新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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第八章
~幕間~【テドン近郊海域】


 

 

 

 一行は夜の闇に紛れて<テドンの村>を出た。振り返ると、滅び去った村にも拘わらず、所々に明かりが漏れている。これでは、周囲の人間が恐れて近づかないのも理解できるというものだ。

 

 船までの道程を歩く中、四人は無言を貫いていた。お互いにかける言葉が見つからないのだ。

 先程の不可思議なランプが造り出した闇は、テドンの村だけではなく、世界全体を闇で覆っている。村を出てしばらく歩き続けても、空には大きな月が輝き、星々が煌いている事からそれが理解できた。

 いつもなら、目を擦りながら眠気を我慢している時間帯にも拘らず、メルエもリーシャの手を握りながら黙々と歩を進めている。あの村は、メルエの心にも何かを落としたのかもしれない。

 それが何なのか。そして、どのような影響を与える物なのかは解らない。ただ、それぞれの胸に、それぞれの想いを抱かせた事だけは確かであった。

 

「カミュ……魔物だ……」

 

「……ああ……」

 

 それでも、心を覆う複雑な想いと、鋭敏な感覚は別物である。メルエの手を離し、背中の<鉄の斧>を手に取ったリーシャが、前方のカミュへと声をかけた。

 既に魔物が生み出す空気の変化を感じていたカミュが立ち止まり、同じく背中から<鋼鉄の剣>を抜き放った。

 

「メルエ。こちらに」

 

「…………ん…………」

 

 自分の後方にメルエを呼び寄せたサラがいつでも行動できるように、背中へと手を伸ばしながら周囲を警戒し始める。メルエも<魔道士の杖>を握り、少し上空を見上げるように警戒感を露にした。

 

「えっ? メルエ、上ですか? カミュ様!」

 

「くそ!」

 

 メルエの視線に気付いたサラが、前方を警戒していたカミュへと声を投げかけたのと、カミュの目の前に何かが着弾するのは、ほぼ同時だった。

 

「呪文を使う魔物か!?」

 

「…………ベギラマ…………?」

 

 カミュの前に着弾した閃光は、派手な破裂音を響かせ、周囲を炎の海に変えて行く。間一髪で身を引いたカミュであるが、熱風の余波に巻き込まれ、剣を持つ腕と、顔の一部分に火傷を負っていた。

 急いでカミュを下がらせたリーシャは、サラにカミュの回復を指示し、上空を見上げる。木々が生い茂る森なども近くに無い為、視界は開けている。

 リーシャの視線の先には、人型の魔物が二体。しかも、翼などはどこにも備えていないにも拘らず、その魔物は空中を飛んでいた。

 

「何だあれは!?」

 

 人型である以上、魔物というよりは魔族に近い存在なのだろう。カミュ達の上空を飛び回り、ある一定の距離を置いている。

 部屋を掃除する竹箒のような物に跨り、一行を見下ろし、そして、虎視眈眈と先程カミュ目掛けて唱えた<ベギラマ>を行使する機会を伺っていた。

 

<魔女>

魔族の中でも、呪文を使う事を得意とする者。それは、老婆のような姿形をしてはいるが、『人』とは違い、年齢を重ねた為の姿形ではないのかもしれない。『人』の中にいる『魔法使い』と同様に、呪文に重きを置いているため、武器を取っての打撃などは然したる脅威ではない。しかし、魔族が使用する強力な魔法は健在であり、まるで、その威力を試すかのように、人々に襲いかかる。

 

「メルエ、魔法の準備だ!」

 

 リーシャの指示を受け、一つ頷いたメルエは、上空を旋回する<魔女>目掛けて杖を掲げた。しかし、その杖は、カミュの治療を終えた『賢者』によって下げられてしまう。

 

「待って下さい。この現状では、メルエの攻撃魔法も最大の効力を発揮する事は出来ません。何とかあの魔物達を近づけなければ」

 

「……どうするつもりだ……?」

 

 上空を見上げたまま口を開くサラの考えに、治癒を終えたカミュが声を掛ける。カミュにしても、リーシャにしてもサラの考える作戦に異を唱えるつもりはない。その作戦の中で自分達が出来る役目を全うするために問いかけているのだ。

 

「テドンで購入したスカートを履いたメルエならば、もしかすると魔族が唱える<ベギラマ>も<ヒャダルコ>で押し返せるかもしれません。私達も幸い魔法に耐性のある防具を購入しています」

 

「……ああ……それなら、アンタの出番だな」

 

「なに!? 私か!?」

 

 サラの話す内容に、カミュは何か思い当たったのか、リーシャの方へと視線を移した。

 突然自分に話を振られたリーシャは驚き戸惑う。彼女の中では、サラの作戦が全く理解できないのだ。

 

「一瞬で良いです。ほんの少しだけでも、あの魔物の高度を下げてください」

 

「……斧でも投げつけたらどうだ……?」

 

「なに!?」

 

 <魔女>の高度を下げた後、サラが何を考えているのか、リーシャには全く想像できない。しかも、口端を上げたまま洩らすカミュの言葉は、どう考えてもからかいの言葉に聞こえてしまうのだ。

 

「でも、それしか方法はないのかもしれません……方法はお任せします。何とかあの魔物の高度を下げてください」

 

「……わかった」

 

 カミュは別にしても、サラの言葉が真剣な想いを乗せていることに気付いたリーシャは、表情を引き締め、一つ頷きを返した。

 その時、再び上空を旋回する<魔女>から光弾が降り注いで来る。一行が固まっている事を確認した<魔女>が再び<ベギラマ>を放ったのだ。

 

「メルエ!」

 

「…………ヒャダルコ…………」

 

 サラの声に反応したメルエが、大きく杖を振るう。熱気を撒き散らしながら落ちて来る光弾がメルエの杖から発した冷気とぶつかり合い、大きな破裂音を響かせた。

 魔族の中でも『魔法』に重きを置く者の作り出す灼熱呪文は、『人』の中でも逸脱した『魔法使い』の生み出す氷結呪文と衝突し、上空で激しく優劣を争う。

 

「リーシャさん!」

 

「おう!」

 

 上空で激しくぶつかり合う、対立する魔法を見上げたサラは、自分の隣にいる女性戦士へと声をかける。サラの言葉に力強い答えを返したリーシャは、横にいるカミュへと目配せをし、頷き合った。

 カミュとリーシャの利き腕には、拳大ほどの大きな石。大きく振り被ったカミュとリーシャは、そのまま渾身の力を込めて、上空を旋回する二体の<魔女>に向かって石を投げつけた。

 

「!!」

 

 『人』である筈の者が行使した魔法によって、自身の唱えた<ベギラマ>が相殺され、今まさに圧し返されそうになっている事実に茫然としていた二体の<魔女>は、下から凄まじい速度で襲いかかって来る暴力に反応する事が一歩遅れてしまう。

 

 一体は箒を持つ腕に石が直撃し、一体は箒を跨る腰の部分に凄まじい衝撃を受けた。

 世界でも有数の力を有する『人』が全力で放った物である。その加速と共に大きな殺傷力も持ち合わせた石の直撃を受け、<魔女>の身体を形成する骨子に多大なダメージを与えた。

 

「サラ!」

 

「はい!」

 

 突然襲った衝撃に、<魔女>はバランスを崩し、高度を低下させた。カミュやリーシャが己の武器を振るうには、まだ距離がある。だが、パーティー内で最高の補助魔法の使い手にとっては守備範囲であった。

 

「マホトーン」

 

 右手を大きく上空に向けたサラの叫びが、闇に包まれた平原に響き渡る。メルエの<ヒャダルコ>等とは違い、周囲の空気に影響はないが、サラの唱えた呪文は確実に<魔女>の身体の内を蝕んで行った。

 

「カミュ!」

 

「……ああ……」

 

 何かが狂ってしまったように、<魔女>は平衡感覚を失い、高度を下げるというよりは、完全に落下という感覚で落ちて来る。落下して来る<魔女>に合わせるように、カミュとリーシャは駆け出した。

 しかし、それぞれの手に武器を握り、落下して来る<魔女>に向かってその武器を振るおうと振り被った時、カミュはその剣を止めてしまう。

 

「カミュ?」

 

「……」

 

 カミュに追いついたリーシャは、カミュの様子を見て、手にした斧を振り下ろす事なかった。剣を<魔女>に付き付けたまま、固まったように動かないカミュを不思議に思いながら、視線を向ける。

 <魔女>は突き付けられた刃先を怯えた目で見つめながら、小刻みに震えていた。

 サラの<マホトーン>により、魔力を封じ込められた<魔女>は、もはや飛ぶ事も出来ない。

 自身の魔力を利用し、竹箒という媒体で飛んでいたのだろう。地面に降り、行使する魔法も使えない<魔女>には、カミュ達一行に向かって抵抗する力は微塵もなかったのだ。

 

「……カミュ……逃がすのか?」

 

「……」

 

 カミュの心を察したリーシャが声をかけるが、カミュは無言のまま剣を下げる事はなかった。

 カミュ自身、心の中で複雑な葛藤があるのかもしれない。だが、目の前で怯えた瞳を向けながら、小刻みに震える二体の老婆に剣を振り下ろす事が出来ないのも事実。

 

「この魔族は、<テドン>を襲った者達の一部かもしれないぞ?」

 

 リーシャの瞳は、厳しさを浮かべながらも、優しい光を帯びている。脅威が失せた事を理解したメルエが、杖を背中にしまってカミュの下へ走り寄り、その腰にしがみ付いた。

 視線を落とすカミュに向かってメルエが向けた物は笑顔だった。それがカミュの心の方向を確立させる。

 

「……カミュ様……」

 

「……行け……」

 

 剣を下げたカミュは、その剣を背中の鞘に収める。カミュのマントの中に潜り込んだメルエを伴ってカミュは、その場を離れた。

 何か信じられぬ物を見るように目を見開いた二体の老婆は、暫しの間茫然とカミュの背中を眺めた後、近くに転がる箒を手に取り、脱兎の如く逃げ出して行く。

 

「……仕方がないな」

 

 そんな言葉を呟いて、斧を仕舞ったリーシャの顔にも笑顔が浮かぶ。

 唯一人、何かを思いつめるように、<魔女>が逃げて行った方角を見つめていた。

 

 <テドン>を滅ばした魔物達。

 それは、何より『人』にとっての『悪』以外何物でもない。

 『人もエルフも、そして魔物も平穏に暮らせる世界』を目指すサラにとって、それは受け入れがたい事実であり、許し難い出来事でもあった。

 

「サラ、全てを決めるのは、まだ先の事だろ?」

 

「……そうですが……」

 

 肩に置かれた手に顔を上げたサラは、リーシャの言葉に力無い呟きを残す。苦笑を浮かべたリーシャは、暫し周囲に視線を向けた後、表情を引き締めた。

 リーシャの表情の変化に気がついたサラは、無意識に身構える。こういう時に発するリーシャの言葉は聞き逃してはいけない事を知っているのだ。

 

「また、以前のサラに戻ってしまうのか? 『賢者』とは、そういう者なのか?」

 

「!!」

 

 リーシャの言葉がサラの胸に突き刺さる。それは、小さな棘ではなく、心を粉砕する程に大きな矢となってサラの胸を貫通した。

 再び殻を被ろうとしていたサラの心を粉砕し、新たな光を差し込む程の強い言葉。

 

 『<ダーマ>で志した思いは嘘なのか?』

 『一つの事象で全てを決めつけるのが賢者なのか?』

 『それ程に簡単な想いだったのか?』

 

 リーシャの言葉には、様々な問いかけが混入している。それをサラは痛い程に理解できた。

 誰よりも優しく、誰よりも厳しいこの姉のような女性は、道を逸れて歩き出そうとするサラを、再び正しい道へと引き戻してくれる。

 

「……戻りません……」

 

「ふふふ。自分が変わった事に気付いてはいるのだな」

 

 唇を噛みしめ、沈痛な面持ちで答えるサラに対し、リーシャは表情を緩めた。とても優しく、とても暖かな笑みを浮かべるリーシャを見上げ、サラは再び眉を落とす。

 

「ふふふ。悩め、サラ。サラが悩み、考えた先にある答えは、きっと素晴らしい物だ。私はそう信じている」

 

「……リーシャさんも考えて下さい……」

 

 聞き様によっては無責任なリーシャの言葉を聞いて、サラは恨めしそうにリーシャを見上げた。

 既に、カミュとメルエは、先へと歩き出している。その二人の背中に視線を向けたリーシャは、先程よりも更に優しい笑みを浮かべ、口を開いた。

 

「私達は、サラを信じているからな」

 

 その言葉が示す意味。それが、むくれたサラの心に響いた。

 リーシャだけではない。前を歩くメルエも、そして常に対立して来たカミュも、この悩める『賢者』の導く答えが、素晴らしい物である事を信じて疑わないと言っているのだ。

 

「……頑張ります……」

 

 釈然としない想いは残っている。

 それでも、サラは前を向いて歩き出す。

 自分を信じてくれる人の為にも。

 そして、自分が信じている事の実現の為に。

 

 

 

「おう! どうだった、テドンの村は?」

 

「……」

 

 船に戻って真っ先に掛けられた頭目の言葉に、三人は言葉を返す事はできなかった。

 無言で船に乗って来る一向に、何かを察したのだろう。頭目は、『今夜はゆっくり休みな』という言葉を伝えて、乗組員の下へ歩いて行った。

 

 <テドンの村>を出てから既に一日が過ぎた。

 再び訪れた夜の闇は、それぞれの想いも深く沈みこめ、深々と更けて行く。

 

 

 

 翌朝、カミュ達が甲板に出ると、既に船員は出航の準備を終えていた。後は、錨を上げ、進路に向かって帆を向けるのみ。

 船員達がそれぞれの持ち場に付き、船長であるカミュ達四人の指示を待っていた。

 

「次の目的地はどこだ?」

 

 彼ら乗組員の目的は、『貿易』の筈。しかし、ポルトガを出てから、既にかなりの月日が経つにも拘らず、彼等の目的は達成されてはいない。それでも、彼等はこの勇者一行の歩む道に異論を挟む事はなく、目的地を笑顔で尋ねている。

 

 『次はどこへ行けるのか?』

 

 そんな好奇心にも似た期待が、彼らの船乗りとしての喜びなのかもしれない。実際、彼等はポルトガの国で、出港に際して、ある程度の資金を国から手渡されている。故に、しばらくの間は飢えに苦しむような事はないのだ。

 

「……ランシールという場所へ行きたい……」

 

「ランシール?」

 

 カミュの言葉に、頭目は少し考えるように視線を外す。

 そして、何かを思いついたように、手を叩いた。

 

「ああ。ジパングの遥か南の島にある村か……」

 

「……ジパング……?」

 

 頭目の言葉に、今度はカミュがその名を聞き返す。後ろにいるリーシャやサラも聞き覚えのある名に視線を移した。

 それは、ポルトガを出てすぐに立ち寄った灯台にいた男が口にした名。

 『黄金の国』という異名を持つその国に、以前もカミュは妙な反応を返した。

 

「カミュ様は<ジパング>という国をご存知なのですか?」

 

「そうなのか?」

 

 以前のカミュの反応を思い出し、サラは奇妙な表情を浮かべているカミュへ問いかける。釣られて振り向いたリーシャの視線を避けるように顔を背けたカミュであったが、避けた方向にはカミュを見上げるメルエの瞳があった。

 

「……昔、聞いた事がある名だっただけだ……」

 

「どんな国なのか知っているのか?」

 

 メルエの視線を避ける事が出来なくなったカミュが呟いた言葉に、リーシャは追及の手を緩めない。それを苦々しく見つめたカミュは、軽く舌打ちをした後、沈黙を貫き通そうとした。

 

「…………いく…………?」

 

 しかし、カミュを見上げたメルエの一言に、カミュは観念せざるを得なかった。大きな溜息を吐いた後、頭目へと視線を移したカミュの瞳を見て、頭目は笑顔で一つ頷きを返す。

 目的地が決まった。

 この先は、この船の船乗り達の仕事である。

 

「よし! 野郎ども! 目的地は<ジパング>だ!」

 

「オォォォォォ」

 

 頭目の指示に返って来た声が、青く晴れ渡った空へと轟く。

 一行を乗せた船は、<テドン>近郊の海岸から東へと進路を取ったのだ。

 

 

 

 陽が傾き、海風が次第に冷たくなって行く。木箱に乗り、海を眺めていたメルエは、次第に見えなくなって行く景色に眉を落とし、残念そうにリーシャの下へと戻って来た。

 船酔いが酷くなったサラと共に船室へと入って行ったメルエの背中を見送った後、リーシャは甲板の先から進行方向を眺めているカミュの傍へと近寄って行く。

 

「先程は、聞きそびれた。<ジパング>という国に何かあるのか?」

 

「ちっ!」

 

 傍に寄って来たリーシャの言葉に、あからさまに表情を歪め、カミュは一つ舌打ちをする。それが、リーシャの質問を歓迎していない事を示しており、リーシャは深く溜息を吐いた。

 カミュが本気で話したくない事であれば、どれ程に追及しても答えが出て来る事はないだろう。それを理解しているからこそ、リーシャは次の言葉を綴ったのだ。

 

「言いたくないのなら、それで良い。だがな、カミュ。お前はこのパーティーの要なんだ。お前が揺らげば、サラの悩みは深くなる。お前が苦しめば、メルエが哀しむ」

 

 カミュから視線を外し、夜の甲板で忙しなく動き回る船員達を見ながら、リーシャは言葉を綴る。その言葉を聞いているのかいないのか、カミュは夜の海を眺めていた。

 船の上に暫しの沈黙が流れる。

 

「……要は、アンタだと思うが……」

 

「ん?」

 

 どれ程時間が経過しただろう。視線を動かさず、口を開いたカミュの言葉をリーシャは聞き逃してしまった。

 それ程小さく、夜風に乗って消え去って行くようなカミュの呟きは、リーシャの耳には届かなかったのだ。

 カミュへと再度視線を移したリーシャの瞳を見る事なく、カミュは大きな溜息を吐き、夜空を見上げる。陽が落ち、冷たくなった夜風を受けて靡く帆の隙間から、今宵も大きな月がカミュ達を照らしていた。

 

「……俺の祖母の故郷らしい……」

 

「なに?」

 

 夜空に浮かぶ大きな月を見上げながら、カミュは重たい口をゆっくりと開いた。

 カミュの口から出て来た言葉を、リーシャは思わず聞き返してしまう。それ程に衝撃の強い内容だったのだ。

 

<ジパング>

『黄金の国』という異名をとる国。しかし、その詳しい国情は世界に広まってはいない。ただ、その国は世界のどの国にも属す事はなく、交流も持つ事がない程に排他的である事だけは伝えられていた。独自の文化を持ち、独自の国家を形成している。その中には信仰の問題もあり、全世界の人間が信仰する『精霊ルビス』を信仰の対象とはしていない。その他の神を崇め、独自の信仰を貫いている。それが、全世界には異教徒として映り、<ジパング>自体の評価を貶め、その国の発展を拒んでいる可能性すらあるのだ。

 

「そうか。ニーナ様方のご祖母か?」

 

「……いや……」

 

 リーシャは、<ジパング>が異教徒の暮らす国である事を知りはしない。それでも、彼女が生まれた頃からアリアハンの国に住んでいたオルテガと他国が結び付かなかった為、オルテガが旅に出ていた時に連れて来た妻であるニーナ方の家系の事だと考えたのだ。

 だが、カミュは、そんなリーシャの言葉に対し、静かに首を横に振った。

 

「では、オルテガ様の母君という事か?」

 

 リーシャの問いかけに、カミュは黙して何も語らない。

 だが、それが雄弁に肯定を示していた。

 

「ふぅ……わかった」

 

「……」

 

 カミュが何も言葉を繋げようとしない事に、リーシャは溜息を洩らす。

 そして、一度目を瞑った後、カミュへともう一度視線を送った。

 

「それがどうしたと言うんだ? 何か不都合な事でもあるのか?」

 

 今度はカミュが溜息を吐く番だった。

 リーシャは<ジパング>の内情を知らない。故に、そのような事を口に出来るのだ。

 だが、例え<ジパング>に足を踏み入れ、その内情を目の当たりにしたとしても、リーシャは今と同じ問いかけをするのかもしれないとカミュは思ってもいた。

 

「……行けば解る……」

 

「そうか」

 

 カミュは<ジパング>の国情もある程度は知っている。それは、祖母から聞いた訳ではない。カミュが生まれた時には、祖母は他界していた。

 そして、その国情を知っているからこそ、そこに立ち寄る事を憂鬱に思うのだ。

 

 異教徒の暮らす国。それは、ルビス教を心から信仰するサラという『賢者』にとっては許し難い事であろう。

 とすれば、サラが拒絶反応を示す可能性が高い。昔のカミュなら、その事を懸念する事などなかっただろう。だが、それもカミュの変化の一つ。

 カミュが何を危惧し、何を恐れているのかは解らない。それでも、リーシャはカミュの言葉に納得し、一つ頷いた。

 

 リーシャは、目指す国が『黄金の国』という異名とは別に、『|日出(ひいず)る国』という名がある事は知らない。それは、ジパングという国で暮らす人々の中で伝えられている名であるのだから当然と言えば、当然の事である。

 しかし、彼らが乗る船は、奇しくも陽が昇る方角へと進んでいる。つまり、今、カミュもリーシャもその方角に向かって視線を送っているのだ。

 

 夜が明ければ、そこには新たな大陸が広がっている事だろう。

 そして、その大陸は、この一行にとって新たな難題を提示して来る筈。

 それに潰されるのも、乗り越えるのも、彼等次第。

 

 船はゆっくりと闇を搔き分けるように進んで行く。

 

 

 

 

 

 陸沿いに数日間船を走らせる中、カミュ達は数度の戦闘を行った。以前に遭遇した<マーマン>や<しびれくらげ>が大半であり、カミュは<しびれくらげ>の毒手から護るかの様にメルエの前に立ちはだかり、魔物達を駆逐して行く。リーシャもまた、カミュの護るメルエを気にかけながら斧を振っていた。

 それというのも、船上でメルエの魔法が使用できないためなのだ。

 木造の船の上で、メルエの放つ<ベギラマ>等は以ての外であり、氷結呪文もまた、船に損傷を与える可能性が高い以上、船上での戦闘でメルエの出番は限りなく無いに等しいのである。

 

「…………むぅ…………」

 

「そうむくれるな。陸に上がれば、またメルエに出番が回って来るさ」

 

 ほとんどの魔物をカミュとリーシャで倒し終わると、メルエはカミュの背中から顔を出し、不機嫌そうに頬を膨らませた。

 そんなメルエの頭を優しく撫でたリーシャは、宥めるように言葉をかける。リーシャを見上げ、頬を膨らませたままのメルエが小さく頷いた。

 

 何度かの戦闘を繰り返す中、カミュ達の船はゆっくりと東へと進む。陸沿いに走る船から見える景色は変わり、次第に以前見た事のある景色が広がり始めた。

 海から流れ込む川の近くに、町を護る壁が見えてくる。

 

「あれは、バハラタですか?」

 

「ああ。バハラタが見えたなら、ジパングまではもう数日で着くさ」

 

 メルエの横で景色を眺めていたサラの疑問に答えたのは、船員に指示を出しながら甲板を歩いていた頭目だった。

 陽が傾き始め、夕日が周囲を真っ赤に染める中、予定の目的地までの日数を聞き、サラはげんなりと溜息を吐き出す。

 

「…………サラ………いたい…………?」

 

「えっ!? だ、大丈夫ですよ……うっぷ……」

 

 サラの顔色を心配したメルエが声をかけるが、この先、数日間も船に乗って行く事を想像したサラは、先程まで落ち着いていた容態を悪化させ、込み上げて来る物を抑えるのに必死になっていた。

 

「サラ、船酔いは魔法で何とかならない物なのか? この前、メルエを救ってくれたあの魔法とか、何かあるだろう?」

 

「……うぉえ……あ、ありませんよ……あったら……うっぷ……既に唱えています」

 

 サラの容体に若干呆れ顔を浮かべるリーシャの問いかけに、サラは怒る気力もなく答える。船酔いに効果のある魔法など聞いた事もない。それはカミュも同様で、リーシャに視線を向け、軽く溜息を吐いていた。

 

「なんにせよ、まだ道程は長い。サラは船室で休んでいろ」

 

「……はい……」

 

 サラの抗議等どこ吹く風で、リーシャはサラに休むよう指示を出す。薄情なリーシャの言葉に反論する気力もないのか、サラは一つ頷くと、奥の船室へと歩いて行った。

 ここ数日、ずっと船の上で揺られているのだ。サラの状態は仕方がない事とはいえ、このままリーシャ達と共にいれば、いざ上陸した時に体力を消耗してしまっている可能性もある。そこまで考えてのリーシャの言葉だった。

 

「メルエも眠くなったら、船室に行っても良いんだぞ?」

 

「…………ここ………いる…………」

 

 夕陽が沈み切り、辺りを闇が支配し始めた船からは、もはや景色は見え辛くなっていた。残念そうに肩を落とすメルエにリーシャは声をかけるが、一度首を横に振ったメルエは、『とてとて』とリーシャの傍まで駆け寄って来る。

 

「よし。悪いが、俺も交代で休ませてもらう」

 

「……ああ……」

 

 日中に働きづくめであった頭目がカミュへと声をかけ、船室へ入って行く。それぞれの船員が船室へと入って行き、日中休んでいた人間達が入れ替わりで甲板に出て来た。

 夜の間の航海は、彼等にかかっているのだ。一人一人、カミュに挨拶のように声をかけて行く。

 カミュは一つ一つ頷きで答え、そんな船員達をリーシャも頼もしく迎えた。

 

 

 

 夜も更け、いつの間にかメルエは、甲板の上で座るリーシャの足元で寝息を立てていた。それに気付いた船員の一人がリーシャに温かな毛布を手渡し、リーシャはそれをメルエに掛けてやる。

 メルエを起こさないように座り込んだまま空を見上げると、今日もまた大きな月が輝いていた。

 

「カミュ、お前も眠ったらどうだ?」

 

「……ああ……」

 

 基本的に、カミュは何故か船上で眠る事が少ない。最初は、『何故だろう?』と考えていたリーシャであるが、最近になってその理由が朧でながら理解できるようになった。

 それは、リーシャがようやく理解し始めたカミュの心の中にある一つの想い。

 

「お前が起きていても、この船の上では、お前の仕事はないぞ?」

 

「……わかっている……」

 

 振り返りもせず、どこか不貞腐れたような声を出すカミュに、リーシャは軽い笑みを浮かべる。

 カミュが眠らない理由。

 リーシャが考えるそれは、『皆が働いているにも拘わらず、自分だけ眠っても良いのか?』という子供のような考えではないかという物だった。

 実際、リーシャの言うように、カミュが起きていたとしても、この船の上でカミュが出来る事は何もない。いや、魔物が出て来た時には仕事が回って来るだろう。

 そして、それこそがもう一つの理由。

 『眠っていたら、魔物が出て来た際、自分が行く前に誰かが魔物の犠牲になってしまうかもしれない』という想いなのかもしれない。

 リーシャはそんな事も考えていた。故に、カミュに付き合いながら甲板にいるのだ。

 

「……アンタこそ、メルエを連れて眠れ……」

 

「大丈夫だ。少し夜風を受けたい気分なんだ。メルエは毛布をしっかり掛けているし大丈夫だろう」

 

 実際、カミュとリーシャで交代制にし、夜の見張りをすれば良いのだが、今夜の海風は暖かな風を運び、とても過ごし易い夜になっていた。

 もしかすると、雨が近いのかもしれない。だが、今はこの暖かな心地よい風を受け、リーシャは軽く微笑む。

 

 船は、交代した船員達の手によって、暗い夜の闇の中を突き進む。

 リーシャの頬を撫でる風を、大きく広がった帆が掴み、船の速度を上げて行った。

 

 

 

「ジパングが見えたぞ!」

 

 どれぐらいの時間が経過しただろう。空がうっすらと白み始め、リーシャが『うとうと』と舟を漕ぎ始めた頃、マストの上にある見張り台に居た船員が大きな声で目的地の発見を告げた。

 その声に、落ちていたリーシャの頭が上がり、周囲を見渡すように動き出す。

 

「…………うぅぅん…………」

 

 自分の腰付近にしがみ付くように眠っているメルエが身動ぎするのを見て、リーシャは慌てて動きを止め、カミュへと視線を送った。

 視線を受けたカミュは、溜息を吐きながら、メルエを起こさないように抱き上げる。足下が軽くなったリーシャは立ち上がり、メルエを抱き上げたカミュの隣に立ち、視界に入って来る光景に驚き、目を見開いた。

 

「……美しい……」

 

「……」

 

 遠い先に広がる大地の向こうから、朝陽が昇って来る。

 白み始めた空を、光で包み込む太陽の出現に、アリアハンよりも小さな大陸が徐々に全貌を現して行った。

 その光景に、リーシャの瞳は理由の解らない水分で濡れて行く。

 何故だかは解らない。それでも、その光景がリーシャの胸に響き、込み上げる感情を抑える事が出来なかったのだ。

 

 不意に、リーシャは隣に立つ青年が気になり、瞳を向ける。そして、そこで目にした物に、理由の解らない涙はリーシャの頬を伝い甲板へと落ちて行く。

 リーシャの視線の先に立つカミュは泣いていた。

 リーシャのように涙を見せている訳ではない。瞳が潤んでいる訳でもない。それでも、リーシャにはカミュが泣いているように見えたのだ。

 何故そう見えたのかはリーシャにも解らない。

 

「……『日出る国』か……」

 

「ぐずっ……な、なんだ、それは?」

 

 カミュが呟いた言葉に、リーシャが鼻をすすりながら問いかける。

 <ジパング>が『黄金の国』と呼ばれている事は、リーシャも覚えていた。

 しかし、カミュが呟いた別名は聞いた事のない物だったのだ。

 

「『陽が昇る場所にある国』……ジパングで暮らす人間は自国をそう信じているそうだ」

 

「そんな自分勝手な……」

 

 カミュの言葉に、リーシャは言葉を失った。リーシャの洩らした言葉に、カミュは皮肉気に口元を歪ませる。まるで、自国が世界の中心にあるかのような考えは、リーシャとしても受け入れる事の出来ない物だったのだ。

 

「大抵の国は、自分勝手な物の筈だが?」

 

「ぐっ」

 

 カミュの口元は、いつの間にか口端を上げるような物に変化していた。リーシャを嘲笑するような、嫌味な笑みを見て、リーシャは口籠る。

 確かに、アリアハンを出た当初のリーシャは、そんな国の立場に立ち、何度もカミュへ理不尽で身勝手な理論をぶつけて来た。

 未だにカミュを『勇者』として、『魔王討伐』へ向かわせている事も、国の持つ身勝手さ故と言われれば、反論できる言葉はないのだ。

 

「まぁ、この国はアンタが考えている身勝手さではないだろうがな」

 

「どういうことだ?」

 

 リーシャから視線を外しながら呟いたカミュの言葉に、リーシャは反応を返す。

 メルエを抱き直したカミュは、一つ溜息を吐いた後、再び口を開いた。

 

「ただ、他国を知らないだけだろう」

 

「……他国を知らない……?」

 

 回りくどいカミュの言葉の内容がリーシャには理解できない。だが、この<ジパング>という国に住む人間の血を継いでいる筈の『勇者』の口は、それ以上開く事はなかった。

 もはや語る気はないのだろう。それだけは理解できたリーシャも、それ以上問いかける事なく、太陽の光で輝く大地を眺めていた。

 

 リーシャは、この後、カミュが洩らした言葉の意味を、否が応でも知る事となる。それは、サラとメルエが起き、大地に足を踏み入れ、その目的地に着いた時に明らかとなった。

 

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

第八章の始まりです。
第八章は、この国の出来事となります。

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