静かに朽ちゆく廃商店街の様相は、この短時間で物々しく様変わりしていた。
シャッター群は靴跡と凹みが目立ち、タイル張りの床には両者の空薬莢が散らばり、壁面は夥しい弾痕の数々。それらは今もなお、打撃音と銃声をBGMに生み出され続けている。
頬を掠めた散弾が毛先を焦がす。懐への接近を許した代償は、ひとまずそれで済んだ。対処すべくライフルのストックによる打撃で応戦するも、涼しい顔でいなされる。ホルスターに手を伸ばし、腰撃ちで射撃しようともしたが手刀ではたき落とされる始末。その上、腰の入った正拳突きを鳩尾に食らわされ、追撃のショットガンをモロに3連射も見舞われる特大出血サービスのオマケ付き。熱烈な高待遇に、私は思わず意識が途切れかけてしまう。
「……まだ続けるの?」
溜め息混じりに、冷めた目つきのホシノが私を見下ろして言う。無様に床へ倒れ込み、ボロキレ同然の有り様な私とは対象的に、彼女の制服は所々煤けていたり銃弾によって空いた穴が何箇所かあるくらいで、それが互いを隔てる実力差として如実に物語っていた。
だが、それが何だというのか。
息が切れる。肺に上手く酸素が取り込めない。手足が震える。視界が霞みつつあった。全身の至る箇所で打撲と内出血を起こしている。切れた額から血が垂れていた。
──だが、それだけだ。
躰は動く。骨の一つも折れてなどいない。ヒビが入った程度問題にもならない。装填済みの弾倉はまだ残っている。リロードすればすぐにでも撃てるとも。主兵装を失おうとも、その気になれば腕で、この足で食らいついてみせよう。
まだだ、私はまだ戦えるぞ。闘志は潰えていない、この躰が動く限り、意識のある限り、私が私である限り、終わらせてたまるものか。
愛銃のグリップを強く握り、三度立ち上がってみせた。
「愚問だな、ホシノ」
ぼやける視界の中心に、彼女を見据える。ソイツはなんだか妙な表情をしていた。
「終わらせるかよ。こんな楽しいこと」
「……筋金入りだね」
ホシノが浮かべていたのは、哀れみだった。私は酔いしれるほどの歓喜の渦中にいたというのに、どうにも独り善がりだったらしい。だがまあ、驚くようなことでもない。いつだって、私と
自嘲気味な笑みを零し、愛銃から空の弾倉を引き抜いて適当に投げ捨てる。ポーチをまさぐりすっかり心許なくなった新たな弾倉を装填。一連の動作を終えても、ホシノは黙って私を見つめたままだった。
「あのさ、これ以上は怪我じゃ済まなくなるよ?」
嗜めるような物言いで彼女は言う。それはきっと良心からの発言だったのだろう。現に銃を握るその手からは迷いが窺える。しかし、その優しさはここでは不要だ。私は首を横に振って答えた。
「構うものか。仮にヘイローが壊れたとしても、私は満足して死ぬだろうな。お前ほどの手合いであれば、本望だ」
「それ本気で言ってるんだとしたら、心底度し難いよ。……ヘイローを壊すなんて、冗談じゃない」
「お前がどう思うかなんぞ知らんが、手加減なんて無粋な真似はしてくれるなよ。殺す気で来い。その方がよっぽど面白い」
「……シロコちゃんは堕天使ちゃんのことを『似た者同士』って言ってたけど、それだけはないね。──獣だよ。血に酔った獣。いつか狩られちゃうよ、キミ」
「得難い死闘の果てに刈り取られるのなら、そんな結末も悪くない」
「…………度し難いね、本当に」
大きくため息を吐いて、ホシノは再びショットガンを構えた。輝くオッドアイの眼差しが私を鋭く睥睨する。
「そうだ。それで良い、暁のホルス」
込み上げてくる喜びが口端を三日月に歪める。自分よりも格上の猛者が、今この瞬間において私だけを見据え、私だけのために力を降るわんとしている。その事実が、どうしようもなく喜ばしい。
スキップでも踏みたくなるような、そんな幸福な気分で私はライフルを構え、トリガーに指を置く。まだまだ、お楽しみはこれからだ。
「どうなっても知らないからね」
「承知の上だ。──さて、第2ラウンドと行こうじゃないか」
手傷を負った鮫の獰猛さ、余す所なくその身に刻んでやるとしよう──。
◆
沈んでいた意識が浮かび上がり、世界が色と音を取り戻す。朧気な意識が揺蕩っていたのも束の間、全身を苛む激痛と、指の一本すら動かすのも億劫な疲労感によって私の思考は強制的にクリアになる。
「ごふっ……」
口内に溜まっていた錆味の液体を吐き出す。びちゃ、と床に赤い斑点模様がつく。妙に動かしにくい腕を使うのを諦め、緩慢な動作で仰向けに姿勢を変える。高く昇った陽光が、アーケードの天井からじりじりと肌を焼く。それほど時間は経っていないらしい。
──澄み渡った空を泳いでいるみたいに、清々しい気分だった。
届かなかった。自分の全力を持ってしてもなお、暁のホルスは倒れなかった。死に物狂いで食らいついたというのに、それでも及ばない。完膚なきまでの敗北を喫したわけだが、後悔は微塵もない。何せ私は、探し求めた強者相手に死闘を繰り広げられたのだから。であればこそ、この名誉の負傷も心地良く思えるものだ。
渇望を満たし、その余韻に浸る私は、未だ霞む視界とは対象的に明瞭な思考でふと思う。これにてアビドスでの用事は済んだわけだが、D.U.へ帰るにあたって一つ問題が発生していたことを。
そう、肉体へのダメージが大きいのだ。
今一度、私は身体の具合を検める。
まず頭部からの出血。これはまあどこかのタイミングで頭を打った際に頭皮が切れたのだろう。垂れた血液で片目が塞がってしまっているが拭う気力もない。額の流血はいつの間にか治まっていたので良しとする。
次に腕だが、右腕が愉快な角度に曲がっていて使い物にならない。左腕は精々打撲と内出血くらいだろうが肩を外されていた。骨折しようがなんだろうがそれでも戦う意志を見せた私に、速攻で組み付いてきたホシノが瞬きの内に脱臼させたのは記憶に新しい。
そして胴体。これも打撲と内出血……に、加えて肋骨が何本か折れてそうだ。戦闘中はそうでもなかったが、興奮も収まりアドレナリンによる誤魔化しもとっくに効力を失っている。端的に言えば死ぬほど痛い。折れた骨が肺に刺さってなければいいが。
足はどうかと言えば比較的軽症で済んでいる。被弾した箇所が赤くなっていたりする程度で……いや、今になって気付いたが、思い切り足を踏みつけられた際に指の骨がやられていたようだ。
──とまあ、こんな具合だ。死にはしないし数日もあればある程度動けるようにもなるが、これでは帰路につくよりも先に病院送りだろう。
ひとまず、病院……この場合はアビドスの救急にでも掛ければいいか? と思い、ポケットの端末を取ろうとするも、腕が折れていたり肩が外れていたりで一苦労だ。どうしたものか、そう困り果てた時、ふと近寄ってくる足音が複数耳朶を打った。
「随分手酷くやられたな」
「……ああ、ユキノか」
砂塵の向こうから現れたのは、見知った狐の小隊だった。
「丁度良い、適当な病院まで送ってくれ」
「タクシーじゃないんだぞ、まったく……」
口ではそう言いつつも、脱臼しているのを見抜いたユキノは「少し堪えろ」と告げて私の肩を嵌める。なんとも小気味良い音が鳴った。戻った肩を回し、調子を確かめる。痛みはあるが動かす分には支障もないだろう。
「悪いな」
「そう思うならこれっきりにして欲しい」
「無理な話はするもんじゃない」
「言ってみただけだ」
やれやれ、とユキノが呆れ顔で肩を竦める。普段あまり表情を変えない彼女にしては珍しいことだ。
「えっと、取り敢えず応急処置だけしちゃうね」
ユキノに代わり、救急箱を携えたニコが慣れた手つきで手当てを始める。
「苦労をかけるな、ニコ」
「あはは……まあ、なんとなくそんな気はしてたからね。ここまで重症を負うのは流石に予想してなかったけど」
苦笑するニコの面持ちは、どこか引き攣っていた。これでもまだマシな方だと思うのだが……根本的に価値観が違うらしい。
「ほんっと、相変わらずよくやるわよ。普通はこんなになるまで戦わないでしょ」
「右に同じく。って、うわ、なんか腕ヤバい方向に曲がってない?」
「折れればこうもなるだろう。ちぎれてないだけマシだ。まあ放っておけばそのうち治る」
「……同じ人間なのか、たまに疑わしく思う瞬間があるんだけど」
「……人造人間とかだったりするのかねぇ」
この世ならざるものでも直視したみたいに、クルミとオトギは揃って微妙な表情を作る。まったく酷い言い草だ、私は周りより少し頑丈でちょっとばかし治癒力の高いだけのただの人間だというのに。ツルギと出会ったら腰を抜かすんじゃなかろうか、この狐共は。
「それで? どうせカヤの差し金で連れ戻しに来たんだろう?」
されるがまま大人しくニコの応急処置を受けつつ、ユキノに訊ねる。カヤが私兵の彼女らを差し向けない理由がないし、その上で十中八九GPSが内蔵されているであろう『カヤから渡された物』──あの糸目が何の脈絡もなく好意から私にプレゼントを渡すような人間じゃないのはよく知っている──を置いていったはずだが、一体どうやって居場所を突き止めたのやら。
「ああ。しかしまさか、防衛室に連行する前に病院送りとは思っていなかったが」
「私も相応に
「……小鳥遊ホシノか。確かに、あの戦闘力が驚異的なのは同意しよう」
「なんだ、見てたのか?」
「遠目にな。並外れた強さもそうだが、何より恐ろしく思えたのは……戦闘中にも関わらず、彼女は周囲に潜伏していた我々の存在に気づいていたことだ」
そう語るユキノは苦虫を噛み潰したような面持ちだ。彼女にも、自分が特殊戦を想定して組織された特殊部隊の人間であるという矜持があるだろう。それを戦いの最中に看破された、など到底受け入れ難いはず。だがそうは言っても相手はあの暁のホルス。ゲヘナで言うところの空崎ヒナに匹敵する猛者中の猛者。普遍の常識が通用する存在ではないのだから。
「そうそう。私もスコープ越しに目が合ったんだけどさ、ぶっちゃけ下手なホラーより怖かったよ」
「数百メートル先の狙撃手と目が合うとか、何者よあのちびっこ……」
オトギもクルミも、埒外の存在を前にすっかり戦慄している。私に彼女らの気持ちを察してやることはできない。何せ、相手が強ければ強いほど燃える性質なのだ。
「暁のホルス。その二つ名に恥じない、正真正銘の強者だ。……ああ、もどかしいな。一刻も早くリベンジしてやりたい気分だが……この怪我じゃそうもいかん」
「あ、相変わらず懲りないね、カノンちゃんは。ちゃんと静養するんだよ?」
「善処する。アイツとは万全の状態で挑みたい」
再戦を嘱望する私に、やはりニコは苦笑を浮かべるしかないようだ。
「とにかく、D.U.の病院まで連れて行く。防衛室長には私から報告を入れておこう。……立てるか?」
簡単な応急処置が終わり、すっかり包帯で巻かれる様相となった私を見てユキノが言う。
「案ずるな。この程度、問題な──っ」
自力で立ち上がろうとしたが、想定していたよりも内側のダメージが深刻だった。視界がぐらつき、足の筋肉が強張って上手く力が入らずよろめいてしまう。咄嗟にユキノが支えてくれたおかげで転ばずに済んだが。
「あまり無理をするな。幾ら貴方でも身体を酷使し過ぎだ。ニコ、そっちの方を頼む」
「うん、任せて。ごめんねカノンちゃん。担架でもあればよかったんだけど」
結局、ユキノとニコに肩を担がれて運ばれることとなった。
「……あのさクルミ、ちょっと思ったんだけどドローンに括り付けて運ぶのはダメかねぇ」
「……ねえオトギ、あんな奴でもまだ人権はあると思うの」
「聞こえてるぞ、そこの狐2匹」
おじさんに本気を出させる程度には強いオリ主ちゃん。
なお、一定以上の実力を示してしまったのでホシおじは今後定期的に「来ちゃった……(メインシステム戦闘モード起動)」されてしまう模様。