アビドス市街の入り組んだ裏路地に佇む一軒の雑居ビル。特にこれと言った特徴もないその建物の一室に、私は呼び出されていた。
「──こちらへどうぞ、ホシノさん」
薄暗く、質素なオフィスに通された私は、相変わらず表情の読めない大人と対面する。黒曜のように黒黒とした肌に、黒のスーツ。奇っ怪にも肌や顔部はヒビ割れ、右目に当たる部分からは白い発光とともに靄が揺れている。その大人を、私は『黒服』と呼んでいた。
「今度は何のようなのさ?」
「状況が変わりましてね。今回は再度、アビドス最高の神秘をお持ちのホシノさんにご提案をしようと思いまして」
悪びれる様子もなく淡々と言ってのけたそいつに、冷静さを心がけていた私は呆気なくブレーキを放り投げてしまう。
「提案? ふざけるなっ! それはもう……!」
「まあまあ、落ち着いてください」
激昂し、思わずショットガンに手をかけそうになると、黒服は手振りでそれを宥めてきた。この大人に身を守れるだけの戦闘能力がないことはとっくに知っている。こちらが引き金を引けば、いとも簡単に終わらせられるだろう。でも……そんなことは、
「お気に入りの映画の台詞がありましてね。今回はそれを引用してみましょう」
デスクに腰掛けた黒服は、そう言って引き出しから一枚の書類を取り出してみせた。目を通さずとも分かる。あれに書かれた内容は、きっと
「──あなたに、決して拒めないであろう提案をひとつ」
「その前に聞きたいことがある」
ほくそ笑むように口元を歪ませた黒服の言葉を遮って、私は訊ねた。ゆらり、と白い靄が妖しく揺れる。
「ええ、構いませんよ」
「鱶鮫カノンは、お前の──ゲマトリアの関係者?」
「ふむ……どうやら、彼女と接触されたようですね」
ククッ、と喉を鳴らして黒服が言葉を続ける。
「さて、結論から言ってしまえば、答えは『NO』です。鱶鮫カノンという生徒は私の協力者でもなく、ましてや、ゲマトリアの人間でもありません」
「それなら、どうしてあの子からゲマトリアの名が出てきたのさ?」
「簡単な話ですよ。以前、彼女に実験への協力を持ちかけた事がありましてね。尤も、にべもなく断られてしまいましたが。彼女とは、ただそれだけ、それっきりの関係ですよ」
「……まあ、関係がないなら良いよ。確認したかっただけだから」
聞くだけ聞いて、それ以上私が追求することはなかった。黒服という大人は胡散臭さの塊のような男で、よく口も回る。でも、これまで嘘を吐かれたことはない。それが彼のポリシーなのかは知ったことじゃないけど、その一点だけは信用してもいいかなぐらいには思っていた。
「……よろしいですか? では、今一度この誓約書にサインを──」
黒服が愉快そうに喉を鳴らす。私にはそれが酷く不快だった。辟易しながら、渡された書類に目を通す。
その提案を拒むことは、やっぱり私には出来そうになかった。
◆
「──撤収準備、帰るよ」
悠然と現れたゲヘナの風紀委員長が、周囲の部下に退却命令を下す。どうやら事を荒立てる気はないようで、彼女はそれから頭を下げて直々に謝罪までしてみせた。銀髪の狙撃手の少女が食い下がったものの、ひと睨みされて渋々と言った様子で下がっていく。
私たちを取り囲んでいた包囲網が解かれ、風紀委員たちは各々武器を纏めて撤収準備に入っていった。風紀委員長の到着が少しでも遅れていれば、あのまま後続の部隊が投入され、数で押し切られていたかも知れない。そう考えると、彼女はベストなタイミングで来てくれたことになる。
市街地での爆発。そして柴関ラーメンの爆破。それを聞いた時は、居ても経ってもいられずに学校を飛び出した。市街地に到着して、現場にいた便利屋に詰め寄ったけど、結果として爆破させたのは後からやってきた風紀委員会だったみたい。その便利屋も、いつの間にか姿を消していたけれど。
それから風紀委員会の部隊との戦闘を経て、アコとかいう行政官の目的がシャーレの先生だと知らされた。あまり実感は湧いてなかったけれど、先生は私たちが思っている以上に重要人物だったみたい。……最初に出会った時は道に迷って行き倒れていたけど。
ふと先生の方に目をやると、風紀委員長の子と何か話をしているようだった。小声で話していたから、会話の内容までは分からない。でも、先生の表情が一瞬強張ったのは見えた。なんとなく耳をそばだててみる。
「シロコ先輩? どうかした?」
セリカの声にハッとなる。やっぱり、盗み聞きなんて良くない。後でちゃんと先生に聞いてみよう。
「ん、先生が何を話してるのか気になって……」
「──少しよろしいでしょうか」
不意に呼びかけられ、顔を向ける。声の主は銀髪で髪の長い生徒だった。後ろには友人らしき子が何人かこちらを伺っている。
「私たち、柴関ラーメンというお店を探しておりまして。しかし、なかなか見つからず……地図によると確かにこの辺りなのですが、ご存知ありませんか?」
「えっと……」
思わず言い淀む。ちら、と横目に柴関ラーメンの
「どうかされましたか?」
「いや……なんでもない。柴関ラーメンは、その……」
「爆破されたのよ! お店ごと木っ端微塵に!!」
言葉に迷っていると、怒りに打ち震えるセリカが代わりに吠えた。当然ながら、訊ねてきた生徒も目を丸くしてしまう。
「はい? それは一体どういう……」
「私もあんまり良く分かってないんだけど、元々、便利屋が仕掛けてた爆弾に、ゲヘナの風紀委員会の砲撃が誘爆したっぽいのよ。大将は無事だったんだけど、お店が……もう! なんてことしてくれてんのよあいつら! 冷静になったらまたムカついてきた!」
「まあまあセリカちゃん、落ち着いてください。可愛いお顔にシワが寄っちゃってますよ~」
ぷんすかと顔を真っ赤にして地団駄を踏むセリカに、ノノミがやんわりと嗜める。いや、むしろセリカはよく耐えている方だと思う。自分のバイト先とその店主が巻き込まれたのだから、怒りで我を忘れて暴走してもおかしくなかったのに。
「風紀委員会がアビドスに……? 平時であれば問題児の対応に追われているはずですのに……妙ですわね」
「ちょっとハルナー? ラーメン屋どこにあるか分かったのー? イズミがそろそろ限界なんだけどー?」
「うわぁぁん、お腹と背中がくっついちゃうよぉ~。ご飯はどこー? ラーメンはまだー?」
「私もお腹がペコペコです。こうなったら、普段の3割増しで食べちゃいましょうか☆」
ぞろぞろと、後ろで待機していた生徒たちが声を上げ始めた。よく見てみれば、全員が共通して角や尻尾が生えている。彼女たちもゲヘナの生徒だろうか。
「それなのですが……どうやら、お店が爆破されてしまったらしく……残念ながらお預けですわね」
「ええっ!? そ、そんなぁ~」
「あらあら……」
ハルナと呼ばれた生徒がそう応えると、仲間の一人が絶望したような表情で膝をついてガクッと項垂れた。直後、余程空腹だったのだろう、ぐぅ~~~、という大きな音が彼女のお腹から聞こえてくる。
「うへ~、君たちも災難だったね。ま、そういうわけだからさ、今日のところは諦めてよ。代わりと言っちゃあ何だけど、おじさんがこの辺でオススメのお店教えてあげるから」
「ほ、ほんとぉ……?」
悲痛な面持ちで肩を落とすゲヘナの生徒に、ホシノ先輩が肩に手を置いて慰める。
「友人の快方祝いも兼ねていたのですが……ともあれ、そういうことでしたら仕方がありませんわね」
「ごめんね~」
「いえ、お気になさらず。美食に苦難は付き物ですわ。私たち美食研究会はこれしきのことで折れたりしません」
「美食研究会? なによそれ」
「ご説明いたしましょう。我々はこのキヴォトスにあまねく存在する数々の美食を探求している同志たちの集い。
会長のハルナと名乗った生徒は恭しい所作で私たち挨拶してみせた。どことなく気品を感じさせる振る舞いは、とてもゲヘナ生とは思えない。きっと名のあるご令嬢なのだろう。のほほんとそんなことを思っていると、おもむろにアヤネちゃんが通信越しに声を上げた。
『美食研究会……って美食研究会ですか!? ゲヘナでも悪名高いテロリストと噂の……!』
「て、テロリストですか? そのような方には見えませんが……アヤネちゃん、なにか知っているんですか?」
『はい。噂によると、事あるごとに飲食店を爆破したり、大食いメニューをお店の材料が尽きるまで食べ続けたり、希少な食材を輸送中のトラックを襲撃したり……そんな噂が絶えない、ゲヘナでも指折りの過激派集団なのだとか』
「……何やら誤解されているようですわね。私たちはただ、美食に対して礼儀の欠けている方々に直接的な指導をしているだけで──」
「──ハルナ?」
弁解を試みるハルナに呼びかける声があった。声のする方向に私たちも釣られて目を向けると、さっきまで先生と何か話し込んでいた風紀委員長の姿が。隣には先生も佇んでいる。二人を見て、心做しか驚いたようにハルナが瞠目する。
「美食研究会がどうしてここに?」
「あら、ヒナさんではないですか。それに先生までいらっしゃるなんて」
「"やあ、ハルナ"」
「ふふっ。ここで出会ったのもなにかの縁、先生もご一緒に食事などいかがでしょう?」
「"悪いけど、今ちょっと立て込んでて。ごめんね"」
「そうでしたか。ではまたの機会に」
やんわりと断りをいれる先生に、ハルナもやや残念そうにしていた。先生の言葉でハッとなったけど、そうだ、現に私たちはとても忙しい。返済していたお金がそのままカイザーローンを通してカタカタヘルメット団へ資金提供されていたり、ゲヘナから風紀委員会が押し寄せてきたり……次から次へと問題が起きている。行き着く間もないというか、なんだか先生が来てから物事が一気に動き始めたような。一体、私たちはこれからどうなるんだろう。
なんとなく思考が暗くなる私を他所に、風紀委員長が溜め息混じりに言う。
「ハルナ……また飲食店を爆破するつもり?」
「酷い言い草ですわ。私たちはただ食事に来ただけでして、そもそも、最初からそのような強硬策に出るつもりもありません。あれらは美食に対し不誠実な行為を働いた者への、正当なる抗議です。そう、つまるところ警鐘を鳴らしたに過ぎません」
「要するに、気に入らない店を勝手にふっ飛ばしただけじゃない……まあいい。先週も牢屋に入れたばかりだし、問題を起こさないならこっちもとやかく言わないわ」
「ええ、そうしてくださると助かります。美食が損なわれない限り、私たちも風紀委員会と事を構える気はありませんので」
……とてつもなく不穏な単語が会話の節々から聞こえてきたけど、それについて私たちも人のことをあまりとやかく言えない事情があった。これには皆揃って苦笑いを浮かべるしか無い。
「それじゃあ先生。確かに伝えたから」
「"うん。またね、ヒナ"」
屈託ない微笑みを浮かべ、ひらひらと手を降る先生。風紀委員長の子も少し気恥ずかしそうにしながらも、その小さな手を振り返そうとして──、
「──随分と賑やかだな。私も混ぜてくれよ」
聞き覚えのある声とともに、鳴り響いたのは一発の銃声だった。
「──ッ!?」
瞬間、風紀委員長の小柄な身体がぐらりと揺れる。有無を言わせない完全な不意打ちだ。しかしあわや崩れ落ちる寸前で持ち堪え、たたらを踏むに留まる。そして射て刺すような鋭い眼光が声の主にその矛先を向けられ、合わせて私含めたその場の一同も彼女の視線を辿った。そして、思わず目を剥く。
「元気にしてたか? ヒナ。逢いたかったぞ」
「鱶鮫、カノン……ッ!」
視線の先、路上に佇んでいたのは獰猛な笑みを浮かべた因縁の相手だった。その手に握った無骨なリボルバーを構えた姿勢で、彼女がゆるりとこちらを見やる。銃口には薄っすらと立ち上る硝煙。誰が発砲したかは確認するべくもない。
「それからホシノも。あの日以来、お前のことを考えない日はなかった」
「……身体治るの早いんだね~、堕天使ちゃん」
辟易したような声音で、少し冷めた目つきをしたホシノ先輩がカノンを見据える。まるで、どこかで会ったような物言いだった。そこでふと、数日前の光景が頭の片隅に過ぎる。
皆にカノンのことを伝えた日、いつもなら屋上でサボっているはずのホシノ先輩がどこにも見当たらなくて、やっと帰ってきたと思えば制服はボロボロでおでこにはたんこぶまで作っていた。先輩はその時『ヘルメット団に不意打ちされちゃってさ~』なんて誤魔化していたけど、ホシノ先輩に限ってヘルメット団程度に遅れを取るはずがないのは皆も分かっていた。だから必然的に、ヘルメット団以上の何者かに襲われたことになる。当然ながらセリカもアヤネもノノミだって、皆そう思って先輩に詰め寄った。だけどのらりくらりとはぐらかされてしまって、結局聞けずじまいだった……でも、これで確信できる。
「ホシノ先輩……やっぱり、あの日彼女と戦っていたんですね……」
「ん、間違いない」
ノノミの言葉に、私も強く首肯した。
「それで、今日は何をしに来たのさ。この前の仕返し?」
然りげ無く私たちを守るように一歩前に出たホシノ先輩が問いかける。喋り方もいつもののんびりとした柔らかなものではなく、トーンを一段落としたどこか突き放すような冷たさを伴うもの。
「いいや?
「ええ、そうですわ」
カノンが声を投げると、意外な人物が返答してみせた。声の主は美食研究会の会長だというハルナ。友人と言うには、奇妙な関係に思える。
「悪いな、少々遅れた。活きの良い梟と戯れていたものでな」
「あら、夜勤明けでしたか? 言ってくださればよかったのに。そういうことでしたら、構いませんわ。私たちの仲ですし。まあそんなことより、あちらをご覧ください」
一触触発の状況でもさして気にする様子もなく、ぴしっとある方向へ指を指すハルナ。
「……柴関ラーメンはあの位置だったはずだが」
「はい、木っ端微塵ですわね。なにやら込み入った経緯があるようですが、最終的に破壊するに至ったのは風紀委員会による砲撃だそうです」
「へえ、風紀委員会が。美食研をテロリストだなんだと言う割には、自分たちもしっかりやることやってるじゃないか。見直したよ、ゲヘナってのはそうでないと面白くない」
感心した、とばかり手を叩くカノンの姿は、誰から見ても煽っているとしか思えない。見かねて、風紀委員長が心做しか語気を鋭くさせて切り込んだ。
「その件に関しては、既に私から公式に謝罪をしているわ。店主の方には後日しっかりとこちらから賠償金を支払うし、アビドス側もそれでひとまずは納得してくれた」
「ですが、それは貴方がたの話でしょう? 私たちは依然として納得しておりません」
ムッとした表情でなんだか矛盾した発言をしてみせた美食研会長に、こちらのセリカがクエスチョンマークを頭上に浮かべて訊ねてみた。
「え? でもあんたたちさっきそういうことなら仕方ないって言って……」
「確かに、そのような物言いはしました。しかし──それとこれと話は別ですわ!」
拳を握り締め、ハルナが否と吠える。
「私たちが納得したのは、やむを得ない事情で今回食す予定だった柴関ラーメンが見送りになったこと。カノンさんの口伝によれば、美食に値するに相応しいお店であったと言うではありませんか! 美食とはすなわち、全人類が享受して然るべきもの。それを提供する店舗をどのような大義名分があって爆破したかは存じませんが……」
目尻を吊り上げ、敵意を顕にするとこれまたビシィッと鋭く風紀委員長を指差す。
「これは正しく美食の冒涜! 美食への挑戦に他なりません!」
僅かな沈黙。一同の心境は『何を言ってるんだろう』で統一されていたことだろう。皆揃って困惑した表情を浮かべるしか出来ない。キメ顔で言ってのけた当の本人はと言えば、言ってやったと言わんばかりに得意げな顔をしていた。
「ね、ねえハルナ。まさか風紀委員長と戦うつもり?」
「無論です。このような暴挙、立ち上がらずしては美食研の名折れですわ!」
「ん~、確かにせっかくの美味しいラーメン屋さんが爆破されて、黙って見ているわけにはいきませんね。ということで、ヒナさんにはお灸を据えちゃいましょう☆」
「うう、朝ご飯抜いてきたのに、この仕打ち……こうなったら空腹で倒れる前に全部倒すしかない!」
「イ、イズミまで……わ、わかったわよ! やってやるわよ! 風紀委員長だろうとなんだろうとギッタギタにしてやるんだから!」
美食研会長のメンバーもそれぞれ腹は決まったみたいで、各々の武器を手に戦闘態勢にはいる。それを目にして、風紀委員長の子も大きく溜め息を吐いた。
「はあ……まさかこんなことになるなんて。一応聞くけど、どうあっても戦うつもりなの?」
「ええ。美食の名誉にかけて、風紀委員会もろとも成敗致しますわ」
「いつからあなた達は義賊になったの……まったく」
苦労しているんだな、という様子が会話の節々から感じ取れる。立場上、ああいった手合いを常日頃から相手しなければならないなんて……私には到底無理だ。
と、そうこうしていると撤退準備を進めていたであろう風紀委員達が、先程の銃声を聞きつけて戻ってきた。とはいえ、人数は少なく銀髪の狙撃手と眼鏡と赤手袋が特徴的な後方支援の生徒だけだ。部隊はそのままにひとまず彼女らが様子を見に来たのだろう。
駆け寄ってきた二人は、対峙する美食研とカノンを目にして分かりやすく狼狽える。
「ヒナ委員長? なんかさっき銃声が……ってうわ! 鱶鮫カノン!? なんでアビドスなんかにいるんだ!?」
「それに美食研究会まで……委員長、交戦しますか?」
「そうね、でも部隊は後方で待機させて。これ以上の損害は通常業務に支障が出る。……といっても出し渋れる相手じゃないのも確か。イオリとチナツは美食研の相手をして。向こうもやる気みたいだし、仕方ないから制圧して牢屋で頭を冷ましてもらう。……けど問題は──」
視線の先を見やる。見据えられるのは、やはり鱶鮫カノンだ。ゲヘナからしても相応の脅威として認識されているらしく、彼女に向けられる目線は緊張を孕んでいる。浅からぬ縁……というより因縁に近いそれは部外者の私でさえも容易く見て取れるほど。
「ではカノンさん。そういうわけでして、よろしければ共闘致しませんか? 啖呵を切っておいて情けない限りですが、私たちでは流石に多勢に無勢ですわ」
「皆まで言うな、端からそのつもりだ。それに、私もお気に入りの店をふっ飛ばされて思うところはある。ハルナたちの流儀に則って言えば『美食を蔑ろにされたから』だろうな」
「ふふっ、なかなか染まってきましたわね」
「お前たちがあちこち連れ回して刷り込んだからだろう」
並び立った二人は、軽口を叩きながら共闘を結んでいた。カノンの実力は言わずもがなだけど、美食研究会の会長であるハルナのそれは未知数だ。もしかしたら、カノンよりも強い、なんてこともあるかもしれない。
それを相手取ろうとしているのはゲヘナの風紀委員会の総力と、そのトップ。想像すら及ばない激戦になるのは間違いない。きっと、この一帯が戦火に巻き込まれるだろう。余波もどこまで広がるか検討もつかない。
そんな事を考えていると、無線越しに慌てた声色のアヤネが物申す。
『ま、待ってください! ここで戦闘するつもりですか!?』
「え、また!? 風紀委員会だか美食研究会だか知らないけど、ここは私たちの街なんだから! やるなら他所でやんなさいよね!」
セリカも便乗して抗議の姿勢を見せると、風紀委員長はバツが悪そうな表情を浮かべた。
「……悪いけれど、こうなってしまった以上、彼女たちとの戦闘は避けられない。先程謝罪したばかりだけど、どうか理解してほしい。戦闘で生じた修繕費もこちらが持つ」
『ですが……』
「ん~……じゃあさ、私たちも手伝うよ」
そう言って申し出たのは我らが廃校対策委員会の委員長、ホシノ先輩だ。
「それは、私たちとしては有り難い申し出ではある。でも、きっと激しい戦闘になる。カノンに関しては知っているようだけど、美食研もここのところ腕を上げてきているから」
「って言われてもセリカちゃんが言うようにここは私たちの自治区だしさ、黙ってみてるわけにもいかないじゃん? まあ任せてよ、少数精鋭で今までやってきたし、足手まといにはならないと思うよ? それに、今ならシャーレの先生だっているからね」
「先生……噂に聞く指揮能力を確かめるには良い機会かもしれない。……わかった。協力してほしい」
先生を一瞥し、少しだけ考える素振りをみせてから風紀委員長はその申し出を受け入れた。カノンには私もリベンジしたかったこともあって、内心で小さくガッツポーズする。前回は一人だったけど、今度は多人数戦。ん、数の暴力を教えてあげる。
などと浮足立っていると、やや遠巻きに事態を見守っていた先生が騒動の要因となった二人に数歩歩み寄る。いくら相手が生徒とは言え、ヘイローを持たない先生は銃弾一発で命取りになってしまう。突然撃たれやしないか私はハラハラしながら、いつでも引き金を引けるようにしておく。
「"ハルナ、銃を収めるつもりはない?"」
「愚問ですわ。この黒舘ハルナ、美食の敵を前にして見逃すほど甘くはありません」
「"そっか。ええと、じゃあそっちの子は──"」
強い信念を持っているようで、美食研の子は先生の言葉にも傾かない。先生自身も、無理矢理説得する気はないみたいであっさりと引き下がる。そして問題のカノンに訊ねると、彼女はほんの少しだけ興味深そうに対話の姿勢を見せた。
「そうか、お前がシャーレの先生か」
「"うん。よろしくね。君のことはなんて呼べばいいかな?"」
「鱶鮫カノンだ。好きに呼ぶと良い」
「"じゃあ、カノンって呼ぶね。カノンはどうしても戦いたい? さっき食事に来ただけって言ってたけど……"」
「ああ言ったな。だが気が変わった。考えても見ろ、あのゲヘナ最強と名高いヒナと、アビドスの『暁のホルス』が一同に介してる。有象無象で数はこっちが不利だが、幸いハルナたちと共闘だ。一方的に潰されることもないだろう。何よりこんな機会滅多にない。だったら、楽しまなきゃ嘘だろう? 何かおかしなこと言ってるか?」
「"……それは、ヒナたちが不本意だとしても?"」
「不本意? 犯人が逮捕を嫌がったら見逃す警官がいるのか? キヴォトスの外とやらにはいるとでも? アンタが言ってるのはそういうことだ」
予想外の回答に、思わず先生もフリーズしてしまった。耳にした私も呆気にとられたほど。そして瞬時に理解した、このカノンという少女は会話が通じないタイプなのだと。
「……にしても、先生とやらは指揮能力に秀でているとは聞いていたが、こうして見ると至って普通だな。戦闘がこなせそうな体つきにも見えん」
極めつけは、まじまじと先生の全身を頭の天辺からつま先まで眺めた総評がこれである。唖然とする先生にカノンは冷たい口調で畳み掛けていく。
「外から来た人間ってのは銃弾一発で致命傷なんだろう? ヘイローがないのは不憫なことだ。死にたくなければ引っ込んでいろ、死なれると上が煩いからな。……ああ、車両を盾にするんだったらエンジン部分でカバーしておけ。キヴォトスじゃ基本防弾性も込みで製造されてるが、なんでもかんでも防げるわけじゃない。使い手に依っては抜かれるぞ」
「ん、先生。言う通りにしたほうが良い。多分、激戦になる」
「"……分かった"」
私は立ち尽くす先生の袖を引っ張って後ろに下がらせる。気を取り直した先生はなんだか苦い顔をしていた。……カノンという生徒は多分、先生みたいな人には荷が重いと思う。そう思わずにはいられなかった。
「シロコか。調子はどうだ?」
眼前に出た私を見据えて、カノンは表情をちょっぴり柔らかくした。もしかしてだけど、あれ以来私が思っている以上に気に入られたのかも。
油断無く銃のグリップを握って返答する。
「おかげさまで。盾の対策もしてきた……でも、今日は持ってないんだね」
「ホシノとやり合った時に消耗してな。その代わりに持ってきたのがコレだ」
そう言って構えてみせたのは、回転弾倉式のグレネードランチャーだった。これが今回の副兵装ということなのだろう。しかしアサルトライフルだけは変わらず携行していることを考えると、恐らく彼女の装備は日によって、或いは気分でコロコロと変わる可能性がある。銃を複数持ち歩く生徒は稀に見かけるが、簡単に乗り換えるというのは珍しい。
せっかくホシノ先輩に稽古をつけてもらったのに、と私は少しだけ肩を落とす。そんな私とは対象的に、カノンは戦闘を前にして目を爛々と輝かせていた。
「今日は良い日になりそうだ。ヒナとホシノ、それから風紀委員会にアビドスの面々……全員まとめて相手にできるなんて贅沢だ。楽しまなきゃ損だろう?」
心の底からそう思っているのは、声音で分かった。これが彼女の偽りのない本心で、そこに複雑な意図は何一つ混ざってもいない。シンプルと言えば聞こえは良いけど、あまりに突き抜けすぎている。
「構えろよハルナ、久々の共闘だ。奴らに目にもの見せてやるとしようじゃないか」
「ええ。美食の何たるかをその身に叩き込んで差し上げますわ」
好戦的な笑みと、不敵な微笑み。最高潮に高まった緊張感により、全身の神経が鋭く洗練されていく。その場の全員が戦闘態勢に入り、先生も安全な位置を確保した。
そして──、
「"……来るよ!"」
その日、アビドスで最も激しい銃撃戦が幕を開けた。
※ストックが尽きたので投稿間隔が空きます。週に1、2話のペースになるかと思いますので、気長にお待ち下さい。