「…こ、こんにちは」
「ああ、こんにちは。お茶飲む?」
家からひょこっと顔を出した隣人に問いかけると小さく頷きが帰ってくる。娯楽小説を小脇に抱えた彼女は、僕の隣に腰を下ろした。
お茶を飲みながら話したあの日から、シトラリはよく執筆している僕の横で読書をすることが増えた。
僕としても彼女と話すのは楽しいし、ナタの話は興味深いから全然構わないんだけど。
「……あの」
「ん、なに?」
「……いや、なんでもないよ」
なんか、アレからシトラリの距離が近い。
今も持ってる本を読み終えたのか、僕の書いてる原稿を横から顔を覗かせて見ている。ただ、その距離が超近い。
今僕たちが座っているのが僕が持ってきた組み立て式の長椅子。横に3人くらい座れそうな幅があり、それに腰かけて川の粼を聞きながら書くのに最近ハマっていた。
しかし、今はその長椅子をシトラリと共に腰掛け、彼女がこっちを伺う度に長椅子の上で距離が縮まるのだ。
「へぇ〜、よく紙に一発で書けるわね」
「まぁ、大体はプロットっていう下書きを考えてあるからね。今書いてる話は結構前に考えたって事はよくあるよ」
「今はナニ書いてるの?」
「考えてた新作を形にしようとしてるけど、なかなか納得いくのが見つからなくて」
新作って考えるの大変なんだよ。ただ「あー、これ書きたいなぁ」じゃダメで、自分の理想を書いたあとの文の現実を削りながら形にしていく。結局完成したあとで元々の構想から外れたなぁってケースはかなりあるあるだ。
「ふふっ、覚孝行の続きを書いてくれてもいいのよ?」
「そうだね、考えてみるよ」
この前の原稿が気に入ったのか、そう提案してくるシトラリに返すと、彼女は鳩が豆鉄砲食らったような顔でこちらを見た。
「え?……イイの?」
「出版はしないよ?……でも、あんなに嬉しそうに読んでくれると、やっぱり嬉しいから」
「わ、ワタシの為に書くってコト?」
「うん。続き、気になるだろ?」
作品自体は人気あるんだけど、ここまで好きになってくれる人がいるとなんだかんだ嬉しい。……主人公のデザインだけが問題なんだよなぁ。
「……主人公のデザインだけ変えてもいい?」
「だ、ダメっ!」
「だよねぇ」
この主人公はシトラリのタイプどストライクだそうだ。似せてしまった僕としては普通に恥ずかしい。
ただ、この主人公は眼鏡なしのデザイン。普段から眼鏡が欠かせない僕の普段の顔は恐らく彼女のストライクゾーン外だ。その点は非常に助かるな。
「……はぁ、まぁ書き始めた僕の責任か」
「楽しみにしてるわね」
そうニッコリと笑い、稲妻茶を一息で飲み干したシトラリに苦笑いを返すしかない僕だった。
そして、それからさらに数日後。
「そろそろ、他の地域も見に行こうかな」
元々の目的としてはナタの各地を巡りインスピレーションを得ること。初日にて謎煙の主に来てしまったので、ちょいと他の部族に行ってみようかなと僕は荷物を背負った。
「……一応、言っておいた方がいいよね」
僕は隣の岩壁にある扉を見てそう呟く。いくらお隣さんとはいえココ最近は結構な時間を共にした。流石に何も伝えないのはアレだよねとシトラリの家の戸を軽く叩く。
「…………いない?」
大体、彼女は昼近くになったら起きてくるのはココ最近で把握している。今の時間は朝で、彼女は寝ているはずなんだけど…。
「うーん、置き手紙…って紙を切らしてるんだった。どうしたもんか」
顎に手を当てて考え込んでいると、外の隅っこにペンキらしき塗料が入った入れ物が置いてあった。そこらの壁にもイラストが描かれているし、シトラリの趣味なんだろうか。
「ちょっと、これで失礼するか」
僕は筆を手に取りイラストの横に、少しナタを見に出かけてくる事と、もしかしたら数日帰らないかもしれない事を書き記すと、荷物を背負い直して出発した。
僕はこの前来た道を歩いて戻り、聖火闘技場にやってきていた。前に来た時にガイドを雇うところがあったんだよね。
相変わらずここは人が多い。店の人からナタの地図をもらい、最初にどこに行こうか考える。こだまの子は来る時十分見たし、近いのは懸木の民か流泉の衆…。
そのふたつに絞った僕は、ガイドが集まっている広場に向かった。色々な部族のガイド案内の声を上げていてとても活気がある。
今見た中だと懸木の民のガイドはいなさそうだ。代わりに、流泉の衆と思わしき少女が1人いる。って、この子。この前来た時に見た子じゃないか。
僕は白髪を纏め、三つ編みを垂らした女の子に話しかける。
「あの、ちょっといいかな」
「お!なになに!?…あなた、外国の人?」
「ああ、稲妻の者だよ。流泉の衆に行ってみたいんだけど」
僕の声に振り向いた女の子は赤い特徴的な虹彩の瞳を丸く開くと、どんと自分の胸を叩いた。
「おーけぃ!流泉の衆のガイドなら任せといて!何せあたしの集落だもん!……どうする?早速出発する?」
「ああ。お願いするよ。モラはいつ払えばいい?」
「後払いでお願いね。ガイドに先払いは基本的にしない方がいいの。お金だけ貰って適当なガイドをする人がいるから」
「へぇ、そうなんだ」
なるほどね、と頷くと早速しゅっぱーつ!と元気がいいムアラニと名乗った少女と聖火闘技場を出た。稲妻の人はナタだと珍しいのか凄い質問責めをされる。
「えっと、ゲンモクさん?…は、ナタには今日来たばっか?」
「いや、1週間程滞在してたよ。僕、物書きをしてるからインスピレーションを得にいろいろと周ってみたいって思ってたんだ」
「へぇ〜、聖火闘技場に泊まってたの?」
「いや、謎煙の主にね。ちょっと縁があったみたいで空いた家を使わせて貰ってる」
しかしこの子、話してみてわかったけどとても話しやすい。ちゃんと目を見て話してくるし、リアクションもオーバー過ぎない程度に大きくて話してて楽しいな。年頃だし、さぞモテるだろ。
「流泉の衆はどんな所なんだい?」
「海と温泉の里!」
「へぇ、温泉か。それはいいね」
「温泉好きなの?」
「そりゃあね。ここら辺は火山活動が活発だから温泉もできやすいのか」
「あ!今それを説明しようとしたのにっ」
ガイドの仕事を取ってしまいむくれるムアラニに謝り、説明を改めて聴きながら流泉の衆に向かって歩く。
「ここら辺の竜はまた違う種類なんだね」
「コホラ竜のこと?流泉の衆と仲良しなんだよ」
「へぇ〜、あそこにいるのは成体か。仔竜が気になるな」
「あ、わかる?仔竜かわいいよね〜」
「個人的にイクトミ仔竜が好きなんだ。謎煙の主で見た時思わず固まったよ」
なんじゃあの人に可愛いって思われるために生まれてきた生き物。近づくとこてんっと首を傾げてるのが本当にかわいい。持ち帰りたかった。
その後も色々とナタについて終えてもらいながら歩いていると、景色がガラッと変わった。さっきまでは草原と崖って感じだったのが、砂浜と海に変わる。
「へぇ、同じ国の中でこんなに変わるんだね」
「でしょー?」
そこからしばらくまた歩くと、流泉の衆の集落が見えてきた。浜辺に作られた木造の水上住宅や、温泉に浸かる人々。水色を基調とした垂れ幕の醸し出す雰囲気は、とても気分を和ませてくれる。
「ここは、いい所だね」
「うんうん、バカンスと温泉の里だからね。宿は門をくぐって左側だよ」
「了解した。ガイドありがとう、とても有意義な時間だったよ」
「それは良かった!……じゃ、あたし友達のところに行かなくちゃ!じゃ、またね!」
「ああ。また頼むよ」
手を振ると、ムアラニは桟橋を走っていった。目で追ってみると、青髪の少年に話しかけている。あの子が言ってた友達かな?少し見ているとその少年とも目が合った。ちょっと警戒された視線に、なるほどなと頷いた。
恐らく、あの子はムアラニのことが好きなのだろうな。あの子、モテるだろうし大変な相手だ。頑張れよ。
しかし、本当に景観がきれいだなぁ。稲妻の綺麗なとこは珊瑚宮だけど、ここも負けてない。
宿を取った僕は、色々歩き回ってみようと水着に着替えて歩き出した。
<シトラリ>
昨日は面倒だった。
祭事の話があり昨日から謎煙の主の集落に顔を出していたシトラリは肩を落としながら帰路に着く。こういう集まりにも行かないことが多いシトラリだが、今回はちょっと隣人にカッコつけたかった。
このまま朝帰りして、彼に「あー、疲れちゃったわ〜。祭司はタイヘンなんだから〜」などと話しかけ「凄いね」と言ってもらいたい。その一心で面倒な集まりにシトラリは赴いた。
シトラリよりも年上の彼と一緒に茶を飲みながら語らう時間は、今の彼女の1番の楽しみだ。なんならその場で出来たてホヤホヤの原稿も読める。
「……そろそろ、2回目のお酒もサソってみようかしら」
いいことを思いついた。あの時は好きな作品が完結した悲しみでほぼ絡んだだけで終わってしまった。今度は一緒にお酒を飲んでお話をしたい。
となると、彼の天幕は少々手狭。自分の家に呼ぶしかない。
ご機嫌になったシトラリは鼻唄を歌いながらスキップをして、道中の店でお酒とつまみを幾つか買った。その店の店主が満面の笑みのシトラリにびっくりしていたが、そんなのはシトラリからしたらどうでもいい。
シトラリはルンルン気分で家に戻った、のだが。
家の前の壁に思い切りラクガキをされていた。これが意味するのはシャーマンが成長をする上での試練の挑戦状。ラクガキの犯人らしき謎煙の主の青年達がシトラリを見つけると全員武器を構えた。
「……はぁ、全く。空気ヨめないわね。………まとめてかかってきなさい!」
「い、いけぇ!」
シトラリは自分が使役しているツィツィミメを呼び出すと、それに跨る。シトラリンという名前のクッションは空に浮かび上がると、氷元素の渦を挑戦者達にぶっぱなした。
この青年達は謎煙の主の有名なシャーマンの弟子たちだ。シャーマンは成長の段階に合わせて、他の流派のシャーマンと戦い試練とする。元々挑むのはシトラリじゃなくても良かったのだが、前にいた大シャーマンがシトラリに試練を頼んだせいでそのまま彼女に挑むのが通例になってしまった。シトラリの自宅の前の壁にラクガキをするのが、試練の合図になる。
ただ、シトラリも伊達に大シャーマンをやっていない。氷元素の扱いは今のところナタにおいて右に出るものはいないのだ。放たれる拳程の氷元素の渦にはゾッとするほどの元素量が込められていて、一撃でありえない広さの空間が凍てつく。
シトラリはシトラリンに乗りながら霜風を吹き荒らさせた。極寒のそれは、挑戦者達を瞬く間に吹き飛ばしていく。
「はい、不合格。出直して来なさい」
すごすごと帰っていく若者たちを見送りながら、シトラリはラクガキされた壁を見てため息を吐いた。
壁一面に塗られたペンキを巫術で一気に消す。そういえば忘れていたが、幻目はどこだろうか。
これだけ騒ぎがあって外に出てこないということは外に出ているのか、天幕からは物音1つしない。
「……ウソ…、今日は話せると思ったのに……はぁ…」
どこに行ったのだろうか。でもまぁ、すぐに帰ってくるだろうとシトラリはお酒の準備を始めた。試練という名の邪魔が入ったことなどとうに忘れ、鼻歌が再開する。
「……ふふ、幻目……早く帰ってこないかしら」
そんなシトラリの期待は、粉々に打ち砕かれた。