紅月の救世少女(こうげつのきゅうせいしょうじょ) 作:くにゅたろ
村瀬翔太は、平凡なサラリーマンだった。毎朝満員電車に揺られ、上司の指示通りに仕事をこなし、家に帰れば寝るだけの生活。楽しみといえば、週末に安いビールを飲むことくらいだ。
「俺の人生、これでいいのか?」
何度もそう考えたが、変える勇気も方法も見つからない。特に夢もなく、ただ流れるように30年を過ごしてきた。
そんなある日、仕事帰りの夜道で、ふとスマホを見ながら横断歩道を渡っていると――
「危ないっ!」
ドンッという衝撃とともに、翔太の身体は宙を舞った。視界が一瞬で暗転し、全身を貫く激痛が消えると、不思議な静けさが訪れた。
「これで終わりか……俺の人生」
翔太は意識を手放すように目を閉じた。
――そして目覚めたのは、暗闇に包まれた異世界の地下施設だった。
自分の姿を確認する間もなく、首元に冷たい金属の感触が走る。手で触れると、それが首輪であることに気づいた。だが、鏡があるわけでもなく、自分の体に何が起きているのかを正確には理解できない。ただ、どこか軽やかで小柄な感覚が、自分の体が以前とは違うことを示していた。
「ここは……どこだ?」
小さな声が耳に響いた。自分の声とは思えない高く澄んだ音色だった。それが、自分がもう「村瀬翔太」ではないことを示す最初の手がかりだった。
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湿気のこもる空気に混じる錆びた金属の臭いが鼻を刺した。暗闇の中、朽ちた鉄の扉や壁に囲まれた空間に、目覚めたばかりの翔太――いや、今は名前すら持たない存在が座り込んでいた。
「どうして、こんなところに……」
呟きながら、小柄な手足を動かし立ち上がる。視界に映る自分の体が以前と異なり華奢であることに違和感を覚えたが、今はそれを考える余裕はない。ただ、眼前に広がるこの世界の状況を受け入れるだけで精一杯だった。
翔太は暗闇の中、慎重に足を運びながら周囲を探った。壁はひんやりとしており、鉄の錆びついた臭いが鼻を突く。どこからともなく水滴が滴る音が響き、重苦しい静寂が地下全体を包んでいた。
「出口を探さないと……」
小さな声が、まるで自分を鼓舞するように漏れた。だが、暗がりの中を進むにつれ、不安が募っていく。見知らぬ世界、見知らぬ自分の体――そして首に巻かれた首輪の存在が、現状の異常さを否応なく突きつけてくる。
やがて、目の前にかすかな明かりが見えた。それは、壁に取り付けられたランプがぼんやりと灯している小さな空間だった。翔太はそこへ進み、改めて自分の体を確認するために手足を動かしてみた。
指は細く華奢で、体全体も軽い。以前の自分――がっしりとした男性の体とはまるで別人だ。そして、自分が高く澄んだ声で話していることにも気づく。
(まさか、俺は女になっているのか……?)
信じがたいが、それが現実であることを認めざるを得なかった。明かりに照らされた影を見ると、映るのはスリムな体型に長い髪を持つ少女のシルエット。さらに、ぼんやりと壁の反射に映った赤い光が目を引いた。
(赤い……目? なんだ、これは……)
鏡がないため、詳しい自分の顔は確認できない。だが、この体が自分のものではないことは明白だった。困惑しつつも、この異常事態をどうにか理解しようと頭を巡らせる。
(どうしてこんなことに……俺は死んだんじゃなかったのか? いや、それより今はここを抜け出さないと……)
先へ進むべきか、それともこの場に留まるべきか悩んでいると、不意に遠くから響く音が耳に入った。それは、足音と、何かが引きずられるような不気味な音だった。
「……誰かいるのか?」
反射的に呟いた声は、暗闇に吸い込まれていった。次の瞬間、その足音がこちらへ向かっていることに気づき、翔太は咄嗟に壁際の影へと身を潜めた。