日はすでに、中天を過ぎている。
オーガは丘の頂に、枯れ木や人皮などを敷いて寝床としていた。そして、件のオーガは寝転がりながら、人の腹を裂き内臓を食らっていた。
「オーステルでも、番兵さんでもないわ……」
目の良いタマラがそういった。
番兵と、オーステルは脇に無造作に投げ捨てられている。オーガの習性通りなら、足を折られているだろう。
生きているかどうかは、ここでは判別できない。生きていても重症だろう。
どちらにせよ、オーガに食われるのは時間の問題だった。
「作戦は単純だ。
タマラは後ろに回って、投石紐でオーガの気を引きつけてくれ。オーガが迫ってきたら、馬に乗って追いつかれないように逃げろ。
カルーラとリエンツは、オーガがタマラを追っている隙に、二人を担いで逃げて……いや、先に血止めを行ってくれ。血の臭いで後を追われては困る。
タマラが引きつけている間に、なるべく遠くに逃げる。他に思案があったら言ってほしい」
「それしかなさそうですね。他に付け加えることもありません」
カルーラもタマラも異議がなかったので、この作戦で行くことになった。
ルイは足を折っており、人を担ぐこともままならない。うまく添え木がしてあるから、自分一人、無理して走ることは可能だろう。
それでも通常の歩く速度程度になることが予想された。
そのルイは、オーガの寝床から一つ離れた丘の陰に隠れ、それ以上は離れなかった。
リエンツがもう少し離れるように言ったが、頑として首を縦に振らなかった。
「人を一人担いで動けば、片足を怪我した僕と同じくらいの速度になるだろう。わざわざ、遠くで待っていることもない」
「それを言うなら、わざわざ近くで待っていることもないでしょう」
「少し考えもあるんだ。このままにしてくれ」
そうまで言われては、仕方ない。リエンツは引き下がった。
おそらくルイは、自分一人が、安全な場所で待っているのが許せないのだろう。
立派な心がけかも知れないが、リエンツとしてはルイ自身を大切にしてほしかった。口ではあれこれ言うが、リエンツはルイを主として認め、心配もしている。
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ルイは丘の影に身を潜め、眼から上だけを丘の上にさらしている。
タマラがオーガの寝床を挟んで、反対方向の丘の頂きに姿を表した。その陰に馬があるに違いない。
投石紐を回し、オーガ目掛けて石を投げつけた。最初は目測を外したが、次の石礫がオーガの手を打った。
オーガは怒りのうなり声をあげ、立ち上がった。
近くに石が着弾しても動かなかったのは、肝が据わっているのか、鈍感なのか。
ともかくもタマラに向かって、オーガが走り出したのだった。
その間、ルイは顛末を見ながら《治癒》の魔法を自分にかけ、少しでも早く骨折を治そうとしている。
オーガが、タマラのいた丘の向こうに消えてから、カルーラとリエンツが静かに駆け出した。
カルーラもリエンツも、治癒術を学んでいる。手早く治療をしてくれるはずだ。
だが、ここで計算が狂った。
タマラが引きつけているはずの、オーガが丘の向こうから姿を表したのだ。
カルーラもリエンツも、まだ気づいていない。
ルイは大声で叫ぶ。
「オーガが来たぞ!!」
そこまで言ってから、ルイは一瞬迷った。二人に、負傷者は無視して逃げろと言うべきだろうか。
(いや、オーガは動けない負傷者を無視して、二人を追う……逃げ切れない)
オーガは人の倍の体躯を持つ。馬よりは遅いが、人が走るよりは早い。
逃げたところでカルーラ、リエンツのどちらかに追いつくだろう。それでは犠牲者が増えるばかりだ。
「僕が引きつける!! 負傷者を担いで、別の方向へ逃げろ!!」
言いながら、投石紐を回す。
ルイの投石の腕前は、タマラに比べるべくもない。不得手どころか
だから、弾に工夫をしていた。
「何をしている! 行け!」
二人が離れていくのを見届けると、ルイは投石紐を振り回し、弾を下手投げの要領で打ち出した。
弾が放物線を描いて、着弾する。すると、その一面が炎となって燃え上がった。
いわゆる火炎壺である。
小さい壺に燃えやすい粘性の油を詰め、油を染み込ませた布で蓋をする。その布に《着火》の魔法で火をつけて、撃ち出したのだ。
「こっちだ! オーガ、こっちへ来い!!」
必死の呼びかけだった。オーガが、カルーラやリエンツを追わないとも限らない。
幸運というべきか、ルイの火炎壺はオーガの寝床にあたった。
たちまちに炎が枯れ木に燃え移り、煙がもうもうと湧き出てきた。
(どうされるおつもりか!)
リエンツは、オーステル老を担ぎ上げて逃げ出している。
オーステルの重みや、オーガが近くにいることなど、どうでもいい。ただただ、ルイの思惑が気にかかった。
(主がオーガを引きつける。それは良い。しかし、引きつけた後は?)
まずもって、ルイの技量はオーガを倒せるレベルにない。
初めてカタナを持った子供が、数週間で達人になれるほど武の道は甘くはない。
今の技量は、せいぜいゴブリンと一対一で戦って、なんとか勝てる程度だろう。
しかも、それは万全の状態での話。
足を骨折している今のルイでは、万に一つの勝ち目もない。
リエンツは後ろを見る余裕もないため、どうなっているのかが分からなかった。
ルイの智謀に賭けるしかない。オーステル老の重みを感じながら、リエンツはそう思った。
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ルイに、考えなど無かった。
丘の向こうに、オーガが現れた時点でどうしようもなかったのだ。
あのままにしておけば番兵とオーステルは死に、リエンツか、カルーラが殺されていただろう。
ルイが囮になれば、彼らは助かる。
死ぬ人数が三人から一人になるなら、それでよいかと思ったのだ。
いや、思ったのではない。
体が勝手に動いたというのが、正しいだろう。
ただ、恐怖が身を浸す前に、行動してしまったのだった。
「さぁ! 来い!」
二発目の火炎壺を振り回しながら、ルイは叫んだ。
ルイにとって最上の結果は、オーガが、自分の寝床を消火しようとすることだった。それであれば、煙に巻かれているうちに逃げ出せたかも知れない。
だが、そうそう上手くはいかなかった。
寝床を飛び越え、猛然とルイの方へ走ってきたのである。
二発目の火炎壺は、オーガの胴体へ当たった。だが、火に巻かれても気にすることなく突進してくる。
ルイはカタナを抜き放った。
万策尽きて、もう戦うしかない。覚悟が決まった。
そう思うと、入っていた力が抜けた。微笑さえ浮かんでくる。
ルイはオーガの突進を待ち構えてはいなかった。相手の呼吸を見て、ふっと懐に潜り込んだ。
カタナはまだ振らない。
上方から殴りつけようとしてくるのを、ルイは、さらにオーガに近づくことで避けた。
避けつつ、カタナをオーガの足に斬りつける。
(体格が大きい敵は、懐に入ること)
かつて父が言っていたことを思い出す。
いまだ子供のルイからすれば三倍もあるように思えるオーガ。だが、焦らず見ていれば、巨躯ゆえの弱点もあった。
すべての動作が大振りであるゆえに、予備動作が分かりやすいのだ。
ルイが姿勢を低くしているため、オーガは殴りつけるのに、身をかがめねばならない。そして足を踏ん張らずに、腰を下ろすことなど出来ない。
つまり、その一瞬、足が動かぬ的になるのだ。
さらには、胴体に着弾した油が燃えて、煙がオーガの目を晦ませている。容易にはルイの姿を見通せなかった。
このとき、ルイの時間感覚は引き伸ばされ、戦い以外のことは全て忘れていた。
恐れはなく、体の痛みすらなく、力が奥底から湧き上がっていた。
ルイはオーガに一撃をもらうことなく、
(こ、これほどとは……)
ようやくオーステル老を丘の影に隠し、リエンツが後ろを振りかえったとき、ルイはまさにオーガとの死闘の真っ最中であった。
足の痛みなどないように動き、戦っている。
「一皮むけたってヤツだな。だが、あれじゃあジリ貧だぜ」
「オーステル老! 目覚められたのですか?」
「おう。ワシを担いで、さんざん揺らしやがって。死に損ないのワシでも目が覚めるわ」
「それは良かった。それでジリ貧というのは?」
「せっかちめ。……よく見てみろ、ルイが与えた傷は全て浅手だ」
「確かに……」
ルイの攻撃は当たっていたが、オーガに浅い傷を与えるだけだった。
これはルイが避けに徹しているということもある。なにしろルイは、オーガの一撃が当たった時点で死ぬ。
「……リエンツ、ルイは気高い志を持っていると思うか?」
「疑いようなく」
「では、助けてやれ。かつてお前さんが誓ったように」
「ッ! 老公、感謝いたします」
リエンツは、ルイを助けるため走り出した。
忠誠を誓うとき、リエンツはルイに言ったのだ。『気高き志を持つ限り、力を尽くす』と。
オーステル老は、それを思い出させたのだった。
そして、ルイを助けようと思う者はリエンツだけではなかった。
「こっちをみろ! オーガ!!」
タマラが激しく叫ぶ。槍が吸い込まれるように、オーガの背中に突き刺さり……砕けた。
槍の穂先はオーガの体奥まで入り込んでいる。だが、タマラは力を入れすぎた。柄がたわみ、それでも奥まで刺そうと力を込め、オーガが体をねじったことで、槍の柄が耐えきれず折れてしまったのだ。
しかし、これがオーガへの初めての有効打だった。タマラの馬は、すでにオーガの射程距離から離れている。
「うぉおおおお!」
雄叫びを上げつつ、リエンツは直剣を横に振るう。
「浅い!」
リエンツは足の健を狙ったのだが、切れ味も悪く、浅く傷をつけただけだ。凄まじい怒号が周囲にとどろきわたった。
リエンツを睨めつけたオーガは、体ごと向き直った。
巨大な拳が襲いかかる。リエンツは飛び退って、一撃を避けた。
風圧がリエンツの髭を揺らした。さらに一歩後ずさり、初めて近くからオーガを見た。
見上げるほどの巨体!
(主は、これほどの敵と戦っていたのか!)
怖気がリエンツの背筋を冷やした。体がこわばり、呼吸が苦しくなった。
死の予感が、リエンツを襲ってくる。
だが、彼は一人ではなかった。
体ごと回転させるようにして、カルーラが戦斧を叩きつけたのである。
渾身の一撃で、ふくらはぎから血が吹き上がった。地響きを立ててオーガが膝をつく。
ルイは……動けなかった。
極度の集中状態が、タマラの突撃によって解け、一種の虚脱状態になったのである。
仲間が来てくれたという安心感も、それを後押しした。
オーガは腕を振り回した。とっさにリエンツは剣を突き出す。
拳に剣が突き刺さり、それでもなお勢いやまず、リエンツは吹き飛ばされる。
オーガは自らの怪力で、剣を拳に刺しこんだ格好となった。
オーガの咆哮が響き渡った。怒りの矛先を求めて顔を巡らす。リエンツは吹き飛ばされ、手が届かなくなっている。
そこに見えたのは刀を抱えたまま、身動きが取れぬルイだった。
濃厚な死の予感が、オーガの視線となって、ルイを貫いた。
歯を剥き出し、目を見開いたオーガの形相が、恐ろしい。
奇妙なほどにゆっくりと、オーガの拳がふりかざされた。
ルイは、とっさに身動きもできない。
「《
炎の弾が、オーガの顔に命中する。たまらず、オーガはよろめいた。
シンラ率いる精鋭部隊が、馬上の姿を見せている。
「邪魔になります! 散りなさい!!」
一瞬の間をおいて、ルイは弾かれたように距離をとった。極度の興奮のせいか足に痛みもない。カルーラもリエンツを担いで退避している。
精鋭部隊が、絶え間なく《炎弾》をオーガの頭に打ち込む。別の一騎が、クロスボウでオーガの胸を貫いた。
しかし、それでもオーガは倒れなかった。《炎弾》によって視界が閉ざされ、オーガはめちゃくちゃに腕を振り回す。
シンラの精鋭部隊はオーガに近づかなかった。オーガの周囲を周り、馬蹄を轟かせて聴覚を奪う。
けっしてオーガの攻撃範囲に近寄らず、魔法とクロスボウの矢弾で攻撃を加えていった。
オーガはなすすべなく、やがて巨体を倒れ伏させた。土埃が舞い、辺りの視界を奪った。
倒れるとみるや、一人の戦士が飛び出して曲刀を振るい、オーガの首筋を斬り割いた。血のシャワーが大地を濡らし、沈みゆく夕日に虹をかけた。
精鋭部隊によるオーガ討伐は時間こそかかったものの、危なげなく終わったのだった。