退院も間近に迫ったある日のことだ。
その日もまた、静かな雨音が屋根を鳴らしていた。
神聖教国ほどではないが、『百の丘』にも夏至の頃には雨が多く降る。
「ごめんください。ルイ殿はおられるだろうか」
ルイが顔を上げると、そこには隻眼の老兵が立っていた。一見すると痩せ型だが、背筋がスラリと伸びており、筋骨が鍛え抜かれていることが分かる。
その顔にルイは見覚えがあった。オーガの寝床から助け出した番兵頭のシモンである。
「僕がルイです。お元気そうで良かった」
「命を助けていただいたにもかかわらず、お見舞いが遅れましたこと、誠にかたじけなくご容赦いただきたい」
「いえいえ。つい先日まで、意識が戻らなかったと聞いてます。ご自身のお体こそ、大事にしてください」
「は…ご厚意、ありがたく存じます」
シモンはなかなかに堅苦しい
言葉遣いや立ち振舞いから推測するに、シモンは
もしそうなら、神聖教国の権力者側に立つものが、レジスタンスに転向したことになる。よほどの運命の変転があったのだろう。
「簡単なものですが、これを……。妻が焼いたものです」
「ありがとうございます」
シモンが差し出したのは、焼き菓子の詰め合わせだった。あとで、タマラやカルーラにお裾分けしようと思いながら、ルイは受け取った。
ルイはシモンに席を勧めた。
話をしたそうな雰囲気であったし、こういう交流の機会は大事にしたい。
「ぜひ果物を食べていってください。たくさんいただいてありがたい限りですが、このままでは無駄にしてしまいますので」
今回のオーガ討伐で人気が上がり、ルイは多くの人からお見舞い品が贈られていた。なかでも果物は、仲間と分担しても食べきれないほどにある。
これらを見越して、シモンは日持ちのする焼き菓子にしてくれたのだろう。
なお、ついでに言うと花のお見舞い品も多いため、ルイの病床は華やかな花に囲まれていた。
「ルイ殿は、国を興すと宣言されていると聞きました。いかなる由あってのことでしょうか?」
かんたんな時候の挨拶のあと、シモンがそう尋ねてきた。興味本位ではないことは眼差しで分かる。
ルイも隠す理由はない。
「神聖教国の国威は強く、体制は強固です。けれど、このレジスタンスの隠れ里を見れば分かるように、それは人々の犠牲に成り立ったもの。僕ならば、なるべく人々を犠牲にせず、強い国を作れると思ったのです」
「その自信は、ルイ殿が貴種であることにご由来されておりますか?」
ルイは頭を振った。
物堅いシモンにまで、そういう噂が広まっているとは思わず、苦笑が浮かんでくる。
「僕に貴種の血など、一滴も流れておりませんよ。また、それを必要どころか、有害とさえ思っています。
考えてみてください。
国を
王の血筋があったとして、祖先へ辿っていけば王ではないものになるだろう。
ル・ダイモニオの開闢王ですら、その父母は誰とも知れない。ルイは『貴き血』なるものが幻想だと指摘したのだ。
「失礼いたしました。人品卑しからぬ風貌に、お言葉遣いも堂々たる貴種のものゆえ勘違いをしたようです」
ルイは異端審問官の子なので、たしかに言葉遣いは上流階級のものである。
母親似といわれた顔は、かつてのファーゴでなくても、大抵の者が見惚れるほどだろう。
ルイはそれを有り難くは思うが、自らの誇りとはしていなかった。
「私は命を救われた身、さらには言葉を交わして、失礼ながら与太者ではないと分かりました」
「詐欺師であれば、王の血筋を自称するでしょうしね」
「はい……。はばかりながらも、その通りです。本来であれば命を救われたご恩を返したいところ。ですが、私には財物もなく……」
「なるほど。では、僕たちと友誼を結んでいただけませんか?」
シモンは潰れてない方の片目を瞬かせた。
「友誼と、おっしゃる?」
「なにも難しくはありません。お互いに仲良くしませんか? 互いに困り事があれば、相談いたしましょう。助けが必要なら、助け合いましょう」
そういってルイは、ニコリと笑ってみせた。
その笑顔は計算しているのかいないのか、人を蕩かす魅力がある。
(……これは堪らんな)
シモンはそんなことを思った。
こんな
シモンは命を救われたご恩返しとして、ルイの王道に自分も参加させてほしいと頼むつもりだった。
「ところで、シモンさんには奥様がいらっしゃるとか。どのような方でしょうか?」
「は…。愚妻なれど、よく気のつく女で私を支えてくれております」
ルイは優しく微笑んだ。
「実を言いますと、その奥様が見舞いにきてくれましてね。泣きじゃくりながら、夫を助けてくれたことを大変に感謝してくれました。……とても素晴らしい方とお見受けします。ぜひ、
「は…」
思わず、シモンは頭を下げていた。
ルイが言わんとしていることを察したのである。
シモンが自分を差し出すつもりなのを察し、ルイは妻がいることを指摘することで
大切な守るべき家族がいるのだから、危険を冒してまで付き従わなくても良い……ルイは言外にそういったのだ。
「さきほど財物はないと申し上げましたが、私にも家族という財物があったようです。さりとて、人にあげるにはあまりに勿体なく……。なにか他に望まれることはありますまいか?」
「そうですね……」
ルイは苦笑したようだ。
「僕としては、シモンさんと仲良くなるだけで結構なのですが……」
「それでは気が済みませぬゆえ……どうか」
ルイはひとつだけ、お願い事をした。
☆この物語を読んで、応援したいと思った方はぜひ、「しおり」とか「お気に入り」登録してください。
☆好評価や感想も、もちろんお待ちしております。
☆あなたのワンタップで、救える魂がここにあります。