紅月の救世少女(こうげつのきゅうせいしょうじょ) 作:くにゅたろ
瓦礫に埋もれた街を進む中、空気の張り詰めた感覚が一行を包んだ。カインが静かに手を上げ、全員の動きを止める。
「静かに。……何かがいる」
かすかな音。崩れた壁の向こうに、人影が現れる。どこかぎこちない動き、そしてその影の数は次第に増えていった。
「ゾンビ……群れだな」
デルクが短く告げると、カインが冷静に指示を出す。
「全員配置につけ。リリスはラナの後ろで待機だ」
リリスは手にしたナイフを握りしめるが、その手は少しずつ汗ばんでいた。仲間たちはすぐさま行動を開始する。
ラナが弓を構え、次々と矢を放つ。その動きは無駄がなく、まるで舞うように正確にゾンビたちの動きを止めていく。デルクはトレンチガンを構え、一発ごとに群れの勢いをそぎ落とす。
「よし、これで半分は片付いたな」
デルクが息を吐く間もなく、カインが剣鉈を抜き、ゾンビの群れに果敢に突き進む。その動きにはためらいがなく、リリスから見ても頼もしさしか感じられなかった。
しかし、彼女自身は何もできなかった。仲間たちが戦う姿をただ見ていることしかできず、握りしめたナイフがひどく重く感じられる。
一行が瓦礫の街を進むと、乾いた風が通り抜ける音が耳に響いた。風に混じるのは、腐敗した臭いと焦げた何かの香り。どれも、この世界の悲惨さを物語っている。
リリスは、目の前の光景に眉をひそめた。灰色の空は薄暗く、まるで時間が止まったように同じ色を保ち続けている。遠くに見える崩れかけた塔は、地上に残されたわずかな文明の名残だった。
「どうやらここも、もう長くは持たなそうだな」
カインが辺りを見回しながら言った。彼の声は、焦げた鉄や焼けた木材が混ざる空気の中で重く響いた。
足元の瓦礫を踏みしめるたび、リリスはこの世界の現実を実感せざるを得なかった。この世界には、前世で慣れ親しんだものは何一つない。周囲のすべてが異質で、冷たく、そして絶えず生存を脅かしてくる。
「それでも、俺がこの世界にいる理由はあるはずだ……」
そう考えながらも、リリスは自分の見た目に違和感を抱いていた。
歩きながらふと見た自身の手。それは細く、血管の浮き出た成人男性の手とはかけ離れている。リリスは内心で苦笑した。
「まさか、こんな体になるとはな……」
長い髪が風に揺れるたび、少女としての自分を意識せざるを得ない。しかしその内面は、前世の男としての思考と感覚が残っていた。
「リリス、大丈夫か?」
デルクが後ろを振り返り、声をかけた。その声にはかすかな優しさが込められている。
「あ、ええ、大丈夫です」
気を引き締めるため、リリスは前を向いた。しかし、彼女の目には依然としてこの世界の異様な光景が映る。
地面には黒く焼け焦げた跡が点々と広がり、そこに生える植物はどれも色彩を失ったかのようにくすんでいる。風が運ぶ音は不気味に歪んで聞こえ、何かが潜んでいるかのような気配が常に付きまとっていた。
一行が次の建物に足を踏み入れた瞬間、湿った冷気が彼らを包んだ。建物の内部は外の乾燥した空気とは対照的に、湿度が高くひんやりとしている。リリスはその温度差に思わず身を震わせた。
「寒いか?ここは陽が差さない場所だからな」
カインが低い声で言う。その声が広い空間に反響し、何かが返事をするように感じられる。
「寒いというか……なんか嫌な感じですね」
リリスが正直に答えると、ラナが小さくうなずいた。
「私もそう思う。ここには……何かいる」
その言葉に一行の緊張が高まる。デルクはトレンチガンを構え、カインは剣鉈を手にした。
「ここで油断したら終わりだ。全員、気を引き締めろ」
彼の言葉が、冷たい空間の中に溶け込むように響いた。その瞬間、リリスの胸にまた新たな決意が生まれた。
「俺だって、この体だろうと、生き抜いてやる」
彼女の中で、男だった自分と今の自分が重なり合いながら、未来への一歩を踏み出していた。
「私も……何かしなきゃ」
その思いが胸を突くが、恐怖が足を縛り付けている。
突然、ゾンビの一体がラナに向かって近づいた。ラナが反応する間もなく、リリスの目の前に危機が迫る。
「……動かなきゃ」
しかし、ナイフを振り上げる手が止まる。その瞬間、カインが横から駆けつけ、一振りで危険を取り除いた。
「大丈夫か?」
リリスはうつむき、小さくうなずく。
「……ごめんなさい」
「謝ることじゃない。今はそれでいいんだ」
カインの声は冷静だったが、その中には確かな励ましが含まれていた。
戦いは収束し、静けさが戻る。周囲に散らばる倒れた影を見ながら、リリスは自分の無力さを痛感していた。しかし、その中で小さな決意が芽生えていた。
「次は……私も守る側に立てるように」
彼女の心に生まれたその思いは、これからの一歩を支えるものになるだろう。