看守ロッコは、腐っていた。
先輩風と、巧みな言葉と、規則の拡大解釈によって、本来しなくてもよいはずの要塞門の見張りを、押しつけられたからである。
「新入りが入っても、仕事を押し付けることはするまい」と、新入りのロッコは心に誓った。
遠い未来はともかく、さしあたっては要塞門で見張りを続けるしかない。
「……ん?」
あくびを噛み殺していたとき、視界の隅で篝火が揺れた気がした。風で炎が揺れたにしては、大きく揺れた気がする。
その時である。
他の篝火の炎が揺らいだかと思うと、一斉に炎が消えた。一拍おいて、これが人為的なものとロッコは気づいた。
篝火が消える直前、走り込んできた人影が見えたのだ。最低でも十人以上が脱獄を企図していること、疑いなかった。
ロッコは慌てたが、それでも務めを忘れなかった。大声で叫ぶ。
「脱獄だ!!」
***
時は少し前に遡る。
要塞門の詰め所に、「もし……」と小さい声がかけられた。
戸口に立っていたのは、
不意の訪問に、詰め所にいた五人は腰を浮かした。
奴隷がここへ来るはずがない。たとえ、ファーゴの『お気に入り』であってもだ。
「なぜ、来た。奴隷はここに入ってはならん」
リーダー格であるマルケルが厳かに言った。他の奴隷であれば、もっと居丈高になっただろう。
監獄長のお気に入りゆえ、この程度で済んだのである。
「すみません……。ファーゴさまが、マルケルさま、レゴールさま、スハイルさまを呼ぶようにと、僕に申し付けられました」
クレリックたちは顔を見合わせた。
こんな夜更けに、しかも奴隷を使いによこすとは…。通常ありえないことである。
「
「その、さっきまで、僕は、ファーゴ様に酌をしておりました。なにやら、苛立たしいご様子で、呼んでこいと、言われたので……」
少年は、怯えた様子で、声が尻窄みになる。
マルケルは舌打ちした。
(あのオカマ野郎め。こんな夜更けにまで、部屋に少年を連れ込むとは…。異端審問官に姦通の罪で吊るされてしまえ)
マルケルは、心中で罵ったことで、多少の気を晴らした。
ともあれ、ファーゴはマルケルの上司である。レゴール、スハイルを伴って、ファーゴの部屋まで行くことにした。
「
童が素直に鎖を差し出したため、それを掴み、少年奴隷に夜道を先導させる。
しばらく進んだところで、「わっ」と声を上げて、少年が倒れ込んだ。その拍子に、松明の火も消えてしまう。
一面が闇に沈む。
マルケルは起き上がらせようとして、鎖を強く引っ張った。だが、鎖は何の抵抗もなく、手元に引き寄せられてしまう。
次の瞬間、マルケルたちは地面に引きずり倒された。
オーステル老が率いるドワーフの一団である。
洞窟や坑道を住処とするドワーフは、闇夜に強い。ましてや、松明の炎を見ないよう、ルイの合図があるまで目をつぶっていたのである。
松明の炎に目を慣らされた人族では、ひとたまりもなかった。
人族とドワーフはもみ合ったが、長いことではなかった。
オーステル老がその太い腕で、頚骨を続けざまに折ったのである。
短いうめき声とともに、看守は息絶えた。
ドワーフの若い衆が、オーステル老の手際に目を見張ったが、悠長に称賛する暇もなかった。
無言のまま、詰め所になだれ込む。
===
時期を同じくして、タマラが松明を振って合図し、仲間たちが一斉に篝火の炎を消した。
ダヤン監獄では、バリスタは内向きにつけられている。反乱があったときに、奴隷を射殺すためだ。
だが、新月の夜に松明の光も当てにできないとなれば、バリスタは無力化される。
奴隷の恐怖が、これで1つ取り除かれたのだった。
しかし、すべてが上手く言ったわけでもない。
直後、新入り看守のロッコが、警鐘を鳴らしたのである。例えではなく実際に。
===
耳につんざく鐘の音は、詰め所にも響き渡った。
オーステル老率いるドワーフと、詰め所に残った看守たちは、互いに虚を突かれた。
ドワーフたちは警鐘の音によって、看守たちは入ってきたドワーフによって。
「小王め、裏切ったな」
歯ぎしりしつつ、看守が怒りに叫んだ。
「神を恐れぬ奴隷どもめ、地獄の業火に焼かれる前に、クレリックにぶちのめされるがいい!」
「阿呆め、ドワーフは死んだら黄金の都にゆくのだ。貴様らの狭量な神の裁きになどかかるものか!」
あとは乱戦であった。
奴隷は九人、看守は四人だが、看守たちは、棍棒で武装している。さらには、曲がりなりにも戦闘訓練を受けていた。
不意をついて倒した先ほどとは違う。
一進一退の中で、一人のドワーフが飛び出した。
ドワーフ女性のカルーラである。
ドワーフ奴隷の中では体格がよく、肝も太い。
カルーラは口を引き結んだまま、無言で、ハンドルに取り付いた。満身の力を込めてハンドルを回していく。
軋んだ悲鳴のような音を立てて、鉄で補強された扉が持ち上げられていく。
要塞門の扉は、扉自体の重みですぐに閉じれるように、垂直にスライドするようになっている。いわゆる『落とし格子』というものだ。
看守でも二人がかりで回す重い
「貴様! させるか!」
看守が猛り狂って棍棒を振り下ろす。頭に当たり、血すらも流れたが、カルーラは止まらなかった。
再度叩きのめそうと棍棒を振り上げた看守に、別のドワーフが突進する。棍棒は、そのドワーフの背中に振り下ろされる。
胸郭から空気が吐き出され、ドワーフは床に倒れ込んだ。
看守は、それを確かめる暇もないまま、別のドワーフに体当りされ吹き飛ばされた。
混戦の中で、ドワーフは叩きのめされた。鼻柱が折れ、頬骨が折れ、顔面が血だらけになった。前歯が砕けさえした。
無事なドワーフは誰もいない。
オーステル老も、全身に打撲を負っていた。
だが、それでもドワーフは勝った。
看守たちは倒され、息絶えている。
「カルーラ、そこまででいい」
ハンドルにつっかえ棒を噛ませて、オーステル老がそういうと、カルーラはずるずると、床に座り込んだ。
この女武者は棍棒で殴られ、あるいは蹴飛ばされても、ハンドルを離さなかったのである。
オーステル老は、精根尽き果てた様子のカルーラに、気遣わしげな視線を投げたが何も言わなかった。
休んでいる時間はないのだ。
今すぐにでも、後続の看守たちがやってくるかもしれない。
「さぁ、ぐずぐずするな! あとは、とっとと退散するだけだ!」
オーステル老が号令をかけると、倒れ込んでいた者も起き上がった。だが、カルーラだけは立ち上がらなかった。
「おい、カルーラ。早くゆくぞ」
オーステルが小突いたが、カルーラは顔を上げたきり、一言だけ言った。
「…すこし、休みたい」
「何言ってやがる。すぐにでも追手がやって来るぞ」
オーステル老が脅しつけるように言ったが、カルーラは答えず、微笑むばかりだった。
そのさまを見て、オーステルは言葉に依らず察した。
カルーラはここに残って、扉を開けるハンドルを守ろうとしているのだ。しかも、負担をかけないために、そうとは明言せぬままで。
オーステルは、カルーラの目を覗き込んだ。目に
しかし、そこにあったのは、苦痛に顔を歪めていてもなお、まっすぐに見つめ返す瞳だった。
オーステル老は立ち上がった。
「カルーラよ、少し休んだらすぐに、ワシらの後を追え」
厳しく言いつけて、オーステルたちドワーフ一行は詰め所をあとにした。
カルーラは、重い体を持ち上げると、二つある出入り口に、ともに
そして、扉を背にして、座り込んだ。
===
オーステルが詰め所を出るころ、ルイはミーラフェンを伴って、駆け出していた。
倉庫の管理をしているミーラフェンの助けを借りて、倉庫に火種をおいてきたのだ。
危険な賭けであったが、なんとか見つからずに済んだ。
火が大きくなれば、クレリックたちも消火に人手を割かざるを得ないだろう。
篝火はタマラの手引によって消えてしまったが、要塞門の周りの松明だけはそのままだ。
すべてを消してしまっては、奴隷たちも逃げる道がわからないからだ。
だが、松明の火は奴隷の導きであると同時に、看守の導きでもあった。
看守たちの怒号が後ろから迫ってくる。そして、前方にも、四人のクレリックが待ち構えていた。
「僕が引きつける。ミーラフェンは、隙間を通って逃げて」
「…。でも…」
ルイは、ミーラフェンを叱り飛ばした。
「いいから行け! 大丈夫、あとから行く!」
===
ルイは、大声を張り上げた。
「ああああああ!」
さすがに迫力不足のわめき声だったが、注意を引きつけることには成功した。
看守がこちらを向く。
(黙って…相手の目を……真正面から見据える)
図らずも、ルイ自身がドワーフに伝えたアドバイスを再現することとなった。
人族であれ、ドワーフであれ、平然と人を殺せる人間は多くない。人は、人を殺したくないものなのだ。
それはきっと本能に根ざしたもので、訓練しても容易には克服できない。
『だから、攻撃しようとする相手にあったら、自分も相手と同じ人間だってことを思い出させるんだ』
父の声が脳裏に反響する。
『顔を伏せたり、背中を見せたら、逆に殺されやすくなる。距離をとって、相手を見据えるんだ。そうした方が、攻撃を避けやすくもなる』
『もし、相手のことを知っているなら、名前を呼びかけるんだ。あるいは、相手のプライベートなことでもいい。何も知らなかったら、自分のことを話しかけろ』
「ハダルさま、アゲルさま、メンケントさま」
ルイは、看守たちの名前を、呼びかけた。あれほど、看守のことを調べていたのに、残りの一人は見覚えがない。
言葉を続けようとして、ルイは口をつぐんでしまった。
戦闘の緊張感のためか、彼らのプロフィールが脳裏に浮かんでこないのだ。
「……」
しかし、それでも多少の効果があったのか、看守たちも、棍棒を構えたまま、様子をうかがっている。
小康状態ではあるが、それも長いことは続かない。それも後ろの看守がやって来れば、包囲されて終わりだ。
視界の隅に、赤毛が見える。ミーラフェンはまだ、看守をすり抜けることができてないようだ。
(絶体絶命か)
緊張感も一定をすぎると、かえって冷静になるらしい。打ちのめされる覚悟が決まると、体から無理な力が消えて、自然に笑みまで浮かんできた。
いちかばちか、看守の横をすり抜けようと力をためたその時、疾風が横を通り過ぎた。
炎が尾を引いて、通り過ぎる。次にルイの目に入ったのは、銀色の髪。
「タマラ!」
タマラが松明を大きく横に薙ぐ。
眼前に炎が横切り、看守は一歩下がった。
「野郎ども、かかれ!」
オーステル老の声が響く。
体中が怪我だらけの一団は、手に棍棒と直剣を持っていた。詰め所から拝借したものだ。
「ゆけ!」
オーステルが鋭く叫ぶ。
ルイは迷わなかった。
まごまごしているミーラフェンの手をとり、タマラに視線で呼びかけ、駆け出した。
ミーラフェンは、一瞬抵抗する素振りを見せたが、すぐにルイと一緒に駆け出してゆく。
タマラも手に持った松明を投げ捨て、後を追った。
走りながらルイは、現状を知りたかった。何人の奴隷が門を潜れたのだろうか。時間をかければ、看守がハンドルを元に戻して要塞門を閉じるだろう。
状況を確認したかったが、タマラにもそんな余裕はないようだった。
背後に聞こえる乱戦の叫喚に紛れて、鎧の重なり合う音が複数、こちらに迫ってきたのである。
ここに至って、ルイの策は尽きていた。
鎧を着込み武装した一団と、ボロボロの服を着た奴隷では、まずもって勝負にならない。
横道にそれたとしても、ガサガサと茂みをかき分ければ、こちらの位置を相手に教えてやるようなものだ。
運を天に任せて、山道を逃げ続けるしかなかった。