新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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オロチの洞窟(ジパング東の洞窟)②

 

 

 

 遥か昔、この小さな島国は、動物達の住処だった。

 数多くの動植物が育ち、命を散らす場所。

 居住を移動させる事のない『エルフ』が近付く事はなく、強力な魔物達が上陸する事もない。

 そんな穏やかな島。

 何十年も何百年もの時間を経過させ、その島は生きて来たのだ。

 

 そんな島に、未知の生物が誕生した。何時、生まれたのか、何時、この島に来たのか。それは、今になってみると解らない。

 海を渡ってこの島に辿り着いたのか、それとも初めからこの島で生きていたのかも、今ではもう解らない。

 ただ確かな事は、その生物が、驚異的な繁殖能力を誇り、時間の経過と共に数を増やして行ったという事だけ。土を掘り返し作物を植え、石を加工し獣を捕らえ、その生物はこの島での活動範囲を広げて行った。

 

 それは『人』と呼ばれる種族。

 

 そして時間は流れる。

 自らこの島を<ジパング>と名付けた『人』は、数を増やして行く中で、自分達を束ねる王を選出する。初代の国主は女性であった。

 不思議な能力を持ち、未来を読み、天候すらも操る事が出来たと云われる。そして、その後も、初代女王の血縁の者達が、この<ジパング>を束ねて来た。

 

「女王様、今年の作物はとても良い出来です」

 

「そうかえ? それもこれも、そなた達の一所懸命な気持ちが天に通じたのじゃろう」

 

 数代目となるその女王もまた、先代達と同様に不思議な能力を有していた。

 先を読む能力でもなく、天候を操る能力でもない。それは、<ジパング>の王として不必要な物でありながら、国主としては最も必要な能力。

 

 『人』の心を掴むという物。

 人望とでも呼べば良いのだろうか。

 それをこの女王は持っていた。

 彼女は、この国と、そして国に生きる民を愛していた。

 そして、民もまた、自分達を愛する彼女を愛していたのだ。

 

 民と共に自然の恵みを喜び、それによって豊かになる国を祝福する。時には民と共に畑に出て、時には民と共に狩りの収穫を喜ぶ。そんな国主を慕い、自然と彼女の下には『人』が集まって来ていた。

 自然に恵まれ、大地に恵まれ、周囲を囲む海に恵まれた島。そこで暮らす『人』は、常に温かな笑顔を浮かべていた。

 自らの糧となる食物に感謝し、格闘の末に倒した獣に感謝する。自分達が生きて行く為に犠牲になって行く物への感謝を忘れず、彼等はこの島の中央部分に町を作り、その場所の周辺以外には足を踏み入れなかった。

 『そこは、自分達の住処ではない』という事を知っていたのだ。

 

「女王様、お話が……」

 

「なんじゃ?」

 

 しかし、そんな平和な<ジパング>に暗雲が掛った。

 それは、ここ数年のこと。

 

「昨晩、また一人……」

 

「……ヤマタノオロチか……?」

 

 問いかけに頷く側近を見て、女王は静かに目を瞑り、大きな溜息を吐き出す。傍に控えていた衛兵達の目も、先程までの柔和な物ではなく、厳しい光を宿し始めた。

 女王が口にしたその名こそが、この<ジパング>を覆い尽くそうとしている闇。

 

 『ヤマタノオロチ』

 

 それは、近年に<ジパング>の若者が見付けた洞窟が発端。

 ジパングの東に存在した洞窟は、山に囲まれていて、これまでその存在を知られてはいなかった。たまたま狩りに出ていた若者が偶然発見し、興味本位で入ってしまったのだ。

 活火山の吐き出す溶岩によって空洞化したのだろう。中は、未だに燃え盛る溶岩が溢れ出し、尋常ではない温度を誇っている。

 岩壁にある鉱石は溶岩の力でも溶解する事ない強度を誇り、若者は、流れる汗を気にも留めず、嬉々として鉱石を集め出した。

 しかし、奥へと入り込んでしまった若者は、下り坂に差し掛かった場所で、それを見てしまう。

 眠るように身体を横たえていたそれは、若者が今まで見たどんな物よりも異質で、どんな物よりも醜悪。

 八つの頭と八つの尾を持ち、若者の進路を塞ぐかのような巨大な体躯を横たえていた。

 

 その姿を見た若者は、思わず声を上げてしまう。その声と、嗅いだ事のない匂いに目を覚ました化け物の一つの首が、若者を不思議そうに眺めている間に、若者は震える足を叱咤し、来た道を全速力で駆け出した。

 後ろから響く唸り声に怯えながらも、振り向く事なく走った若者は、命からがら<ジパング>の町へと戻って来たのだ。

 そして、自分が見て来たその光景を、誇張しながら国民に話す。その話は平和という湯に浸かっていた国民の感情に影を落とした。

 恐怖に変わり、それが憎しみに変わって行く。

 『人』の心は脆い。

 悪感情への変化は容易く、そして、その感情は驚くべき程の原動力となった。

 

「もうこれで、八人目です。民達も焦燥しております」

 

 <ヤマタノオロチ>という未知の怪物が現れた頃を思い出していた女王に、側近の一人が声をかける。その声に引き戻された女王は、大きな溜息を吐いた。

 

「解っておる。だが、妾は東の洞窟へ近づく事を禁じた筈じゃ。何故、民達はその場所へ行こうとする? 鉱石等なくとも、狩りは不自由しておらぬ筈じゃ」

 

「そ、それは……」

 

 溜息を吐くように洩らす女王に、側近は言葉を詰まらせる。確かに、女王は、民達によって<ヤマタノオロチ>と名付けられた怪物の出現の報を聞くと、直ちに東の洞窟へ近づく事を禁じたのだ。

 

「……何度も申すが、おそらくあれは、我々『人』よりも遥か昔からこの地に住まう物。言うなれば、産土神のような物じゃ。遥か昔からこの地を護り、この地を見て来た物。我々のような者達が如何こう出来る物ではない」

 

「し、しかし、このままでは、この<ジパング>が滅びてしまいます!」

 

 女王の言葉に反論を返す側近。本来、国主に対し抗議をするという事自体、この<ジパング>では罪深い物とされていたが、この側近は、『諫言も臣下の務め』とでも考えていたのだろう。真っ直ぐ女王の目を見ながら言葉を発した。

 彼自身、女王の言う通り、『禁止された場所に赴く者が悪い』という感情もある。しかし、それでも民は民。国の要人として守らなければならないと感じていたのだ。

 

「……まだ、この集落を襲って来る訳ではない。東の洞窟にさえ向かわなければ、<ヤマタノオロチ>に襲われる事はないのじゃ。民達が東の洞窟へ近づかぬよう徹底させよ」

 

「……ここを襲って来るまで待っていては、手遅れになってしまいますぞ……?」

 

 側近の言葉は真実だった。事実、<ヤマタノオロチ>の活動範囲は、徐々に集落へと近付いていた。

 最初の頃は、『我こそが怪物を倒してやる』と意気込んだ若者が洞窟へと向かい、返討ちに合うだけの物であったが、今では洞窟近くの山で山菜を採りに行った者までも襲われ始めている。

 

「……その時は、妾が出る……」

 

「……」

 

 暫し目を合わせた二人であったが、側近が頭を下げて退出したことで、会見は打ち切られた。緊迫した空気が緩み、周りを囲む衛兵達も息を静かに吐き出した。

 実は、この<ジパング>で女王に対してあのような意見を発する事が出来るのは、あの側近だけなのである。それもその筈、あの側近である男は、この<ジパング>という国の要人であると共に、この女王の夫でもあるのだ。

 女王が幼少の頃から側近く仕え、女王へ心からの忠誠を尽くして来た。その表れがあの諫言なのである。

 

 そして、先日、女王との間に一女を授かったばかりであった。

 

「……ふぅ……」

 

 女王は一人息を吐く。実際、この国の民達の血が流れている。国主として、この事を良しとしている訳ではない。

 しかし、元来、この<ジパング>は色々な生物と共に生きて来た。草木から岩に至るまで、そこに神が宿り、我々の生活を見守っている。そう信じて来た。

 様々な生物が暮らすこの小さな島で、それぞれの住処を分けて生きて来たのだ。

 勿論、生きて行くために他生物を食す事もある。しかし、必要以上にそれを狩る事などなく、時には獣に襲われ『人』が食される事もあった。

 そのように、この<ジパング>では時を重ねて来たのだ。

 

 今回、先に<ヤマタノオロチ>の住処を荒らしたのは、この島に暮らす『人』。故に、罪は『人』にある。

 初めて見る『人』という生物に興味を示したとしても、その『人』が敵意を持ち、武器を向けて来たとなれば、<ヤマタノオロチ>とて『人』を敵と看做すだろう。

 

「……心を捨てねばなるまいな……」

 

 溜息と共に吐き出された女王の言葉は、一人残された謁見の間に霧散して行く。

 

 

 

「女王様!」

 

 そして、女王の呟きが現実になる時が来る。

 それは、国の収穫も終え、感謝の祭りが行われる前日の事だった。

 

「集落近くで民が襲われました! しかも、年端も行かぬ娘です!」

 

「……」

 

 側近によって齎された内容に、女王は目を瞑り、天を仰ぐ。

 <ヤマタノオロチ>は住処を離れ、『人』を襲い始めたのだ。それは、国の滅亡を意味する。

 『人』の力では太刀打ちが出来ない程に強力な暴力。それに抗う力は、この<ジパング>で暮らす『人』にはない。

 

「女王様! もはや、迷っている時ではありません! 罪は我々にあります。しかし、我々とて生きて行かねばなりません! そして……我々は民を護るために存在する者の筈。それは、貴女が私に教えてくれた事……」

 

「!!」

 

 女王の目が見開かれる。夫であるこの側近が、自分の内にある迷いを正確に理解している事に驚いたのだ。

 目の前で跪く男の瞳は、確固たる決意が宿っている。

 『私に命じろ』と。

 

「ならぬ! そなたには、あの子を護って貰わねば……」

 

「貴女が生きていれば、この国は立ち直れる。私だけではありません。この国の民全てが貴女を愛しています」

 

 女王の言葉を遮って発せられた夫の言葉に、女王は再び目を瞑る。その姿を、夫である側近は、『迷っている』と感じた。

 しかし、そうではなかった事が、再び目を開いた女王の瞳を見て理解できたのだ。

 

「……妾が参ります……そなたには、あの子の後見を命じます」

 

「女王様!」

 

 燃えるように赤く変化した瞳を見て、夫は怯んだ。

 幼い頃から今まで一度たりとも見た事のない瞳。

 恐怖すらも感じ、生き物の本能が拒絶反応を起こす中、何とか声を絞り出した。

 

「……話は終わりじゃ……」

 

「お、お待ちください!」

 

 一度、哀しげに夫を見た後、女王は自室へと下がって行く。夫といえど、この国では女王と共に生活する事は出来ない。

 自らの妻と娘がいるその部屋の戸が閉まって行くのを、呆然と眺める事しか、夫には出来なかった。

 

 

 

 陽が落ち、夜の闇が周囲の支配を完了させた頃、雲一つない空には、大きな月だけが浮かび、いつもなら様々な光を放つ星々は欠片も見えない。

 動物達の鳴き声もなく、静けさに支配された集落は、皆が寝静まった訳ではなかった。

 皆、恐怖に身体を震わせ、身を寄せ合うように過ごしているのだ。

 

「女王様、行かれるのですか?」

 

「……そなたか……」

 

 大きな屋敷の中の一室から出て来た女王の前には、幼い頃から見て来た男が跪いていた。顔を上げずに跪く夫に、女王は一言小さな声を洩らす。その声は聞こえるか聞こえないかの物で、聞き返そうと顔を上げようとした時、その声ははっきりと耳に届いた。

 

「顔を上げるでない! 顔を上げれば、そなたを殺すぞ!」

 

「!!」

 

 あまりの怒声に男は再び顔を下げてしまう。しかし、ぶつけられたその声は、今まで男が聞いていた声ではなかった。

 今まで聞いていた、あの透き通るような声ではない。

 人の心の奥に響き、その心を掴んで離さない声ではない。

 潰れ果て、擦れた老婆のような声であったのだ。

 

 そして、男は顔を上げてしまう。

 自らが愛した女性の顔を見る為に。

 

「上げるなと申したであろう!」

 

「ぐっ!」

 

 その瞬間に、男は自分の身体が宙に浮いた事を感じた。信じられない程の速さで喉を掴まれ、宙に持ち上げられる。同様に信じられない強さで掴まれた喉は、潰されるのではないかと感じる程に握られ、呼吸を止められた。

 そこで、ようやく男は、妻であり、自分の君主である女性の顔をはっきりと見る事となる。屋敷に差し込む月明かりに照らされた妻の顔を見て、男は驚愕した。

 その顔は、自分が愛した妻の物でもなく、この国の民が愛した女王の顔でもなかったのだ。

 

「……そ……その……か…お……」

 

 締め付けられた喉から絞り出した声は、近くにいても聞き取れぬ物。

 しかし、その声に女王であった物の表情が少し変化する。

 

 男が見た物は、『鬼』。

 この<ジパング>で語り継がれる地獄の番人であり、最も恐れられる者。

 その力は魔物を遥かに凌ぎ、その不可思議な能力は森を焼き、大地を割る。

 『邪しき神』とまで称される程の存在である。

 

 女王の顔は、伝えられている『鬼』その物であった。憤怒に燃えるように猛々しく、憎悪に歪むようにおぞましく、哀しみに暮れるかのように涙していた。

 その顔に男は恐怖するよりも、胸を締め付けられるような哀しみを感じ、一筋の涙を流す。その涙を見て、女王の手は男の喉から離れた。そこで初めて、男は女王の姿が、顔だけではなく、手も体つきも変化してしまっている事に気がつくのだ。

 そして、自分の喉を掴んでいた手の反対側に持たれた一振りの剣を目にする。

 

「……妾は……心を捨てた……」

 

 男の顔を見ずに語る女王の言葉を、男は聞き洩らさぬように耳を傾ける。

 『この言葉は聞き逃してはいけない』

 そう感じたのだろう。

 涙で歪む視界の中、男は女王を見上げた。

 

「もはや、『人』には戻れぬ。あの子を……この国を頼んだぞえ」

 

 その言葉を最後に屋敷を出て行く女王の背中をただ見送る事しか出来ない事に、男は涙した。

 『何故、自分は何も出来ないのだ』、『何故、女王をあそこまで追い込んでしまったのだ』と。

 

 

 

 その夜、女王は帰らぬ者となった。

 『鬼』となった女王との激闘の末、<ヤマタノオロチ>は東の洞窟奥深くに封印される。『鬼』といえども、<ヤマタノオロチ>を滅する事は出来なかったのだ。

 封印された地下深くには、女王の自室に置かれていた遺言書に記されていた術式を編み込んだ石の囲いを作成し、不可思議な力を持つ縄を掛けた。そして、夫であり、次代女王の後見人となった男によって作成された面を護符として付けられるのだった。

 

 憤怒に燃えるようで、憎悪に歪み、哀しみに暮れて涙する面。

 『人』の心を捨ててまで、愛する自国の民を護った女性の面。

 

 その面の名は『般若の面』

 

 そして、時は流れる。<ジパング>で暮らす『人』の中で伝える者がいなくなり、<ヤマタノオロチ>という存在が人々の記憶から消え去る程の時間が……

 

 

 

 

 

「メルエ、どうした?」

 

 再び歩き始めた一行は、この洞窟を住処にしているのであろう<豪傑熊>との戦闘などをこなしながら前へと進む。すると、不意に四方へと別れる十字路に出たのだが、その場所に着くなり、一点を凝視するように、メルエは身体を強張らせたのだ。

 メルエの手を握るリーシャがその変化に気付き尋ねるが、メルエはびくりと身体を震わせ、リーシャの腰に顔を埋めてしまう。

 

「どうしたのですか?」

 

「……こっちに何かあるのか……?」

 

「…………だめ…………」

 

 近寄って来たサラがメルエの肩に手を置いた時、戻って来たカミュがメルエの怯える方角へと確認の為に足を踏み出そうとした。しかし、そのカミュの行動を制したのは、先程、顔を埋めてしまったメルエだった。

 いつもよりも少し大きく、震えているような声に、カミュの目が鋭く細まる。

 メルエがここまで拒絶反応を示す事は珍しい。アッサラームの町に入る時も嫌がってはいたが、そこに入るカミュを見ると、諦めにも似た感情を出して付いて来た。

 そのメルエが、この十字路を右に行く事だけは、何があっても認めないというように強固な態度を取っていたのだ。

 

「……わかった……」

 

「…………ん…………」

 

 腰元にしがみ付くメルエの頭に手を乗せたカミュが溜息を吐く。その返答に小さく頷いたメルエであったが、未だに信用していないのか、カミュの傍から離れようとしない。そんなメルエに、カミュはもう一度溜息を吐いた。

 

「……どっちだ……?」

 

「ん? そうだな……右には行けないのだから、左だな」

 

 カミュが指示を仰いだのは、メルエの怯え方に驚いていたリーシャだった。カミュの質問に、暫し考える素振りをし、リーシャは道を指し示す。

 当然の事ではあるが、一つ頷いたカミュは、進路を真っ直ぐ前へと取った。

 

「さ、さあ。リーシャさんも行きましょう?」

 

「ぐぐぐ」

 

 相変わらず、聞いておきながらその言葉を信用しないカミュの態度に歯嚙みするリーシャを、サラは前へと促す。渋々その後を続くリーシャに、サラは苦笑するしかなかった。

 そして、カミュを先頭に歩き出した一行は、十字路の先に広がる少し開けた場所でこの世の末路のような場所を見る事になる。

 

「……カミュ……」

 

「……これは、骨ですか……?」

 

 散乱する木の破片。いや、木のような色に変わったそれは、サラが口にしたように、人の骨であった。

 所狭しと散乱する人骨。それが、<ジパング>が送り出して来た生娘達の成れの果てである事は明白。

 そして、これこそが<ジパング>の民達が苦しむ罪の形。

 

 前へ進むためには、その遺骨を踏みしめ、砕いて行かねばならない。それ程に、この場所は人骨で埋め尽くされていた。

 全てが<ヤマタノオロチ>によって作られた物ではないかもしれない。それでも、これだけの数の『人』が犠牲になっている事だけは事実。

 

「……イヨ様……?」

 

 カミュが踏み砕き、横に払う事で出来た道をリーシャ達三人が歩いて行く。そして、その先に見える一段高くなっている祭壇の上に座り込む人物をサラは見つけた。

 その人物は、恐怖に震えるでもなく、絶望に打ちひしがれる事もなく、ただ静かに<生贄の祭壇>に座り瞳を閉じていた。その人物こそ、<ジパング>の次期太陽であり、民達の希望。

 

「……なんじゃ……そなた達か……」

 

 近寄って来る気配と、その声を聞き、イヨは静かに目を開く。

 <ジパング>の太陽は、陽の届かない洞窟内でその輝きを失っていた。

 近寄るカミュ達の表情を変える事なく見つめ、口を開く事もない。

 

「イヨ様! 帰りましょう!」

 

「サラ!」

 

 祭壇へ真っ先に上ったサラが、座り込んでいるイヨの腕を掴む。

 そんなサラの行動を諌めるように、リーシャはサラの身体を押さえた。

 振り向いたサラの表情を見て、リーシャは息を飲む。

 

「サラ、何をそんなに焦っている?」

 

「焦ってなど……」

 

 サラの表情に見えるのは、焦燥感。

 何かに駆られるように、何かを恐れるように、顔は歪んでいた。

 反論するサラの言葉は頼りなく、リーシャは首を傾げる。

 

「……そうか……そなたには解るのじゃな……この場所に渦巻く空気が」

 

 そんなサラへと視線を移したイヨの言葉は、リーシャを更なる混乱に陥れる物だった。

 静かに口を開いたイヨは、ゆっくりと周囲に視線を動かし、深い溜息を吐く。それがリーシャを益々混乱させた。

 

「カミュ! どういう事だ!?」

 

「……何故、俺に聞く?」

 

 そんなリーシャの矛先は、同じように周囲を見渡していた青年へと向けられた。イヨと同じように深い溜息を吐いたカミュは、視線をサラとイヨへと動かす。

 

「この地は、多くの娘達の『想い』が籠っておる。『恨み』、『哀しみ』、『怒り』、『絶望』。 そして、なによりも強い『恐怖』。それを、そなたは感じたのじゃろう?」

 

「サラ、そうなのか?」

 

「……は、はい……」

 

 イヨの言葉は、リーシャには解らない。

 魔法力もなく、僧侶のように特別な修行をしている訳でもない。

 リーシャのそれらを感じる能力はないのだ。

 しかし、リーシャの問いかけに、サラは小さく頷いた。

 

「ふむ。本来であれば、そなたのような者が<ジパング>の国主となるべきなのであろうな」

 

「それは違います!」

 

 自嘲気味に口を開いたイヨの言葉を聞いた時、先程まで何かに怯えていたサラは、もうどこにも存在しなかった。

 強く想いの込められた言葉。それを発するサラの瞳に宿る物。

 それにイヨは怯んだ。

 

「イヨ様こそ……イヨ様だからこそ、<ジパング>の人々は愛するのです。イヨ様が民を愛するからこそ、その愛を受けた人々もまた、イヨ様を愛するのです」

 

「……サラ……」

 

 強いサラの言葉は、リーシャの胸に響く。しかし、それを見つめるイヨの瞳は静かさを取り戻し、会話の内容に興味を示さないように、カミュの瞳は冷めて行った。

 

「この洞窟に入る際に、イヨ様をここに運んで来た人達にお会いしました。私達は、その方々にイヨ様を連れ戻すようにと頼まれ、ここにいます。皆さん、イヨ様を失うぐらいならば、『神』とされる<ヤマタノオロチ>を打ち倒す事を望んでいるのです!」

 

 一気に捲くし立てたサラの言葉が、祭壇の間に霧散して行く。

 相変わらずの熱気が周囲を取り囲む中、奇妙な静けさが祭壇の間を支配した。

 その静けさを破ったのは、予想に反した人物。

 

「……それは違うな……」

 

「カミュ?」

 

「カミュ様!?」

 

 今まで一言も話す事なく、サラ達の会話を聞いていたカミュが口を開いたのだ。それは、サラの言葉を真っ向から否定する物。

 予想外の人物からの予想外の言葉に、リーシャとサラはほぼ同時にその者の名を洩らした。

 

「……あの者達に、それ程の覚悟がある訳ではない……」

 

「何故ですか!? イヨ様を救うという事は、<ヤマタノオロチ>を討伐する事ではないのですか!?」

 

 久しく見ていなかったカミュとサラの衝突。リーシャは、その二人の言葉を理解する事に必死になり、メルエは不快な暑さと、サラの怒鳴り声に眉を顰める。

 ただ、イヨだけは静かにカミュを見上げていた。

 

「……討伐するのは、俺達だ。<神殺し>の悪名を受けるのも、儀式を汚した事の罪に問われるのも『ガイジン』である俺達だ……」

 

「!!」

 

「ど、どういう事だ?」

 

 サラは、カミュの言葉で全てを理解した。

 あの時、カミュが返答しなかった理由も、そして頑なに<ヤマタノオロチ>を討伐する事を拒んだ理由も。

 全ては、あの<バハラタ>での二の舞になる事を危惧していたのだ。だがそれは、カミュ一人だけならば、気にはしなかった物だろう。

 

「俺達は、この地に留まる事はない。二度と訪れぬ『ガイジン』に罪を擦り付け、国の希望を救えるのであれば、それに越した事はない筈だ」

 

「……それは、いくらなんでも……」

 

 サラの反論の声は震えていた。

 バハラタという自治都市でサラはその可能性を見ている。『人』が『人』であるが故の性質。それを糾弾する事は出来ない。

 何故なら、サラもその『人』であるのだから。故に、それがこの<ジパング>で起こる可能性も否定は出来ないのだ。

 

「ならば、何故、<ジパング>の民全てで立ち上がらない? 『生贄』という犠牲で生きて来た者達が、新たな犠牲を求めただけだ。もし、俺達が失敗したとしても、『ガイジン』が勝手にやった事として、再び<ヤマタノオロチ>の怒りを鎮める為に『生贄』を奉げれば良い」

 

 カミュの物言いに対するサラの反論は力無く、徐々に顔を俯かせて行く。

 気付いていない訳ではなかった。サラとて、ここまで『人』の弱い部分を数多く見て来たのだ。

 それでも、認めたくはなかった。

 『人』の強さを信じたかった。

 

「……もう、良い……」

 

 反論する事の出来なくなったサラの代わりに口を開いたのは、<ジパング>の民達の希望である少女であった。

 サラよりも、カミュよりも幼いこの少女の瞳に宿るのは、『哀しみ』と『喜び』。

 自分が確かに民達に愛されていた事を知った『喜び』と、それを成す為に民達が犯した罪を知った『哀しみ』。

 

「……妾はもう疲れた……」

 

「イヨ様!?」

 

 深い溜息を吐いたイヨの言葉に、サラの顔が弾かれたように上がる。そんなサラから視線を外すように背けられたイヨの顔に、今までなかった疲労が浮かび上がった。

 

「……オロチが現れてから、母上は変わってしまわれた。民を愛していた母上はもういない。日に日にオロチの『生贄』要求は数を増して来る。今まで何とか抑えて来たが、それも限界じゃ……妾は、もう民達が死んで行くのを見とうはない」

 

「……イヨ殿……」

 

 深い溜息と共に吐き出されたイヨの言葉。それは、幼い頃に慕っていた母の変貌と、愛すべき民達の涙に疲れ切った少女の苦悩だった。

 毎年毎年繰り返される『生贄の儀式』。その度に、『生贄』とされた娘の親族は涙に暮れ、周囲の人間は同情よりも、次回の『生贄』を考え恐怖する。

 ここ数年の間、『日出る国』と呼ばれたこの国には、太陽の差す光は届かなかったのだ。

 

 祭壇の間に静けさが戻る。何かを耐え忍ぶように唇をかむイヨを、静かに見守る事しかリーシャには出来なかった。

 しかし、ここでも、静けさを破り、事態を前へと進めようとする者がいた。

 それは、常に悩み、考え、答えを導き出そうとする者。

 

「逃げるのですか!?」

 

「なにっ!?」

 

 俯くイヨの頭の上から、サラは言葉を振り下ろす。

 サラらしくない程に傲慢な言葉。

 その傲慢で、身勝手な言葉に、イヨの顔は上げられた。

 その瞳には、明らかな『怒り』を宿して。

 

「<ジパング>の人々は、確かに私達に罪を被せようとしているのかもしれません! それでも、『イヨ様ならば、<ジパング>を立て直してくださる』、『<ジパング>を再び導いて下さるのはイヨ様しかいらっしゃらない』、そう信じているのです! それこそ、自分達の親族を『生贄』として出す事も厭わずに。それなのに、イヨ様はそんな人々を置いて一人逃げ出すのですか!?」

 

「そ、そなたに……そなたに何が解る!?」

 

 イヨの怒りの表情を見ても怯まないサラの言葉に、イヨの怒りが爆発した。静かに座りこんでいたイヨが立ち上がる。

 しかし、真っ向から怒りの瞳を向けるイヨに対しても、サラは怯まなかった。真っ直ぐと、イヨの瞳を見返し、口を開く。

 

「解りません! 私はイヨ様のように、責任ある立場にはいません!」

 

「ならば、この国の事……妾の事に口を挟むな!」

 

 今まで見た事のないような両者の姿に、リーシャだけでなく、カミュも口を挟む事は出来なかった。メルエは二人の剣幕に驚き、カミュの腰元にしがみつく。溶岩の流れる洞窟内で、それよりも熱い応酬が続いた。

 

「ですが、このままではイヨ様の愛する<ジパング>という国は、この世界から消えてしまいますよ!」

 

「そのような事、そなたに言われんでも解っておるわ!」

 

 怒鳴り合う両者。

 サラは理解したのだ。何故あの時、カミュが『イヨを逃がすだけなら出来る』と言ったのか。内容こそ違えど、『逃げる』という事実は変わらない。

 『生贄』から逃げるのか、それとも国の存亡から目を逸らし逃げるのかの違いだけである。

 

「解っていません! イヨ様は、結局、<ジパング>を見捨てるのではありませんか!」

 

「そなたに何が解る! 暗く覆われた民の心……泣き咽ぶ民の声……その全てを作り出したのは、民を護るべき国主なのだぞ! それでも、民は母上を信じておる。妾を責める事もない……それがどれ程に妾の心を蝕むのかが、そなたに解るのか!?」

 

 吐き出されたイヨの心。それは、幼い心を痛め、それでも民へと笑顔を向けていた者の本心。

 『何時か、<ジパング>にも陽は差す』と民に言い続けながらも、それが本当に来るのかと自問自答を繰り返して来た者の本音。

 

「<ヤマタノオロチ>は、産土神……我らにとって神なのじゃ! どうしようもない……どうしようもないのじゃ!」

 

 いつの間にか零れ落ちた雫は、イヨの瞳から溢れ出していた。

 悔しくない訳がない。

 怒りを覚えない訳はない。

 それでも、自国にとってのその存在の大きさは、皇女といえど、一介の少女にどうする事も出来ない程の存在なのだ。

 

「始まりは何であるのかは解りません。もしかすると、<ヤマタノオロチ>の住処を先に荒らしたのは『人』なのかもしれません。それでも、今、抗わなければ、この島で『人』は生きて行けなくなりますよ!」

 

「……な…なに……?」

 

 しかし、言葉の応酬は長くは続かなかった。

 サラの発した何かが、イヨの時を止めてしまう。

 驚きに目を見開き、唇は微かに震えている。

 

 サラは、確かに<ヤマタノオロチ>の住処と言った。彼女にとって、<ヤマタノオロチ>は神でも何でもないのだ。

 ただそれだけの事ならば、『ガイジンだから』という一言で片づけられるだろう。しかし、サラは、『その住処を侵したのは<人>』という一言を発した。

 それがイヨを硬直させる。

 

「カミュ様……あの面を……」

 

「……ああ……」

 

 サラの要求を聞き、カミュは全てを理解した。

 先程、メルエが拾った面を壊れないように取り出し、サラへと渡す。

 その面を、サラはイヨの前に静かに置いた。

 

「これに、見覚えはありませんか?」

 

「……これは……」

 

 自分の前に置かれた面を見る為に、再び座り込んだイヨは、そのおぞましい程の表情を浮かべる面を暫し見つめた。そして、深い溜息を吐き、表情を変化させる。

 

「……これはどこにあったのじゃ……?」

 

「この洞窟の奥へと続く部分に落ちていました」

 

 見上げるイヨの顔を見て、サラは落ちていた場所を告げる。

 サラの答えを聞き、イヨは静かに瞳を閉じた。

 

「……そうか……これは、おそらく『般若の面』じゃ……」

 

「『般若の面』?」

 

 その名を聞いたサラが、もう一度その名を復唱する。カミュやリーシャもその後の話を聞くためにイヨに近づき、メルエはしゃがみ込んで、その面を興味深そうに眺めていた。

 

「詳しくは知らぬ。我が<ジパング>の国主の家系にだけ伝わる古い話じゃ」

 

 そこで語られる<ジパング>の歴史に、リーシャは驚き、サラはどこか納得し、カミュは静かに表情を失くす。メルエだけが、興味を示さず、面の表情を見つめていた。

 

 

 

 

 

 女王を失った<ジパング>は、忘れ形見となった幼子を次代女王とし、その父親である側近を後見役とした。後見役となった男は、生来の性格のまま、真っ直ぐに国の為に奔走する。

 <ヤマタノオロチ>によって疲弊した国を立て直すために、自ら畑に出たり、狩りに出たりした。

 その中でたった一つ、民全員に命を出す。

 

 『<ヤマタノオロチ>の事を語り継ぐ事の禁令』

 

 忌まわしき過去に捉われる事なく、民が前へと進めるように、男は子や孫に<ヤマタノオロチ>という存在を伝える事を禁止した。自らを『鬼』に変貌させてまで、民を護った女王の意思を受け継いだのだ。

 故に、この<ジパング>で<ヤマタノオロチ>を知る者は誰もいなくなった。

 伝承とは、親から子、子から孫へと語り継がれる事によって成立する。長い年月の中、語り継ぐ者がいなくなり、それは言い伝えにもならず、風化して行ったのだ。

 

 唯一、王家と呼ぶ国主の家系だけを除いて。

 

 代々、国主となる者達にはその話が受け継がれていた。

 <ヤマタノオロチ>という怪物と、それを封印するために『鬼』となった女王。それは、国主としての心構え。己を犠牲にしてでも、民を護るという気概を教えるという目的の為に。

 イヨは、国主の娘。次期女王と言われる直系の娘なのだ。故に、幼い頃から子守唄代わりに、母親であるヒミコから聞かされて来た。だが、それが唯の言い伝えでない事を知ったのは、今の今であったのだが。

 故に、イヨが『般若の面』を見たのも、これが初めてであった。

 

 しかし、この<ジパング>には、直系の王家に伝わる伝承以外に、もう一つの言い伝えがある。

 

 

 

 

 

「……カミュ……お客様だ……」

 

 伝承を聞き終えたリーシャが、背中から<鉄の斧>を取り出した。振り向き、皆を護るように立つリーシャの向こう側にある暗闇から、それは姿を現した。

 同じように背中から剣を抜き放ったカミュが一歩前へ出る。

 

「……キサマラハ……?」

 

 中に伸ばされた首の部分についている口からはっきりと解る人語が語られた。その事実にサラは驚き、イヨは初めて見る<ヤマタノオロチ>の姿に驚愕する。

 

 祭壇の間に入って来たそれは、完全なる怪物。

 八つの頭を持ち、八つ尾を持つ。

 一つ一つの頭に付く目は、この洞窟に流れる溶岩のように真っ赤に染まり、背中には溶岩が張り付き、腹は、今まで食した者達の怨念のように血で赤く爛れている。

 その体躯は、この祭壇の間を覆い尽くすかのように巨大で、八つの頭がカミュ達五人を見下ろしていた。

 

 これが、<ジパング>が産土神と崇める物の姿。

 そして、<ジパング>という国を滅びへと誘う物の姿。

 

 数百年前から止まっていた時が、今、動き出す。

 

 

 

 




読んで頂きありがとうございました。

ようやく、あの暴力との対面です。
ドラクエⅢというゲームをプレイした人ならば、一度は全滅した経験をお持ちでしょう。
圧倒的な暴力。
それを次話では描けていればと思います。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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