奴隷の少年が国を興す物語(仮)   作:克原絵馬

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9 追跡 <3>

 

 

 日が落ち、闇の帳が完全に天空を覆った頃、ルイの一党は静かに動き出した。

 

 先頭はドワーフたちに任せている。

 タマラも騎馬の民のため夜目が利いたが、月明かりさえ射さぬ坑道で暮らすドワーフの夜目にはかなわない。

 

 一方、遠くを見る目の良さはタマラが一番だ。日中の行動、特に偵察はタマラに任せることになるだろう。

 

 細い月が山にかかるように光っている。

 人目をはばかる元奴隷の集団は、月だけが見守る中、オーガの領域へと疾駆していった。

 

 途中、大湖に流れ込むオクラス河に差し掛かり、久しぶりの水浴びを行った。汗を流し、汚れを拭き、垢をこすった。

 これには、清潔にするという目的以外にも、匂いで追跡されてしまうことを避ける意味あいがある。

 

 河のなるべく中央、なるべく上流から水を汲む。

 ルイの脳内の地図によれば、このオクラス河を越えれば、しばらく水の補給の当てはない。

 

 オーガの領域の中でも、自分たちの進路は、(いにしえ)に『百の丘』と呼ばれていた場所である。

 きっと清流があるだろうが、それでも節約して進まなければならない。

 

 ===

 

 脱獄事件から四日後の朝。

 

 ダヤン監獄の開けた場所で、八組の追跡隊が整列している。それぞれの隊には、馬に乗った聖騎士が監視役兼、伝令役としてついていた。

 壇上に立つのは、異端審問官のセトであった。本来、監獄を取り仕切る立場のファーゴは一番隊に組み込まれ、面白くなさそうに沈黙している。

 

 壇上のセトが追跡隊を見回した後、厳かに号令した。

 

「諸君、四日前の脱獄事件は、宿直(とのい)でなくとも聞き及んでいよう。言うまでもなく、これは神から与えられた使命を(ないがし)ろにするものである!」

 

 看守たちが慄然とするのが、セトには分かった。

 異端審問官が生殺与奪の権を握っていることを、彼らは思い出したであろう。

 

「神は(あやま)たず。過ちを犯すのは人間である。ゆえに過ちを正すために、異端審問はある。

 諸君らに、過ちを正す心はあるか?」

 

 看守は口々に叫んだ。「あるとも」「挽回の機会を」「亜人に鉄槌を」……。

 忠心を示そうと、彼らは必死であった。

 

「結構! ならば証を立てよ。これより、奴隷狩りを始める! 奴隷を捕らえれば、神の慈悲にあずかれよう。捕らえよ! しからずんば、死ね!!」

 

 激烈すぎる言葉が、セトからほとばしり出た。

 奴隷たちを捕らえなければ、看守たちが死刑となるとセトは宣告したのであった。

 

 監獄の看守たちは、慄然どころか、恐怖に心臓をわしづかみにされ、物狂いのように駆け出していった。

 

 セトが授けた作戦がある。

 

 一番隊、二番隊は、山道を駆け下り、大湖と、山の裾野との間に布陣する。

 三番隊から八番隊までは、途中までは山道を進むが、獣道などを見つけたら、横にそれて進む。

 三番隊や八番隊が山腹に潜む奴隷たちを追い立て、一番隊から二番隊が捕らえるという方式である。

 

 なお、この場合の「捕らえる」は、生死不問である。

 むしろ、生かして捕らえたとしても、奴隷どもが脱獄を考えもしないよう、見せしめの惨たらしい拷問刑が待っている。

 

 その場で殺されるか、後で惨たらしく拷問にかけられるか。捕まった奴隷に明るい未来は用意されていなかった。

 

 だが、それを理解していない奴隷が一人いた。

 

 ===

 

 一番隊が、ダヤン監獄のある山から、駆け下りていたときのことである。

 山の裾野から湖都レーゼルにいたる道の真ん中に、ゴマ粒のように見えるものがあった。

 

 近づくにつれて、それは段々大きくなり、やがて亜人(ドワーフ)であることが分かった。さらには、その亜人が跪き、両手を揃えて掲げ、手のひらを見せていることも分かった。

 

 この姿勢は、奴隷が請願や恭順を示すものであった。両手を差し出すことで、すべてを御主人様に預けるという意味合いである。

 

 一番隊の中に、彼女の姿を覚えている者があった。

 監獄長のファーゴに、「脱獄犯のスウェンです」と耳打ちする。

 

 スウェンは初めから、こうしようと思ったわけではなかった。

 ルイの一党から逃げ出した後、いったんは湖都レーゼルに向かったのだ。そして、町並みを歩いたのだ。

 

 最初は庶民のように振る舞えて気分が良かった。

 だが、それも長いことではなかった。

 僅かな現金の使い方すら、よく分からない。頭を下げて働かせてもらう事すらも、スウェンには思いつかなかった。

 

 奴隷として生まれ、奴隷として育ってきた彼女には、自分の意志で決める経験が不足していた。

 結局、街中を三巡したあとは、ルイと別れた場所に足が向いた。なにか目論見があったわけではなく、糸の切れた凧のようにさまよっているだけだった。

 

 そうして、奴隷として生まれたばかりに、他の生き方を知らぬスウェンは唯一知っていること──御主人様の慈悲にすがること──を、追手に対して行ったのだった。

 

「死に際しても、神と主人に服従いたします。慈悲を賜らんことを」

 

 看守に話しかけられるより早く、古式に則って、顔をあげずスウェンは言った。

 待ち受けている運命を悟られぬよう、ファーゴは優しく声をかけた。

 

「あなたは、スウェンですね。牢を抜け出したことは罪悪ですが、よくぞ思い直してくれました。司祭として、とりなしの祈りを捧げましょう。さぁ、何があったのか、話してみなさい」

「は、はい」

 

 スウェンはつっかえながらも、脱獄してからの経緯を話し始めた。

 脱獄し、オーステル老と合流し、ルイと一緒に行動し、その後逃げ出したことを彼女は語った。

 要点を捉えて話すということを知らないらしく、とりとめもなく話していく。

 

 ファーゴは、辛抱強くスウェンの曖昧な話を聞いた。

 ひとつには、一旦、陣を敷いたからには、奴隷どもを辛抱強く待つしかなかった事情もある。

 

 ともあれ、奴隷の話の中に、ファーゴは聞き逃がせないものを見つけた。

 このスウェンは、脱獄の首謀者のルイ、オーステルと同行していたというのだ。

 近くで興味なさげにしていた聖騎士エルランも、その言葉を聞き逃すことはできなかった。

 

「そこの亜人、ルイやオーステルと同行していたというのは本当か?」

「は、はい。私恐ろしくて、逃げ出しました」

「奴らはなにか言っていたか?」

 

 スウェンは必死に思い出そうとした。もたもたすれば、良くて叱責、悪ければ鞭を食らうことになると経験から知っていたからだ。

 

「亜人に財産をもたせるとか、司祭の子を踊り子にするとか……」

 

 周囲から、ざわめきが起こった。神聖教国の秩序を根幹から破壊することを、このドワーフ女は述べている!

 

「……貴様、嘘や出鱈目を並べ立てているのではあるまいな」

「私、嘘つきません」

「……わかった。セト様に言上申し上げねばならん。亜人、ついてこい」

 

 そういって数歩馬を進ませたが、奴隷の歩みが遅いことに気づくと、舌打ちして奴隷を鞍上に乗せてやった。二人乗りの形になって、下ったばかりの山道を駆け上っていく。

 

 ファーゴはその後姿を見ながら、ようやく手柄をかっさらわれたことに気づき、大きく舌打ちした。

 

 ===

 

 ダヤン監獄に連れてこられたスウェンは、地べたに跪き、あらためて脱獄の顛末を「お偉い方」に話していた。

 スウェンは理解してなかったが、話している「お偉い方」は異端審問官セトである。

 

「ふむ……」

 

 セトはきれいに剃った顎を撫でた。

 詳しく聞いてみると、『反社会的な』言説は、ルイが行ったのだという。

 

「それで、オーガの領域に行ったというのは、間違いないのだな」

「はい、間違いございません」

 

(見つからねば、見つからぬままでも良いと思っていたが……)とセトは心中でつぶやき、続く思案を声に出す。

 

「反乱分子を放置していれば、後日の災いとなろう」

 

 すばやく思案を巡らせる。脱走した奴隷たちの捕縛、ダヤン監獄の維持と管理、そして危険分子と化したルイとその一党の捕縛。これらを手持ちの駒でこなさなければならない。

 

「聖騎士エルランよ、ファーゴは戦えるか?」

「奴隷相手であれば、問題ありますまい」

「結構。では、ルイならびにオーステルの捕縛隊を組む。捕縛隊は、私が率いる!」

 

 上級異端審問官セトによる、ルイの追跡が始まった。

 

 ===

 

 慌ただしく準備が始まったが、ささやかながらも異議を申し立てる者もいた。

 ダヤン監獄の後事を託した聖騎士ミュカデが、こう言ったのである。

 

「我らに命じていただければ、首謀者を追いつめ、捕らえてみせます。何もセト様がお出でにならずとも良いではありませんか」

 

 異端審問官セトは、侍従のものに鎧をつけさせながら答えた。

 

「その言、ありがたく思う。だが向かう先は、人食い鬼の出る危険地帯。異端審問官たる私が出ねば、皆もついてこまい」

 

 本心からセトはそう言ったが、一方で、ルイへの思いがわだかまっているのも否定できなかった。

 

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