた。

 メルエの腕がしっかり自分を掴んでいる事を確認したカミュが、泉の中へと飛び込んで行く。

 

「……やはり、行くのか……」

 

「そ、そうですね」

 

 先に行ってしまったカミュの姿が消えた後、リーシャが溜息を洩らし、同じようにサラの表情も浮かないものとなる。それと言うのも、サラはアリアハンから出る為に『旅の扉』を使用した際、半日近く気を失っていたのだ。

 だが、それは、大陸間を移動するような大規模の転移の副作用のためなのだが、サラやリーシャには、そこまでの知識はなかった。

 

「ええい! ままよ!」

 

「あっ!?」

 

 一つ大きく息を飲み込んだリーシャは、よく解らない掛け声を発した後、勢い良く泉へと飛び込んで行く。渦を巻く泉の中に徐々に解け込んで行くリーシャを見ながら、サラも心を決めた。

 

「いきます!」

 

 誰も聞いていないサラの決意表明が、狭い空間に響き、その反響が消えて行く頃には、その場所にサラの姿は無くなっていた。

 

 

 

「サラ! 気が付いたら槍を構えろ!」

 

 奇妙な浮遊感は、アリアハンの時程続かなかった。その為、自分の身体が冷たい床に投げ出されてすぐに、サラの意識は覚醒する。

 覚醒と共に掛けられたリーシャの言葉は、戦闘開始の合図だった。

 

「えっ!?」

 

 慌てて立ち上がり、背中にある<鉄の槍>を構えたサラは、前方に広がる光景に驚きの声を上げてしまった。

 異形な魔物が二体。

 そしてその魔物に取り囲まれている一人の老人。

 その老人はもはや命を諦めているのか、床に座り込み目を瞑っている。

 

「……メルエ、後ろへ……」

 

「…………ん…………」

 

 背中の剣を抜き放ったカミュは、マントを広げ、メルエをサラの方へと誘導する。そんなカミュを見上げる事なく、首を縦に振ったメルエは、ゆっくりした歩調でサラの下へと移動して行った。

 

「カミュ! 先に行くぞ!」

 

 あの夜、カミュに宣言した通り、斧を手にしたリーシャが最前線へと躍り出る。今の老人の姿を見れば、時間の猶予などあり得ないのだ。

 手にした斧を横に構え、瞬時に魔物の群れに肉薄したリーシャがそれを振り抜く。

 

「クキャ――――――!」

 

 迫り来る斧の刃先を、叫び声を上げながら横へと避けた魔物がリーシャを睨むように対峙する。その時に、魔物の隙間から辛うじて見えていた老人の姿がサラの目にはっきりと映った。

 その姿は満身創痍。

 頭や肩からは血を流し、身に着けた法衣の様な物はみすぼらしい程に破れ果てていた。

 おそらく、この二体の魔物にかなりの間襲われていたのだろう。戦う術を持たないのか、それとも術を全て行使し終えてしまったのかは解らない。

 だが、既に魔物を目の前にして座り込んでいる老人の命は風前の灯だった。

 

「クキャ――――――!」

 

 老人の方へと駆け寄ろうとするサラの前に異形の魔物が立塞がる。その姿は、今まで相対して来た獣に近い魔物達とは一線を介していた。

 まるで、鳥が持つ嘴に足が生えているような姿。

 それは、通常の人間であれば、恐怖すらも抱く程の姿だった。

 

<大くちばし>

鳥の頭のような巨大な頭部を持つが、それに繋がる胴体を持ち合わせておらず、まるで巨大な頭部から足が生えたような魔物。退化したのか、それとも進化したのかは解らないが、羽も身体もない鳥と言えば良いだろうか。その巨大な頭部にある、同じように巨大な嘴はとても鋭く、人間の皮膚などを容易く貫く。また、邪魔な胴体がない為か、その巨大さにも拘らず、とても敏捷な動きをする。

 

「!!」

 

 リーシャを敵と認めたのか、その鋭い嘴を向けて来る<大くちばし>の攻撃を、リーシャは辛うじて横へと避けた。しかし、それだけでは終わらない。

 横へと避けたリーシャの頭上からもう一度<大くちばし>の嘴が落ちて来た。

 

「リーシャさん!」

 

 サラの声に、リーシャは咄嗟に頭上へと<鉄の盾>を掲げた。同時にリーシャを襲う、かなりの圧力は、<バハラタ東の洞窟>で相対した<殺人鬼>の比ではない。

 地面にめり込むのではないかと思う程の力を受け、リーシャは苦悶の声を漏らした。

 

「クキャ――――――!」

 

 予想以上の力を受け、よろけるリーシャに次の攻撃が繰り出される。

 嘴による攻撃しか手段を持たない<大くちばし>の攻撃は、単調であるが故に素早かった。よろめくリーシャの横合いから繰り出される攻撃に、リーシャの盾は間に合わない。

 

「…………メラミ…………」

 

 しかし、その嘴がリーシャの横っ腹に突き刺さるよりも早く、リーシャの横に凄まじい程の火球が飛び込んで来た。

 <大くちばし>の巨大な頭部と同等の大きさを誇る火球は、その頭部を飲み込み、リーシャの横から文字通りに吹き飛ばした。

 

「くっ」

 

 しかし、その代償は余りにも大きい。

 元々、この魔法は、サラの指示を待って唱えるのがリーシャとメルエの約束であった。だが、リーシャの危機に際し、独断で呪文を詠唱した為、リーシャと魔物の距離が近過ぎたのだ。

 しかも、メルエの唱えた<メラミ>は魔物を確実に捕らえるが、リーシャが斧を持つ手をも巻き込んでいた。

 

「リ、リーシャさん!早く、こちらへ!」

 

 焼け爛れた右腕から、斧が滑り落ちる。その光景を見たサラが、<べホイミ>の詠唱の準備に入った。

 残る一体を、<鋼鉄の剣>を握るカミュに任せ、リーシャが一度後方へと下がる。その右腕を間近で確認したサラは息を呑んだ。

 

「べホイミ!」

 

 その右腕の状態に戸惑いを見せていたサラが、一際大きな声を上げ、自身が持つ最大の回復呪文を唱えた。

 サラの二の腕までをも包み込んだ淡い緑色の光が、リーシャの右腕を包み始める。それと共に、焼け爛れた皮膚が戻り始め、赤黒く変色していた肉が隠れ始めた。

 

「…………」

 

 そんな二人の姿を、眉を下げながら見ている少女。

 いつもよりも覇気のない瞳で、メルエはリーシャの腕が復元されていく姿を眺めていた。

 

「ホイミ!」

 

 リーシャの腕が元の形状に戻った事を確認したサラが、細かい傷等を修復するために、再度回復呪文を唱える。先程よりも小さな光がリーシャの腕を包み込み、この塔に入った頃の腕と同じ物へと戻して行った。

 

「……ふぅ……これで、大丈夫です。まだ、感覚はおかしいかも知れませんが、時間が経てば、完全に元に戻ると想います」

 

「ああ。充分だ。ありがとう、サラ」

 

 サラの顔の後方では、カミュが、残る<大くちばし>を追い詰めている姿が見えていた。もう、魔物の追撃をする必要はないだろう。

 そんな安心感からなのか、リーシャは柔らかな笑みを浮かべ、サラへと感謝を向けた。

 

「いえ、当然の事です。それは別として……メルエ!」

 

「…………」

 

 リーシャとは違い、感謝の意を受けても、サラの表情は厳しいままだった。そのままの表情で振り向き、そこに呆然と立つ幼い少女の名を口にする。

 対するメルエは、サラの怒気とも言って良い感情を受けても、どこか上の空のような瞳を向けていた。

 

「あの魔法は、メルエ一人で使ってはいけないとリーシャさんから言われていたでしょう?」

 

「いや、良いんだ。メルエは、私の危機を救おうとしてくれたんだ」

 

 メルエを叱責するサラの言葉を、リーシャが腕を上げて止める。

 自分を救うためにしてくれた行動を咎める必要はないと。

 しかし、そんなリーシャに振り返ったサラは、苦々しく表情を顰めた。

 

「駄目です。そうやって許してしまっては、メルエはまた同じ事を繰り返します。メルエの持つ魔法力は、リーシャさんが考えるよりも強大なのです。もし、使用時を間違えれば、メルエが『護りたい』と思っている者まで傷つけてしまいます。その時、一番傷つくのはメルエですよ!」

 

「……」

 

 サラの言葉に、今度はリーシャが言葉を失った。

 リーシャとて、メルエの異常さには気がついていた。

 ただ、サラほど深刻に捉えていなかったのかもしれない。

 

「…………ごめん………なさ……い…………」

 

「ん。大丈夫だ。次は気をつけような」

 

 そんなサラの想いが伝わったのか、いつもより更に小さな声で、メルエは頭を下げる。メルエの姿を見て、リーシャは柔らかく微笑んだ。

 ただ、いつもなら、そんなリーシャの笑みを見て微笑む筈のメルエの表情は変わらない。

 

「それと、私を護ってくれてありがとう」

 

「…………ん…………」

 

 それは、リーシャがメルエに感謝の意を示しても変わらなかった。

 出会った頃のカミュのように、感情が見えない虚ろな瞳で、一つ頷いただけ。

 メルエの心の中が見えないリーシャの表情も曇り出す。

 

「おい。あの老人に回復呪文をかけてやらなくても良いのか?」

 

「あっ!? は、はい!」

 

 そして、そんなメルエにもう一度声をかけようと、リーシャが口を開いた時、その後方から、<大くちばし>を倒し終えたカミュの声が掛かる。

 リーシャへの回復と、その状況を作り出したメルエへと意識が向かい、魔物に囲まれていた老人の事を忘れていたサラが、慌てて老人へと駆け寄って行った。

 

「……腕は大丈夫なのか?」

 

「あ、ああ。もう大丈夫だ」

 

 自分の身を案じるような言葉を掛けられ、多少の戸惑いを見せるリーシャは、カミュから言葉と共に手渡された<鉄の斧>を、先程回復したばかりの右手で受け取り、具合を確かめるように掲げてみせる。

 その様子を一瞥したカミュは、メルエの方へと視線を向けて、マントを広げた。

 

「……メルエ……」

 

「…………」

 

 カミュの呼び掛けに、メルエは無言でカミュのマントの中へと入って行く。メルエが何を考えているのかが見えて来ないリーシャは、メルエが入って行ったカミュのマントを暫し見つめていた。

 

「……行くぞ……」

 

「あ、ああ」

 

 じっとカミュのマントを睨むように見つめているリーシャに、カミュの声が掛かる。マントの裾から見える小さな足は、踵を返すカミュの足と同じ方向へと動いて行った。

 その足を見ながら、リーシャは曖昧な返事を返す。

 

 

 

「大丈夫ですか? 今、回復呪文を!」

 

 カミュ達がサラの下へと移動し始めた頃、サラは先程魔物に取り囲まれていた老人に駆け寄り、回復呪文の詠唱準備に入っていた。

 サラの問いかけにも、老人は目を瞑ったまま答えない。その様子に、サラは最悪な状況を考えてしまい、急ぎ、頭や肩に手を翳し、詠唱を開始した。

 

「ベホイミ」

 

 見た目は、先程のリーシャの焼け爛れた腕よりも酷い怪我ではない。

 しかし、最悪の状況も考え、サラは自身が持つ最上の回復呪文を唱えた。

 

「サラ、その御仁は大丈夫なのか?」

 

 サラの腕から移っていく淡く大きな緑色の光によって、老人の傷が塞がって行く。その頃になって、ようやくリーシャが到着した。

 老人の様子を窺うように、サラの横に立ったリーシャは、老人とサラに交互に視線を送る。

 

「わ、わかりません。お身体は大丈夫でしょうか?」

 

「おい。大丈夫か?」

 

 老人から全く反応がない事で、サラには老人の身体の具合がある程度にしか解らない。命に別状はないと思われるが、見た目が高齢な者の為、どこか不具合があるのかもしれないと考えていた。

 サラの答えに、リーシャも同じ感想を持ち、老人へと声をかけるが、やはり反応はない。

 

「……大丈夫だろう。ここには、この老人しかいないようだ。戻るぞ」

 

 そんな二人の後ろで、カミュの溜息が聞こえる。

 もはや、カミュにとって、この塔にいる人間については興味がないのだ。

 

「そ、そんな。このような場所に一人でいたら、いつ魔物に襲われてもおかしくはありません」

 

「そうだな。戻るなら、この老人も一緒の方が良いだろう」

 

 冷たく感じるカミュの言葉に、サラは猛然と抗議した。

 最近は、どちらかと言えば、カミュ側に付く事の多かったリーシャも、今回はサラと同意権であったようで、自分が指し示した先が『行き止まり』であったという事実に気がついていないように案を出している。

 

「……自分の意思でここにいる人間を連れて行く必要はない筈だ」

 

「ですが、何かの間違いで、この場所に転移してしまったのかもしれません」

 

「そうだ。『旅の扉』へ入るだけなんだ。連れて行くのは苦ではないだろう?」

 

 溜息混じりに吐き出されたカミュの言葉に、即座にサラが異議を呈す。

 それに同調するように、リーシャもまた抗議の声を上げた。

 しかし、そんな二人を見つめるカミュの視線は冷たかった。

 

 『彼らは彼らの意思でここにいるのだ』

 

 それが、カミュの意見だった。

 魔物に襲われたくなければ、神聖な塔といえど、このような魔物の住処になる場所に来なければ良い。どこかの町や村で平穏に暮らせば良いのだ。

 確かに、魔物の力が強まった昨今は、町や村といえども危険を伴うが、このような塔よりは遥かに安全である。そのような場所に好んで来ている者までも気にかける必要はないとカミュは考えていた。

 リーシャに『変わった』と言われたカミュであったが、根底にある物は、アリアハンを出た頃と少しも変わっていないのかもしれない。

 

「……」

 

 その考えは、カミュが再三吐き出す溜息となっていた。

 サラには、カミュの吐き出す溜息の意味が解らない。故に、サラはその溜息が自分の意見を渋々ながら取り入れてくれた物と勘違いをし、未だに座り込んだまま目を瞑っている老人へと近づいた。

 

「お身体に異常はありませんか? ここは危ないですので、ご一緒致します」

 

 少なくとも、この塔の入り口付近には魔物の気配はなかった。故に、先程通った『旅の扉』で戻った先は安全だと考えたのだ。

 しかし、実際は『旅の扉』という入り口しかないこの狭い空間に魔物が居た時点で、戻った先にも魔物が出現する可能性はあるのだが、そんなサラの優しさは、唐突に飛び出した予想外の言葉に破壊される。

 

「うるさいのぉ! 先程から、儂の瞑想を邪魔するでない!」

 

「ふえっ!?」

 

 唐突に瞳を開いた老人は、この狭い空間に木霊する程の音量で叫び出す。

 その突然の出来事に、サラは奇怪な声を上げて尻餅をついた。

 

「近頃の若い者は、瞑想すらも出来んのか!?」

 

「ちょ、ちょっと待て! 命を救われたにも拘わらず、その言い草は何だ!」

 

 瞳を開けた老人の言葉に、リーシャは憤りを感じる。

 自分達がいなければ、この老人はあの魔物どもに喰われていたのだ。

 それにも拘らず、このような事を言われる意味がリーシャには理解出来ない。

 

「瞑想中に、魔物の喰われるのであれば、それまでの事じゃ。儂にルビス様の加護がなかっただけの話」

 

「な、なんだと!?」

 

 激昂するリーシャに対して老人が語った言葉は、リーシャに容認できる物ではなかった。だが、それはリーシャ側の言い分。

 リーシャやカミュが魔物を倒し、サラが老人の傷を癒したのも、彼らの自己満足と言われれば、否定は出来ないのだ。

 

「……もう良いだろう……」

 

「……カミュ様……」

 

 そんな怒りに燃えるリーシャを一瞥し、カミュは踵を返す。

 あの魔物達がどうやってこの場所に辿り着いたのかはわからない。カミュ達と同じ様に『旅の扉』で移動したのかもしれないし、そうでないかもしれない。ただ、おそらくは、この狭い空間の奥にある、更に狭い部屋のような空間に元から居た魔物なのだろう。

 それを知らずに、この老人はここで瞑想を始めたのかもしれない。そして、それを覚悟の上で、このような場所で瞑想を続けると言うのであれば、それを止める権利をカミュ達は有していない。

 既に魔物も倒した。もう、この老人の瞑想を邪魔する者はいないだろう。

 

「一つ、ご質問をよろしいでしょうか?」

 

「何じゃ」

 

 『旅の扉』のある方向へ進むカミュを見た後、サラは老人へと声をかけた。

 そんなサラの言葉を鬱陶しそうに受けた老人であったが、その答えは、サラの質問を受け付けると言う物だった。

 

「このような場所で、瞑想をされるのは何故ですか?」

 

「ふん。お前さんも『僧侶』ならば、『悟り』を開く為にこの塔を訪れたのであろう? それ以外に理由等ないじゃろうが」

 

「ま、また『悟り』か?」

 

 サラの質問に対する老人の答えは、この塔に入ってから何度か聞いた単語であった。その単語にリーシャは驚き、若干眉を顰める。

 一度歩みを止めたカミュは、振り返った後、まるで鼻で笑うような仕草をして、すぐに歩き出した。

 

「……そうですか……お邪魔をしてしまい、申し訳ございませんでした」

 

 老人の答えを聞き、何かを考え込むように視線を落としたサラは、丁寧に頭を下げた後、カミュの後を追って歩き出す。未だに納得がいかないリーシャではあったが、ここで自分が喚いても仕方のない事である事は承知している為、苦々しく顔を顰めながらも、サラと共に『旅の扉』へと向かって行った。

 

 

 

「……本当に、『悟りの書』とは何なのでしょう?」

 

「そうだな。だが、この塔に入って、その名を聞いたのも三度目だ。何れもどこかの国や町で、ある程度名の通った『僧侶』なのだろうな」

 

 歩きながら疑問を漏らすサラと同じ疑問をリーシャも持っていた。

 ここまで来る途中で出会った人間は三人。そして、その全員が法衣を纏っていた。

 つまり、それは全員が『精霊ルビス』を崇めている教会に属する者である事の証明である。しかも、この聖地として名高い<ダーマ>周辺まで旅をし、この塔に辿り着いたのであれば、それぞれの教会で修行を終えた者達なのであろう。

 

「そうでしょうね。そのような高僧と言っても良い程の方々が、時間をかけても手に入れられない物……そのような物が、本当にあるのでしょうか?」

 

 リーシャの言葉に対するサラの呟きは、誰に対しての物でもない、独り言に近いものだった。

 サラはアリアハン教会に属していたといえども、まだまだ未熟な者。

 除霊をする事も出来なければ、アリアハンを出た時には、まともな魔法も行使する事も出来なかった。孤児として教会の神父に育てられただけの雑用係と言っても良い程の『僧侶』だったのである。

 故に、サラにとって雲の上の存在に近い、高僧と言っても過言ではない者達が探し続けても見つからない物が実在するのかと疑問に思ったのだ。

 ルビス教徒の頂点に立つ、教皇という雲よりもずっと上の存在から指針を受けて、この塔を訪れては見たが、実際この塔で自分が何をすべきなのかがサラには理解出来ていない。

 

「……この塔を隅から隅まで探索すれば、自ずと解るだろう……」

 

「カミュ様?」

 

 自分の考えに没頭するサラに一度視線を向けたカミュは、そんな呟きを残して、メルエと共に『旅の扉』へと飛び込んで行った。既にその姿がなくなってから、呆然と先に行った者の名を呟くサラを残して、リーシャも渦を巻く泉へと飛び込んで行く。

 残されたサラは、一度振り向き、再び瞑想に入った老人の姿を見た後に、『旅の扉』へと入って行った。

 

 

 

 




読んで頂きありがとうございました。

ガルナの塔は、少し時間のかかる探索となります。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしています。

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