新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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ジパング③

 

 

 

 祭壇の間を出た一行は、再び十字路まで足を進める。先に出て行ったオロチは、相当なダメージを受けていたのだろう。巨大な身体を引き摺るように動いていたのか、地面に大きな溝を作り、体液の跡を残したまま十字路を左に曲がっていた。

 

「カミュ! ここは右ではないか?」

 

「えぇぇ!?」

 

「……少し黙っていろ」

 

 明らかな痕跡が目の前にあるにも拘らず、在らぬ方向へと導こうとするリーシャにサラは驚きの声を上げた。

 イヨを護るように最後尾に移動していたリーシャからは、オロチの痕跡が見えなかったのかもしれない。それでも、振り返る事もなく呟いたカミュの言葉は、メルエの唱える氷結呪文のように冷たく冷え切っていた。

 

「……メルエ、大丈夫か……?」

 

「…………ん…………」

 

 先程、その方角へ心の底から怯えを表していたメルエを気遣い、カミュが声をかける。マントの中から顔を出したメルエが、それに対して力強く頷いた。

 一度メルエに優しい表情を浮かべたカミュが瞬時に表情を引き締め、オロチの痕跡が続く左の通路へと歩き出す。

 

 そこは、<ジパング>に伝わる、『地獄』そのものだった。

 所狭しと噴き出す溶岩は、後続の溶岩の力で固まる事はなく、まるで大海のように波打っている。それは、正しく『溶岩の海』。

 その溶岩の影響で、周囲の温度は信じられない程に高まり、<魔法の鎧>や<魔法の法衣>を装備しているカミュ達の額にも汗が噴き出し始めた。マントに包まっていたメルエは、余りの暑さに、呼吸が難しくなり、マントの外へと顔を出す。

 

「カミュ様! あ、あれは!?」

 

 周囲の景色に怯む一行に、常に思考を止めない『賢者』の声が響く。

 サラが指差す方角は、溶岩の海の上を渡るための橋が掛っている。人的な物なのか、それとも自然が造り出した神秘なのかは解らない。だが、その橋の先の空間に歪みが生じている事だけは、誰の目にも明らかだった。

 

「……どうするのじゃ……?」

 

「……カミュ……」

 

 先頭に立つ青年は、その歪んだ空間を見つめている。その様子に不安になったイヨが問いかけるが、それに対して答える事もない。しかし、最後尾から移動して来たリーシャの問いかけに、カミュはようやく口を開いた。

 

「……行くしかないだろう……」

 

 その言葉と共に、カミュは溶岩の海の上に掛る橋を渡り始める。リーシャに向かって頷いたサラが続き、イヨやジパングの民を先に行かせた後をリーシャが続いた。

 噴き出す溶岩が信じられない程の高温を発している。カミュ達とは違い、着のみ着のままでこの洞窟へと入って来た民達の身体から滝のような汗が流れ始め、その疲労は一歩歩く毎に増して行った。

 

 

 

「……これは……」

 

 ようやく目的の場所に辿り着いたカミュは、歪んだ空間の先に見える景色に言葉を失う。その言葉を聞き、覗き込んだサラも言葉に詰まった。

 唯一人、その空間の先にある場所で生を受け、これまでを過ごして来た者だけは、『驚き』と『怒り』を露にした。

 

「こ、これは!? 我が屋敷ではないか!? どういうことだ!?」

 

 歪んだ空間の先に見えた光景。

 それは、カミュ達が<ジパング>を治める女王に謁見した場所。

 独特な佇まいの屋敷の中でも、更に独特な雰囲気を持つ広間だった。

 

「……そういう事か……」

 

「……カミュ様……」

 

 その光景を見た瞬間、カミュは何かを理解し、言葉を洩らした。

 それは、サラも同じ。

 顔をカミュへと向けたサラの表情がそれを物語っている。

 

「怪我などの回復は良いな?」

 

「ああ」

 

「…………ん…………」

 

 サラの視線を無視し、カミュは後方にいる戦士に向かって声をかける。その声に呼応するように、リーシャは頷きを返し、マントから顔を出しているメルエも頷いた。

 メルエに至っては、身体に怪我らしい怪我を付けてはいない。しかし、リーシャはカミュの表情を見て、戦いが近い事を理解した。

 

「……行くぞ……」

 

「わ、妾も参るぞ!」

 

 カミュは、呟きと共に、歪んだ空間へと踏み出して行く。弾かれるように、顔を上げたイヨが、その後を追って駆け出し、おろおろとする民達を中へと誘い、サラとリーシャも空間へと吸い込まれて行った。

 最後のリーシャの足が吸い込まれたのを確認したように、灼熱の洞窟内に出来た空間の歪みは集束し、何もなかったかのように消えて行く。

 

 

 

「イ、イヨ様、どちらにいらしたのですか!?」

 

「な、なんじゃ!?」

 

 カミュ達が出た場所は、空間の歪みの外から見た通り、<ジパング>の国主が住まう巨大な屋敷の中だった。

 不可思議な現象に目を奪われ、目を丸くしたまま周囲を見渡していたイヨの横から侍女の声が響く。急に我に返ったイヨは裏返った声を上げるが、そんなイヨの状態を気にかけている余裕もない程に、慌てた様子を見せる侍女は口を開いた。

 

「ヒミコ様が……ヒミコ様が酷い大怪我を負われて、戻られたのです!」

 

「なに?」

 

 この国の皇女は愚か者ではない。本日自分が見て来た物の大半は、ここまで生きて来た中で培った知識が及ばない程の不可思議な物が多かった。それでも、彼女は確かにその不可思議な物が生み出す力を見たのだ。

 

 <ヤマタノオロチ>という、産土神として崇めていた物の本当の姿。

 そして、その化け物の持つ、強大な力。

 また、それに対抗する者達が行使していた摩訶不思議な能力。

 

 <ジパング>には、『魔法』という概念はない。

 外からの旅人が集落の中で行使する事などあり得ず、『精霊ルビス』という存在を知らない民達が、『魔法』という不可思議な能力を知り得る訳がないのだ。

 

「……そういう事なのか……?」

 

「……おそらくは……」

 

 だが、それでもイヨは、この者達の行使する能力を見たままに理解した。

 『そういう物なのだ』と。

 『自分の知らない事が、この広い世界には多くあるのだ』と。

 故に、侍女の言葉も、イヨの胸に奇妙な形ではあるが、すんなりと落ちて行く。そして、尋ねるように向けた視線に頷きを返したカミュを見て、イヨは全てを理解した。

 

「許さぬ……」

 

 一言発した後、イヨは黙り込んだ。

 まるで、己の中にある何かと葛藤しているように。

 

「イヨさ……」

 

「サラ、大丈夫だ」

 

 その場で立ち尽くし、瞳を閉じたイヨに対し、言い表せぬ不安を抱いたサラが駆け寄ろうとするが、それはリーシャの腕に制止された。リーシャもサラの不安の原因は理解している。それでも、この次期女王がその葛藤に打ち勝つ事を信じていた。

 

「……妾は、先に行く……」

 

「あっ!? お待ちください!」

 

 小さな呟きを発し、イヨは駆け出した。それを見たサラは、言いようのない恐怖に駆られる。『この<ジパング>国主の家系に伝わる『鬼』になってしまうのではないか?』と。

 そして、サラの不安はそこにあった。

 

 伝承に残る女王は、オロチへの『憎しみ』に駆られた訳ではない。『民を護る』という純粋な想いによって、自らを『鬼』に変えた。

 しかし、今のイヨは『憎しみ』と『怒り』に駆られ、『鬼』へと堕ちてしまいそうに感じたのだ。

 

 サラは、それが不安だった。堕ちた『鬼』がどうなるのかは解らない。

 だが、もし、その『怒り』と『憎しみ』がオロチを倒した後も続いていたら。

 その矛先が、この国に生きる者達に向けられてしまったとしたら。

 両親を殺した魔物に、強い怒りと憎しみを感じ、『復讐』という鎖に縛られていたサラだからこそ感じる不安なのかもしれない。強い憎しみは、矛先を失えば暴走する可能性もある。

 サラがこの世の全ての魔物に向けていたように。

 

「カミュ様! 早くイヨ様を追いましょう!」

 

「……」

 

 サラの叫びに、無言の了承を返したカミュが走り出す。その後ろをサラが駆け出し、置いて行かれた事に眉を下げたメルエをリーシャが抱き上げて走り出した。

 

 

 

 カミュ達が、謁見の間に入った時、その場は異様な空気に包まれていた。

 床と言っても過言ではない藁を敷いた部分に、綿を入れ込んだ布を敷き、その上にヒミコと呼ばれていた物が横たえられている。先程の侍女の言葉通り、その物体の身体からは止めどなく液体が流れており、体中が傷を帯びていた。

 そして、妖艶に見えた顔にある片方の瞳は、まるで何かで斬り抉られたような傷跡を残している。

 

「イ、イヨ様! 先程、ヒミコ様が戻られまして……このような……」

 

「……離れて居れ……」

 

 取り乱す侍女の一人が、イヨへと縋るように近づくが、イヨの顔には影がかかり、その表情を推し量る事は出来ない。呟くように告げられた言葉に侍女が反論する前に、カミュ達一行がその場所へと駆け寄った。

 

「……イヨ……ごふっ…近う寄れ……」

 

「……汚らわしい口で、母上の声を発するな……」

 

 イヨを近くに呼ぼうとするその物体に、イヨは冷え切った声を絞り出す。

 その声を聞き、サラは胸を撫で下ろした。

 『まだ、イヨの声だ』と。

 

 『鬼』となる境界線をサラは知らない。しかし、それでも、未だにイヨが理性を失ってはいない事だけは理解できた。

 何が彼女を抑えているのか、何が彼女を『人』に留めているのかは解らない。ただ、それも、限界がとても近い事だけは見えて来ていた。

 

「イヨ殿、お下がりください」

 

「……」

 

 冷たく見下ろすイヨの前にリーシャが歩み出る。その横にはカミュ。しかし、イヨは無言のまま、何年もの間、自分の母親と偽って来た物体を見下ろし続けていた。

 

「イヨ様……心を奪われては駄目ですよ……イヨ様はこの国に必要な方なのです」

 

「……わかっておる……」

 

 そっと近付いて来たサラの一言に、イヨは小さく言葉を返す。

 それでもイヨは、カミュ達の間を割り、その物体の前へと進み出た。

 その瞳には『怒り』よりも『憎しみ』よりも先立つ物が燃えている。

 それは、『決意』という炎。

 

「……ガイジン達よ……ごほっ…黙っておれば、そなた達をこれ以上追う事はせぬ。このままこの国から立ち去るが良い」

 

 イヨの瞳に宿った炎は、その物体の言葉を聞いた瞬間に燃え上がる。それは、カミュやリーシャでさえ、怯みそうになる程の威圧感を生み出していた。

 それこそ、この国を想い、愛し、護りし者の本当の瞳。

 強く、厳しく、そして何よりも暖かな『太陽』の瞳。

 

「黙れ! 例え……例え、この者達がこの国を出たとしても、貴様だけは我々が滅ぼしてくれる! 住処を荒らした非礼は詫びよう……だが、貴様が言ったように、大切な物を奪われれば、それに対する報復は当然の事……」

 

「……イヨ様……」

 

 燃え上がったイヨの炎は、確固たる想いを秘めていた。

 民を殺された『怒り』でもなく、母親を殺された『憎しみ』でもない。それは、この国で暮らし、この国で死んで行く民達を護るという、国主としての『決意』。

 

「我が<ジパング>の民達を侮るでない!」

 

 『決意』と共に吐き出された言葉。

 それは、民を愛し、民を慈しみ、民を信じる王の言葉。

 民と共に暮らし、民と共に全てを分かち合って来たイヨだからこそ、発する資格を有する言葉だった。

 

「……ナラバ、コノ場デ貴様達ヲ葬リ去ッテクレヨウ!」

 

 イヨの宣言が引鉄だった。横たわる物体の声が様変わりする。それは、ヒミコという、この国を統治する女王の声ではなく、先程まで死闘を演じて来た、<ヤマタノオロチ>という太古の龍の声色。

 

「ひぃぃぃ!」

 

 そして、その叫びと共に、ヒミコの姿をしていた物体が変化して行く。

 被っていた『人』の皮を破り出て来た姿。

 それは、正しく<ヤマタノオロチ>その物。

 しかし、その姿は、満身創痍に近い。

 首の半数が落ち、残る首は三体。

 その内の一体は、片目が醜く抉れていた。

 

「くっ!」

 

 逃げ遅れた侍女に向かって振り抜かれた一つの尾が見えた瞬間、イヨの身体は動いてしまう。敵わぬ物とは知っていても、これ以上、民を犠牲にする事を容認する訳にはいかなかったのだ。

 侍女を押し退け、無防備となったイヨに、オロチの尾が唸りを上げる。

 

「くそっ!」

 

 イヨの身体へと尾が吸い込まれる一歩前に、イヨの身体は何者かに抱えられた。

 それは、当代の『勇者』。

 世界を救う為だけに存在する哀しき者。

 それを理解しながらも、その道しかない事を理解し旅する者。

 

「カミュ!」

 

「カミュ様!」

 

「!!」

 

 唸りを上げる尾の直撃を受け、カミュはイヨと共に弾き飛ばされた。ここは、屋敷内。周囲には硬い岩壁がある訳でもない。カミュの身体は、木で造られた壁を突き破り、屋敷の外へと投げ出された。

 慌ててカミュの下へと駆け出そうとする三人を阻むように、オロチの首が睨みを利かす。屋敷の壁に大きな穴を空けて吹き飛ばされたカミュとイヨは、背丈程の草が生い茂る庭で数度跳ねた後、動きを止めた。

 

「愚カナ人間達ヨ! 消エ去ルガ良イ!」

 

 その言葉と共に、オロチの頭部の一つが大きな口を開き、表に飛び出したカミュ達へと<燃え盛る火炎>を吐き出した。

 一体の頭部に邪魔され、リーシャ達には、それを止める事が出来ない。頼みの綱のメルエも、オロチの巨体に邪魔され、首の位置が確認できない為に、魔法を行使する事が出来なかったのだ。

 吐き出された<燃え盛る火炎>は、屋敷の壁に空いた大きな穴を更に削り取り、カミュ達が吹き飛んだ場所目掛けて放射される。長い草が生い茂った庭は、真っ赤な炎に包まれ、その炎を更に燃え上がらせた。

 

「……あ…あ……」

 

「……カミュ……」

 

 ようやく、一体の頭部の攻撃を避けて前へと出たリーシャとサラが見た物は、屋敷の屋根よりも高くに燃え上がった炎の柱。その柱は、徐々に横へと広がり、信じられない程の速度で屋敷の庭を覆い尽くした。

 草に覆われた場所へと吹き飛ばされたカミュ達に逃げ場はない。燃え上がる炎の勢いで、その場所を強行突破する事も出来ないだろう。

 もし、カミュが一人であったのなら、その危険も犯すだろうが、今はイヨが共にいるのだ。国主といえども、通常の『人』とそう変わる事のない身体能力のイヨを連れ、この炎の海と化した庭を突き破る事など不可能。

 しかも、カミュには氷結魔法という手段がない。神魔両方を行使できるカミュであるが、何故か氷結系統だけは契約が出来ないのだ。故に、周囲の草と共に焼き尽くされる選択肢しか残っていなかった。

 

「クハハハハ……身ノ程モ知ラズニ、我ニ逆ラッタ末路ダ……」

 

 オロチの頭部が、脳の芯に響くような笑い声を上げ、<燃え盛る火炎>を再び吐き出した。草は更に燃え上がり、周囲を真っ赤に染め上げて行く。

 

「……リ、リーシャさん……」

 

 『世界を救う』と信じていた者の死。それが、明確な未来となった事に、サラは声を震わせ、隣に立つ『騎士』へと視線を動かした。

 声は震え、瞳には涙が滲んでいる。それ程の『絶望』を彼女は感じているのだ。

 

「心配するな……カミュがあれぐらいで死ぬ訳がない。アリアハンを出た頃のカミュならいざ知らず」

 

 『このパーティーは変わった』

 

 そんな場違いな想いが、サラの表情を見ていたリーシャの頭に浮かぶ。

 昔のサラであれば、これ程の絶望を感じる事はなかったであろう。世界の希望となる『勇者』の死を悼む想いはあれど、自身が進む道全てが闇に包まれたかのような想いを持つ事はなかった筈だ。それ程、『勇者』としてのカミュを信じ始めているのだろう。

 それは、カミュも同じ。昔のカミュであれば、イヨを捨ててでも炎を抜けて来ただろう。『この国の未来等、興味がない』とでも言葉を吐いたかもしれない。アリアハンを出た頃のリーシャは、そんなカミュに『怒り』しか持たなかった。

 だが、今は違う。

 何故か、リーシャは『カミュは生きている』という自信があった。炎に包まれ、焼け焦げて行く草達を見ても、リーシャの胸には『期待感』しか浮かんでは来ない。

 

「サラ! 諦めるには早すぎるぞ!」

 

「えっ!? あ、は、はい!」

 

 リーシャの瞳の中に『絶望』など欠片もない。

 それを見たサラの胸にも、強い勇気が戻って来る。

 

「バイキルト」

 

「サラも行使できるのだな?」

 

 メルエの魔法力が薄れていたリーシャの斧に、再び魔法力を纏わせるサラを見て、リーシャは感心したように頷いた。そして、リーシャ達の動きに気付き、急速に襲いかかるオロチの首に、その斧を合わせる。

 オロチの牙と真っ向からぶつかった斧は弾かれる事なく、その牙を圧し折った。太いオロチの牙が宙に飛び、それに驚くオロチの隙を突いて、三人は庭へと駆け出して行く。

 そして、庭へと降り立った三人は、その光景を目にした。

 

 リーシャは薄く笑い、サラは驚きと喜びで目に涙を浮かべ、メルエは花咲くように笑う。ただ、オロチだけはその光景に目を見開き、そして忌々しそうに口元を歪めた。

 それは、彼女達三人が信じる『勇者』の生還。

 そして、オロチに対して、死を賭して戦う『女王』の生還。

 

「……キサマラ……何故…ソ、ソレハ!」

 

 オロチの視線の先は、真黒に焦げきった草達の中に立つ二人の『人』。

 その一人の手には、眩いばかりの輝きを放つ一本の剣。

 そして、二人が立つその場所は、まるでその部分だけ刳り抜かれたかのように大きく円状に草が刈り取られていた。

 

 

 

「く、くそっ!」

 

 吹き飛ばされた場所は、草が無造作に伸びる庭。

 態勢を立て直したカミュが目にしたのは、こちらに向かって口を開き始めたオロチの姿だった。即座に、背中の鞘に納めていた剣を取り出す。

 

「その剣は!」

 

 カミュが抜き放った剣を見て、カミュによって傷一つなく立ち上がったイヨが声を上げる。そんなイヨを無視して、カミュは周囲の草を剣を振い薙ぎ払う。根元から薙ぎ払われた草が周囲に飛び散り、カミュが振るう度に、円形上に刈り取られて行った。

 

「そ、その剣はどうしたのじゃ!?」

 

「オロチの尾から出て来た!」

 

 懸命に草を薙ぎ払うカミュは、珍しく語気を荒げる。生きるか死ぬかの瀬戸際に、剣について問いかけるイヨに苛立ちを覚えたのかもしれない。

 その時、一心不乱に周囲の草を円形上に薙ぎ払うカミュの視界の隅に、真っ赤に燃え盛る火炎が映り込んだ。

 

「……尾から?……そうか……」

 

「そんな事はどうでもいい! 死にたくなければ、刈った草を放り投げろ!」

 

 既に、草は円形上に薙ぎ払われ、カミュは刈った草を周囲に放り投げ始めていた。カミュの鋭い指示に、我に返ったイヨも、自分の周りに飛び散った草を放り投げる。

 半分以上の草を放り投げた頃、突然イヨは、強い力で抱き寄せられた。

 

「……ここまでか……」

 

「……そなた……」

 

 諦めのような言葉を口にするカミュに、イヨは強い不安感を覚えた。灼熱の洞窟であれ程の戦いを見せた男が、このような事を口にするとは思えなかったのだ。

 しかしそれは、イヨの視界を真っ赤に染める炎の放射によって現実となる。

 

「アストロン」

 

 視界を真っ赤に染めた物が、オロチの吐き出した炎だと理解できる熱気を感じた瞬間、イヨの意識は急速に薄れて行った。

 カミュの腕に護られるように、イヨの身体がその色を変化させて行く。放射された炎が周りの草を焼き払って行く中、二人の身体は、何物も受け付ける事のない鉄へと変化した。

 <アストロン>とて、万能ではない。その効力がいつ切れるかなど、術者であるカミュも正確には解らないのだ。

 

 『もし、万が一、周囲が完全に炎で包まれている時に効力が解けてしまったら』

 『周囲の空気が熱気で失われている最中に効力が解けてしまったら』

 

 その懸念がある以上、効力が解けた時の事も考える必要があった。

 故に、カミュは周囲の草を薙ぎ払ったのだ。

 

 

 

「カミュ様!」

 

「よし! サラ、戦闘再開だ!」

 

 庭の真ん中で、軽い火傷の痕は見えるものの、五体満足で立つ二人を見て、サラは喜びの声を上げ、リーシャは笑みを浮かべて武器を構える。メルエも再び杖を構え、サラの指示を待っていた。

 

「……アンタは後ろに下がっていろ……」

 

 先程の一件から、カミュの口調が変化した。

 もはや仮面を被る必要性を感じなくなったのか、それとも既に戦闘態勢に入っている為なのかは解らない。だが、カミュの力強い口調にイヨは頷きを返し、後方へと下がるしかなかった。

 イヨが後方へ下がり、庭の一角から出て行った事を確認したカミュが剣を構え直す。戦闘場所は灼熱の洞窟から草木の生い茂る庭へと変化した。先程の洞窟内よりもカミュ達にとっては動きやすい場所。

 

「やぁぁぁぁぁ!」

 

 それでも、カミュ達とオロチの間に絶対的な差が生じていた。

 それは、『疲労』。

 如何に、サラの回復呪文で傷を癒しているとはいえ、体力は別の話。灼熱の洞窟内で激しい戦闘を繰り広げ、カミュ達は確実にその体力を失っていた。

 乾いた音を立ててオロチの鱗に弾かれたリーシャの斧には、既にサラの『バイキルト』が掛けられている。それでも尚、リーシャの攻撃はオロチの頭部に小さな切り傷を作る事しか出来なかったのだ。

 

「…………ヒャダイン…………」

 

 そして、それは何も前線で戦っていたカミュ達ばかりではない。後方でカミュ達を護り、オロチを弱体化させて来た稀代の『魔法使い』をも蝕んでいた。

 斧を弾かれ、態勢を崩したリーシャを襲う<燃え盛る火炎>を防ぐ為に唱えられたメルエの魔法は、既に現時点での最高氷結魔法とは言えない物になっていた。オロチの火炎を押し戻す力は既になく、辛うじてその火炎を押し留める事しかできない。

 

「クハハハハ……ドウシタ、人間! ソレデハ、我ヲ滅ボス事ナドデキハセヌゾ!」

 

 そんな一行を嘲笑うかのように、オロチの三体の首が縦横無尽に動き回り、カミュ達に襲いかかる。

 オロチの牙を防ぐ盾は、もはやその機能の大半を失っていた。カミュやリーシャを護る術の半分以上が失われているに等しい。

 

「カミュ様! こちらに!」

 

 一度剣を振るう間に、牙によって数度傷つけられるカミュを呼び戻し、サラが回復魔法を唱え続ける。

 そのサラにしても、ここまで回復魔法と補助魔法以外にも、メルエと同様の『魔道書』にある魔法を駆使していた。元々、メルエよりも魔法力の量が絶対的に少ないサラにとって、ここまでの魔法行使が負担になっていない訳がない。

 

「バイキルト」

 

 それでも、サラはカミュの持つ、新しい剣に向かって魔法を行使する。

 このパーティーの中で最も強い心を持つ者。先程はカミュという『勇者』の死を考え、絶望に伏していた。しかし、何度絶望を味わおうと、何度心が挫けようと立ち上がって来た『賢者』の瞳に諦めなど見えない。

 

「カミュ様……この後の回復呪文を考えると、これが最後の補助魔法になると思います」

 

「……わかった……メルエを頼む」

 

 絶望的な言葉を口にしているにも拘らず、サラの瞳はしっかりとした光を宿していた。そこに『諦め』など欠片も見えない。そのサラの瞳を見て、カミュは深く頷きを返し、サラのきめ細かな魔法力を纏った剣を構え、オロチへと向かって駆け出した。

 

「ふふふ。カミュ、遂に握力すらも無くなって来たぞ」

 

「……それの何が面白い?」

 

 オロチの三体の頭部と格闘しながら、リーシャは、近づいて来たカミュに向かって笑みを溢す。その身体の到る所から、真っ赤な血液が流れ出し、その血液は既にどす黒く固まり始めていた。

 そんなリーシャの笑みに深い溜息を吐き出したカミュの口端もまた上がっている。これ程の状況に落ちて尚、彼等の胸中にある物は『絶望』ではなかった。

 

「ふふふ、そうだな。何故だろうな? 全く負ける気がしない。私達が倒れる未来等、私には見えないんだ」

 

「……遂に、脳までが完全に筋肉にでもなったか……?」

 

 オロチの頭部の脅威を感じながらも、彼等は不敵に笑い合う。

 それぞれの武器を持つ手には力が入らない。<バイキルト>という補助魔法によって、武器自体の威力が増していたとはいえ、彼等が斬り落として来たのは、世界最強の種族と云われる『龍種』の硬い鱗に護られた首や尾。その負荷は当然、彼等の身体を蝕んでいた。

 

「グオォォォォォ」

 

 オロチの雄叫びが響き渡り、同時に二体の頭部がカミュ達に襲いかかって来る。まるで二人を挟み込むように迫るオロチの頭部を見て、カミュとリーシャは視線を合わせて頷いた。そのまま、お互いの背中をぴたりと合わせ、迫り来る頭部を待ち構える。

 オロチの頭部は、同時にではなく、まずリーシャの方へ襲いかかった。牙を剥き出しにして迫る頭部に向かってリーシャは、心許無い盾を両手で押さえるように構える。

 

「ぐっ!」

 

 凄まじい衝撃と共に、リーシャの身体が後方へと押し出された。そこにいるのは、背中合わせで剣を構えたカミュ。剣を地面と水平に構えたカミュは、リーシャの身体ごと前へと押し出され、前方から迫るもう一体の頭部へと向かって行く。

 

「ギャオォォォォォ」

 

 轟く凄まじいまでの叫び。それは、カミュの物でもリーシャの物でもなく、巨体を揺らすオロチの物だった。

 剣を水平に構えたカミュの身体は、大きく開いたオロチの口の上を行き、その眉間へと吸い込まれる。握力も失い、既に剣を持っているのがやっとになっていたカミュであったが、オロチによって作り出された押し出す力を得て、ただ持っているだけの剣が世界最高の強度を持つ鱗を突き破ったのだ。

 

「メルエ!」

 

「…………ん………イオラ…………」

 

 眉間へと突き刺さった剣を引き抜いたカミュを抱えて、リーシャが後ろへと飛ぶ。その瞬間、痛みと共に上げられたオロチの頭部を中心に、光と音が弾け飛んだ。

 周囲を巻き込む程の爆音が轟き、体液の雨が降り注ぐ。灼熱の洞窟で行使した時程の威力はない。それでも、オロチの一体の頭部を吹き飛ばし、洞窟内で余波を受けていたもう一体の頭部を行動不能にするだけの威力は健在だった。

 

「……キサマラ……」

 

 つい先程まで、完全に自分の勝利を疑わなかったオロチが、一度に二つもの首を失った事に行動を止めた。

 頭部を吹き飛ばされた首と、頭部の大半の鱗を失い、焼け爛れて眼すらも失った首が力無く地面へと落ちて行く。凄まじい轟音と共に首が地面に落ちた瞬間、周囲から大きな歓声が湧き上がった。

 

 何時の間にか、武器を携えた<ジパング>の者達が集まっている。

 己の国の主を護る為に集結した者達。それは、イヨが『侮るな!』と叫んだ<ジパング>の民達の心。

 遠巻きに見ているのは、カミュ達の戦いに踏み出す事が出来なかった為。それは、オロチに対しての『恐怖』ではない。自分達が入る事によって、足枷になってしまう事への『恐れ』。

 

「カミュ、まだ行けるか?」

 

「……行くしかないだろ……」

 

 爆風の余波から身を避けたリーシャが、隣で倒れているカミュへと声をかける。その問いかけに対し、呆れたような声を出すカミュに、リーシャは軽く微笑んだ。

 カミュの言う通り、『行くしかない』のだ。今、この場面でカミュとリーシャに退く道などありはしない。

 

「うおぉぉぉぉぉ!」

 

「いやぁぁぁぁぁ!」

 

 立ち上がった二人は、力が入りきらない手で、それぞれの武器を握り込む。既に、片手では無理であるため、両手で握りしめた武器を高々と掲げ、最後の頭部へと武器を振り下ろした。

 未だに呆然とカミュ達が跳躍するのを見ていた首に、二人の武器が吸い込まれようとした瞬間、二人の身体が死角から現れた何物かによって、吹き飛ばされた。

 

「リーシャさん!」

 

「!!」

 

 サラの叫び声と、メルエの声にならない叫びが響く。横へと弾き飛ばされた二人の身体は、そのまま地面へと叩きつけられた。

 既に、メルエの唱えた<スクルト>の効力は切れかかっている。地面に叩きつけられたカミュの頭部から、赤い液体が一筋流れ落ちた。

 

 二人を襲った物は、三つ残っていた尾。

 最後に残った頭部が呆然としている事に、カミュ達はその存在を失念していたのだ。それは、オロチの生物としての本能なのだろうか。

 我に返ったオロチは、残った最後の頭部の口を大きく開き、倒れ伏したカミュ達に向けて<燃え盛る火炎>を吐き出した。

 

「メルエ!」

 

「…………ん………ヒャダイン…………」

 

 振り返ったサラの指示に頷いたメルエが杖を振るう。カミュ達に向かう火炎に向けて振られた杖先から迸る冷気。それは、オロチの炎とぶつかり合い、消滅し合った。

 その隙を見て、カミュ達がその場を後にした時、それは起こった。

 

「メ、メルエ!?」

 

 響き渡るサラの叫び。

 途切れる冷気。

 ぶつかり合う対象を失くした火炎は、先程までカミュ達がいた場所の草を燃やし尽くした。

 サラの視線の先には、杖を落とし、その場に倒れ込む小さな身体が映る。それは、ここまでの戦闘で、常に前線に向かう二人をオロチの脅威から守り、最終的な止めを刺して来た、幼いながらも強大な魔力を持つ少女。

 その少女が攻撃の媒体である杖を取り落とし、前のめりに倒れ込んでいたのだ。

 

 『魔法力切れ』

 

 それを、彼女は一度経験していた。<シャンパーニ>と呼ばれる塔の内部での戦闘によって。

 あの時よりも、メルエの魔法力の量は数段上がってはいる。それは、ここまでの戦いで唱えて来た魔法の格と回数で明らかであった。

 上位魔法を覚え、それを何度も唱え続けたメルエの魔法力は、既に枯渇しかけていたのだ。魔法力とは、その人間の気力でもある。それが枯渇したという事は、体力の少ないメルエをここまで支えて来た物を失った事に等しい。故に、彼女は立っている事も出来なくなり、その場に倒れ伏したのだ。

 

「クハハハハ……人間ヨ、ココマデノヨウダ」

 

 自身の火炎を防いで来た者の戦線離脱。

 それが意味する事を、オロチは正確に理解していた。

 オロチの残った一体の頭部が、醜く歪んで行く。

 

「……まだ、俺達が倒れる未来は見えないか?」

 

「ふっ、当たり前の事を聞くな」

 

 獲物を狙うように巨大な目玉を動かしたオロチを見て、カミュは隣に立つ女性に問いかける。その問いは、武器を構える『戦士』によって一蹴された。

 絶体絶命と言っても過言ではない状況。もはや、自分達を護ってくれる『魔法使い』はいない。炎を受け、身体が焼け爛れた時に回復してくれる『賢者』とて、いつまで保つか解らない。

 

 それでも彼等は笑った。

 その理由も解らない。

 武器を構え、前へと踊り出す『勇者』を護るように『戦士』が隣に立つ。

 本当の意味での『死闘』が始まった。

 

 

 

「メ、メルエ、大丈夫ですか!?」

 

「…………サ……サラ…………?」

 

 抱き起こされたメルエは、すぐ傍にある顔を見て、その女性の名を口にする。問いかけに頷いたサラを見たメルエは、何かを思い出したように周囲に視線を走らせる。不思議に思ったサラではあったが、メルエの瞳がある場所に固定されたのを見て、メルエを抱きしめた。

 

「…………つえ…………」

 

 抱きしめるサラを振り払うように、自身が取り落とした物に手を伸ばす。

 それは、彼女が初めて買い与えられた武器。

 当初は、魔法の媒体としての使用方法が解らずに何度も投げ捨てた。思うように行かずに癇癪を起した事は何度もある。

 それでも、リーシャを護ったあの時から、それはメルエにとって宝物となっていた。

 

「メルエ、もう良いのです。もう、メルエに魔法の行使はできません!」

 

 何度も自分の『想い』を乗せて、魔法という神秘を体現してくれた杖。

 それは、カミュを、リーシャを、そしてサラを護るというメルエの『想い』。

 自分を、この広い世界に連れ出してくれた三人と共に旅を続けたいというメルエの『想い』。

 

「…………いや…………」

 

 サラの拘束から逃れるように身を捩り、杖に向かって手を伸ばすメルエを見て、サラの頬を熱い想いが流れ落ちる。

 メルエが魔法に執着している事は知っていた。だが、その中に秘めた『想い』をサラは軽視していたのかもしれない。

 

「……メ、メルエ……もう…もう……メルエには無理なのですよ……」

 

 後方では、カミュとリーシャが激闘を繰り広げている。何とか火炎だけは受けないように避けてはいるが、死角から飛び出す尾の攻撃を避ける事が出来ず、何度も地面に叩きつけられ、その身体は腫れ上がり、口端からは赤い命の源を流れ落としていた。

 

 サラの拘束を引き剝がしたメルエは、杖へと手を伸ばす。手を伸ばしても届かないため、歩こうと足を踏み出すが、力が入らず、立ち上がる事も出来ない。それでも、身体を地面に這わせながら杖へと向かうメルエを見て、サラは立ち上がった。

 

 『自分は何を弱気になっているのだ』と。

 『自分の魔法力は、まだ残っているではないか』と。

 サラの瞳に、再び宿った炎は、赤々と燃えあがる。

 

 

 

「ぐっ!」

 

 振り抜かれた尾に脇腹を打たれ、カミュは地面へと叩きつけられた。

 既に、カミュの体力も限界が近付いている。

 その証拠に、立ち上がる為に、剣を杖のように使っていた。

 

「べホイミ」

 

 そのカミュの傍に駆け寄ったサラの手が淡い緑色に包まれ、カミュの傷を癒して行く。傷は消えるが、体力が戻る訳ではない。サラが来た事を感じたリーシャも再び戻り、三人が集結した。

 リーシャにも回復呪文を唱えたサラが、真っ直ぐオロチを見つめる。

 

 既に、周囲を取り巻く<ジパング>の民達の声は聞こえない。次元の違う戦いに、足どころか、口も動かないのだ。

 この時点で、ようやく『魔法』という神秘に対する『恐怖』が湧き上がっていたのかもしれない。そして、<ヤマタノオロチ>という強大な存在への『恐怖』も。

 そんな中、イヨもまた足を止め、戦いを見つめている。ただ、彼女の足は動かないのではなく、動かそうとはしていないのだ。

 彼女は全てをカミュ達へと託した。それは、都合の良い存在としてカミュ達を見ている物ではない。どちらにせよ、カミュ達が敗れた場合、この<ジパング>の歴史は幕を閉じる事をイヨは理解しているのだ。

 故に、足掻く事なく、真っ直ぐにカミュ達の背中を見つめる。己と、己の国の命運を委ねて。

 最後には、己の心を棄ててでも民を護る決意を胸に抱いていた。

 

「……カミュ様、リーシャさん……私には、これ以上回復呪文を唱える魔法力はありません。オロチの尾は、私が請け負います。カミュ様達は首の方を!」

 

「サ、サラ! どうするつもりだ!?」

 

 リーシャに<ベホイミ>を掛け終えたサラは、真っ直ぐにオロチを見つめ、現状を正確に話し出す。その最後の言葉に、リーシャは何か不穏な空気を感じ、サラへと問い詰めの声を上げた。

 しかし、もう一人。ゆっくりと立ち上がり、剣を構えた青年の瞳は異なっている。

 

「……わかった……」

 

「カミュ!」

 

 サラの瞳を見る事なく、小さく頷いたカミュが剣を一振りした。その様子を見ても納得がいかないリーシャが叫ぶが、それに答えたのは、未だにオロチから視線を外そうとしないサラだった。

 

「……最後の頭部を失えば、おそらくオロチも息絶えるでしょう。私には、そこまでの能力はありません。リーシャさん達が頭部を倒してさえくれれば、私の仕事はありません。リーシャさんとカミュ様が頼りです」

 

「……サラ……」

 

 サラは、最後に柔らかな笑みをリーシャへと向けた。

 それは、『決意』の表れである笑み。

 リーシャがそれを理解できない訳がない。

 表情を笑顔に変えたリーシャが、大きく頷いた。

 

「……行くぞ……」

 

 カミュの一言で、それぞれがそれぞれの持ち場へと移動して行く。カミュとリーシャは己の武器を構え、今にも火炎を吐き出しそうな頭部に向かった。

 もはや、尾を警戒する必要はない。サラは、口にした以上、それをやり遂げるという事をリーシャは知っているのだ。

 

「いやぁぁぁぁぁぁ!」

 

 リーシャの斧が頭部へと振り抜かれる。鼻先を掠める凶器に、怒りを剥き出しにしたオロチの首が、そのままリーシャへと襲いかかった。

 それを待っていたかのように、横合いからカミュの剣が飛び出し、魔法力を纏った刀身がオロチの下顎へ深々と突き刺さる。

 

「ギャオォォォォォ」

 

 怒りと痛みに叫びを上げるオロチの体液が降り注いで来る。しかし、まだ致命傷ではない。上空に上げられたオロチの真っ赤な瞳が、怒りの炎に彩られた。

 大きく口を開けたオロチの口の中に渦巻く火炎。カミュ達を見下ろすように口を開いたオロチを見て、カミュはリーシャを抱き寄せる。

 

「な、なんだ!?」

 

「アストロン」

 

 カミュの詠唱と共に、リーシャとカミュの身体が鉄色へと変化して行く。もはや成り振りを構っている場合ではなかった。

 もし、アストロンが解けた時に未だ火炎が吐き出されていようと、今、この瞬間を逃れる術はこの方法しかなかったのだ。

 

「グオォォォォォ」

 

 しかし、カミュの不安は杞憂に終わる。オロチは、何度か見たこの魔法に火炎が無駄という事を悟ったのだろう。火炎放射を停止させたオロチは、三本の尾を振り上げ、カミュ達を叩き潰す方法へと変更した。

 火炎放射の停止と共に、鉄化が解けたカミュ達は、急に目の前に出現した尾に反応できない。二本の尾が同方向から時間差で襲いかかる。一本を避けたとしても、もう一本の尾を避ける術はないのだ。

 しかし、それこそがこのパーティーの頭脳である女性の待っていた場面だった。

 

「バギマ!」

 

 唸る尾が巻き起こす疾風に変化が起こる。まるで、その風の主が変わったかのように尾から空気が離れて行き、瞬時に真空を造り出した。

 巻き起こる真空の刃は、勢いを殺せない尾を切り刻み続ける。真空の中をオロチの体液が飛び散り、肉片をばら撒いて行った。

 

<バギマ>

『経典』に記載される、数少ない攻撃魔法の一つ。術者の魔法力によって風を操り、真空の刃となって対象へと襲いかかる魔法。その攻撃威力は<バギ>を遙かに凌ぎ、真空と化す範囲も広げる事によって刃の数を増すのだ。『経典』の最後のページに記載されており、その魔法を習得できる者は、ここ数十年現れた事はない。どれ程の高僧であろうと、教会の各支部を任せられている司祭であろうと、この『僧侶』最強の攻撃魔法を行使できる者はいなかった。

 

「サラ!」

 

 二本の尾が切り刻まれ、最後には根元からその全てを肉片と化す。散らばる肉片と体液が周囲を染めた事に、カミュとリーシャは安堵の息を吐き出すが、それは瞬時に恐怖へと変化して行った。

 呪文を行使し終えたサラが、肩膝をついたのだ。それが意味する事を、既にカミュもリーシャも知っている。

 

 『魔法力切れ』

 

 契約したての魔法だったのだろう。まだ行使した事もなく、行使できるかどうかも定かではない。いや、もしかすれば、実際は行使する事が出来ない魔法だったのかもしれない。

 それでも、サラの『想い』がその魔法を発現させた。どれ程の魔法力が必要なのかは計算してはいたのだろう。しかし、全魔法力を絞り取られたサラの魔法力は枯渇した。

 

「ちっ!」

 

 カミュの大きな舌打ちと共に、リーシャはサラの後方から迫る巨大な尾の存在を認識した。尾が二本切り刻まれた事から立ち直り、先程以上の怒りを込めた尾が振り抜かれたのだ。

 サラはそれに気付かず、例え気付いたとしてもそれを避ける術はない。

 

 駆け出そうとするカミュの前に、先程の傷を色濃く残したオロチの首が塞がった。リーシャがその間を抜けようとするが、間に合わないのは明白。

 サラを護る装備は、特殊な術式を編み込んでいるとはいえ、絹という生地である事に変わりはない。今のサラが尾の攻撃をまともに受ければ、全身の骨が砕け、身体の内部が破壊される可能性が高いのだ。

 

「サラ!」

 

「くそっ!」

 

 カミュとリーシャの叫びが虚しく響き渡る。唸りを上げるオロチの尾を避ける術はない。迫り来る尾の存在に気付いたサラがそちらに視線を向けたその時、彼ら三人の楔が発する、呟きのような声が、三人の耳に確かに届いた。

 

 

 

 

 サラがカミュ達の下へ駆けて行き、その場にメルエだけが取り残された。しかし、メルエの心に『孤独』が歩み寄る事はない。

 それよりも、彼女の胸にあったのは『使命感』。

 自分の役割であり、誇りでもある『魔法』。

 それを行使できなければ、自分が何も役に立たない事を彼女は知っていた。

 

「…………うぅぅ…………」

 

 這うように杖へと伸ばすメルエの手は届かない。思うように動かない身体に、メルエの瞳から雫が零れ落ちる。

 『何故、身体が動かないのか』という事がメルエには理解できない。『杖さえ手にすれば』という想いがメルエを突き動かしているのだ。

 

「…………つえ…………」

 

 ようやく伸ばした指先に、堅い木の感触が触れる。もう一度身体を這わせ、しっかりとそれを握ったメルエは、それを支えに身体を起こそうとするが、杖で支えようとする身体に力が全く入らないのだ。

 再び倒れ伏すメルエの瞳から零れ落ちた雫が、地面を濡らす。

 

 既に陽は上り、明るい光が差し込み始めている。それ程の長い時間をカミュ達は闘い続けているのだ。

 基本的に『魔物』と『人』の間には絶対的な体力の差がある。七つの首と七つの尾を失い、もはや瀕死の状態になってはいるが、<ヤマタノオロチ>は未だにカミュ達を襲う絶対的な力を有していた。

 そこが明確な種族の差。その差があるからこそ、『人』は、魔法を『経典』と『魔道書』に分けた。魔法という神秘を二つに分ける事により、その力を分散させ、その力を専門で研究する者達を作ったのだ。

 

 回復魔法や補助魔法は、『経典』を所有させた『教会』という組織に。

 魔物と対抗できる攻撃魔法は、『魔道書』を管理する『国家』に。

 それは遥か昔から流れる『人』の歴史の一部。

 

「…………ヒャダイン…………」

 

 オロチの吐き出す<燃え盛る火炎>を視界に入れたメルエが、身体を這わせたまま杖をカミュに向け、詠唱を唱えた。しかし、杖は何の反応を示さない。

 メルエの呟くような詠唱は、虚空に溶けて行き、虚しく霧散した。

 

「…………うぅぅ………ぐずっ…………」

 

 自分の身に降りかかった状況。その悔しさに、涙が滲み、杖を持った手で、何度も力無く地面を叩く。幼いメルエは、自分の思い通りに行かない事に癇癪を上げる事しかできないのだ。

 

「…………メラ…………」

 

 『一番最初に行使できた魔法ならば』と杖先に魔法力を流し込もうとするが、メルエの身体から湧き上がる筈の力は、動き出す事はない。まるで当然の事のように沈黙を続ける杖先に、メルエの瞳から止めど無く涙が流れ落ちた。

 『魔法が使いたい』というメルエの想いは、この世界に生きる『魔法使い』の物と理由が異なる。メルエの我欲と言えば、『リーシャやカミュ、そしてサラに褒められたい』という子供ならではの単純な物。

 そして、その理由も、今のメルエが欲している物ではないのだ。

 

 『カミュ達を護る事の出来る力が欲しい』

 

 メルエの中にある『想い』は唯一つ。

 自身が初めて交わした『約束』。

 メルエという何の縁もない孤児を、我が親族のように愛してくれる三人に告げた唯一つの『約束』であり、最も大事な『約束』。

 

「…………うぅぅ…………」

 

 涙に濡れ、視界がぼやける中、メルエの瞳にサラが魔法を行使したのが見えた。悔しさが込み上げたのも束の間、サラが肩膝を付くのが見え、メルエの瞳から涙が飛び散って行く。

 大好きな者達が倒れ行く姿。それは、メルエの心に燻る小さな火を燃え上がらせる。

 

「…………うぅぅ…………」

 

 先程とは異なる唸り声を上げ、メルエが再び身体を起こそうとした時だった。

 メルエの『想い』を受け、イシスの女王によって嵌められた小さな指輪からじわりと光が溢れ出す。その神々しい光は一瞬の内にメルエの身体全体を包み込み、眩いばかりに周囲を照らした。

 

 その光を、カミュとサラは知っている。

 それは、あの<ダーマ神殿>にて、サラが包まれた光。

 神と『精霊ルビス』の祝福を受けた者のみが包まれる光。

 神々しく強いその光は、メルエの身体に変化を及ぼして行く。

 

 光が収まったメルエの身体は、しっかりと地面に足をつけて立っていた。

 杖を手に持ち、それの支えがなくとも、地面を踏みしめて立つメルエの瞳は、『決意』と『想い』に燃えていた。

 既に、オロチの最後の一本の尾は、サラ目掛けて唸りを上げている。しっかりと杖を握り込み、静かに魔法力の流れを確認したメルエは、そのまま言葉を紡いだ。

 世界最高の『魔法使い』の想いの籠った詠唱が響き渡る。

 

「…………スカラ…………」

 

 

 

 

 後方から聞こえた詠唱と共に、サラの身体が魔法力に包まれる。『魔道書』の魔法を網羅したメルエは、既にこの世界の『魔法使い』の頂点に立っている。その地位に君臨する者の膨大な魔法力がサラを護り、オロチの尾からの凄まじい衝撃を緩和させて行った。

 

「メルエ!」

 

「……行くぞ……」

 

 頼りになる最愛の妹の復活を喜ぶリーシャを制するように、カミュが剣を構える。その言葉に表情を引き締めたリーシャが、先頭を切って駆け出した。

 『仕留めた』と思った人間が、地面に叩き付けられて尚、立ち上がる姿を見て、オロチは怯んだ。

 立ち上がった者からは力を感じる事はない。既に魔法力を失ったサラに、オロチに対抗する力は残ってはいないのだ。それでも、オロチの中に奇妙な感情が渦巻き始める。

 それは、『怒り』や『憎しみ』ではない。

 

「……何ナノダ……キサマラハ……」

 

 イヨの母であるヒミコと対した時に感じた感情は『侮り』。

 その昔、自らの命と引き換えにオロチを封じ込めた女王と相対した時の感情は、『怒り』と『憎しみ』。

 そして、今、オロチの胸中にある物。

 それは、『恐怖』。

 生まれて初めて感じる物に、オロチは戸惑ったのだ。

 それが何なのかさえ理解する事は出来ない。

 

「グオォォォォォ!」

 

 錯乱状態に陥ったオロチは、駆け寄るリーシャに向かって大きく口を開き、全てを焼き尽くす程の火炎を吐き出した。その火炎を見ても、リーシャは進路を変える事はない。魔法力を纏った斧を高々と掲げ、まっすぐオロチの頭部へと駆けて行く。

 

「…………ヒャダイン…………」

 

 リーシャの考えていた通り、オロチの動きを察したメルエが杖を振う。それと同時に、リーシャの身体を後押しするような冷気が吹き抜けて行った。

 ぶつかり合う火炎と冷気。メルエに魔法力が戻ったといえども完全ではない。灼熱の洞窟で行使した程の威力はなく、火炎を押し戻す力はないのだ。

 

「うおぉぉぉぉぉぉ!」

 

 それでも、リーシャは前へと突き進む。冷気によって凍りつき始めた己の身体が、オロチの火炎によって溶け、皮膚を焦がして行っても、リーシャはその斧を振り下ろした。

 

「ギャオォォォォォォォ」

 

 リーシャの振り下ろした斧は、オロチの突き出た鼻先から巨大な口を真っ二つに切り裂いて行く。飛び散る体液と共に火炎の放射が止まり、激痛に暴れるオロチの頭部を見て、リーシャはその場に倒れ込んだ。

 

「いやぁぁぁぁぁ!」

 

 もはや、剣を握り込む握力も残っていないカミュが、剣を両手で掴み、落ちて来たオロチの頭部に突き出した。

 オロチの下顎に突き刺さった剣は、顎を突き抜け、口内へと侵入する。そのまま全体重をかけて引き抜いたカミュの剣は、下顎から首下までを切り裂いた。

 

「ギシャァァァァァァァ」

 

 断末魔の叫びに似た雄叫びを上げたオロチの瞳が虚ろになって行く。真っ赤に染まった瞳から、力が失われるその瞬間、太古から生きて来たその生物は最後の光景を見る事となる。

 

「…………イオラ…………」

 

 瞬時に収束し、歪んで行く景色。

 耳鳴りのような音を聞いたのが最後だった。

 圧縮された空気が解放され、全てを弾き飛ばす。

 <ヤマタノオロチ>と呼ばれる、太古から生きる『龍』を。

 <ジパング>という国を覆っていた暗雲を。

 この国の民の心に巣食っていた『絶望』を。

 

 光と音が戻ったその場所に、<ヤマタノオロチ>の最後の首が落ちる音が響く。もはや、オロチの命の炎は消えていた。尾も力無く横たわり、巨大な身体は微動だにしない。

 暫しの静寂が周囲を支配した後、先程オロチが上げていた咆哮よりも大きな歓声がカミュ達を包み込む。

 

「……無茶をするな……」

 

「……ぐっ……あ…あ……」

 

 オロチという強敵を倒す扉を押し開けた女性に近寄ったカミュは、溜息と共に言葉をかけるが、火炎によって焼け爛れ、思うように言葉を発する事が出来ない事を理解し、顔を歪める。

 

「……べホイミ……」

 

 リーシャに翳す手から、カミュの中にある最後の魔法力が溢れ出す。淡く緑色の光が、リーシャを包み込み、痛々しい火傷の痕を消して行った。

 自身の身体が癒えて行くのを感じ、リーシャは静かに瞳を閉じる。ここまでの戦いの疲れを癒すように寝息を立てるリーシャに、カミュは口元を緩めた。

 

「カミュ様……いつの間に<ベホイミ>を……?」

 

 鉄の槍を杖にしながら近づいて来るサラの問いかけに振り向いたカミュの身体から力が抜けて行く。カミュもまた、『魔法力切れ』を起こしたのだ。リーシャに向けた魔法力が最後の物だったのだろう。

 

「……契約は出来たが……行使は出来なかった……」

 

「……そうですか……」

 

 カミュの言葉を聞き、サラは柔らかく微笑みを浮かべる。

 『カミュの心がまた、この戦いで一つ成長したのだ』と。

 そんな考えを持ち、サラは笑みを浮かべたまま倒れ込む。

 そして、そのまま意識を手放した。

 

「…………カミュ…………」

 

「……ありがとう……メルエには、何度も救われた……」

 

 重い身体を引き摺るように胸に飛び込んで来たメルエの頭を優しく撫でるカミュの手を受け、メルエは花咲くように微笑む。その頬にくっきりと残る涙の痕が、メルエの戦いを物語っていた。

 優しく撫でるカミュの手を受け、メルエはそのまま深い眠りへと落ちて行く。その顔を見つめ、カミュは柔らかく微笑んだ。

 

「大丈夫か!?」

 

 真っ先に駆け寄って来たイヨの姿を見たカミュの顔から笑みが消える。

 メルエを胸に抱いたまま、カミュは傍に立ったイヨを見上げた。

 

「……少し、休ませて頂きます……」

 

「あっ!? こ、これ!?」

 

 その言葉を最後に、カミュの意識は途絶えた。

 地面へと倒れ込むカミュの腕の中にはメルエ。

 そして、彼を取り囲むように眠りに付く者達。

 その全員が、安らかな寝顔を浮かべている。

 

 四人の姿を見たイヨは、大きな溜息を吐き出すと共に満面の笑みを浮かべた。

 この数年間で浮かべた事など一度もない心からの笑みを。

 <ジパング>の太陽と民から慕われる者に相応しい、柔らかく暖かな微笑みを。

 

「誰ぞ! 我が国の救い主を、屋敷の中へお連れする手伝いを!」

 

「はっ!」

 

 イヨの声に呼応するかのように、数人の男達が動き出す。それは、奇しくもイヨを救う為に灼熱の洞窟へと飛び込んで来た者達。

 その者達に共通するのは、全てを終えた者が浮かべる笑みだった。

 

 数百年の間に渡る<ジパング>の闇は晴れた。

 『鬼』となった女王とよく似た能力を持つ皇女の『決意』と、まるで必然的であるかの様に訪れた『ガイジン』達の手によって。

 

 『日出る国』と呼ばれる程に力強く、『黄金の国』と呼ばれる程に美しい国の時間が再び動き出す。

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

これにてオロチ戦は終了です。
どうでしょうか?
「死を賭して」に合うような戦いが描けたでしょうか?
読んで下さった皆様の心に残る思い出を穢す事のない戦闘が描けていたら嬉しいです。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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