新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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アリアハン大陸③

 

 

 

 茫然自失なリーシャを何とか促し、サラはカミュの後を追おうとしたが、すでにカミュは先に進み、その姿は小さくなっていた。

 ここが広い平原だから良かったものの、森の中での移動などであれば、既にカミュを見失い、リーシャとサラの旅は、終了の鐘が鳴っていた事だろう。

 サラはカミュの身勝手な行動に、落胆と怒りを覚えた。

 それでも、今はこの勇者の後に付いていくしかない。サラの念願である『魔王討伐』は、この勇者以外に成し遂げる事は出来ないのだから。

 

 魔王が登場して数年は、各国の腕自慢達が我こそはと名乗りを上げ旅立って行ったが、誰一人生きて帰ることはなかった。

 それでも、血の気の多く、未来を夢見る若者たちは次々と死地へと赴いて行く。

 しかし、全世界に轟いた一つの訃報が、状況を一変させた。

 

『英雄オルテガの死』

 

 このニュースが世界各国に行き渡ってから、名乗りを上げる若者の数は、減るどころか皆無となった。

 誰しもが未来への希望を捨て、その日をどう生きていくかを考えるようになる。

 街に活気はなくなり、大人達は未来を諦めたような会話をし、魔物に怯える自分への苛立ちを自分よりも弱い者へとぶつけるようになって行った。

 結果、魔王登場以前よりも、各国で貧富の差は広がり、階級等の貴族社会の傾向が強くなって行く事となる。

 そんな中、世界の唯一の希望である英雄オルテガの息子が、ここ十年以上、誰一人向かう事がなかった『魔王討伐』に名乗りを上げたのだ。

 育ての親である、アリアハン教会の神父の話を毎日のように聞いていたサラは、旅立つ日を今か今かと待ち侘び、探り、そして勇者の旅立ちと共にアリアハンを出た。

 今更、サラに帰る場所はなく、またサラの悲願である親の仇を討つには、どうしても『勇者』と呼ばれるカミュの力が必要なのである。

 

「サラ、すまない。もう大丈夫だ。カミュを追おう」

 

 自分の意識に埋没していたサラは、突然聞こえたリーシャの声に、自分が未だリーシャの手を引いて歩いている事に気付き、慌てて手を離した。

 

「あ、あ、も、申し訳ありません! 私のような者が、リーシャ様のお手に触れるなど……ああ、どうしたら……本当に申し訳ございません」

 

 自分の手を離し、我を忘れたように取り乱すサラを見て、リーシャは驚きと共に腹部から湧き上がる物を抑える事が出来なかった。

 

「ふっ、あはははっ! いや、大丈夫だ。先程もカミュに話したが、私は宮廷騎士とはいえ、下級騎士であり、下級貴族の出だ。父の代ではそれなりの功績を認められ、爵位を貰ってはいたが、父の死後は爵位も返還し、下級貴族に戻った。扱いは平民とそれほど変わらない。だから、『様』は止めて欲しい。そのまま、リーシャと呼んでくれ。こそばゆくなってくる」

 

 リーシャは下級騎士ではあるが、代々、宮廷に上がっている貴族の一つだ。

 リーシャの名は、正式には『リーシャ・デ・ランドルフ』という。ランドルフ家の現当主でもあるのだ。

 父であるクロノスの時代に全盛期を迎え、中級貴族の仲間入りも果たし、小さくない館を建て、最大で六人程の召使いを雇うまでになっていた。

 だが、父の死後、リーシャは父の爵位を相続する事を国王に許されず、爵位は返還。

 その財産も、高すぎる相続税の為に館を売る羽目になり、六人いた召使いも、一人を残して解雇する事になった。

 現在は、宮廷騎士達に与えられる国営の住宅に、代々ランドルフ家に仕えている老婆と二人で暮らしている。下級貴族とはいえ、その生活は平民出の騎士とほとんど変わらない物であったのだ。

 ただ、それも、先程のカミュの話が事実だと仮定すれば、何か納得のできる物ではあるのだが……

 

「い、いえ、そんな。貴族様を呼び捨てにするなど、恐れ多くてできません」

 

 カミュを見失わないため、前へと進みながらも、わたわたと慌てふためくサラに、リーシャは『妹がいればこんなものか?』と考え、先程の暗い気持ちが少し晴れたような気がしていた。

 

「そんなことはない。それに、私の手に触れただけで慌てていたが、先程、カミュが口を付けた水筒を貪るように飲んでいたじゃないか?……私の手は駄目だが、勇者様との間接的な口付けは良いのか?」

 

 その証拠であろう。リーシャの口から、先程まで自身を見失っていた者とは思えないような軽口が出ていた。

 

「え?……え?……えぇぇぇ! や、や、そんな事はありません! そんな事もしてはいません! あ、いや、しましたけど、違います!」

 

 先程よりも更に慌てふためくサラに、可笑しさが込み上げて来たリーシャは、周りを気にせず大声で笑い出す。

 そんなリーシャの様子を見て、からかわれた事に気付いたサラは、顔を真っ赤にし、リーシャから顔を逸らしてカミュの後を追った。

 

「あはははっ……いや、すまない。少しからかい過ぎたな。だが、これから辛く険しい旅を共にするんだ。貴族や平民という垣根などなく、仲間として見て欲しい。仲間であれば、名前に『様』を付けるのは可笑しいだろう?」

 

 

 ひとしきり笑った後、先を行くサラにかけた言葉は、サラの身体を強張らせ、足を止めさせてしまう。

 足を止めたサラに追いついたリーシャは、突然活動を停止してしまったサラを覗き込んだ。

 

「……仲間ですか……私は、仲間と認められているのでしょうか?……勇者様は私達と旅をする事を認めて下さるのでしょうか?」

 

 幾分か距離が縮まり、近づいた勇者の背中を見つめながら、サラは小さく呟く。その疑問はリーシャも感じていた物だった。

 今までのカミュとのやり取りからは、お世辞にも友好的な会話が出来たとは思っていない。

 むしろ険悪である。

 リーシャにしても、今はサラの慌てる姿で気持ちが和んでいるが、先程までのカミュとのやり取りで刻まれた傷は、簡単に消える物ではない。

 そんな傷をつけた相手に背中を任せ、これから先、旅を続けて行く事ができるのかというと、正直自信が無いというのが、リーシャの今の気持であった。

 

「確かに……カミュの行動、言動から見れば、私達を仲間とは認めていないのだろう。私としても、アイツがオルテガ様の息子だとは認めたくもない。だが、経過がどうであれ、アイツが魔王討伐へ向かっているのは間違いないだろう。ならば、私達の目的は同じだ。私は自身の誇りの為、サラは親の仇討ちの為」

 

 リーシャは視線と口調はサラに向かってはいるが、それはまるで自身に言い聞かせているように聞こえる。

 そんなリーシャの心情を慮ってか、サラは暫く俯いた後、意を決して振り返り、真っ直ぐリーシャを見た。

 

「……そうですね。その心にどの様なお考えがあろうとも、目的は皆同じですね。どの様な形であれ、勇者様に同道を認められたのです。これもルビス様のお導き。勇者様のお考えを正して行くのも、ルビス様が私にお与えになられた試練なのかもしれません。私達『人』は、皆等しくルビス様の子。旅を続ける中で、解り合える日が来ますよね?……それまで頑張ります」

 

 胸の前で拳を握り、決意を誓うサラに、リーシャは先を行くカミュの背中を見つめ、本当にサラの言うような日が来るのだろうかと苦笑した。

 

「旅慣れぬ身ゆえ、リーシャ様にはご迷惑をおかけする事も多いとは思いますが、改めてお願い致します」

 

「こちらこそ。私は魔法など一切使えないからな。傷の手当等はサラ頼みになってしまうだろうから、宜しく頼む。ああ、それと、さっきも言ったが、様はやめてくれ。呼び捨てで良い。できれば、その敬語も止めて貰えると嬉しい」

 

 リーシャが言うように、この世界では全ての人間が魔法を使える訳ではない。

 魔法を使う為には、その個人が所有する精神力が必要となる。

 その精神力を『魔法力』と呼ぶ。魔法力は、生まれ持った物であるが、その量は個人によって様々だ。

 その魔法力も、自己の能力の向上と共に、少しずつではあるが上がって行く。その構造は解明されてはいないが、人の成長、即ち精神の成長と共に魔法力も変化して行くようである。

 そして、魔法を使う者は、自己の成長と共に変化した魔法力に応じ、新たな魔法と契約を交わし、行使出来るようになるのが、この世界での魔法である。

 力量が足りない場合は、最悪、魔法の契約は出来ない。

 例え、出来ていたとしても、その魔法力の乏しさから魔法が発動しないという状況になるのだ。

 故に、リーシャのような『戦士』は、基本的に魔法が使えない。職業故に魔法が使えないのではなく、魔法が使えないからその職業に就くというほうが正しい考えだ。

 その中に例外もいるにはいるが、やはり魔法が使える戦士は、力は戦士専業よりも弱く、魔力は本業である魔法使いには敵わない。

 例外中の例外は、等しく皆『英雄』と呼ばれる者達だ。

 つまり、そういう者達の職業は『勇者』とでも言えば良いだろう。

 ただ、世界中のどこかで、人の生まれ持った性質さえも変化させる事ができる場所があるという噂が、ここアリアハンにも流れてはいるが……

 

「……いえ、この口調は、もう私の癖になっていまして……変えるように努力はしてみますが、難しいと思います。それに、お名前を呼び捨てにする事も、どうしても出来そうにありませんので、『リーシャさん』と呼ばせて頂こうと思うのですが……」

 

「『さん』か……まぁ、それでも良いか。さあ、急ごう。アイツのことだ、私達が遅れていたら、我関せずで置いて行かれてしまうぞ」

 

「あ、は、はい!」

 

 お互いに気持を若干ではあるが吐き出した事により、胸に痞えていた物を胃に落とした二人は、先を行くカミュの背中を追い駆け出した。

 だが、カミュへの不満と疑惑が、頭の大部分を占めている二人には、これだけの時間二人で会話をし、時には立ち止まっていたにも拘わらず、カミュとの差が広がっていないという事を疑問に思う部分は残っていなかった。

 

 

 

 

「クキャ――――――!」

 

 自分に向って、足に持つ人の頭部の骨を投げつけて来る<大ガラス>の攻撃をかわし、カミュは背中の剣を抜いた。

 攻撃をあっさりとかわされた<大ガラス>は、その鋭利な嘴を武器へと変える。人間にはとても届かない高みまでその身を上昇させ、加速をつけ一気にカミュ目掛けて降下して来た。

 武を持たない人間であれば、そのスピードに足は動かず、<大ガラス>の嘴に喉笛を掻き切られその命を落とす事になっただろう。

 今まさに、<大ガラス>の頭には、いつものその光景があった。だが、今回前にしている者では相手が悪い。

 カミュは抜いた剣を構え、降下してくる<大ガラス>へと照準を合わせる。

 <大ガラス>の鋭利な嘴は、カミュの喉に触れることはなく、あっさり身を捩りかわされた。

 <大ガラス>が、自分の攻撃がかわされたことに気がついた時にはその胴体が二つに分かれ、死を意識する暇もなく絶命することになる。

 

「まだ、いたのか?……かかって来るのなら、容赦なく切り捨てるぞ。戦う気が失せたのなら、早く行け」

 

 一振りし、付着した血糊を払った剣を、懐から出した獣皮で拭きながら、カミュは近くで身を震わせている魔物二匹に声をかける。

 その魔物は、通常のウサギよりも身体が大きく、特徴となる一本の角がちょうど眉間から生えていた。

 <スライム>、<大ガラス>と同じく、アリアハン大陸に古くから住む<一角うさぎ>である。

 自分達が相対した人間の圧倒的な強さに、身を震わせていた二匹であったが、その相手が持っていた剣を背中の鞘に納めるのを見届けると、脱兎そのもので逃げ出して行った。

 カミュは、二匹の<一角うさぎ>の姿が見えなくなるのを確認すると、<大ガラス>の死骸へと向かって行く。その途中に、先程<大ガラス>がカミュ目掛けて投げつけて来た骸骨の残骸が目に留った。

 人間の頭蓋骨であるそれは、後頭部の部分が派手に飛び散っており、その中から、金色に光るものが出て来ている。

 

「ゴールドか……266G……しかし、一国の王からの支度金より、魔物から得るゴールドの方が多いという物も皮肉だな」

 

 カミュは、頭蓋骨の中から出てきたゴールドを手に取って、その数に苦笑を洩らす。

 <大ガラス>の様な魔物は、魔物とはいえカラスであり、光った物を好む。人間を襲い、その死肉を食した後、持ち物にあったゴールドを巣に持ち帰ったのであろう。

 大体の冒険者は、魔物を討伐した後に、その身体の一部で売却できそうな物を持ち帰り、街の道具屋や武器屋などに売って資金を得る。先程の<一角うさぎ>等は、その特徴である角が、加工し易く丈夫である事から、あらゆる工芸品に使われる事も多く、ここアリアハンではそれ相応の金額で取引されていた。

 リーシャが装備している<革の鎧>のなめし皮もまた、魔物の皮から作られている。

 

「……なんだ?……また何か文句でもあるのか?」

 

 手に入れたゴールドを、腰の袋に入れて立ち上がったカミュの前に、追い付いてきたばかりの二人が、何か言いたそうな表情で立っていた。

 

「……また、魔物を……」

 

「先程言った筈だ。俺の行動に不満があるのなら、ついて来るな」

 

 魔物が逃げる所を見ていたサラが、再び魔物を逃がす勇者に疑問を投げかけようと開いた口は、カミュの拒絶にも似た先制攻撃に閉じられてしまう。サラの口が再び開かない事を確認したカミュは、ゴールドの入った袋を腰に結び付け、無言で歩を進めた。

 その後を、強い怒りと不満が渦巻く顔でリーシャが続き、硬直が解けたサラも歩き出す。

 

 

 

 その後も何度か魔物との戦闘はあったが、リーシャが剣を振い、サラは補助魔法を使いながら止めを刺す。カミュは、自分に向かって来る魔物以外には一切手を出さずに、死骸と化した魔物の身体から、売却できそうな部位を切り取っていた。

 

「…はぁ…はぁ…」

 

 何度目かの戦闘を終えた頃には、サラの息遣いが荒くなり始め、サラの歩調に合わせて歩いているリーシャと、先頭を行くカミュとの差が開き始めた。

 

「おい! 陽も落ちた。サラの様子を見ても、今日はこれ以上の進行は無理だ」

 

 リーシャは自分からも遅れがちなサラに近寄り、その身体を支えながら、前にいるカミュへ声をかけた。

 カミュは立ち止まり、ゆっくりと振り返った後、冷たい瞳でサラを見る。

 その姿に、リーシャはまた『付いて来る事が出来なければ、置いていくだけだ』というような言葉を予想し、カミュが口を開いていないにも拘わらず、頭に血が上って来た。

 

「わかった……この辺りが限界だろう。街道から逸れて、少し森の方へ向かう」

 

 予想とは反したカミュの答えに、リーシャは呆気に取られ動けない。支えていたサラからも、息を飲む気配がした事から、サラにとっても予想外の言葉だったのであろう。

 

「おい……まさか、ここから一歩も動けない等と、子供のような駄々を捏ねるつもりか?」

 

 一向に動き出さない自分達に、今度こそリーシャの予想通りの言葉が返って来るのではと怯え、二人は慌ててカミュの後を追った。

 

「なぁ、カミュ。森に入る必要があるのか?……街道沿いででも良いのではないか?」

 

 街道を逸れ、少し行くと、木が生い茂る森がある。通常は森の中は魔物も多く、人々は街道を逸れる事はない。

 馬や馬車での行き来が当然であるので、街道沿いで火を熾し、魔物を警戒しながら夜を明かす事が多い。

 

「ああ、普通はそれでも良いだろうな。だが、アンタ達は、旅の支度を何もしてはいない筈だ。食糧や水を手に入れる為にも、一度は森に入らなければならない。それに、雨が降れば、徒歩の俺達には、それを凌ぐ場所がない」

 

 森に入った後、リーシャの質問に顔も向けずにカミュは動いていた。

 確かにカミュの言う通りである。リーシャ達は、食糧や水などは全く所有していないのだ。

 サラに至っては、着のみ着のままの状態に近い。

 

「くっ……」

 

「この辺で良いだろう……その木の根元辺りで火を熾す。火は熾せるのか?」

 

 場所を決めたカミュは、腰に付けていた水筒をサラに投げ渡し、リーシャに無表情で言い放つ。

 

「ば、馬鹿にするな! 火ぐらい熾せる!」

 

 リーシャは、そんなカミュに激しく抗議をするが、『なら、頼む』というカミュの呆気ない回答に口を噤んだ。

 カミュは腰のポーチから出した瓶の蓋を開け、火を熾す予定の場所を中心に、円を描くように中身を振り掛けて行く。

 

「聖水か……」

 

 リーシャの言う<聖水>とは、教会にて精製される水の事を言う。

 どういう精製方法なのかを公表はされていないが、教会神父の祈祷によって精霊ルビスの加護がある水として売り出されており、その効力は弱い魔物であれば近付く事すらできないという代物である。

 これの利益もまた、教会の資金源の一つになっていた。

 

「空になった方の水筒を渡せ」

 

 カミュから渡された水筒に夢中で口を付けていたサラの目の前に、不躾な手が伸びて来た。

 最初の休憩時にカミュから渡された水筒の中の水は、その後の道中でリーシャと分けながら飲み、疾うの昔に空となっていた。

 先程、カミュから渡された水筒は、中身が満々であった事から、カミュがこの水筒に口を付けた形跡がない事は明らかである。

 先程までのカミュの態度から、自分達に水分を残しておいたとは考え辛いが、そんな疑問を思いながら、サラは腰につけていた、空となった水筒をカミュに手渡した。

 

「火は熾しておいてくれ。水と食料を調達してくる」

 

 水筒を受け取ったカミュは、森の奥へと進んで行く。カミュの姿が見えなくなってから、サラは恐る恐るリーシャへと言葉をかけた。

 カミュが入って行った方向に疑問を持ったのだ。

 

「水の調達と言っても、川がある方向は違うのでは?」

 

「さあな……アイツが何を考えているのかさっぱり解らない。とりあえず、言われた通りに火を熾そう。これで、火も熾していなければ、帰って来たアイツに何を言われるか解った物じゃない」

 

 

 

 結局、火はほとんどをリーシャ一人で熾した。

 サラは『何か手伝います』とリーシャに声をかけるが、旅をした事のないサラに出来る事は何もなく、大人しく腰掛けているのが最大の手伝いだというリーシャの呆れ声に肩を落とす事になる。

 火が点き、未だに戻らないカミュを待ちながら、リーシャとサラはお互いの話をするが、慣れない旅での疲れからか、サラの瞼が自然に落ちて行った。

 そんなサラの様子に、リーシャは苦笑しながら火に薪をくべていくが、森の中からの気配に気づき、傍に置いた剣に手をかける。

 近づく気配に緊張を高めていたが、それが、両手に何かを下げたカミュだと解ると、その緊張を緩めた。

 

「遅かったな」

 

「ああ。少し、食料を取ってきた」

 

 カミュの言葉通り、その右手には魚三匹を蔦に繋いだ物と、ウサギ一羽、左手には果物を三個持っている。火の傍に腰を下ろしたカミュは蔦から魚を取り外し、リーシャが拾ってきていた木の枝で刺した後、腰の袋の中から取り出した白い粉を振りかけ、火の回りの地面に刺していった。

 そして、果物をリーシャに渡した後、残ったウサギを持って立ち上がり離れた場所で捌いて行く。

 リーシャは、そのカミュの慣れた手つきに感心していた。

 リーシャのイメージでは、英雄の息子として、剣の訓練などは行っていただろうが、基本は温室育ちだとカミュを見ていたが、実際は、寝床の場所の確保から水や食料の調達の仕方、その調理の仕方を見ると、一度や二度の経験では身に付ける事が出来る物ではない事を感じる。

 

「随分、手慣れているのだな。それにその粉は塩か?」

 

 捌いたウサギにも先程の粉を振り、木の枝に挿し火の回りに並べていくカミュの手つきに目を奪われながら、リーシャは声をかけた。

 

「ああ。それより、起こしてくれ。魔法力の回復には食事を取ってから眠ったほうが良い」

 

「あっ! わ、わかった。おい、サラ。寝るのは食事の後にしろ」

 

 傍で丸くなって寝ているサラを少し揺らすと、サラは薄く眼を開けるが、疲れに勝てず再び目を閉じようとする。

 

「サラ、食事をとったら存分に寝ればいい。今は起きて、腹に何か入れろ。食わないと明日は歩く事が出来なくなるぞ」

 

 今度は容赦なく揺さぶるリーシャの手に、さすがにサラも飛び起きる。

 周囲の状況を確認するように、何度も首を動かしたサラは、慌てて立ち上がった。

 

「も、申し訳ありません。あ、ああ……私は何もせずに……お二人に何もかも任せっきりで寝てしまうなど……申し訳ありません」

 

 目を開け、今の状況を確認し終えたサラは、火がもたらす温かさとその周りから漂う肉の焼ける香ばしい匂いに気づき、自分の犯した失態に対して必死に謝罪を繰り返す。

 

「いや、もう良いだろう?……さあ、食べよう。カミュ、もう食べても大丈夫か?」

 

 『やはり、この娘の慌てぶりは場を和ます』とリーシャは思いながら、この食料を取ってきた功労者に確認を取る。

 

「いや、魚はもう少しで大丈夫だが、肉はどう考えても、今、火にかけたばかりだろ?」

 

 カミュは、確認を取っているくせにすでにウサギの肉に手をかけようとするリーシャに呆れながら、汲んで来た水をサラへと放る。

 

「むっ、そうか……匂いから、もう良いかと思ったが……」

 

「ふふっ」

 

 カミュの注意に心底残念そうに肩を落とし、串にかけた手を戻すリーシャにサラは微笑む。

 そこに、何度かの休憩時の時のようなギスギスした雰囲気はなく、とても和やかな夕食にほっと胸を撫で下ろした。よくよく考えれば、先程まで意見が対立していた人間同士が、僅か一日で和解する事など有り得ないというにも拘わらずに。

 

「魚はもう大丈夫だな。ほら、サラ」

 

 和やかな雰囲気に笑みをこぼすサラに、リーシャは魚を一串渡し、自分は豪快に頬張る。

 サラも渡された串と、頬張るリーシャを見比べ、意を決したように魚を口に入れた。

 

「なんだ、サラ?……こういう食事は初めてか?」

 

「あっ、は、はい。神父様に引き取られてから、アリアハンの町から出る事自体が初めてですので、このように外で食べる食事も初めてです。でも、美味しいですね」

 

 魚には良く火が通っていて、ところどころ焦げ等もあるが、皮はパリッとしており、中の肉は柔らかく、塩加減も絶妙であった。

 

「そうか。では、慣れないとな。長い旅になるのだから、これからはこういう食事が多くなるだろう。おっ、もう肉の方も良いか?」

 

 サラの回答を本当に理解して応えているのか怪しくなるくらいに、魚を頬張り、先ほど諦めた肉に手をかけようとするリーシャの姿を見て、サラの頬は更に緩む。

 そんなサラの様子を横目で見ながら、リーシャは食べ終わった魚の串を火の中に放り、肉の串を手に取って、口に放り込んだ。

 カミュは、二人の会話に全く参加せず、黙々と食べていた。

 サラはリーシャとの会話を楽しみながら魚を食べ終え、いつまでも食べないと、もう既に果物まで食べ終わったリーシャに取られてしまう恐れのある肉を取り、口に入れる。

 肉の方も脂が乗っており、とても美味しく感じられた。

 

「……魚や肉は、普通に食うのか……」

 

 そんな和やかなムードを一瞬で吹き飛ばす言葉が小さく漏れた。

 何故か、カミュの声はよく通る。小さく呟くような一言は、それまで笑顔で食事をしていた二人の動きを止めてしまう程の冷たさを宿していた。

 

「……どういう……意味ですか……?」

 

 突然のカミュの呟きに活動停止をしていた二人であったが、その内容の理解が出来ず、カミュの次の言葉を待つ事となる。

 

「どうでも良い事だが……魔物が人を喰らう食事を認めようとはせず、自分は嬉々として他の動物を食べるのだな……」

 

「!!」

 

 別に糾弾している訳でもなく、咎めるような様子もない。

 ただ、淡々と無表情でサラの顔を見ずに言葉を発するカミュに、二人は再び言葉を失った。

 

「ま、『魔物』と『人』を一緒にしないでください!」

 

 再起動を果たしたサラは、カミュの言動に食って掛かった。

 サラは、教会の『人は精霊ルビスの子』との教えが当然という前提ありきで物を考えている。

 故に、『精霊ルビスの子』である人と、憎き魔物が同等の者として扱われる事が許せなかった。

 

「お前は魔物が人間を襲う事が正しいとでも言うつもりなのか!」

 

 リーシャも同じ考えであったようで、こちらもカミュの発言に噛みついて来た。

 彼女もまた、ルビス教徒である。

 サラのように、ルビスの下に仕えるような『僧侶』ではないが、日々の糧は『精霊ルビス』の加護の賜物と考え、休日には祈りを捧げて来たのだ。

 

「……失言だったな……」

 

 あっさりと自分の非を認めるようなカミュの言葉に、ここからのカミュとの口論を予想し、身構えていた二人は拍子が抜けてしまう。

 しかし、大きく息を吐き出したカミュの表情は、リーシャには穏やかな物には見えなかった。

 それは、次に続いたサラの一言から始まる事となる。

 

「そうです。解って頂けて、良かったです」

 

 サラはカミュの言葉を額面通りに受け取り、人と魔物が同等ではない事を、カミュに理解して貰えたという事に素直に喜びを表す。

 だが、カミュの次の言葉は、今までの和やかな夕食時間を無にするものであった。

 

「いや、そういう意味で言った訳ではない。俺の考えに文句は言わせないのだから、アンタ達の考えを否定する事を口にするのは、ルール違反だったという意味だ」

 

『自分達の考えを否定する?』

『なぜ?』

 

 そんな考えが、リーシャとサラの頭を横切る。アリアハンのみならず、世界中で信仰されている宗教の最大勢力は『精霊ルビス』を崇める物である。

 地域によって、異なる神を崇めるところもあるという噂もあるが、それは地図にも載らない国の話である。ほぼ全世界の信教は『精霊ルビス』の教えと言っても過言ではないのだ。

 サラやリーシャの考えを否定する事は、教会の教え、即ち『精霊ルビス』そのものを否定する事になる。

 それが、サラには理解が出来ない。

 自分の考えだけではなく、『精霊ルビス』の存在までも否定されるのだ。

 目の前の『勇者』に絶望を通り越し、怒りすら湧いてくる。

 

「勇者様は、ルビス様を侮辱するのですか!」

 

 サラの手にある肉は疾うの昔に冷めきっている。それを串ごとカミュに向かって投げつけそうな勢いで、身を乗り出していた。

 

「本当に失言だったな……教会の人間の面倒くささは、昔に学んだ筈だった……」

 

 リーシャがカミュへの怒りによって忘れ果てた、火に薪をくべる作業を代わりにこなしながら、カミュは心底面倒くさそうに呟いた。

 その姿に、リーシャとサラの怒りが増幅する。

 

「め、めんど……どういうことですか!?」

 

「カミュ! 取り消せ! お前が今言った言葉は、サラ個人だけではなく、教会に属している僧侶達や、人々を導いて下さるルビス様すらも冒涜するものだぞ!」

 

 今までの和やかなムードは一変して、怒声が飛び交う世界と化した。

 そこに他の生物が介入できる隙間はなく、赤々と燃える炎の周りに座る三人だけの世界が、周囲の世界を塗り潰して行く。

 

「まず、魔物が人間を襲う事だが、食事という観点から見れば、食物連鎖的には正しい事ではないのか?……アンタ達が言っている通りだと、全ての生物の頂点は『人』という事になる。頂点にいる『人』は、何をしても許されるが、頂点にいる物を害せば、それは悪か?」

 

「当然です! 人々の幸せを害するものは悪です!」

 

 然も当然の事のようにサラは言い放つ。

 この間違った考えを持つ勇者を正す事が、自分の使命とも言わんばかりの毅然とした態度で。

 

「……そうか……王家が腐っていく訳だ」

 

 次に出てきたカミュの答えは、今度はリーシャの逆鱗に触れる物であった。

 王家の冒涜。

 アリアハンの城を出てから、時折、国家への不満を口にするカミュであったが、それでも一個人の不満として片付けるレベルではあった。

 しかし、それでも今のは見過ごせる物ではない。

 

「お前! ルビス様への冒涜だけでも許されざる行為なのにも拘わらず、王家すらも侮辱するつもりか!」

 

 リーシャも『精霊ルビス』を崇めてはいるが、教会に属するサラ程ではない。

 むしろ、代々仕えているアリアハン王家に忠誠を誓っている。

 例え、爵位を剥奪され、平民並みの生活しか送れなくてもだ。

 

「……ルビスを信仰する人間が多ければ、まず国家転覆などあり得ないだろうな。『人』の頂点に立つ王家に逆らう者は、どんな理由があれ悪なのだから。故に、王家は理不尽な事も平気で行う。なにせ、民が不満に思ったとしても、自分達に敵意を向ける者はいない。王家が腐れば、その周りを固める人間も腐って来る。王に刃向わなければ、下の人間に何をしても良いのだからな。よく、国家として成り立っているよ」

 

「くっ! よくも言った! それは貴族の事か!?」

 

 カミュの呆れたような言葉に、リーシャの頭は瞬間沸騰を果たす。

 王家を支える周囲の者となれば、貴族以外にあり得ない。

 それは、貴族であるリーシャを侮辱しているに等しい言動なのだ。

 

「……すべての貴族がそうだとは言わない。アンタのように自分の境遇に疑問を挟まず、馬鹿の一つ覚えで忠誠を誓っている貴族もいるだろう」

 

「馬鹿の一つ覚えだと! 抜け、カミュ! 私は貴様をオルテガ様の息子とは認めん! 偽者であるならば、ここで私が斬って捨ててやる!」

 

 カミュの容赦のない言動は、完全にリーシャの怒りに火をつけた。

 その様子を見ながら、これ程までに他人の怒りに触れるような言葉を選んで発するカミュを、サラは不思議に思う。まるで、自分に人を近付けないようにするかのように、相手から離れて行くように仕向けているようであった。

 

「まだ話は終わっていない。剣の相手なら明日にでもするさ……」

 

 腰の剣に手をかけ、構えを取るリーシャへ視線を向けたカミュは、火に薪をくべる手を止めず相手にしない。

 ここで、リーシャが怒りに震えながらも剣を抜いていないのは流石であった。

 お互い剣を持つ者同士、相手が抜いてしまえば、戦わない訳にはいかない。剣を持つ者同士の、訓練ではない戦闘の終結は、どちらかの沈黙、即ち死である。

 リーシャは戦闘時のカミュの動きを見て、その力量を低く見てはいない。

 若干自分に分があるように思うが、最悪同等の力量を持つと考えていた。

 故に、怒りに任せて剣を抜く事はなかったのだ。

 斬り捨てるといった言葉は、本当の希望であったが、実際それが出来るかどうかは別である。

 

「その人間と、魔物の違いというのは、一体何だ?……魔物の食の対象が『人』であるという事だけのはずだ。魔王の影響で、人を襲う率が上がった事は確かだが、魔物が突然現れた訳ではない。遥か昔から、魔物は人間を食してきた。それは知っている筈だ」

 

 沈黙するリーシャを余所に、カミュは少しサラの方を見て言葉を発する。

 その内容は、サラの培ってきた知識を根底から否定する物であり、とても容認出来る考えではない。それでも、カミュが発している内容も、紛れもない事実の一つであった。

 

「し、しかし、魔物に家族を殺された人々の悲しみはどうするのですか!?」

 

「……では聞くが、アンタが先程食したウサギが、巣に帰れば小さい子供がいたとしたら?……もし、食したウサギが生まれて数か月の子供で、今もそのウサギを探して親ウサギが森を彷徨っていたとしたら?……魔物に子や親を奪われた者達が、魔物に復讐を考えるように、アンタや俺らもそのウサギ達から恨みを買い、復讐の対象になっておかしくないはずだ」

 

 感情に任せたサラの問いかけは、カミュの冷静な返しによって遮られる。

 立場を変えただけの観点。

 しかし、それは弱肉強食の世界で生きる者達の中にある、太古からの矛盾。

 そして、サラの育ってきた環境の根底を揺るがす考えであった。

 

「違います! 人と獣は違います!」

 

「だから、何がだ?……知能が有るか否かの違いか?……知能がなければ、それを殺しても食しても良いとでも言うのか?……知能がなければ、悲しみを感じる事などないとでも言うのか?……アンタ達のような教会の人間が言う事は、常に自分達が中心だ。自分達に都合が良い事は疑問に思う事もせず、自分達にとって害になる物は排除の対象になる。魔物であっても、子を産み、育て、子孫を残して行く。アンタが殺して行く魔物であれ、家族があり、その帰りを待つ子がいるのかもしれない。その子を育てて行く為に人を襲い、子へ運ぶのかもしれない。何故、その生活を否定する事が出来る?」

 

 カミュが理論で捲くし立てる。サラには教会からの教え以外の知識はないのだ。

 街で生きている限り、サラは秀才のレベルの知識があり、周りから褒められて過ごして行けただろう。しかし、この『勇者』と呼ばれる少年を前にすると、自分の知識の少なさに唇を噛む事が多いのだ。

 

「そ、それは……しかし、『人』は精霊ルビス様の子です。その『人』を害するという事は、ルビス様への裏切りです」

 

 その証拠に、カミュへと出てきたサラの反論は、最初の剣幕とはかけ離れた、弱々しい物へと変化していた。

 そんなサラの反論に、いつもの様にカミュは盛大な溜息を吐き出す。

 

「……また、ルビスか……」

 

「ルビス様を、お前のような者が呼び捨てにするな!」

 

 カミュの言葉に、横合いからリーシャの檄が飛ぶ。

 リーシャは信仰心こそ、サラには劣るが、決して『精霊ルビス』を蔑にしている訳ではない。

 僧侶以外の全世界の人間と同等の信仰心は持っているのだ。

 『精霊ルビス』という存在を呼び捨てにする人間など、世界中探してみても、教会が示す異教徒以外ではカミュぐらいのものだろう。

 

「では聞くが、アンタ方が崇め、祀っているルビスが何をしてくれた?……もし、アンタが言うように、『人』がルビスの子であるならば、魔王の登場で子供達がこれ程に苦しんでいるのにも拘わらず、何故、手を差し伸べて来ない?」

 

「そ、それは、私達『人』に与えられた試練なのです。ルビス様の子といえども、何から何までルビス様に縋る事は出来ません。ですから、これは私達『人』に与えられた試練なのです」

 

 カミュの問いかけに、胸を張って答えるサラではあったが、その瞳は微かに揺らいでいた。

 ここまでのやり取りで、自身の中にある価値観の壁に大きな衝撃を受けている証拠である。それ程に、カミュの語る内容は、サラに対して影響を及ぼし始めていたのだ。

 

「『人』全体に与えられた試練を、俺のような人間一人に丸投げしている奴等が、熱心な信徒なのだから泣けてくるな……もし、万が一、俺が『魔王』を討伐する事が出来たとしたら、それは『人』が試練に打ち勝ったという事にでもなるのか?」

 

 カミュは、『魔王討伐』を若干十六歳の少年に国命として課し、自分達は安全な城の中で、ぬくぬくと過ごす人間を思い浮かべ、その表情を多少変化させる。

 カミュの表情の変化を初めて見たサラはそれにも驚いたが、それよりもカミュの言葉に衝撃を受けた。

 そのような事を考え、思いついた事もない。

 

「し、しかし、勇者様が生まれる前から、人々は戦っています。その戦いに終止符を打つ為に、勇者様が魔王討伐に出たのではないのですか?」

 

「まあ、俺の事はどうでも良い……その戦って来た人間だが、ルビスの子であるならば、何故ここまで差がある?……王家の下、貧しい国民から巻き上げた金で、私腹を肥やす貴族がいるという事実は知っている筈だ。何故、そういう腐った人間にもルビスの加護はある? 何故、スラム街で空腹で死んでいく子供達にはルビスの加護は届かない? そもそも、ルビスの加護とは何だ?……それこそ、アンタが言っている魔物に命を奪われた者達には、何故加護が届かない?……彼らは『人』ではないのか?」

 

 カミュの疑問。それは、遺骸が届いた時の遺族の気持ちなのかもしれない。

 『精霊ルビス』に愛されていると言われていた英雄オルテガ。

 カミュの父親もまた、魔物に命を奪われている。

 この疑問を教会にぶつけてくる遺族がいない訳ではなかった。

 しかし教会は、この遺族に対する答えを持ち合わせてはおらず、唯一掛けられる物は『これも貴方達に与えられた試練なのです』という言葉だけである。

 

「そ、その……貧富の差は、前世での行いの差です。彼らは、前世ではルビス様の教えに背く事をして来たのでしょう。ですから、今生ではそれを償っているのです」

 

 カミュとのやり取りで、感情的になっているサラは気がつかない。

 共に旅する、リーシャもカミュも父親を魔物に殺されているのだ。

 更に言えば、サラの両親もまた魔物に襲われ、その命を散らしている。

 敬愛する父親を、前世での罪人扱いされれば、通常の人間は激怒するだろう。 

 しかし、カミュは驚いた顔をした後、二人の前で初めて笑いを洩らした。

 

「……くっくっ……前世での罪人か……くっくっ……ならば、そのような人間が死したとしても、喜んでやるべきで、哀しむものではないな……罪も償ったのだから、来世では裕福な家に生まれる事だろう……くっくっ……」

 

 そんなカミュの姿に、サラは狂気にも似た感情を見る事となる。

 その感情に恐怖し、唖然としていたサラとは対照的に、リーシャは苦虫を噛み潰したように顔を顰めていた。

 

「……もう良いだろう……ほら、サラも食事が済んだのなら、もう寝るんだ。明日も陽が昇り次第、出発するぞ」

 

 リーシャは、カミュの狂気じみた笑いによって凍り付きそうな時間を強引に動かす。

 先程のサラとカミュの最後のやり取りが、自分の胸に突き刺さっているにも拘わらず、その場を収める為に、サラを誘導して寝かしつけようとする。

 対するサラもカミュの変貌に驚き、すでに反論する気力すらも失っていた。

 故に、リーシャの促しに逆らおうともせずに、その身を横たえ瞼を閉じる。

 サラは、未だ噛み殺したような笑いを繰り返すカミュの声を遮断するため、耳を手で覆って眠りに誘われるのを待つのであった。

 

 

 

 

 

 


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