「あぁ、お体の調子はいかがですか?」
レジスタンスの首領であるシンラが、手には
「お陰様で、のんびり過ごしてます」
「ふふ。それは良かったです」
シンラは椅子を引き寄せて座ると、籠に盛られた果物を見せた。
「お見舞いの品に果物を持ってきましたが、他のものが良かったですかね?」
寝台の周りには、果物や花が山と積まれていた。
オーガ討伐による人気から、レジスタンスの人々からお見舞い品が多数届けられたからだ。
治療術士の頭であるアジャラーが面会は謝絶したものの、お見舞い品までは断りきれなかったのだ。
ルイは笑って謝辞を述べ、何度目かの果物つめあわせを受け取った。
「まったく、無茶をしましたね。オーガ相手に馬無しで戦いを挑むなんて、裸で雪山を登るようなものですよ」
「番兵頭のシモンさんと、オーステル老がオーガに捕らえられていました。助けないわけにはいきませんよ」
「ですが、そのためにルイ殿は死にかけました。……あまり心配かけさせないでください」
「……すみません」
ルイは素直に謝った。
もし、また同じ状況になれば、ルイは助けに向かうだろう。それでもシンラに心配をかけたことは謝りたかった。
「謝りついでではないですが、僕は怪我が治ったら、湖都レーゼルへ元奴隷の仲間を助けに行くつもりです。
元奴隷たちとはバラバラになりましたが酒場の『
「それならば私の手の者を遣わせましょう。ルイ殿がわざわざ行く必要はありません」
ルイは頭を振った。
「
「……ここは、あくまで『隠れ里』です。情報漏洩の懸念があるうちは、彼らを受け入れることはできませんよ」
「分かっています。しかし、僕の手で可能な限り救いたいし、現状を探るだけでも価値があるでしょう。機密保持については、彼らを
シンラが作った隠れ里はあくまで本拠地であり、抵抗活動を行う部隊はまた別に存在する。
そして、レジスタンスの新規加入者は、抵抗活動の実働部隊の下っ端に組み込まれるのが常だった。
「ともかくレジスタンスから一人、信頼できる者をつけましょう。部隊に組み入れられるかどうかは、その者が判断します」
「お願いします」
そう言いながらも、ルイは二つの注文をつけた。
一つは、その人物が、人族の成人男性であること。
これはレーゼルに入るときに、行商人のふりをするため、それらしい人を求めたのだ。女子供ドワーフだけの行商人は怪しすぎた。
もう一つは、ルイの怪我が完治したらすぐに向かいたいので、それまでに手配してほしいということだった。
両方とも、シンラは承諾した。
「それと、レーゼルに行くことで『隠れ里』に産業を一つ作れるかもしれません。『百の丘』がカルスト地形なのは、知っていましたか?」
「カルスト地形?」
「簡単に言えば、石灰岩が多く含まれた地形のことです。『百の丘』はその名の通り、丘陵がたくさんある地形です。
石灰岩は水に溶けやすいため、こういった地形ができます。『百の丘』に洞窟が多いのも、地下水が岩を溶かしているからです」
「ふむ…」
「『百の丘』から石灰が取れるのなら、そこから漆喰が作れます。あるいはモルタルやコンクリートなどの建材を作ることもできるでしょう。
隠れ里には、石灰職人も設備も見当たりませんでしたし、レーゼルに行って石灰職人や技術書を見つけることができれば、お役に立てると思います」
シンラにとって、これは盲点だった。
『百の丘』は隠れやすく、逃げやすい場所ということで選ばれたのだが、木材は不足しがちだった。もし石灰を生産できるなら、漆喰で壁を補強できるし、木材を建材以外のところに回すことができる。
「石灰職人はともかく技術書であれば、湖都レーゼルよりも闇商人の拠点の方が手に入りそうですが……。職人や技術書の目星はつきそうでしょうか」
「はい。元奴隷の中に石灰職人がいるかも知れません。石灰に限らずとも職人や技術者がいれば何かと重宝するでしょう。基本的な知識はありますから、本の良し悪しも分かると思います」
ルイは、ここでシンラの意識をがらりと変えたのだ。
難民という『お荷物』を助けるためではなく、職人という『人材』を探しに行くために、レーゼルへと向かうことに。
「ただ、僕たちがレーゼルに向かうとしても、装備が
どうか、僕たち全員分の防具を揃えてはいただけないでしょうか?」
「……そうですね」
ルイの予想は外れた。
快諾とまではいかなくても、それなりの条件を提示すると思っていたのだ。
しかし、シンラはじっと考え込んだままである。
たしかに武器防具は高い。食客と言えど部外者のルイたちに費用をかけたくないのかもしれない。
ルイは、もう一歩踏み込んだ。
「オーガ討伐の際の戦利品であれば、僕たちにも権利があると思いますが」
オーガは人を生きたままで寝床に運ぶ。そのため、その人物がつけていた装備や金銭などが、寝床の側に放り捨てられているのだ。
オーガを討伐した後、レジスタンスの部隊がそれらを回収していたのをルイは見逃していなかった。
その放り捨てられていた品を、戦利品としてルイたちがもらえないかと提案したのである。
「……オーガからの戦利品については、ルイ殿に権利があります。すべて、お渡しましょう」
「………」
ルイはすぐには返事を返さなかった。それ以上の譲歩を引き出せないかと思ったのである。
しかし、シンラから言われたのは思いがけない一言だった。
「ルイ殿、私の身内になりませんか? つまり養子にならないか、ということなんですが」
「ずいぶんと…急ですね?」
「すみません。自分では色々考えていたのですが、ルイ殿からすれば確かに急ですね」
シンラは椅子に座り直し、背筋を伸ばした。
「『国を興す』というルイ殿の志は、立派なものです。脱獄し、仲間から慕われ、そして今回オーガからシモンたちを救ってくれました。とても感謝しています。
ですが、あなたはまだ子供です。誰かの庇護下にあってしかるべき歳です。
それに国を興すなら、この『隠れ里』を国へと育て上げればよいではありませんか?」
「それは、あなたの養子となって、隠れ里の長の地位をいずれ引き継げるという意味ですか?」
「確約はできません。しかし経験と実績を積めばルイ殿なら難しくないでしょう」
微妙な物言いだな、とルイは思った。
シンラは統治者なだけあって、思い切りの良いことを言っているようで、逃げ道も残している。
それはそうと、レジスタンスの長に成り代わることを、ルイは考えないでもなかった。
さきほど、国家を興すには国土と国民とレガリアが必要だと考えていたが、そのうち、国土と国民は揃うことになる。
そこだけ切り取れば、破格の条件に思える。
しかし、レジスタンスは、名前からも分かるようにアンチ神聖教国を国是とした組織だ。
ルイ自身の思想の出発点もアンチ神聖教国ではある。だがルイは神聖教国を、善政によって超克することを目指している。
レジスタンスの民は、神聖教国への怨みと復讐心を忘れていない。否、忘れようとも忘れられない。そういう者たちが集まってできた組織だからだ。
(怨みに凝り固まるのは危うい…)と、ルイは考える。
だから可能であれば、レジスタンスと距離を取った独自路線を進みたい。
さらに、シンラには口が裂けても言えないが、レジスタンスの民の知的能力にも懸念がある。
神聖教国は、民衆に純真無垢であることを望んだ。聞こえは良いが、要するに民衆を無知蒙昧のままに留めてきたと言ってよい。
レジスタンスは神聖教国から逃げ出した人々が中心であるため、その知的レベルにおいても、やたらと迷信深く恐怖心が強いのだ。
彼らはレジスタンスに参加することで、神のご意思に逆らったかもしれないという恐怖を無意識的に抱えている。
レジスタンスの上層部は、おそらく元はパラディンやプリースト出身であろう。
知的階級出身の彼らが失われれば、レジスタンスは早晩、砂上の楼閣と化すに違いない。
ルイが国民に望むのは、現実的・合理的な考え方をする自律した大人である。それと正反対の民を一から教育していくのは非常にしんどいところだ。
しかも、レジスタンスの存在意義として、虐げられた神聖教国の民を迎え入れなければならない。毎回、マイナスからのスタートとなるのはしんどいを通り越して不可能だろう。
そして、『隠れ里』である事自体が最大の問題点だった。
隠れ続けなければならないため、外国との交流や交易が行えないのだ。
異なる文化圏との交流は、異なる考え方を学ぶことになる。これは迷信を無くし、寛容を民の中に育てることにつながる。
また、交易すれば金銭管理や経営計画を必然的に行うことになり、合理的思考を鍛えることができる。
わかりやすく言えば、山奥で誰にも会わず一人で畑を耕している人間より、交易都市に店を構えている人間の方が、知的能力が鍛えられるということだ。
これらを考慮すると『隠れ里は維持は可能だが、発展性に乏しい』という判断になってしまう。
「ありがとうございます。ですが、僕が国を治めるのなら、それは自分で探したい……」
「あなたは死にかけたのよ!」
ルイの言葉を遮って、シンラは鋭い声を上げた。
「私が少しでも遅れていたら、あなたはオーガに殺されてた。それを分かっていますか? あなたはまだ子供なんです。そんなに無理しなくて良いんです。もっと、子供らしくても、いいじゃないですか……」
「……ありがとう。シンラさん」
シンラの目は涙で緩んでいた。思わず、ルイはシンラの手をとった。
ここまで思われていたとは分からなかった。養子の話を持ち出してきたのも、ルイを繋ぎ止めて無茶させないようにしたかったのだろう。
しかし、それでもなお、ルイはシンラの厚意を受け取ることはできないのだ。
「シンラさん、僕の話を聞いてください」
「…ええ」
「父が異端審問官セトに捕まったとき、僕は何もできなかった。
流されるままに僕も捕まり、何も知らないまま父が十字架にかけられました。そのときまで、僕は誰かが助けてくれると信じていました。
……でも、父を助ける声はあがらず、逆に民衆から罵声が浴びせられ、火炙りになって、父は苦しんで死んでいきました。息子である僕は、その一部始終を見せられたのです」
「それは……」
「その時から、僕は子供ではいられなくなったのです」
シンラは驚き、ルイの目を見つめた。その目は悲しみに揺れることなく、どこまでも透き通っている。
「ですから、僕はシンラさんの養子にはなれません。……それでも、心のなかで第二の母と慕ってもいいでしょうか」
「ええ、ええ。もちろんです」
感極まった様子で、シンラはルイを抱きしめた。
しかし、人がいることに気づくと表情を改め「また来ます」と言い残して去っていった。
シンラを見送ってから、ルイは脂っこいものを食べすぎたような
厚意はありがたかったし、感動したのも事実だ。しかし、一瞬の計算が働き、シンラさんを心のなかで母と呼ぶなどと言ったのは、やりすぎた感がある。
「オーステル、意見を聞いてもいいか?」
「ん、あぁ、すまん。寝ていた」
「…ふふ。まぁ、そういうことにしておこうか」
苦笑だけして、ルイは追求をしなかった。
オーステルが途中から寝たふりをして盗み聞きをしていたことを、ルイは気づかなかったことにしておくと決めたのだった。
===
計略というものを、どう考えていくべきだろうか。
ルイにとって、計略は忌避すべきものではない。何かを成し遂げるための武器であり、騙されないための防具だった。
だが、信頼や愛情を持って接してくれた人に対して、計略を用いるのはルイの望むところではないようだった。
要するに、シンラを心の母と呼ぶと言ったことはやりすぎな気がして、ルイはすっきりしないのである。
「タマラ、ちょっといい?」
視界の端にひるがえった銀髪を呼び止めて、ルイは相談をしてみることにした。
タマラは治療院の手伝いの傍ら、《治癒》や《快癒》の魔法を学んでいる。
筋が良いようで、今ではルイの一党の誰よりも治癒術が上手く、治療院でも上位の実力になっていた。
今は忙しくないようで、タマラは薬種で汚れた手を手ぬぐいで拭くと、ルイの病床近くの椅子に腰を下ろした。
「なぁに。寂しくなったの?」
「……というより、悩んでいるのかな。ダヤン監獄に囚われてから、今まで国を興すために必要なことを考えて、実行してきた。
騙すことも、利用することも、恥じることなくやってきた」
「うん、それで?」
「ただ、思いもかけない人から、……隠してもしょうがないか。シンラさんから、大切に思われていることを知って、なんだか気分が悪い」
タマラは小首をかしげた。
「シンラさんを騙したり、利用したりしたの?」
「いいや。でも、心にもないことを言った。…心のなかで母と慕ってもいいかといったら喜んでくれた。それからどうも心がモヤモヤする」
「本当にわからないの?」
タマラは眉根を潜めた。少し、怒っているらしい。
ルイは少しだけ首をすくめた。
「たぶん、計略を使うべき場合と、そうでない場合があると思う。でも、合理的に考えたら、そういう場合はないようにも思えるし……」
「あのねぇ。こういうのは頭じゃないの。心の問題なの」
タマラは言葉を探すように口を閉ざし、やがて開いた。
「ねぇ、ルイは道を歩いている人を殴りつけて、金品を奪ったりする?」
「するわけない!」
「どうして? 金品を奪ったほうが合理的でしょ」
「そんな…。いや、タマラの言いたいことが分かったよ。
剣を振りかぶる奴がいれば戦う。手を差し伸べてくれたら感謝する。普通に歩いている人には挨拶する。
まっとうな人の心を僕は忘れていたみたいだ」
「うん。それで、シンラさんが差し伸べた手をどうするつもりなの?」
「僕にとって母様は、母様ただ一人だ。だから、シンラさんを母とは思えない。でも心配してくれたのは嬉しかった。その気持ちを正直に打ち明けるよ」
タマラは「そうね」と優しく笑うと、また治療院の仕事に戻っていった。
才知に走りやすいルイは、そのためにかえって迷宮の奥に進んでしまうことがある。
そして、なぜだかルイが惑うとき、タマラはふと現れて道標を示してくれることが多い。
知識と知性はルイが勝るとしても、それとは別の、心の部分でタマラはルイに優越しているようだった。
得難い人だと、あらためてルイは思う。
──後日、ルイはシンラの許に訪れて、偽りのない気持ちを打ち明けたのだった。
う ・ ん ・ ち ・ く
今日は「フリン効果」についてです。
フリン効果というのは、簡単に言うと年代を経るに従って、IQ(ざっくりと頭の良さ)が全体的に上昇していくという現象のことです。
なぜ、この話をするのかと言うと、ルイはシンラの養子となることを拒んだことに関係しています。
シンラの養子となれば、レジスタンスの二代目の首領になることも可能でした。
しかし、ルイはレジスタンスの国民性とでもいうべきものが、自分の国の形に合わないと考えて、拒否しました。
ルイは、自分が作る国家では、国民にある程度の知的能力が必要だと考えているからです。
封建的、あるいは階級主義的な社会ならともかく、自由と平等を旨とした近代的社会においては、国民にある程度の知性が必要になります。
封建的社会においては「殴って言うことを聞かせる」ことが基本となりますが、人権のある近代的社会においては「対話によって道理を通す」ことが基本になるからです。
どちらが知性ある振る舞いかは明らかでしょう。
ルイは朧げながらも、そういった近代的社会を志向しているため、国民に知性を求めていたのでした。
そして、その知性の源はどこにあるのか?
その答えとなるのが、「フリン効果」になるのです。
なぜ、年代を経るとともに1Qが上昇していくのか。
いろんな説明が考えられていますが、有力なのは「周囲の環境の違い」です。
産業革命以降、人類の仕事は肉体的労働から知的労働へとシフトしていきました。つまり読み書き、計算はもちろん、論理的思考や多様な背景を持つ人との会話が求められたことによって、人々の知性は上がったのです。
教育も影響しているでしょうが、フリン効果は大人にも適用されましたし、むしろ大人の方がより影響が大きかったのです。
また、地理的な違いもありました。島嶼や山間部に住む人々は、その他の地域に住む人々に比べて有意にIQが低かったのです。
いわゆる「田舎」で人々との交流が少なく、知的労働が少ない地域であることが原因でした。
他にも栄養状態の改善などの要素もありそうですが、知的能力が必要とされる環境に変わったことが、人々のIQを高めた主要因といってもいいでしょう。
ルイはその事を知ってはいませんが、感覚では理解しており、そのために神聖教国の民であったレジスタンスの上に立つことを拒否したのでした。