新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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ポルトガ城②

 

 

 

「……まいったな……」

 

 ポルトガ王は、自身の座る玉座の前で跪く四人の若者と、その前に置かれる献上品に視線を向け、大きな溜息を吐き出した。

 その溜息は隣に立つ大臣にも聞こえ、大臣は苦笑を洩らしている。

 

 ポルトガ国王への献上品として四人が持ち帰った物。

 中身を取り出され、ポルトガ王の前で山のように積み上げられており、しかもそれが入っていた袋と同じ物がもう一袋隣に置かれている。それは、この黒く輝く小さな粒の山が、もう一つ出来上がる事を意味していた。

 

「国王様」

 

「ん?……ああ……」

 

 ポルトガ王の困惑顔を暫しの間、苦笑を浮かべながら見ていた大臣が声を発する。その声を受け、ポルトガ王はもう一度、頭を下げて跪く四人の若者へと視線を向けた。

 

「面を上げよ」

 

「はっ」

 

 国王の言葉に、四人の顔が上がる。その四人の表情を見て、ポルトガ王は再び驚きを露にした。数ヶ月前に自分の前に現れた者達の顔ではなかったのだ。

 いや、あの四人である事は間違いない。しかし、誰一人としてあの頃の面影を宿す者はいなかった。

 彼らが東の大陸で何を見て、何を成して来たのかは解らない。ただ、それはとても辛く、とても苦しく、そしてとても素晴らしい事だったのだろう。

 彼らの表情に刻まれている『経験』という名の旅路の跡は、彼らが纏う空気をも変えてしまっていた。

 

「東の大陸はどうであった?」

 

「……」

 

 ポルトガ国王の言葉に、カミュは返答を返さない。しかし、それは無礼を働いている訳ではなく、何をどう伝えれば良いのかを判断できないといった様子であるのを見て、国王は苦笑を浮かべた。

 

「よい。その様子では、一言で形容できぬ程の物であったのだろうな」

 

「はっ」

 

 一行の心を慮る国王の言葉に、若干の驚きを表したカミュは、再び頭を下げる。後ろの三人もそれぞれに表情を変化させながら、もう一度顔を下げた。

 そんなカミュ達の様子を満足そうに眺めたポルトガ王は、再び目の前に見える『黒胡椒』の山を見て溜息を吐き出した。

 

「しかし、参ったな……」

 

 溜息と共に吐き出された言葉は、既にポルトガ国王としての物ではなく、『オルザ・ド・ポルトガ』という名の一人の男としての物だった。

 頻りに鬚のない顎を触り、額に手を当てる。落ち着きのない様子を見せる国王に、大臣は思わず苦笑を洩らしていた。

 

「いくらなんでも、これは持ち帰り過ぎではないか? これでは、バハラタの町の『黒胡椒』屋も潰れてしまうだろ?」

 

「国王様」

 

 心底困り果てた表情をする国王に、大臣は窘めるというよりは呆れたといった言葉をかける。そんな大臣の言葉を聞いても尚、国王は片手で目の上を覆い、なにやら考え込んでしまった。

 

 大臣は知っていた。

 この『オルザ・ド・ポルトガ』という年若い国王が、どのような意図でこの四人を東に向かわせたのかを。

 『黒胡椒』等、副産物に過ぎないのだ。

 その昔、若かりし彼が向かった東の大陸は、彼の人生観を変えてしまうような出来事があったのだろう。その証拠に、再び戻って来たオルザは誰もが驚く程に変貌していた。

 城を出て行く前は、青臭い理想ばかりを公言する世間知らずであったが、戻って来た彼は、理想をそのままに、現実という物と向き合いながらも進む事の出来る立派な王族へと成長していたのだ。

 『黒胡椒』が販売されている<バハラタ>という商業都市で何かを学んだのかもしれない。それ以外の場所で彼は何かを見たのかもしれない。それはオルザ自身から語られる事はなく、想像の域を出ない物ではあるが、大臣は確信していた。

 

「恐れながら……国王様のご依頼は『黒胡椒』であったと……」

 

「ああ……まあ、それはそうなんだが……」

 

 自分達の持ち帰った『黒胡椒』を嬉々として受け取る訳でもなく、まるで厄介事のように頭を抱える国王にカミュは口を開く。それに対する国王の回答もまた、とても曖昧な物であった。

 

「まあ良いか。お前達の望みの『船』は与える」

 

「!!……有難き幸せ」

 

「!!!」

 

 『ふぅ』と一息吐いた後、国王が宣言した内容に、カミュはもう一度頭を下げる。後ろに控える三人にはそれぞれ異なった表情を浮かべていた。

 リーシャは喜びを、サラは困惑を、そしてメルエは不満を。

 

「しかし、参ったな……これだけの『黒胡椒』を持ってこられたら、予定が狂う」

 

「は?」

 

 国王の言葉に、カミュが謁見の間にあるまじき声を上げてしまう。カミュだけではなく、後ろに控える三人にもポルトガ国王の真意が掴めなかった。

 『黒胡椒』を持ち帰れという命を出したのは、他ならぬこのポルトガ国王なのである。確かにその『黒胡椒』の数は、カミュ達から見ても多い。多い事で困るとなれば、買取金額が足りず、カミュ達へ払う事が出来ないという理由だけの筈。

 しかし、既に国王は、カミュ達へ『船』という過大な褒美を与えている。カミュ達への褒美としては、『黒胡椒』の対価としてそれで充分の筈なのだ。

 

「国王様、皆も困惑しています。そろそろ正直にお話しになられた方がよろしいかと」

 

「……そうだな……」

 

 一行の困惑ぶりに、救いの手を差し伸べたのは、玉座の隣に立つ大臣だった。

 この国の大臣は他国とは違い、国王と二人三脚で国を盛り上げて来たのだろう。しっかりとした絆を結んでいるのが見て取れる。

 

「すまんな。お前達には、余計な混乱を与えてしまったかもしれない」

 

「……」

 

 突如として胸の内を語り始めた国王に、一行は再び頭を下げ、敷かれている赤い絨毯を睨む。頭の上から掛る言葉は、この国王に不満を持っていたサラだけではなく、何かがあるのではと考えていたカミュやリーシャも驚きを隠せなかった。

 

「俺は、このポルトガ国の王である。故に、お前達と共に旅をし、『魔王討伐』に向かう事は出来ない。お前達に全てを委ねてしまう事を許してくれ」

 

「!!」

 

 語り始めた国王の言葉に、顔を上げてしまったのはサラだった。

 その言葉は一国の王として相応しくはない言葉。

 『人』を統べる者として存在する王族が、『魔王』に立ち向かうとはいえ、一介の人間に頭を下げる等、この時代にあってはならない事なのだ。

 しかし、国王の横に立つ大臣も薄い微笑を浮かべながら沈黙を守っている事から、それがこのポルトガ国王の人柄である事が解る。

 

「ここを訪れた時のお前達は、まだ海に出るには早いと感じた。まだお前達の足で歩き、見て回れる場所には、お前達を変える様々な物がある筈。であればこそ、俺は東の大陸へと向かわせた」

 

「……」

 

 カミュ達は言葉を発する事は出来ない。気さくな口調ではあるが、一国の国王の話を遮るような無礼は許されないのだ。

 それはリーシャやサラにとっても同じ事。故に、この場で顔を上げる事は許されてはいなかった。

 

「お前達は、『黒胡椒』を欲しがる我儘な王だと感じただろうな」

 

「……そのような事は……」

 

 自嘲気味に笑う国王の言葉に、カミュが言葉を返す。

 サラに至っては、自分の浅はかさに深く頭を下げてしまっていた。

 

「まぁ、『黒胡椒』を欲していたのは事実だ。ここまで欲しいとは思っていなかったがな」

 

 自分の目の前に積まれている『黒胡椒』の粒の山を見て深い溜息を吐く国王に、サラは何か罪悪感のような物を感じてしまう。

 国王の言葉通り、サラはこのポルトガ国王を『浅ましい国王』という印象を持っていた。

 『魔王討伐』という大望を背中に背負ったカミュ達を『黒胡椒』という物を手に入れる為の使い走りとして扱ったと考えていたのだ。

 

「船は、既に港に着水している。進水式も済ませた。あとはお前達が乗り込むだけだ」

 

 溜息と共に吐き出された国王の言葉を聞き、大臣が笑顔を浮かべる。

 跪く彼ら四人が東の大陸へと旅立った直後から、ポルトガの造船所で全船大工総出の作業が開始された。

 その命はポルトガ国王から出され、費用等も全て国家の財から出される。それも国民の税ではなく、国王が持つ王族の財産からだった。

 

 王族の私的財産が、久しく造られる事のなかった『船』の為に使われる。それは、あまり良い話がなかったポルトガ国の国民の感情を湧き上がらせた。

 造船の為の木材などは全てポルトガ領内で伐採された木材。

 そして大工は全てポルトガの国民。その造船に携わる者達の飲食等も王の私財で振舞われる。

 全ての国民が王の私財で潤い、国境を塞いでいた扉も勇者一行によって開かれた為に、他国からもお祭り騒ぎのポルトガへ足を運んで来た。

 

 観光客の宿泊の為に宿屋は潤い、飲食物の手配から、飲食店の繁盛にまでそれは波及する。

 国家を挙げてのお祭り騒ぎは、王族が所有する物の中でも飛び抜けた出来栄えの『船』が完成するまで続き、完成後も進水式を見ようと人は集まった。

 カミュ達がこの国に戻った時も、ある程度の落ち着きは取り戻してはいたものの、城下町の喧騒は、以前訪れた時とは比べ物にならぬ程の物だったのだ。

 

「本当ならば、その船をお前達に貸し与え、世界各地を回るお前達を乗せながら貿易を行おうとしたのだが、これだけの『黒胡椒』を持って帰られると、そうもいかないな」

 

「……」

 

 ポルトガ王の考えを聞き、カミュは得心が行った。

 勇者一行を乗せた船であれば、魔物等脅威にはならない。しかも、世界各地を回るカミュ達であれば、船を降り、一つの大陸を探索する時間は数カ月に及ぶだろう。

 その間に船は一度、その地方の特産を積んでポルトガへと戻る事も可能な筈。帰り道の航路が不安であるならば、勇者一行と共に戻れば良いだけなのだ。

 慈善だけで勇者一行に船を与える訳はない。強かながらも、全てを丸く収めようと動く国王の思惑に、カミュは唯々感心するばかりであった。

 

「船の乗組員は全て揃えておる。ただ、乗員の給与は支払われん。お前達の船ではあるが、乗員が自分の生活の為、荷を乗せ運び、それを売買する事を許可してやってくれ」

 

「……仰せのままに……」

 

 最後に、船の乗員の事までも思案に入れているポルトガ国王に向けて、カミュは深々と頭を下げた。それに伴って、リーシャやメルエも頭を下げる。唯、サラだけはこのポルトガ国王の顔を茫然と見上げていた。

 本来であれば不敬罪に問われても申し開きが出来ない程の行為ではあるが、ポルトガ王は苦笑を浮かべてサラを眺める。

 

「俺の顔に何か付いているか?」

 

「はっ!? も、申し訳ありません!」

 

 慌てて頭を下げたサラの額に汗が滲む。だが、カミュは頭を下げながら頬を緩めるだけで、何の心配もしていなかった。

 ポルトガ王が自分達を傷つける事はあり得ないと見ていたのだ。

 

「まぁ、なんだ……全てをお前達に委ねてしまう事を心苦しくは思うが、道を決めるのはお前達だ。お前達の救う世界が『人』の為の物となるのか、それとも違う結論に達するのかはお前達次第だ」

 

「はっ」

 

 ポルトガ王の言葉は重い。

 正直に言えば、彼がカミュ達の『船』の為に散財した額は、カミュ達が持ち帰った『黒胡椒』では釣り合わない程になっているだろう。それでも、この王は『船』を貸し出すのではなく、譲渡した。

 それは、世界を脅かす『魔王』という強大な存在に向けて送り出す事しか出来ない事への贖罪なのか。

 その真意は、面を上げたカミュ達の前で、温かな笑顔を向ける『オルザ・ド・ポルトガ』その人にしか解らない。

 そして、ポルトガ国王の語った言葉の一端には何かが込められていた。それに気が付いたのは、パーティーの中でも二人だけ。

 

 世界を救う者と、『人』を救う者。

 その二人だけが、ポルトガ国王の言葉が胸に刺さったのだ。

 

「それと……お前達も少しこの『黒胡椒』を持って行け。全て置いて行かれたら、ポルトガに『黒胡椒』屋が一軒建ってしまう」

 

 最後にそんな軽口を叩いたポルトガ王に苦笑しながら、大臣が小さめの袋に『黒胡椒』の粒を入れ、カミュ達の前に置いて行く。

 一度深く頭を下げたカミュはその袋をリーシャへと渡し、立ち上がった。

 

「近くを立ち寄ったら、この城にも時々顔を見せろ。その時にはお前達が旅した場所の特産等の献上品を忘れるなよ」

 

「はっ。国王様の格別なるご配慮、心より御礼申し上げます」

 

 カミュ達全員が立ち上がった事を確認し、ポルトガ王は笑顔のまま口を開いた。

 カミュが深く一礼するのを見て、リーシャ達もそれに倣う。カミュ達が歩き出した後、最後まで残ったのはサラだった。

 彼女は自分の思い違いにより、国王を疑った事を恥じている。そして、先程国王が口にした言葉が頭に残り、暫し考えに耽ってしまったのだ。

 

「ふふ。若いお嬢さん。まだ俺に何か用か?」

 

「ふぇっ!? あっ、も、申し訳ございません!」

 

 カミュ達が立ち去ろうと歩き出しても動かないサラに、ポルトガ王は苦笑を浮かべながら、声をかける。

 基本的にサラのような勇者に従う者には王族に対しての直答は許されてはいない。だが、突如かかった声に、サラは混乱し、叫ぶように返答してしまった。

 

「あははは! いい、いい。何か疑問があるなら、聞いておけ。う~ん。『直答を許す』とでも言えば良いか?」

 

 笑い声と共に告げられた言葉に、サラは目を丸くし、身体を固くしてしまう。国王の笑い声に、歩き出していたカミュ達も振り向き立ち止まった。

 今、この謁見の間は、ポルトガ国王とサラだけの為に存在している。

 

「言ってみろ。何かを溜め込んで旅に出ても良い事なんてないぞ?」

 

 まるでそれを経験したかのように話す国王を見て、サラは何かを決意したように口を開いた。

 それは、彼女の心の中で葛藤のように渦巻く物を吐き出すようなものだった。

 

「お、畏れながら……国王様は……『人』だけではなく、『エルフ』や『魔物』も幸せに生きる世界を……どう思われますか?」

 

「なに?」

 

 サラの疑問を聞き、国王の笑いが止まった。

 何かを覗うようにサラを見つめる国王の瞳は、先程までの気さくな物ではなく、国家を統べる王の瞳になっていたのだ。

 その瞳を見て、サラの身体は完全に硬直する。調子に乗って国家の根底を否定するような問いかけをしてしまった事を後悔した。

 

「くくく……あはははは! な、何を当たり前の事を言っている!? この世界は『エルフ』や『魔物』や『人』だけではなく、この世界に生きる全ての者達の為に存在している筈だ。お前達が『魔王』を倒すのは、『人』を護るためか? それとも『世界』を護るためか?」

 

「!!」

 

 不意に目の力を緩めたポルトガ王の笑い声は謁見の間に響き渡り、余りの声量に驚いたメルエはカミュのマントの中に隠れてしまった。

 サラは目を見開き、茫然と玉座の肘掛けに腕を乗せて笑う王を眺めている。リーシャは状況を把握できずにカミュを見るが、そこでそれ以上の驚きを浮かべた。

 カミュが微笑んでいたのだ。

 とても優しく、とても暖かく。

 

「……カミュ……」

 

「……ああ……」

 

 そんなカミュにリーシャが声をかけると、その微笑みは瞬時に消えてしまう。

 『声を掛けなければ良かった』と自分でも何故だか解らない後悔を感じたリーシャであったが、カミュが振り返る事なく出口へと歩いて行くのを見て、一度サラを振り返った後、カミュの後ろを歩いて行った。

 

「良いじゃないか! 『人』も『魔物』も『エルフ』もその他の生き物達も、互いの生きる場所を維持し、住み分けをする。そりゃあ、生きる為に他者を食らう事もある。それは他者の領域に踏み込んだ者達の自己責任だ」

 

「……」

 

 

 

 

 

 カミュ達が謁見の間を去った後も、国王とサラの対談は続いた。

 何を話したのか、何を感じたのかはカミュ達には解らない。しかし、城門の前で待っていたカミュ達の前に姿を現したサラの表情は、何か迷いが晴れたような新たな決意に満ちていた。

 そんなサラの顔を見てリーシャは微笑む。

 

「よし! ようやくサラらしい顔に戻ったな!」

 

「えっ!?」

 

 リーシャの言葉の真意はサラには解らない。だが、呆気に取られるサラの顔を見上げるメルエの顔にも笑顔が浮かんでいる事に安堵する。

 そして自分の胸の中に新たに宿った『決意』を強く抱きしめた。

 

 

 

 

 

「……カミュ……このような物を賜っても良いのか……?」

 

「…………おおきい…………」

 

「す、すごいですね」

 

 城門から南に下った場所にある港に出た一行は、そこに広がる景色を見て驚愕した。

 『これ程この国に人はいたのか?』と疑問に思う程の人だかりにも拘らず、カミュ達の目的の物ははっきりと見る事が出来た。

 『船』。

 いや、もうそれは『客船』と言っても過言ではない大きさ。

 王族が使用する物だと仮定したとしても、大きすぎる。今までに例を見ない大きさであり、それがポルトガ国王の心を示していた。

 

「……参ったな……」

 

 先程謁見の間でポルトガ王がしきりに口にしていた言葉をカミュが洩らす。先程まで、『船』の大きさに唖然としていた三人は、そんなカミュの呟きに笑顔を戻した。

 カミュが溢した言葉。

 それは、自分達が賜った物の価値の方が大き過ぎる為の物だ。これ程の『船』を所有する者が世界中で何人いるか。

 帆は横に靡き、追い風を全力で捕まえ、相当な速度が出るだろう。その帆船が出港を今か今かと待ち構えている。

 

「私達はご期待にお応えしないといけませんね」

 

「そ、そうだな。このご恩は『魔王討伐』という使命を果たす事でお応えしよう」

 

 笑顔で帆船を見上げたサラは、胸の前で手を合わせる。その言葉を受け、リーシャもまた、力を込めて拳を握り締めた。

 海から吹く潮風の匂いを忘れてしまったかのように、メルエも嬉しそうに初めて見る帆船を見上げ、隣に立つカミュに笑顔を向けていた。

 

「おお! アンタ達が勇者様一行か?」

 

 笑顔で帆船を見上げる一行の前から、人だかりを搔き分けて一人の男が駆けて来る。おそらく、彼がこの船の乗員の頭目なのだろう。それを示すように、彼の後ろからぞろぞろと男達が人々を搔き分けて来た。

 それと共に人々の視線が一斉にカミュ達へと集まり、サラは身体を硬直させてしまう。

 

「一応、俺がこの船の乗員の頭をやらせてもらう」

 

「……よろしく頼む……」

 

 カミュの前に立った偉丈夫な男が丸太のような太い腕をカミュへと突き出して来る。その手を怯みもせずに握り返したカミュは、軽く頭を下げた。

 それを見たメルエも、大きな男を見上げ、ちょこんと頭を下げる。

 

「はははっ! お譲ちゃん、ご丁寧にありがとうよ。俺は乗員の頭だが、この船の船長はアンタだ。俺達はアンタの行く場所に船を進める。何でも言ってくれ!」

 

「……暫くは帰って来る事の出来ない旅になるが……」

 

 豪快に笑う男に、カミュは自分達の旅の目的を知っているのかを疑った。

 カミュ自体、自分達の旅が『死への旅』であると認識している。故に、一度港を離れれば、数か月単位ではなく、数年単位で旅を続け、最悪このポルトガに生涯戻って来ない事もあり得るのだ。

 

「あはははっ! 気にするな。こいつらは全員一人者だ。家族を魔物に殺された者、病気で亡くした者ばかりだ。まぁ、中には嫁さんを貰えない奴もいるがな!」

 

「……」

 

 カミュの心配を余所に、この大男は豪快に笑い続ける。

 男の軽口にサラは微笑み、リーシャも苦笑を洩らした。

 唯、カミュだけは眉を顰め、頭を下げる。

 

「……ありがとう……」

 

「だから、良いんだって! 俺達はまた海に出る事が出来るだけで嬉しいんだ! それに、アンタ方について行った先で気に入った場所があれば、そこに居着く人間も出て来るさ。そん時は悪いが、認めてやってくれ」

 

 感謝を表すカミュに、手を振りながら答えた男の言葉もまた豪快な物であった。

 途中下船をする人間を認めろとは、通常であれば許される話ではない。だが、そんな遠慮のない申し出を聞いて、ようやくカミュの口端に笑みが浮かぶ。

 

「……ああ……行く先々の特産を積んで、その先にある場所で売れば良い。その利益は全てアンタ方の物だ。行く先で住む事を決めたのなら、遠慮せずに言ってくれ。またその地で新たな乗員を入れれば良いさ」

 

「おお! 話の解る人間で良かったぜ。まずは、アンタ方が最優先だ。俺達の商売は二の次。アンタ方が望む場所なら、どこへでも連れて行ってやる」

 

 カミュの申し出を受け、嬉しそうに笑う男。男の言う通り、彼等は海無くしては生きていけない者達なのかもしれない。

 『魔王』の登場により、年々凶暴さを増す魔物達。最近では、魔物の被害が酷く、船を海に出す事も叶わない状況になっていた。

 

 そんな中、『魔王』にすら立ち向かう強者の出現。それは、彼らの海に対する憧れをもう一度焚きつける事になる。

 彼らとて、屈強な海の男達。それでも、魔物と戦いながら海原を旅する事は難しい。

 傭兵として魔法を使える人間等を雇えば、利益など消えてなくなってしまう。故に、カミュ達一行は渡りに船だったのだ。

 

「じゃあ、俺の下で働く船員を紹介して行く。皆、船に関しては長年携わっている人間だが、それだけでは人が足りなくてな……素人ではないが、未熟な新人が七人いる」

 

 そう言って、次々と船員達が紹介されて行く。男が一人一人名を呼び、呼ばれた人間が一人ずつ前に出て来てカミュ達と握手を交わして行く。誰一人例外なく、瞳を輝かせ、再び海へ出る事を心から喜んでいるようだった。

 小さなメルエの為に屈み込んで握手を交わす船員達は、皆屈強ではあるが、快活とした気持ちの良い人間達であるようだ。

 

「……お前達は……」

 

 一人一人に笑顔を向け、握手を交わしていたサラは、前に立つカミュの暗い呟きを聞き、表情を硬くする。それは、カミュが仮面をつけた合図だったからだ。

 それが理解できたリーシャもカミュの視線の先に目を向け、そして驚愕した。

 

「……俺達も、この船に乗せてくれ……」

 

「ん? なんだ、知り合いか?」

 

 それは、頭目である男が『新人七人だ』と紹介を始めたばかりの時だった。

 先頭に立っていた男の顔を見て、カミュは眉を顰める。それは、忘れもしない顔。

 サラを苦しめ、そしてサラを成長させる原因となった者達。

 

「貴様ら! よく私達の前に顔を出せたな!」

 

 それは、カミュだけではなく、リーシャもサラも、そして幼いメルエでさえ忘れる事の出来ない面々。

 その男達の存在に気がついたリーシャが憤りの声を上げた。

 

「申し訳ない。本来であれば、アンタ方に見つかる事のないようにひっそりと隠れるように暮らすべきだと思う」

 

 リーシャの叫び声に、七人の男達は一斉に下を向く。何を言われるのかも、どのような態度をされるのかも解っていたのだろう。

 それでも、先頭に立つ男は口を開いた。

 

「それでも、それでも俺達はアンタ方に命を救われたんだと思っている。罪は償わなければならない。色々考えたんだ……何が俺達に出来るのか……」

 

「……」

 

 カミュは黙して何も語らない。リーシャもまた口を閉じていた。

 周囲の船員は、急激に変化した雰囲気に戸惑っているようだが、割って入るつもりもなく、黙って状況を見ている。

 

「農村で畑を耕しても……罪を償っている事にはならないのでは……と」

 

「そ、そんなことは……」

 

 その男の言葉にサラが口を開く。

 彼らの命を救ったのは、正確に言えば、彼らの頭目であった者。

 『カンダタ』と呼ばれ、各地方でその名を轟かせた盗賊である。

 それでも、サラの声を聞いた男がサラへと視線を動かし、口を開いた。

 

「……アンタが、お頭を救ってくれた事は知っている。お頭がいない俺達は役には立たないかもしれない。それでも懸命に働く。アンタ方が目指す『魔王討伐』という大望を手助けする事こそが、少しでも罪を償う事になると信じて、命を賭して働く」

 

「……」

 

 カミュの瞳は冷たく冷え切っている。

 リーシャの瞳は先程の怒りを消し始めていた。

 メルエの瞳はカミュと変わらない程に冷たい。

 サラの瞳は涙で濡れていた。

 

「だから、この船に乗せてくれ。どんな事があっても、誰がこの船を降りようと、俺達はこの船の為に働く」

 

 そう言って、カミュに向かって七人の男が一斉に頭を下げた。しかし、カミュの表情に変化はない。

 隣に立つリーシャは、そんなカミュの表情を見て、以前に見た事があると感じ、すぐに思い出した。

 

 それは、アリアハンを出てすぐ。

 サラが追い付き、カミュに自分の同道を願った時。

 彼は今と同じように、相手を冷たく見下ろしていた。あの時、リーシャはカミュが冷たい人間だと感じた。

 だが、今は違う。彼の『苦悩』、『想い』、そして『優しさ』を知った今のリーシャは、無表情を貫くカミュに自然と笑顔が浮かべた。

 

「カミュ……心配するな。彼らが私達と共に魔物と戦う訳ではない。『魔王』に挑む訳でもない」

 

「……」

 

 カミュが握手を求める船員達に渋い表情を向けていたのも、船員の頭目に礼を述べたのも、彼らが同道する事によって、自分以外の人間の命を危機に晒す可能性がある事を危惧したのだとリーシャは考えていた。故に、おそらくこの元盗賊であり、人々を苦しめた過去を持つ者達の命も、カミュが危惧しているではと思ったのだ。

 リーシャの同道もサラの同道も拒み続けた彼の言葉の裏側には、いつでもリーシャ達の命への配慮があった。

 それをリーシャは今になって、肌で感じ始めている。

 

「カミュ様、彼らに生まれ変わる機会を……」

 

 リーシャが語った言葉の内容を正確には理解していないのだろう。

 サラは、カミュへと彼らの同道を嘆願する。

 

「……勝手にしろ……」

 

「ありがとう!」

 

 カミュが吐き捨てた言葉に、七人の男達は再び頭を下げる。

 『カンダタ』一味の幹部として、不自由のない生活をして来た者達は、今この時に生まれ変わる。

 彼らに被害を受けた者達からすれば、それは許されない事なのかもしれない。

 彼らとは違い、カミュ達との戦いで死んで行った者達は恨むかもしれない。

 故に、彼ら七人が背負う物は重く、それは確実に彼らの心を蝕み続けるだろう。

 それでも、彼等は懸命に働き、懸命に生きるという事をサラは確信していた。

 苦悩し、嘆き、投げ出したくなっても、彼らに『逃げ出す』という選択肢は残っていない。この場に出て、この船に乗る事を選択したこの時から、彼らが歩む道は決まったのだ。

 

 それは、カミュ達に劣らない程に険しい道。

 

「よし、船長の許しも得た事だし、お前達の過去を詮索するような奴は、海に生きる男の中にはいない。野郎ども! 出港だ!」

 

「オォォォォォォ!!」

 

 頭目の掛け声と共に、海の波が震える程の叫びが返って来る。それぞれの男が、それぞれの持ち場に散って行った。

 七人の新人もカミュ達へと一度深く頭を下げた後、持ち場へと散って行く。彼らは船乗りとしては駆け出しの存在。顎で使われ、叱咤されるだろうが、それでも心を決めた男達に心配は無用だろう。

 

「さあ、私達も行こう」

 

「はい!」

 

「…………ん…………」

 

 リーシャの声にサラが応え、もはや潮風など気にならないといったようにメルエが頷く。船へと向かって歩き出す三人の背中に苦笑を浮かべ、カミュもまた歩き出した。

 

『魔王討伐』という大望に向かって進む彼らが新たな世界を広げて行く。

 

「錨を上げろ! 帆を張れ!」

 

「オォォォォ」

 

 頭目の声が晴れ渡った空に高々と響き、船員の雄叫びが遥かに広がる海原に轟く。吹き抜ける潮風を全身に受け、彼らの旅は新たな旅立ちを迎えた。

 港に集まった人々の歓声を受けながら船は大海原に漕ぎ出して行く。

 

 

 

 

 




読んで頂きありがとうございます。

遂に「船」入手です。
ここまで読んで頂いた方々に感謝を。
ここから彼らの世界は広がりを見せます。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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