奴隷の少年が国を興す物語(仮)   作:克原絵馬

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5 脱獄〈2〉

 

(向こうはせいぜい、賃金に響くくらいでしょ。こっちは生命(いのち)がかかっているのよ。さっさと諦めてよ!)

 

 心のなかで悪態をつきながら、タマラは走り続ける。

 必死だった。

 

 ただ速く、少しでも遠くへ。

 

 勾配の多い山道を走り続ける。木々もまばらで隠れられない。

 

 何時間、走り続けただろうか。

 甲冑の擦れ合う音が消えていた。

 

 それでもなお、見えざる恐怖に襲われ、振り返ることもできず、走り続けていた。

 尾根を越え、森が見えてきた。

 眼下には、黒い闇の中で、ひときわ黒い、茫洋とした円が広がっている。

 

 ルイが予言したように、西の山の向こうには湖があったのだ。

 

 山道を横にそれて森に隠れようと、タマラが提案しようとしたとき。

 ドサッと、人が倒れる音がした。

 

「ルイ!」

 

 振り返ったタマラの目に飛び込んできたのは、倒れたルイ……そして、棍棒を構えた看守だった。

 

「新入りのロッコ…」

 

 看守のロッコは、鎧を着込んでいなかった。

 そのため、長い間タマラたちを追ってこれたのだろう。新人の熱意がそうさせたのかもしれなかった。

 

「…なぜ、そんなに頑張るの?」

 

「ハァハァ…、何を言ってる?」看守は息を整えながらも、油断がない。

 

「こんな子供に、棍棒を振りかざして、胸は傷まないかって聞いてるの!」

 

「何を…。罪を犯した奴隷を捕まえるのが、私の仕事だ」

 

「年端も行かない子に、何の罪があるというの? もし悪い事をしたとしても、それは父母や周囲の大人たちが責を負うべきだわ」

 

 ロッコは視線をさまよわせた。

 必死だったとはいえ、子供に暴力を振るったことはさすがに後ろめたかった。

 

「……脱獄は罪だ。心闇を浄化し、正しき信徒の道に立ち返らせることが、神に与えられし私の使命だ」

 

 彼はタマラの問いに答えているようで、答えていない。

 繰り返し教えられた価値観を、自分に言い聞かせたに過ぎなかった。

 

 神聖教国の、もっと言えば宗教の危うさがここにある。

 宗教は「試すな、疑うな、従順たれ」と説く。信者が疑念を抱いたとき、宗教は、疑念自体が悪であると断じることで、思考停止をさせるのだ。

 自分が正義であると信じ込ませ、その『正義』を揺るがすものは『悪』であり、影響を受けぬように耳を貸さず、離れろと教え込む。

 

「そもそも子を牢獄につないでいることが、間違いじゃない。あなたの神に、慈悲はないの?」

「問答無用!」

 

 ロッコは棍棒を振りかぶった。

 タマラは素早く後退し、大ぶりの一撃は空を切った。

 

 すぐに棍棒を引き寄せ、大きく横に薙ぐ。それも、タマラは躱した。

 

 二度、三度と、棍棒が振るわれたが、タマラに当たることがなかった。

 

(あまり目が見えてない……?)

 

 見当違いの方向に振るわれる棍棒を見て、タマラはそう思ったが、むしろ彼女の眼が良すぎるのだ。

 騎馬の民は、遠く地平線を見はるかし、星空を眺めて方角を知る一族である。農耕民族の神聖教国の民とは、そもそも基準が異なる。

 

 膠着状態がしばらく続き、タマラにも余裕が出てきた。一方、ロッコはかすりもしない状況に焦り始めている。

 

「ロッコ、もう止めましょう? 一生懸命追いかけたけれども、逃してしまったと報告すればいいじゃない」

 

「うるさい! 悪魔め、呪われろ!!」

 

 ロッコは、さらに乱暴に棍棒を振り回した。

 一度、二度、三度……。

 

(―今だ!)

 

 棍棒が引き戻されるのに合わせて、タマラは懐に入り込んだ。素早く取っ手を掴み、タマラは回転するように体を動かし、棍棒を奪い取った。

 

「きさまっ、それを…」

 

 ロッコは最後まで言い切ることができなかった。

 棍棒が、奪い取られた勢いのまま振るわれ、脛を打ち抜いた。さらなる一撃が、容赦なく、もう一方の脛に叩き込まれる。

 

「~~~~ッ!」

 

 両足を折られ、ロッコは呻き声をあげた。本当に痛いときは、悲鳴すら出せない。脂汗を流して、耐えるだけである。

 

 タマラは、ロッコの様子を確認すると、棍棒を遠くに投げ捨てた。

 そして、昏倒したままのルイを背負い、山道を駆け下りていく。

 

 ミーラフェンも探したが、周囲にいないようであった。逃げるなり、隠れるなりしたのだろう。

 ここで彼女の名を呼んで、ロッコに存在を気取られるのもうまくない。タマラは、彼女の無事を祈るにとどめた。

 

 万全を期すなら、ロッコの足ではなく、頭を狙って殺しておくべきだったのかもしれない。

 だが、それは、あまりにも情けないことのように思えた。彼自身に恨みはなく、利害が衝突しただけだった。

 

 タマラは不殺を気取っているわけではない。ただ、人を殺すのなら、それなりの名分を持ちたかったのだ。

 

 ===

 

 前方に、自分の影が伸びているのを見て、タマラは朝が訪れたことを知った。

 

「お、終わったんだわ……」

 

 言った途端、タマラは力が抜けて、立っていられなくなった。眠ったままのルイをなんとか横たえて、へたり込む。

 両足がビクビクと痙攣している。喉がひりつくように痛い。頭も酸欠でくらくらする。

 

 だが、やり遂げたのだ。

 

 あのダヤン監獄から、()(おお)せたのだ。

 確かな満足感が、タマラの身を浸した。

 

 傍らのルイを見る。

 誰一人、頼れる者がいないところから、脱獄計画を立て、仲間を集め、ついには成功させた童。

 まるで人形のように整った顔をみて、タマラは感嘆のため息を漏らした。

 

 湧き上がる気持ちに、タマラは名前をつけられない。ただ、この少年を(たす)けたい、守りたいと思う……。

 

 カチャ…と音がした。

 

 その刹那、タマラは飛び退いた。神がかったとしか思えないタイミングと反応速度だった。

 髪の毛が数本、宙に舞う。

 

「クレリック・ヤギ!!」

 

 鍛えられた筋肉の体に、愉悦に満ちた顔がのっていた。

 

「抵抗するなとは言わん。抵抗してみせろ、その方が楽しいからなァッ!」

 

 言いざま、踏み込んで剣を振るう。

 タマラはなんとか避けてみせた。足を踏ん張るのに通常の何倍もの努力が必要だった。

 

「ゲス野郎…」

 

 ヤギは、ルイに要注意と呼ばれた人物であることを、タマラは思い出した。

 本来、看守は奴隷を殺さないよう棍棒しか装備しない。だが、ヤギは何かと理由をつけて、直剣を持ち歩いていた。

 これみよがしに、剣を鞘走らせ、奴隷たちを脅しつけたことも一度ではない。

 

「その血脂…。ここに来る前に剣を抜いたわね!?」

「よーく観察してるじゃねぇか。そうだよ、十人ばかし、楽しませてもらったッ!」

 

 一閃、白刃が突きこまれ、タマラの左上腕に熱がほとばしる。劣悪な品性に反して、ヤギの剣捌きは卓越していた。

 

「すぐには殺さねぇさ。 血を失って倒れるまで、なぶってやる」

「そんな事でしか、幸せを感じられないの? 哀れなやつ」

 

 言い終わらぬうちに、刃が突きこまれ、右上腕が穿たれた。痛みで、タマラの目の前に光がちらつく。

 

「女が偉そうにするんじゃねぇ! 女は黙って、男についてくればいいんだ!」

 

 ヤギは強烈な怒りに、顔を歪ませる。

 しかし、ふと、激昂の表情(かお)をおさめると、ヤギは直剣を掲げて、祈りの言葉を唱えだした。

 

「おお、神よ、感謝いたします。日々の糧を与えてくださることに。

 おお、神よ、感謝いたします。苦難の中にも安らぎを与えてくださることに。

 おお、神よ、感謝いたします。切り刻める奴隷を与えてくださることに。

 おお、神よ、感謝いたします。豚の悲鳴を上げる奴隷を与えてくださることに。

 おお、神よ、感謝いたします。奴隷をいたぶる娯楽を与えてくださることに……」

 

 ヤギは奇怪にねじ曲がった祈りの文句を唱えるごとに、タマラを突き刺し、切り裂いていく。

 これも法悦と言うべきなのか、斬りつけるごとに、愉悦に表情を歪ませていく。

 

 クレリック・ヤギは、タマラが逃げ出さないことに気づいていた。

 そして、その背後の茂みの中に、小王(リトルキング)と呼ばれるガキが寝ていることにも。

 

 こいつは見物(みもの)だ。これで子供を護っているつもりらしい。

 我が身大事と背を向けて逃げ出したのなら、一思いに殺してやろう。

 

 ヤギは、いたぶることに関しては随一の技量を持っている。急所を外して切りつけながらも、両足には剣を突き入れないようにした。

 

 タマラは比較的無事な両足で、ヤギの剣をかわそうと動く。

 恐怖心はなかった。

 怒りもなかった。

 

 ただ手負いの獣のごとき生存本能だけがあった。

 

 ギラつく野獣のようなタマラの目に、ヤギは苛立ちを覚え、剣を握り直す。

 その時であった。

 

 低木の繁みが揺れ、擦れた音を出す。

 そこに現れたのは、ヤギも、タマラも予想していない人物だった。

 

「…ヤギさま……」

 

 赤い巻毛と対象的に、深い陰を帯びた人族の女性……ミーラフェンだった。

 

 無謀だとタマラは思った。

 ロッコとの戦闘のときにはぐれたまま、何処なりと逃げ出してくれたら良かったのに。

 右腕を動かせない彼女が来たところで、ヤギの餌食になるだけだ。

 

「おう、お前か」

 

 驚いたことに、ヤギはミーラフェンと親しいようだった。気安い言葉で、返事を返す。

 

「そこで待ってな。こいつを平らげた後、お前を相手してやる」

 

 気にも留めず、ヤギはタマラに視線を戻した。

 

 一方のミーラフェンは、ちらりとルイの方を見たようである。そして、ふらふらと、危なげな足取りでヤギに近づくと、体ごとヤギにぶつかった。

 

「お前……」

 

 いいさして、ヤギは糸が切れたように、崩れ落ちた。

 原因はすぐに分かった。ヤギに重なるように倒れ込んだミーラフェンの手に、包丁が握られていたのだ。

 

 倉庫からくすねてきたものに違いない。それを、ずっと持っていたのだ。

 ミーラフェンは、包丁を傷口の中で回しながら抜き、そして何度も突き刺した。

 

 密着した状態では、直剣はかえって不利になる。ヤギは、剣を振り回したが思ったほどの効果はあげられないようだった。

 

「………」

 

 切りつけ合う二人をみて、タマラは見てはならないものを見てしまった気がした。

 二人に何があったかは知らない。

 だが、愛情と憎悪がもつれ、絡まりあった挙げ句、このような事態があらわれたのではないか。

 そうとしか思えなかった。

 

 なにしろ、ミーラフェンは泣きながら「ヤギさま」と名を呼び続け、しかも満面の笑みを浮かべていたのだから。

 

 ……やがて二人は、ともに、動かなくなった。

 長い間であったようにも思われるし、ほんの一時のことであったようにも思う。

 

 異様さに当てられて、立ち尽くしていたタマラは、あらためて今の状況を思い出した。

 

 比較的無事な腕の方で、小柄なルイの体を肩に(かつ)ぐ。

 背負うことは、もはやできなかった。

 

 血が、岩から染み出す湧き水のように、とめどなく流れていく。

 

 軽いはずのルイの体も、今は(いわお)のごとく重い。それどころか、自分の体でさえ、粘性の液体の中を進むように重い。

 

(このまま、倒れたら楽だろうな……)

 

 倒れたきり死んでしまうことを予見しつつも、タマラはそう思わざるを得なかった。

 楽になりたかった。

 

 厳しいだけの生より、優しい死を選びたかった。

 

 死ねば、聖騎士(パラディン)に殺された父母にも再会できるだろう。

 

 そんなことを考えながら、それでも、足は前に進んでいく。

 

 血が滴り落ちるたび、体が重くなる。

 それでも、ルイを放り出そうとは思わなかった。

 

 ただ、ただ、足が一歩ずつ、前に進んでいた。

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