なのでください。
一方その頃、セト率いる追跡隊は、オーガの追跡をようやく振り切ったところだった。
聖騎士クナイに、セトが声をかける。
「クナイ、お主は人影を見たのだったな。その人影はファーゴが言うように、奴隷であったか?」
「そう言われますと…。ファーゴがルイと申しましたため、私もそのように見ましたが、今思えばオーガの人影だったかもしれませぬ」
「そうか…。たしか、ファーゴはルイに身の回りの世話をさせていたな」
ファーゴは会いたいと願うあまりに、オーガの影をルイに幻視したのではないか。セトははっきりと口には出さなかったが、そう思ったのだった。
結局、成果はなく、敗残をかこつ身となってしまった。
(してやられたか)との思いが、セトにはある。
スウェンから聞き出した「オーガの領域」に行くこと自体が嘘であり、罠だったのだ。
おそらくルイたちは、オーガの領域の反対の南に向かったか、あるいはオクラス河を遡上したのだろう。
セトはまんまと踊らされて、危険地帯に赴き、警備兵とファーゴを失ってしまった。
忸怩たる思いを噛み締めながら、セトは馬を湖都レーゼルへと向けるのだった。
よしんば、本当にオーガの領域にルイがいたとしても、敗残の身では追跡は続けようがなかった。
===
タマラの馬が進む道は、セト率いる追跡隊が見つけた道である。
セトが推測したレジスタンスに通じる道でもなければ、オーガの通り道でもなかった。
これは闇商人の交易路だった。
闇商人とは、いわゆる密輸品を扱う行商人である。
神聖教国で禁止されている芸術品や物語本、あるいは宝飾具や嗜好品などをこの道を通って運び、神聖教国の金持ちに売るのである。
そして、『レジスタンスの隠れ里』は、闇商人の交易路を道標に、行き着けるはずであった。
太陽の眩しさを感じながら馬を進めていくと、巨石が二つ、道を挟むように立ち並んでいるのが見えた。
これが目印であった。この巨石を直線で結んだ北の方向に、『レジスタンスの隠れ里』はある。
タマラが巨石に近づくと、ひょっこりとドワーフが現れた。
オーステル老、リエンツ、カルーラである。
「皆、『レジスタンスの隠れ里』に先に行ったはずじゃ?」
当然の疑問に、ドワーフを代表してオーステル老が答えた。
「そりゃあ、お前さんたちを待ってたのよ。隠れ里に行くのに、親分がいなければ締まらんだろ。それに……」
自慢の銀髯をしごきながら、オーステルは馬に目を向けた。
「別れてからの事の成否も詳しく聞きたいしな」
===
「今回、異端審問官が『百の丘』にやってきた時点で、僕たちの勝利条件は『見つからずに逃げ切ること』に加えて、『レジスタンスの隠れ里が、オーガの領域にあると気づかれないこと』になった」
「なるほど」とリエンツは頷いたが、タマラは疑問を持ったようだ。
「そもそも、隠れながら進むだけじゃダメだったの?」
「レジスタンスの隠れ里は『百の丘』に入って、徒歩でも三日とかからない場所にある。
異端審問官たちは場所を知らないから、もっと時間がかかるけど、それでもモタモタしてたら、見つかってしまう危険性があったんだ」
「そっか」
「そう。だから、その前に諦めさせる必要がった。
何の成果もなく、痛い目にあえば『オーガの領域に逃亡奴隷が居る』というのは嘘だと思ってもらえる」
ルイが考えたのは、オーガと追跡隊をぶつけさせることであった。
というより、きらびやかな甲冑を纏った異端審問官相手には、それ以外に方法がなかった。
「これはタマラがいたからこそ、できた方法なんだ」
「へ? そうなの?」
「もちろん。騎馬がどういう道を通りやすいか、どういう野営地を選ぶかなんて、僕には分からなかったよ。
見つからずに尾行できたのも、遠見と夜目の効くタマラじゃなきゃ、出来なかった。
それに、
「そうかな~。えへへ。子供の頃から、
「タマラはすごい。大勲章ものだよ」
「もー、やめてよ」
褒め倒されて、タマラは顔を赤らめてしまった。
実際、危険を危険と思わせずに事を成せたのは、彼女のおかげだった。
ルイの実行した作戦は、こうである。
早朝、日が明けきらぬ頃が狙い目だった。
昼行性であるオーガが目を覚ましておらず、異端審問官たちが、すぐには動けない時機。
ルイが丘の上に立ち、異端審問官たちに姿を見せる。奴隷かオーガか見分けられず、かろうじて人型と分かる程度の距離でなければならない。
異端審問官がこちらに気づき向かってきた時点で、ルイは身を翻して、丘の稜線を越える。
『百の丘』の名の通り、この土地は起伏が激しい。丘の稜線を越えれば、向こうからは見えなくなる。
そして、そのまま近くにある林へと駆け込み、身を潜める。
ルイが身を翻して合図を送ったのと同じころ、タマラは、オーガの寝床の近くの丘の頂きに発つ。
オーガはこの土地一帯の王者であるから、隠れる必要もない。その巨体を広々とした大地に投げ出している。
タマラは、オーガ目掛けて投石紐を回転させて、石を投げた。
投石紐はその名の通り、石を飛ばすための長い紐である。一端に石を載せて、紐を回転させ、相当の速度が出たところで石を投げ飛ばすのだ。
うまいこと当たれば、狼を一発で昏倒させることすらできる威力を持つ。
タマラの投石が、オーガの顔面にあたった。
オーガがこちらを視認したことを確認した後すぐ、タマラは同じように、丘を越えて視線を切り、林に駆け込んで隠れる。
うまくタイミングを合わせれば、オーガと異端審問官が鉢合わせする格好となり、互いに潰し合うだろう。
このタイミングを合わせるというのが、この作戦の肝要なところで、ルイが最も苦心したところだ。
良い立地条件(異端審問官の野営地、丘、林、丘、オーガの寝床の順番)となるまで、何度も確認し、タマラと練習を重ねた上で、ようやく成功に漕ぎ着けたのだった。
ルイがその策を話して聞かせると、感心の溜息が上がった。
あらためて、困難を成し遂げた手腕に驚かされたのだ。
この年端も行かぬ
いずれにせよ、レジスタンスの隠れ里まで、後少し。そこで、ルイの来歴は明らかになるだろう。
===
『レジスタンスの隠れ里』は、周囲を丘陵に囲まれており、近づかなければわからないようになっていた。
石造りの防壁が周囲に張り巡らされ、門は一つ。そして、門は開かれていたものの、複数の門番が警戒をしている。
ルイの一党をみて、門番は剣の柄に手をかけた。
なかなかに警戒心が強い。近づく前に名乗りを上げるのがいいだろうとルイは判断した。
「僕の名はルイ。そして彼らは僕の仲間だ。遠く、ダヤン監獄より逃げてきた。どうか、庇護と会見を求めたい」
ルイの言葉を聞いて、片目が潰れた門番が前に出てきた。おそらく隊長格なのだろう。
「庇護を求めるというのであれば、むろん、与えよう。だが、我らとて物が湧き出る壺を持っているわけではない。あまり期待はしてくれるな。……それと」
門番は片目に
「会見とはどういう意味だ?」
「今後について、首領格の方とお話したいのです。シンラ殿はおられるでしょうか。 ニカイドー・ルイが会見を求めていると取り次いでいただければ、分かると思います」
「なぜ、シンラさまの名を……いや、わかった。そこで待ってくれ」
片目の門番は、驚きを隠せないまま、隠れ里の中に入っていった。
そして、ルイの仲間も驚きを隠せなかった。
「ねぇ、ルイって、家名持ちだったの?」
「まぁね。でも、家名なんてどうでもいい。捨てたも同然だし」
「なるほど。ニカイドー…。あなたの来歴が分かってきました」
「ちょっと、リエンツ。思わせぶりなこと言わないでよ」
「ははは。すみません。でも、すぐに分かりますよ。そうでしょう? ルイさま」
「そうだね」
ルイは頷いたが、若干の緊張感を隠しきれていなかった。
「シンラさまがお会いになるそうです。こちらへ」
こうしてルイの一党は、隠れ里の中に入ることになったのだった。
う ・ ん ・ ち ・ く
今回は『投石紐』です。
投石というのは、歴史ものでも大きく扱われている印象はありませんが、最も簡単な遠距離攻撃手段として、近代以前の戦争では大きな役割を果たしていました。
日本でも『印地打ち』なんて言葉ができるくらいには、昔ではよく知られた戦闘技能であったわけです。
中世ヨーロッパでも投石紐を使った大会を開いたりして、その技術の維持と発展に勤しんできた……というのをどこかで見た記憶があります。
この投石の利点は、戦ったことのない一般人であっても、容易に行えることでした。
ちょっと、自分に置き換えて考えてみてほしいのですが、ポンと剣を渡されて眼の前の敵を殺してこいと言われて、「はい、そうですか」とできるでしょうか?
もちろん、相手は当然武装して、こちらを殺そうとしています。
無理でしょう?
しかし、紐をブンブン振り回して石を投げる程度なら、一般人でも簡単にできます。
敵が眼前にいないぶん恐怖も少ない。
狙いがつけにくい弱点もありますが、近代以前では集団で攻めてくるのが普通なので、それほどの弱点にはなりません。
それに、これは一般人にとって利点でもありました。
人というのは元来、人を殺すのが恐ろしいものです。しかし、狙いがつけにくいということは、直接人を殺すのではないということになり、その恐ろしさも薄れました。
さらに、投石紐を使った投石は、ちょっと洒落にならないほどの威力になります。
野球のボール大の石が剛速球で飛んできたと想像したら、その感じがわかるでしょう。
こういった諸々の理由から、投石紐は近代以前の戦いでは重要な武器の一つでした。
この作品で登場させたのは、そういった歴史背景を取り込むことで、その感じを出したかったのです。