新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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オロチの洞窟(ジパング東の洞窟)④

 

 

 

 祭壇の間を包む温度が上昇する。それは何も、この洞窟内に流れる溶岩の川だけが原因ではない。祭壇の間を覆い尽くす程の巨体を揺らすオロチが放つ威圧感と、八つの頭が持つ口から零れ出る炎の欠片が、周囲を熱気で包み込んでいるのだ。

 

「メルエ!」

 

「…………ん………スクルト…………」

 

 後方に控えるサラの言葉に頷いたメルエが、杖を振り下ろして詠唱を行う。前方で武器を構えるカミュとリーシャの身体が淡い光に包まれた。メルエの放つ魔法力の鎧が、一行を包み、その防御力を上げて行く。

 

「グォォォォォォ!」

 

 先程までの人語とは違う、オロチの咆哮が岩壁を震わせた。

 それが、戦闘開始の合図であった。

 

「カミュ!」

 

「ちっ!」

 

 リーシャの呼び掛けがカミュに届くよりも前に、カミュの身体が横へと弾かれる。オロチの尾の一つが、カミュの身体を薙ぎ払ったのだ。

 咄嗟に構えた<鉄の盾>で防いだカミュであったが、その威力は強力で、身体ごと岩壁に叩き付けられる。崩れる岩壁の一部を盾で防ぎながら、カミュは立ち上がった。

 

「グオォォォォォォ!」

 

「させるか!」

 

 よろけながら立ち上がるカミュに向かって一つの首が口を開いた。口の中に真っ赤に燃え盛る火炎を見たリーシャが、疾風の速さで斧を振るう。炎を吐き出すために下げられていた首に、リーシャの斧が吸い込まれた。

 しかし、鉄で出来た斧は、堅く覆われたオロチの鱗によって弾かれる。乾いた音を響かせて弾かれた斧で態勢を崩したリーシャの横合いから、別の首が大口を開けて襲いかかった。

 

「…………メラミ…………」

 

 大口を開けたオロチの牙が、リーシャの胴体に突き刺さる一瞬前に、オロチの顔程の火球がその顔面に直撃した。

 凄まじい叫び声を上げて首を振るオロチによって、岩で出来た天井が崩れて行く。

 

「メルエ! あの魔法はもう行使できますか?」

 

「…………ん…………」

 

 リーシャの危機を救ったメルエに向かって、サラが何事かを問いかけた。そのサラの質問の意図を正確に認識したメルエが、小さく頷きを返す。満足そうに笑みを溢したサラが、態勢を立て直したリーシャを指差し、メルエへと指示を出した。

 

「メルエ! リーシャさんに!」

 

「…………ん………バイキルト…………」

 

 リーシャに向けて振られたメルエの杖先から、不思議な光が放たれる。それは、リーシャの手に持つ<鉄の斧>を包み込むと、一瞬の内に、その刃先へと集約された。

 

<バイキルト>

『魔道書』に記載される、数少ない補助魔法の一つ。<スカラ>や<スクルト>とは対極に位置する魔法で、術者の魔法力を、対象となる武器に纏わせる事によって、その武器の威力を高める魔法。魔法力で包まれた武器の刃先は鋭く、堅い甲羅や鱗等をも破る程の威力を誇るようになる。

 

「カミュ!」

 

 メルエの<メラミ>を受けたオロチの頭が暴れる中、立ち上がったカミュ目掛けて他の首が口を開いた。魔法力を纏った<鉄の斧>を掲げたリーシャが駆け寄るが、それはオロチの尾によって防がれる。

 

「グオォォォォ!」

 

 大きく口を開けたオロチの口から真っ赤に燃え盛る火炎が見える。舌打ちと共に盾を掲げたカミュ目掛け、オロチはそのまま火炎を吐き出した。その名の通り<燃え盛る火炎>は、カミュに降り注ぎ、<鉄の盾>の表面を融解させて行く。その火炎の威力は、ここまでの道で遭遇した<溶岩魔人>が放った物以上であった。

 体内から吐き出される火炎は、終わりが見えず、カミュの盾を真っ赤に染め上げ、盾を握る皮膚をも焦がして行く。

 

「メルエ!」

 

「…………ん………ヒャダイン…………」

 

 サラの指示で振るったメルエの杖先から冷気が迸る。溶岩の川をも凍り付かせる程の冷気が、カミュに襲いかかる火炎とぶつかり合った。瞬時に凍りつく大気。それは、あれ程に燃え盛っていた炎をも凍り付かせて行く。

 ぶつかり合い、蒸発するように大気に還って行く冷気ではあったが、それは火炎も同様。最後には、火炎を吐き出していたオロチの口元も凍り付かせて行った。

 

「あっ!?」

 

 メルエの魔法の威力に改めて驚きを表したサラは、迫り来るオロチの別の首に気がつかなかった。唸る空気の音に気が付いた時には、もはや盾を掲げる時間もない程の距離となる。

 魔法を行使する時間もない。避ける時間など有ろう筈がない。故に、サラは降りかかる衝撃に備えて身構えるしかなかった。

 

「いやぁぁぁぁ!」

 

 しかし、サラの耳に飛び込んで来たのは、聞きなれた叫び声と、肉を切り裂く不快な音。目の前には、先程弾き返した筈の斧によって、片目を傷つけられ、体液を振り撒くオロチの顔があった。

 

「ギャァァァァオ!」

 

 メルエの<バイキルト>によって、その攻撃力を増した<鉄の斧>は、オロチの鱗を切り裂き、頭部から目の下の部分を大きく抉り取る。凄まじい痛みに、オロチは苦悶の声を上げ、首を引き戻した。

 

「…………リーシャ!…………」

 

「メルエ、大丈夫か? サラ、カミュの回復を!」

 

「は、はい!」

 

 足下で喜びの声を上げるメルエを振り返る事なく、リーシャはサラへと指示を出す。先程の火炎によって、かなりの火傷を負ったカミュの回復をするために、サラはリーシャの下を離れて行った。

 

「……許サヌ……許サヌゾ!」

 

 オロチの別の頭がリーシャを睨みつけ、再び人語を話す。

 その瞳は憤怒の色に燃え、自らの身体を傷つけた者を見下ろしていた。

 

 

 

「カミュ様! 今、回復を!」

 

 カミュの傍に駆け付けたサラが、<ベホイミ>を詠唱する。優しい緑色の光に包まれ、カミュの身体の火傷が癒されて行った。

 傷も癒え、立ち上がったカミュの腕をサラが押える。『まだ、やる事があるのだ』と。

 不思議に思い、振り返るカミュの手にある<鋼鉄の剣>へ向かって、サラは詠唱を開始する。

 

「バイキルト」

 

「??」

 

 自分の身体ではなく、武器に纏わりつく魔法力を不思議そうに見つめるカミュに、サラは苦笑を浮かべた。まるで剣をコーティングするように包み込んだ魔法力は、カミュの剣を鋭く光らせる。

 

「ふふ。これでも、補助魔法に関しては、メルエよりも上なのですよ?」

 

「……そうか……」

 

 リーシャの斧は、強大なメルエの魔法力を纏ってはいるが、サラには、それが少し雑に感じていた。対するカミュの剣が纏うサラの魔法力は、量こそ少ないが、きめ細かく剣の刀身を包み込み、鋭く尖らせている。

 魔法力の細かな操作が必要となる補助魔法は、サラの言う通り、メルエよりサラの方が上なのであろう。

 

「それは、魔法力を纏わせる事によって、武器自体の威力を上げる効力があります。これで、オロチの鱗を傷つける事も可能だと思います。<ルカニ>がオロチに対して効果があるかどうか分かりませんので」

 

「……わかった……」

 

 サラの説明を静かに聞いていたカミュが、魔法力を纏った剣を一振りし、感触を確かめる。まるで一体となっているように、纏った魔法力はぶれる事なく、剣を包み込んでいた。

 一度、小さく頷いたカミュが、怒りの全てをリーシャに向けようとしているオロチに視線を移し、行動を開始する。

 

「ピオリム」

 

 オロチに向かって駆け出したカミュの後方から、再びサラの詠唱が響いた。駆ける足が、羽のように軽くなる。周囲の時間がゆっくり流れ、まるで自分だけが世界を動いているような感覚の中、カミュは剣を高々と振り被った。

 

 

 

「メルエ、少し下がっていろ!」

 

「…………ん…………」

 

 怒りに燃える十五の瞳が、リーシャを射抜く。

 先程以上の威圧感が、リーシャの肌に突き刺さって来た。

 それでも、両者は動かない。

 いや、リーシャに至っては、正確には動けないのだ。

 

「グオォォォォォ!」

 

 オロチの咆哮が、再び祭壇の間に響き渡る。その叫びに、竦んでしまいそうになる足を叱咤し、リーシャは横に飛んだ。

 間一髪の間合いで、オロチの牙が、先程リーシャがいた場所に突き刺さる。その光景を見たリーシャの頬を一筋の汗が流れ落ちた。

 オロチの牙が突き刺さった地面は、まるで巨大な岩でも落ちて来たかのように割れ、大きな窪みさえ出来ている。もし、あの場所にリーシャがいたとしたら、それこそ原型を留めない程に粉砕されていた事は明白だった。

 

「…………リーシャ…………」

 

「メルエ、下がれ!」

 

 不安そうにリーシャを見つめるメルエを下がらせ、再び斧を構える。しかし、メルエからオロチへと視線を移したリーシャの瞳に、大口を開けたオロチの頭が映り込んだ。

 『まずい』と感じた瞬間、無意識にリーシャの身体は動いた。

 再度、横へと身体を飛ばすリーシャに向かって、オロチの口から<燃え盛る火炎>が吐き出される。人間を跡形もなく消し去る程の火炎が、リーシャの横を掠めて行った。いや、正確にはリーシャの左腕を飲み込んで行ったのだ。

 

「……ぐぅぅ……」

 

 盾を持つリーシャの左腕が、火炎によって焼け爛れ、だらりと垂れさがる。飲み込まれたと言っても、瞬時に離脱したため、リーシャの左肩から下が無くなるという事はなかった。

 もしかすると、それは、<テドン>で購入した鎧が少なからず影響しているのかもしれない。

 しかし、片腕を失ったリーシャが危機に瀕している事だけは事実。防御の要である盾を掲げる左腕を失ったリーシャに、オロチの別の首が襲いかかる。

 苦し紛れに、右腕で持つ<鉄の斧>を掲げるが、それは間に合わない。オロチの大きな口が開き、中にある鋭い牙がリーシャに迫る。

 

「おおぉぉぉぉ!」

 

 今にもリーシャの身体を喰い破ろうとしたその時、オロチの頭に横合いから剣が突き刺さった。突き出した目の下辺りに突き刺さった小さな剣は、その刀身を深々とオロチの体内へと沈めて行く。

 

「カ、カミュ!」

 

「リーシャさん! 今の内に腕を出してください!」

 

 オロチの頭に剣を突き刺し、その軌道を変えたのはカミュ。<ピオリム>によって、その身体能力を上げたカミュが駆けつけ、<バイキルト>によって、その攻撃力を上げた<鋼鉄の剣>を突き刺したのだ。

 激痛に暴れるオロチから無理やり剣を抜いたカミュが、再びオロチの首と対峙する。その隙に駆け寄って来たサラが、リーシャの焼け爛れた左腕に<ベホイミ>を唱えた。

 淡い緑色の光に包まれて癒されて行く腕を見る事なく、リーシャはカミュとオロチの攻防を突き刺すような視線で見る。どれ程にカミュの剣の腕が上がっていようと、数の上ではオロチの方が圧倒的に有利なのだ。

 四方八方から襲いかかるオロチの首と尾。それを避けながら剣を振るうのには限界がある。次第にその形勢はオロチに傾き、カミュがオロチの攻撃を避けきれなくなって行く。

 

「サラ! まだか!?」

 

「も、もう少しです! 今のままリーシャさんが向かっても、足手まといになりますよ!」

 

 癒しの光によって、徐々に感覚が戻って来た左腕を、サラから戻そうとしたリーシャに厳しい言葉が飛んだ。

 考えていたよりも強い力で腕を引き戻され、まさかサラに告げられるとは思わなかった言葉を聞いたリーシャは、悔しそうに顔を歪めながら、左腕が完全に回復するその時を待つ事になる。

 

「クハハハハ……人間ヨ、自ラノ愚カサガ理解デキタカ?」

 

 必死に避け続けるカミュを嘲笑うかのように、一体の首が上方へと移動し、カミュを見下ろす。その間も残る七体の首が絶えずカミュに襲いかかり、中でもリーシャに片目を潰された物は、憎しみを吐き出すようにカミュに牙を剥いていた。

 

「ちっ!?」

 

 カミュの大きな舌打ちは、最後まで空気を震わせる事なく、その身体と共に横へと吹き飛ばされる。首に集中し過ぎたカミュの死角から尾が飛び出して来たのだ。

 盾を出す暇もなく、カミュの脇腹に食い込んだ尾から、鎧越しに凄まじいばかりの衝撃を受け、カミュは岩壁に激突する。メルエが唱えた<スクルト>のお陰で、身体に異常は見られないが、もしその恩恵がなければ、何本かの骨を砕かれていた事だろう。

 舞い散る砂ぼこりの中、再び立ち上がるカミュに向かって、オロチの口が開かれる。その中には、先程から何度も見た<燃え盛る火炎>が渦巻いていた。

 

「…………ヒャダイン…………」

 

 盾を掲げようとカミュが動く前に、後方から稀代の『魔法使い』の詠唱が聞こえた。

 灼熱の洞窟内を動き回り、火照ったカミュの体温が急速に冷まされて行く。吐く息は瞬時に凍り、真っ白な大気へと変わって行った。

 

「グオォォォォォ!」

 

 自身が吐き出した火炎と拮抗する冷気に驚きの叫びを上げ、杖を振り下ろしたメルエへとオロチが視線を動かした。真っ赤に染まる巨大な瞳に睨まれたメルエの胸を、再び恐怖が支配して行く。

 硬直する身体。

 噛み合わない歯。

 徐々に迫り来るオロチの首に、メルエは成す術がなかった。

 

「メルエ!」

 

 自分を救う魔法を唱えたメルエの危機に、身体能力が上がった身体を無理やり動かすが、それでもカミュの剣は間に合わない。しかし、カミュは途中で何かを見つけ、自身が進む方角を変更し、剣を構え直す。

 

「うおりゃぁぁぁ!」

 

「ルカニ!」

 

 そう。

 彼には、信じる事の出来る者達がいる。

 自身一人では、何も成し得ない事を彼は知っている。

 アリアハンを出る時、自身は旅の途中で死す物だと覚悟していた。

 だが、今は、死ぬ事を許容できない理由もある。

 そして、何よりも、自分が一人ではない事を学んでいた。

 

 それが、彼がこの長い旅で築いて来た『絆』

 

 

 

「グギャァァァァァ!」

 

 オロチの苦悶の叫びが、祭壇の間に響き渡る。飛び散る体液。狂ったように上げられたオロチの首は、斧で切り裂かれ、深々と抉られていた。

 

「メルエ!」

 

「…………ん………イオ…………」

 

 リーシャの背中に護られ、勇気を取り戻したメルエが、サラの叫びに杖を振るう。狂ったように動き回るオロチの首を取り巻く空気が瞬時に収束し、欝憤を晴らすかのように弾けた。

 凄まじい爆発音を響かせ、オロチの首に刻まれた傷口を中心に眩いばかりの光が弾け、先程以上の体液が飛び散る。

 

「よし! カミュ! 一つ一つ倒して行くぞ!」

 

 落ちて来たオロチの首を見て、リーシャがカミュへと指針を伝える。大きな音と振動を立てて地面に落ちたオロチの一体の首には、巨大な瞳と裂けた口がある顔は付いていなかった。

 首から先を失った蛇のような巨体は、数度動き回った後、その動きを停止させる。

 

「メルエ! イオは駄目です! この洞窟自体が壊れてしまいますよ!」

 

「…………むぅ…………」

 

 せっかく効果があった魔法をサラに窘められ、メルエは頬を膨らます。強大な敵を目の前にしても尚、いつも通りの対話を成す仲間達に、カミュは無意識に頬を緩めた。

 

「……そなたらは……何者なのじゃ……」

 

 しかし、それを微笑ましく見る事の出来ない者が一人。後ろに下がらされた、次期女王である。

 予想以上に強大なオロチの力。しかし、それに対し、何度倒されても立ち上がる四人の姿。それは、争いとは縁遠い<ジパング>の皇女にとって、信じられない域の物だった。

 

 実際、近年は<ジパング>に訪れる旅人の数は皆無に等しい。海に住む魔物達の凶暴さも増し、魚介の狩猟も難しくなっていた。そんな時代にも拘わらず、この辺境の島国を訪れる旅人が凡庸な者達な訳がない。

 それを理解していたからこそ、イヨは彼等に託したのだ。

 

 だが、彼等の能力は、イヨの考えを遙かに超えていた。

 それは、イヨの胸に新たな感情を呼び起こす。

 オロチを倒してくれるという『期待感』ではない。

 オロチへ向けられた最初の感情と同じ『恐怖』

 未知の物へと向けられる、生命体としての当たり前の感情。

 

「わ、わたしたちは……」

 

 振り向いたサラは、イヨの表情を見て全てを悟った。

 そして、サラの頭に浮かんだもの。それは、盗賊の被害を受けていた商業都市に住む人間達の顔。『やはり』という思いが、サラの頭を駆け巡る。

 もはや、あの時のように、人外の能力を持つ者は、何もカミュだけではない。

 

 『戦士』として、『騎士』として成長を続けるリーシャ。

 年端も行かぬ少女でありながら、この世界に生きるどの魔法使いよりも高度な呪文を使いこなす事の出来るメルエ。

 そして、『賢者』となり、神魔両方の魔法を行使する自分。

 彼ら四人は、既に『人』としての枠組みを大きく超えてしまっていた。それこそ、『人』では対抗する事の出来ない魔物達や、その上に君臨する『魔王バラモス』と対峙する事を可能にしようとする何かに導かれたように。

 

「……わ、わたしたちは……『魔王』を倒す為に旅をしています」

 

 サラやイヨの視線の外では、カミュとリーシャが懸命にオロチの首達と格闘を演じていた。

 オロチの強烈な牙を盾で防ぎ、魔法力を纏った武器を突き出す。別の首に付いた口から吐き出される<燃え盛る火炎>を避け、その下顎に向けて武器を振るっているのだ。

 メルエだけは、いつ魔法を行使するべきなのかを迷い、サラとカミュ達を見比べ、眉を下げている。

 

「……魔王……?」

 

 そんな中、イヨとサラの会話は続けられる。聞き慣れぬ単語に、イヨの瞳に浮かんでいた『恐怖』が『疑問』に変化して行った。

 

 これが、辺境の島国の限界。

 近年の魔物の凶暴化による旅人の減少が原因の一つではあるが、それ以上に、<ジパング>特有の排他的な国民性が一番の原因なのかもしれない。

 『ガイジン』と呼ばれる者達の話を信じる者等、誰一人としていなかった。ましてや、見た事も聞いた事もない『魔王バラモス』という存在が世界を破滅に追い込むなど信じよう筈がない。

 <ジパング>にとって、世界とはこの島のみ。それは小さな視野しか持つ事のなかった国民達の知識の少なさから来た物でもあった。

 

「……」

 

 サラは、驚きと疑惑を浮かべるイヨの瞳に、絶望に近い感情を持ってしまっていた。再び告げられる拒絶を予想し、サラの瞳の中に灯り始めていた『自信』が揺らいで行く。

 俯きかけたサラに、メルエが何かを告げようと口を開きかけた時、イヨとサラの間で止まっていた時間が動き出した。

 

「……ふっ……そうじゃったか……そなたらは、妾が知らぬ高みへと昇ろうとする者達なのじゃな……」

 

 サラの不安。

 それは、この小さくも強く美しい島国の次期女王の資質を侮る物。

 強く折れない魂を持つ民が住む、<ジパング>という国を疑う行為。

 そんなサラの悩みは、まるで、小さく無意味な物のように、次期女王によって一蹴された。

 

 『魔王』等という存在は知らない。この<ジパング>において、もし『魔王』という存在がいるとすれば、それは目の前で咆哮を上げている<ヤマタノオロチ>に他ならない。しかし、それと戦う者達は、『そんな一国にとっての厄災は、通過点に過ぎない』と言うのだ。

 『自分達は、その先に存在する、それ以上の物と戦う為にいるのだ』と。

 イヨは、その言葉を聞いた時に、彼ら四人に対する『恐怖』を捨て去った。『自分のような者が、理解しようとして出来る者達ではないのだ』と。

 

「済まぬ。この国を……我が<ジパング>を救ってくれ」

 

「……イヨ様……」

 

 『自分にはオロチに対抗する能力はない』

 それを理解して尚、『この者達に縋って良いのか?』という疑問も消えない。

 それでも、イヨの瞳は決意に満ちていた。

 

「はい! オロチを倒した後は、イヨ様に……」

 

「わかっておる! 委細承知じゃ。そなたらに、我が国の存亡を託す」

 

 サラの言葉を途中で遮ったイヨに、サラが大きく頷く。サラの不安が全面的に消えた訳ではない。それでも、この自分よりも年下の王に、サラは敬意を払わずにはいられなかった。

 

「…………サラ…………」

 

 そんなサラの後ろから、どこか自信の無さげな声が届く。振り向くと、眉を下げたまま、おろおろとするメルエの姿。

 自分が魔法を唱える時に、制止するサラには不満顔をするメルエであったが、実際カミュやリーシャが苦戦している中、カミュとリーシャに被害を出さぬように呪文を行使する場面が解らず、サラへと助けを請うていたのである。

 

「はい! ごめんなさい、メルエ。さあ、行きましょう!」

 

「…………ん…………」

 

 再びサラとメルエは、前へと足を踏み出す。

 後ろで待つ者が大切にする<ジパング>という国を救う為に。

 その国に生きる、数多くの民達の為に。

 そして、何より、自分達と旅する『仲間』達を援護する為に。

 

「カミュ!」

 

「ちっ!」

 

 カミュ達は、明らかに苦戦していた。

 一体の首を失ったといえども、オロチの首は七体。

 そして、尾は八つのまま。

 その尾の一つが、横合いからカミュに襲いかかる。リーシャの声に反応し、咄嗟に横に避けたカミュの背中を別の尾が襲った。強い衝撃を受け、カミュが吹き飛ばされる。

 岩壁に直撃し、倒れたカミュは、その場で真っ赤な血を吐き出した。それは、明らかに体内を傷つけられた証拠。

 

「サラ!」

 

「はい!」

 

 後方に近づいてくる『賢者』に激を飛ばし、リーシャは追い打ちをかけるように襲いかかるオロチの首に斧を振るう。

 オロチの体液が飛ぶが、その傷は浅い。巨大な瞳がリーシャを捉え、その口が大きく開かれた。

 

「メルエ!」

 

「…………ん………メラミ…………」

 

 カミュへと駆け寄り、<ベホイミ>を唱えるサラの指示を聞き、メルエが杖を振るう。杖の先から飛び出した大きな火球は、口を開きかけたオロチの鼻先に直撃した。

 火球の影響で鼻先の空気を失ったオロチがもがき苦しむ。

 

「ルカニ!」

 

「うおぉぉぉぉ!」

 

 カミュの回復を終えたサラの詠唱が響き、それと同時にリーシャが斧を振り被り跳躍する。ちょうど下に落ちて来たオロチの顔面に向かって振り下ろしたリーシャの斧は、眉間へと吸い込まれ、<ルカニ>によって低下した鱗を突き破った。

 

「グギャァァァァ!」

 

「やあぁぁぁぁ!」

 

 凄まじい叫び声を上げたオロチが首を上げる直前に、駆け込んで来たカミュが、リーシャの作った傷跡に<鋼鉄の剣>を突き入れる。脆くなった鱗を突き破り、深々と刺さった剣を握ったまま、カミュは上空へと投げ出された。

 

「…………スカラ…………」

 

 上空から落下するカミュに向かってメルエが杖を振い、カミュの身体がメルエの魔法力に強く包まれて行く。魔法力に護られ落下したカミュは、立ち上がり際に襲いかかる<燃え盛る火炎>を避ける為に盾を掲げた。

 

「ヒャダルコ!」

 

 それは、幼い魔法使いではなく、補助の呪文を得意とする『賢者』の左腕から放たれた冷気。

 オロチの<燃え盛る火炎>と拮抗する程の力はなく、ましてや押し戻す力もない。それでも、カミュがその場から離脱するだけの時間は与える事が出来た。

 

「…………むぅ…………」

 

「……はぁ…はぁ……いつまでも、メルエに負けてばかりではいけませんからね」

 

 サラの発した魔法を正確に理解したメルエが頬を膨らますのを見て、傍に戻って来たサラが息を乱しながら軽く微笑む。『ぷいっ』と顔を背けたメルエではあるが、杖を握り締めたまま、サラの次なる指示を待っていた。

 これで残るオロチの首は六体。最強の種族である『龍種』であろうと、サラの補助呪文は効果を示し、メルエの攻撃魔法は確かにオロチを弱体化させている。

 

「行くぞ、カミュ!」

 

「……」

 

 リーシャの呼びかけに、カミュは一つ頷いた。駆け出すリーシャの腕には、掠めた牙で出来た傷跡があり、今も鮮血を滴らせている。カミュの顔や首や腕には、先程の火炎を受けた火傷で爛れた部分が残っている。

 決して楽な戦いではない。サラの回復呪文がなければ、カミュもリーシャも疾うの昔に命を落としていた。

 彼等もまた、満身創痍で戦っているのだ。

 

「……許サヌ……『人』如キが!」

 

 カミュとリーシャの脳に直接響くかのようなオロチの叫びが轟く。

 同時に動き出した数本の尾が、様々な方向からカミュ達に襲いかかった。

 

「ルカナン!」

 

 後方の『賢者』が唱えた補助魔法が、数本の尾を輝かせる。強度を失った鱗に覆われた尾にリーシャは斧を振り下ろし、別角度からリーシャを襲う尾をカミュが盾で受け止めた。

 メルエの魔法力に護られたカミュは、凄まじい衝撃を受けながらも、必死に足を踏みしめ、尾を受け止める。リーシャの斧は正確にオロチの尾の一本を切り裂いた。

 

「…………ヒャダイン…………」

 

 動きの止まった数本の尾に向かって、希代の魔法使いが氷結呪文を詠唱する。リーシャの首筋を掴んだカミュが真横へと飛ぶと、それを掠めるように周囲の空気が凍りついて行った。

 空気が凍り、それは冷気の刃となってオロチの尾に襲いかかる。

 

「ギャォォォォォォ」

 

 氷の刃が突き刺さった三本の尾が、その刃を中心に凍りついた。地面へと落ちる巨大な氷の塊。その重力に従い、地面に落ちたと同時に、大きなひびが走って行く。

 

「うぉぉぉぉぉ!」

 

「やぁぁぁぁぁ!」

 

 その隙を見逃さず、カミュとリーシャが同時に武器を振り落す。乾いた音を立て、尾を凍らせた氷のひびが広がり、粉々になって砕け散った。

 返す刀で、もう一つの尾も砕いたカミュは、『怒り』に燃えたオロチの真っ赤な瞳を見る。

 

「グオォォォォォォ!」

 

 オロチの叫びよりも一瞬早くカミュとリーシャは動き出した。叫びと共に、三体の首がメルエに向かって、その狂暴な口を開いたのだ。

 三体の体内から吐き出される凄まじいまでの火炎。それは、メルエだけではなく、サラまでをも飲み込む程に強大だった。

 

「ぐぐぐ……」

 

「くっ……」

 

 しかし、その火炎は幼い魔法使いには届かない。全身を焼かれるような熱に包まれながらも、その大きな背中が彼女を護っていた。真っ赤に変色した<鉄の盾>を掲げ、カミュとリーシャがメルエの前に立ち塞がったのだ。

 既に盾の表面は融解している。何度も火炎を受け、何度も牙を受けた盾は、その役目を終えようとしているのかもしれない。

 

「メルエ!」

 

「…………ん………ヒャダイン…………」

 

「ヒャダルコ!」

 

 炎により、真っ赤に染まる視界を目にしながら、サラはメルエへと叫ぶ。その声に呼応するように、メルエは再び氷結呪文を唱えた。同時にサラもまた、自身が習得している最強の氷結呪文を唱える。

 <魔法の鎧>に護られていない部分全てが焼け爛れ始めたカミュ達の後方から、それらを冷やす冷気が吹き抜ける。未だに吐き出される火炎とぶつかり合う形となった冷気が、カミュ達の盾から火炎を引き離した。

 

「……」

 

 もはや、カミュ達に合図はいらない。

 『自分達の前には、必ず彼等がいてくれる』とサラとメルエは信じている。

 『自分達の後には、必ず彼女達がいてくれる』とカミュとリーシャは信じている。

 

 それは、彼ら四人が築き、そしてこれから更に強めて行く『絆』

 

「おりゃぁぁぁぁ!」

 

「いやぁぁぁぁぁ!」

 

 カミュとリーシャの叫びが木霊する。

 既に火傷によって、武器を持つ腕に感覚などありはしない。

 熱気にやられた、腫れた瞼によって、視界も朧気である。

 それでも、二人は手に持つ武器を力の限りに突き出した。

 

「グギャァァァァァ」

 

 火炎を強く吐こうと下していたオロチの頭部に、カミュの剣が突き刺さる。急に飛び出して来た二人に戸惑うオロチの頭部に、リーシャの斧が振り下ろされる。正確に急所を突いた二人の武器が、オロチの二体の頭部から生気を奪って行った。

 力無く地面へと落ちた二体の首。

 カミュ達に油断はない。もはや、赤く腫れ上がった腕からは膿のような物が噴き出し、焼け爛れた皮膚からは真っ赤な血液が滲み出している。それでも、カミュとリーシャは武器を振るった。

 迫り来る尾に斧を合わせたリーシャは、その尾を分断する。余計な力が抜けたリーシャの攻撃は、まさに<会心の一撃>。

 丸太のように太い尾を、小さなリーシャの斧が切り裂いて行く。地面へと落ちた尾は、数度跳ねた後、ぴくりとも動かなくなった。

 

「リーシャさん、下がって!」

 

 サラの声を聞き、下がろうとしたリーシャの視界に、カミュが剣を振り下ろすのが見えた。カミュへと襲いかかったもう一つの尾を切り裂くために振り下ろされた<鋼鉄の剣>は、真っ直ぐにオロチの尾に吸い込まれて行く。

 

 パキ―――――ン!

 

 しかし、その剣は、尾を最後まで分断する前に、祭壇の間に響き渡る程の音を立て、あらぬ方向へと飛んで行った。

 カミュの腕には、柄の部分だけが残っている。

 折れたのだ。

 ここまで、何度も魔物を斬り、人をも斬って来た剣。

 サラの魔法力が解けた訳ではない。魔法力に覆われ、その攻撃力と耐久力を上げて尚、それは寿命だった。

 

「カミュ! 一度下がれ!」

 

 既に、カミュもリーシャも限界である。

 視界は歪み、吐く息も荒い。

 痛む身体に鞭打ちながらも、二人はサラの元まで戻った。

 四つの頭部と、五つの尾を失ったオロチは、狂ったのように首を動かし、何度も天井や岩壁に首や尾をぶつけていた。それは『痛み』の為なのか、それとも抑えきれない『怒り』の為なのかは解らない。ただ、幸いにも、サラがカミュ達二人に回復呪文を唱える時間が与えられた事だけは事実。

 

「べホイミ!」

 

 既に何度目かすらわからない回復呪文を唱え、カミュ達の身体に刻まれた痛々しい程の傷を癒して行く。その間も、暴れ続けるオロチの姿を見ながら、カミュは状況を正確に分析していた。

 いくつかの頭部と尾を倒したといえども、オロチにはまだ半分の頭部が残っている。回復呪文で傷は修復されたといえども、カミュもリーシャも体力的には限界が近い。更には、サラもメルエも、ここまで呪文を行使し過ぎている。これまでの経験上、彼女達の魔法力の限界も近いだろう。

 

「カミュ、どうする?」

 

「……」

 

 カミュの表情を見て、それがリーシャには伝わったのだろう。彼女の瞳に諦めは見えないが、瞳の中に微かに宿る不安は隠し切れていなかった。そして、自分の問いに黙して語らないカミュを見て、それは大きくなって行く。

 

「…………あたらしい………おぼえた…………」

 

「えっ?」

 

「なに?」

 

 しかし、その不安は、予想もしない方向から払拭される。痛々しいカミュ達の傷跡が癒されて行く事に安堵した幼い『魔法使い』が、もはや聞き慣れた言葉を口にしたのだ。

 聞き慣れたとはいえ、場面が場面なだけに、サラとリーシャは素っ頓狂な声を上げてしまう。カミュでさえ、驚いたように、笑顔を向けるメルエに視線を動かした。

 

「……やれるのか……?」

 

「…………ん…………」

 

 聞き返すカミュに、メルエは大きく頷きを返す。メルエの頷きを見たカミュは、その視線をサラへと向けた。

 メルエの魔法が何かはわからない。それでも、サラはメルエがこう言う以上、この状況を打破できる物だと理解した。

 

「わかりました。隙を見つけます」

 

「頼むぞ、サラ。では、カミュ。私達はもう一度、あの地獄の釜の中へでも入りに行くか?」

 

「……」

 

 カミュの視線に力強く頷いたサラを見て、リーシャは微笑みを返す。そして、どこか楽しい場所にでも行くかのように誘うリーシャに、カミュは大きな溜息を吐き出した。

 

「グゥォォォォォ!」

 

 時を同じくして、暴れるのを止めたオロチがカミュ達に向かって咆哮を上げる。真っ赤な瞳は、怒りを隠そうともせずにカミュ達を射抜いていた。

 もはや、その『憤怒』は限界を超えたのだろう。既に人語を話す事はなく、魔物のような咆哮だけを叫び続けている。

 

「……行くぞ……」

 

「ああ!」

 

 サラから槍を借りたカミュは、再びオロチと向き合う。

 行動開始の合図に応えるリーシャの声と同時に、カミュ達は駆け出した。

 

「メルエ、まだですよ」

 

「…………ん…………」

 

 オロチの首も尾も、怒りの為か視界が狭くなっている。自分の近くへ駈け出して来たカミュとリーシャのみに意識を集中し、サラとメルエの存在を忘れているようだった。

 それは、またとない機会。前衛の二人が敵を引き付けている間に、後衛の二人が詠唱の準備をする。それは、このパーティーの最強布陣。

 

 オロチの口は火炎を吐き出すが、それは先程までのような正確性はない。怒りの為なのか、魔物としての本能のみで動いているためなのか、カミュとリーシャの動きを追うのみで、その行動を先読みする事はなかった。

 尾の方も、先程カミュが傷つけた物は何度かの動きに耐えきれず、ほぼ千切れかけている。残る尾は三つ。

 

「カミュ! お前しか使えない魔法は駄目なのか!?」

 

「……あれは、空が見えなければ使えない……」

 

 尾の攻撃を弾き返したリーシャが、背中合わせでカミュへと問いかけるが、その答えは期待通りの物ではなかった。

 確かに『天の怒り』と呼びし雷を支配下に置くのだ。それの住まいし空が見えなければ、呼び出す事すらも出来ない。

 

「……あれ以上の物ならば……わからないが……」

 

「なに!?」

 

 オロチの吐き出した火炎に、カミュの呟きは搔き消される。再度問いかけるリーシャであったが、それに答える余裕はカミュにはなかった。

 冷静さを取り戻しつつあるオロチの攻撃が的を射て来たのだ。

 

「くっ!」

 

 牙の攻撃を避けた所に、尾が唸り声を上げる。横っ腹に尾の衝撃を受けたカミュが吹き飛ばされた。吹き飛ばされたカミュに意識を移したリーシャもまた、オロチの頭部が持つ鋭い牙に、腕を切り裂かれる。

 

 飛び散る鮮血。

 真っ赤な液体を見て、愉悦に歪んだオロチの口元が大きく開かれた。

 その時、心待ちにしていた者の叫びが、祭壇の間に響き渡る。

 

「メルエ!」

 

「…………ん………イオラ…………」

 

 大きく開いたオロチの口の中の空気が真空と化す。瞬時に収束され、空気は圧縮されて行った。

 吐き出そうとしていた火炎が萎んで行き、変わりに圧縮された空気の塊が膨らんで行く。

 

「くっ!」

 

「うわっ!」

 

 それは、一瞬だった。

 カミュとリーシャの視界が奪われ、祭壇の間の光と音が完全に失われる。

 遅れて轟く、凄まじいまでの爆発音。

 目の前が真っ白になった後に弾け飛ぶ光。

 それは、先程メルエが唱えた<イオ>の比ではなかった。

 

<イオラ>

イオの上位に位置する爆発魔法の一つ。それは、『魔道書』の最後のページに記載されている『魔道書』最強の攻撃呪文。『魔法使い』と呼ばれる職業の者が習得できる最後の呪文であるが、未だ曽て誰一人として習得した者はいないと云われている。その爆発は、光と音を失わせ、全ての物を破壊するとまで云われていた。

 

「……カミュ……」

 

「……」

 

 視界が戻り、目の前に広がる光景に、カミュとリーシャは言葉を失った。そこには、根元から失われたオロチの一体の首と、吹き飛んだ頭部の一部であろう肉片が散らばっている。残った三体の首も無事ではなく、一つの頭部は、半分の鱗を吹き飛ばされ、焼け爛れたように肉を露にしていた。

 

「……グググ……コノヨウナ……コノヨウナ事ガ……」

 

 頭部と尾を半分以上失った<ヤマタノオロチ>は、人語で何かを呟きながら、身体を引きずるように祭壇の間の出口へと向かって行く。

 我に返ったリーシャが後を追うように立ち上がるが、思うように身体が動かない。不思議に思い、足下を見ると、先程の爆発の余波で、足が焼け爛れていた。

 出て行くオロチを見ながら、カミュに肩を借りて立ち上がったリーシャの許にサラが近寄り、回復呪文を唱える。徐々に癒されて行くリーシャから視線を外したカミュは、足下に転がっている一つの尾に目を留めた。

 

「……なんだ……?」

 

 それは、カミュが剣を折りながらも斬り裂いた尾。

 その尾の内部から何かが突き破り、眩い光沢を放っていたのだ。

 近寄り、その光沢を目にしたカミュは驚きに目を見開く。

 

「それは……剣か?」

 

 治療を終えたリーシャが、カミュの手にした物に視線を向け、問いかける。カミュはそれには何も答えず、引き出した剣の柄を持ち、感触を確かめるように数回振るった。

 何とも言えぬ感触は、まるで剣自らカミュを主として認めたように、手に吸い付くような物だった。

 

「メルエ! イオは駄目だと言ったではありませんか!?」

 

「…………イオ………じゃない…………」

 

 そんなカミュとリーシャを余所に、サラがメルエを窘める声が響く。そんなサラから顔を背けたメルエが、小さく反論した。

 その魔法は、おそらく<ヒャダイン>と共に契約を済ませていたのだろう。それでも、メルエは今までその魔法を行使しなかった。メルエにとって、新しい魔法はサラの指示なくしては唱えられない物と認識されているのかもしれない。バハラタ東の洞窟にて、<メラミ>を唱えた時に、リーシャに言われた言葉をメルエは憶えているのだろう。

 

「もう!……カミュ様、とりあえずこの場所から出ましょう。先程の<イオラ>によって、洞窟の岩壁が脆くなってしまっている可能性もあります」

 

「……わかった……」

 

「カミュ! オロチを追うぞ!」

 

 サラの言い分を理解したカミュは一つ頷くが、リーシャの言葉に視線を動かした。その先には、ここまでの戦いに茫然としていた次期女王。まるで、信じられない物でも見るように見開かれていたその瞳に生気が戻って行く。

 

「わ、妾も行くぞ!」

 

 カミュの視線に我に返ったイヨは、気丈にも立ち上がり、自力で歩き出した。先頭に立ったイヨは、その足で未だに固まっている民達の傍に歩み寄る。その後ろをカミュ達四人が続いた。

 

「……そろそろ、魔法の効力も切れる筈だ……」

 

 後方から掛るカミュの言葉に、イヨが安堵の溜息を吐くと同時に、民達の身体の色が変化し始めた。

 無機質な鉄色をしていた身体に血の気が戻って行く。徐々に肌に色が戻った民達は、数度の瞬きの後、息を吹き返し周囲を見渡していた。

 

「……よかった……よかった……」

 

「……イヨ様……?」

 

「我々は?」

 

 民達の身体に触れ、何度も安堵の言葉を洩らすイヨを不思議そうに見つめ、民達は自分の身に起こった事を理解できずにいる。その光景にサラは微笑み、リーシャも頬を緩めた。

 マントの中に隠れたメルエを連れ、カミュは祭壇の間の出口へと向かって歩き出す。

 

「待て、カミュ!」

 

「イヨ様、行きましょう!」

 

「……ぐずっ……うむ……」

 

 カミュを追って歩き出すリーシャ。

 イヨに声をかけ、自身もリーシャを追うサラ。

 目元を軽く拭った後に、その後をイヨも追って行く。

 状況が認識できない数名の民は、イヨの後ろに付いて歩き出すしかなかった。

 

 <ヤマタノオロチ>は未だに生きている。

 倒さぬ事には、<ジパング>に平和が訪れる事はない。

 再び、彼等は『死闘』への道のりを歩み始める。

 

 

 

 

 




読んで頂きありがとうございました。

私の勝手な想いですが、今回の話と次話は、ドラゴンクエストⅡのラスボス戦の音楽である「死を賭して」をイメージして描いていました。
死闘という意味では、今のカミュ達の力では、オロチはとてつもない強敵だと思うのです。
皆様の頭の中にも、「死を賭して」が流れていたら、これ程嬉しい事はありません。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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