新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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ガルナの塔②

 

 

 一階部分に戻った一行は、再び塔内部を彷徨い歩く。

 思っていたよりも広い塔内部を、カミュを先頭に歩き続けた。

 

「カミュ、こっちに階段が見えるぞ!」

 

 先程の『旅の扉』があった場所から正反対に位置するところで、再び最後尾を歩くリーシャがカミュへと声をかける。しかし、カミュは一度振り返っただけで、その言葉を無視するようにリーシャが指し示す道の反対側へと歩いて行った。

 

「お、おい! 階段はこっちだぞ!? そっちは外に出てしまうではないか!?」

 

「確かに、外ですね」

 

 カミュが歩いて行った方向にサラが目を向けると、リーシャの言う通り、そこは冷たい雨が降りしきる塔外部であった。

 『塔を探索するのに、何故外に出るのか?』という事が理解できないリーシャがカミュへと叫ぶが、その言葉への返答はない。仕方なく、カミュの後ろに付いて行くサラを見て、顔を顰めながらも、リーシャも後に続いて行った。

 

「……大丈夫か……?」

 

「…………ん…………」

 

 外は、しとしとと雨が降り注ぎ、<シャンパーニの塔>を登った時のような風を伴った物ではなかったが、それでも冷たい雨が周囲の気温と共に一行の体温も奪って行く。自身のマントの中にいるメルエに声をかけるが、当のメルエは、小さな返答を返すだけでマントの中から顔を見せる事はなかった。

 

「カミュ! 外に出てどうするんだ!?」

 

「……いい加減、自分の特技を認識してくれ……」

 

 自分の意見が採用されない怒りと、冷たい雨が降り注ぐ外へと出た疑問から、リーシャの語気は荒く、それに対するカミュの溜息は大きくなった。

 ただ、溜息と共に片手を挙げたカミュが指す方向には、塔と同じような石で作られた建物が見え、それを見たサラは、リーシャの特技を再認識したのだった。

 外部にある建物の内部に入ると、小さな空間の中に一つの階段が見え、上部へと進める事を意味している。リーシャは、どこか納得の行かない表情を浮かべながらも階段を上るカミュとサラの後ろをついて行った。

 そして、階段を上りきった時、目の前に広がる光景にリーシャは唖然とする事になる。

 

「も、もしかして……こ、これを渡るのですか?」

 

 言葉を失ったリーシャの代わりに、目の前に広がる光景に驚きと言うよりも恐怖に近い感情をサラが漏らした。

 そんなサラの呟きに、前を見ているカミュも答える事が出来ない。カミュにしても、目の前に広がる光景を見て、唖然としていたのだ。

 

「……カミュ……本当にここを渡るのか?」

 

 無言のカミュに対して、ようやく意識を取り戻したリーシャが声をかける。それは、確認と言うよりも、否定を願う懇願にすら聞こえる物だった。

 それもその筈、カミュ達の前に見える物は、自分達の踏みしめる床とはかなり離れた場所にある床。そして、その間には、人の片足分程の幅しかない通路が続いている。その距離は一歩二歩の距離ではない。

 

「わ、わたしには無理なような……」

 

 リーシャに続き、サラが口にした言葉は完全な弱気。

 かなりの距離に及ぶ綱渡りに近い行動を、この冷たい雨と風が吹く中で敢行しなければならない事に、サラは自信を持てないのだ。

 

「……渡るしかないだろうな……」

 

「……」

 

 リーシャとサラの問いかけに、カミュはさも当然のようにその細いというレベルではない物を渡る事を宣言する。それに対し、リーシャは無言で頷くが、サラの方は絶望に近い表情を浮かべた。

 

「……アンタは、教皇が言った事が何なのかを知りたくはないのか?」

 

「えっ!?」

 

 二の足を踏むサラに対してカミュが発した言葉に、サラは戸惑いを見せる。カミュやリーシャの共通認識として、この塔を訪れる事になったのは、この目の前で戸惑っている年若い僧侶が最大の理由なのである。

 つまり、このサラという僧侶が、『この先に進みたくない』と言うのならば、カミュとリーシャとしては、この塔を探索する理由は何一つないのだ。

 

「この塔に関しては、決めるのはアンタだ」

 

「……カミュ……」

 

 全ての決定権をサラへと譲渡したカミュは、視線を細い通路に移し、足を止めた。サラの言葉次第では、カミュはこのまま踵を返すだろう。

 そんなカミュの背中を見て、リーシャも心を決めた。サラの方へ視線を移し、その答えを待つ。

 

「わ、わたしは……」

 

 独り言のように呟くサラの顔が下へと下がって行った。

 『僧侶』としての資格は当に失われている。この塔で修業をしている僧侶達のように、『悟り』を啓ける程の長い修業をしている物でもなければ、もはや修業をするために『精霊ルビス』という高貴な存在の下に跪く事も許されはしない。

 

 そんな思いが、サラの頭を渦巻いていた。

 まるで『時の扉』と呼ばれる泉のように。

 ただ、その渦の先は決して開けた場所ではない。

 どこかに繋がっている訳でもない。

 その渦巻く考えの先は、やはりサラ自身なのであった。

 

「行きます!」

 

 それでも、強い光を瞳に宿し、サラの顔を上がった。

 まるで、その渦巻く考えの先を見据えるように。

 

「……わかった。俺が最初に行く」

 

 サラの瞳を見て、カミュは一つ頷く。

 そして、肩から掛けている袋に手を入れた。

 

「アンタは、これをその僧侶に巻き付けた後、俺の次に渡ってくれ」

 

「私は最後でなくてもいいのか?」

 

 カミュが袋から取り出し、サラの目を見つめていたリーシャに渡した物は、かなり太めのロープだった。

 一つに纏められたそれを受け取ったリーシャは、カミュとロープを見比べながら問いかける。

 

「アンタが渡りきった後、それがこの僧侶の<命綱>となる。例え、足を踏み外しても、アンタならば引き上げられるだろう?」

 

「そ、そうか。わかった。サラ、心配せずに渡れ、何かあっても私に任せろ」

 

 カミュの考えが理解出来たリーシャは、大きく頷いた。

 そして、そんなリーシャの力強い言葉に、サラも頷き返す。

 

「……メルエ……」

 

「…………ん…………」

 

 二人のやり取りを最後まで見る事なく、カミュはマントの中にいるメルエに声をかけ、ようやく出て来たメルエを背負うように抱え上げる。

 カミュの背に乗ったメルエは、その首に腕を回し、離れてしまわないように力を込めた。

 

「……先に行く……」

 

 その言葉と共に、カミュは細い通路に足を踏み出した。

 通路に出た途端、身体に雨の滴が落ちて来る。

 塔の外では、それ程風を感じはしなかったが、ここは塔の二階部分といっても差し支えのない高さ。吹いて来る風は横殴りではないが、地に足をつけていた頃よりも強く感じた。

 

「…………」

 

 カミュの背中には、何かに耐えるようにメルエがしっかりとしがみついていた。

 吹いて来る風が雨を運び、カミュの横顔が水滴に濡れて行く。

 メルエの顔にも冷たい雨が降り注ぎ、それを嫌がるように、メルエはカミュの背中に顔を埋めた。

 細い通路には、手摺ような掴める場所などない。何一つ頼りがないまま、自らの足と平衡感覚を信じてカミュは前へと進んだ。

 下を見ずに、ただ、前に見える対岸の陸地を目指し、慎重に歩を進める。そして、カミュの足が、不安定な通路ではない床についた。

 

「サラ、ロープを腰に巻き付け、しっかりと結べ」

 

「えっ!?」

 

 カミュが向こう側に着いた事を認めたリーシャが、先程渡されたロープをサラへと渡すが、対するサラは、決意したとはいえ、カミュの動きを見て再び気持ちが揺れ動いていた。

 

「私は先に進む。そのロープが、サラの命を繋ぐ物だ。しっかり結べよ」

 

「は、はい……」

 

 まるで縋るような瞳を向けて来るサラに、リーシャは厳しい瞳を返す。そんなリーシャの言葉に、どこか諦めたような返答を返したサラは、震える手でロープを腰に巻き付け始めた。

 しかし、小刻みに震える指では、ロープを結ぶ事が出来ない。何度も何度も、同じ場所でロープが解け、やり直すサラは、次第に歯すらも噛み合わなくなって行った。

 

「しっかりしろ! サラが行くと決めたんだ!」

 

「……リーシャさん……」

 

 そんなサラを見ていたリーシャが、力強い手で、サラの腰にロープを結びつけた。

 リーシャの顔を見上げるサラの瞳は、自信なさ気に揺れ動いている。ロープを結び終わったリーシャはサラの肩に手を置き、揺らぐ瞳を固定させるようにサラと視線を合わせた。

 

「大丈夫だ。例え、サラが足を滑らせたとしても、私が必ず引き上げてやる」

 

「……はい……」

 

 目を見て話すリーシャを見ているサラの瞳の揺らぎは、若干の落ち着きを見せ始めるが、帰って来た返答は、未だに自信なく頼りない。

 一度、息を吐き出したリーシャは、再びサラの瞳を見つめてその言葉を紡ぎ出した。

 

「自信を持て、サラ。サラは魔法を使う者だ。集中力や機会を伺う能力、そして距離感を測る能力等は持ち合わせている筈だろ?」

 

 腰にロープを巻き付けた後、リーシャはサラの肩に手を置き、その目をしっかりと見て、語り出す。それは、弱気なサラに何かを注入するような物だった。

 今のサラの中には自信の欠片もない。

 信じて来た『教え』への疑惑。

 それを感じてしまう自分に対しての憤りと、それを否定出来ない自分への戸惑い。

 それは『僧侶』としての資格を失ったと感じてしまう程に大きく、今のサラには何に対しても自信を持つ事は出来なかった。

 

「行くぞ、サラ。サラはこの先にある物を見なければならないんだ。こんな所で足を止めている暇はないぞ!」

 

「は、はい!」

 

 最後に、痛みすら覚える程の強烈な張り手を背中に受けたサラが、大きな声で答えを返す。そんなサラを見て、満足気に頷いたリーシャが、細い通路の方に歩き出した。

 サラから繋がるロープを片手に握りながら、下を見ずに歩くリーシャの足取りはしっかりとした物。時折吹きつける強い風に立ち止るが、風が止むと再び歩き出す。

 そして、先程のカミュよりも短い時間で、リーシャは対岸に辿り着いた。

 

「さあ。サラ、来い!」

 

 対岸で自分を見つめるカミュよりも後ろまで歩き、腰を落してロープを握るリーシャの掛け声に、サラはもう一度強く頷く。

 そして、恐る恐る一歩を踏み出した。

 

「ひゃぁ!」

 

「下を見るな! 私達だけを見ながら、足下を確認して進め!」

 

 足を細い通路に乗せるために下を見たサラは、その高さに目が眩み、思わず声を上げてしまった。

 そんなサラに前方から力強い声がかかる。その声に動かされるように、再びサラの足が前へと動き出した。

 

「うっ!」

 

 しかし、リーシャの言うような事が簡単に出来る訳がない。不安定で頼りない足場に目を向けずに歩く事が出来る程の経験をサラは積んで来ている訳ではないのだ。どうしても目を下に向けてしまうサラの足が止まってしまう。

 先程と違い、既に細い通路に足を乗せてしまったサラは、後ろへ下がる事は出来ず、風が吹く中で立ち竦んでしまった。

 

「サラ! 歩け! それとも一度落ちてから、私に引き上げられたいのか!?」

 

「うぅぅぅ」

 

 リーシャの容赦ない言葉に、目尻に涙を溜めながらもサラはゆっくりと足を前に出して行く。

 しかし、歩く事は出来ず、摺り足のように徐々に足を前に滑らせて行く進み方は、尚更不安定で、そよぐ風に身体が揺れる度に、サラの行動は停止した。

 カミュもリーシャも、前へと進み始めたサラを糾弾する事はなく、ゆっくりとした歩みに口を挟む事はなかった。

 しかし、サラが通路の中央まで歩みを進めた時、そんな緩やかな行動を妨げる存在が現れる。

 

「…………カミュ…………」

 

「!!」

 

 自分の足下からメルエの小さな呼びかけが聞こえ、カミュが周囲へと目を向ける。そこには、いつの間にいたのか、この塔に向かう途中で出会った魔物が一体、厭らしい笑みを浮かべながらカミュ達の行動を見ていた。

 カミュであっても、その気配に気づく事はなく、サラに注意を向けていなかったメルエだけがその存在の登場に気がついたのだ。

 

「ロープは放すな! あれは何とかする!」

 

「サラ! 出来るだけ急げ!」

 

 そこに居たのは、<メタルスライム>。

 この場面で一番会いたくはない魔物の一つだろう。

 素早く、一行を攪乱する魔物の登場は一番歓迎したくない物だった。

 

 リーシャのサラへの注文は、完全に無理な注文である。既に通路の中心にいるサラは、後ろへ下がる事も、前へ進む事も出来ないのだ。

 『できるだけ急げ』と言われても、混乱に陥り始めているサラの足は一向に前へ進まない。それが解っているからこそ、リーシャも顔を顰めながらもそれ以上の叱責をしなかった。

 

「……メルエ……」

 

「…………ん…………」

 

 カミュの言葉に、メルエがマント内から出て行った。それと同時にカミュが背中から剣を抜き放つ。

 以前遭遇した時と同じように、<メタルスライム>は厭らしい笑みを浮かべながらも『ぷるぷる』とその特徴的な身体を揺らしていた。カミュは、不安定な足場を懸命になって前に進もうとするサラと、魔物の登場に意識を向けながらもその命綱をしっかりと握るリーシャを護るように立塞がる。

 以前の戦闘で<メタルスライム>が<メラ>を使う事は解っていた。故に、その魔法の軌道上に身体を入れて、警戒しているのだ。

 

「ピキュ―――――――!」

 

 スライム独特の奇声を上げながら、<メタルスライム>が飛び跳ね始めた。

 目に留らぬ程の速さで動くその魔物の、助走に当たる行動なのかもしれない。

 その行動を冷静に目で追いながら、カミュは<鋼鉄の剣>を構えた。

 

「やぁ!」

 

 一気に飛び込んで来た<メタルスライム>に瞬時に反応したカミュは、凄まじい速さで<鋼鉄の剣>を振るう。その剣の軌道は真っ直ぐ<メタルスライム>に向かって振り下ろされたが、<メタルスライム>の身体に当たった瞬間、乾いた金属音を上げて、弾き上げられた。

 

「プキュ―――――」

 

「くそっ」

 

 カミュの剣を受け、多少目を回したように床へと落ちた<メタルスライム>であったが、その身体に傷らしい傷はなかった。それを見たカミュが、忌々しげに舌打ちをする。

 再び、身体を揺らし始めた<メタルスライム>を冷静に目で追いながらも、カミュは手を出す事が出来なかった。自分から仕掛け、それが空振りに終わった時、カミュの後ろで未だに不安定な足場に四苦八苦しているサラが危険に晒されるからだ。

 

「H&U4$」

 

 しかし、そんなカミュの慎重さが仇となる。一向に自分に向かって来ないカミュに対して、<メタルスライム>は以前と同じ様な奇声を上げたのだ。

 それは正しく<メラ>の詠唱。

 その威力こそ脅威ではないが、この場面では何よりも脅威となる魔法の詠唱だった。

 

「くっ!」

 

 口を開いた<メタルスライム>から火球が飛んで来る。咄嗟に<鉄の盾>を身構えたカミュの視界から、<メタルスライム>の姿が消えた。

 盾にぶつかる火球の衝撃に耐えたカミュが盾を下げた先には、既に<メタルスライム>の姿はない。

 

「カミュ!」

 

 視線を巡らすカミュの耳に、自分の名を叫ぶ女性戦士の声が響く。

 勢い良く振り向いたカミュの視線に、命綱となるロープを握ったまま、リーシャがサラを見つめる姿が映った。

 

「くそっ!」

 

 カミュに向かって<メラ>を吐き出した<メタルスライム>は、既に自分の位置を大幅に移動し、リーシャとサラの間で飛び跳ねていた。

 命綱を放す訳にはいかないリーシャは、サラの危機に対しても行動する事が出来ない。先程よりも幾分か前に進んでいるサラも、眼前で飛び跳ねている<メタルスライム>を見て、絶望からなのか硬直してしまっていた。

 

 ここから駆けたところで間に合わない事はカミュも解っている。

 それでも、カミュは剣を構えて駆け出した。

 

「H&U……!!」

 

 カミュが走り出したのと同時に、<メタルスライム>が奇声を上げた。

 だが、魔法の詠唱である筈のその奇声は、途中で遮られる事となる。

 

「ピキュ!」

 

 詠唱を止めた<メタルスライム>の鋼鉄色の身体は力無い声を発して、崩れて行った。

 走り出していたカミュも、綱を握りしめていたリーシャも、そして絶望に顔を歪めていたサラも、その光景に目を丸くし、それを生み出した一人の少女を茫然と眺める。

 

「…………ん…………」

 

 今、カミュやリーシャですら倒す事の出来なかった魔物をたった一撃で葬り去った少女は、己の手にある小さな武器を腰に戻し、茫然と見つめているカミュのマントの中へと潜り込んで行く。

 

「……<毒針>か…」

 

 カミュのマントの中に入り、何の言葉も発しないメルエの持っていた武器。

 それは、<カザーブの村>でメルエの身を護る為と、道具屋の主人から譲り受けた物であり、メルエの唯一の友である『アン』と呼ばれた少女の形見に近い物であった。

 

「……今の内に渡れ……」

 

「は、はい」

 

 地面に広がる鋼鉄色の液体を見ながら、カミュは未だに不安定な通路の上で茫然としているサラへと声をかけた。

 その言葉に我に返ったサラは、再び立ち上がり、前へと歩を進め始める。

 

「……メルエ……?」

 

 リーシャは、メルエの行動にどこか不安を覚える。

 いつもならば、敵を倒した事に対し、リーシャやカミュに褒め言葉を要求する少女が、今回は既にカミュのマントの中に隠れるように入ってしまっているのだ。

 その事が、リーシャの胸の内に言いようのない不安として残って行った。

 

 

 

 無事、通路を渡りきり、大きな溜息を吐くサラの身体からロープを外した後、一行は前へと進み始めた。

 渡りきったフロアには、上へと続く階段があり、それ以外に道はない事から、一行は上へと歩を進める。

 

「ま、また『旅の扉』なのか!?」

 

「先程、渡り終えたばかりなのに……」

 

 そして、階段を上った先で見た光景に、リーシャは驚きの声を上げ、サラは諦めに近い溜息を吐いた。

 階段を上がった先は『行き止まり』。ただ、リーシャが選んだ道ではない証拠に、その『行き止まり』の奥に渦巻く泉が存在していた。

 

「……行くぞ……」

 

「ああ」

 

「……はぁ……」

 

 再びメルエを抱き上げたカミュは振り返らずに一言呟いた後、『旅の扉』と呼ばれている泉へと飛び込んで行った。その姿を見て、リーシャも間髪入れず飛び込んで行く。

 最後に残ったサラは、一度大きな溜息を吐き、息を吸い込んだ後に、目を瞑って泉の中に飛び込んで行った。

 

 

 

 今回も、アリアハンを出る時のような感覚を味わう事はなかった。それが、飛び込んだ場所と現在地が然程離れていない事を示している。

 すぐに意識を覚醒させたサラは、立ち上がるが、既に他の三人は前方を見据えていた。

 

「……どっちだ?」

 

「ん?……そうだな……右か……いや、左だな」

 

 一行の前方は三方向に分かれる通路が広がっており、まるで十字架のような形の通路になっていた。前方に真っ直ぐ続く通路の途中に左右に分かれる通路が存在している。

 サラがリーシャの後ろについたと同時に、前方を見ていたカミュがリーシャへと問いかけた。その言葉に、リーシャは周囲を見渡し、少し考えた後に口を開く。

 

「……わかった……」

 

 リーシャの顔を見ずに頷いたカミュは、先頭を歩き出す。その後ろをリーシャとサラが歩き出した。

 先程の細い通路を歩いた事により、四人の身体は雨によって濡れている。<シャンパーニの塔>のような壁の全くない塔ではないため、今現在は風も雨もないが、徐々に身体が冷えて行く事に変わりはなかった。

 

「お、おい!」

 

「なんだ?」

 

 長い通路の十字路を過ぎた場所で、リーシャがカミュへと抗議の声を上げる。

 リーシャは『左』だと言った。しかも、『右』かどうか逡巡した後に『左』と決めたのだ。しかし、カミュが取った進路は、そのどちらでもない『前』へと進む道だった。

 

「私は、左だと言ったぞ?」

 

「……何故、アンタは自分の指し示す道が正しいと思える?」

 

「ぐっ」

 

 カミュの切り返しにリーシャは言葉に詰まる。リーシャが指し示す道が正しかった事は、皆無に等しい。ただ、少し前の<バハラタ東の洞窟>では、リーシャの言葉が一行の道を指し示した事もまた事実なのだ。

 

「……わかった……」

 

 諦めたように一つ頷いたカミュは、右へと進路を取った。その後を満足気にリーシャが続き、不安そうに顔を歪めたサラが歩く。

 しかし、リーシャの指し示した方角に進んだ先にある階段を上った場所は、狭く閉ざされた空間。

 所謂『行き止まり』であった。

 

「……ふぅ……」

 

 

「た、たまたまだ。それに、あそこにあるものは、宝箱じゃないのか?」

 

 溜息を吐くカミュへと慌てて弁解するリーシャが指差す方向には、確かに<宝箱>のような箱があった。

 そこにある事がごく自然に見えるかの様に。

 

「もしかしたら、あれが『悟りの書』なんじゃないのか?」

 

「……アンタは、どこまで馬鹿だ……」

 

 リーシャの言葉にカミュは心底呆れたような溜息を吐く。その言葉にリーシャはいきり立つが、カミュは相手にせずに宝箱へと近づいて行った。

 実際にあのような場所に、誰も探し出す事の出来ない物がある訳がない。それ程見つかりやすいように落ちているのなら、既に誰かが手に入れているだろう。

 

「構えろ!」

 

 それは、近づいたカミュの叫びで証明された。急ぎ、各々の武器を身構えた一行が見た物は、以前カミュを瀕死に追い詰めた魔物。

 開いた箱の淵に鋭い牙が生え、カタカタという音を立てながら跳ねている。しかし、その箱は以前に遭遇した<人喰い箱>よりも年季が入っているように見えた。

 

<ミミック>

洞窟や塔などを住処にする魔物で、無造作に捨てられた箱などに命が宿った魔物と云われている。<人喰い箱>の上位種と云われており、<人喰い箱>よりも長く年月を有した箱が命を持った物とも云われている。その狂暴な牙は、<人喰い箱>の鋭さを凌ぎ、一度牙を受ければ、人の身体等は容易く食いちぎられるとされていた。

 

「メルエ! 後ろへ下がれ!」

 

「…………ん…………」

 

 メルエが小さく頷いた後に、『とてとて』とサラの後ろへと移動して行く。それを確認したカミュは、背中の剣を抜き放った。

 リーシャも斧を身構え、カミュの横へ並ぼうとした時、彼女の視界が暗転する。

 

「P¥5%*」

 

 カミュ達が駆け出す直前に、<ミミック>はその口のような箱の淵をカタカタと鳴らし、詠唱のような奇怪な音を発したのだ。

 その瞬間、カミュとリーシャの意識は、深い谷底へと突き落される。

 

 リーシャは突然自分の身に降りかかった現象に対し、大いに戸惑い、混乱した。

 自分の頭の中に響いてくる罪悪感のような『恐怖』。

 まるで、『自分が生きている事自体が罪』とでも言うような想いを抱いてしまう程に巨大な黒い闇。

 それは、リーシャの意識を飲み込み、その心を砕いて行った。

 『死ね』という言葉が直接脳に響いてくるように連呼される。

 

「くそっ! 私はまだ死ぬ事など出来ないのだ!」

 

 自分に押し寄せてくる黒い闇を振り払うように叫んだリーシャの意識が現実に引き戻された。

 雲が晴れるように、一気に明るくなった視界に目が眩むが、それでもリーシャは魔物に意識を向けようと必死に意識を戻して行く。そして、リーシャの焦点が合った時、そこに信じられない光景が広がっていた。

 笑うように自らの身体をカタカタと鳴らす<ミミック>と、その前で頭を抱えて蹲っている『勇者』の姿があったのだ。

 

「カミュ!」

 

 その時カミュは、大きな黒い闇に意識を飲み込まれていた。

 それは、何処までも果てしなく、どこまでも暗い闇。

 死を望まれ、生を罪とする闇。

 彼はその闇を拒絶する術を持っていなかった。

 

「カミュ! 気をしっかり持て!」

 

 突然、前線に出ていた二人が苦しみ始め、立ち直ったと思ったリーシャがカミュに向かって理解出来ない言葉を投げかけている。

 その事に、後方に居たサラとメルエは困惑していた。

 

<ザラキ>

教会が所有する『経典』に記載されている魔法の一つ。僧侶と言う『人』の生と死を見守る職業故に行使する事の出来る呪文。術者が唱える『死』の言霊によって力を得た言葉が、対象の意識を飲み込み、生への執着を奪って行く。心の弱っている者や、元々『生』への執着の薄い者はその闇にも近い呪いに落ちて行くのだ。

 

「キシャ――――――!」

 

「メルエ!」

 

「…………メラミ…………」

 

 カミュ達の姿に混乱はしていても、後方を任された二人は、己の仕事を全うする。

 魔物とは別の物に苦しみ始めたカミュに向かって飛び掛って来た<ミミック>に、メルエの放つ<メラミ>の大火球が襲い掛かった。

 メルエの放った<メラミ>を受けた<ミミック>は、その身体を瞬時に燃え上がらせ、床をのた打ち回る。しかし、塔に降り注いでいる雨によって、湿り気を帯びていた床を転げる内に魔物を包む炎は燻り始め、所々に焦げ跡こそ残るが、その命を奪うまではいかなかった。

 

「カミュ! 帰って来い! お前はまだ死ぬ訳にはいかない筈だ!」

 

 そんな後方での戦闘の余所に、リーシャはカミュを呼び戻すために声を張り上げていた。

 その声が届いていない証拠に、徐々にカミュの瞳から光が失われて行く。頭を抱えながら蹲るカミュの身体から力が抜け始め、生気が失われて行った。

 

 その時、カミュの頭にあるサークレットに嵌め込まれていた蒼い石が眩いばかりの光を放ったのだ。

 

 

 

 カミュは、意識を手放そうとしていた。

 『死ね』と言われれば、死のう。

 特段、生きて行く理由等ない。

 生きる事への執着等、生まれた時から持ち合わせて等ない。

 

 迫り来る暗い闇への恐怖を捨て、闇にその心を委ねて行く。心へと押し寄せるように入って来る闇は、カミュの全てを包み込み、その全てを奪って行った。

 徐々に冷たくなって行く心。それを自覚しながら、カミュは落ちて行った。

 

「!!」

 

 カミュは、自分の全てを失うその瞬間、闇に包まれた自分を強烈な光が照らし出すのを見た。

 その光は蒼く、とても暖かな物。

 闇に包まれ、冷え切ったカミュの心と身体を温め、その闇を消し去る程の強い光。

 

 

 

「カミュ!」

 

 強く暖かな光に導かれるように目を開いたカミュの瞳に、目に涙を溜めながら叫ぶ女性戦士の顔が映った。

 自分がどうなったのかを未だに理解していないカミュは、そんなリーシャをぼんやりと眺める。

 

「簡単に『死』を受け入れるな! お前は、メルエを残して死ぬつもりなのか!」

 

 カミュの意識が戻った事を確認したリーシャは、力一杯カミュの頬を張った。

 再び意識が飛びそうな程の強烈な張り手を受けたカミュは、そこでようやく自分が襲われた物を理解する。

 

「……死への呪文か……」

 

 床に落ちた<鋼鉄の剣>を拾い上げたカミュは、呟きを漏らしながら<ミミック>へと鋭い視線を向ける。メルエの魔法によって焦げ跡が残り、瀕死と言っても良い程ではあるが、まだ生きてはいた。

 

「カミュ! 返事をしろ!」

 

「……わかっている……すまなかった……」

 

 自分の問い掛けに答えを返さないカミュに、再びリーシャの声が響く。

 カミュは、リーシャへ視線を向けずに呟くように答えた。

 生気を失っていたカミュの顔は、未だに青白いが、それでも生きている。

 その事に、リーシャはようやく安堵した。

 

「今後、簡単に『生きるという事』を諦める事は許さんぞ!」

 

「……ああ……」

 

 もう一度念を押すように掛けられた言葉に短く答えたカミュの言葉に、リーシャは満足気に頷く。そして、自らも再び<鉄の斧>を握り、魔物へと視線を向けた。

 

「ならば、さっさとあの魔物を倒してしまうぞ」

 

「……ああ……」

 

 本来以上の力を取り戻した二人に、瀕死の<ミミック>が勝てる道理はない。逃げ惑うように飛び跳ねる<ミミック>の胴体をリーシャの斧が粉砕し、最後にカミュの剣が突き刺さったところで、その生命活動を停止させた。

 

「カミュ様! 大丈夫ですか!?」

 

「…………」

 

 魔物の活動が停止した事を確認し、後方にいたサラがカミュ達の傍へと駆け寄って来る。メルエもカミュの傍へとゆっくり近づき、まるで支えに掴まるように、カミュの腰へとしがみ付いた。

 

「こ、これは……」

 

 駆け寄って来たサラが、カミュの周囲に散りばめられている石の欠片を一つ掴み、目を見張る。それは、サラがアリアハンの教会にいた頃に読んだ書物に記載されていた物だった。

 

「カミュのサークレットに付いていた蒼い石が、突然輝き出し、そのまま砕け散ったんだ」

 

「こ、これは、『命の石』です」

 

「……命の石?」

 

 カミュの身に起こった事を説明するリーシャの言葉を聞きながら、散らばる蒼い石を拾い集めるサラが、その石の名を口にする。その名に聞き覚えがないのか、珍しくカミュがサラに聞き返していた。

 支えに掴まるようにカミュの足にしがみついていたメルエの瞳が床に散らばる蒼い石の欠片へと動く。

 

「はい。本来、教会に所属する者以外はその存在を知らないと思います。ルビス様のご加護を宿した石と云われ、所有者が『ルビス様のご加護を受ける資格を有した者』と石に認められた場合、突発的な死を身代わりとなって受け止め、砕け散ると伝えられています」

 

「それでは、カミュの代わりに、その石は砕け散ったという事か?」

 

 説明を受け、疑問を呈したリーシャに、サラは静かに頷いた。

 リーシャは、改めてサラの持つ石の欠片を見つめ、そして、怒りを瞳に宿してカミュを振り返った。

 

「カミュ! お前はやはり、『生』を完全に諦めたな!」

 

「……」

 

 その怒りは、先程リーシャが話した事。

 石が身代わりとなって砕け散ったという事は、カミュの命が一度は失われたという事と同意。それは、生を諦め、死を受け入れたという事なのだ。

 そんなリーシャの追及に対し、カミュは反論する言葉を持ち合わせてはいなかった。

 

「二度と……二度と自分の命を粗末に扱うな。二度と自分の存在を見失うな。お前は『勇者』であると同時に、『カミュ』という人間なんだ」

 

「……リーシャさん……」

 

「……」

 

 怒りを抑えるように呟くリーシャは、最後の言葉を口にする際に、カミュの腰にしがみついているメルエへと視線を移した。

 その視線を追って、カミュもメルエに目を向ける。そこには、何かに脅えるようにしがみつき、顔をカミュの腹部に押し当てている小さな少女がいた。

 

「……すまなかった……」

 

 誰に向けられた物でもない。

 足下にいるメルエへ向けられた物と捉える事も出来るし、この場にいる全員に向けて話した物とも考えられる。そんな謝罪を受けて、リーシャの瞳から怒りが消えて行った。

 

「その石は、もう効力を失うのか?」

 

「は、はい。一度身代わりとなった石は、このように細かく砕け、その価値を失います」

 

 メルエの頭を撫でているカミュを一瞥し、リーシャはサラの持つ石の欠片へと意識を移す。そんなリーシャの疑問に、我に返ったサラが答えるが、それは砕けた石の活用方法はないという物だった。

 

「……ならば、これも不要だな……」

 

「カミュ!」

 

 二人のやり取りを聞いていたカミュが、自分の頭に装備されているサークレットを外し、床へと落とした。

 乾いた音を立てながら数度跳ねた後、サークレットは役目を終えたように沈黙する。

 

「……行くぞ……」

 

 アリアハンを出た当初から、カミュが頭に着けていた物だけに、何らかの謂われがある物だと思っていたリーシャは、カミュの行動に苦言を呈すが、その言葉が聞こえないように、カミュは下に続く階段へと歩を進め始めた。

 そう言った事に関しては、カミュが絶対に譲らない事を理解し始めているリーシャは、一度溜息を吐き、その後を追う事にした。

 

 

 

「先程は右に進んだ。私は、お前に『左』と言った筈だぞ」

 

「……わかった。もし『行き止まり』だとしても、そこで一度休憩を取る」

 

「そうですね。身体を一度温めましょう」

 

 階段を降りてすぐに、『自分が言った方角でないから駄目だった』とでも言いたげに口を開くリーシャに、前を歩くカミュとサラの二人は、呆れたように振り向いた。

 リーシャの目を見つめ、一度溜息を吐いたカミュは、そのまま通路を真っ直ぐ進んで行く。その後を、カミュの提案に賛成したサラが続き、どこか納得いかない表情のリーシャが歩いて行った。

 

 

 

「……ふぅ……」

 

「あっ!? ま、薪の準備をしますね」

 

 左の通路を進み、先にあった上へと続く階段を上った先は、案の定、壁に覆われた狭い空間だった。

 その光景にカミュは溜息を吐き、肩を落とすリーシャを気遣うように、サラはカミュの持っていた革袋から、昨晩拾った薪を取り出し始める。

 火を熾した後、一行はそれを囲むように身体を乾かし始めた。

 暖かな炎に身体や髪の毛が乾いて行き、肌を熱し始める。

 カミュのマントから出たメルエも、リーシャに髪を拭いてもらいながら揺らめく炎に当たっていた。炎に近づいているためか、頬はほんのりと赤くなっており、温かさの為なのか、眠そうに瞳を細めている。

 

「ふふふ。メルエ、寝ては駄目だぞ」

 

「…………ん…………」

 

 注意にも、顔を向ける事なく頷くメルエに、リーシャは苦笑を浮かべながら、メルエの服も拭いて行く。持って来た薪の数はそれ程多くはない。この場所で焚き火を行った事で、この後、塔の探索中は火を熾す事は出来ないだろう。

 

「……行くぞ……」

 

 薪が無くなってしまったため、長居をする事の方が危険性を伴う。炎が小さくなり始め、もはや燃やす物もなく、炎が燻り始めた頃、カミュが立ち上がった。

 出発に際し、暖められたカミュのマントの中へと入って行くメルエの足取りはおぼつかなく、『眠いのだろうな』とリーシャは苦笑を浮かべていた。

 

 

 

 下の階に戻った一行は、カミュが最初に向かっていた通路へと歩を進めた。

 今度はリーシャも何も言わず、その後ろを歩いている。

 

 通路の先にある階段を上がった先は、先程と同様の狭い空間ではあったが、その先には更に上へと進む為の階段があった。

 既に、一行はこの塔の上部へと達しようとしている。ここまでに、何度か魔物の戦闘もあり、そのどれもが今まで相対した魔物の中でも強大な物であった。おそらく、この塔の一階部分にいた高僧達は、今カミュ達がいる場所までも上がって来る事は出来ていないのだろう。それ程に、この塔に住む魔物達は強力であった。

 この塔に『悟りの書』という物が存在するのだとしたら、それは只単に『探索が出来ない為に取得出来なかっただけではなかろうか?』とリーシャは思い始めていた。

 

「ま、またですか!?」

 

「……先程の物よりも長いな……」

 

 そんな思考に入っていたリーシャが階段を上り終えると、先に上り終えていた二人が、その先に広がる光景に絶句していた。慌てて二人の横へと移動し、前方を見たリーシャも言葉を失う。

 そこには、先程と同じように、細く不安定な通路があり、その遥か向こうに対岸の床が見えていたのだ。

 その通路の長さは先程の倍以上はあるだろう。そして、先程より階層も高いため、吹き付ける風は強く、雨も激しく降りつけていた。

 

「カ、カミュ……これは無理じゃないのか?」

 

「……アンタはどうする?」

 

 リーシャの言葉に対して返答をする事はせず、カミュは茫然と前を見詰めるサラへと問いかけた。

 この塔は、カミュにとってどうでも良いと言っても過言ではない存在であり、サラさえ諦めると言うのであれば、いつでも<リレミト>で脱出するつもりであったのだ。

 

「い、行きます!」

 

「……わかった……」

 

 故に、サラが目の前の通路を見ながら言葉を発した時、カミュは軽く溜息を吐き、リーシャへと視線を向ける。カミュの視線を受けて、リーシャは全てを察した。

 彼が何を考えているのか、そして自分が何をするべきなのか。

 

「サラ、こっちに来い」

 

「は、はい」

 

 サラを呼び付けたリーシャは、その身体に命綱を巻きつける。

 先程よりも短く身体に巻き、余分な部分を多く取った。

 その代りに、身体の結び目は固く結ぶ。

 

「……アンタとメルエは、ここで待っていてくれ……」

 

「わかった」

 

 自らのマントの中からメルエを出し、カミュはリーシャへと言葉をかける。既にカミュの言う事を理解していたリーシャは、即座に頷いた。

 ここから先は、カミュとサラの二人で探索すると言うのだ。既にこの塔の頂上付近までは上っている。ならば、この先にあるだろう階段が最後の物になる可能性が高い。

 

「サラ。サラの命は私がしっかりと握っている。恐れず進め」

 

「は、はい」

 

 命綱を結び終えたリーシャがサラへと声をかける。その声に一つ頷いたサラであったが、既にサラの後方に見える頼りない通路へと歩き出しているカミュを見て、目を見開いた。

 

「カ、カミュ様! カミュ様にも命綱を!」

 

「カミュは大丈夫だ」

 

 何も身体に付けず、既に半歩踏み出しているカミュを見て、サラはリーシャへと嘆願するが、そんなサラの慌てっぷりにリーシャは苦笑を浮かべて首を横に振った。

 既にリーシャの腰にしがみ付いているメルエも、何の感情も見えない瞳をカミュへと向けている。

 

「で、でも……」

 

「カミュの事は気にするな。サラは自分の事だけを考えれば良い」

 

 それでもカミュへと振り返るサラに、リーシャは優しく声をかける。

 実を言えば、ロープは一本しかないのだ。故にカミュの命綱はない。しかし、リーシャは『カミュであれば何とかなるだろう』とさえ思っていた。

 

「…………カミュ…………」

 

「……大丈夫だ……すぐに戻って来る」

 

 サラの不安顔を見て、何か思うところがあったのだろう。先程までリーシャの腰にしがみついていたメルエがカミュの下へと移動していた。

 不安そうに見上げるメルエに、軽い微笑みを浮かべたカミュは、そのまま細く不安定な通路へと足を踏み出す。

 メルエはそのカミュの背中をただ見つめる事しか出来なかった。

 

 何度か強い風が吹き、しゃがみ込んで安定を保ちながら、カミュは時間をかけて細い通路を歩いて行く。足を滑らせながら前へ進んでいるために時間がかかり、カミュの髪も濡れて行った。

 かなりの時間をかけ、向こう岸に辿り着いたカミュは、サラやリーシャの目には小さく映っている。それ程、距離があるのだ。

 だが、カミュが用意したロープの長さがかなりの物であった為、おそらくこの距離でもロープの長さが足りなくなる事はないだろう。

 

「サラ、大丈夫だ。私を信じろ」

 

「はい。お願いします」

 

 リーシャの目を見て頷いたサラは、そのまま通路へと足を踏み出した。

 先程歩いた物よりも、高度があるため、サラが感じる風の強さは想像以上で、正直立っている事すらも難しく、サラは半ば這うように前へと進んで行く。

 

 

 

 どれ程の時間を要しただろう。サラの衣服は、水が身体に染み入る程に濡れ、髪から落ちてくる水滴が視界を阻む程に顔を濡らしていた。

 それでも少しずつ足を前へと滑らせて行く。

 

「サラ! もう少しだ。頑張れ!」

 

 もはやかなり遠くなったリーシャの声に、言葉を返す余裕はサラにはなく、冷たい雨による体温低下から噛み合わなくなった歯を鳴らしながら、サラは懸命に前へと進んだ。

 

「……掴まれ……」

 

 そして、目の前にカミュの手が差し伸ばされ、その声が耳に響いた時、サラはここまでの緊張感を一気に手放し、安堵の溜息を吐く。

 カミュに支えられるように足を広い床につけたサラを確認し、リーシャは手に握ったロープを手放した。

 

「あ、ありがとうございます」

 

「……行くぞ……」

 

 息も絶え絶えに謝礼を述べるサラを一瞥し、カミュは奥へと進んで行く。

 『少しぐらい休憩を挟んでくれても』と考えるサラであったが、雨に濡れた身体を乾かす手段もなく、体温の低下を妨げる方法がない以上、早急に事を済ませるのが最善とも考え、カミュの後を追って歩いた。

 

 

 

 奥にある階段を上った先には、とても狭い空間。

 そこは、カミュやサラが想像していた場所ではなかった。

 本当に何もなく、ただ静けさが広がっているだけ。

 

「……」

 

「……無駄足か……」

 

 あれだけの覚悟と苦労をしてここまで辿り着いたにも拘わらず、そこに何もなかった事に驚いたサラは言葉を失うが、半ば何かを予想していたカミュは、小さく呟きを零した。

 

「……戻るぞ……」

 

 そう言って踵を返し、下へと続く階段を下り始めたカミュとは違い、サラは何もない空間を暫し見つめ続ける。サラは、その空間に何かを感じていたのだ。

 『無駄足』と吐き捨てたカミュとは違い、それが何と聞かれても答える事の出来ない物をサラは感じていた。

 

「……おい……」

 

「あっ! は、はい!」

 

 階段を下り始めていたカミュが振り返り、再度声を掛けた事によって、サラはようやく我に返った。

 もう一度その場所を眺めた後、振り返る事なくカミュの後を追った。

 

 

 

 それ程、時間が経っていないにも拘らずに戻って来た二人を遠目に見て、リーシャは少し驚いた。そして、何かを得たような雰囲気もなく、再びカミュが細い通路を渡り始めたのを確認し、その場所に何もなかった事を悟ったのだ。

 雨が弱まり始めた空は、既に陽が落ち始め、夜の闇が支配し始めている。周囲の気温は更に下がり始め、雨によって濡れているカミュとサラの体温は下がり続けていた。

 

「やはり、何もなかったのか?」

 

「……ああ……」

 

 細い通路を渡り終えたカミュから、サラの身体に巻きつけてあるロープを受け取ったリーシャの問いかけに、カミュは一つ頷いただけだった。

 

「サラは大丈夫か?」

 

「まだ探索を続けるそうだ」

 

 探していた物が見つからず、蓄積されている疲労が噴き出して来ている筈のサラを心配するリーシャに、カミュは薄い笑いを浮かべた。

 実は、ここを渡る際に、<リレミト>の使用を提案したカミュに、サラは『もう少し塔の内部を歩いてみたい』と異議を申し立てたのだ。

 そのサラの表情を思い出し、カミュは薄く笑う。リーシャもそんなサラの想いを知り、笑顔を浮かべた。

 

「サラ! いつでも良いぞ! 慎重に来い!」

 

 遠目に見えるサラに大きな声で呼びかけるリーシャの声が届いたのか、サラは大きく頷いた後、再び、這うように細い通路を渡り始めた。

 先程で要領を得たのか、心からリーシャを信じているのか、それともその両方の為か、サラの進む速度は行きよりもずっと速いものだった。

 しかし、今回もまた、サラが中央付近まで進んだ時に望まれぬ客が現れる。

 

「カ、カミュ!」

 

「くそっ!」

 

 それは、先刻に遭遇した<メタルスライム>のように、カミュ達のいる場所に登場したものではなく、今、通路を必死で渡っているサラの目の前に現れた。

 そこはサラが渡る細い通路しか足場はない。

 つまり、その魔物は空中を飛んでいるのだ。

 

 お伽話等に登場する生き物のようなその姿は、魔物というよりも神獣と言った方が良いのかもしれない。

 長い蛇のような身体を持ち、小さな前足には鋭い爪を持つ。強靭な頤を思わせる程の鋭い牙が、裂けたような大きな口にびっしりと生えていた。

 

<スカイドラゴン>

魔物の中でも、最高位に属する種族である『龍族』。その『龍族』の中では低格な存在であるが、その姿は神々しく、時代によってはその地を護る守護神として祀られた事もあるものである。魔王の登場により、その理性を大幅に奪われ、人を襲う事も多くなり、周辺の里では脅威となっていた。

 

「メルエ!」

 

「…………ん………メラミ…………」

 

 カミュの言葉に、小さく頷いたメルエが杖を振るう。

 詠唱と同時に巨大な火球が<スカイドラゴン>目掛けて飛び出した。

 

「グォォォォォォ」

 

 しかし、メルエが持つ最強の火炎呪文は、<スカイドラゴン>が吐き出す凄まじいまでの火炎に飲み込まれていった。

 余りの事に、リーシャだけでなく、カミュさえも目を見開く。それ程にこの龍は強大な存在に見えたのだ。

 自分へ攻撃を加えて来た事により、カミュ達を敵と認識した<スカイドラゴン>は再びその狂暴な口を開き、カミュ達目掛けて火炎を吐き出した。

 一瞬の内に目の前を真っ赤に染め上げる程の火炎に、カミュはメルエを抱いて飛退き、リーシャは盾を構える。しかし、その火炎はカミュ達には届かず、カミュ達とサラを遮るように炎の壁を作り出した。そして、その炎の壁によって、リーシャが持つサラへと繋がる命の綱は焼き切れてしまう。

 一瞬何が起きたのか解らないリーシャは茫然と自分の手から続くロープの先を眺めていたが、我に返った時、傍にいるカミュへと弱気な視線を向けた。

 

「ちっ!」

 

 リーシャの視線を受けたカミュは、炎の壁を前に舌打ちをするしかなかった。

 <スカイドラゴン>の吐き出した強大な炎は、カミュ達の前に巨大な壁を作り、前方への視界を完全に奪っている。今のカミュ達には、<スカイドラゴン>の姿どころか、サラの姿も全く見る事は出来ないのだ。

 

 

 

 サラは、自分の目の前に出現した魔物を見て、何か達観した想いを抱いていた。

 『この魔物が<悟りの書>を護っているのかもしれない』と。

 もはや、サラとカミュ達との間は大きな炎の壁で遮られ、自分の命を繋ぐロープは途切れていた。このような不安定な足場で、魔物と戦闘を行うほどの腕はサラにはない。

 

 『<精霊ルビス>という存在を裏切った自分に課せられた罰なのかもしれない』

 

 サラは、今の状況をそう考えていたのだ。

 再び<スカイドラゴン>の口が開くその方向はカミュ達ではなくサラ。足場である通路ごと焼き消す程の火炎を吐き出そうと開いた<スカイドラゴン>の口の中に、真っ赤に渦巻く炎を見た時、サラは不思議な手に首を持たれた。

 まるで導くように、誘うように、その手はサラの服の襟をつかみ、サラの身体を引いて行く。

 当然のように、支えのないサラの身体は、足場である通路から離れ、虚空へと投げ出された。

 風など一切吹いてはいない。

 サラが故意に飛び込んだ訳ではない。

 それでもサラの身体は空中に投げ出され、重力に従って下へと落ち始める。

 サラの身体が足場から完全に離れた時、<スカイドラゴン>が吐き出した火炎がその足場を焼くのと、カミュ達の前に立ち塞がっていた炎の壁が消滅するのは同時だった。

 

「サラ!」

 

「くそっ! アストロン!」

 

 炎の壁が消滅した先に見えたサラは、既に落下を始めていた。ロープが切れている以上、引き揚げる手段のないリーシャはその名を大きく叫び、カミュは咄嗟に以前サラの命を救った呪文を唱えた。

 サラの身体を眩い光が包み込み、鋼鉄色に変えて行く。身体が鉄に変わったサラの落下速度は増し、瞬時にカミュ達の視界から消えて行った。

 

「……カミュ……」

 

 

「アンタはメルエを連れて階段を降りた後、一度メルエの<リレミト>で塔の外へ出ろ! 俺はあの僧侶の方へ向かう。この塔の一階部分で待っていてくれ」

 

 いつもとは違う、何とも情けない声を出すリーシャに、カミュは続けざまに指示を出した。

 カミュの言葉に、リーシャは瞳にもう一度光を宿し、大きく頷きを返す。リーシャは既にカミュを『勇者』として信じ始めている。カミュが助け出すと言えば、必ずサラは無事に戻って来る筈。

 そう信じていた。

 

「わ、わかった。サラを頼む。メルエ、行くぞ!」

 

「…………」

 

 カミュに頷いたリーシャがメルエへと手を差し伸ばすが、メルエはどこか呆けたような表情をしたまま、カミュを見上げていた。

 メルエが何を言いたいのかが理解できないカミュであったが、そんな彼女に向かって優しく微笑んだ。

 

「メルエ、この脳筋戦士を頼んだぞ」

 

「…………ん…………」

 

 カミュを見る瞳は生気を宿していないと思う程に力はないが、メルエは小さく頷く。未だにこちらを向いて空中を漂っている<スカイドラゴン>の方へと駆け出したカミュは、そのまま身を投げ出した。

 

「アストロン」

 

 虚空へ投げ出されたその身に呪文を唱え、性質を変えて行く。

 突如飛び出したカミュに向けて<スカイドラゴン>が吐き出した火炎がその身を包むのと、カミュの身体が完全に鉄へと変化したのはほぼ同時だった。

 

「メルエ、行こう」

 

「…………」

 

 メルエに声をかけ、リーシャはその手を握って階下へと下りる階段を駆ける。

 逃げ出す二人に気づき、その方向へと吐き出された<スカイドラゴン>の火炎は、階段の上部を炎に包む事しか出来なかった。

 

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

ガルナの塔の中編です。
この後、後編へと続きます。

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