奴隷の少年が国を興す物語(仮)   作:克原絵馬

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4 脱獄 <1>

 

 看守ロッコは、腐っていた。

 

 先輩風と、巧みな言葉と、規則の拡大解釈によって、本来しなくてもよいはずの要塞門の見張りを、押しつけられたからである。

 

 

「新入りが入っても、仕事を押し付けることはするまい」と、新入りのロッコは心に誓った。

 遠い未来はともかく、さしあたっては要塞門で見張りを続けるしかない。

 

「……ん?」

 

 あくびを噛み殺していたとき、視界の隅で篝火が揺れた気がした。風で炎が揺れたにしては、大きく揺れた気がする。

 

 その時である。

 他の篝火の炎が揺らいだかと思うと、一斉に炎が消えた。一拍おいて、これが人為的なものとロッコは気づいた。

 

 篝火が消える直前、走り込んできた人影が見えたのだ。最低でも十人以上が脱獄を企図していること、疑いなかった。

 

 ロッコは慌てたが、それでも務めを忘れなかった。大声で叫ぶ。

 

「脱獄だ!!」

 

 ***

 

 時は少し前に遡る。

 

 要塞門の詰め所に、「もし……」と小さい声がかけられた。

 

 戸口に立っていたのは、小王(リトルキング)とあだ名されたルイである。

 

 不意の訪問に、詰め所にいた五人は腰を浮かした。

 奴隷がここへ来るはずがない。たとえ、ファーゴの『お気に入り』であってもだ。

 

「なぜ、来た。奴隷はここに入ってはならん」

 

 リーダー格であるマルケルが厳かに言った。他の奴隷であれば、もっと居丈高になっただろう。

 監獄長のお気に入りゆえ、この程度で済んだのである。

 

「すみません……。ファーゴさまが、マルケルさま、レゴールさま、スハイルさまを呼ぶようにと、僕に申し付けられました」

 

 クレリックたちは顔を見合わせた。

 こんな夜更けに、しかも奴隷を使いによこすとは…。通常ありえないことである。

 

小王(リトルキング)よ、お前は今頃、雑居房に居るはずだろう。なぜ、ファーゴ様の使いとなれるのだ?」

 

「その、さっきまで、僕は、ファーゴ様に酌をしておりました。なにやら、苛立たしいご様子で、呼んでこいと、言われたので……」

 

 少年は、怯えた様子で、声が尻窄みになる。

 マルケルは舌打ちした。

 

(あのオカマ野郎め。こんな夜更けにまで、部屋に少年を連れ込むとは…。異端審問官に姦通の罪で吊るされてしまえ)

 

 マルケルは、心中で罵ったことで、多少の気を晴らした。

 

 ともあれ、ファーゴはマルケルの上司である。レゴール、スハイルを伴って、ファーゴの部屋まで行くことにした。

 

小王(リトルキング)、お前は松明を持て。俺はお前の鎖を持つからな。逃げようとは努々(ゆめゆめ)思うなよ」

 

 童が素直に鎖を差し出したため、それを掴み、少年奴隷に夜道を先導させる。

 

 しばらく進んだところで、「わっ」と声を上げて、少年が倒れ込んだ。その拍子に、松明の火も消えてしまう。

 

 一面が闇に沈む。

 マルケルは起き上がらせようとして、鎖を強く引っ張った。だが、鎖は何の抵抗もなく、手元に引き寄せられてしまう。

 

 次の瞬間、マルケルたちは地面に引きずり倒された。

 オーステル老が率いるドワーフの一団である。

 

 洞窟や坑道を住処とするドワーフは、闇夜に強い。ましてや、松明の炎を見ないよう、ルイの合図があるまで目をつぶっていたのである。

 

 松明の炎に目を慣らされた人族では、ひとたまりもなかった。

 

 人族とドワーフはもみ合ったが、長いことではなかった。

 オーステル老がその太い腕で、頚骨を続けざまに折ったのである。

 短いうめき声とともに、看守は息絶えた。

 

 ドワーフの若い衆が、オーステル老の手際に目を見張ったが、悠長に称賛する暇もなかった。

 無言のまま、詰め所になだれ込む。

 

 ===

 

 時期を同じくして、タマラが松明を振って合図し、仲間たちが一斉に篝火の炎を消した。

 

 ダヤン監獄では、バリスタは内向きにつけられている。反乱があったときに、奴隷を射殺すためだ。

 だが、新月の夜に松明の光も当てにできないとなれば、バリスタは無力化される。

 奴隷の恐怖が、これで1つ取り除かれたのだった。

 

 しかし、すべてが上手く言ったわけでもない。

 

 直後、新入り看守のロッコが、警鐘を鳴らしたのである。例えではなく実際に。

 

 ===

 

 耳につんざく鐘の音は、詰め所にも響き渡った。

 

 オーステル老率いるドワーフと、詰め所に残った看守たちは、互いに虚を突かれた。

 ドワーフたちは警鐘の音によって、看守たちは入ってきたドワーフによって。

 

「小王め、裏切ったな」

 

 歯ぎしりしつつ、看守が怒りに叫んだ。

 

「神を恐れぬ奴隷どもめ、地獄の業火に焼かれる前に、クレリックにぶちのめされるがいい!」

「阿呆め、ドワーフは死んだら黄金の都にゆくのだ。貴様らの狭量な神の裁きになどかかるものか!」

 

 あとは乱戦であった。

 奴隷は九人、看守は四人だが、看守たちは、棍棒で武装している。さらには、曲がりなりにも戦闘訓練を受けていた。

 不意をついて倒した先ほどとは違う。

 

 一進一退の中で、一人のドワーフが飛び出した。

 

 ドワーフ女性のカルーラである。

 ドワーフ奴隷の中では体格がよく、肝も太い。

 

 カルーラは口を引き結んだまま、無言で、ハンドルに取り付いた。満身の力を込めてハンドルを回していく。

 

 軋んだ悲鳴のような音を立てて、鉄で補強された扉が持ち上げられていく。

 

 要塞門の扉は、扉自体の重みですぐに閉じれるように、垂直にスライドするようになっている。いわゆる『落とし格子』というものだ。

 看守でも二人がかりで回す重い巻き上げ機(ハンドル)を、カルーラは回していった。

 

「貴様! させるか!」

 

 看守が猛り狂って棍棒を振り下ろす。頭に当たり、血すらも流れたが、カルーラは止まらなかった。

 

 再度叩きのめそうと棍棒を振り上げた看守に、別のドワーフが突進する。棍棒は、そのドワーフの背中に振り下ろされる。

 胸郭から空気が吐き出され、ドワーフは床に倒れ込んだ。

 

 看守は、それを確かめる暇もないまま、別のドワーフに体当りされ吹き飛ばされた。

 

 混戦の中で、ドワーフは叩きのめされた。鼻柱が折れ、頬骨が折れ、顔面が血だらけになった。前歯が砕けさえした。

 無事なドワーフは誰もいない。

 オーステル老も、全身に打撲を負っていた。

 

 だが、それでもドワーフは勝った。

 看守たちは倒され、息絶えている。

 

「カルーラ、そこまででいい」

 

 ハンドルにつっかえ棒を噛ませて、オーステル老がそういうと、カルーラはずるずると、床に座り込んだ。

 

 この女武者は棍棒で殴られ、あるいは蹴飛ばされても、ハンドルを離さなかったのである。

 

 オーステル老は、精根尽き果てた様子のカルーラに、気遣わしげな視線を投げたが何も言わなかった。

 休んでいる時間はないのだ。

 今すぐにでも、後続の看守たちがやってくるかもしれない。

 

「さぁ、ぐずぐずするな! あとは、とっとと退散するだけだ!」

 

 オーステル老が号令をかけると、倒れ込んでいた者も起き上がった。だが、カルーラだけは立ち上がらなかった。

 

「おい、カルーラ。早くゆくぞ」

 

 オーステルが小突いたが、カルーラは顔を上げたきり、一言だけ言った。

 

「…すこし、休みたい」

「何言ってやがる。すぐにでも追手がやって来るぞ」

 

 オーステル老が脅しつけるように言ったが、カルーラは答えず、微笑むばかりだった。

 

 そのさまを見て、オーステルは言葉に依らず察した。

 カルーラはここに残って、扉を開けるハンドルを守ろうとしているのだ。しかも、負担をかけないために、そうとは明言せぬままで。

 

 オーステルは、カルーラの目を覗き込んだ。目に怯懦(きょうだ)や無知があれば、引っ張ってでも連れていくつもりだった。

 しかし、そこにあったのは、苦痛に顔を歪めていてもなお、まっすぐに見つめ返す瞳だった。

 

 オーステル老は立ち上がった。

 

「カルーラよ、少し休んだらすぐに、ワシらの後を追え」

 

 厳しく言いつけて、オーステルたちドワーフ一行は詰め所をあとにした。

 カルーラは、重い体を持ち上げると、二つある出入り口に、ともに(かんぬき)をかけた。

 そして、扉を背にして、座り込んだ。

 

 ===

 

 オーステルが詰め所を出るころ、ルイはミーラフェンを伴って、駆け出していた。

 

 倉庫の管理をしているミーラフェンの助けを借りて、倉庫に火種をおいてきたのだ。

 危険な賭けであったが、なんとか見つからずに済んだ。

 火が大きくなれば、クレリックたちも消火に人手を割かざるを得ないだろう。

 

 篝火はタマラの手引によって消えてしまったが、要塞門の周りの松明だけはそのままだ。

 すべてを消してしまっては、奴隷たちも逃げる道がわからないからだ。

 

 だが、松明の火は奴隷の導きであると同時に、看守の導きでもあった。

 

 看守たちの怒号が後ろから迫ってくる。そして、前方にも、四人のクレリックが待ち構えていた。

 

「僕が引きつける。ミーラフェンは、隙間を通って逃げて」

「…。でも…」

 

 ルイは、ミーラフェンを叱り飛ばした。

 

「いいから行け! 大丈夫、あとから行く!」

 

 ===

 

 ルイは、大声を張り上げた。

 

「ああああああ!」

 

 さすがに迫力不足のわめき声だったが、注意を引きつけることには成功した。

 

 看守がこちらを向く。

 

(黙って…相手の目を……真正面から見据える)

 

 図らずも、ルイ自身がドワーフに伝えたアドバイスを再現することとなった。

 

 人族であれ、ドワーフであれ、平然と人を殺せる人間は多くない。人は、人を殺したくないものなのだ。

 それはきっと本能に根ざしたもので、訓練しても容易には克服できない。

 

『だから、攻撃しようとする相手にあったら、自分も相手と同じ人間だってことを思い出させるんだ』

 

 父の声が脳裏に反響する。

 

『顔を伏せたり、背中を見せたら、逆に殺されやすくなる。距離をとって、相手を見据えるんだ。そうした方が、攻撃を避けやすくもなる』

 

『もし、相手のことを知っているなら、名前を呼びかけるんだ。あるいは、相手のプライベートなことでもいい。何も知らなかったら、自分のことを話しかけろ』

 

 

「ハダルさま、アゲルさま、メンケントさま」

 

 ルイは、看守たちの名前を、呼びかけた。あれほど、看守のことを調べていたのに、残りの一人は見覚えがない。

 言葉を続けようとして、ルイは口をつぐんでしまった。

 

 戦闘の緊張感のためか、彼らのプロフィールが脳裏に浮かんでこないのだ。

 

「……」

 

 しかし、それでも多少の効果があったのか、看守たちも、棍棒を構えたまま、様子をうかがっている。

 小康状態ではあるが、それも長いことは続かない。それも後ろの看守がやって来れば、包囲されて終わりだ。

 

 視界の隅に、赤毛が見える。ミーラフェンはまだ、看守をすり抜けることができてないようだ。

 

(絶体絶命か)

 

 緊張感も一定をすぎると、かえって冷静になるらしい。打ちのめされる覚悟が決まると、体から無理な力が消えて、自然に笑みまで浮かんできた。

 

 いちかばちか、看守の横をすり抜けようと力をためたその時、疾風が横を通り過ぎた。

 

 炎が尾を引いて、通り過ぎる。次にルイの目に入ったのは、銀色の髪。

 

「タマラ!」

 

 タマラが松明を大きく横に薙ぐ。

 眼前に炎が横切り、看守は一歩下がった。

 

「野郎ども、かかれ!」

 

 オーステル老の声が響く。

 体中が怪我だらけの一団は、手に棍棒と直剣を持っていた。詰め所から拝借したものだ。

 

「ゆけ!」

 

 オーステルが鋭く叫ぶ。

 

 ルイは迷わなかった。

 まごまごしているミーラフェンの手をとり、タマラに視線で呼びかけ、駆け出した。

 ミーラフェンは、一瞬抵抗する素振りを見せたが、すぐにルイと一緒に駆け出してゆく。

 タマラも手に持った松明を投げ捨て、後を追った。

 

 走りながらルイは、現状を知りたかった。何人の奴隷が門を潜れたのだろうか。時間をかければ、看守がハンドルを元に戻して要塞門を閉じるだろう。

 状況を確認したかったが、タマラにもそんな余裕はないようだった。

 

 背後に聞こえる乱戦の叫喚に紛れて、鎧の重なり合う音が複数、こちらに迫ってきたのである。

 

 ここに至って、ルイの策は尽きていた。

 鎧を着込み武装した一団と、ボロボロの服を着た奴隷では、まずもって勝負にならない。

 横道にそれたとしても、ガサガサと茂みをかき分ければ、こちらの位置を相手に教えてやるようなものだ。

 運を天に任せて、山道を逃げ続けるしかなかった。

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