「愚かな野心の火に焼かれ、お前もエルデンリングを求めるのか?」
結局のところ、私の疑念はすべて杞憂だった。
彼は進み、戦った。その褪せた瞳に映る導きのまま。何を迷うこともなく。
「ならば、その火ごと消してくれよう」
……それはつまり、彼が数えきれないほどに戦い傷つき、そして死んでいったということなのだけれど。
忌み鬼――破砕戦争から幾人もの英雄を葬ってきたという謎の刺客に挑み、敗れた回数が両手で数え切れなくなってきた頃。彼は祝福の傍から動かなくなった。遂に心が折れたのかと姿を現わしてみせれば、こちらを向いた褪せた瞳にはまだ理性の色が。聞かれない程度に安堵の息を吐いてから、私は口を開いた。
「ねえ、提案なのだけれど」
まだ円卓に導くのは早い。褪せ人を歓迎しないこの狭間の地で、あそこは唯一の安全地帯でもある。まだ旅も始まったばかり、安住の地を見つけられても私が困るのだ。
心中の打算は
自分で語りながら吐き気がした。悍ましい簒奪と蒐集の道。殺し、奪い合う戦いの坩堝。それでも、だからこそ。
「王に、なるのでしょう?」
王は、その中からしか生まれない。
彼は再び進みはじめた。当面の目的地であった嵐の城――ストームヴィルに背を向けて。でもそれは逃避ではない。王へと至るに相応しい力を得る為。進む為に退いたのだ。
新しい旅路の中で、彼は戦い続けた。リムグレイブを踏破せんとばかりにトレントを走らせて、見かけた洞窟に、坑道に、地下墓に潜り込む。言葉が通じる人々とは言葉を交わし、通じないとあれば迷わず剣を抜いた。剣を向けられれば、剣で応えた。
何も持たず、素寒貧でこの地に流れ着いた彼も、戦いの才には恵まれていたらしい。元より褪せ人とは戦士の末裔。その血を濃く受け継いでいたということだろうか。
強敵や大敵を避けず、むしろ挑み。殺し殺されて、最後は勝って。得たルーンを力に変えて、その力でまたルーンを得る。武器を拾い、奪い、時には買って、遂には自分で鍛えることまで覚えて。月と太陽が幾度も巡って、その度に違う姿を見せる黄金樹と、空の色を見て。
乗馬にも慣れてきた彼の背で。霊体のままでトレントに揺られながら、狭間の地を眺めながら、私は。
――……あぁ、こんなにも
思えば私は、この時はじめて、本当の意味で世界を「見た」のかもしれない。
どこまでも広がる空、決して揺るがない大地。風が吹き、雨が降り、月と太陽が決して裏切らず巡り。数多の命が生まれて、そして消えていき。律が壊れ、不幸と呪いばかりに満ちていたとしても、それでもこの世界は、こんなにも。
――美しいと、思わない?
そう聞けなかったことを、今でも後悔している。
狭間の地の南端であるリムグレイブ。その南の、啜り泣きの半島。更にその南端に位置するモーンの城。そこに居座っていた混種たちの長を打倒した彼は、ただ波が寄せて返す海を眺めていた。
このリムグレイブにも遂に巡る場所が無くなってきた頃だった。空白だらけだった地図はもう、彼と私の旅路で埋め尽くされようとしている。
思えば、遠くまで来た
なんだか、そんな声が聞こえてきた気がして。私は嫌な予感がした。
「ねえ……もしかして、あなた。
彼が振り向いた。
私の疑念。嫌な予感。
もしかして彼は、
もしかして、
「先は長いのよ。良い? ここリムグレイブは狭間の地の南端で、東にはケイリッド、北にはリエーニエという地がある。そこにもデミゴッドと大ルーンが――」
寄せて返す波だけを眺める。霊ではなく仮初めの肉体で浜辺に座ってから、どれぐらい経っただろうか。
傍で丸くなった彼はまだ動かない。心は折れていない、ただ不貞腐れているだけ。
「……そろそろ機嫌を直してほしい。説明しなかった私も悪かったと思っている」
彼は戦士の末裔で、戦いの才には恵まれていて。でも頭の方は、そこまで良くはなかったと、その時はじめて知って。
波だけがただ打ち寄せ続ける。今日の太陽が沈もうとしても、彼はまだ動き出さない。
本当に先は長そう。思わずついた溜め息に、意味もなく呼び出していたトレントが鼻先を擦りつけてきた。
▽△▽△
かつて嘆き墓と、そう呼ばれたあの海岸には何も残っていなかった。足跡はそこで途絶え、そこで消えてしまったように何も無い。また、彼の足取りは途絶えた。
「……ここも」
これも初めてではない。彼を追ってから、何度もあったこと。それでも、身の底から感じる疲れと虚しさからは逃れられなくて。
ごろりと、あの時の彼のように丸くなる。灰に埋もれるように横になって、ずっとそのままでいたい衝動にすら駆られて。
彼も、こんな心地だったのだろうか。先の見えない旅路。過酷を極めた旅路。その先にも、過酷な戦いしか見えない旅路。どうやって、立ち上がっていたのだろうか。ずっとそばで見てきた筈なのに、私はそんな事すら知らなかった。
「……大丈夫よ、トレント。まだ消えていない」
いつかのように、いつものように鼻先を擦りつけてくるトレントを撫でて、私は立ち上がる。
大丈夫、まだ心は折れていない。
その筈だから。