新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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テドンの村①

 

 

 

 カミュは腹部に掛る重みと、肌寒さを感じて目を覚ました。薄く目を空けると、周囲は日の出前なのか、薄暗い。身体を起こそうとするが、何かが腹部に引っかかっていて上手く身体を起こせなかった。

 

「気がついたか?」

 

「……」

 

 不意に掛った声の方向に視線を移すと、そこには斧を肩にかけて座り、こちらに視線を向けている女性が映る。

 見張りをしているのだろう。闇に包まれた平原は考えていたよりも肌寒く、女性は布で身体を覆っていた。

 

「……すまなかった……」

 

「まだ眠っていても良いんだぞ?」

 

 自分の腹部に頭を乗せ、毛布のような物で身体をすっぽりと覆っているメルエを起こさないように注意しながらカミュは起き上った。

 太腿を枕にさせるように座り直したカミュがリーシャに向かって頭を下げる。

 その様子に若干驚いた表情を見せたリーシャではあったが、すぐに柔らかな笑顔を見せた。

 

「……いや、もう大丈夫だ……見張りを交代する。アンタこそ眠ったほうが良い」

 

「ふふ。お前はまた、気を失う程の負傷をしたのだ。今晩の見張りは私がするから、身体をゆっくりと休めろ」

 

 相手を気遣うようなカミュの言葉の真意を理解したリーシャは苦笑を浮かべる。彼は、剣で魔物に敗れ、気まで失ってしまった事を恥じているのだ。

 故に気丈に振舞おうとする。その事が、まるで昔の自分を見ているように感じ、リーシャは苦笑した。

 

「お前の剣もまだまだだな。ダーマ近辺で、『私を超えるのも時間の問題』と話したが、あれは私の過剰評価だったかもしれない。まだまだ私にも遠く及ばないぞ」

 

「くっ」

 

 悔しそうに顔を歪めるカミュに、リーシャは笑いを噛み殺した。

 言葉とは裏腹に、リーシャはカミュの剣の上達の早さに驚いていた。だが、速度は桁違いでも、色々な物を飛ばして急に変化した訳ではない。自分達のこれまでの旅の中で、彼は着実に腕を上げて来たのだ。故に、リーシャの目測に誤りがある訳ではない。

 いつの日か、この悔しそうに顔を歪めている青年に剣の腕は抜かれるだろう。

 

「今回は、メルエの活躍で難を逃れた。後でメルエによく礼を言っておくんだな」

 

「……わかった……」

 

 リーシャの言葉にしっかりと頷いたカミュは、自分の足元で眠るメルエに優しい笑みを浮かべ、その髪を一撫でする。

 そして、もう一度リーシャを見上げ、一つ頭を下げた。

 

「本当に眠ってくれて構わない。随分と休み、俺はこれ以上眠る事はできそうにないからな」

 

「それは、サラに感謝しろ。重ね掛けのように何度も<ベホイミ>を唱えていたからな」

 

 リーシャの言葉に、視線をリーシャの横で丸くなって眠っている人影に向けたカミュは、頷きを返す。満足そうに笑みを浮かべたリーシャは、自分に掛けられていた布を被り、そのまま身体を横たえた。

 

「何かあったら、すぐに起こせ。まだ、お前は一人で無茶が出来る身体ではないんだからな」

 

「……わかった……」

 

 カミュの返答を聞いたリーシャはそのまま瞳を閉じた。

 雲一つない空は、大きな月と数多の星の輝きが満たしている。周囲が木々に囲まれた場所ではない為に、リーシャは火を熾す事をしなかったのだろう。

 

「……ふぅ……」

 

 カミュの吐く息が白くなる程に周囲の気温は低下している。寒そうに身を縮めて眠るメルエに、自分のマントも掛け、カミュは夜空に浮かぶ月を見上げる。

 その胸中にどんな想いが宿っているのか。それはカミュ本人にしか解らない。

 しかし、夜空から四人を照らす月だけは、何もかもを理解しているように優しい光を注いでいた。

 

 

 

 翌朝、メルエが起きるのを待ち、一行は再び北へと歩き出す。周辺は穏やかな平原が続き、空は突き抜けるような青空。

 胸一杯に空気を吸ったメルエが、微笑みながらサラの手を取る。周囲に魔物の気配がない事を確認したサラは、メルエの手を握り、共に歌を口ずさみ始めた。

 

「カミュ、ここからどのくらいの距離なんだ?」

 

「……何度も言うが、俺もアンタと同じように、この土地は初めてなんだが……」

 

「お、お前は地図を持っているだろう!?」

 

 前を歩くカミュへと問いかけるリーシャの言葉は、溜息と共に斬り捨てられる。カミュの手にある地図を指差し、声量を上げるリーシャに、カミュは再び溜息を吐いた。

 『喧嘩を始めた』と感じたメルエが間に入ろうとするが、自分の手を握るサラがくすくす笑っている事を確認し、メルエは首を傾げるのだった。

 

 道中で、何度か<ゴートドン>等の魔物との戦闘を行いながら進む一行は、周囲が完全に闇に包まれ始めた頃、ようやく朽ち果てた門を視界に捉えた。

 暗闇にそびえ立つ大きな門は、黄泉の道へと誘う口のように見え、サラの足は細かく震え出す。この中にサラが想像もできない程の惨劇が広がっている筈なのだ。

 

「カミュ、このまま中に入るのか?」

 

「……まさか、アンタまで霊魂に恐れを抱いているとでも言うのか?」

 

 サラの様子を見て、リーシャはカミュへ伺いを立てるが、それに対する回答は溜息を交えた冷たい回答であった。

 『霊魂』という存在を信じていない訳ではない。その存在を既にリーシャは見ているのだから。そして、それに恐怖を抱く事もない。

 いずれ自分もそうなる事を彼女は知っているのだ。

 

「馬鹿を言え。子供でもあるまいに」

 

「……申し訳ありません……」

 

 カミュの問いかけを、鼻で笑うように返したリーシャの言葉に、サラは申し訳なさそうに言葉を洩らす。ここで、この旅の中で初めてサラは、自分が『霊魂』という存在に恐怖心を抱いている事を口にした。

 

 基本的に彼女は一人だった。

 両親を失った後、神父の温かな愛情を受けて育った。それでも、神父の仕事柄、友人のいない彼女は一人で過ごす事が多かったのだ。

 それは、昼だけではなく、夜も。

 

 夜の闇は人の動物的本能を掻き立てる。それに高揚を覚える者もいるだろうが、基本的には恐怖を抱くのだ。

 何も見えない闇は、一人で過ごす者にとっては恐怖以外の何物でもない。

 もし、この場所に両親を襲った魔物達が現れたとしたら。

 もし、それを自分一人で対処しなければならなかったとしたら。

 そんな猜疑心は、自分の目に見えない物への恐怖に変わって行く。

 闇の中で動く物への恐怖。

 闇の中で響く物音への恐怖。

 そして、サラの中でその恐怖は、神父等の仕事の一つであり、『霊魂昇華』の対象である霊という物に結び付けられた。

 

「い、いや、サラが子供だという訳ではないぞ! カミュ! 変な事を言うな!」

 

「…………リーシャ………言った…………」

 

「……だ、そうだが?」

 

 落ち込むサラの様子を見て、リーシャは責任をカミュへ転嫁しようとするが、その目論見は幼い少女によって妨げられた。

 もしかすると、リーシャの言葉に落ち込んだサラを見て、『虐められた』とでも思ったのかもしれない。サラからすれば、未だにメルエが口にする言葉の方が胸に響いて来る物であるのだが。

 

「ぐっ! い、良いか、サラ。例え、霊魂だろうが、サラの<ニフラム>にかかれば何と言う事もない相手なんだ」

 

「……問答無用で、強制的に消し去るつもりか?」

 

 メルエの視線を受けて、慌てたリーシャの発した言葉に、カミュは大きな溜息を吐き出す。

 リーシャの言った言葉をそのままに受け止めると、カミュの言い分の方が正しい事は明白であった。故に、リーシャは言葉に詰まり、八つ当たり気味にカミュへと鋭い視線を向ける。

 

「う、うるさい! 例えばの話だ! サラには、そういう能力もあるのだと言っているだけだろう!」

 

「……元は僧侶だ……そのやり方は色々と問題があり過ぎると思うが……」

 

 リーシャの反論も、カミュは涼しい顔をして受け流す。その口端は上がり、いつの間にか、いつもの二人のやり取りになっていた。

 カミュの言葉に過剰に反応を返すリーシャ。

 それを軽く受け流すカミュ。

 

「…………ふふ…………」

 

「ふふふ。大丈夫です。行きましょう」

 

 そんな二人のやり取りをメルエは『喧嘩』と受け取らなかった。もはや、それ程にこの二人のやり取りは恒例化しているのだろう。

 いや、メルエにとって、カミュの表情がそれを測る物差しなのかもしれない。メルエの微笑みに、サラも笑顔を浮かべる。

 滅びし村を前にして行うやり取りではないのかもしれない。しかし、そんなやり取りが、色々な想いに張りつめたサラの胸を優しく包み込む。

 

「カミュ! 霊が出て来たら、お前が対処しろよ!」

 

 カミュへと捨て台詞を吐き捨てて、リーシャはテドンの村の門を潜って行く。その後ろを未だに笑みを浮かべるサラとメルエが続き、溜息を吐きながらカミュが最後尾を歩いた。

 

 

 

「え、ええと……これは……?」

 

「カミュ? これは全て霊なのか?」

 

 村の入口を潜った四人は、目の前に広がる光景に固まってしまった。

 先頭を歩いていたリーシャは自分の目の前を通り過ぎる女性。

 サラの耳に入って来る人々の喧騒。

 サラは、予想していた物と掛け離れている光景に口を開けたまま立ち竦む。

 

「……さあな。村を歩いてみれば解る」

 

 呆然と立ち尽くすサラを不思議そうに見上げていたメルエは、リーシャの脇を抜けて村へと歩き出すカミュの横へと駆けて行く。

 もう一度周囲を、目を見開いたまま眺め回したリーシャは、一度大きく息を吐いた後、カミュの後ろを歩き出した。

 

「あっ!? ま、待って下さい!」

 

 慌てて歩き出すサラ。彼ら四人は、滅びし村と呼ばれる小さな村で様々な物を見る。

 村を歩き回る数多くの人々はその序章に過ぎなかった。

 

 

 

「……すみませんが、ここは<テドンの村>でよろしかったでしょうか?」

 

「ええ。ようこそ、テドンへ」

 

 村の入り口付近で薪を割っていた人間にカミュは声をかける。リーシャは厳しい瞳でその人物を見つめ、リーシャの影に隠れるようにサラは顔を出していた。

 振り下ろされた斧によって真っ二つに割れた薪に目を輝かせていたメルエは、その男の答えに目を見開くリーシャ達を不思議そうに見上げる。

 

「……では、ネクロゴンドの麓にある<テドン>で間違いはないのですね?」

 

「??……ええ。『魔王バラモス』はネクロゴンドにいると噂されています。それが原因で、ここまで邪気が漂って来てはいますが、ここがテドンで間違いはありませんよ」

 

「な、なに!? 『魔王』はネクロゴンドにいるのか!?」

 

 再度確認するように口を開いたカミュの言葉の中にあった、<ネクロゴンド>という単語を聞いた男は、あからさまに顔を顰めるが、カミュの言葉を肯定し、一つ頷いた。

 しかし、男が発した内容は、カミュ達三人にとって『寝耳に水』と言っても過言ではない程の物。リーシャが真っ先に反応し、男に詰め寄る。

 

「え、ええ。あくまでも噂ではありますが、そう云われています」

 

「『魔王』の拠点の麓の村……」

 

 リーシャの剣幕に驚きながらも頷いた男は、手に斧をしっかりと握っている。リーシャの剣幕に恐怖に似た感情を抱いたのかもしれない。サラは、男の態度に気付かない程に驚き、この村が滅ぼされた理由を再び考え始める。

 

「麓とは行っても、ここからはネクロゴンドへは行けないぞ」

 

「えっ!?」

 

 薪を割っていた男に詰め寄っていたリーシャに、横から声がかかる。新たに出現した男性にサラは驚きの声を上げた。

 その男は、カミュやリーシャが着込んでいる<鋼鉄の鎧>に身を包み、手にはサラが背中に付けているような<鉄の槍>を握っている。

 おそらく、この村の自警団の一員なのだろう。

 

 <テドン>のような何処の国にも属さない小さな村は、基本的に自分達で村を護っていかなければならない。故に、村を囲む木で出来た囲いは人の背丈の倍近くの高さを誇り、要所要所には、自警団の一員が配備されている。

 自警団である故に、その人間達は他に職業を持ちながら交代制で村を警備していた。

 

「この<テドン>の岬を東に回り、陸沿いに川を登って行くと、左手に火山が見える筈。その火山こそがネクロゴンドへの鍵となると伝えられている。まぁ、余程の強者でもない限り、火口には近づかぬ方が身の為だろうな」

 

「……火山が……?」

 

 カミュですら、男の発言の中身が理解できない。

 火山の火口が鍵になると言われても、想像すらできないのだ。

 カミュ達の最終目的である『魔王』の拠点に目処が立った。

 しかし、その場所を目指す事はカミュ達には出来ない。

 

「……カミュ……」

 

「……なんだ?」

 

 自衛団の兵士に向かって疑問を口にするカミュの後方から小さな声が掛る。カミュが振り向くと、何か言い難そうに眉を顰めるリーシャの姿。

 リーシャらしからぬその姿に、カミュは咄嗟に言葉を返してしまった。

 

「……オルテガ様が……確か、オルテガ様が消息を絶った場所も、ネクロゴンド火山の火口付近ではなかったか?」

 

「!!」

 

 決して忘れていた訳ではない。それでも、カミュもサラもリーシャの言葉を聞いて、驚きの目を向ける。

 リーシャがその事を語ったという事に驚いた訳でもない。今の今まで、『魔王』と『オルテガ』が結び付かなかった自分にサラは驚いていた。

 

「オルテガ様は、どうやって火口へ……」

 

「……どうでも良い事だ……」

 

「何を言っている! オルテガ様は確かに『魔王』の許へと向かっていた証拠ではないか! その足跡を追えば、必然的に私達も『魔王』に近づく筈だ!」

 

 サラの疑問に対する、表情を失くしたままのカミュの返答に、リーシャは嚙付いた。

 彼女にとって、『オルテガ』という英雄は、幼き頃からの憧れの人物である。しかし、今彼女の表情に浮かぶものは、その憧れを侮辱された事への怒りではなかった。

 それは怒鳴るリーシャの表情に明確に表れ、サラだけではなく、メルエですらも理解できる程の物。

 

「お前が……お前が『オルテガ様』にどんな想いを持っているのか解らない……だが、忘れるな。私達の目的は『魔王バラモス』なのだぞ……」

 

「……リーシャさん……」

 

 誰よりも強く、誰よりも優しいこの女性騎士の顔に浮かんでいる物は『哀しみ』。

 アリアハンを出た頃では考えられない表情。

 自分の父親であり、世界の英雄である存在を蔑にするカミュに対して、常に苛立ち、抗議を唱えていたあの女性はここにはいない。

 

「……わかっている……」

 

「わかっていない! いい加減に認めろ! お前がどれ程に憎もうと、あの方はその場所に辿り着こうとしていたのだ! 世界を……いや、自分の妻と、お前という子供が生きる場所を護るために、着実に『魔王』へと向かっていたんだ!」

 

「……リーシャさん……」

 

 自警団の兵は、目の前で突然仲間割れを始めた一行を驚きながら眺めていた。

 それは、単純な仲間割れには見えない。互いを罵る事も、嘲笑う事もない。

 相手を認めているからこそ出る言葉。

 相手を認めているからこそ口を開く事が出来ない沈黙。

 それは、確かな『絆』に見えたのかもしれない。

 

「まぁ、そう興奮するな。『魔王』の城があると言っても、誰も見た者はいない。それに火口に近づいたとしても、その先にどうやって進むのかすら解っていないんだ」

 

 故に、男は微笑を浮かべながら仲裁に入る。そんな男の言葉に、ようやくサラも再起動を始め、カミュとリーシャの間に入ろうと足を出した時、彼女よりも早くに間に滑り込んだ小さな影があった。

 

「…………けんか………だめ…………」

 

「……メルエ……」

 

 バハラタへと黒胡椒を取りに行く前にサラがメルエに依頼した事。

 カミュとリーシャの二人が剣呑な空気にならぬように見張るという使命。それをこの幼き少女は覚えていたのだ。いや、正確には、メルエ自身がカミュとリーシャの争いを見たくはないのかもしれない。

 

「……大丈夫だ……」

 

「そうだぞ、メルエ。私達は喧嘩をしている訳ではない。私達が喧嘩をする時は、訓練でもないのに、互いが己の武器を抜いた時だ」

 

「…………ん…………」

 

 そんなメルエの想いを理解したのか、カミュはメルエの肩に手を置き、リーシャはメルエに優しく微笑んだ。

 リーシャの言葉の中に、何か不穏な物が混じってはいたが、その笑顔に納得したメルエは、小さく頷きを返す。

 

「しかし、アンタ方は、『魔王討伐』に向かっているのか……確かにここ数年、魔物達の邪気は日に日にその凶悪性を増して行っている。特に十年ほど前にアリアハンという国の英雄が命を落としてからは、世界を覆う黒い闇の広がりに拍車がかかったようだ」

 

「……十年前……?」

 

 メルエの様子に表情を緩めたサラは、男が始めた話の一部分に引っかかりを感じ、再度振り返る。それは、アリアハンの英雄と言われたオルテガという人物が命を落とした時系列。サラの中の時系列では、既にオルテガが命を落としてから二十年近くの月日が流れているのだ。

 

「……カミュ……この村は……」

 

「ありがとうございました」

 

 何かを訴えようとするリーシャの視線を無視して、カミュは男へ頭を下げた。リーシャやサラが胸に抱いている想いを理解して尚、カミュはそれを敢えて受け流す事に決めたのだ。

 

「お、おう。アンタ方も『魔王討伐』に向かうのならば、しっかりと装備を整えて行きな。この村は小さいが、なかなかの装備が揃っている筈だ」

 

「ありがとうございます」

 

 お礼を言うカミュに軽く手を振った男は、カミュの後方へと指を向け、武器と防具の看板を下げている建物を示す。その場所も、十年程前に滅びた筈の村にある建物には見えない程に立派な建物であり、もはや驚く事を忘れたように、リーシャとサラは呆然と男の指差す場所を眺めていた。

 

 

 

「いらっしゃい。ゆっくり見て行ってくれ」

 

「……」

 

 もはやリーシャとサラに言葉はない。何の変哲もない武器と防具の店。陳列されている売り物こそ違うが、どの町にも村にも存在する店だった。

 少し大きめの建物の一階部分の全てを店舗としているため、品揃えも豊富である。

 

「……何かこの村ならではの物は……?」

 

「お、おい! まさか、この村で武器や防具を買い揃えるのか!?」

 

 そんな店の佇まいと同様に、いつもと同じ調子で店にある物を物色し始めるカミュに、リーシャは流石に声を掛けざるを得なかった。

 何故なら、この村は<滅びし村>。

 この世界ににあってはならない村なのだ。

 

「……アンタは、この旅で何度も不可思議な現象を目の当たりにして来た筈だ」

 

「そ、それはそうだが……」

 

 しかし、カミュの答えを聞いて、リーシャも言葉に詰まった。

 確かにこの旅に出てから、リーシャやサラは何度も不可思議な現象を目の当たりにして来た。

 

 カザーブの村の墓地に現れる霊魂。

 カザーブの村出身の母娘の霊魂には、一行の命を救われてさえいる。

 エルフの至宝である『夢見るルビー』が一行に見せた光景は、過去の記憶だった。

 砂漠の真ん中にある古代遺跡の中では、地面から死体が蘇り、カミュ達に襲いかかって来た。そして、古代からの呪いとして、イシスの国宝に手を掛けた者は、魔物達を呼び寄せてしまう。

 

 カミュ達の旅は、そんな不可思議な物に日々包まれていた。そして、その不可思議な力がなければ、カミュ達がここまで来る事が出来なかったのもまた事実なのである。

 その証拠に、リーシャが信じて止まない『勇者が引き起こす必然』という物もまた、不可思議な現象の一部であり、リーシャが妹のように想うサラの『転職』という物も同様なのだ。

 

「しかし、この場所で購入した物は、この先も残っているのでしょうか?」

 

「そ、そうだぞ! 夜が明ければ、露のように消え失せてしまうのではないか?」

 

 サラの杞憂も間違いではない。この村に入ってから、その光景に目を奪われ、現実を忘れてはいたが、ここは既に朽ち果てた場所なのだ。その場所で販売している物など、夢幻の如く消えて行くのではないかと考えるのが当然だろう。

 

「おいおい。穏やかじゃないな。俺の売る商品にケチをつけるのかい? ここにある武器や防具が露のように消え失せるなんて、そんな阿呆な事がある訳ないだろう」

 

「あっ!? い、いえ……申し訳ありません」

 

 しかし、そんなサラ達の杞憂は、この村で生きている者達にとっては失礼極まりない話でもある。呆れたような、それでいて静かな怒りを宿す店主の言葉に、サラは申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「し、しかし……この村は、もう十年程前に滅んだのではないのか?」

 

「……おい……」

 

 ここでリーシャは、余りにも直接的な質問をぶつけてしまう。そんなリーシャの考えなしの発言にカミュは溜息と共に言葉を吐き出す。

 店主は、突拍子もないリーシャの問いかけに目を丸くし、手に持っていた武器の手入れ用の布を落としてしまった。

 

「ふぉふぉふぉ。若者よ、何を言っておる。この村が十年以上前に滅んだ? ふぉふぉ。ならば、今、この場所で生きている我々は何だというのじゃ?」

 

 呆然とする店主ではなく、店先にいた老人がリーシャの疑問に答える。歳の功なのか、老人はリーシャの失礼極まりない発言に怒りを見せる事なく、本当に愉快そうに笑いながら、リーシャを窘めた。

 先程から続くリーシャやサラの失礼な発言に、武器屋の店主が怒り出さない為の防止策として、間に入ってくれたのかもしれない。

 

「……供の者が失礼致しました……この者は、少し頭が弱いのです……」

 

「な、なに!? カ、カミュ!」

 

「ぷっ!?」

 

 これ以上、この話題を引っ張る必要性がない事を悟ったカミュが間に入り、老人と店主に頭を下げる。その際に、発した言葉の内容は、以前<ガルナの塔>で僧侶とサラの間に仲裁に入った時と同じような物だった事に、サラは思わず吹き出してしまう。

 しかし、すぐに向けられたリーシャの厳しい視線に、サラは即座に笑いを収めた。

 

「……そうか……それは気の毒にな……」

 

「ぷっ!?」

 

「…………リーシャ………たべる…………?」

 

 本当に気の毒そうに眉を顰める店主の表情を見て、一度収めた笑いが、再びサラを襲った。

 そして、止めの一撃とばかりに、メルエが肩から下げたポシェットの中から出した<かしこさの種>を見て、サラは笑い堪える事を放棄する。

 武器と防具の店内に響き渡る笑い声。それを止める事は何者も出来はしない。

 先程まで深刻な程に緊迫していた空気は、カミュの発した一言と、メルエが起こした行動によって、粉々に砕かれてしまった。

 

「もういい! 勝手にしろ!」

 

 メルエとサラの頭に拳骨を一つ落としたリーシャは捨て台詞を発し、怒りを宿した瞳のまま、店内を物色し始めた。

 拳骨を落とされ、強制的に笑いを止めざるを得なかったサラは、再び小さく苦笑を洩らす。

 

「これなんかどうだ? これは、『魔法の法衣』と言って、この村特産の『絹』を原料に特別な術式を組み込みながら編んだ物だそうだ。この村でも一人しか編めない物だぞ」

 

「……特別な術式……?」

 

 店主がカミュとサラの目の前に出して来た物は、サラが以前に着用していた法衣とは違い、十字を基調にはしているものの、それを前面に押し出してはいない。

 僧侶の特徴と言っても過言ではない青色でもなく、赤茶に近い不思議な色合いをしている法衣であった。

 

「ああ。何でも、魔法の攻撃による熱や冷気に耐性を持たせた物らしい。4400ゴールドだが、その分の価値はあると保証できる代物だよ」

 

 4400ゴールドはなかなかの値段である。バハラタで購入した<鋼鉄の鎧>が2400ゴールドであった事を考えれば、その倍近くの価格でありながら、どこか頼りない生地で出来た法衣は、法外の値段と言っても良い物なのかもしれない。

 

「……カミュ様……」

 

 しかし、サラには何か感じる物があったようだ。

 それは、『賢者』としてなのか、それとも、『僧侶』としてなのかは解らない。

 それでも、サラの瞳に映る光をカミュは敏感に感じ取った。

 

「……魔物の部位を買い取ってくれる所はあるか?」

 

「ん? おお! どんな物があるんだ? 良ければ、うちで買い取るぞ」

 

 溜息を吐き出したカミュがカウンターに置いた革袋の中身を物色し始めた店主の瞳が輝きを増して行く。その中身は、この村周辺に潜む魔物以外にも、トルドを置いて来た大陸周辺の魔物の部位なども多く収められていた。

 カミュに向かって買値を伝える店主の表情を確認するまでもなく、店主の言い値は市場並の物である事は理解できる。

 カミュは一つ頷くと、店主からゴールドを受け取り、その中から4400ゴールドという大金をカウンターへ戻した。

 

「カミュ! この鎧も良い物ではないか?」

 

 試着をするためにサラが中へと入って行った時、今まで不貞腐れたように店内を見渡していたリーシャが声を上げた。

 その瞳は、新しい玩具を与えられたように輝いており、その姿にカミュは盛大な溜息を吐き出す。

 

「それは<魔法の鎧>と呼ばれる鎧だ。まぁ、<魔法の法衣>程の抗魔力がある訳じゃないが、それでも十分だと思うぞ」

 

「カミュ!」

 

 店主の説明に、リーシャの瞳が輝きを増して行く。魔法に憧れを持つ女性だからこそ、その魔法に対抗できる物に興味を示したのかもしれない。

 実際、カミュやリーシャのように、前線に身を乗り出す者達にとって、魔物の使用する呪文は脅威ではあった。そんな二人にとって、抗魔力の高い鎧は喉から手が出る程の物。故に、カミュは溜息を吐きながらも、リーシャに一つ頷いた。

 

「あの鎧はいくらだ?」

 

「あれか? 素材が素材だから、法衣よりも高いぞ。一つ5800ゴールドだな」

 

「な、なに!?」

 

 店主が口にした値段に、リーシャは驚きの声を上げる。5800ゴールドと言えば、カミュとリーシャの着ているそれぞれの<鋼鉄の鎧>と、更には手にしているそれぞれの武器の買い値を合わせた金額よりも上なのだ。

 

「……高いな……」

 

「いくらなんでも、高すぎやしないか?」

 

 カミュが立てかけられている鎧に視線を送り呟いた言葉は、この武器屋の店主を責める物ではなく、正直な感想だったのだろう。それが見てとれたのか、店主は苦笑を浮かべながらリーシャの問いかけに答える為に口を開いた。

 

「まぁ、それなりの値はするさ。かなり希少な効果もあるし、素材自体が特殊な金属らしい。まぁ、うちにも、この鎧は二つしか置いていないからな」

 

「そうなのか……確かに魔法に対しての防御力がある鎧は珍しいからな」

 

 理に適った店主の答えに、リーシャは納得しながらも肩を落とした。

 もし、その鎧をカミュとリーシャの分として購入した場合、11600ゴールド。サラの為に今見立てている<魔法の法衣>を含めると16000ゴールドになる。

 その資金がカミュ達の懐にない訳ではない。しかし、それを吐き出てしまえば、彼らの旅路で予測外の出来事が起きた場合、対処ができなくなる恐れもある。

 しかも、この場所で購入した物が、この先、カミュ達の手元に残っているという保証はどこにもない。

 そんな恐れのある商品を、大金をかけて購入する事など今のカミュ達には難しい内容なのである。

 

「…………ずるい…………」

 

 そして、そんなカミュ達の買い物を許さない人物がもう一人存在した。

 むくれたように頬を膨らませたメルエがじっとカミュ達を睨んでいる。ここまでの旅路で買い物を誰よりも楽しみにしていた少女にとって、自分を置き去りにしたような話の進め方には納得がいかなかったのだ。

 

「い、いや、メルエ。これはな」

 

「…………ずるい…………」

 

 リーシャの言葉にも、鋭い視線を向けたままのメルエは、同じ言葉を繰り返す。そんなメルエに大きな溜息を吐いたカミュは、視線をメルエから店主へと移し、口を開いた。

 

「……この娘に合う物は何かないだろうか……?」

 

「ん?……そうだな……ああ、これなんかどうだ?」

 

 カミュが自分の物を尋ねていると理解したメルエがカミュの足元へと駆け寄って来る。その姿に苦笑を浮かべた店主は、後ろの戸棚から少し小さめな生地を出して来た。

 カウンターに置かれたそれは、とても小さな物で、装備品というよりは装飾品に近い形状をしていた。

 

「……それは……?」

 

「これは<マジカルスカート>というものだ。まぁ、スカートな訳だから、女性以外は身につけはしないが、これも<魔法の法衣>と同じ人間が編んだもので、特別な術式が組み込まれていて、身に付けた者の魔力を多少上げてくれる特性があるらしい」

 

 出された生地を見つめたカミュは、その特性を尋ねる。それに対して返って来た店主の答えに、メルエは目を輝かせるが、カミュとリーシャは眉を顰めた。

 『魔力を上げる』という一言が、彼らに渋い表情を作り出させていたのだ。

 

「これは……駄目じゃないのか……?」

 

「…………むぅ………ずるい…………」

 

 店主に断りを入れようとするリーシャに向かって、メルエは頬を膨らまし、抗議の視線を送る。

 『何故、自分は駄目なのだ?』という視線にリーシャは言葉に詰まり、困ったようにカミュへと視線を送った。

 カミュもリーシャも、今よりもメルエの魔力が上がる事は、パーティーの戦力強化に繋がる事だという事は理解してはいる。しかし、それ以上にメルエの将来を大事に考えている二人だからこそ、これを素直に受け入れる事は出来ないのだ。

 

「…………むぅ…………」

 

「……このスカートをくれ」

 

「おう! ありがとうよ。ここまで揃えてもらったら、サービスしない訳にはいかないな。いいぜ。このスカート込みで、本当は17500ゴールドだが、大サービスで14000ゴールドにするさ」

 

 カミュの言葉を聞いて、メルエは目を輝かせ、店主は喜びと共に自分の好意を示した。しかし、店主のその言葉は、カミュとリーシャに驚きの表情を浮かばせる事になる。

 店主の中では、既に<魔法の鎧>の購入は決定事項になっていたのだ。もし、この場に、カミュも認めたトルドという『商人』がいたのならば、この店主の言葉をそれなりの口実を作って断るなり、何か難癖をつけて値引くなりをしていただろう。

 しかし、カミュとリーシャは所詮『勇者』と『戦士』。そのような商売上の駆け引きが出来る訳がない。

 

「……わかった……それでいい」

 

「カミュ!」

 

 大きな溜息を吐いたカミュは、この大きな賭けに出るしかなかった。

 実際、どの程度の効果があるのか分からない防具を多額のゴールドで購入する。しかも、それは、明日の朝まで持つのかどうかも分かりはしない。

 

「ありがとうよ! じゃあ、全員試着してみてくれ。小さなお嬢ちゃんは、さっきの娘と一緒に中で試着してみてくれ。お!? アンタ方が着ている鎧は下取りさせてもらうぜ」

 

 商談が成立した店主は、てきぱきと事を進めて行く。メルエをサラと同じ試着室へと押し込み、カミュ達に新たな鎧を手渡していった。

 既に形状を保つ事がやっとな<鋼鉄の鎧>を脱いだカミュは、真新しい<魔法の鎧>を身に付ける。そこで、何故、カミュとリーシャが試着室に入れられなかったのかを悟った。

 その鎧は、以前バハラタでメルエが購入した<魔法の盾>と同じように、身に付けた途端、カミュ達の身体に合わせるようにその形状を変化させたのだ。

 

「ん? 問題はなさそうだな。後は、お嬢ちゃん達の寸法合わせだな」

 

 自分の身体に吸い付くように形状を変えた鎧を不思議そうに見つめるリーシャを余所に、店主は奥にある階段を上って、針等の裁縫道具を持って戻って来た。

 試着室を開けた店主は、<魔法の法衣>と<マジカルスカート>を身に付けたサラとメルエの身体を眺めた後、その寸法を詰めて行く。針を器用に使いながら、慣れた手つきで布を抑えた店主は、もう一度それらを脱ぐように指示を出した後、カミュがカウンターに置いたゴールドを数え始めた。

 

「確かに。すぐに出来上がるから、それまでは何もないところではあるが、村の中を散歩でもしていてくれよ」

 

「……ああ……」

 

 店主の提案を受け入れたカミュではあるが、それに納得した様子もない。まず、何もないという以前に、何かがあった方が可笑しな村なのだ。

 散歩をするという時間帯でもない。実際は草木も眠る時刻であることは確か。

 メルエも、今は新たに買い与えられた物に目を輝かせてはいるが、すぐに目を擦り始めるのは目に見えている。

 

「仕方ないだろう」

 

「そうですね。少し村の方々の話をお聞きしましょう」

 

 リーシャと試着室から出てきたばかりのサラの言葉にカミュは頷くしかなかった。

 新たに買い与えられた物に満面の笑みを浮かべるメルエの手を引き、カミュは出口へと歩き始める。

 

 

 

「メルエ、どうした?」

 

 色々な人物に話を聞いたカミュ達ではあるが、この村の自警団の兵から聞いたような目新しい情報はなかった。

 そろそろ武器屋に戻ろうと歩き始めたカミュ達は一軒の建物の前を通り過ぎようとしたが、今まで、リーシャの手を握りながら笑みを浮かべていたメルエが、その建物の木戸の前で立ち止まったのだ。

 

「……ここに何かあるのか……?」

 

「…………」

 

 立ち止まったメルエに近寄ったカミュがメルエに声をかけるが、暫し木戸を無表情で眺めていたメルエは、カミュに視線を移した後、不思議そうに小首を傾げた。そして、またどこか寂しそうに木戸のある部分を見上げる。

 その場所にあるのは、木戸を叩く為に付けられた金具。

 メルエは、閉じられた扉を開く為には木戸を叩かなければならない事をこの旅で学んでいたのかもしれない。

 

「……ふぅ……」

 

 メルエの様子に、一度息を吐き出したカミュは、木戸に取り付けられた金具を手に取った。数度に渡って乾いた音を響かせた木戸だったが、中からは何の反応もない。

 この家が留守なのか、それとも何か他の理由があるのかは分からない。ただ言える事実は、その扉が開かれる事はなかった。

 

「……いないようだな……いくぞ……」

 

「そうだな。武器屋に戻ろう。行こう、メルエ」

 

 戸を叩いて、暫く待ってみても一向に開かない扉に、カミュは踵を返す。それを見て、リーシャはメルエの手を取ろうと手を伸ばすが、いつもならすぐに握り返して来る小さな掌は、この時はなかなかその手を掴もうとはしなかった。

 

「メルエ? 何か気になるのですか?」

 

「…………」

 

 そんなメルエの様子に疑問を口にしたサラに対して返された反応は、先程と同じような物。

 不思議そうに首を傾げ、困ったように眉を顰めるメルエの姿だった。

 メルエにしても、『何故、この扉が気になるのか』、『何故、自分がこの扉を見つめているのか』が解ってはいないのだろう。だが、メルエの中で何かが反応しているのかもしれない。

 

 暫しの間、扉を見上げていたメルエは、何かを諦めたようにリーシャの手を取った。その手を握り返したリーシャは、メルエの感じている想いを理解する事ができず、曖昧な笑顔を返す。

 もう一度小首を傾げたメルエは、前を歩くカミュの後を追って歩き出した。

 

 

 

 武器屋でそれぞれの防具を受け取った一行は、再び村へと歩き出す。着替え終わった直後は、嬉々として喜びを全面に表わし、笑顔を浮かべていたメルエであったが、既に夜が更けている状態では、その笑みも長続きはしなかった。

 しきりに目を擦り始め、眠気を我慢しているメルエの様子に苦笑したリーシャがカミュへと掛けた言葉は、サラを驚愕の崖に突き落とすものだった。

 

「カミュ、もう夜も更けた。今夜はこの村の宿屋で宿をとろう」

 

「えっ!? リ、リーシャさん!? こ、この村がどんな村なのかを忘れてしまったのですか!?」

 

 滅びし村で宿を取る。それがどれ程に異常な事なのか。それをサラは必死にリーシャに伝えようとするが、それは徒労に終わる事となる。

 必死の形相で何かを喚いているサラを不思議そうに見つめているメルエの瞼が何度か落ちて来た。既にメルエは限界なのだろう。

 

「人々も生き生きとしている。防具も買えた。宿ぐらい取る事は可能だろう?」

 

「えぇぇぇ!? 生き生きと……? えっ!? リ、リーシャさんは、何を言っていらっしゃるのですか!?」

 

「……アンタの頭の構造を本気で確認したくなる時があるな」

 

 驚くサラを心底不思議そうに見るリーシャに、サラは本気の疑問をぶつけ、カミュは盛大な溜息と共に、失礼極まりない言葉をこぼした。しかし、そんな二人に返って来たのは、意外な程に冷静なリーシャの言葉だった。

 

「お前達が考えている事も解る。だがな、サラ。考えてもみろ。無念だけを残した人々の霊魂が、このような形で残っていると思うか?」

 

「えっ!?」

 

 リーシャの言葉に、サラだけではなく、カミュまでも呆然とリーシャの顔を見つめる形となる。訳も解らず目を擦りながら舟を漕ぎ出したメルエを抱き抱えたリーシャは、驚きを隠さない二人に言葉を繋げた。

 

「『無念』とは、年月を経る毎に『憎しみ』へと変化して行く。だが、この村はそうではない。自分達が命を落とした事に気が付かないのではなく、認められないのだろう。故に、私達のような旅人を温かく迎え入れる。生前と変わりなくな」

 

「……どういうことですか……?」

 

 リーシャが何気なく話し出した内容は、サラやカミュには辿り着けなかった物。故に、その言葉がサラの胸に残った。

 カミュにしても、まさかリーシャからこのような言葉が出て来ると思わなかったのか、呆然とリーシャの瞳を見つめている。

 

「『無念』が『憎しみ』に変化した霊魂は、魔物と同様に悪意を発するようになる。私達が相手をして来た一部の魔物達のようにな。『魔王』の影響が強ければ強いほど、それは顕著に表れる筈だ」

 

「……なるほどな……」

 

「えっ!? カミュ様は理解できたのですか?」

 

 リーシャの言葉では未だに納得できないサラは、何かを悟ったようなカミュへと視線を動かし、目を見開いた。そんなサラを心外そうに睨むリーシャは、少し咳払いをした後に自分の考えを話し続ける。

 

「つまりだ。『魔王』の城の麓にあると云われているこの村は、今感じる限り、邪気に包まれているという訳ではない。それが、何故なのかは私には解らない。何か特別な力に護られているのか。それとも、この村の住民の心が澄んでいるのか」

 

「……アンタにしては、至極まともな考えだな……」

 

 リーシャの考えを聞いたカミュは、口端を上げながら一つ頷きを返す。そんなカミュの言葉に『むっ』と表情を歪めたリーシャではあったが、サラの方を向き、もう一度口を開いた。

 

「だからな。この村で宿を取ったとしても、私達に害はないだろうと考えたんだ。この夜の間だけなのかもしれない。それでも、宿屋で湯浴みをし、身体を横たえる事が出来るのであれば、そうした方が私達にとって良いものだろう?」

 

「……はい……」

 

 リーシャの言葉は尤もな物。それはサラも理解できた。

 船を下りて、野営を何度か張った彼らの疲労は、目に見えはしないが、かなり蓄積されているのは事実。だからこそ、身体を休める重要性をリーシャは説いているのだ。

 これには、サラも反論はできなかった。既にメルエはリーシャの腕の中で寝息を立て始めている。もはや、一行はこの村を動く事はできない。

 どれ程サラが嫌がっても、どれ程恐怖を抱いていても。

 

「……うぅぅ……」

 

「諦めるんだな。文句なら、この村を訪れる事を決めた自分に言え」

 

 カミュの尤もな忠告に、サラは悔しそうに唇を噛んだ。そんなサラに笑みを浮かべたリーシャは、メルエを抱いたまま、カミュの前を歩き出す。目指すは宿屋。サラからすれば、既にこの世で生きてはいない者が経営する宿。

 

 

 

 宿屋はどこにでもある普通の宿屋だった。

 人の良さそうな主人がカウンターに立ち、旅人であるカミュ達に笑顔を向けている。カミュ達に二部屋を用意し、湯浴みの為に湯を張ってもくれた。

 夜が更けていた事から食事の用意こそなかったが、眠ってしまったメルエを起こし、リーシャがメルエを湯浴みに連れて行く。それを茫然と眺めていたサラであったが、後ろから掛った『アンタはこの後、一人で湯浴みに行くのか?』というカミュの言葉に、悲鳴を上げながらリーシャの後を追って行った。

 

 宿屋の入り口もそうだったが、部屋に入った一行は、驚きを浮かべた。

 部屋の中は、奇麗に整頓されており、ベッドも整えられている。部屋に飾られた花は瑞々しく咲き、壁に掛けられた絵も色鮮やかに部屋を彩っていた。

 どこか釈然としない思いを浮かべながらも、サラは早々にベッドに入り、恐怖によって高まっている鼓動を押さえつけるように目を瞑り眠りについた。

  既にメルエはリーシャの横で静かな寝息を立てている。サラの様子と、メルエの安らかな寝顔に笑みを浮かべたリーシャも瞳を閉じて疲れた身体の欲求に身を任せた。

 

 

 

 

 

「リ、リー……リー……シャ……さん!」

 

 翌朝、まだ太陽が地平線から顔を出したばかりの頃、リーシャは自身の身体を揺らす振動と、か細く震えながら自分の名を叫ぶ声に目を開いた。

 

「ん?……何だ、サラ……」

 

 まだ辺りは薄暗く、陽の光が宿屋にも掛ったばかりである。鍛錬の時間には早すぎるのだ。

 隣で眠るメルエを起こさないように、ゆっくりと身体を起こしたリーシャは、目の前で真っ青な顔で自分を見つめるサラを見つめる。

 

「あ、あの…あの……」

 

「落ち着け。何がどうした?」

 

 身体を起こし、目線をサラに合わせたリーシャの問いかけに答えるサラの言葉は要領を得ない。何度も唇を震わせながら、同じ言葉を繰り返す。サラの肩に手を掛けたリーシャは、サラの瞳を見つめ、落ち着きを取り戻させようとするが、サラの瞳は右に左にと揺れ動いていた。

 

「ふぅ……ああ、なるほどな……」

 

「これ…これ…これは……」

 

 要領を得ないサラを諦め、リーシャは周囲に視線を送り、サラの豹変の原因を理解した。

 リーシャの視線の先は、昨晩泊まった宿屋の一室には変わりはないのだが、その光景は一変していたのだ。

 リーシャのベッドの周囲は埃にまみれ、壁に掛けられていた絵画はズタズタに切り裂かれている。窓に掛けられたカーテンは朽ち果てて落ち、壁には蜘蛛が大きな巣を張っていた。

 

「サラは理解していた筈じゃなかったのか?」

 

「で、です…ですが……」

 

 歯と歯が噛み合わないサラを見つめ、リーシャは再び大きな溜息を吐き出す。

 この村は既に滅びているという事は理解していた筈。ならば、この光景に驚く要因など、リーシャにしてみれば何一つないのだ。

 

「昨晩のこの村がどうやって動いていたのかは解らない。それこそ、サラの領分の話だぞ?」

 

 リーシャは、サラに声をかけながら、ベッドを降りて身支度を始めた。

 未だに寝間着姿のサラは、そんなリーシャを目で追いながらわたわたと動き回るだけ。その内、周囲の喧騒にメルエが身動ぎを始めた。

 

「しかし、この鎧は消えなかったのだな……」

 

「えっ!? あ! わ、わたしの法衣もそのままです!」

 

 身支度をしていたリーシャが、昨晩この村で購入した鎧を掲げて発した言葉に、ようやくサラが通常起動を始める。リーシャの言葉通り、昨晩購入した<魔法の鎧>は、受け取った時のままの輝きを保っていた。

 

「メルエ、起きたら着替えよう。カミュを起こしに行くぞ」

 

「…………ん…………」

 

 鎧を装備し終えたリーシャは、眠そうに目を擦るメルエに声をかける。半分眠ったままのメルエは、小さく頷いた後、身体をゆっくりと起き上がらせた。

 

「ちょ、ちょっと待って下さい! わ、わたしもすぐに着替えますから!」

 

「……メルエ、昨日購入したスカートを履くのを忘れるなよ」

 

「…………ん…………」

 

 慌てて自らの寝間着を脱ぎ始めるサラに溜息を吐き出したリーシャは、昨晩脱いだ服を、未だにぼうっとしているメルエの横に置いた。

 『昨晩購入した』という言葉に反応を返したメルエは、新しく買い与えられた物を思い出し、勢い良く瞼を開ける。

 

 そんな三人の喧騒が響く廃墟となった一室に突然ノックの音が響き渡った。

 咄嗟に武器を身構えるリーシャ。

 『ひぃ!』と奇妙な叫び声を上げ、脱いでいた寝間着を抱き締めるサラ。

 そんな二人を、スカートを履き終えたメルエは不思議そうに見つめていた。

 

「…………カミュ…………」

 

「……ああ……その様子だと起きているようだな。村を見て回る。着替えたら下に降りて来てくれ」

 

「わかった。すぐに行く」

 

 メルエの声をドア越しに聞いたカミュの声に、リーシャは声を返す。カミュの返答はなかったが、下へと続く階段を下りて行った音が響いた為、一階でリーシャ達の事を待つつもりなのだろう。

 既に着替えを終えたリーシャとメルエが立ち上がり、ドアに向かって歩き出すのを、涙目で必死に留め、慌てて着替えを続けるサラに、リーシャばかりか、メルエですら困惑の表情を浮かべていた。

 

 

 

「待たせたな。カミュ、どこへ向かうんだ?」

 

「とりあえずは、一通り回ってみる」

 

 サラの着替えを待ち、リーシャ達が下の降りた時、カミュは宿屋の隅々を注意深く観察していた。

 蜘蛛の巣があらゆる場所に張り巡らされ、食堂のテーブルには埃が溜まっている。

 壁の所々に穴が空き、一部分は完全に崩れ、外が丸見えになっている。

 窓のガラスは割れ、既に窓の役目を果してはいない。

 昨晩リーシャ達が湯浴みした場所は埃と泥に塗れ、昨晩の様相を微塵も感じられない物となっていた。

 

「これが……昨日の夜と同じ村なのか?」

 

「……あ……ああ……」

 

そして、外に出た一行は、そこに広がる光景に愕然とした。リーシャは唖然としたまま立ち尽くし、サラは既に言葉を発する余裕すらない。カミュは眉を顰めて周囲を見渡し、メルエはカミュのマントの中へと逃げ込んだ。

 

「……酷いな……」

 

 カミュですらそう呟いてしまう程に、この村の景色は様変わりしていたのだ。

 昨晩は何戸も立ち並んでいた家々は、形を残している物の数の方が少なかった。

 壁は崩れ、屋根は落ち、ほとんどの家屋は倒壊しているし、村の東にあった泉の水は濁り、異臭を放つ毒沼と化していた。

 

 一行は、それぞれ複雑な想いを抱きながら、昨晩の喧騒が嘘のように静まり返った<テドンの村>を歩き始める。

 昨晩には、斧を握って薪を切っていた男がいた場所は、倒壊した家屋の下敷きになり、無残な姿を晒していた。

 昨晩、自衛団の兵士と話した場所近くにあった教会は、ルビス像であったであろう木像が粉々になって散らばり、教会であった事を物語る十字の紋章が入った屋根が転がっている。

 

「メルエ?」

 

 吐き気すら感じる程の村の惨状に胸を痛めていたサラは、突然カミュのマントの中から飛び出したメルエを見て、声を掛けた。

 マントから出たメルエは、昨晩眺めていた木戸があった場所に再び立ち尽くし、崩れかけた家屋を眺める。その場所にあった家屋は、原型こそ留めている物の、木戸は既になく、外から見える中の様子は、中に入る気をも失う程の物だった。

 

「……カミュ……」

 

「ここにいてくれ」

 

 リーシャの視線に軽く頷いたカミュは、リーシャ達を残し、中へと入って行く。何かを言いたそうにカミュを見上げるメルエの頭に手を乗せて中へと入って行くカミュの背を、三人はただ見送る事しか出来なかった。

 

 中に入ったカミュは、その光景に眉を顰める。そこは、家屋であった事を想像する方が難しい程に荒れ果てていた。

 テーブルや椅子であった木材が散らばり、カーテン等の生地はズタズタに斬り裂かれ、まるでこの狭い場所で戦闘があったかの様な惨状である。

 それを証明するように、壁には既に黒ずんだ染みのような物が塗り付けられており、それが血液のような体液である事は容易に想像できる物だった。

 

「……これは……」

 

 隅々まで目を向けていたカミュは、壁のある一部に染み込んだ、黒ずんだ物へと目を向ける。それはこの世界に広まる文字に似たような物だったのだ。

 壁の殆どが崩れ、朝陽が四方八方から入り込んだ家屋の中では、それを読む事は容易な事だった。

 

「……」

 

 その文字を読んだカミュは、一度顔を歪めた後、もはや用はないとばかりに立ち上がる。

 そのまま表へと出たカミュは、自分を心配そうに見上げるメルエの頭をもう一度優しく撫でた。気持ち良さそうにカミュの手を頭に受けていたメルエは、手が離れると帽子を被り直し、再びカミュのマントの中へと潜り込む。

 

「カミュ、何かあったのか?」

 

「……いや、試したい事が出来ただけだ……」

 

「試したい事?」

 

 歩き出したカミュの答えに、サラは首を傾げる。カミュがリーシャの問いかけに対し、直接的な答えを返さない事は今に始まった事ではない。しかし、ここまで理解の難しい答えも珍しいのだ。

 

「とりあえず、一通り村を歩いてみる」

 

「あ、ああ」

 

 リーシャとサラの疑問に対し、カミュは答える気は無いようだった。メルエを伴ったまま歩き出すカミュに、リーシャは曖昧な返答をする以外なかった。

 

 

 

「ここも、酷いですね」

 

「ああ」

 

 最後に訪れた場所は、今、一行が身に付けている防具を購入した場所。ここも、武器と防具の店であった原型は留めている物の、既に壁は崩れ、天井は抜けていた。

 抜けた天井部分が、一階に落ちており、武器や防具が立ち並んでいた場所は瓦礫に埋もれていた。

 

「……上に上がるぞ……」

 

 表情を歪めて瓦礫を見ていたリーシャとサラに一声かけ、カミュはカウンターの向こう側にある階段を昇り始めた。

 そこは、この店の主人の居住区なのだろう。しかし、家主がいない以上、そこに入る者を咎める者はいない。

 

「……あ…あ……」

 

 階段を上り終え、二階部分を見たサラの視界は、無意識に滲んで行った。人が住んでいたという事さえ感じさせない程に荒らし尽くされ、血痕のような染みが壁中に飛び散っている。

 

「……何故、ここまで……」

 

 リーシャもその光景に口元を押さえた。そうしなければ、涙が零れてしまいそうだったのだ。

 壁の近くには、既に色も変わり果てた人骨のような物が散乱している。おそらく、それは、昨晩カミュ達に人の良い笑顔を向けながら防具を売ってくれた主人の物なのだろう。

 それ以外の場所にも人骨のような物が落ちている事から、店主の家族の物である事も想像できた。

 

「…………はこ…………」

 

「メルエ! 遺品に手を掛けては駄目だと教えただろう!」

 

 止めどなく溢れる感情を抑える事に必死だったリーシャは、カミュのマントから顔を出し、見付けた木箱に近寄ろうとするメルエに声を荒げてしまった。

 びくりと身体を震わせたメルエが涙目でリーシャを見つめ、再びカミュのマントの中に潜り込む。そのメルエの姿を見て、リーシャは激しく後悔するのだ。

 

「……開けてみるぞ……」

 

 メルエをマントの中に匿ったカミュは、木箱へと近づき、リーシャへと振り返った後、その木箱に手を掛けた。

 ゆっくりと開かれる小さな木箱の中身を見ようと、マントから首を出したメルエの頭を優しく撫で、リーシャもカミュの後ろから木箱を覗き込む。

 

「ラ、ランプですか?」

 

 同じように木箱を覗き込んだサラは、その木箱の中に入っていた予想外の物に驚きの声を上げた。

 サラの言葉通り、木箱の中に入っていたのは古ぼけた小さなランプ。しかし、カミュはそのランプにではなく、今開けた木箱に視線を落としていた。

 

「どうした?」

 

 ランプを取り出すのではなく、木箱を持ち上げ、その側面を見ていたカミュを、リーシャは不思議に思い、声を掛けた。

 リーシャの声を無視するかのように、カミュはその木箱を暫しの間眺めた後、木箱を持ち上げ、リーシャの目の前に突き出す。

 

「……これに見覚えはないか……?」

 

「ん?……なんだ?……何かの紋章か?」

 

「あっ!?」

 

 尋ねるカミュの意図を理解する事ができず、リーシャは首を傾げる。しかし、カミュが持ち上げた木箱に記された刻印を見て、サラは声を上げた。

 以前に見たことのある紋章。

 それは、ほんの数ヶ月前にサラが初めて目にし、そして今や自分達が世界を渡る為に乗る船の側面にも記された紋章。

 

「……ポルトガの国章……」

 

「ど、どういうことだ?」

 

「……日付と共に押されている。おそらく、貿易によって船出した物だろう……」

 

 国の紋章と共に日付が記されており、それはカミュの予想通り、船出の日付か、ポルトガの出国許可が下りた日付なのだろう。

 カミュの考えが正しいとすれば、この武器屋の主人は、この国の特産や武器や防具を乗せ、ポルトガへと向かい、そこで商売を行った後、ポルトガで見つけたこのランプを購入して来たのだろう。

 

「しかし、貿易で得たにしては、古ぼけたランプだな」

 

「私達には解りませんが、何か希少な骨董品なのかもしれませんね」

 

 ランプを手に取ったリーシャは、そのランプをまじまじと眺めた後、横で見ていたサラへと手渡した。

 何か伝承などがあるのかもしれないと隅々まで見ていたサラだが、結局、『商人』ではない彼女にはその物の価値を確かめる事はできなかった。

 

「…………でる…………」

 

「ん?……そうだな。下へ降りよう」

 

「えっ!? このランプも持って行くのですか?」

 

 何かに耐えられないように顔を歪ませていたメルエの言葉を聞き、リーシャはメルエを抱きかかえ、下へと続く階段を下りて行く。手に持ったランプを置いて行くかどうかを悩んでいたサラは、その答えを隣にいるカミュへと求めた。

 

「……ここに置いていても仕方がない……ランプがあるのなら、この先の旅にも役立つだろう」

 

「……そうですか……」

 

 サラからランプを受け取ったカミュは、そのまま木箱の中へと仕舞い、リーシャの後を追うように階段を下りて行く。どこか釈然としない想いを持ちながらも、一人になる事を恐れたサラは、慌ててカミュを追って駆け出した。

 

 

 

「しかし、カミュ。あのランプを持って行く事は良いが、あのような古ぼけたランプで大丈夫か?」

 

 外に出た一行は、村の探索を終え、出口付近に近付いていた。そこで、先頭を歩くカミュにリーシャが先程から感じていた疑問を口にする。確かに、かなりの年代物に見えるランプに火が灯るのかどうかはリーシャでなくとも不安に思う事。

 実際、ランプの中に油が入っていたとしても、この村が滅びて十年以上放置されてきた物なのだ。

 

「……火を入れる時にでも解るだろう……」

 

「いざ火を入れてみて、点かなかったでは、持って行くだけ無駄だろう」

 

 カミュの言葉に返したリーシャの言い分は尤もな物だった。サラは、死者の持ち物を勝手に持ち出すことに抵抗を感じていたため、一も二もなく、リーシャの提案に賛同した。

 

「……わかった」

 

 一度大きな溜息を吐いた後、周囲に落ちている枯れ木を拾い集め、火を熾し始める。太陽が真上に位置する場所にある時間帯に火を熾す事自体珍しい事なのだが、リーシャとサラは、カミュの行動をただじっと見つめていた。

 

「メルエ、危ないからこっちにおいで」

 

「…………ん…………」

 

 カミュのしている事を興味深そうに見ていたメルエを呼び寄せたリーシャは、煙が出始めた枯れ木の一本を取り上げたカミュの片方の手にあるランプを見つめる。

 赤々と燻る枯れ木を、蓋を開けたランプに差し込んだ時、一行は再び不可思議な現象を目の当たりにするのだ。

 

 火が灯る筈のランプの中身は、赤い炎ではなく、真黒な闇が広がり始める。驚き目を見開くサラの視界は瞬時の内に暗い闇に支配されて行った。

 ランプに灯った暗闇は、ランプを飛び出し、周囲に染み渡って行く。そして、辺りを夜に染めて行った。

 

「ようこそ、テドンの村へ」

 

「……カミュ……私は夢でも見ているのか……?」

 

 夜の闇に支配された<テドンの村>は、先程までの光景とは掛け離れた賑わいを見せていた。昨晩と同じように、人々は生き生きと動き回り、その表情には笑顔さえ浮かんでいる。

 それは、リーシャの言うように、夢でも見ているかのような不可思議な光景だった。

 

「……ふぅ……」

 

「……カミュ様……そのランプは……」

 

 目の前に広がる光景に、カミュも驚きを感じてはいたが、リーシャの驚愕ぶりを見て、逆に冷静になってしまっていた。

 正直、この村に関しては、今更何が起きようと、驚くに値する物などないのだ。

 

「……さぁな……いずれトルドにでも尋ねてみるさ」

 

 サラの問いかけに素気ない答えを返したカミュは、そのまま真っ直ぐ歩き出す。

 真上に昇っていた筈の太陽が消え失せ、夜の闇が支配する村に変わった事だけでも驚きなのにも拘わらず、歩き出したカミュに向かって声をかける村の人々の姿を見て、リーシャは言葉を失っていた。

 

 何故なら、この村の住民は、確かにカミュ達を覚えていたのだ。昨晩をこの村で過ごし、朝を迎えたカミュ達ではあるが、朝にはこの村は滅びた時の姿に戻っていた。それにも拘らず、再び夜に戻ると、昨晩の事を覚えている。

 それは、この村が夜の間だけ時間が経過している事を示しているのだ。

 

「……サラ……すまない。もう、私では理解する事など不可能なようだ」

 

「い、いえ……リーシャさんだけではありませんよ」

 

 匙を投げるように、考える事を放棄したリーシャを見て、サラは自分も同じ思いである事を伝える。茫然と村を眺める二人を置いて、カミュは既に目的地へと辿り着いていた。その事に気がついたサラは、未だに村を眺めているリーシャの手を引き、カミュの下へと駆け寄って行く。

 

「……メルエ……」

 

「…………ん…………」

 

 カミュが辿り着いた場所は、昨晩木戸が開く事はなかった場所。そして、朝はカミュ一人が中へと入って行った家屋だった。

 カミュから掛けられた声に、メルエは肩から下げたポシェットに手を入れ、小さな鍵を取り出した。それは、イシスの国宝とも謳われた物であり、『開かぬ扉はない』とまで云われた<魔法のカギ>。

 

「カミュ様、何を……」

 

 カミュの行動を咎めるようなサラの言葉を無視し、カミュは<魔法のカギ>を鍵穴へと差し込んだ。

 メルエはカミュの足下から木戸を見上げている。その瞳には、気付かない程の小さな『期待』と『不安』が入り混じっていた。

 

「……開きはしないか……」

 

「えっ!? <魔法のカギ>でも開かないのですか?」

 

 カミュの予想外の言葉に、先程までカミュの行動を咎めようとしていたサラでさえ、奇妙な事を口にしてしまう。今までの旅で、<魔法のカギ>が開けられない扉などなかった。

 開錠の術式が組み込まれ、魔法の力で扉を開くと云われているカギでも開かない扉。

 それは、サラの許容範囲を大きく超えていた。

 

「……扉自体に強力な力が掛けられているのか……それとも……」

 

「強力な力だと?……こんな辺鄙な村にか?」

 

 手に持つ<魔法のカギ>を見つめながら呟いたカミュの言葉に、リーシャは頭に浮かんだ疑問を口にしてしまう。リーシャの発した内容に、サラは慌てて周囲を見渡してしまった。

 

「さぁな。いずれにしろ、今の段階で、この木戸を開ける事は不可能だ。そうだとすれば、もう、この村に用はない」

 

「……カミュ様の試したい事とはこれだったのですか……?」

 

 サラの問いかけに、カミュは一つ頷きを返す。カミュが、昼間にこの建物内で何を見たかは語られる事はなかった。それでも、カミュが夜にこの建物の中に入る必要性を感じた事は事実。

 そして、それが現段階では不可能である事もまた事実なのだった。

 

「お主達が、『魔王討伐』に出ている者達か?」

 

「!!!」

 

 三人が、開かずの扉の前で佇んでいると、不意に後方から声が掛かる。慌てて振り向いた三人の視線の先には、年老いた一人の老人が杖を付いて立っていた。

 老人の表情はとても柔らかく、カミュ達を眺める瞳は優しさに満ちている。

 

「驚かせてしまったかな?」

 

「……いえ……申し訳ございません」

 

 老人の問いかけに仮面を被ったカミュは、丁寧に頭を下げる。『そうか』と一つ頷いた老人は、リーシャ達を眺めた後、再び口を開いた。

 まるで、この場所へカミュ達が来訪する事を待っていたかのようなその口ぶりは、彼らの旅の道標となる

 

「お主達のような若者こそ、これからの時代を作りし者。『勇者』殿、良いですかな? 『魔王』の下へ行くのならば、まずはどんな扉をも開く事が出来ると云われる<最後のカギ>を見つけられよ」

 

「……最後のカギ……?」

 

 カミュを『勇者』と認めて尚、忠告のように語る老人の言葉は、カミュ達の胸に刻み込まれる。その話の一部分に出て来た名前に、一行は首を傾げた。

 

「ふむ。<最後のカギ>とは、神が作りし物と伝えられておる。世界中のどんな鍵も開けてしまう程の力を有しておるとの事。その鍵の力を危惧したルビス様の手によって、封印されてしまったと語り継がれておる」

 

「そんな物が……」

 

 ルビスという名に反応を示したサラは、それ程強大な力を持つ物がこの世界に存在していた事に驚きを表した。リーシャも同様に、初めて聞く名と、その効力に驚き、ただ老人を眺めることしか出来ない。

 唯一人、カミュだけは老人を訝しげに眺めていた。

 

「バハラタの遥か南の島にある<ランシール>に向かいなされ。そこに<最後のカギ>に纏わる伝承が伝えられていると聞く」

 

「……分かりました……ありがとうございます」

 

 カミュが丁寧に頭を下げるのを見て、老人は満足そうに頷く。そして、『勇者殿の歩む道に幸あれ』という言葉を残し、老人は去って行った。

 残された一行は、お互いの顔を見て、同時に頷き合う。

 次の目的地は決まった。

 突如として舞い降りた情報。

 それが老人の好意であれ、何かの罠であれ、元々カミュ達に選択肢などない。

 

「……カミュ……」

 

「……ああ……いずれ、この村に再び戻る時が来る」

 

「えっ!? ま、またここを訪れるのですか?」

 

 リーシャとカミュの考えは噛み合っていたが、一人それを望まぬ人間がいる。それは、何も霊魂を恐れているという理由からだけではない。昼間の凄惨な姿を見たサラは、自身の中で渦巻く想いを抑える事に必死だったのだ。

 

 魔物に襲われた人の暮らす村。

 その姿は、サラの想像を遙かに超える程の惨状だった。

 『やはり、魔物と人が共存する事は不可能ではないか?』

 『やはり、魔物は悪なのではないか?』

 そんな想いがサラの頭の中に浮かんでは消えて行く。

 

「サラは、この村が滅びた理由を知らなければならない筈だ。その事から目を背ける事は、許されないのではないか?」

 

「……はい……」

 

 リーシャの言葉は厳しい。

 『何故、この村が襲われたのか?』

 『何故、このような小さな村でなくてはならなかったのか?』

 それを知らないことには、サラは答えを導き出す事は出来ない。

 いや、それを知らない以上、導き出してはいけないのだ。

 

「よし。さあ、行こう」

 

 弱々しい声ながらも、しっかりと頷いたサラに笑顔を向け、リーシャがその背中を押した。

 出口へと向かって歩き出した一行は、夜の闇に響く村の喧騒を振り返る事なく、村を後にする。

 

 今日もまた、滅びし村の時は進む。

 滅びた時のままに、村の時を凍らせながら。

 いつしか、時の呪いが解かれるその日を待ち望むように。

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

今までで最長の話です。
これも、区切りが難しく、このような形になりました。
読み辛く感じられたとしたら、申し訳ありません。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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