転生したのもお前のせいだなイシュメール!!   作:ピークォドタウン在住

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資料集めにロボトミと図書館やってました。こんなに時間が溶けるなんてアタシは聞いてないよッ!


07/暗夜、想定外の邂逅

 

 

 星空が輝いて見える。

 

 夜間でも光が絶える事の無い都市の中からではここまで星々が美しく見える事は無いだろう。

 目を閉じてしまえば闇の中に溶け落ちてしまいそうな程に暗い夜の海であろうとも、輝ける星を見上げればきっと道に迷わずにいられる筈だ。

 

 どこか感傷的な自分の思考に小さく笑い、先生は夜の甲板の上で隣にいるユメに目を向けた。

 

「“静かな夜だね”」

 

 ユメもまた、先生へと目を向ける。

 暗い夜に輝く星よりも美しく淡い光を放つ、白い月の様な左眼を細めながらユメは口を開く。

 

「うん、少し怖いくらい。こんな夜に一人でいたら怖くて泣いちゃいそう」

 

「“でも一人じゃない。ここには私も、生徒達もいる。暗い夜でも、星と仲間を頼りに超えていけるさ”」

 

「そうだね。……ねぇ、先生?」

 

 ユメが、先生のすぐ隣へと距離を詰めてそっと手を先生の頬に添える。

 朧気に揺れる白い瞳が、先生の目に映る。魅せられるように、吸い寄せられるように、先生はユメから目を離せない。

 

「身に染みる様な夜の怖さと寒さ、先生が忘れさせて?」

 

「“んぶっふ”」

 

「はい負け~!!!」

 

 先生が噴き出すと同時に先程までの物憂げな雰囲気が霧散する。

 添えていた手を引っ込めて勝利宣言するユメに先生が抗議する。

 

「“いやちょっと待ってよ、触るのはナシじゃない?”」

 

「先に言わないと何言っても負け惜しみだよ~?」

 

「――何イチャついてるんですか」

 

 甲板の端でワイワイと盛り上がる二人の元へ呆れた様な声が届く。

 先生とユメが振り返ると困惑した顔のイシュメールとサオリの姿があった。

 

「“やぁ、どうしたの?”」

 

「どうしたはこっちのセリフなんですけど……、交代の時間ですよ。二人とも身体を休めて下さい」

 

「……その、二人は恋仲だったりするのか」

 

 サオリの言葉に先生とユメは顔を見合わせる。

 

「そういう訳じゃないけど……」

 

「“まぁ気安い仲ではあるかな、どうしてそんな事を?”」

 

「いや、二人が恋仲と知ったらトリニティが荒れそうだな、と」

 

「“あはは、大袈裟だよ……”」

 

 先生がそう言った直後にイシュメールを除く三人の脳裏を桃色の髪を持つお姫様が過ったが努めて無視する事にした。

 

「でももう交代? さっき始めたばっかりなのに」

 

「“うん、私達は大人だし二人ももう少し寝てても良いんじゃないかな”」

 

 その言葉にイシュメールが眉を顰め、サオリが苦い顔をする。

 疲労に尋常じゃなく強いユメはさておき、先生に関しては本当なら夜の番から外す事も考えていた。

 大人と子供という考えは船の上では無用の長物だ。リーダーとなる存在は有事に備え極力体力を温存する必要がある。戦術的に価値のある力を持っているのなら猶更。

 

 だというのに自分も手伝うと夜の番を引き受けた先生に大人しく寝ていろと声を掛けたい気持ちを抑えてイシュメールは溜め息を吐きながら許可を出したのだ。

 そこから更に粘ろうとするのは流石にイシュメールでなくとも看過できなかった。

 

「大人だからなんですか、さっさと寝て下さい。どうしても嫌だって言うのならアスナさんを呼んで強引にでも一緒のベッドで寝てもらう事になりますが」

 

「“皆! おやすみ! また明日ね!”」

 

 イシュメールの警告に顔色を変えた先生は足早に船内へと戻っていった。

 先生の力ではアスナに抵抗できない上に当のアスナは嬉々としてベッドの中に引きずり込んで来るだろう。そうなれば翌朝先生がどのような目で見られるか想像に難くない。これ以上ない脅しに屈服せざるを得なかった。

 

「割と他の子からの印象気にするんだよねぇ、先生」

 

「貴女も休んでくださいよ、ユメさん。貴女だって貴重な戦力なんですから」

 

「んーん、私は本当に大丈夫。私達の中で一番哨戒に向いてるのは私だってイシュメールも分かってるでしょ? ……ねぇ、折角だからイシュメールの話聞かせてよ」

 

「……はぁ、まぁ、構いませんよ。暇潰しにはなるかもしれませんから」

 

 少しの逡巡の後、ユメに関しては問題ないと理解したイシュメールは溜め息を吐きながら口を開く。

 

 

 

 いざ自分の事を語ろうと思うと何から話せばいいのか悩んでしまう。

 イシュメールが昔過去を思い返していると、ふと昔ピークォド号で同じように自分の話を聞きたがっていた船員の事を思い出す。

 

『イシュメールさん、どうしてこの船に乗ったんですか? 何かしたい事があったり?』

 

 その言葉はエイハブからイシュメールの名を与えられ、本格的にピークォド号の船員として活動する事になった時同じ名持ちのピップから投げ掛けられたものだった。

 ピップはイシュメールよりもずっと幼く、それでもエイハブに認められていた。銛を持って鯨の背に乗る事は恐れていても、ハープーンランチャーの扱いは群を抜いて優れていたから。

 あの時、イシュメールは何を返したのだったか。

 

 たしか、そう。

 

「――私は別に、誰かを守りたいだとか、幻想鯨を狩りたいとかそういう強い意志で捕鯨部に入部した訳では無いんです。ただ私は海が好きだったから、幼いころに親に連れられたあの蒼い海が今も心に残っているから。海に最も近い捕鯨部の張り紙が目に留まったんです」

 

 余りにも簡素なそれに、どうしてか目を惹かれた。そして――。

 

「他の船員達と比べたら、薄い入部理由でした。他の人は多かれ少なかれ幻想鯨の被害を受けて復讐したいと望む人達でしたから。だから私は暫く皆とそりが合わずにいたんですが、ハープーンの訓練中に私の事を気に掛けてくれる先輩がいました」

 

 今でもイシュメールは覚えている。あの強い意志を宿した目を、幾度も船員達を守り抜いた証である身体の傷跡を。

 

「今日の様に優しい夜の髪と褐色の肌、……そうですね、ちょうどカリンさんと同じような人でした。まぁもう少し筋肉と身長はありましたが」

 

「……名前を、聞いても良いか」

 

 イシュメールの話を聞いたサオリがピクリと指を動かし、言った。

 その反応に疑問を抱いたユメだったが、サオリの問いに答えるイシュメールの話を聞くために何も言わずにいる事にする。

 

「その先輩はクィークェグという名を貰っていました。アンカーハープーンの扱いと人魚や幻想鯨の注意を引く事に長けたピークォド号の主力の一人だったから。本名は、黒浪エレナ。この名前で呼んでほしくはないと言ってたから私達はずっとクィークェグと呼んでましたけどね」

 

 黒浪エレナ、その名前を聞いたサオリは顔を上げ、信じられないといった表情でイシュメールを見た。

 震えた手を動かし、緩慢な動きでイシュメールの肩に手を添えたサオリは、喉を震わせながら口を開く。

 

「ほ、本当か? 黒浪エレナというのは。言葉を区切る癖があって、ショットガンを持っていたか?」

 

「え? えぇ、仰る通りですけど。知り合いだったんですか?」

 

 困惑したように返すイシュメールの答えを聞き、サオリは力が抜けた様に甲板にへたり込んだ。

 はは、と安堵したように笑うサオリにユメは肩を貸し、立ち上がらせる。

 

「ねぇ、サオリちゃん。もしかして黒浪エレナって……」

 

「……あぁ、そうだ。エレナは、アリウス分校の生徒で私達の仲間だった。……てっきり死んでいたものだと思っていたが、良かった……ッ!」

 

「はい? アリウス? 聞いた事あるような無いような……。それに死んでいたって、穏やかじゃないですね?」

 

 戸惑いっぱなしのイシュメールを見たサオリは決心したように頷く。

 肩を借りていたユメから離れて自分で立ち、言った。

 

「クロノスの報道でもある程度の情報は出ている筈だが……、“エデン条約の瞬間を狙い襲撃したテロリストでありながらその実態は閉鎖空間で貧困にあえぎ闘争の中で兵士として育てられた被害者であり現在半数程がトリニティに保護されている”。これが今報道されている内容の筈だ。正しくはあるが敢えて曲解されるように事実を書き換えられている」

 

 憂いを帯びた目で自らの掌を見つめるサオリは続ける。

 

「私は私を被害者などと思わない。人を殺す事に躊躇いを持たぬ様に教育された。人殺しなんだ」

 

 私よりも、いいや、誰よりも強くそう思っていたのが黒浪エレナだったんだ。

 

 錠前サオリは食い入るようにそう言った。

 

「アリウススクワッドは分かりやすく言えばアリウス分校で最も強く、そして最も……アリウス分校に忠実な兵士である証だ。私達ブルーローズの四人がかつてそうだったが、私達のリーダーとなるかもしれなかった者がエレナだったが、ある日突然姿を晦ました」

 

 その日はマダムからの命令でカタコンベを抜けてトリニティ近郊での依頼があったが、エレナは同行するメンバーを全員気絶させて物資を奪い逃走した。

 サオリ達もまた捜索隊に加わったが、暫くしてから追跡の中止を言い渡され、捜索隊のリーダーが処罰された。

 

 ただならぬ出来事があったのだろうが、マダムからこの件に関しての深入りを禁じられたが為にそれ以上の捜索は出来なくなった。

 執念深いマダムの事だから地の果てまで追わせようと考えてもおかしくないだろうに。だからこそエレナはもう生きていないだろうと、絶望と諦念、そして虚しさの中で皆が考えていた。

 

 マダムを筆頭に幾つか不都合な事実は覆い隠しながら、サオリはエレナについてイシュメールに語った。

 

「――そんな事が」

 

「あの時、エレナが何を考えていたのかは私には分からない。……本人に聞いてみない事にはな」

 

「そう、ですね。……クィークェグはいつだって過去を語りたがりませんでした。一度だけこんな静かな夜に自室で自分の腕を傷つけている所を見た事があります」

 

 揺れる船の中、オレンジ色の明かりに照らされながら、クィークェグは縄を口にして自らの身体をナイフで執拗に突き刺していた。オデュッセイアの支給品であるそれは一際頑丈なクィークェグの身体を裂き、人魚や鯨によって付けられた傷を上塗りする様に。

 焦燥と共に何事かと聞いたイシュメールにクィークェグは言った。『かつての言葉が入れ墨の様に身体に刻まれている』と。当然入れ墨なんて一つも無く、ただ傷ついた身体だけが残っていた。

 結局その行動を止める事が出来たのはイシュメールの懇願ではなく、騒ぎを聞きつけたエイハブの静止だったが。エイハブは知っていたのだろうか? クィークェグの過去を。

 

「……サオリさんの言ってくれた過去にきっと関係しているんでしょう。絶対に助け出して、もう一度聞いてみたいと思います」

 

 そうしてイシュメールは語り続ける。

 ピークォド号のクィークェグとイシュメールの話を。

 

 一夜を越すのには十分な冒険譚となるだろう。

 

「――」

 

 ただ。

 

「――あれ? ……今確かに神秘の流れが……うーん」

 

 安穏に夜を越えられる保証が今のキヴォトスの海にある筈も無いのだが。

 

「――♪」

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 美しい歌が聞こえる。

 

 意味のある言葉ではなく、ただ音階を気まぐれに変えただけの鳴き声と言ってすら良いそれに。

 

 されど酷く心を揺さぶられる。

 

「――La――Lu――」

 

 ただ声の聞こえる方へ足を進めていく。

 

 徐々に歌ははっきりと聞こえるようになり、その歌を歌う者の姿も見えるようになった。

 

「Lu――LiLa――」

 

 人魚。

 

 美しい少女の上半身と淡い紫色の魚の下半身を持ち、同じ紫の豊かな長髪と五重の円の様にも見える円形の五線譜と音符を模った巨大なヘイローが見る者の目と心を惹きつける。

 

 おとぎ話に出てくるような美しい人魚が蒼い海の中、岩に腰掛けながら歌っていた。

 

「――a、ァ、ア……あは」

 

 人魚が、こちらを見た。

 

「歌は好き?」

 

 何を考える事も無く頷いた。

 

「でも、周りを見て。ここは深い深い海の中、私の歌だけが唯一の音」

 

 人魚の言う通り、視界が鮮明なのは人魚の周りだけで辺りは奈落の様な闇が広がるばかりだった。

 

 声が聞こえる。

 

「そう、海の深い場所は暗い」

 

 闇から目を背けようと人魚だけを見つめる。

 

「でもその闇の果てに至れば光がある」

 

 人魚は応えるように深海の様に美しい瞳を向ける。

 

「そこに、暗闇で光を放つものたちがあるから」

 

 微笑みを湛え、

 

「そこへ行こう」

 

 美しい声を響かせ、

 

「私たちは最も暗い場所で、最も明るく輝くんだ」

 

 悲しみと苦痛を振り払うように、

 

「私たちは捨てられたけどみんな夢があったよね、覚えてる?」

 

 喜びと悦楽を迎えるように、

 

「さぁ、あの夢を叶えに深く深く降りていこう」

 

 人魚はこちらへ手を伸ばす。

 

 その手を――

 

「“――ごめんね”」

 

 私は跳ね除けた。

 

「“例えば君が心から歌う事が楽しくて、少しでも自分の歌を聞いてくれる人が欲しくて、ただそれだけの小さくも心からの願いで手を差し伸べてくれたのならその手を取っても良かった”」

 

 海の底の様な冷たさを努めて無視しながら言葉を重ねる。

 

「“でも君は歌を聞いて欲しい訳でも、寂しい訳でも、輝きたいという夢を叶えたい訳でも無いでしょ?”」

 

 人魚は怒りも悲しみも無く、ただ微笑んでいる。

 

「“ただそれが出来るから。無感動に歌い、他者を取り込み、人魚に変える。心からの言葉じゃないなら私は君の物にはならないよ”」

 

 残念ながら、ユメと日頃から気恥ずかしい言葉を交わし合っている私には心の籠っていない誘惑は通じない。

 それに、例え本心だとしても、結局は人魚の前から去っただろう。何故なら、

 

「“私は、先生は生徒の味方だからね”」

 

 その言葉と共に視界が霞んでいく。

 夢から目覚めようとするその中で、最後に人魚の声が聞こえた気がした。

 

「私の歌をもっと好きになってくれた時、もう一度沈んでいきましょう?」

 

 

 

『先生! 起きてください!』

 

 焦りを滲ませたアロナの鋭い声で先生は目を覚ました。

 シッテムの箱を手に取り、船内のベッドから起き上がった所で甲板の方から戦闘音が聞こえる事に気付く。

 

「“ごめん、起きるのが遅れた。状況は?”」

 

『幻想鯨からの襲撃を受けています! 私とユメさんの感知に引っかからずアスナさんの呼びかけで備える事が出来ましたが、何人か先生のように呼び掛けても眠ったままで人手が足りてません!』

 

「“多分私みたいに夢の中に引き込まれてるんだろうね、今すぐ甲板に向かって指揮するよ。短時間なら戦闘人数を減らしても問題ないだろうから一人に皆を起こさせよう”」

 

 急いで準備を整えて甲板に向かうと人魚の群れと戦うホシノ、ユメ、サオリ、ネル、アスナ、イシュメールの6人の姿があった。

 

「“皆! 待たせてごめん、今から指揮に入るよ!”」

 

「ったく、ようやく一人お目覚めかよ。これで少しは楽になるか?」

 

「どうだろうな、依然として状況は芳しくないが」

 

 軽口を叩くネルやサオリを見る限りまだまだ余裕はありそうだが、どうにもユメとイシュメールの顔色が悪い。

 一度話を聞くべきだろうと考えながら先生はシッテムの箱による指揮を始め、戦闘を開始する。

 

「“サオリ、ここは私達が何とかするから皆を起こして来て。もし皆が私と同じ夢を見てるなら少し強引に起こした方が良いかも”」

 

「分かった。叩き起こしてくる」

 

「“ホシノ、ネル、アスナ、申し訳ないけどいつも以上に駆け回ってもらうよ”」

 

「ま、サボれそうな雰囲気じゃないよねぇ」

 

「上等だ、一匹残らず叩き返してやるよ」

 

「ん~、まだ大丈夫かな。任せて!」

 

「“ユメ、イシュメール、顔色が悪いけど不安要素があるなら言ってみて”」

 

「……どうしてかな、左目の調子が悪いんだよね。ここまで大規模な襲撃なら必ず神秘の流れが見える筈なのに気付けなかった……」

 

「そうでしょうね、まさかユメさんの義眼を欺く程とは思ってませんでしたが、この人魚達は攻撃性と引き換えに高い隠密能力を持っていますから。……そこらの幻想鯨と比べれば最悪と言ってもいい相手ですけどね」

 

 おとぎ話に出てくるような人魚をハープーンで貫くイシュメールの言葉に、複数体の人魚を相手取るネルが叫ぶ。

 

「おい! わざわざそこらのって言い方するって事はこいつらやっぱりアレか!?」

 

「はい。まだ本体は姿を現しませんが、五大特色の一角、紫紺の鯨、微睡む歌のフリングホルニに捕捉されました。早い所ここから逃げないと……」

 

 歯噛みするイシュメールの言葉に先生は改めて敵を見る。

 夢で見たあの人魚――微睡む歌のフリングホルニに似た姿の人魚達は、一律少女の上半身を持っており上辺だけの微笑みを浮かべている。

 資料によれば頭上にヘイローが浮かんでいない個体は魚や他の幻想鯨の人魚から変異したものらしいが、ぱっと見では人間らしく見えてイシュメール以外の攻撃の手が僅かに鈍っている。

 

 正面突破は戦力的にも精神的にも現実的ではないだろう。

 

「“今船はオート操縦だよね? このまま耐え凌げば逃げ切れると思う?”」

 

「ちょっと無理かもー! 強引に突っ切らないとやばそうだよ!」

 

「おいおい、アスナがそう言うって事は親玉が来るんじゃねぇのか?」

 

「はぁ、サオリさん達が帰ってきたら私が直接動かして一気にこの海域を抜けるしかないでしょうね」

 

 明確な時間制限が追加された事で全員に僅かな緊張が走る。

 ハープーンによって手傷を負わせ撃退しても海の中からどんどん人魚が湧いてくる永遠とも思える戦闘を続ける中で、船内から複数人の足音が聞こえてきた。。

 

「――遅くなってすまない!」

 

 サオリを先頭に戦闘準備を整えたカリン、アカネ、トキ、アツコ、ヒヨリ、ミサキの7人が先生達に加わる。

 眠っていた6人は寝不足気味である事を隠していたが、先生にとっては一目瞭然であった。

 

 依然として厳しい状況ではあるが、それでも人数が増えた事で僅かに人魚達の攻勢の手か緩んだ。

 その隙を突いて先生が生徒達に人魚を海中に押し返すよう指示を出し、イシュメールに向き直る。

 

「“イシュメール! 今のうちに船を――”」

 

 敗因があるとすれば。

 

 戦力の温存や戦況の均衡を気にしすぎるがあまり、行動が遅すぎた事だろう。

 先生は甲板に行く前に一人でも多く生徒を起こすべきであったし、イシュメールは反感を買う事を覚悟してでも戦線から離脱しオデュッセウス号の操縦に注力すべきだった。

 

 だが、彼らを責めるのは酷という物だ。過去21度に及ぶ遭遇戦がありながら紫紺の鯨の情報は極めて少なく、何が致命的な行動になるかを知る為に慎重に立ち回らざるを得ないのは当然の心理ともいえる。

 この後に白く蝕むアルゴーとの邂逅が控えているというのなら猶更だろう。

 

 だからこそこの結果に収束するのもまた、当然と言えよう。

 

「――――LaaaLu――Lilaaaaa―――――!」

 

 歌が聞こえる。遥か遠くの海の上、それを起点に海が紫紺に輝いていった。

 

 遠方の小さな影、彼方のか細い声、だというのに誰もが目を奪われていく。

 

 微睡む歌のフリングホルニが姿を現した。

 

「嘘……」

 

 イシュメールの息が荒くなる。

 何時の間にか甲板の上の人魚達は動きを止め、遠く佇むフリングホルニへと顔を向けていた。何かを待ち望む様に、変わらぬ微笑みを湛えながら。

 

「“良く分からないけど、今のうちに――”」

 

 ここから逃げよう、と続けようとした先生は周囲を見渡してようやく気付いた。

 フリングホルニを起点に広がる紫紺の海域がオデュッセウス号すら取り込んでいる事に。先程から一切オデュッセウス号が動いていない事に。

 

 この現象をイシュメールは深く理解し、他の面々もまた資料の上ではあれど把握していた。

 

「特色、海域……」

 

 誰かの呟きと同時に、フリングホルニの歌が海域全てに響き渡る。

 それはフリングホルニの舞台が整った証拠であり、歌を届ける観客を見定めた合図でもあった。

 

 眠気を誘う歌声が響き渡り全員が耳を塞いで耐えている中、フリングホルニの周囲の海水が蠢き一つの形を成す。

 それは歌い続けるフリングホルニと、追従して共に歌う人魚達を紫紺の海水で包み込んで巨大なクリオネの様な姿を取り、フリングホルニの持つそれと同一の巨大なヘイローが紫紺のクリオネの頭上に浮かんだ。

 

「“……あれが、特色の鯨”」

 

「何で、何で海域に侵入しただけの私達にそこまで敵意を向けるの……?」

 

 イシュメールのか細い声が先生の耳に届く。

 特色の鯨と相対した事のあるイシュメールだからこそ、誰よりも早く心に罅が入っている。

 

「“……使うべき、かな”」

 

 視野が狭まっていく。周りの生徒達の声も遥か遠くに聞こえ、迫り来るフリングホルニの歌声ばかりが耳朶を震わせる中、先生はスーツの内ポケットへと手を伸ばし――

 

『――おぉい先生! 何か凄い神秘濃度が観測できたんだけど無事か!?』

 

 懐から焦りを帯びたオルガの声が聞こえた事で先生は正気を取り戻した。

 

「おい! その声オルガだな!? 特色だ! 紫紺の鯨に掴まった! 何か対抗策とかねぇか!?」

 

「イシュメール、落ち着いて。アイツの遊泳速度は思ったより遅いみたい、まだ出来る事はある筈だよ。何か知ってる事はある?」

 

「特色海域、確か自身を構成する膨大な神秘と鯨油の同化現象を海そのものに対して使用した現象でしたか。……常時使える訳では無いのは明白、何とか耐え凌げば弱体化を狙えるかもしれませんね」

 

「ねぇ、ひょっとして海に神秘が流れてるなら幻想機雷が有効なんじゃ?」

 

 生徒達が、現状を打開しようと動いている。目の前に迫る絶望をものともせずに。

 それに対して自分は何だ? 最早自分達で対処できる問題ではないとばかりに大人のカードに頼ろうとする。情けなくないのか?

 

 先生が自己嫌悪に陥り俯いた時、いつの間にか傍まで来ていたユメが先生の頬に手を添えて視線を上げさせた。

 

「――大丈夫、私達なら乗り越えられるよ。一人で考えて正解が分からないなら、皆で考えれば良いんだよ」

 

 優しいその瞳を見て、先生は一度だけ深呼吸をした。

 

「“……心配かけてごめん、ユメ。ありがとう”」

 

 先生はニッコリと笑うユメからこちらへ向かってくる微睡む歌のフリングホルニへ向き合い、懐の通信機を手に取る。

 

「“という訳で、聞こえてたかもしれないけど微睡む歌のフリングホルニと遭遇した。向こうは特色海域を展開して紫色の巨大なクリオネになってるね。ここからどうにかする方法はある?”」

 

『ははぁ、そりゃあ、最悪の中では最良の結果だな。――発想の転換といこう、対処する必要は無い』

 

 オルガの言葉は、全員にとって寝耳に水だった。

 より正確に言うならば、アスナを除いた全員にとって、だが。

 

『こっちで計測した神秘の流れから察するに姿を現してすぐに特色海域を展開した筈。という事は接敵する前から興味の対象として認識されている』

 

 先生と、眠っていた6人はその言葉に夢の中の光景を思い出す。

 冷たい海の中で歌に魅入っていた記憶を。

 

『恐らくは先生だろうが、フリングホルニから気に入られてもう一度歌を聞かせるみたいな事を言われた筈だ。――抗う必要は無いさ、もう一度聞いてやればいい。きっとそれが蒼白の鯨の道に繋がるさ、そういう流れになった』

 

「“……? それって、どういう――”」

 

『具体的にどうすべきかは、アスナに聞けばいい』

 

 アスナはオルガのその言葉に頷き、皆を先生の近くに抱き寄せた。

 

「多分、戦うんじゃなくてこんな風に皆で一緒にいればいいんだよね……?」

 

『ここから先、アスナの勘に頼る事が多くなるだろう。心配はいらないさ、この海にいる限り君は奇跡を叶え続けられるから』

 

 オルガと会話を交わす中で、微睡む歌のフリングホルニがすぐそこまで迫ってきていた。

 最早巨大なクリオネという形も分からず、ただ紫紺の津波としか分からないそれに、どうしてか皆恐怖を抱く事は無くなっていた。

 

『――最後に一つ、微睡む歌のフリングホルニは興味を抱いた者を人魚に変えるが、特に気に入った者は新たな歌を作る為の参考の為に開放する。信念を持って夢の中を歩けばいい、謳われる英雄のように』

 

 オルガのその言葉と共に、人魚達の美しい歌と共に、迫り来る紫紺の波濤と共に。

 

 全員の意識は深い海の中に消えていった。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

「――本当は皆に歌を聞かせて、一緒に歌って泳いでもらおうと思ってたの。本当よ?」

 

 美しい声に誘われるように、先生は微睡みから目を覚ます。

 目の前には紫色の人魚、微睡む歌のフリングホルニの姿。周りには、イシュメールを除いた全員が固まって眠っていた。

 

「“皆、起きて!”」

 

「でも、あの夕焼けの髪の子の夢を見て、続きが見たくなってきちゃった」

 

 目を覚ますように声を掛ける先生はフリングホルニの言う夕焼けの髪の子が誰を指すのかを悟り、フリングホルニへと向き直った。

 

「“イシュメールの事だよね、彼女は何処?”」

 

「貴方の後ろにいるわ」

 

 白魚のように細く伸びる指を先生の背後へと向け、フリングホルニは鈴の音の様な声を響かせる。

 その声と指の示すままに先生は、背後を振り向いた。

 

 ザク、ザク、グシャ、グシャ。

 

 柔らかいモノを裂く音、硬いモノを削る音、それらが短い間隔で鳴り響く。

 イシュメールが、手にしたハープーンを何かに振り下ろし続ける音だった。

 

「“イシュ――”」

 

「聞こえないよ」

 

 嫌な予感がした先生はイシュメールの名を呼び、後ろから伸ばされたフリングホルニの手によって口元を抑えつけられる。

 

「あの子は夢を見ているの、誰からも邪魔されない夢を、自分の願いを叶える夢を。とても幸せな事だと思わない?」

 

「“……どう、かな。確かに私はイシュメールの過去について知らないけれど、私にはあれがイシュメールの願いとは、思えないかな”」

 

 じわじわと息が浅くなっていく感覚に耐えながら、先生は背後のフリングホルニに言葉を返す。

 そうとも、短い時間ではあれど先生は知っている。イシュメールは仲間の救出よりも復讐を優先する子ではないと。

 

 ならばきっと、この光景はフリングホルニが見せたまやかしに他ならないだろう。

 

 先生が偽りを突きつければ、フリングホルニはクスクスと笑い先生の口元から手を引っ込めた。

 

「なら、見てみましょう? あの子が如何にして復讐を誓うに至ったか。その後も貴方は復讐はいけない事というのかしら? 先生として? 大人として?」

 

 歌うようなその言葉と、一つの拍手と共に先生の視界が紫紺の泡に包まれる。

 

 思わず顔を覆ってしまった先生が再び目を開けると、オデュッセウス号よりも一回り巨大な船の甲板の上に立っていた。

 

「――うへ、すっかり寝ちゃってたや。……先生? ここって」

 

 ホシノの声に振り返ると、先生の周りで寝ていた全員が起きて辺りを見渡していた。

 

「“多分、イシュメールの夢の中――過去の記憶だ”」

 

「……って事はホシノちゃん、やっぱりこの船」

 

「うん、ユメ先輩の思ってる通りだと思うよ」

 

 ホシノとユメの視線が同じ方向に向く。

 

「――ピークォド号だ」

 

 二人の視線の先には、肩口で切りそろえられた夕焼け色の髪の少女と相対する、豊かな白い長髪と鋭い眼差しが特徴的な、深緑の船長制帽を被った少女の姿があった。

 

 




ここの先生は常日頃からユメといちゃついてるので誘惑耐性高め。

紫紺の鯨 微睡む歌のフリングホルニ
・五大特色の一角にして最も温厚かつ最も小さな幻想鯨。人間の上半身と魚の下半身というおとぎ話の人魚そのものの様な身体を持ち、髪や瞳や下半身などは名の通り美しい紫紺である。ヘイローは五線譜と音符が円を描いた様なもの。
・フリングホルニの人魚達もまた、フリングホルニと同じく人間の上半身と下半身を持つ。人間から変化したものや海生生物から変化したものも等しくこのような姿になる。
・休眠時は深海で音無き歌を歌い続け、フリングホルニの人魚達もまた微睡みながらフリングホルニの歌を聞いている。
・音無き歌の射程圏内に船が入った時フリングホルニの休眠は解かれ、人魚達は一斉に海面に浮上し船に乗り込む。
・この時眠っている者がいればフリングホルニの歌で夢の中に引きずり込まれ、強い衝撃を加えられない限り起きられなくなる。この時にフリングホルニの歌に心から酔ってしまえば、その時点で人魚化が進行する。
・人魚達が一定数殺害される、或いは夢の中で全員に歌を否定される等フリングホルニの興味を引く事柄があればフリングホルニ自ら海上へ浮上し、特色海域を展開する。
・海域内に押し留めた全生命体に歌を聞かせ、強制的に夢の中に引きずり込むか、何とかして特色海域から脱出する事で特色海域は解除され、フリングホルニは再び休眠状態になる。
・機械を通す等神秘を完全に遮断する事が出来れば眠らせる効果は無くなる為、オデュッセイア内では録音したフリングホルニの歌が流通している。

特色海域:紫紺劇場
・膨大な神秘によって齎される微睡む歌のフリングホルニの奇跡。
・自身を中心とした広範囲の海域を紫紺に染め、海水を自由に操る事が可能となり、海域内であればどれだけ遠くてもフリングホルニの歌が鮮明に聞こえる。
・特色海域展開時のみ使える戦闘形態として自身や人魚達を内包した巨大なクリオネの姿があり、この時に使える大技が幾つかあるが、基本的に縄張り争いになる事が無い為殆どパフォーマンスである。



本当はもう少し船旅っぽいイベント挟む予定だったけど、エイハブ書きたいから全カットです。
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