新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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無名の土地②

 

 

 

「……ここは……」

 

 <ルーラ>の効力も切れ、地面へと足をつけたサラは、目の前に広がる光景に驚きを表す。

 それは余り思い出したくない場所であり、常に忘れた事も無い場所。

 サラにとっても、メルエにとっても、印象深く、そして哀しい思い出のある場所。

 

「……行くぞ……」

 

「は、はい」

 

 その場所を見た時、リーシャもまた驚いていた。

 しかし、それと共に妙な納得もしていたのだ。

 『カミュなら、ここを選ぶだろう』と。

 

 門を抜け、真っ直ぐ歩くカミュの後姿を追うように歩いていたメルエが、いつの間にかカミュを追い抜き、小走りに駆け出した。そんなメルエの様子にサラは驚き、リーシャは笑みを溢す。そして、メルエは一軒の家の木戸の前で足を止めた。

 追いついて来たカミュを見上げ、眉を下げるメルエが見る物は、木戸にかけられた金具。メルエの背丈では届かない金具を哀しそうに見上げる姿に苦笑を浮かべながら、カミュは金具で木戸を叩いた。

 

「……こんな夜中に誰だ……?」

 

 暫しの時間の後、警戒するように少し開かれた木戸の隙間から覗く顔は見覚えのある物より、若干焦燥しているようにも見えた。

 

「…………メルエ…………」

 

「えっ!?」

 

 家主の問い掛けに、開かれた隙間の前に立つ少女が自分の名を告げる。

 その名を聞いた家主は、驚きの声を上げて、木戸を勢い良く開いた。

 

「メルエちゃんなのかい!?」

 

「…………ん…………」

 

 木戸を開き、足元で自分を見上げる少女を見た家主は、驚きと共に喜びを顔全体に表した。

 以前より少し痩せたのだろうか。若干頬は扱け、目は窪み、覇気が感じられない顔に笑顔を作る家主に、カミュとリーシャは顔を歪ませる。

 

「良く来てくれたね。さあ、入った、入った」

 

「……すまない……」

 

 喜びを身体全体で表現する家主に、カミュは軽く頭を下げた後、誘いに応じて家の中へと入った。それに続き、リーシャとサラが入って行く。メルエは誰よりも先に家の中に入っていた。

 一行は、家主の言葉に従って席に着く。一度台所に戻った家主は、四人分の温かな飲み物を用意し、カミュの対面に腰掛けた。

 

「元気そうで何よりだ。しかし、暫く見ない内に随分と雰囲気が変わったな」

 

 家主は、何か眩しい物でも見るように四人に向かって順々に視線を送る。

 その視線を受け、サラはどこか恥ずかしそうに俯いた。

 

「トルドは、余り元気そうではないな?何かあったのか?」

 

「……随分とお痩せになったみたいですけれど……」

 

 その家主をリーシャは『トルド』と呼んだ。

 ここは、<カザーブの村>。

 今、カミュ達の前にいる男性は、この村で唯一の道具屋を営む者。

 そして、この町で起きた哀しい出来事の中心にいた男だった。

 

「……ご両親は……?」

 

「あ、ああ。親父とお袋は死んだよ」

 

「なに!?」

 

 リーシャとサラの言葉に苦笑を浮かべていたトルドは、カミュの問い掛けに対し苦しそうな表情を浮かべた後、衝撃の事実を口にした。

 その余りの衝撃に、リーシャは叫び、サラは絶句する。

 

「アンタ方がこの村を出てすぐに、お袋の方が体調を崩してね。気力も萎えていたんだろう。そのまま数日で天に還って行った。親父もお袋を亡くして、最後の糸が切れちまったんだろうな。後を追うように天へ昇って行っちまった」

 

「そ、そんな……」

 

 自嘲気味に、カミュ達が村を出てから起こった出来事を話すトルドの言葉に、サラは言葉を失ってしまった。

 確かに、カミュ達が持って来た事実は、トルド一家に多大な衝撃を与えたのだろう。それこそ、『人』の生きる気力を根こそぎ奪ってしまう程に。

 

「……すまない……」

 

「あ!? い、いや。アンタ方が責任を感じる必要はない。そういう意味で言った訳じゃないんだ。あれは、俺がアンタ方に依頼した。こうなる可能性は予測できたのに、俺は真実見たさにその可能性を見ないようにしていただけだ。悪いのは俺なんだよ」

 

 カミュがトルドに向かって頭を下げた理由。それは、トルドの母親の生きる気力を根こそぎ奪ってしまった事実にある。

 トルドの妻と娘の死に関する事実。それを知る事をトルドは望み、カミュ達に依頼した。いや、それはトルドだけではなく、彼の父親も母親も願っていたのだろう。

 一筋の希望に縋りながら。

 

 しかし、事実は過酷な物だった。

 それは、『人』一人の生きる気力をも奪い尽くしてしまう程に。

 

「…………これ…………」

 

「ん? なんだい?」

 

 そんな重苦しい空気が流れ始めた部屋の空気を破ったのは、いつの間にかトルドの足元に移動した幼い少女だった。

 そして、少女は目の前のトルドに向かって小さな手を差し出す。差し出された手を見て、不思議に思いながらもトルドはその小さな手を包むように片手を差し出した。

 

「あれ? メルエ、その石をまだ持っていたのですか?」

 

「…………ん…………」

 

「……おい……」

 

 メルエの小さな掌から、トルドの大きな手に落とされたのは、綺麗な蒼い石。

 異種族であるホビットにメルエが差し出した物と同じ、蒼く輝く石だった。

 

「これは? とても綺麗な石だが、貰っても良いのかい?」

 

「……メルエ……」

 

 トルドの問いに笑顔で頷くメルエを見て、リーシャはようやくメルエの心を知る事になる。

 その蒼く輝く石は、『賢者』への試練のための塔を探索している時に、『死の呪文』からカミュを護った石。

 その欠片をメルエは身体の具合が悪い中にも拘わらず、拾い集めていたのだ。

 

 そのメルエの心の中をリーシャは理解した。

 メルエにとって、カミュやリーシャやサラは掛け替えのない存在なのだ。そして、その存在を護ってくれた石もまた、彼女にとって何物にも換え難い宝物となっている。

 故に、彼女はそれを、自分に好意を向けてくれる人間に渡すのだ。

 自分の気持ちを好きな人物へ伝えるために、自分の大切な物を渡す。もしかすると、メルエはあの塔でサラが語った『石がカミュを護り砕けた』という言葉を聞き、再び自分の好きな人物を護ってくれるのではと考えているのかもしれない。

 

「ありがとう。大切に……大切にさせてもらうよ」

 

「…………ん…………」

 

 笑顔で頷くメルエに、トルドの瞳は潤んでいる。先程まで、どこか不満気な表情を浮かべていたカミュも、何かに諦めたように溜息を吐き出していた。

 

「……ぐすっ……そ、それで、今日はどういった用件だったんだ?」

 

「あ、ああ」

 

 鼻をすすりながら、一行に視線を移したトルドの言葉に、リーシャは言葉に詰まり、カミュの方へと瞳を泳がせる。サラも先程の土地での会話の流れから、カミュがトルドに何を要求するのかを感じ取っており、居心地悪そうに下を向いてしまった。

 

「……この村を出て、町を創ってみないか……?」

 

「はあ?」

 

 トルドの驚きは当然だろう。サラも、いつも通りのカミュの言葉の足りなさに驚き、思わず顔を上げてしまった。

 そんな言葉で全てを理解できる人間が、この世の何処にいると言うのか。

 

 『村を出て、町を創れ』

 

 全く持って意味が不明である。戸惑うトルドを気の毒に思うサラの横で、リーシャは苦笑を浮かべていた。

 『もしかしたら、足りないカミュの言葉を理解できるとすれば、リーシャだけなのかもしれない』等という、いつもの暴走を始めてしまうサラを余所に、カミュは足りない言葉を補って行く。

 

「ポルトガから西に位置する大陸で町を創ろうとしている者がいる。資金は充分にあるだろう。だが、町を創る為の知識がない」

 

「それで、俺に声が掛かったというのか?」

 

 カミュの言葉を聞き、トルドは先程の意味不明な内容を、頭の中で少しずつ整理し始めていた。

 そして、ある程度整理が付いた後に問いかけた言葉にカミュが一つ頷いた。

 

「俺達はアンタという商人を紹介するだけだ。町の設計などはアンタに任せる」

 

「……何故、俺なんだ……?」

 

 トルドの疑問もまた当然の物だろう。この世界には商人と呼ばれる職に就く者は星の数ほどに存在する。そして、その中には、商業都市と呼ばれる町で大きな商いをしている者もいるのだ。

 

「……俺は、アンタ以外に信用出来る商人を知らない……」

 

「……カミュ様……」

 

 カミュの独白に近い言葉を聞き、トルドは目を見張り、サラは言葉を詰まらせる。

 これまでの旅で数多くの商人に出会ってきた。その中には、カミュ一行に良くしてくれた者もいた筈。それでもカミュは、目の前で口を開けながら驚いている中年の男性を選んだのだ。

 最も信頼できる『人』として。

 

「ふふふ。カミュの心当たりがトルドであった事に驚きはしたが、今では私もトルドに頼みたいと思っている」

 

「……リーシャさん……」

 

 カミュへと驚きの視線を向けるトルドに笑みを浮かべながら、リーシャもまた己の心を語り出す。そして、サラは再び言葉を詰まらせた。

 

「…………メルエも………トルド………すき…………」

 

「……メルエちゃん……」

 

 二人に負けじと、メルエが幼い親愛表現を口にする。今度は、トルドが言葉を詰まらせる番だった。

 トルドの足元で、その瞳をしっかりと見上げて来るメルエの顔には満面の笑みが浮かんでいる。その表情が、今は亡き最愛の娘の物と重なり合う。

 トルドの瞳を無意識の涙が潤ませていった。

 

「……一晩考えさせてくれ……」

 

「急な話で済まない。断ってくれても良い。別段、どうしてもという話ではないからな」

 

 『考えたい』と視線を外したトルドに、余計な重荷を背負わせまいと口を開いたカミュに、トルドは静かに頷いた。

 サラはそんなトルドを見て、何かを感じずにはいられなかった。

 カミュが『人』を導くのは初めての事ではない。

 

 最愛の妻と娘を失い、その真実を究明する事に人生を奉げていた男性は、アリアハンから旅立った年若い『勇者』によって目標を奪われた。

 そればかりか、憎しみ持つ事も許されず、悲しみや喪失感しか残らない事実を告げられる。そして、唯一残っていた肉親すらも失い、彼には文字通り何もない人生しか残らなかった。

 結果論になってしまうのかもしれないが、カミュはそんな生きる目標を失った男性に新たな道を指し示したのだ。

 本当にカミュの言葉通り『信頼できる人間が彼しかいなかった』のか、敢えて彼を指名したのかはサラには解らない。それでも、カミュの持って来た話が、トルドという一人の商人に光明を齎した事だけは事実だろう。

 

「アンタ方が以前使った部屋を使ってくれ。もう夜も遅い。今日はゆっくり休んでいってくれ」

 

「ありがとう」

 

 何かを考え込むように、トルドはそのまま自室へと入って行った。カミュ達もまた、お互いに何も口にする事なく、それぞれの部屋へと向かう。

 そして、夜は更けて行った。

 

 

 

 

 

 この何もない森を切り開き、彼が一人で暮らし始めて二十年以上の月日が流れていた。

 彼がこの場所に辿り着いてから同年の月日が流れた事を意味している。

 

 彼は旅行者だった。

 彼には、一人の妻が居り、婚姻を結び数十年、彼らの間に子供こそ出来なかったが、とても幸せな家庭を築いていた。

 裕福ではないが、食に困窮して飢える事もない。

 そんな中、彼らは『魔王』の登場により変化を続ける世界を見て、『これ以上に悪化をする前に、一度ぐらい旅に出よう』と思い立つ。少しずつ蓄えて来た財産を吐き出し、一度たりとも休まる事のなかった心と身体を労うように、夫婦二人で定期船の出るポルトガへと旅立ったのだ。

 

 二十年以上前、『魔王』登場により、世の中が荒れ始めてはいたが、それでも定期船はポルトガから出港されていた。

 そんなポルトガからその日、一隻の船が出港した。

 巨大な客船ではないが、新たな土地を求めた数多くの若者と、多少裕りのある生活を送っている旅行者が乗る船は、ポルトガを出港し、南にあるテドンへと向かう。

 

 そんな夢と希望、そして人の数だけの人生を乗せた船は、テドンに辿り着く前に、凶暴化を始めていた魔物の襲撃を受けたのだ。

 船の警備隊等はまだ組織されておらず、船は船員達が守っている時代。大型の魔物の群れに襲われた船を守る手段等ありはしなかった。

 

 砕け散る船。

 折れるマスト。

 海へ投げ出される『人』

 魔物に引き千切られ、臓物を飛び散らせる『人』

 魔物の胃袋に入って行く『人』

 飛び交う悲鳴に、脳に直接響く断末魔。

 

 それは地獄絵図だった。

 魔物によって船底に穴を開けられた船は傾き、時間をかけて沈み始める。

 既に船に生存者は皆無に近い。

 そんな中、唯一の生き残りが彼と妻の二人だった。

 

 未だに玩具のように壊れた船を潰していく魔物達から逃げるように、彼は妻と共に荒れ狂う海へと身を投げ出した。

 隣で震える、髪の毛に白髪が目立ち始めた妻の手をしっかりと握って。

 

 

 

「……ここは……」

 

 目を覚ました彼は、周囲を見渡してみるが、そこは見覚えのない場所。浜辺に打ち上げられ、自分の身体に纏わり付く砂を払う事もせず、彼は立ち上がり、自分の身の違和感に気が付く。

 彼の左手に繋がっている筈の手がないのだ。

 慌てて周囲を見渡しても、彼の探している人物は見当たらない。

 

 何度も名を叫び、浜辺を歩き回った彼は、ようやく最愛の妻を見つけ出す。

 彼が打ち上げられた砂浜とは違い、大きな岩肌が露になった海岸に彼女はいた。

 

「おい! おい!」

 

 波と共に揺れ動く妻の身体を抱き上げ、最悪の状況が浮かぶ思考を振り払いながら、何度も大声で呼び掛ける。ぐったりとしている妻の身体は、長時間海水に浸かっていた為なのか、冷え切っていた。

 

「……うぅぅ……」

 

「わ、わかるか!? しっかりしろ!」

 

 呼び掛けに呻き声を上げた妻の意識を覚醒させようと、彼は更に大きな声を上げる。その声はしっかりと彼の妻に届き、ゆっくりと瞼が開かれて行った。

 安堵と共に吐き出された彼の溜息が白い大気へと変化して行く。空に消えて行く息の行方に視線を動かした彼は、自分が抱き抱えている妻の全身に初めて注意を向け、言葉を失った。

 

「……うぅぅ……ぐっ!」

 

「し、しっかりしろ!」

 

 妻の片足は、既に『人』の物ではなかったのだ。

 岩肌に何度も強く打ち付けられ、岩と岩の間に挟まれながらも強い波に動かされ、彼女の片足は無残にも磨り潰されていた。

 

「……ぐっ!……あ、あなた……」

 

「だ、だいじょうぶだ! 俺ならここにいる! まだ生きているぞ、しっかりしろ!」

 

 涙を滲ませながら叫ぶ夫に向かって、苦痛に顔を歪ませながらも必死に笑顔を作ろうとする妻の姿に、彼の瞳からは止め処なく涙が溢れ落ちた。

 彼は、意識を取り戻した妻を岸に上げ、雨風を凌ぐために森の入り口へと入って行く。妻に自らの足を見せぬように、自分の着ていた物を妻の腰に巻き、下半身を覆い隠して寝かしつけた。

 

 激痛によって高熱を出し、うなされながら眠る妻の汗を拭きながらも、彼は船の中で売っていた地図を広げ、場所の再確認をしようと周囲を見渡す。

 彼が打ち上げられた砂浜から見える海の方角から朝陽が昇っていた。ポルトガから出て、砂浜がある場所は少ない。彼が意識を失っていた時間を考えると、おそらく一日も経っていないだろう。

 そのぐらいの時間で辿り着く事の出来る場所で、東の方角に砂浜がある場所といえば、ポルトガから真っ直ぐ西に向かった場所にある大陸の一部と考えるのが妥当であった。

 

「くそ! この近くに町や村はないのか!?」

 

 地図を握り締めながら叫ぶ彼の手元は力が込められ、地図が破れそうなほどに織り曲がっていた。

 もし、町や村があれば、宿屋で妻を休ませる事が出来る。

 もし、町や村があれば、そこに教会があり、妻の傷も癒す事が出来る。

 そして薬師もいれば、妻の高熱も下げる事が出来る。

 しかし、彼の手元にある地図に記されている大陸には町の名など何処にもなかった。あるのは森を示す文字だけ。

 そこは『人』にとって未開の土地である事を示していた。

 それでも彼は諦める事など出来ない。

 

 翌朝、足の怪我と高熱によって意識を失っている妻を背負い、彼は周辺を歩き回って『人』の存在を探し回った。

 歩いては休み、妻の汗を拭き、足に巻いた布を水で洗っては巻き直し、そして再び歩き出す。陽が暮れるまで歩き回っても、彼が望む場所は見つける事が出来なかった。

 

 

 

「……あ、あなた……もう……いいですよ……」

 

「な、なにを言う! 駄目だ! 諦めては駄目だ!」

 

 次の日も朝から自分を背負って歩き回る夫に、一瞬意識を取り戻した妻が言葉を発した。

 その内容とは似つかわしくない優しい笑顔を浮かべて。そんな妻の表情を見た男の双眸から大粒の涙が溢れ出す。

 

「……ふふ……あなた…が……わたしの為に……そんなに必死になって…くれるなんて」

 

「当たり前だ! お前がいない世の中を、どうやって生きて行けば良いんだ! 頼む、そんな弱気な事を言わないでおくれ」

 

 若かりし頃を思い起こさせるような妻の輝くような笑みを見て、彼は再び涙する。彼と共に数十年の間、苦楽を共にして来たのだ。

 誰よりも自分の嫌なところを知り、誰よりも自分の良いところを知り、そして誰よりも自分を愛してくれた妻。

 その命の炎が今尽きようとしている。

 

「……わたしは……幸せでしたよ……最後にあなたと……楽しい旅も…できました」

 

「これからだろ! 私達の旅はまだ終わってはいないぞ! 私の旅にお前がいなくてどうするんだ!」

 

 霞む視界の先に見える夫の表情に、妻はもう一度笑顔を浮かべる。自分が愛したのと同じ様に、いや、それ以上に夫が自分を愛してくれていた事を知り、彼女は本当に幸せそうに微笑んだ。

 

「……ゆるして……ください…ね……」

 

「お、おい! 逝くな! まだ逝かないでおくれ!」

 

 最後にそっと夫の頬を撫でた手が滑り落ちて行く。力を失った妻の身体を抱き、何度も声をかけながら揺するが、もう二度と妻の身体は自ら動く事はなかった。

 沈み行く夕陽によって真っ赤に染められた大地の中、彼は天に向かって泣き叫んだ。

 彼の叫びは、森の木々を揺らし、そこに住む鳥達を羽ばたかせる。その叫びは、陽が完全に沈み、辺りを完全に闇が支配するまで続いていた。

 

 『もし、この場所に町があったら』

 『もし、この場所に人が住んでいたら』

 

 彼のその想いは、やがて変化して行く。

 

 『なければ創れば良い』

 『自分と同じ様な想いをさせたくはない』

 

 資金は充分にあった。彼が乗っていた船から、ゴールドの入った樽がいくつも海岸に打ち上げられていたのだ。町を興すための木材などの資材もある。

 後は町として動き出す未来を頭の中で構築する事の出来る商人だけだったのだ。

 

 彼のその想いは、妻を失って二十年以上の月日がたったある日に現れた四人の若者によって急速に実現へと近づいて行くのだった。

 

 

 

 

 

「ここが、そうか」

 

 今、年老いた彼の前に、待望の商人が立っていた。彼が切り開いた平地を眺めながら、その商人は笑みを浮かべて何度も頷いている。

 その表情から見ると、今、商人の頭の中には、この只の平地が町へと変化して行く過程が見えているのだろう。自分が何度も試みても浮かんでは来なかった未来の町の姿。それがこの商人には見えているのだ。

 それが彼にはとても嬉しかった。

 

「……本当に良いのか……?」

 

「ああ。考えて、考えて、考え抜いた。『町を創る』、それは俺の夢でもあるんだ。それに、余り落ち込んでいると、妻やアンに怒られちまうからな」

 

「…………アン………トルド………すき…………」

 

 商人の答えに、一つ頷いた青年の横から、少女が言葉を紡ぎ出す。

 その少女に、柔らかく微笑んだ商人は、『ありがとう』と小さく礼を洩らした。

 

 

 

 <カザーブの村>で、カミュ達は翌朝の朝食時に、トルドから返答を貰っている。それはとても簡素で、『その場所に連れて行ってくれ』という物だった。

 候補地を見てからでなければ決められないのも当然だと考えたカミュは、一行と共に<ルーラ>でポルトガへ戻り、トルドを船に乗せて、この場所まで連れて来た。

 船の存在に驚くトルドに、何故かメルエが胸を張り、その事にリーシャとサラは笑みを浮かべるといった穏やかな航海だった。

 

 何故、<ルーラ>でここへ直接来なかったのか。

 それは、カミュがこの場所を明確にイメージ出来なかったからだ。

 <ルーラ>とは、目的地へのイメージが最も重要となる。

 しかし、ここは未開の地。

 周囲の森の中を切り開いただけの場所に過ぎない。

 何処にでもある場所。

 それは<ルーラ>では移動できない場所でもあるのだ。

 

「……ほんと…いいのか……ここ……骨……埋める…しれない……」

 

「ああ。今や俺は天涯孤独だ。この場所を新天地にするのも悪くはないだろう」

 

 その決意を確かめるように口を開いた老人の問い掛けに、トルドは大きく頷いた。

 そして再び自分が創り出そうとする土地を眺める。その目は何か大きな決意を宿していた。

 その炎は、この老人と同じ色をした炎。

 それを見て取った老人は嬉しそうに微笑み、傍に立つ四人の恩人に向かって深く頭を下げる。

 

「……あり……がと……お礼…良い事…教える……」

 

「なんだ?」

 

 聞き取り辛い訛りに、耳を近づけたリーシャは、老人の言葉を聞き返した。

 サラもメルエも老人へと近づき、その言葉に耳を傾ける。

 

「……この……大陸…真ん中…<スーの村>ある……」

 

「……スーの村……?」

 

 単語しか聞き取れない老人の言葉の中に出て来た名をカミュは繰り返した。それは、まるで聞いた事のない村の名。

 カミュはこの旅に出る前に、世界地図を何度も見て来た。地図に載る町や村の名前は記憶している筈。しかし、老人が語った村の名前は、カミュの頭の中に記憶として残ってはいなかったのだ。

 

「……井戸の……周り…調べろ……」

 

「そこに何かあるのか?」

 

 老人はリーシャの問いかけに、ただ笑みを浮かべるだけだった。

 そこに何があるのか。

 <スーの村>とはどんな場所なのか。

 それをカミュ達に教える気はないようだ。

 

「アンタ達は、これからどこへ向かうんだ?」

 

 老人の意味深な笑みに疑念を持ったカミュ達だったが、自分が生きて行く土地から視線を外したトルドの問いかけに、視線を移した。

 トルドの顔は、これからへの希望とやる気に満ち満ちている。それが目に見えて解るだけに、リーシャとサラの顔にも笑みが浮かぶのだ。

 

「私達は、六つの『オーブ』を探しに参ります」

 

「オーブ?」

 

 トルドの問いに答えたのはサラだった。

 ダーマ神殿の教皇に指し示された道を答える。

 それは、経緯を知らないトルドには、理解しがたい内容だったろう。

 

「次の目的地は南の方角だな」

 

「……」

 

 南の方角に何があるのかも解らないにも拘らず、先日ポルトガの南に立つ灯台の中で聞いた方角へ進路を取る事を明言するリーシャに、カミュは盛大な溜息を吐き出す。

 おそらくリーシャに深い考えなどありはしないだろう。彼女は、基本的に進路などはカミュに任せている。『魔王』という目標に向かっているのでありさえすれば、カミュが考えた道が一番の近道であると信じているのだ。

 そして、その場所場所で遭遇する物が、カミュが『勇者』故の必然である事も承知していた。

 

「そうか。だったら、ここでお別れだな。こんな大事業を俺の所に持って来てくれた事を感謝するよ。精一杯やってみる。アンタ方も、たまには顔を出してくれ」

 

「…………メルエ………くる…………」

 

 トルドの申し出に、メルエは大きく頷き、笑顔を見せる。

 同じように、リーシャやサラもトルドに向かって頷きを返した。

 

「ありがとう」

 

 カミュ達へ深々と頭を下げたトルドの瞳に、もはやカザーブで燻っていたような陰りはない。これが本来のトルドの瞳なのかもしれない。

 意欲に燃え、未来に希望を馳せ、それを他人に委ねる事なく、自らの手で切り開いて行く。そんな強さを彼は元々持っていたのだ。

 

「……行くぞ……」

 

「ああ。メルエ、おいで」

 

 一度トルドの瞳と視線を合わせたカミュが、一つ頷きを返し、踵を返して歩き出す。

 最早、商人ではないカミュ達に、この場でする事はない。ここから先は、広い世界を一つ一つ切り開いて来た『人』の仕事。

 この場所が本当に町として成り立つのか。それは今のカミュ達には分からない。それでも動き出した歯車はより大きな歯車を動かし、何か大きな事を成し遂げるであろう事は感じていた。

 

 カミュ達が森へと続く道を歩いて行く。

 次にこの場所をカミュ達が歩く頃には、この場所に大きな門が出来ているのであろうか。

 この森との間を隔てるように、立派な外壁が出来ているのであろうか。

 家々が建ち並び、煙突から食事の支度の為の煙が立ち上るのであろうか。

 

 サラは、もう一度何もない平地を振り返る。

 ここに何が建つのか。

 ここにどのような町が出来上がるのか。

 果たして、それは町と呼べるほどの物となるのだろうか。

 それは、サラには分からない。

 この場所に広がる未来の光景を、今見る事が出来るのは、この世でトルド唯一人なのだ。

 

「さて、やる事は山ほどある。爺さん、手伝ってくれよ」

 

 出て行くカミュ達の背中を見届けたトルドは、目の前に広がる平地の前で腕を天高く伸ばし、老人に振り返った。トルドの言葉を受け、老人は満面の笑みを浮かべる。

 

 二十年以上掛って、自分の夢が叶えられる所まで来ている。

 妻に再び出会うその日に、誇らしく報告できる物。それを創り出す事に、何の躊躇いがいるだろう。

 満面の笑みを浮かべ、頷いた老人の顔はどこまでも晴れやかで、この土地の未来を示すかのようだった。

 

 

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

あの町の商人は彼になりました。
これについても賛否両論があるかと思います。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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