ルイがもう一度、
タマラの肌は褐色で、闇夜では見えにくい。逆に髪色は銀色で、いかにも目立っていた。
「大丈夫?」
深更の闇の中でルイが声をかけたとき、タマラは殴られた痛みに呻いていた。野ざらしの牢では横になることもできず、かなり辛いに違いない。
「ルイ?」
「そうだよ。あなたの友だちのルイ」
「友だちになった覚えは……ツッ!」
言い返そうとして、タマラは顔をしかめる。蹴られた内臓が、自分をいたわるよう主張してくる。
「……大丈夫じゃなさそうだね。これを使って」
タマラが渡された革水筒の栓を抜くと、覚えのある匂いが鼻腔に広がった。
「治癒ポーション…、
「聖職者だけしか使えないってことはないよ、道具はだれが使ったって同じだ」
何でもないように話す少年をみて、タマラは、ルイのことが分かった気がした。
この、人形のように無垢な顔の童は、恐れ知らずなのだ。
常識やルールから離れたところに、その身を置いているのだろう。
「それで、何しに来たの?」
治癒ポーションを患部に塗り込みながら、タマラは尋ねた。
「お話を聞かせて欲しくて。僕は寝る前に、お話を聞かないと眠れないんだ」
「馬鹿を言うな。お前がそんなタマか」
「…そうだね、ごめん。本当は、タマラに脱獄の手伝いをお願いしにきたんだ」
「……続けて」
「僕は奴隷になってから、錠外しの技を磨いてきた。でもそれだけじゃ、どうしようもない。この監獄を取り囲む防壁は登りきれないし、要塞門には、最低十人の歩哨が立ってる。彼らの目を盗んで、門を開いて、追いつかれずに逃げ出すなんて不可能だ」
「つまり、仲間を増やして、
タマラの決断は早かった。
「わかった。ルイを信じる。ここにいても、ゆるゆると死んでいくだけ。どうせ死ぬなら、未来に向かって死んでやるわ」
「ありがとう。まず、やってほしいことは錠外しをできるようになること。それは僕が教える。
そして、タマラみたいな『無謀な人』を、なるべく多く仲間に引き入れてほしい」
「わかったわ。…けど、質問がある。
どうして『無謀な人』が必要なの?」
(もし、『無謀な人』を囮にして、自分だけ逃げようとしているんなら……)
自然と握り拳に力が入る。
無謀な人を使い捨てにするつもりなら、タマラは決して許すつもりはなかった。
「『要領のいい人』って、風見鶏なんだよ」
思いがけないことを言われて、タマラは呆気にとられてしまった。
「へ? 風見鶏って、風向きでくるくる回る飾りのこと?」
「そう。要領のいい人は、損得で動くことができるタイプだから、上手くいくと思わないと動かない。
性質的に一番手や、二番手にはなれないんだ。三番手以降、つまり、風が吹かないと動いてくれない」
「『無謀な人』は、一番手や二番手になれるってことね」
「うん。それは『勇気』と言えるかもしれない。
ともかく、無謀だろうと勇気だろうと、率先して動いてくれる人が必要なんだ」
「まったく。最初から、勇気ある人が欲しいと言ってくれれば、話が早かったのに……。
わかったわ。勇気がありそうな人に、こっそり声をかけてみる」
「うん。ばれないようにお願い。ところで、タマラはダヤン監獄がどこにあるか分かる?」
「えっ、私達が連れてこられたときは、外が見えない馬車で、鎖につながられてたから……」
「やっぱりね。僕のときと同じだ。立地を曖昧にする事で、逃げ出されにくくしてるんだろう。
……このダヤン監獄は、神聖教国の最西端、大湖の東岸近くにある。最寄りの都市は湖都レーゼル。
つまり、逃げ出す先は『西』だ」
ルイは西の方角、要塞門のある場所を指差した。
「なるべく多数の仲間を集めて、一斉に枷と牢の錠を外し、一気に西門を開ける。その後は、数人単位で固まってバラバラに逃げ出すのが、脱獄計画の基本だ」
「わかったわ」
「……あらかじめ言っておくけど、これは皆が確実に助かるやり方じゃない。脱獄したあと、生き抜けるかもわからない。
けれども仲間を集め、そして足並みを揃えれば、助かる確率はずっと高くなる。仲間と、僕を信じてほしい」
「今さら、迷いはしない。全面的に協力するわ。……それで、いつ決行するの?」
「すでに二十人の仲間がいる。看守は六十一人。だけど、当直や施設の維持に半分は必要とするから、考慮すべきは三十人。だから、看守たちの手が回らないように、倍の人数、六十人は脱獄仲間がほしい」
「仲間が集まったときが、決行のときね」
「そのとおり。できれば『聖アンデルスの祭日』の深夜に決行したい……それともう一つ」
「なに?」
「観察してほしい」
ここが重要だというように、ルイはタマラをまっすぐ見つめた。
「周りを見て。お金をケチってるのか、監獄を照らす篝火や松明はまばらだよね。ただ眺めるのではなく、夜陰に紛れてどう進めば見つからないか、考えるんだ」
「うん」
「それに、看守も。
どんな人物か。どういう習慣で、どういう行動パターンを持っているか。ちゃんと見てほしいんだ。
たとえば、
「そんなの、どのクレリックも一緒よ」
ルイは頭を振った。
「違う。決めつけたらだめだ。奴隷の皆がそれぞれ違うみたいに、看守もそれぞれ違うんだ。
たとえば、二方向から看守が迫ってきたときに、どちらに向かうかをすぐに決められなきゃいけない」
タマラは嘆息した。
有り体にいって面倒くさいとさえ思った。
とはいえ、ルイの言うことはもっともだ。いざというとき、一瞬の判断が生死を分けるだろう。
「わかったわ。ちゃんと観察する」
ルイは笑った。そして「よし!」といって、手を叩いた。
「お願いはこれで全部。声をかける人の目星はついてる?」
一人のドワーフが頭に浮かんだ。
タマラが、
「何人かはいるわ。そこから始めてみる」
===
ルイが『要領のよい人』と『無謀な人』の両者を仲間にすると決めたのは、タマラに語ったのとは別の理由もあった。
『要領の良い人』は知恵によって判断し、『無謀な人』は自らの心によって判断する。
だが、残りの八割の中間層は、知恵でも心でもなく、染み付いた因習と力によって動かされるのである。
つまり、神聖教国の民草は、蔑視している『亜人』と協力しようなどとは夢にも思わない。あまつさえ心闇を浄化しようと、真摯に労働に励む者までいる始末だ。
彼らを仲間に引き込むには、リスクが高すぎた。
ドワーフたちについても同様だ。その中には、神聖教国で奴隷として生まれ育ったものが多くいる。自由を与えられず、気まぐれに罰を食らう。
そういう中で学べるのは無力感だけだ。
哀れだが、生を切り拓く気概がなければ、ルイに助ける余力はなかった。
===
坑道内では、看守たちの監視も厳しくない。足を止めたのは、別の理由からだった。
(あの、白髪の、老ドワーフの名前ってなんだっけ?)
白いヒゲに囲まれた顔は思い出せる。憎まれ口を叩く声も分かる。だが、いまだかつて名前を聞いてなかったことにタマラは気づいた。
(これから、協力を求めようというのに、名前を知らないんじゃ、格好つかないわよね)
周囲を見渡し、他のドワーフに名を尋ねようとも思ったが……。
(やめやめ。ちゃんと名前を聞かなかった私が悪いわ。小狡いことを考えずに、正々堂々と謝って、協力を求めよう)
さっぱりとした顔で、まっすぐ老ドワーフに向かっていった。
タマラの美点は、このように過ちをすぐに認め、切り替えられることであろう。
「おうおう。
老ドワーフはからかってやったのだが、
「なんだぁ? モジモジしやがって、ワシに惚れでもしたかい」
「ごめん! ドワーフ。私は自分を恥じてる。長いこと付き合ってたのに、私は、あなたの名前を聞こうとしなかったわ。名前を教えてくれる?」
老ドワーフは、一瞬の自失のあと、大きな笑いの波に襲われた。
「ははは。確かに、今更っちゃ、今更だわな。ワシの名は、オーステルベーク・リアテシュ。雅な名だろ? オーステルと呼んでくれ、
「……いじわるしないで、オーステル。
「わかった、わかった。じゃ、
「タマラだけど……ってまさか!」
老ドワーフは大笑した。
「ワシだって名前を知ってたら、ちゃんと呼んでいたよ、
実のところ、老ドワーフはタマラの名を知っている。
ただ、タマラが思いの外悩んでいる様子だったので、一芝居打ってみせたのだった。
二人の間のわだかまりはあったとしても、春の日の雪のように溶けていった。
===
「なるほどな」
多少たどたどしいタマラの説明を聞き終えて、オーステル老は、重々しく頷いた。
看守の目の届かぬ坑道の、さらに暗い奥に二人はいる。
「錠外しの技で枷を外し、一斉に門に駆け寄り突破。あとは少人数で固まって、三々五々に逃げるか…。
人数が多いほど、看守の手が回らなくなる。まず、逃げきれる公算は高いな。だが、その後はどうする? 神聖教国から追手がかかるぞ」
「ルイもそこは気にしていたわ。
水場の近くには少なくとも集落があるはずだから、そこで助けてもらうか、大湖の反対側まで回れば、『帝国』や『諸王国連盟』の都市に辿り着くから、そこで働かさせてもらうかって言ってた」
「さすがに、外部に協力者はおらんか」
失望を声に乗せないために、若干の努力が必要だった。
オーステル老は、実のところ、外部の協力者を期待していたのである。
このダヤン監獄から逃げ出したとて、その先が明るいとは限らない。
むしろ、まがりなりにも配給されていた食糧を失い、魔物に対する
「一応、困ったときは、湖都レーゼルにある酒場で、言付けして連絡しあおうってことにはなっているけど……」
タマラの声が萎んできたところで、オーステル老は話題を変えた。
「ところでワシは、この見事な白いヒゲからも分かるように、ダヤン監獄で一番の
「うん」
返事をしながら、タマラは和やかな気分になった。ドワーフは、何かにつけヒゲを自慢する。それが可笑しかったのだ。
だが、続くオーステルの言葉に和やかさはなかった。
「老人になれば、腰も重くなる。住めば都という言葉もある。ワシが参加せずに、
「うーん」
タマラは腕を組んで唸ったが、長い時間ではなかった。すぐに腕をほどいて、オーステル老に告げる。
「困るわ」
「フ…。そりゃ困るだろうが、それだけかい?」
「うん。それだけ。もう話しちゃったから、密告を止めることもできないしね」
僅かに肩をすくめて、タマラは自分の
「オーステルだって、自分の生活が懸かっているものね。しょうがない。
私は、ドワーフも人も、こんなふうに扱われるのは許せないって思う。奴隷となって生きるより、自由人として生きれるよう、力を尽くしたいわ。
……でもルイが言ってた。
今いる世界が全てで、そこから外れることが怖い人達がいるって。その狭い世界の中では争うけど、外に出ていく勇気がないんだって。
彼らこそ、本当の奴隷だわ。
残念だけど、心まで奴隷でいる人は救えない。今ある生活でいいって言うなら、私にはどうすることもできない」
「てめぇ…、本気で言ってやがるな」
怒気をこめて、オーステルは唸った。
要するにタマラは、オーステルを、身も心も奴隷に染まった人間だと指摘したのである。
自分を
だが煽るわけでも、皮肉るわけでもなく、タマラは淡々と考えを述べていただけだった。
(なお許せねぇのは、オレ自身がそれを否定できないってところだ。
オレは、いつ奴隷の悲鳴に無頓着になった? 無法な行為に、いつから目をそらすようになった? いつの間に、心が萎えていた?)
老いたドワーフの心に、
かつて忘れていた猛々しさが。
古い肉体に熱い血が巡っていく。
(オレは、この監獄の主になって、それで満足していたのか……)
続く言葉に、力がこもった。
「よし、のった! オレも十分長いこと、ダヤン監獄に住んできた。そろそろ引っ越しをしてもいい頃合いだ。
これはと思う
思いがけない返事に、タマラは喜色を浮かべた。
「いいの!? 助かるわ!」
ドワーフの目には、暗がりであってもタマラが花開くように笑う様がよく見て取れた。
「お前さんは、よほどの大人物か、さもなくば
その屈託のない様子に、老ドワーフは笑うしかなかった。
次話は、夕方くらいに投稿予定です。
感想、高評価、タイトル案などありましたら、お気軽にどうぞ。