新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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ムオルの村②

 

 

 

 陽が昇り始め、目を覚ました一行は、メルエが自然に目を覚ますまで待ってから薬師を再度宿屋へ呼び寄せる。ベッドの上で薬師の診察を大人しく受けるメルエを見ながら、リーシャは昨夜のカミュとのやり取りを思い出していた。

 

 今朝メルエの部屋へと入って来たカミュは、昨夜の雰囲気を残した無表情であった。

 誰にも口を開く事はなく、メルエの寝顔を静かに見つめ、独特の空気を醸し出す。そんなカミュの姿に驚きを隠せないサラが、リーシャの顔に視線を送って来たが、それに対してリーシャは何も答える事が出来なかった。

 最近のカミュのメルエに対する態度が、カミュの変化を明確に表わしている。その事を感じていたリーシャは、昨晩カミュの心の中枢になる闇に手を伸ばしてしまった。

 十数年間、誰も触ろうとしなかった闇に手を入れた代償は、リーシャが考えていた物よりも大きく、それは、表に出始めていたカミュの変化を、再び闇の奥底へと落す程の物だったのだ。

 

「ふむ。もう大丈夫じゃろう。しかし、無理はいかんぞ? お主達も、幼子を連れて旅するのであれば、充分な注意を払ってやるのだな」

 

「わかっている。何度もすまなかった」

 

 メルエの診察を終えた薬師がカミュの目を見て言葉を紡ぐが、答えようとしないカミュの代わりにリーシャが薬師へと頭を下げた。

 そんなリーシャに一つ頷いた薬師は、暫しカミュの顔を見つめた後、何かを言おうと口を開くが、そこから言葉が出る事はなく、静かに部屋を後にする。

 

「よし! メルエも元気になった事だし。さぁ、出発だ!」

 

 カミュが醸し出す重苦しい空気を払うようにリーシャが声を上げ、その声に応えるようにメルエが笑顔で頷く。メルエの着替えの為に部屋を出て行こうとするカミュの背に、リーシャは口を開いた。

 

「カミュ? 一つ気になる事があるんだが……」

 

「……」

 

 昨晩と同じような、感情を見出せない表情で振り向いたカミュに対し、リーシャが発した言葉は、この場にいる全員を凍らせる程の威力を持った物だった。

 

「メルエの指に嵌められている指輪は、確か魔法力を回復する道具ではなかったか?」

 

「あっ!?」

 

 リーシャがカミュに向けて放った疑問に、サラが大声を上げる。そして、今まで能面のような表情だったカミュの顔が、何かから逃げるように歪んだ。

 それは、サラがその事を忘れていた事と、カミュがその事を知っていた事を意味していた。

 

「あの時、あの指輪をお前が嵌めて、ルビス様に祈りを奉げれば、お前の魔法力は回復し、<ルーラ>を詠唱する事が可能になったのではないのか?」

 

「!!」

 

 続けられたリーシャの言葉に、サラの首は弾かれたようにカミュの方へ移動する。不思議そうに首を傾げて見つめるメルエの瞳と共に、全員分の視線を受けたカミュの瞳が逸らされた。

 

「その様子だと、お前は知っていながら、故意にそれをしなかったのだな?」

 

「……」

 

 リーシャの声に『怒り』という感情が籠り始める。実際、昨晩のカミュの姿を見て、それでも尚糾弾しようとするリーシャの強さに、内心カミュは焦りを感じていた。

 どれ程に遠ざけようとしても、自分の中へと入り込んで来る人間を彼は知らないのだ。

 

「何故だ!? お前はメルエを護りたいと思っているのではないのか!?」

 

「……リーシャさん……」

 

 カミュの目の前まで移動したリーシャが、目を逸らすカミュの顔を覗き込むように言葉を投げかけ、そんな二人の雰囲気に、サラは言葉を失う。

 

「答えろ!」

 

「……俺は……ルビス等に祈った事はない……」

 

「!!」

 

 カミュの肩に掴みかかったリーシャの問いかけに、ようやくカミュが絞り出すような答えを吐き出した。

 それは、サラを更なる驚きに落とす程の答え。

 『精霊ルビス』への祈りは、この世界に生きている人間の大半が行う日課と言っても良い。現に、毎朝サラは怠った事はないし、リーシャであってもそれを行う。何も知らないメルエだけが、サラの行う行為を不思議そうに眺めながらも、真似を始めていた。

 

「……カミュ……お前は……」

 

「……ルビス等に祈りを捧げた事もなければ、救いを求めた事もない……そのような存在を見た事もなければ、信じた事もない……」

 

「……カミュ様……」

 

 カミュの言葉に、サラは愕然とする。この世界の守護者と伝えられ、そして『人』の親とも伝えられている『精霊ルビス』という存在は、ある意味、絶対の存在なのだ。それを彼は信じてさえいないと公言した。

 それは、ルビス教の信者でもあるサラにとって、『怒り』という感情が湧く以前の問題である。

 

「……ルビス様のご加護によって、命を取り留めたお前がそれを言うのか?」

 

「……」

 

 しかし、リーシャの心には別の感情が去来していた。

 カミュの瞳を見て告げたリーシャの言葉に、カミュは再び視線を逸らす。

 それがリーシャの感じた物が正しい事を証明していた。

 

「……子供か……お前は……?」

 

「!!」

 

 溜息混じりに吐き出されたリーシャの言葉に、カミュの顔が上がった。

 その表情には『驚き』と『困惑』の色が湛えられている。

 そんな瞳を見て、リーシャがもう一度深い溜息を吐き出した。

 

「二度目は許さん! お前のその小さな意地が原因でメルエの命が危ぶまれた場合、私はお前を許しはしない! わかったな!」

 

「……ああ……」

 

「……リーシャさん……」

 

 溜息を吐き、顔を上げたリーシャの瞳は吊り上がっていた。

 明確な『怒り』を露にし、カミュへと怒鳴るように釘を刺す言葉に、カミュは不承不承に頷きを返す。しかし、サラは何よりもリーシャの言葉に驚いていた。

 リーシャは、『精霊ルビス』という存在を蔑にするカミュの言葉を了承したのだ。

 サラは、ルビス教の教えについて何度も悩んだ。しかし、『精霊ルビス』という存在に疑問を持った事などない。

 

 だが、それでもサラは、カミュの考えを飲み込む事にした。それは、ここまででサラが歩んで来た道がそうさせたのかもしれない。

 サラは、数多くの人間を見て来た。その中では、志半ばで命を失くした者や理不尽な権力によって生きる事を断念せざるを得なかった者。そして、更に理不尽な力によって命を奪われた者等、様々な人間が存在した。

 そして、サラはそんな人間全員を、ルビス教の教え通りに『前世の咎人』と括る事は出来なかったのだ。

 

「ですが、一つだけ言わせて下さい。ルビス様は常に私達と共にいらっしゃいます。カミュ様が信じようと信じまいと、それは変わりません。いつか……いつかきっと、カミュ様も、そのご加護の大きさに気づく時が来るでしょう」

 

「……」

 

「……サラ……」

 

 自身が信仰するものを侮辱されたにも拘らず、サラが口にした言葉は、それを受けたカミュだけではなく、傍で聞いていたリーシャにも衝撃をもたらした。

 『精霊ルビス』を巡るカミュとサラの攻防は、アリアハンを出てから続く物。何度となく衝突し、解り合う事なくここまで進んで来たのだ。

 それにも拘らず、サラはカミュの言い分を飲み込んだ。信仰の対象である神に近い存在の『精霊ルビス』を蔑にされても尚、サラはカミュの心を理解しようと踏み込み、そして導こうとしている。

 それが、リーシャには嬉しかった。

 

「あははは! カミュ! この中で、お前だけが子供の我儘を貫こうとしているんだ。それがどんな事なのか、理解出来ないお前ではないだろう?」

 

「……くそっ……」

 

 サラの顔をまじまじと見つめ、突如声を上げて笑い出したリーシャの言葉に、カミュは軽い舌打ちを放つ。その姿が尚更リーシャの笑いのつぼを刺激し、笑い声は高らかに部屋に響いた。

 今までの剣呑な雰囲気に戸惑っていたメルエも笑顔を見せる。そんなメルエを見て、リーシャは笑いながらメルエを抱き上げた。

 

「メルエも笑ってやれ。偉そうな事をいくら言っていても、カミュはまだまだ子供だ」

 

「…………ふふ…………」

 

 メルエと顔を合わせるように笑うリーシャを見て、それまで緊張に身を硬くしていたサラも力を抜き、自然と笑みが零れる。そして、そのサラの笑みを横目に入れたカミュは、忌々しげに舌打ちをして部屋を出て行った。

 

「さぁ、行こう。世話になった宿屋の主人にも挨拶をして、必要な物を購入したら、<ダーマ神殿>へ戻ろう」

 

「はい!」

 

 部屋を出て行ったカミュを見て、笑い声を収めたリーシャが、サラとメルエに再び笑顔を向け、出発の号令を発する。そして、そんなリーシャにメルエは一つ頷き、サラは笑顔で返事を返した。

 

 また一歩、彼らが前へと進んだ瞬間でもあった。

 

 

 

「おお! 元気になったか? よかった、よかった」

 

「ああ、ありがとう。この度は、何から何まで世話になった」

 

 宿屋のカウンターでは、主人が帳簿を付けており、降りて来たカミュ達を目に留めると、人の良さそうな笑みを向け、メルエの回復を喜んだ。そんな主人に、リーシャは真剣な表情で頭を下げ、それを見上げていたメルエも、主人に対して頭を下げる。

 四人全員が自分に向かって頭を下げるという光景に、戸惑いながら、主人は軽く手を振って、カウンターに部屋の鍵を置くカミュへと視線を移した。

 

「いやいや。何にせよ、これでポカパマズさんも一安心だな?」

 

「ポカパマズ?」

 

 カミュへと視線を向けて主人が発した聞きなれない名に、リーシャとサラが声を合わせた。

 カミュが、少し眉根を顰めても何も言葉を発しないところを見ると、その名を聞くのは今が初めてではないのだろう。

 

「……昨日も村の人間に問われたが、俺の名は『ポカパマズ』ではないのだが……」

 

「えっ!? そ、そうなのかい?」

 

 カミュの言葉に、主人は心底驚いたような表情を見せて、まじまじとカミュの顔を見つめた。

 カミュの言葉からだと、おそらく昨日買い物に出ている時に、村の住民からその名で呼ばれた事があったのだろう。

 

「しかし、良く似ているなぁ」

 

「主人? そのポカパマズという人物は何者なのだ?」

 

 カミュの顔を隅々まで見た主人が、顎に手を掛けて首を捻る姿を見て、リーシャが疑問を投げかけた。

 サラも同様で、リーシャの疑問に視線を動かした主人の顔を凝視し、そこから出て来るであろう次の言葉を待つ。

 

「あ、ああ。何年か前に、この村の近くで怪我をして倒れているところを偶然村の子供が見つけてね。暫くこの村で暮らしていた人さ。もうこの村を出て行って何年も経つがね」

 

「その人物は、そんなにカミュに似ているのか?」

 

 主人の説明を聞いたリーシャが、自分の横に立つカミュに向けて視線を送った後、再び主人に向けて疑問を呈した。

 『世界中には自分に似た人間が数人いる』とこの世界では云われている。故に、似た人物がいる事にそこまで疑問は湧かないのだが、自分の連れに酷似したという人間に興味を持ったのだ。

 

「ああ。まぁ……よくよく見ると違う部分もあるな。しかし、その黒々とした髪の毛といい。意思の強そうな黒目といい。物腰というか、雰囲気というか……」

 

 リーシャの問いに、主人から返って来たのは、何とも曖昧な物だった。物腰や雰囲気が似ているというのは、それで人を判断するには乏しい材料と言わざるを得ない。

 しかし、この世界において、カミュのような漆黒の黒髪というのは、とても珍しい。アリアハンでは、彼の父親であるオルテガとこの青年しかいなかったし、アリアハンを出た先の国々でも、サラと同じ様な黒味がかった髪の毛を持つ者はいたが、漆黒と言うほどの髪の毛を持つ者はいない。

 実際、世界のどこかにある国に住む人間は皆この黒髪を持って生まれて来るという話しではあるが、その場所に辿り着いた者はおらず、正確な話は解らないのだ。

 

「黒髪だと!? その人物の名は、本当にポカパマズというのか?」

 

「……もういい……行くぞ……」

 

 リーシャの力が入った問い掛けに、主人が戸惑っている間に、カミュは踵を返して、宿屋を後にする。リーシャ達の会話に興味を示していなかったメルエがその後を追い、サラも仕方なしに歩き出した。

 

「もし、ポカパマズさんの事を知りたいなら、ポポタっていう子供に聞いてみな。ポカパマズさんを見つけたのは、そいつだからよ」

 

「わかった」

 

 カミュ達が出て行く姿に溜息を吐くリーシャを見て、主人が助言を発した。それに対し、静かに頷いたリーシャも宿屋を後にする。

 

 

 

「カミュ様は、『ポカパマズ様』という人物に心当たりはあるのですか?」

 

「……ある訳がないだろう……」

 

 宿屋を出て、リーシャが追いついた時、カミュの横を歩いていたサラの問い掛けが聞こえて来た。そして、そんなサラに対し、大きな溜息を吐き出したカミュが、答えるのも面倒臭そうに言葉を吐き出した。

 

「しかし、その名を聞くのは、初めてではないのだろう?」

 

「……昨日、アンタに頼まれた物を購入している時に、何度か聞いた名だ……」

 

 カミュが答えた内容は、リーシャが予想していた物だった。おそらく、買い物途中で、何度もカミュは『ポカパマズ』という人物に間違えられたのであろう。

 

「まずは、ポポタという子供を捜そう。その子が『ポカパマズ』という人物を救ったのだそうだ」

 

「……何故だ?」

 

 リーシャにしてみれば、唯当然の事を口にしたに過ぎないのだが、それを聞いたカミュは心底不思議そうにリーシャの瞳を見つめ返した。

 

「な、なぜだと!? お前は、『ポカパマズ』という人物が何者なのかを知りたくはないのか!?」

 

「……知ったところで何がある?」

 

「……カミュ様……」

 

 カミュと似ている人物。

 それが、リーシャの心に何故かひっかかりを生み出していた。

 そして、おそらくそれはカミュも同様だったのだろう。

 

「……カミュ……逃げるのか?」

 

「……」

 

 カミュの心を察したリーシャの吊り目気味の瞳が細められる。

 その瞳をカミュも負けじと睨み返した。

 

 カミュの言う通り、この村で話に出た『ポカパマズ』という人物が、ここからのカミュ達の旅に影響を及ぼす可能性は限りなく低い。別段、その正体を知らなくとも、既にカミュ達の進路は決まっているのだ。

 <ルーラ>を使って<ダーマ神殿>へ戻り、『悟りの書』の真意を問い質した後、<バハラタ>で『黒胡椒』を受け取り、<ポルトガ>で『船』を手に入れる。その先の進路については未定ではあるが、その間に目的地は定まるだろう。

 故に、この場所で、そのような不確かな人物に構っている余裕はないというのも事実なのだ。

 

「やはり、お前が一番子供だな。メルエよりも幼い」

 

「……」

 

 先に言葉を吐き出したのは、リーシャだった。

 呆れたような溜息を吐き、カミュの足元にいるメルエへと視線を送る。

 

「だが、この村の武器屋や防具屋に寄る時間ぐらいあるだろう? メルエ、おいで」

 

「…………ん…………」

 

 もはや、カミュを説得する事を諦めたように、リーシャは提案事項を変更した。これには、カミュも反対する事は出来ず、メルエと共に歩き出したリーシャの後を舌打ちをして歩き出す他なかった。

 そんなカミュとリーシャのやり取りを、首を交互に動かしながら見ていたサラは、不思議そうに首を傾げる。サラの目には、いつの間にかカミュとリーシャの力関係が逆転したように見えたのだ。

 

「この村にはどんな武器があるのだろうな?」

 

「…………メルエ……の…………?」

 

 村の武器屋の方向へ歩きながら、リーシャは自分の手を握るメルエに話しかける。そんなリーシャを見上げながら、自分の物を買って貰えるのかと、メルエの瞳が輝きを湛え始めていた。

 

「う~ん。メルエのはないかもしれないな。それに、現在のメルエの装備は最強装備だぞ?」

 

「…………むぅ…………」

 

 リーシャの言葉にむくれるような表情を見せるメルエを見て、リーシャ達に追いついたサラが笑顔を浮かべた。

 そして、何かを思いついたように、自分のポケットに手を入れる。

 

「メルエ、これはあの塔で書物と一緒にあった髪飾りです。メルエが持っていてくれませんか?」

 

「…………メルエ……の…………?」

 

 サラが取り出した物は、ガルナの塔で『悟りの書』と共に置いてあった小さな木箱に入っていた物である、銀で出来ているであろう髪飾りだった。

 それをサラはメルエの前へと差し出すと、メルエの瞳が再び光を宿す。

 

 サラとしても、大事そうに木箱に入っていた物を盗むように持って来てしまい、そしてそれをメルエのような幼子に譲渡する事に抵抗感は感じていた。

 しかし、『何故?』と問われれば、サラ自身答える事が出来ないが、何故か『この髪飾りはメルエが持っているべきではないか?』という思いに駆られたのだ。

 

 嬉しそうに微笑むメルエの髪の毛にサラが髪飾りを差し込む。

 メルエの明るい茶色をした髪の毛に、銀色に輝く髪飾りは良く似合った。

 

「ん? メルエにはあの髪飾りがあるじゃないか?」

 

「…………あれ………いや…………」

 

 サラが付けてくれた髪飾りを嬉しそうに触っているメルエを見て、リーシャはある事を思い出す。

 メルエを庇って命を落とした女性から譲り受けた物。そして、それはメルエの義母の形見となる遺品。

 しかし、メルエは、リーシャの言葉に先程の笑顔を消し、首を横に激しく振る。その様子をリーシャは哀しく見つめていた。

 

「リーシャさん……まだ無理です。いずれ、メルエが自分からあれを髪に飾る日が来る筈ですので、それまでゆっくり待ちましょう」

 

「ああ、そうだな」

 

 首を振ったメルエは、まるでリーシャから逃げるように、カミュのマントの中に潜り込む。その様子を見てサラが呟いた言葉に、リーシャは頷く他なかった。

 

 

 

 この村の市場に着いた一行は、小さな村にも拘わらず、かなりの活気を有する市場の喧騒に驚きの表情を見せる。村の北側に位置する大きな建物の中にそれはあった。

 既に太陽が真上に上り、昼時を迎えた事によって、市場には買い物客が多く、自給自足の村とはいえ、その独自の文化が根付いている事が推察できる。

 

「この村には、結構な人が住んでいるんだな」

 

「そうですね。やはり、『人』は力強いです」

 

 周囲を賑わす人々を見ながら感心したように呟いたリーシャの言葉に、サラは嬉しそうに目を細め、辺鄙な土地でも力強く生きている人々を讃えた。

 そんなサラの表情に自然とリーシャの顔にも明るい笑顔が浮かび、周囲を満たす人々の表情に視線を巡らす。

 

「メルエ! 武器と防具の店があったぞ!」

 

「…………ん…………」

 

 そんな中でリーシャがある一点に視線を止め、先程カミュのマントに逃げ込んだメルエへと声をかける。少し顔を出したメルエが、リーシャの指し示す方角に視線を向けて目を輝かせた。

 再びカミュのマントから出て来たメルエの手を引きながらリーシャは武器と防具の店のカウンターへと近づいて行く。

 

「いらっしゃい! あ、あれ? ポカパマズさんじゃないか!? いつ戻って来たんだ?」

 

「……」

 

 リーシャの来店に気付いた店主が顔上げて、来店者への挨拶を返すが、同時にその後ろから歩いて来る黒髪の青年を見て、驚きの声を上げた。

 もはや聞き飽きた名を告げられたカミュは、呆れと諦めの溜息を吐き出す。

 

「もう、ポポタには会ったのかい? まだなら、この奥にいるから早く会って来てやってくれ!」

 

 カミュの溜息を無視するように、矢継ぎ早に言葉を繰り出す店主に、流石のリーシャも戸惑いを見せる。それは、サラも同様で、この村の全ての人間と言って良い程に、カミュと見間違える『ポカパマズ』という人物に興味を持ち始めた。

 

「いや、店主。こいつは、『ポカパマズ』という人物ではない」

 

「はぁ? どっからどう見ても、ポカパマズさんじゃ……いや、よく見れば違うか? 言われてみれば、歳が若いな……しかし、髪の色といい、瞳の色といい、良く似ているもんだ」

 

 そんな店主の言葉を聞き、サラの頭の中で、ある推測が成り立つ。

 おそらく、この村の人間は、漆黒に近い髪の毛を持つ人物に出会った事がないのだろう。故に、髪の色が黒という事が『ポカパマズ』という人物の第一心象なのかもしれない。

 

「それはそうと、この店では何を扱っているの……な、なんだあれは!?」

 

 話題を変えるように、リーシャが取扱商品を尋ねながら飾られている商品を横から見て行くと、その視線はある一つの商品で停止し、驚きの声を高らかに上げた。

 そんなリーシャの視線を追ったカミュの瞳も珍しく見開かれている。

 

「あ、ああ……これは<大ばさみ>という武器だよ」

 

「大ばさみ!?」

 

 そして、店主が返した答えにある、魔物の名前のような武器に、サラまでもが驚きの声を上げる。店主が棚から取り外したその武器は、店主一人で下ろす事も困難な程の重量のある物だった。

 形はその名の通り鋏。

 裁縫等で使用する物をとんでもない程の大きさに作られ、その材質は、カミュが持つ<鋼鉄の剣>と同じ物なのか、とても妖しい輝きを放っている。

 

「それで、魔物と戦うのか!?」

 

「当たり前だ! 見た目で判断するなよ。魔物の身体を挟んで捻じ切るんだ。それ相応の力は必要だが、切れ味は保障するぜ」

 

 カウンターに置かれたそれは、店主の言うように凄まじい程の重量感を持ち、このパーティーの中ではリーシャとカミュしか扱えない事は、容易に想像出来る。そして、鋏の刃の部分の見ると、自慢するだけあって、鋭く光り、その切れ味も<鋼鉄の剣>以上である事が解った。

 

「捻じ切るのか……」

 

「……アンタが使えば良いのではないか?」

 

 <大ばさみ>をまじまじと眺めながらリーシャは、呟くように言葉を漏らした。その言葉を聞いたカミュが、まるでからかうようにリーシャへとその武器を薦めて行く。

 

「いや。止めておこう。この武器は両手で使用する物のようだ。これでは盾を構える事も難しくなり、いざという時に身動きが出来なくなる」

 

「……」

 

「……リーシャさん……」

 

 カミュのからかい混じりの言葉に、何かしらの反応があると考えていたカミュとサラは、武器を見つめたままに真面目に答えたリーシャに驚き、言葉を失う。

 良くも悪くも、リーシャはやはり『戦士』であった。

 武器や防具の事となれば、その先の戦闘時の事へも考えを巡らし、自分がその武器を手に取った時の戦い方を考えているのだ。

 

「な、なんだ!? 私は何か可笑しな事を言ったか!?」

 

「……いや……至極当然のようで、誰でも彼でも気付ける事ではない事を言っていた」

 

 カミュ達の反応に、どこか自信無さ気に問いかけるリーシャに、カミュは正直な感想を返す。改めて、彼女がアリアハン屈指の『戦士』である事をカミュは悟ったのだ。

 そして、その横に佇むサラも同様だった。

 

「そ、そうです! 流石リーシャさんです! そ、それに、そんな武器はリーシャさんに必要ありません。そんな武器を構えたら、もう本当にリーシャさんが魔物のようになってしまいますよ!」

 

「……」

 

「……そうか……サラ、ありがとう。気持ちは良く解った……」

 

 何かを悟ったとしても、やはり彼女はサラだった。

 勢い良く笑顔で口にした言葉は、カミュに溜息を吐かせ、リーシャの傍で目を輝かせて武器を眺めていたメルエをカミュのマントへ逃げ込ませる。

 そして、言葉とは裏腹な雰囲気を醸し出し始めたリーシャの笑顔は目が笑ってはいなかった。

 

 人で溢れた市場の一角に、年若い僧侶の悲鳴が響き渡る。

 

 

 

「また次の町や村では、メルエの物も何か見つかるさ」

 

「…………ん…………」

 

 結局一行は、先程の店で何も購入する事はなかった。武器も目新しい物は<大ばさみ>しかなく、防具に至っては<アッサラーム>の品揃え以下だったのだ。

 <魔法の盾>を買って貰ったメルエは、『この村でも何か買って貰えるのでは?』という期待があっただけに、今はリーシャの手を握りながら残念そうに肩を落としている。

 

「それに、まだ奥には他の店があるかもしれないしな」

 

「…………ん…………」

 

 リーシャは、肩を落とすメルエを慰めるように手を引いて、市場の奥へと歩いて行く。その後ろをサラが続き、最後尾をカミュが歩いていた。

 リーシャの考えが解らないカミュではない。おそらく、リーシャは武器屋の店主の言葉を確かめるために、ポポタという人物のいる奥へと進んでいるのだろう。しかし、それが解っていても、残念そうに肩を落とすメルエを見ていると、カミュは踵を返して市場を出て行く事が出来なかった。

 

「あれ? もうお店は、ここで終わりでしょうか?」

 

 しかし、そんなリーシャの目論見に気付かないサラは、徐々に静まって行く喧騒と共に人影も疎らになって来た事に感想を洩らした。

 サラの言葉に、カミュの表情は苦々しく歪み、リーシャはどこか落ち着かない雰囲気となる。

 その手を握るメルエは、不思議そうに二人を見上げていた。

 

「……戻るぞ……」

 

「あれ? あれはなんでしょう?」

 

 業を煮やしたカミュが、踵を返すのと同時に、前方を見据えたサラがある物を見つけて声を上げた。

 サラの言葉を幸いにと、リーシャはメルエの手を引き、サラの指差す方向に駆け出して行く。それに続いてサラも見つけた物へ駆け寄るのを見て、カミュは盛大な舌打ちを発した。

 

 リーシャが駆け寄った先には、一つの兜が置かれていた。

 その形状はリーシャやサラが被る<鉄兜>のような簡易的な物ではなく、しっかりとした造りの特注兜である事が解る程の物。

 そして、それは良く手入れが成されており、黄金色に輝いている。

 

「……兜か……?」

 

 手入れの行き届いた輝きを放つ兜へ手を伸ばしたリーシャは、何かに怯えるようにその手を戻した。何故か、リーシャはその兜に触れてはいけないという感覚を持ったのだ。

 何故だかは解らない。その兜が放つ奇麗な輝きの為か、それとも、その兜が自分の記憶の片隅にある物に似ているためなのか。

 

「その兜は売り物ではないんだ。悪いが、諦めてくれ」

 

「あっ。ああ、済まない」

 

 手を戻し、何かを考えるように黙り込んだリーシャに不意に声がかかる。その言葉と共に、兜が置いてあるカウンターの奥から歩み寄って来た男が、兜を見ながら考え込んでいたリーシャを申し訳なさそうに見つめていた。

 

「いや、私もこれを預かっている身だからな。この兜が欲しければ、ポポタという少年に聞いてくれ。まぁ、ちょっと難しいだろうがな」

 

「また、ポポタという少年か。ポカパマズという人物を追うには、どうしてもその少年に会ってみなければいけないようだな」

 

 男の話す言葉に、リーシャは今まで何とか誤魔化して来たつもりでいた本心を洩らしてしまい、気付いてはいても、はっきりと宣言されたカミュは、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

 

「……戻るぞ……」

 

「えっ!? この兜の持ち主を訪ねてみないのですか?」

 

 リーシャの言葉を無視するように、戻ろうと足を出したカミュに、取り巻く空気を意識する事なくサラが問いかける。サラから見れば、この兜もまた『悟りの書』と同じ様に何か謂れがある物ではないかと感じたのだ。

 

「カミュ、私は行くぞ。メルエはどうする?」

 

「…………いく…………」

 

 背中を向けるカミュにリーシャが言葉を投げかけ、その後に問われたメルエは、カミュの背中とリーシャの顔を数回見比べた後、リーシャに付いて行く事を口にした。

 

「ちっ!」

 

 四人パーティーの内、三人が同意見となり、必然的に反対意見はカミュだけとなる。

 以前のカミュであれば、『勝手にしろ』と言葉を投げ捨て、一人村を出て行ったのだろうが、メルエが行く事を口にした以上、カミュがそれに逆らえる訳がない。

 盛大な舌打ちをしたカミュは、そのまま店主が指し示した指先に見える階段へと歩いて行った。

 

 

 

 階段を登りきった場所にあったのは、少し広めな部屋だった。

 そこは、託児所なのか、数人の子供達と、その子供達に何かを教えるように話しかける二人の大人が椅子に腰掛けていた。

 

「どの子がポポタ君なのでしょう?」

 

 数人の男女の子供達は、見たところメルエよりも若干年上のように見え、その子供達の姿を見たメルエは、何かに怯えるようにカミュのマントの中へと逃げ込んでしまう。

 自分以外の子供と接する事は<カザーブの村>の『アン』以外なかったメルエは、接し方が判らないのだろう。

 

「ああ! ポカパマズさんだ!」

 

「えっ!? ほ、ほんとうだ!」

 

 一人の少年が、自分達を見ているカミュ達を見つけ、この村に入ってから何度目になるか分からない名前を叫び、その声に反応した全員の視線がカミュへと向けられた。

 

「いつ帰ってきたの!? 僕、待ってたんだよ!?」

 

「ずるいよ、ポポタ! 私だってポカパマズさんと遊ぶ!」

 

 カミュの下へ真っ先に駆け寄ってきた少年は、カミュの右腕を取って何度も横に振るが、その後に駆け寄って来た女の子にその手を弾かれて顔を顰めた。

 どうやら、今顔を顰めている少年が、ポカパマズという人物を救った少年『ポポタ』なのだろう。

 

「これこれ、そのように一度に言われては、ポカパマズさんも困ってしまうだろう?」

 

「でも、僕、ずっと待ってたんだ!」

 

 見かねて間に入って来た年若い男性に、ポポタと呼ばれた少年が噛み付くが、そんなポポタの態度に慣れているのか、男性は柔和な笑顔を浮かべながら、優しく少年の頭を撫で、カミュ達に向かって視線を移した。

 

「ポカパマズさん、お久しぶりです。こんな所では何ですので、あちらでお茶でも如何ですか?」

 

「……いや……」

 

 そんな男の提案に首を振るカミュを余所に、カミュのマントの隙間から、メルエがポポタと呼ばれた少年に鋭い視線を向けていた。

 メルエにとってみれば、カミュもリーシャも、そしてサラも自分の物なのかもしれない。そんな子供ならではの嫉妬を含んだ視線を向けるメルエに気付いたリーシャは苦笑を浮かべる。

 

「すまないが、この男は『ポカパマズ』という者ではないんだ」

 

「えっ!?」

 

 断りの理由を話そうとしないカミュに代わって口を開いたリーシャの言葉に、カミュ達一行を除いた全員の表情が固まってしまった。

 

「嘘だ! 何でそんな嘘を付くのさ!?」

 

「……嘘ではない……俺は『ポカパマズ』という人間ではない」

 

 自分の糾弾に、初めて口を開いたカミュの声を聞いて、ポポタの顔が悲しみに歪んで行く。

 外見の特徴は、この村にいる人間達と同じ様に、黒い髪、黒い瞳、そしてその雰囲気で『ポカパマズ』と認識していたのだろう。しかし、声だけは違う。少なくとも、ポカパマズという人物がこの村を出て行くまで、毎日共にいたポポタはその声が頭に残っていたのだ。

 

「では……貴方方は、もしかするとアリアハンという国から?」

 

「な、なに!? アリアハンを知っているのか!?」

 

 悔しそうに俯いてしまったポポタの頭を優しく撫でる男性の言葉は、今度はカミュ達を驚愕させた。

 基本的に、アリアハンという国は辺境の国である。どれ程に祖国を誇りに思っていようと、その点はリーシャも認めていた。

 その辺境の国の名をこのような遠く離れた小さな村の住民が知っている事にまず驚いたのだ。

 

「やはりそうでしたか。ポカパマズさんも、アリアハンという国から来たと言っていました。確か、その国での名前は『オルテガ』とか……」

 

「な、なにっ!?」

 

「えぇぇぇぇ!?」

 

「……その国での名……?」

 

 続いて紡がれたリーシャ達が良く知る名前に、リーシャとサラは驚きの声を上げるが、カミュは男性が発した違う言葉に引っかかりを覚えた。

 

「ええ。このポポタという少年が、村の外で倒れていたポカパマズさんを見つけて来たのですが、その時はポポタもまだ小さく、ポカパマズさんの本当の名前を発音出来なかったのです。ですので、ポポタから聞いた『ポカパマズ』という名前がこの村での認識になってしまいまして」

 

「そ、そんな事はどうでもいい! オルテガ様はこの村に来たのか!? それは何時だ!?」

 

 驚きの声を上げた二人を余所に、疑問を呈したカミュの言葉に反応した男性は、その理由を細かく話そうとするが、それはリーシャによって遮られた。

 『オルテガ』という憧れの存在である名前を聞いた彼女は、胸倉を掴む勢いで、男性へと詰め寄って行く。

 

「あ、あなた方は……」

 

「貴方達が『ポカパマズ』さんと間違えられたのは、その『オルテガ様』のご子息なのです」

 

「!!」

 

「ちっ!」

 

 リーシャの剣幕に戸惑った男性が発した疑問に答えたのは、サラだった。

 サラによって素性を暴露されたカミュは、盛大な舌打ちをしてサラを睨みつけるが、その瞳にはいつものような迫力はなく、サラはカミュから視線を外す事で脅威を感じる事はなかった。

 

「な、なんと! ポカパマズさんのご子息だったとは!?」

 

 サラから事実を告げられた男性は、驚きの表情を浮かべ、まじまじとカミュの顔を見つめる。既にカミュ達を取り囲むように集まっていた子供達の顔にも驚きの色が浮かんでいた。

 

「少年がオルテガ様を助けたと言っていたが、それは何年前だ!? それこそ、少年は幾つなのだ!?」

 

「リ、リーシャさん!」

 

 矢継ぎ早に疑問をぶつけるリーシャを、流石にサラが止めに入った。好奇心の塊のような視線を容赦なく受けているカミュは苦々しく表情を歪め、マントの中にいるメルエは怯えるようにカミュの腰にしがみ付いている。

 

「ポポタがポカパマズさんを見つけたのは、八年ぐらい前の筈です」

 

「なんだと!?」

 

「!!」

 

 リーシャの剣幕に怯えるように搾り出した男性の言葉は、カミュすらをも驚かせるものだった。

 リーシャは身体の力を抜いて呆然と虚空を見つめ、力が抜けたリーシャの身体に手を掛けながらサラも驚きに口を開いたまま。カミュも目を見開き、男性を見つめていた。

 

 それもその筈。

 アリアハンの英雄『オルテガ』は、アリアハンを旅立って一年後に死去した事になっているのだ。それは、もはや十六年も前のこと。それがつい八年程前にこの村に居たと言うのだ。

 リーシャだけでなく、この全世界で『オルテガ』という名を知る者ならば誰しもが驚愕する事実である。

 

「カミュ! オルテガ様は生きているんだ!」

 

「……」

 

 勢い良く振り返ったリーシャの瞳から、カミュが視線を逸らした。しかし、それは何かに耐えるような痛々しい姿だった。

 強く握られた拳には爪が食い込み、引き締められた口の中では強く噛み締められた歯が軋みを上げている。

 

「そ、そうだ! ポポタ! オルテガ様はどんな様子……!!」

 

「あ、あれ?……ポポタ君は……?」

 

カミュのその姿に気付く事なく、リーシャは憧れの人物の生存に喜びを隠し切れずに、その人物が村を出て行くまで共にいた少年に、その時の事を尋ねようとその姿を探すが、少年は何処にもいなかった。

 

「えっ!? ま、まさか、また村の外へ!?」

 

「また? ポポタ君はいつも村の外に出て行くのですか?」

 

 リーシャ達の言葉に我に返った男性は、周囲に視線を巡らし、いつも元気一杯に駆け回っている少年の姿を探す。しかし、その姿が見えない事で、一つの懸念が男性の頭の中に浮かんで来た。

 

「え、ええ。彼は少し元気があり過ぎて、目を放した隙に村の外に出てしまうのです。そのお陰でポカパマズさんを見つけたのですが……」

 

「あの子は幾つなんだ!?」

 

「……まずいな……」

 

 男性の答えに、見当違いの疑問を口にするリーシャを無視するように、傍にある窓から外に視線を向けていたカミュが口を開いた。

 カミュの視線を追ったサラも、カミュが懸念する内容を察する。

 

「……陽が落ち始めている……」

 

「なに!?」

 

 窓から見える外の景色は、既に夕刻を迎えていた。思った以上に時間を使っていたらしく、太陽は西の空へと沈み始めていたのだ。

 建物は真っ赤に染まり始め、夕食の支度の為、立ち並ぶ家々の煙突からは煙が立ち上っている。

 

「カミュ!」

 

「……わかった……」

 

 リーシャの叫びに一つ頷いたカミュは、マントを広げてメルエを外に出した後、階下へと降りて行く。その後をサラが続き、リーシャはメルエを抱き抱えて階段を下りて行った。男性も子供達の世話をもう一人の女性に任せ、カミュ達の後を追って行く。

 

 

 

 市場は夕食の買い物客でごった返しており、その人の群れを掻き分けて外へ出るのにかなりの時間を要してしまったカミュ達は、建物の外に出て自分達の愚かさに後悔した。

 

「どちらに向かったのでしょう?」

 

「ちっ!」

 

 勢い良く出て来たが、ポポタの向かった場所が分からないのだ。

 後ろから付いて来た男性に尋ねるが、『ポポタはいつも一人で戻って来るので分からない』という言葉に探す手段を失くしてしまう。

 それでも村に一つしかない外界への門へ向かう一行の前で、おろおろと立ち尽くす一人の女性が見えて来た。妙齢の女性で、今まで食事の支度をしていたのか、エポロンをつけ、右手には木で出来たへらを持っている。

 

「ああ! ポポタが! ポポタが外に!」

 

 その女性は、カミュ達の後ろにいる男性を見つけると、縋りつくように咽び泣き、同じ言葉を繰り返し始める。女性を落ち着かせるように、肩に手を回した男性の温もりに次第に女性の心が定まって行った。

 彼女がおそらくポポタの母親なのだろう。

 

「ポポタは何処へ?」

 

「外に飛び出してしまって!」

 

 男性の問い掛けに、ポポタの母親は村の門の先を指差す。門には、門番が出入りするための小さな扉が付いており、その扉は開かれたままだった。

 

「……向かった場所に、心当たりは……?」

 

「あ、あなたは?」

 

「この方は、ポカパマズさんのご子息だそうだ」

 

 埒が明かない事にカミュが口を挟む。母親の問い掛けに答えた男性の言葉に、若干眉を顰めるが、もう一度母親に心当たりを尋ねると、母親は少し考えた後で口を開いた。

 

「おそらく、ポカパマズさんが倒れていた場所ではないかと……あの子は何時もそこへ行っていると言っていましたから」

 

 その場所の詳細を聞いたカミュ達は、『自分達も行く』と聞かない母親と男性を黙らせ、門の外へと駆け出した。

 実際、母親であれば、息子を救うために危険を問わないだろう。飛び出してしまった息子の姿に動揺していた当初であれば別だが、落ち着きを取り戻した母親の瞳には、親にしか持つ事の出来ない強い光が宿っていた。

 故にこそ、カミュ達は強い言葉で二人を黙らせ、村に置いて来たのだ。

 カミュ達が、この近辺の魔物に後れを取る事はない。しかし、その中に子供の為に我が身を犠牲にしかねない者がいれば、話は変わってくる。カミュ達は、その者に注意を向けざるを得なくなり、どうしても魔物への対処が一歩遅れてしまうのだ。

 そして、それとは別に、カミュもリーシャも、そしてサラも、もう二度と子供の為に犠牲になる者の姿を見たいとは思っていなかった。

 

 

 

 

 

 ポポタは、次第に自分を包み込んで行く闇に怯えていた。

 村の外に出たのは初めてではない。

 それこそ、彼が二歳か三歳になるかならないかの頃から、村の外へ抜け出していた。

 そんな折に、この海に近い平原で傷つき倒れる男性を見つけたのだ。

 

「うっうっ……ポカパマズさん……」

 

 ポポタという少年には、物心がついた頃から父親という存在がいなかった。母親の話では、ポポタが生まれてすぐに、病によって命を落としたという事だった。

 その折には、この村には薬師はおらず、どの町や国にも隣接していないこの村では病に対抗する手段がなかったのだ。

 故にその後、ポポタの祖父に当たる病で息子を失った父親が、老いを感じていた身体に鞭を打って薬学を習得し、この村で唯一の薬師となった。

 村の近くで倒れていたポカパマズの傷を癒し、その身体を蝕んでいた病を治したのは、そのポポタの祖父だったのだ。そして、余談ではあるが、ポカパマズの息子と名乗る青年が連れて来た幼い少女の病を診察したのも、その祖父であった。

 

「……暗くなってきちゃった……どうしよう……」

 

 ポポタの祖父の家で養生をしていた事や、ポポタが第一発見者であった事から、ポポタは傷つき倒れていた男性の下へ毎日通い、目が覚めるまでは、何度も額に乗る布を換え、目が覚めてからは包帯等の交換を手伝った。

 

 次第に男の傷は癒え、病からも驚異的な回復を見せる。名を聞くポポタに答えた男性の名は、ポポタが聞いた事のない発音の名前だった。故に何度も言い直すが、結局『ポカパマズ』というこの村独特の発音で落ち着いてしまったのだ。その事に、男性は怒る事などなく、笑いながらポポタの頭を撫でてくれた。

 

 『病は治りかけが肝心』という言葉に従い、傷も完全に癒えていない事から、ポカパマズと呼ばれ始めた男性は、村で暫く過ごす事になる。

 村のどんな男よりも逞しい腕で振り下ろす斧は、誰も倒す事が出来なかった太い木の幹を容易く折り、その逞しい身体は、誰も動かす事が出来なかった大岩を軽々と運び上げた。

 

 いつしか、ポポタはポカパマズと呼ぶ男性を父親のように慕い始めていた。

 

「クキャ――――――――!!」

 

「ひっ!」

 

 次第に視界を奪って行く闇に怯えていたポポタの後方から奇声が発せられた。慌てて振り向いたポポタの視界に、今まで見た事のない異形の生物達が立ち塞がる。

 蝙蝠のような羽を背中から生やした人型の魔物ではあるが、その口から生える牙は恐ろしく長く、ポポタの首筋に向けられた瞳は濁った赤色をした魔物が一体。

 そして、その横に浜辺に打ち付けられている貝殻を被った緑色をしたスライム状の生物が一体。

 

 夜の帳が降り、魔物達の瞳だけが怪しく光っている。

 それが尚更ポポタの恐怖心を掻き立てた。

 

「く、くるな! こないで!」

 

「キシャ―――――――――!」

 

 その場に尻餅を付くように倒れたポポタは、恐怖に震えた声を上げながら後方へと下がろうとするが、そんなポポタを嘲笑うかのように、魔物達はゆっくりとポポタとの距離を縮めてくる。

 羽を生やした人型の魔物がポポタとの距離を詰めるように空中を飛んでおり、その後ろを一体のスライム状の魔物がちょこちょこと飛び跳ねていた。

 

<スライムつむり>

沿岸部に生息する魔物で、硬い貝殻等を住処にするスライムの亜種である。その身を覆う貝殻のような物は非常に硬く、鋼鉄製の剣等でも割る事が出来ないほどの物。周辺にいる同じスライム系の魔物を呼び寄せ、人を襲う魔物である。

 

「……うぅぅ……助けて……助けて、ポカパマズさん……」

 

 ポポタは、自分が父親のように慕う者の名を溢す。

 ポポタの母は、あの村に住む一人の男性との再婚を考えているようだった。それは、幼いと言っても、十歳という年齢を超えたポポタでも察する事が出来る物。

 時には、ポポタの家に来て夕食を共にする事もある。しかし、ポポタはその男性をどうしても認める事が出来なかった。

 

 その男性は、とても頭が良く、毎日ポポタ達に学問等を教えてくれる人間。

 決して、嫌いではない。いや、むしろ『好き』か『嫌い』かを問われれば、間違いなく『好き』の部類に入る。

 優しく、時には厳しく、そして子供達に『愛情』を注いでくれるその男性を、村の中でも『嫌う』者など誰一人としていない。

 

 しかし、その男性にはたった一つ、本当に一つだけ、ポポタが父親に求める物が欠けていた。

 それは、『逞しさ』と『力強さ』。

 大木をも薙ぎ倒し、大岩も軽々と持ち上げ、そして一度剣を握れば、容易く魔物達を撃退する力だ。ポポタがポカパマズという人物によって魅せられ、彼の父親の理想像を作り上げる事になった能力。

 それを今、ポポタは求めていた。

 

「キュピ――――――――!」

 

 目に溜めた涙が零れ落ちる。もはや、目の前に迫る魔物達の姿もはっきりと認識する事は出来ない。

 空中を飛ぶ人型の魔物が周りを取り囲んでいる間に、<スライムつむり>がポポタへと飛び掛って来た。恐怖に身を固め、視界も定かでないポポタにその攻撃を避ける事など出来ない。

 必然的に、この少年の末路は決まったかに思われた。

 

「ふん!」

 

「ピキュ!」

 

 しかし、そんなポポタの確定されたかに見えた未来は、ポポタが心の底から望んだ『ポカパマズの息子』という地位を、生まれながらにして持っている青年によって打ち砕かれる。

 

「カミュ!」

 

「ポポタ君! 大丈夫ですか!?」

 

「…………」

 

 カミュが切り開いた道を突き進んで来た三人がそれぞれの言葉を捲くし立てる。唯一人、ポポタよりも幼く見える少女だけは、ポポタに厳しい視線を向けながら、カミュのマントを強く握り締めていた。

 

「……メルエ……あの僧侶の後ろに……」

 

「…………いや…………」

 

 魔物から視線を外す事なく、自身のマントを握る少女に指示を出すカミュの言葉は、はっきりとした否定に切り捨てられる。

 そんなメルエの姿に軽く溜息を吐いたカミュは、右手に持つ<鋼鉄の剣>を魔物に向けて、構えを取った。

 

「……その子供と、あのスライムもどきは任せた。メルエは俺とあの飛んでいる奴だ」

 

「…………ん…………」

 

 カミュの言葉に、やっと頷き返したメルエは、手にしっかりと<魔道士の杖>を握り、カミュが対峙する蝙蝠の羽を持つ魔物へと視線を向けた。

 その魔物は、メルエの心に恐怖心を植え付けた魔物と酷似した者であったが、メルエの前には、彼女が全幅の信頼を寄せる青年が立っている。それが、メルエの心を安定させ、恐怖を力へと変えて行った。

 

「ポポタ君、怪我はありませんか?」

 

「サラ! 少年は任せたぞ!」

 

 ポポタの傍に寄って来た法衣を着た女性がポポタの身体を隅々まで調べ、もう一人の屈強な女性は、背中につけた大きな斧を取り出し、魔物へと向かって構えを取った。

 

 ポポタは、自分の身体を気遣い、声をかけて来るサラの方へ視線を動かす事をせず、ただじっと、自分の前に立ちはだかる大きな背中を見つめていた。

 その背中は、彼が熱望した者の物より若干小さい。しかし、その背中はとても温かかった。とても力強く、そして自らの後ろにいる者に絶対の安心感を与えるような決意に満ちていた。

 

「……ポカパマズさん……」

 

 その背中を見て、ポポタは無意識に名を呼んでしまう。

 そして、嫌が応にも理解せざるを得なかった。

 今、ポポタの前に立つ者こそ、本当にポカパマズの息子なのだと。

 

 ポカパマズに息子がいる事は知っていた。

 村で療養中にポポタの頭を撫でるポカパマズは、まるでポポタの姿を通して誰かを見ているように優しい瞳をしていたのだ。

 一度、その理由を尋ねたポポタに、ポカパマズははっきりと自分の息子の存在を告げる。その時、ポポタは自分が慕う人物の愛情を注がれている存在に嫉妬したが、それ以上に優越感を覚えた。

 『今、この逞しい父親の傍に居るのは、自分なのだ』と。

 

「メルエ!」

 

「…………ん………メラミ…………」

 

 メルエが掲げた杖の先から大岩程の火球が飛び出し、空中を飛んでいる魔物に向かって飛んで行く。それと同時にカミュも<鋼鉄の剣>を構えて飛び出した。

 虚を突かれた魔物は、メルエの火球から辛うじて身を避けるが、そこをカミュの剣が襲い掛かる。

 

<バーナバス>

吸血性の魔族の頂点に立つ魔物である。人の生き血を好み、その眷属を増やして行く。実際<こうもり男>や<バンパイア>と呼ばれる下種の吸血族は、この<バーナバス>に血を吸われた人間ではないかという説もあるのだ。鋭い爪と牙以外にも、様々な呪文を使いこなすと云われているが、見た者は命を落としている為、その信憑性には疑問の声も上がっている。

 

「ギギャ――――――――!」

 

 カミュが振るった<鋼鉄の剣>が<バーナバス>の肩口に斬り込まれ、胸付近まで一気に斬り裂いた。

 凄まじい雄叫びと共に、人外の者を認識させる色の体液を噴き出し、<バーナバス>は弱々しく地面に足をつける。

 

「メルエ!」

 

「…………ん…………」

 

「&=%$」

 

 地面に足を着け、身動きが出来ないと考えたカミュが、メルエに呪文の詠唱を指示するが、頷いたメルエが詠唱に入る前に、<バーナバス>が自身の傷跡に手を当て、理解できない言葉を呟く。

 それと共に、<バーナバス>の傷口を淡い緑色の光が包み込み、体液の流出を止め、肉が傷口を塞いで行った。

 

「ちっ!」

 

「……あれは、ベホイミ……?」

 

 その様子を見たカミュは盛大な舌打ちをした後、再び<鋼鉄の剣>を構え、<バーナバス>へと突進して行く。ポポタの傍に居たサラは、その様子に絶句していた。

 もはや、魔物が『経典』に載る呪文を使える事は理解していたつもりだった。しかし、自分が使用できる最高の回復呪文まで魔物が使用する事を目の当たりにした事で、『人』と『魔物』の現実を再び突きつけられた気がしたのだ。

 

「サラ! 呆けるな! あのスライムもどきの殻が硬過ぎる!」

 

「あ、は、はい!」

 

 呆然と<バーナバス>を見つめるサラに、リーシャの檄が飛ぶ。<スライムつむり>に振るったリーシャの斧が、その身体を覆う硬い殻に弾かれたのだ。

 リーシャが何故自分にその事を告げたのかが理解できないサラではない。そこで、サラはようやく自身の立ち位置、そしてその役目を思い出す。

 『サラがいるから、私は前線に出る事ができる』というリーシャの言葉を。

 そして、自身の殻を破り、大空へと飛び立つ時を迎えようとしている一人の女性が、呪文の詠唱を完成させた。

 

「ルカニ!」

 

 ポポタは、自分の目の前で繰り広げられる戦闘を、不思議な気持ちで眺めていた。

 もはや、自分の身に危険が迫る事はないだろう。先程、自分に襲い掛かって来たスライム状の魔物は、自分の傍にいる僧侶が唱えた魔法によって淡く光った後、もう一人の女性の振るった斧によって真っ二つに斬り裂かれた。

 そして、鋭い牙を持ち、空中を飛んでいた魔物も、一度は傷を癒したものの、連携の取れた二人によって追い詰められている。

 巨大な火球を辛うじて避ければ、その先にはポカパマズの息子が振るう剣が待っている。傷を受けながらも何とかそれを回避したところに、今度は冷気が飛んで行った。

 追い詰められた<バーナバス>が牙を剥いた所に、剣を合わせ、その身を貫く。

 

「……」

 

 そんな光景を唖然として見ながらも、ポポタの心には、不思議と悔しさは湧いて来なかった。

 自分が憧れた地位にいる青年に対しても、自分より幼いながらも魔物と対等に戦う事の出来る少女にも。

 ポポタの心に残ったのは、たった一つの『想い』だった。

 『自身もいつの日か、あのように強くなるのだ』という『想い』。

 

 心が定まった為か、それとも自分の命が助かった事への安堵からなのか、ポポタは、<バーナバス>の胸に止めの一撃を突き刺すカミュの背中を見たのを最後に、意識を失った。

 

 

 

 

 

 ポポタが意識を取り戻した時、そこは、海岸近くにある夜の平原ではなく、自分の慣れ親しんだベッドの上だった。

 ポポタを覗き込むように目の前にある顔は二つ。自分の大好きな母親の泣き腫らした顔と、いつも優しい笑顔を向ける男性の顔。

 目を開けたポポタを見て、再び母親の目から大粒の涙が溢れ出し、ポポタの顔を濡らして行く。

 

「ポポタ! ポポタ!」

 

 自分に覆い被さるように抱きついてくる母親に目を白黒させながら、ポポタは昨日の事を思い出す。自分は、ポカパマズの息子に救われたのだろう。

 あの力強く、温かな背中に。

 

「……ポポタ……心配したんだぞ……」

 

 見慣れた笑顔を見せる男性の顔は、疲労が隠しきれていなかった。その言葉通り、意識の戻らないポポタを心から心配していたのだろう。

 ポカパマズやその息子のような力強さは、この男性にはない。それでも、ポポタを心から案じる優しさをこの男性は持っているのだ。

 

「……ごめんなさい……」

 

「!!」

 

 素直に謝罪の言葉を口にするポポタに、男性は一瞬目を見開くが、すぐにいつものような優しい笑顔を浮かべ、ポポタの頭を優しく撫でた。

 その手は、ポカパマズのように大きくはないが、それ以上の温かさを持っていた。

 

「……ぐずっ……ポポタ、お腹は空いてない?」

 

 ようやくポポタから身を離した母親が、涙を拭いながら尋ねた言葉に、ポポタは笑顔で頷いた。

 ポポタの笑顔に、もう一度涙を流し、母親は昨晩作ったスープを取りに部屋を出て行く。

 

「ポカパマズさんの息子は?」

 

「あ、ああ。彼らなら、今朝にはこの村を出て行くと言っていた。お礼をしたいと言ったのだが、聞き入れて貰えなくてね」

 

 自分の質問に答える男性の言葉を聞いて、ポポタは勢い良く身体を起こす。彼らもポカパマズと同様、一度この村を出て行けば、もう二度とこの村に立ち寄る事などないだろう。それはポポタにも理解できた。

 だが、その前に伝えるべき言葉がポポタにはあったのだ。

 

「ポ、ポポタ!」

 

 勢い良くベッドから降りたポポタに驚いた男性が発した制止の言葉を無視し、ポポタは家を出て行った。

 

 

 

 ポポタが村に出ると、朝日が眩しく輝いており、村に一日の始まりを告げていた。

 自分を照らし出す朝陽に構う事なく、ポポタは村に一軒しかない宿屋へと向かって懸命に足を動かす。

 

「お兄ちゃん!」

 

 ポポタの瞳に宿屋が映った頃、ちょうど昨日ポポタを救った四人が宿屋から出て来たところだった。

 自分に気付かない四人が歩き出してしまわないようにポポタは大きく手を挙げ、声を張り上げる。その声に気付いた四人は、それぞれ違う表情を浮かべた。

 昨晩、ポポタの身体を気遣ってくれた僧侶は嬉しそうに微笑み、魔物を一撃で仕留めた女性は、驚いたように目を見開く。

 その女性の手を握っていたポポタより幼い少女はあからさまな敵意を向けた視線をポポタに向け、ポカパマズの息子は何かに呆れるように大きな溜息を吐いた。

 

「ポポタ君。もう身体の方は大丈夫なのですか?」

 

「うん! 昨日はありがとう!」

 

 カミュ達の傍に辿り着いたポポタに、サラは優しく語りかけ、その言葉に応じるように、ポポタは深々と頭を下げた。

 

「それでね。お兄ちゃんに一緒に来て欲しいんだ」

 

 顔を上げたポポタは、カミュの手を握る。その行動に、メルエの視線が更に厳しい物になり、その手は背中にある<魔道士の杖>へと伸びて行った。

 そんなメルエの様子に気付いたリーシャは、苦笑を浮かべながらメルエを抱き上げる。不意を突かれたメルエは、不満そうにリーシャの顔を睨むが、『駄目だ』という言葉と共に軽く頭を小突かれ、リーシャの肩に顔を埋めてしまった。

 

「……どこへ……」

 

「いいから。とにかく一緒に来てよ!」

 

 迷惑そうに眉を顰めるカミュを無視し、ポポタはその手を引いて村を歩き始める。流石に子供に対して、拒絶の姿勢を見せる事の出来ないカミュは、仕方なくポポタに導かれるまま、歩き出した。

 

 

 

「ここは……」

 

 サラは、ポポタが連れて来た場所を見て首を傾げる。そこは、昨日カミュ達が訪れた市場だった。

 カミュの手を引いたまま、ポポタは市場の中にどんどん入って行く。リーシャに抱かれながら、その様子に厳しい視線を送るメルエは、今にも呪文を詠唱しそうな雰囲気を纏っているが、リーシャの視線とサラの笑顔によって、寸前のところで止められていた。

 

 そして、ようやくポポタが足を止めた場所は、昨日カミュ達が足を止めた場所だった。

 市場の最奥に当たり、市場の喧騒も微かにしか聞こえない場所。そして、全員の目を引き付けた防具が飾られていた場所である。

 

「これを……お兄ちゃんにあげるよ」

 

「……」

 

 カミュの手を離し、目の前に飾られている兜を指差して微笑むポポタを見ても、カミュの表情は優れなかった。

 むしろ、先程よりも眉尻の皺は濃くなったかのように見える。

 

「この村を出て行く時、ポカパマズさんが僕にくれたんだ」

 

「オルテガ様がか?」

 

 ポポタの言葉に、リーシャはようやく昨日の引っ掛かりの原因を理解した。

 リーシャは幼い頃に一度見ていたのだ。

 アリアハンから出て行くオルテガがこの兜を被っていたのを。

 

「うん! 本当は……本当はね……ポカパマズさんは、旅を終えた後に自分の子供にあげるつもりだったみたい……」

 

「そうだったのか……」

 

 ポポタの言葉に、リーシャは全てを察した。

 この少年は、何かを吹っ切ったのだと。

 そして、この少年の成長には、自分の横に立つ、『勇者』と呼ばれる青年が必要なのだと。

 

「……だからね……だから、お兄ちゃんにあげる! 僕はまだ、この兜を被る事は出来ないから……」

 

「……」

 

 何かを伝えようと必死で言葉を紡ぐポポタの瞳は濡れていた。

 彼にとって、この兜は、それこそ命の次に大事な物なのだろう。

 出来る事ならば、生涯手元に置いておきたい物なのかもしれない。

 

「その方が、この兜も、ポカパマズさんも喜ぶと思うから」

 

「……」

 

「……カミュ様?」

 

 必死に自身の心を伝えるポポタに対し、一向に返答を返さないカミュを窺うようにサラは言葉を掛けるが、それでもカミュはじっと兜を見つめたまま、何も口にはしなかった。

 

「……駄目……かな……?」

 

「……俺には、必要ない……」

 

「カミュ!」

 

 何も口にしないカミュに対し、不安を覚えたポポタがもう一度問い掛けるが、カミュから返って来た答えは、とても冷たい物だった。

 その言葉に顔を下げるポポタを見て、メルエを下に降ろしたリーシャがカミュへと詰め寄った。

 

「お前は! この兜がオルテガ様の物だから、ポポタの心を無碍にするのか!? お前のその小さな意地の為に、この少年の大きな決意を踏み躙るのか!?」

 

「……」

 

 こうなってしまったリーシャを止める事は、サラにもメルエにも出来はしない。唯一可能であるカミュも、何かから逃げるように視線を逸らしていた。

 

「お前は、私に言った事がある筈だ! 『どんな謂れがあろうと防具は防具。貧弱な装備のままで旅を続けるつもりはない』と。お前の頭部には、以前から装備していたサークレットはもうない筈だぞ!」

 

「ちっ!」

 

 リーシャの言葉に、カミュは盛大な舌打ちを返す。

 確かに、以前からカミュは、国王から拝領した装備品等を惜しげもなく替えて来た。そこにどんな謂れや伝承があろうと、それ以上の物があれば、それを装備する事こそ、自身の命を護る手段だとカミュは考えていたのだ。

 

「私やサラが装備している<鉄兜>よりも、このポポタがくれる兜の方が良い事は明白だ。お前は自分が吐いた言葉を撤回するのか?」

 

「……ならば、アンタが装備すれば良いだろう……?」

 

 珍しいリーシャの理詰めに対し、カミュは苦し紛れの返答しか出来なかった。

 そんなやり取りを見ていて、サラは驚く。この村に来てから、リーシャとカミュの力関係は完全に逆転していると。

 それは一時的な物かもしれない。それでも、それは不思議な光景であったのだ。

 

「私は、この<鉄兜>が気に入っている」

 

「へっ!? あっ! わ、わたしも気に入っています!」

 

 サラは強い者に付く事にした。

 この場面では、明らかにカミュよりもリーシャの方が強者である。

『では、私のを』等と言った暁には、地獄の扱きが待っている事だろう。

 

「あははっ! サラから<鉄兜>を貰っても、この兜をサラが装備する事は出来ないだろう?」

 

「あっ! そ、そうでした」

 

 しかし、サラの予想に反し、リーシャは柔らかな笑顔を向けて、至極当然の答えを返して来る。その言葉を聞き、サラは自分が要らぬ心配をしていた事に気がついた。

 

「どんな謂われがあろうと、兜は兜だ。それとも、お前は貧弱な装備のままで旅を続けて命を落とし、メルエの心まで壊すつもりか?」

 

「……」

 

 そして、リーシャは最後に伝家の宝刀を抜き放った。

 『お前が死んだら、誰がメルエを護るのだ?』と。

 実際にカミュが死んだとしても、メルエの命は、リーシャやサラによって護られるだろう。しかし、自分が慕う身近な者の死は、メルエの心を再び閉ざしてしまう可能性を否定する事は出来ない。

 

「……ちっ……」

 

「よし。ポポタ、ありがとう。その兜は、有り難く使わせてもらう」

 

「うん!」

 

 小さく舌打ちをして視線を外すカミュの姿を、リーシャは肯定と受け取った。

 不安そうにカミュを見上げていたポポタの頭に手を乗せ、柔らかく微笑むと、ポポタの顔にも笑顔が浮かんだ。

 反対に、リーシャの足下にいたメルエの瞳の鋭さは増して行く。それに気付いたサラが、メルエを後ろから柔らかく抱き締めた。

 子供特有の独占欲。それは、ポポタにも、そしてメルエにもあるものだったのだ。

 そしてその事は、村の出口付近まで見送りに来てくれたポポタの一家との別れの場面で明白となる。

 

 

 

「本当にありがとうございました」

 

 何度も何度も頭を下げるポポタの母親の横には、昨日に託児所のような広間からカミュ達と共に飛び出した男性が立っていた。

 ポポタの頭に手を置き、その手をポポタが嫌がらない事を見れば、彼の未来は明るい物なのかもしれない。

 

「お兄ちゃん! また来てくれる!?」

 

「…………こない…………」

 

 自分の憧れた人物が被っていた兜を頭に装備したカミュを眩しそうに見上げたポポタは、満面の笑みを浮かべながらカミュ達の再訪を問いかけるが、それに答えたのは、足下にいたポポタよりも幼い少女だった。

 

「むっ。じゃあ、君は来なくても良いよ」

 

「…………みんな………こない…………」

 

 子供の意地の張り合いに微笑む一同の中で、カミュだけは表情を消したままだった。隣に立つカミュの表情に気がついたリーシャが、メルエの頭を優しく撫でながら口を開く。

 

「メルエ。そんな事ばかり言っていると、カミュのようになってしまうぞ? いつまでも意地になっていると、見える物まで見えなくなってしまう」

 

「…………むぅ…………」

 

「ちっ!」

 

 リーシャの言葉に、暫しむくれていたメルエが、リーシャの後ろに隠れるように身を動かしたのと、カミュが舌打ちをしたのは同時だった。

 周囲は柔らかな笑い声で満たされ、それから逃げるようにカミュは村の外へと続く門を出て行く。それに気付いたメルエが素早くカミュを追って行った。

 

「ポポタ。村の外へ出て、母君に余り心配をかけるなよ?」

 

「うん!」

 

 はっきりと大きな声で頷くポポタに、リーシャは笑顔を返し、一度ポポタの母親に頭を軽く下げた後、サラを伴ってカミュ達の待つ門の外へと出て行く。

 そんな四人の姿が、不思議な光に包まれて上空へと浮かび上がり、南西の方角へと消えて行くまで、ポポタは手を振り続けていた。

 

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

これにてムオルの村編終了です。
この村は、FC版では「みずでっぽう」というアイテムが手に入るだけでした。
しかし、SFC版ではこの「オルテガの兜」という重要アイテムが出て来ます。
この兜が示す事柄を、久慈川式独自解釈で物語の中に入れ込んだ形となります。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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