転生したのもお前のせいだなイシュメール!!   作:ピークォドタウン在住

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前回投稿から丸三ヶ月が経過してるのもお前のせいだなイシュメール!!

前回までのあらすじ
捕鯨部救出の為に蒼白の鯨を追っていた先生達は五大特色の一角である紫紺の鯨、微睡む歌のフリングホルニに目を付けられる。
アスナの勘によってあえて全員がフリングホルニの術中に嵌る事で戦闘を終えた先生達は夢の中でフリングホルニにイシュメールの過去を見せられる事となった。


08/追憶、狂いゆく銛たち

 

 

   

始まりは憧れからだった。

 

 

   

何もかもが変わってしまった海に、それでも立ち向かう人たちが格好良くて。

 

 

   

眩しくて、羨ましくて、憧れて。

 

 

   

自分もあの場所に行けば、誰かの憧れの存在になれるんじゃないかと。

 

 

   

そう、浮ついた考えを持っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 快晴の海を、一隻の船が進む。

 

 幾度もの航海を乗り越えたピークォド号に似つかわしくない高揚や熱気が漂っていた。

 

 オデュッセイアの捕鯨部に入部した者達の中で特に優秀な成績を残した者達の初の船出である。

 

 甲板上や船内を船員達が慌ただしく動き回り、航海に耐える準備を進めていく様子を、先生達は眺めていた。

 甲板の上に立ち、物を掴む事は出来るが物を動かす事は出来ず、船員達には触れる事すら叶わない。ただイシュメールの過去を眺める事しかできなかった。

 

「――よぉし新入り共! 一旦集合だ!」

 

 湧き立つ熱気を切り裂く様に、アンカーハープーンを掲げパイプを咥える少女が叫ぶ。

 

「“……彼女達は?”」

 

「一等航海士のスタッブ、副船長のスターバックだね。ピークォド号でも結構な実力者だった筈だよ」

 

 徐々に口調から柔らかさが消えつつあるホシノがそう答える。

 視線の先にはスタッブの言葉に従って甲板に集まる少女たちの姿があった。スタッブの隣にはペネトレイトハープーンを背負うスターバックも立っている。

 

 そして彼女達の後ろに、船長エイハブの姿もあった。

 

 集まった船員達にスタッブが声を上げる。

 

「そこのお前! 今回の航海の目的を言ってみろ!」

 

「はい! 幻想鯨の討伐及び鯨油の確保、並びに指定討伐対象の捜索になります!」

 

「よぉし、ここまでは朝言ったから覚えてる奴が全員だろう。じゃあ隣のお前、指定討伐対象とは何か言ってみろ!」

 

「あ、えっと、船に危害を加えて……逃げた幻想鯨、でしたっけ」

 

 スタッブと、答えた少女の後ろにいたイシュメールが聞こえない様に小さく溜息を吐いた。

 

「……30点、この船旅の中教科書の内容を覚え直せ! 次――」

 

「――イシュメール、答えてみろ」

 

 エイハブの静かな声が響く。

 深緑の船長制帽の奥から除く鋭い視線は真っすぐにイシュメールを貫いていた。

 

「指定討伐対象とはオデュッセイアの生徒や自治区内の住人を人魚に変質させて逃走している幻想鯨です」

 

「どうやって追う?」

 

「人魚には自身を変質させた幻想鯨に向かおうとする性質があります。その為確保した人魚化生徒及び人魚化住人の体組織を採取し共鳴羅針として加工する事で特定の幻想鯨のみを追うコンパスを作る事で追跡が可能になります」

 

「幻想鯨には敵対者を全員沈めるまで戦闘を止めない性質があるな? 親元へ向かう人魚をどうやって確保する?」

 

「複数の船団で行動し、人魚化した船員を後方の船に移送、戦闘区域から離脱しそもそも戦闘を続けない方法があります。余程執着が強くなければ相手が逃げに徹していれば戦闘終了と判断して興味を失いますから」

 

「他には?」

 

「先程のものよりは可能性が低いですが……船が沈み、船員全員が人魚と化したとしても、戦闘していた幻想鯨が瀕死の重傷を負っていれば人魚を群れに加えるよりも深海に潜り怪我を回復させる事を優先します。人魚は幻想鯨の元へ向かう性質がありますが指示が無ければ手当たり次第に暴れるだけなので、再び幻想鯨が浮上する前に別の船がその人魚達を回収する事が出来ますね」

 

「あと一つある筈だ、言ってみろ」

 

「……黄金の鯨、輝ける海嘯ノアの一件ですね。群れを作る為ではなく攻撃手段として人魚化を進行させる幻想鯨と相対したのなら、帰属意識が他と比べて低い人魚と化した船員だけがその場に残り回収も可能でしょう」

 

 エイハブが口角を吊り上げる。

 

「合格だ、過去に起こった事も良く調べている」

 

 イシュメールとエイハブの問答にひと段落付き、周囲から拍手が送られる。

 その様子を眺めていたトキが特色の鯨の話題が出た事でつい口を出した。

 

「輝ける海嘯ノア、とはウテナ生徒会長の言っていた五大特色の一つですね、オデュッセイアの過去の記録にもありました」

 

「えぇっと、遠洋調査設備のある捕鯨船一隻が襲撃を受けて全滅したんでしたっけ、恐ろしいですよね……」

 

「エイハブが高等部に上がる前の出来事だから大体3年前だね。直接的な被害自体は少ないけど二次災害がとんでもない事になるからどの学校、組織であれ黄金の鯨を利用する事はオデュッセイアの禁忌に指定されてる」

 

「……黄金や宝石へ置換する人魚化、しかも無機物も対象として。巨万の富を生む存在を利用しようとする者は後を絶たないでしょうね」

 

「風紀委員会がタブーハンターに名を変えた遠因だからねぇ……」

 

 生徒達の会話に気になる内容が幾つかあったが、帰ってから聞けばいいと先生は意識を再びイシュメールの方へ向ける。

 視線の先にはエイハブからの問いに淀みなく答えた事で上級生達から褒められるイシュメールの姿があった。

 

「ほぉう? やるじゃないかイシュメール。ピップも見習わないとな」

 

「ス、スタッブだってそこまで詳しくないくせに……」 

 

 水薬パイプを咥えながらカラカラと笑うスタッブに反抗する様に一際幼い赤髪の少女が応える。

 ピップと呼ばれた中等部の生徒に見える少女は、しかしそう呼ばれているからこそピークォド号で高い能力を有している事を意味していた。

 

 スタップにわしゃわしゃと髪を撫でられるピップを見ながらサオリが呟く。

 

「あの子が、ピップ……」

 

「“……? 知ってるの? サオリ”」

 

「あぁ、フリングホルニに襲撃を受ける前、先生が寝た後にイシュメールから話を聞いた。スターバック、クィークェグと並んで特に仲良くしていた船員だと」

 

「“そうなんだ、あの子が……”」

 

 目標の再認識を果たしたピークォド号は再び幻想鯨へ向けて航海を開始する。

 

 

 

 エイハブは船長室へと向かい、スターバックが船員達の作業を指示していく。

 イシュメール、いや、イサナはピップやクィークェグ達と共にハープーンの整備を行っている様だった。

 

「……イシュメール、お前は、手先が器用だな」

 

「そう、ですか? これくらいなら普通だと思いますけど、二人に比べたらまだまだですし……」

 

「えへへ、そりゃ何年も船に乗って名前まで貰ってるのに新人に追い抜かれちゃ溜まりませんよぉ」

 

 ピップはにへらと笑いながら、イシュメールの何倍ものスピードでハープーンの整備を終わらせていく。

 雑談を交わしながらハープーン以外の設備メンテナンスをし始めたピップがイシュメールに問いかける。

 

「イシュメールさん、どうしてこの船に乗ったんですか? 何かしたい事があったり?」

 

 その言葉にイシュメールは手の動きを止める。ピークォド号に乗る前の訓練生時代、悪意と共に投げ掛けられたその言葉を覚えていたからだ。

 

『お前、何で捕鯨部に来た? お前は鯨に何も奪われてないんだろう? どうして怒りも憎しみも持たずにこの場にいられる?』

 

 苛立ちを顔に浮かべて放たれた訓練生の言葉に、イシュメールは何も返せなかった。彼女の言う通り、イシュメールには何も、無かったから。

 それでもここに来た理由は。

 

「――ただ、海が好きだったんです。幼いころに親に連れられたあの蒼い海が今も心に残っているから、その海を取り戻したいと思ったんです」

 

「わぁ、素敵な夢じゃないですか!」

 

「あぁ、良い夢だ。頑張って鯨を、狩らなくてはな」

 

「……え、あの、私には鯨への復讐心とか、憎しみとかは無いんですけど……」

 

 二人から好反応を貰い困惑するイシュメールに、クィークェグが言葉を返す。

 

「だからなんだ、鯨に奪われた者だけが、鯨狩りになる訳じゃない。誇れ、その夢は叶えるべき、美しい物だ」

 

「クィークェグの言う通りですよ! 僕だって両親の漁船が沈められて、借金を無くすためにこの船に乗ってるんですし。僕よりも立派ですよ」

 

「――そう、ですか……」

 

 鯨を殺す。

 

 幻想鯨によって多くの物を失ってきたオデュッセイアはエイハブの先導によって憎悪と殺意を糧に幻想鯨を殺す術を手に入れた。

 だからか、他の学校と比べ血気盛んで躊躇の無い生徒が多い。ゲヘナ程治安が悪いわけでは無いが、オデュッセイアの生徒同士で喧嘩になった時互いの四肢を切り飛ばすまで止まらない事だってあるのだ。他者を攻撃する事に一切躊躇わないその性質は生来のものもあるのだろうが、全ては幻想鯨がそうさせるまでオデュッセイアを引っ掻き回したからこそ。

 

 それ故にさしたる情熱や鯨への殺意を見せる事が無かったイシュメールは訓練生の時に疎まれる事となったのだから。

 しかし、ここピークォド号では違った。上手く言い表せないが、皆殺意よりも夢を抱いている気がしたのだ。

 

 それはきっと、あのエイハブが先導しているから。

 

「――頑張りましょう、私達。穏やかな海を取り戻して、皆が安らかに過ごせるように」

 

 イシュメールの心に、僅かな火が灯った。

 

「“……楽しそうだね、イシュメール”」

 

「うん、本当に……」

 

 先生とユメが静かにそう呟く。この先起こる事を考えながら、それでもイシュメールの記憶から目を離さない様に。

 

 視界が再び泡に包まれていく。どうやら次の場面に映るようだ。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

   

初めて目にした幻想鯨は、とても恐ろしく、神秘的で、それでも生きていた。

 

 

   

殺意と共にこちらを捕食しようと迫り来る幻想鯨との戦闘は、まるで嵐の中の様に身動きが取れず、目も満足に開けられない。

 

 

   

そんな私の前を照らす様に、光が差し込んだ。

 

 

   

エイハブの号令だった。

 

 

 

 

 

 

 

 荒れた海の中、どす黒い血を吹き出しながら暴れる幻想鯨が血走った眼を荒ぶらせながら、一隻の船に向かって吠えたてる。

 半透明な黒く長いヒレを幾つも生やした巨大な幻想鯨だが、その美しいヒレも身体もボロボロであり、今までの激戦を物語っていた。

 

『■■■■■■――!!!!』

 

「怯むな! 奴は血を流し苦しんでいる! 恐れるな! 奴の脳天に銛を突き立てろ!」

 

『おぉおおお―――!』

 

 ピークォド号へ体当たりを行う幻想鯨に向かい一人、また一人と銛を手に幻想鯨の背に飛び移っていく。

 雨と血煙に塗れ、それでも果敢に幻想鯨に銛を突き立てる船員達の中にはイシュメールの姿もあった。

 

 甲板の上、荒れる船と裏腹に一切揺れを感じずに先生達は彼女達の狩りを眺めていた。

 

「……大鰭纏種黒形、黒羽衣鯨。資料に書いていましたが、あそこまで大きくなるものなのですか?」

 

「スターバックって言ったか、アイツの銛捌きはすげぇな。一切バランス崩さずにヒレを切り裂いてやがる」

 

 嵐を切り裂く様に絶えず叫ばれるエイハブの指示の下、素人目で見てもイシュメールの何倍も卓越した技術を有する銛撃ち達が幻想鯨の背を裂き、襲い掛かる人魚達を貫いていく。

 

「――あれは」

 

 ふと、アツコが指を差した。

 

 その先にはピークォド号の船員達が戦っている黒羽衣鯨の人魚の群れがあり、その中の数匹がヘイローを持っていた。

 

「“あれって、まさか”」

 

「うん、人魚化した生徒だろうね」

 

 先生の声に返したのはユメだった。

 

「幻想鯨の鯨油は触れた者を人魚に変える性質がある。その鯨油を作り出す幻想鯨を倒せば人魚化は回復するけど、逆にそれ以外で戻す方法はないんだよ」

 

「だからオデュッセイアは特定の鯨を指し示す共鳴羅針を作ったんだよ。人魚になった生徒を救う為に、人の姿すら奪った幻想鯨を殺す為に」

 

 ユメとホシノの言葉を聞きながら、船員の一人であるクィークェグがヘイローを持った人魚を縄で縛り上げてピークォド号へ次々と放り投げる光景を見ていた。

 縄を解こうと暴れ藻掻く人魚達だが、その縄が千切れる事は無かった。

 

「見ろ! お前達の銛によって苦しみながら血を吹き出す鯨を! だがまだだ、まだ苦しみに耐えながらこちらを殺そうと狙っているぞ! 船員達よ! 人魚を切り捨てて船に戻れ! ピップ、準備は良いな!」

 

「えへへ、何時でもばっちりです!」

 

 エイハブの号令通り船員達が船へと跳び帰る。去り際に少しでも人魚を減らし、黒羽衣鯨の身体を切り裂き更なる出血を強いる事も忘れずに。

 

 夥しい数の傷跡を作りながらも黒羽衣鯨は背に乗っていた者達に向けて使おうと思っていた大技をそのまま使おうとする。

 ボロボロのヒレを覆い隠す様に海水が集まり、黒く濁っていく。体表全体に青く光り輝く紋章が浮かび、黒い稲妻が体表を走る。

 

『――■■■』

 

「発電器官は背ビレの付け根、狙いやすい事この上ない」

 

 いつの間にか、巨大なスナイパーライフルを手にしていたエイハブが引き金を引く。

 荒れ狂う海の中、雷鳴に似た音と共に放たれた弾丸が寸分違わず黒羽衣鯨の背ビレの根元を貫き、黒雷が天に向かって迸った。

 

「……あの弾丸、まさかかつてのハープーンの……?」

 

「どうしたトキ、何か分かったのか?」

 

 大きく生命力を消耗し、明確な悲鳴を上げた黒羽衣鯨を見ながらカリンはトキに問いかける。

 

「資料で見て、そしてイシュメールから聞いたように、ハープーンは鯨油の同化する性質を持つ神秘を利用して幻想鯨の体表を覆う神秘と同化、貫通する事で肉体に損傷を与えていますが、最初期、捕鯨部が作られた頃はこれとは違う方法で幻想鯨の神秘を貫通していたようです」

 

「……まぁ、幻想鯨を倒す為に幻想鯨の鯨油が必要ってのはおかしいから最初は違う方法だったとは思うけど、どうやって?」

 

「幻想鯨とは違う神秘をハープーンに込めて特殊な神秘に変換し、突き刺した箇所にジャミングの様に拡散させて強引に神秘を剥がす方式を取っていた様で。当然負荷も高く非効率であったため鯨油の研究が進んでからは今の形になったようです」

 

「成程な、ノイズになるような神秘を打ち込み相手を消耗させる、肉体がほぼ神秘で構成されている幻想鯨だからこそか」

 

「で、でもその神秘ってどこから持ってきてるんですかね? オーパーツを持ってくるんじゃ効率悪いような……」

 

 ヒヨリのその言葉にトキは自身の頭上を指差した。

 

 頭上に浮かぶ、ヘイローを。

 

「それは当然、私達の神秘ですよ」

 

 トキの言葉に、誰もがエイハブを見た。

 考えが正しければ、自身の神秘を消費して幻想鯨に痛打を与える強力な弾丸を放ってなお、何の痛痒も感じていないかのように高らかに笑い船員と共に黒羽衣鯨に止めを刺すエイハブを。

 

「……あれが、エイハブか」

 

 サオリの声が小さく響く。

 

 嵐が収まり、敗者の屍が海に浮かび、勝利の歓声を上げるピークォド号の船員達を見て、恐れを抱いた。

 彼女達が敗れた蒼白の鯨に対しても。

 

 

 

「――指定討伐対象、黒羽衣鯨の討伐を確認した。新入り達も良く頑張ったな、……だが喜ぶのはまだ早い、お楽しみの解体作業が待ってるぜ」

 

 スタッブが水薬パイプの煙を燻らせニヤついた笑みを浮かべた。

 

「幻想鯨討伐後は牽引船団が討伐地点までやってきてメガフロートまで持って行ってそこで本格的な解体を行う訳だが、それまでに幻想鯨を討伐した捕鯨船がある程度解体する事を推奨されている、何故か分かる奴はいるか?」

 

 新入りの船員達が揃ってイシュメールの方を見る。今までの船旅の中ですっかり優等生としての立ち位置を獲得してしまったイシュメールは疲労困憊でグロッキーな状態でも答えた。

 

「……鯨油の精製と、食用肉の採取は、ゲホッ、討伐後速やかに行わなければ、ハァッ、品質が著しく下がるから、です」

 

「まぁ正解。……お前らイシュメールに押し付けんなよ馬鹿共が、勉強しろ勉強。んで、まぁイシュメールの言った通り、幻想鯨は皮、脂、肉、骨と余さず使える最高の生き物だが皮や骨と比べ肉と脂、特に鯨油の劣化が通常の生物と比べ遥かに早い。これは幻想鯨の肉体の殆どが神秘で構成されている事と関係あり、神秘の揮発が進むにつれて存在強度が低下するだの色々言われてるが、これは理由の七割くらい。後は死んだ幻想鯨が魅力的な餌に見える奴らに嗅ぎ取られる前にある程度バラす必要があるのさ。幻想鯨の共食いに巻き込まれたくはないだろ?」

 

 つらつらと説明を続けるスタッブの言う通り、激しい戦闘があったばかりだというのに他の船員達は焦ったようにテキパキと黒羽衣鯨の解体を進めていた。

 

「つー訳で狩り終わった後もちゃっちゃか解体してやらんといかんのさ、肉と鯨油を最優先とは言ったが骨と種類によっちゃヒゲや皮も船の補修に使えるから余裕があれば採っていく。今回解体は先輩らがやってくれるが、お前達は今からじゃんじゃか運ばれてくる鯨油を精製機にぶち込み続け、鯨肉を加工して冷蔵室にぶち込み続けなきゃならん、気合入れろよ~」

 

 ケタケタと笑うスタッブはイシュメールに近寄る。

 

「正解したご褒美だ、お前はこっち。良いもん見せてやる」

 

「は、はい?」

 

 すたすたと先を行くスタッブにイシュメールは足早に付いていく。辿り着いた先は船の医務室だ。

 

 エイハブとスターバックが既におり、医務室のベッドの上では6匹の人魚がいた。

 いや、人魚だった者というべきだろう。体表がドロドロと溶け、肉体が変形し少女の姿を取っていく。

 

 頭上に浮かぶ黒いヘイローはそれぞれの色形を取り戻し、人魚が一糸纏わぬ少女へと変化すると同時にヘイローが掻き消えた。

 スターバックが少女達に毛布を被せるのを見ながら、イシュメールが呆然と口を開く。

 

「人魚化からの、復活……」

 

「見るのは初めてだろ。鯨が死に、同化の神秘が途切れれば勝手に戻る。……見る度に妙な気分になるんだよなぁ、ぐちゃぐちゃの粘土細工みたいになってもピンピンして生きてるなんて私達が普通の人間じゃねぇみたいだ」

 

「やかましいぞスタッブ、神秘なんてモン持ってる時点で普通の人間じゃないだろ。それはそれ、これはこれだ」

 

「スターバックの言う通り、私達が何者だろうが関係ない。いや、正確には幻想鯨にとっては関係ないと言うべきだろうさ。神秘を有していない機械人ですら同じ現象を起こすんだ、考えるだけ無駄。神秘とはそういうものだ。……で、スターバック、こいつらだが」

 

 エイハブの言葉にスターバックは頷く。

 

「依頼対象の海洋研究会の連中で間違いない、人数もピッタリ。にしたって珍しいな、こんな所まで来る事はそうそうない筈だが……」

 

「本人に聞いてみればいいさ」

 

 スターバックとエイハブの会話が続いた辺りでスタップはイシュメールと共に医務室を出た。

 

「普通の新入りはあの光景を見たら吐いたりするもんだが、イシュメールはやっぱり平気だったな」

 

「……平気じゃありませんよ、気分悪いです」

 

「その程度で済んでりゃ上等だ。――イシュメール、幻想鯨が人間を人魚に変えず殺す事は殆ど無い。例え死にそうな目に合っても恐れるなよ、私達が絶対に助けてやるよ」

 

 イシュメールの脳裏に先程の光景が浮かぶ。あんな化け物になっても生きる希望は捨ててはならない。

 なんと辛く、そして酷い言葉だろう。それでもイシュメールは小さく笑った。

 

「……夢を叶えるまで死ねませんからね、私が人魚になったら助けて下さい」

 

「おうとも、ピークォド号全員で助けてやるよ」

 

 そうしてスタップは鯨の解体に、イシュメールは鯨油の精製や鯨肉の保存作業に移っていった。

 

 この言葉が、今もイシュメールの心にささくれの様に突き刺さっている。

 

 どうして、私だけが。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

   

海を漂い、鯨を狩り、人魚となった者を助け、また海を漂う。

 

 

   

幾つもの苦痛に満ちた船旅も、船員達と共に乗り越えてきた。

 

 

   

共に船に乗る仲間達との船旅は楽しく、かけがえのない物だった。

 

 

   

それに綻びが生じたのは、あの蒼白にエイハブが魅入られてからだった。

 

 

 

 

 

 

 

 場面がまた転々と移り変わる。

 

 中空に巨大な水球を浮かべ、高圧の水を飛ばしてくる鏡面の鯨。

 全身を黒曜石で覆い、傷を負う度に罅割れ高温の溶岩を吹き出す鯨。

 船に擬態し近づいた途端巨大な渦潮を作り海の底に引き込もうとする鯨。

 夥しい量の全身の目玉から血の涙を流し、目が合った者の視界を奪う鯨。

 

 先生達が戦ってきた幻想鯨よりも遥かに強大なそれらにピークォド号は幾度となく勝利を収め、そして人魚と化した生徒の復活も幾度となく行われる。

 幻想鯨に似た特徴を持つ通常の生物とはかけ離れた外見を持つ人魚から生徒の姿に戻る光景を見るのは、相当数の修羅場を潜ってきた先生達でも複雑だった。

 

「“こんなにも生徒達が犠牲になっていたんだね……”」

 

「これでもまだまだ足りない位でしょ、幻想鯨が発生してからエイハブが初めて鯨狩りを成功させるまでにどれだけ人魚に成った事か」

 

 流石に気分が悪くなってきたのだろう、ホシノが口調を取り繕う事を放棄し始めた。

 ホシノに追従する様にユメもまた話し始める。

 

「私達は2年前から借金返済の為にクラップ蟹を狩ったり、たまに捕鯨船に乗る事もあったんだ。運良く私達が乗ってた船からは人魚化生徒は出なかったけど、それでも人魚化した生徒をメガフロートに収容していく所を遠巻きに何度か見た事はあるよ。……本当に私達に出来る事が何もない分、見てるのは辛かったね」

 

 目を細め、過去の光景を思い返すユメに先生は何かを言おうとして、何も言えなかった。

 生徒の人魚化は、人魚に作り替えた幻想鯨を倒す事で解除される。そしてそれ以外に何も出来る事は無いのだ。それ以外の案を出せない者が、外から何を言えようか。

 

「……いつか、幻想鯨を倒し切る日が来るんでしょうか」

 

「さて、幻想鯨の直接的な対処に当たっている学校が一つしかない今では、出来たとしても途方も無い時間がかかる事は確かでしょう」

 

 星明りが照らす暗い海の中をピークォド号は穏やかに進んでいる。何匹か幻想鯨から鯨油を採取した後であり、戦闘の気配が薄れた船の中では船員達が思い思いに過ごしている事だろう。

 そんな中、イシュメールはクィークェグの部屋を訪れていた。

 

 クィークェグの部屋の中には鋭利に研ぎ澄まされたアンカーハープーンと細々とした日用品、そして一際目を引く木製の棺があった。

 

「クィークェグの部屋、初めて来たけどこれって……?」

 

「棺桶、かつての私を、眠らせてる。見るか?」

 

「え、……うん」

 

 イシュメールが小さく頷くと、横倒しにされている棺の蓋が開かれた。

 中にはオデュッセイアのものではない制服とガスマスク、ショットガン、スタングレネード等物騒な物が入っていた。

 

「……アリウスの装備だ」

 

 ミサキが小さく呟く。

 

「これが、昔のクィークェグ?」

 

「そうだ。かつての、鎖で縛られてた、私。捨ててしまおうかとも、思ったんだが、忘れるよりも、決別した自分を、置いておくのも良いだろうと、エイハブが言っていた」

 

「……エイハブ船長が」

 

 何処か微妙な表情を浮かべるイシュメールの頭をクィークェグが撫でる。

 

「エイハブは、嫌いか?」

 

「嫌いな訳じゃないです、凄い人なのは分かってるし……ただ、なんというか、私達を見ているようで別のものしか考えてないような……うまく言えないけどそんな気がするんです」

 

「……イシュメール、お前は賢いな」

 

 わしゃわしゃとイシュメールの髪を撫でながら、クィークェグが言う。

 

「エイハブの目的、知ってるか?」

 

「いえ、聞いた事もないです」

 

「聞いて答える人でも、ないだろうからな。……エイハブは蒼白の鯨を追っている」

 

「は」

 

 呆然と立ち尽くすイシュメールに小さく笑い、クィークェグは自室の棚の中から編みかけの小さな縄を取り出す。

 数秒後、理解が追いついたのかイシュメールが慌てた様にまくしたてた。

 

「む、無茶ですよ! 蒼白の鯨って最初の五大特色でしょう!? 勝てる訳――」

 

「無茶かもしれないが、勝ち目はあると、言っていた」

 

 手元の縄を編みながらクィークェグが続ける。

 

「私達は、何度も全てを貫くナグルファルを、退けてきた。当然、犠牲が無い訳じゃ無かったが。特色の鯨も、神じゃない。生きているなら、弱点もある、血も流すだろう、情報さえ集めれば、きっと殺せる」

 

「それは――だから、蒼白の鯨を、白く蝕むアルゴーを、何年もかけて情報をかき集めて最終的に殺して、特色の鯨を滅ぼす足掛かりにする事が目的って事ですか?」

 

「違う、求めるのは、根源の根絶だ」

 

 縄を編む手つきは柔らかく、口調は硬いまま、クィークェグはエイハブの目的を告げた。

 

「根拠がある訳じゃない、だが、エイハブは最初に現れた、蒼白の鯨こそ、幻想鯨をここまで増やした元凶だと、考えている」

 

 再びイシュメールの思考が止まる。

 大人しく二人の話を聞いていた先生達もまた。

 

「本解体に立ち会っただろうから、知ってると思うが、幻想鯨にも、生殖器があり、雌雄が存在する。肉体が神秘で構成されていても、生物の様に増える事はあるだろう。だが、蒼白の鯨が観測されてから、幻想鯨が増える初速が、常軌を逸している。海洋研究会が、ウルトラマリン社と、理由を探っているが、未だに分かっていないそうだ」

 

「……その原因が、蒼白の鯨にあると?」

 

「もう一度言うが、根拠は無い。だとしても、イシュメールが言った様に、蒼白の鯨の素材は、他の特色を倒す、足掛かりにもなるだろう。私は、エイハブに従う」

 

「……でも、勝てるとは」

 

「イシュメール」

 

 俯くイシュメールに声を掛けたクィークェグは、顔を上げたイシュメールに手に持っていたそれを付けてやった。

 縄とリボンのカチューシャだった。

 

「鯨は、死ぬ時、必ず吼える。夕陽に向かって」

 

 先程乱雑に撫でたせいでボサボサになったイシュメールの髪を丁寧に撫で付け、クィークェグは言う。

 

「あんたの髪は夕陽の色だ。荒れた海の中で、イシュメールの髪は、奴らにも良く見えるだろう。鯨は必ずあんたに向かう、そうなれば、私は必ず、残り僅かな鯨の命を、銛で貫いてやる」

 

「クィークェグ……」

 

「もし夕陽が海に沈んでも、私の縄が絶対に引っ張り上げてやる。イシュメールも、嵐の中で何も見えず、何も聞こえなくなったら、そのカチューシャを、私だと思って」

 

 イシュメールは頭に付けられたカチューシャをそっと触り、笑った。

 クィークェグの言葉が、イシュメールにクィークェグと一緒ならきっと何とかなると、そう思わせてくれた。

 

 そんな訳、無かったのに。

 

 

 

 降りしきる雨の中、悍ましい蒼白が撒き散らされた海をボロボロのピークォド号が漂っていた。

 

「せ、船長、エイハブ船長、あたし、今どうなってますか?」

 

 満身創痍の船員が転がる中、一人の生徒が蒼白に包まれつつあった。

 

「スタッブ! スタッブゥ! 船長! スタッブが!」

 

 甲板に転がり、身体が白く蝕まれていくスタッブに、ピップが縋りつく。

 ピップもまた左手首から先が潰れており、医療用精製鯨油を用いて再生している最中である。今のピークォド号では、ピップが最も軽傷だった。

 

 船員達がこれ程の深手を負ったのは、一匹の鯨が原因だった。

 

 白い膜に覆われた幻想鯨の調査に赴いていたピークォド号は、目当ての幻想鯨を狩り、調査用のサンプルを採取しようとした時に海がそのまま持ち上がるような威圧感と共に現れたそれを見た。

 イシュメールが今まで見てきたどの鯨よりも巨大な、白い壁の様にも思えるそれこそがエイハブが追い求めてきた蒼白の鯨だった。

 

 蒼白の鯨は、元々の調査対象であった白い膜に覆われた幻想鯨を多数従えていた。蒼白の鯨は幻想鯨そのものを人魚に変える力を持っていたのだ。

 

 最悪の遭遇戦は1時間もの間続いた。準備も碌に出来ていない中で特色の鯨と相対する事など出来る筈も無く。

 複数の幻想鯨を倒した後、ピークォド号は脅威にならないと見做されて見逃された。

 

 神秘を貫く筈のハープーンは蒼白の鯨の皮を突き破れず、船に仕掛けられた神秘防壁は瞬く間に白く蝕まれ消失した。

 何人もの船員が身体の一部を損壊する重傷を負い、スタッブはピップを庇い蒼白に侵された。庇われたピップも無傷ではない。

 イシュメールは両腕が潰れ、クィークェグも右目以外が爛れて、スターバックは右半身に何十本もの巨大な棘が刺さっている。

 

 そしてエイハブは左足を喰われ、それでも尚ただ一人笑っていた。

 

「スタッブ、私の声を聴け。それ以外の騒音に耳を傾けるな」

 

 船内からかき集めた医療用精製鯨油で船員達の肉体の再生を行い、それでも一向に侵食が止まらないスタッブにエイハブは語りかけた。

 

「お前は素晴らしい働きをした。ピップを狙ったあの一撃は、ピップであれば瞬く間に侵食が広がり、耐え切れず死んでいただろう。クィークェグと同じように強靭なお前が受け止めたからこそ、最良の結果になった」

 

「まも、守れたんですか? でも、でも、耳鳴りが止まらないんです。あの大きな湖に戻れと、ひ、ひ」

 

「私の声に従え!」

 

 切り裂くような声に、焦点が合わないスタッブの目がエイハブの顔を見る。

 

「そうだ! お前に語り掛けるその声はあの蒼白の鯨のものだ! 我らを手慰みに壊し、剰えお前の心までも奪おうとしている! 奴はお前の恐怖を煽り白化を広げるだろう! これ程の悪を許せるか!?」

 

「スタッブは、人魚になっちゃうんですか……?」

 

「ピップ、お前の言う通り、このままではスタッブは人魚に成り果てるだろう。だが! 私はそれを許さない! 恐怖で以て人魚に変えるというのなら、スタッブ、お前の恐怖を飛ばしてやろう!」

 

 イシュメールは、目の前で繰り広げられる光景をただ眺めていた。

 先生達もまた、言葉を出す事は出来なかった。惨憺たる光景に、それでも気勢が削がれる事のないエイハブに畏れを抱いて。

 

「スターバック! 人魚化を止める方法を言ってみろ!」

 

「……人魚化させた幻想鯨を、殺す事」

 

「そうだ! 我らがスタッブを救うにはあの巨悪たる蒼白の鯨を殺さなければならない!」

 

 ざわめきが広がる。

 当然だろう、敗北を喫した相手を殺さなければならないというのだから。

 

「あの鯨から全てが始まった! あらゆる幻想鯨の出現はあの蒼白の鯨に端を発するものだった! 今まで誰もその影を掴む事は出来ず、今私達が初めて相対する事が出来た! この機を逃せばスタッブを救う事は出来ず、増え続ける幻想鯨によってオデュッセイアは更なる苦境に立たされるだろう! 我々は少しでも早く、あの蒼白の鯨を! 白く蝕むアルゴーを殺さなければならない!」

 

「――無茶苦茶だ、勝てる訳無い! そもそも何処に逃げたかも分からないのにどうやってもう一度見つけるんですか!」

 

 良くない流れになろうとしている事を察し、イシュメールは声を荒げた。

 もっともだと言うようにエイハブは笑う。

 

「奴の居場所は他ならぬスタッブが指し示してくれるだろう! スタッブ! お前を誘うその耳障りな騒音は何処から聞こえる!?」

 

「あぁ、ああ! あっちです、船長! あの海の向こうに!」

 

 耳を塞ぎながらも、スタッブがとある方角を指差す。

 

「素晴らしいぞスタッブ! お前の強い心に敬意を表そう! お前が心折れる事無く蒼白の鯨のありかを知り続ける事で蒼白の鯨を殺す最高の羅針盤となるのだ!」

 

 尚もエイハブは言葉を紡ぎ続ける。

 傷つき、折れかけた心の奥底に染み入るように、船員達の心は奮い立たされていった。

 

「先に補給船を呼んだ。ここで港まで帰ればスタッブは長くは持たないだろう、そうなる前に! 我らの手であの全ての悪を吹き出す蒼白の鯨を殺さねばならない!」

 

 徐々に歓声が上がっていく。

 エイハブの持つ蒼白の鯨への殺意、それが真っ先に伝播したのはピップだった。

 

「スタッブを助けなきゃ、アルゴーを殺さなきゃ……!」

 

「そうだピップ! お前はスタッブに救われた! ならば次は我々がスタッブを救う番だ!」

 

「殺します! 蒼白の鯨を! スタッブを助ける為に!」

 

「……やられっぱなしでいられるか、私だってあのクソッタレを!」

 

「私達のハープーンが通じない訳がない、今度はもっと深く貫いてやる……!」

 

 じわじわと伝播していく殺意の流れを見ていたイシュメールは、ただただ震えていた。

 決して変えられない流れの様なものを感じ取り、そしてそれを感じたのはイシュメールだけではなかった。

 

「エイハブ」

 

「どうした? スターバック」

 

 狂ったような笑みを浮かべるエイハブに、スターバックは咄嗟に吐き出そうとした言葉を押し留める。

 スタッブが人魚に成りかけ、助けるべきだとしてもピークォド号だけで倒せるわけがない。

 完全に人魚化するとしても一度本校に帰り、対策を練るべきだ。本腰を入れて討伐に向かうとしても捕鯨部の全捕鯨船を動員しなくては。

 

 そう言ってしまえば、船員達に致命的な亀裂が入る事をスターバックは悟った。

 悟ったからこそ、こう言うしかなかった。

 

「……勝算は、あるのか?」

 

「――あるとも」

 

 スターバックは口を固く結び、頷いた。

 それを見たイシュメールもまた、口を閉じる事を選んだ。

 

 それがきっと、最後の分岐点だった。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

   

船員達がエイハブの都合のいい様に作り替えられていく光景に恐ろしさを覚えた。

 

 

   

まるで鯨が人魚を作るようで。

 

 

   

それでも、……私は何も出来なかった。

 

 

   

こうなるのも、当然だったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 荒れる海を一隻の船が往く。船の中は恐怖と、それを押し潰さんばかりの熱狂に満たされていた。

 

「えへへ、もう少しだけ我慢してね、スタッブ」

 

「ぴっぷ、もうすぐなんだな」

 

「うん! エイハブ船長が言ってたよ! あの蒼白の鯨がすぐそこにいる……! 今度はきっと殺せるよ」

 

 エイハブの言葉で侵食が遅れていても白化が進んでいくスタッブにピップが抱き着きながら、熱に浮かされた様に殺意を口にする。

 前のピップは、こんな風に憎しみを口にする子では無かった。

 

 こつり、こつりと船内を歩く。すれ違う船員達は皆エイハブの言う通りにすれば全て上手く行くと自分に言い聞かせる様な話ばかりをしていた。

 

 当てもなく辿り着いた先は船長室。中から言い合うような声が聞こえ、イシュメールは息を殺して室内を覗き見る。

 

「――やっぱり無理だ! 今からでもオデュッセイアに戻るべきだ! 本当はエイハブだって分かってるんだろ!?」

 

「ほう? ここまで来て、スタッブを見殺しにしろと? 命惜しさに犠牲を許容する選択を、奴らが受け入れると思っているのか?」

 

「……全滅よりはずっと、ずっとマシだ」

 

 スターバックは、震える手で自身の愛銃であるアサルトライフルをエイハブに向けた。

 

「お願いだ、今から私と一緒に船員達に帰還命令を出してくれ。彼女らの憎しみは全て私が引き受けるから」

 

「――ハッ」

 

 エイハブは笑い、スターバックのアサルトライフルの銃口を掴んだ。

 

「こんな物が脅しの道具になると本気で思っているのか? やるなら――」

 

 エイハブは銃口を上に突き上げ、体勢を崩したスターバックの背中からペネトレイトハープーンを奪い、自身の喉元に刃を突きつける。

 咄嗟に柄を掴んだスターバックによって、スターバックがエイハブの喉元に銛を突きつける形となった。

 

「――こっちだろ?」

 

「ぁ」

 

「お前の銛は良く研がれているな、私の首など容易に切り裂けるだろうさ。さあやってみろ! 気に入らない者に自分の意思を押し付けんがために! その銛を突き立て血を噴き出させればいい!」

 

「あ、うぁ」

 

 スターバックは自身のペネトレイトハープーンを強く握りしめ――

 

 ――カランと床に落とし、自身もまたへたり込んだ。

 

「……出来る訳、ないだろ。親友なんだぞ……? お願いだから、止まってくれよぉ……」

 

「――私は止まらないさ。既に命を背負っているからな。ここまで来た以上止まる事は出来ない、本当はスターバックだって分かっている筈だろう?」

 

 座り込んだスターバックを抱き留めるエイハブは、事ここに至って尚スターバックの事を見てはいなかった。

 その光景を見て吐き気を覚えたイシュメールは、音を立てない様に静かにその場を後にした。

 

 無意識に歩いていたイシュメールが辿り着いたのは、クィークェグの自室だった。

 

「……クィークェグ、いる?」

 

 数回のノックと共に扉を開けると、そこには棺桶に何かを詰め込んでいるクィークェグの姿があった。

 

「イシュメール、どうした」

 

「……ちょっと、怖くなっちゃって」

 

 怯えるイシュメールを見たクィークェグは閉じた棺桶の上に座り、イシュメールに隣に座るよう促した。

 

「怖いか? 蒼白の鯨と、戦うのが」

 

「うん。クィークェグは勝てると思うの?」

 

「……勝たなければ、死ぬだけだろう」

 

 その言葉は、イシュメールの問いに答えるものでは無かった。

 

「――ッ、答えてよ! 分かってるでしょ!? 勝てる訳無いって! なのにどうして皆戦おうとするの!? どうしてそう簡単に命を投げ出せるの!?」

 

 クィークェグにぶつけるべき言葉ではない事を理解しながら、関沖った様に溢れ出す言葉は止まらない。

 

「どうして、死にたくないって言わないの……。皆、狂ってる……怖いよ」

 

 俯いたイシュメールを、クィークェグは力強く抱きしめた。

 

「……皆同じだ。死にたくないのは。でも必死になって、恐怖を押し殺してるんだ。絶対に生きて帰ると、夢を持って。……私達はあの日、蒼白の鯨と出会ってスタッブが呑まれた時点で、こうなる事が決まっていた。覚悟を決めるしかなかったんだ」

 

「クィークェグ……」

 

「私は、あんたの夕陽が沈む所を、見たくない。もし海に落ちたら、何が何でも生き延びる事だけ考えろ。私の縄が、必ずあんたを救ってやる。何度でもだ。……だから、どうか、恐れるな」

 

「そう、そうだよね。怖がってたら、恐怖に呑まれたら真っ先に死んじゃう……、絶対に生き残るんだ……」

 

 引き攣った笑みを浮かべる。

 恐怖を感じる心は徐々に摩耗していった。

 

 ――そうして大きな流れに乗るように、当たり前のようにそれは再び現れた。

 

 傷一つない、蒼白の鯨。どういう訳か周囲に幻想鯨の人魚はおらず、図らずも討伐に最も適したタイミングだった。

 待ち望んだ時を迎えたエイハブは、喉が張り裂けんばかりに叫んだ。

 

「――我らの目の前に、この世全ての悪がいる! 我らの銛を突き立てろ! 友を、家族を守りたいと願うなら、銛を掲げ声を上げろ!」

 

 その声と共に、船員達が飛び出した。

 

 絶望に銛を突き立てる為に。

 

 そして――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぁ、ぎ」

 

 荒れ狂う海の中で藻掻き、ふと手に触れた物を必死で手繰り寄せる。

 目を開けずとも分かった。これは、クィークェグの編んだ縄だ。決して千切れないその縄が海面へと続き、私を生かそうとしてくれている。

 

「――ぷはぁ、はあ、は、……ぁ」

 

 やっとの思いで縄を手繰り海上に浮上した私の視界に映ったのは、決して揺らぐ事のない安心感を抱かせるクィークェグの姿ではなく、縄で雁字搦めに縛られた冷たい棺だった。

 

「ぁ」

 

 周りにはバラバラになった船の残骸ばかりがあり、私の様に海面に浮かび上がった船員達は、誰一人として存在しなかった。

 

「ぁあ」

 

 ピークォド号が全壊したにしては破片の量が少なすぎる。私の他に海に落ちた人はいない。ならばきっと、答えは一つだ。

 呆然と周りに向けていた視線を天に向ける。

 

「あああ」

 

 蒼白の巨躯と相反する様に、世界をくり抜いた様な漆黒の眼が私を見ていた。何の感情も宿さぬ、生物とすら認めたくないその目が、私を。

 

『■■■■■―――――』

 

 それが口を開ける。鋭く巨大な牙がびっしりと並ぶ漆黒の口に、ピークォド号の帆が引っかかっていた。

 

 日の光を反射して輝いていたそれはスターバックの好んでいた物だった。

 ピークォド号を示すモチーフをエイハブやかつての生徒会と共に必死に考え抜いた自慢の物だと良く言っていた。

 

 それが、無残に食い破られている。ピークォド号は、――蒼白の鯨に呑まれたのだ。

 

「――うわああああああぁあぁぁぁああ!!!」

 

 恐怖、絶望、憎悪、憤怒、あらゆる悪感情が入り混じり、意味を成さない叫びとなって口から吐き出される。

 

 死にたくない、死にたくない、死にたくない。頭の中で何回も繰り返されるその言葉通り棺を掴む手はぶるぶると震え、歯はガチガチと鳴る。

 しかし、それでも。心の奥底では確かにこうも考えた。もし私も蒼白の鯨に喰われるのなら、それも良い終わりなのかもしれないと。

 

 だから狂ったように、私は言ったのだ。殺してくれと。殺してやると。

 

『■■……』

 

 されど、あっさりと蒼白の鯨は海の底へ消えた。ここにはもう敵はいないとばかりに。

 嵐も徐々に収まっていき、まるで何事も無かったかのように海は安穏を取り戻していく。

 

 残ったのは、惨めにも友の作った棺桶に縋る私だけだった。

 

 無様だった。自分一人だけが生き残った事が。

 今すぐ自分の事を縊り殺したいとすら思った。

 

 恐怖と狂気に全身を侵されるその中で、一つ考えた事があった。

 

 ――どうしてこんな事になったのだろう。

 

 私がもっと力の限り銛を突き立てれば蒼白の鯨に有効打を与えられただろうか。いや、何も変わらないだろう。

 

 ピップを説得して、スタッブを諦める様に言えばよかったのか?

 出来る訳が無い、それを選べば、ピップの心は砕けていた。船員達の結束もまた。

 

 スターバックはただ一人、蒼白の鯨と戦う事に否定的だった。

 何度もエイハブに提言し、船長への反逆と取られる脅しを行ってまで、私達船員の安全を考えてくれた。

 

 クィークェグは分かっていたはずだ、勝てる戦いではない事を。

 それでも挑んだ。ただ一人、エイハブの為に。

 

 だから全ては、ただ一人の狂乱に収束する。

 

 蒼白の鯨を殺す事、それ以外を目に移す事すらしなくなった狂人に。

 

「――エェイハブゥゥウウ―――――!!!!!」

 

 雲の隙間から太陽の光が少しずつ降り注ぐ海に、私の慟哭が木霊する。

 

「皆、お前を信じていた! 何十何百と鯨を狩ってきたお前だから! 皆、お前に従えば蒼白の鯨にも勝てると!」

 

 海水に濡れた頬を涙が伝う。

 

「結果がこれだ! 皆ゴミの様に死んだ! お前と一緒に船に乗るのが楽しいと言ったスターバックも! お前を守る事が生きる意味だと言ったクィークェグも! お前の言葉通り白化に耐え続けて蒼白の鯨の場所を教えたスタッブも! お前が必ず蒼白の鯨を殺してスタップを救うと言った事を信じていたピップも! 皆食われたぞ!!」

 

 喉が張り裂けんばかりに声を張る。私の声を聞く者などどこにもいないというのに。

 

「生き残ったのは、私だけだ! お前が勝ち目のない戦いに皆を巻き込んで、無駄死にさせたから!」

 

 そうだ、これが、私の憎悪の原点だった。

 

「――全部、お前のせいだ! エイハブゥゥウウウ―――――!!!」

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 気付けば、先生達は最初にフリングホルニの作り出した静かな深海の空間の中にいた。

 

 誰もが、声を失った。イシュメールの直面した絶望の大きさに。イシュメールの復讐心の大きさに。

 

「……あれが、特色の鯨か」

 

「あのエイハブがあんな風になるなんて……」

 

「単純に硬いだけじゃない、何か、法則がある筈……」

 

「先生? ……あれ、イシュメール?」

 

 消極的に意見をぶつけ合う生徒達を尻目に、先生は前に進む。

 

「“イシュメール”」

 

 視線の先には、倒れ伏したエイハブの身体に何本ものハープーンを突き刺して座り込むイシュメールの姿。その目は、蒼白の鯨のそれの様に暗いものだった。

 

「……フリングホルニが、私の記憶を見せたんですね。私がエイハブを憎む理由になったそれを」

 

 ポコポコと泡となって消えていくエイハブの虚像を手で掬うイシュメールの前に、先生が座る。

 

「“あの後、どうなったのか聞いても?”」

 

「……クィークェグの棺桶の上で夜を越して、遠海ウテナさんを船長に据えた生徒会の船に救出されました。一緒に引き上げられた棺桶の中にはクィークェグの……黒浪エレナの私物と一緒に人魚化したスタッブのヒレの一部が入っていました。これのお陰で蒼白の鯨の居場所を指し示す唯一の共鳴羅針を作る事が出来たんです」

 

「“あの日、きっと役に立つからって詰め込んだものなんだろうね”」

 

「そう、でしょうね。クィークェグの残したモノを、無駄には出来ないから、私は蒼白の鯨に向かいます」

 

 イシュメールの暗い瞳が、先生を見つめる。

 何かを決心したかのようなその目に、先生は壊れた天秤を幻視した。

 

「私の記憶を見たのなら分かるでしょう。蒼白の鯨、白く蝕むアルゴーはあまりにも強大です、貴方達だって死んでしまうかもしれないんですよ。もし死にたくないと思うなら、今からだって――」

 

「“そんな恐ろしい怪物にイシュメール一人で行かせたら、先生失格だよ。私はイシュメールに最後まで付いていく”」

 

「おいおい、そこは私達だろ。勿論アタシも一緒に行くぜ」

 

「うんうん、イシュメールには色々助けられたからねぇ~、今度は私達が助ける番だよ」

 

「エレナが、――クィークェグがイシュメールの事を大切に思っていたように、私達もイシュメールを大切な、……友達だと思っている。クィークェグを助けに行くんだろう? 付き合うさ、私たち全員な」

 

 ネルが、ホシノが、サオリが。思い思いの言葉を投げ掛ける。

 他のメンバーもまた、同調する様に力になる意思をイシュメールに伝えた。

 

 それでも先生とユメだけが、この航海中に沈みかけていたイシュメールの復讐心が再び燃え盛り始めている事に気付いていた。

 仲間の救助よりもエイハブへの復讐の比重が強まり続けているイシュメールに何か声を掛けようと先生が口を開いたその時、クスクスという笑い声が響いた。

 

「――そう、そうなのね。それが貴方達の選択、あくまでもあの子と戦おうというのね。夕陽の様な髪の貴女、どうして逃げなかったの? 生き残ったのなら再び海に出なくたって良かったじゃない」

 

 フリングホルニが不思議そうに、しかしニコニコと笑いながらイシュメールに問いかける。

 イシュメールはその問いに暫く考えた後、答えた。

 

「クィークェグが私に託してくれたものに報いたいと思った。ただ、それだけです」

 

「素敵ね、貴女のその目。燃える様な、煮え立つ様なその目に映る景色は、さぞや美しいものになるでしょう」

 

 ニコニコと笑うフリングホルニは、イシュメールの右目付近を一撫でしてからパチンと手を叩いた。

 

「あぁ、あぁ。楽しみだわ。貴方達があの子を討つのか、それとも海に沈むのか。どちらでも素敵な歌が作れそう!」

 

 さぁ、目覚める時間だわ。

 

 楽しそうなその声と共に、先生達の視界が泡で埋め尽くされ、急速に意識を失っていく。

 

 そうして。

 

 全員がオデュッセウス号の甲板の上で目が覚めた。

 

 今にも雨が降り出しそうな曇天の中、しかし風も無く小さな波ばかりがある海の真ん中で。

 

 誰もが、その白い柱を見た。

 

「――あぁ、会いたかったよ。アルゴー」

 

 憎しみに支配されたその声に呼応する様に。

 

 特色が微睡みから目を覚ます。

 

 




色々忙しくて執筆時間が取れませんでしたが、憎しみドンキのお陰で墓から蘇れました。その分多めにしたから許してほしい……。
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