灰の少女は旅をした   作:甲乙

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旅の始まり

 

 貴公には見えないのか

 こんなにも空が燃えているのに

 

 

 

 

 

 

 ただ灰だけがあった。

 どこまでも広がる灰の大地。灰に埋もれ、そして灰となろうとする全て。灰色の空。まるで世界が創世の時まで遡ったか、あるいは終焉の時を過ぎ去ったかのような。

 後者であった。

 

 

 

 灰の中で動く存在がひとつ。否、ひとり。

 さくりさくりと、華奢な両脚が灰を踏み、その足跡の周りで火の粉が舞う。炎と呼ぶには煌きが過ぎ、黄金と呼ぶには昏い、そのような色で。

 黄色の火が、ちらちらと舞う。

 

 

 

 ぴい、いぃ、と。指笛の音が響いた。

 動くものがひとりしか無い世界で、それを吹くものは無く。そしてそれは彼女ではなかった。

 

「――……、……トレント」

 

 彼女。そう、動くそれは少女であった。

 トレントと、何かの名を呟いた少女は頭を覆うフードを下ろす。積もった灰がはらりと落ち、落ち出でた髪もまた灰色。否、煤けたそれには確かに、赤いかつての名残も見て取れる。

 ゆらりと体を折った少女は、灰に埋もれた何かを掬いあげる。細指の間から灰が零れ、残るは金色の輪。柔らかな黄金で象られたそれは確かな指笛であり、同時に指輪でもある。

 指笛の音は、もう聞こえない。

 

「あなたまで、置いていってしまった」

 

 一度だけ、指笛をぎゅうと握る。伏せた瞳にかかる睫毛からも灰が落ち、再び開いた瞳の色は黄金と。

 

「必ず、辿りついてみせる」

 

 そして、あなたに……。そう、つぶやいた少女の左目は、宵色に沈んでいて。

 右手にはめた指輪に唇を寄せる。無音の世界に指笛が響き渡り、(いなな)きと共に少女の矮躯は霊馬――トレントの背にあった。

 白灰色の(たてがみ)と、馬にあり得ぬ角を撫でる。かつての主の手に、トレントはただ身を擦りつけた。

 

「待っていて――狂い火の王」

 

 

 

 ▼▲▼▲

 

 

 

 彼と出会った時のことを忘れたことはない。

 いつどこで目覚めたのかも、何も思い出せないまま狭間の地を彷徨っていた私は、唯一の(よすが)だった友――トレントに導かれるままリムグレイブにいた。そしてその海辺の地下墓地に漂着していた彼を見つけたのだ。

 彼――褪せ人は既に死にかけていた。鎧どころかまともな衣服すら身につけていない体は傷だらけで、そんな貧相な身なりからは立派すぎる黄金の剣と、そして何故か蝶の死骸を握りしめて。

 

「……大丈夫よ、トレント。まだ助けられる」

 

 海水に沈み、死体の山に加わろうとする彼を案じるようなトレントを宥めて、私は懐から少ない所持品を取り出した。なぜ持っているのかも分からないそれは、黄金の聖杯を模した瓶。その中身である緋色の雫を口に含み、彼の口内へ流し込む。それを幾度か繰り返す内に、死面そのものだった顔が安らかな寝顔へと変わって。そこまでしてようやく、この褪せ人の顔がどこにでもいそうな男性のそれだということを知った。

 それでも、きっと。今は閉じられた瞳の色は。だから、きっと。

 

「この人は、エルデンリングを求める」

 

 

 

――エルデンリングに見えよ

――エルデの王になるがよい

 

 

 

 それからは、姿を霊に変えてずっと彼を見ていた。一度の敗北、一度の死で心折れるようなら王の器ではない。そんな事では、エルデンリングに見えることなど――

 

「王……エルデンリング……」

 

 頭の中の霧が晴れるように、私はそれらを知った。いや、思い出した。

 黄金樹……壊れかけの黄金律……永遠の女王マリカ……。

 導き……英雄たちの円卓……指の巫女……。

 ルーンの業……褪せ人の使命……。

 頭の奥から声がする。彼に触れたせいだろうか、その身のルーンと緩い繋がりが生まれたからだろうか、それはずっとずっと繰り返す。

 

 

 

――エルデンリングに見えよ

――エルデの王になるがよい

 

 

 

 結果を言えば、彼の心は折れていなかった。墓地でひとり目覚めた彼は何を言うでもなく、ただ進んだ。墓地を抜け出して、そこにいた怪しげな白面の男と言葉を交わし、教会の商人と取り引きした。

 そして戦った。墓地の亡者たちを斬り捨て、正気を失くした軍兵たちも倒して、黄金の重騎兵にまで挑んで……負けて死んで。何を思ったのか見つけた洞窟や地下墓地に潜って、そしてまた騎兵に挑んで。月と太陽が幾度か巡ってからようやく、大きすぎるハルバードを引きずりながら彼は先へと進んだ。

 もう、充分だろうか。いや、でもまだ。

 

「はじめまして、霧の彼方から来た人よ」

 

 気が付けば、彼の前に姿を晒してしまっていた。

 関門前を占拠していた軍兵たちを鏖殺し、血塗れの姿で血塗れの死体から装備を剥いでいた彼の姿が、ひどく危うく見えてしまって。

 褪せ人は死ねない存在。でも死ぬ度に、命の代わりに別の物を落していく。それは記憶であり感情であり、最後は心を失くしてしまう。彼は今まで、どれだけの物を落してきたのか。

 だから、すぐさま私に武器を向けてきた彼を責めることはできなかった。

 

「……私は敵じゃない。そのままで良いから、話を聞いてほしい」

 

 霊の体――既に死んだ身の私が刃を恐れることはないけれど、そうでもしないと信用はしてくれない。祝福の光の傍に座り、フードを脱いでみせれば、彼も武器を下ろしてはくれた。

「巫女なし」の彼の、巫女代わりとなる。その対価として、私を黄金樹まで連れていく。私がもちかけた取り引きを、彼はじっと黙って聞いていた。どこまでも褪せた瞳で。

 

「取り引き成立、ですね」

 

 浮かれていた、のかもしれない。亡霊同然の身でありながら、何もかも失くした身でありながら、それでも何かを取り戻せるかもしれないと。

 この選択が過ちだったというならば、私はどうするべきだったのか。

 誰か、教えてほしい。

 

 

 

 ▽△▽△

 

 

 

 関門だけが、かろうじて灰に埋もれず焼け残っていた。彼と初めて言葉を交わしたあの廃墟は、今度こそ廃墟となり尽くして灰になってしまった。祝福の残滓すらなく、それでも私がここに来たのは。

 

「あなたも、ここに?」

 

 たしかな、足跡が。風すら吹かないこの世界で灰は崩れない。とっくに失せた導きのように続く足跡だけを見つめて、私は灰の大地に歩みを進めた。

 ちりちりと、黄色い火だけが足元を舞う。

 まるで私を、懐かしむみたいに。

 

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