「おはよう、私」
「う?」
微睡の中、声が聞こえて目を覚ますと自分と全く同じ顔が目の前にあった。
まるで鏡が目の前にあるかのような妙な錯覚に陥る。
「もう起きる時間だよ」
「あなたに起こしてもらう必要はないんだけど」
「伊都さんに起こしてもらうより、自分で起きた方がいい子でしょう?」
自分でっていうか自分に起こしてもらう、だね。
自分でなく誰かの助けを借りている時点で何か違う気がするのだけど……
目をこすりながら布団を出る。
歯を磨いている間彼女は寝癖だらけの私の髪に櫛を通してくれる。
頼んでもいないのに。
首輪をかけたあの日から、彼女はずっとこんな感じだ。
楽しそうに私の世話を焼いている。
夢の私曰く、今の彼女の目標は私を夢を超える理想の人間に仕立て上げることらしい。
首輪がかかっているというのにこうやって現実に顔を出しては好き勝手やっている。
自由奔放な夢が悪いのか、止めない私が悪いのか。
人形の夢の方はたまに私の夢の中でダンスを踊るぐらいなので、ギャップがすごい。
魔夢とはいっても、性格によって色々違うみたい。
「現実に出てくるのはいいけど、私以外に見られないようにしてよね」
「分かってるってー」
ため息を吐いていると、不意に背後の気配が消える。
櫛が地面に落ちる硬い音が響いた。
「おはよう」
振り返ると伊都さんが廊下からこちらを覗き込んでいた。
宣言通り私以外の人間が現れたから、夢は引っ込んでくれたのだろう。
「おはよー、今日の朝ごはんはなに?」
「日曜だし……ホットケーキでも焼こうか」
「やった!」
あの日から、私と伊都さんの距離はちょっと近づいた。
お互いの好きなもの嫌いなもの、学校のこと、彼の姉である母のこと、色々な話をした。
まだ家族になりきれない部分はあっても、きっとこの先家族になれる、私はそう思っている。
そうやって前の家族のことも乗り越えていくのだろう。
総じて今の私は幸せだと言えるのかも知れない、あまり自覚はないけど。
私に残された憂いはただ一つだけだった。
「どうした?牡丹」
「え……うん、何でもない」
ぼーっと廊下の先を見つめていたら、心配されてしまった。
私の見つめていた先、洋間の扉の明かりは……今日もついていない。
あの日からあの部屋の明かりが灯ることは2度となかった。
あんなにしつこく私の前に現れた犬顔の夢。
彼は姿を消した。
洋間に紅茶が置かれることもない。
そのことが私の中で憂いになっていた。
……………………………
…………………
……
鏡の前でハンガーにかかった制服を身体に当ててみる。
うーん。
前の学校の制服も着慣れるほど着たわけじゃないけど、新しい制服はやっぱり見慣れなくて変な感じだ。
当然だけど転校する学校に、知り合いは1人もいない。
慣れない環境で1人。
そのことを考えると憂鬱だった。
「似合っていますよ」
「うぇ!?」
背後から聞こえる低い声に私は飛び上がる。
伊都さんが覗きにきたのかと思った。
だけど違った。
振り向くと少しだけ空いた扉から犬の鼻面が覗いていた。
「ロク!」
呼びかけた私に構うことなく、鼻が引っ込む。
階段を降りる音が聞こえる。
今までどこに行っていたのか?
なんで急に姿を消したのか?
私の知らない魔女のこと…………聞きたいことは山ほどある。
制服を大急ぎでラックにかけると、私は彼を追って部屋を飛び出した。
転げるように階段を降りた先で洋間の扉が閉まるのが見えた。
洋間に電気が灯る。
久しぶりの光景だった、ここのところこの窓から光が差し込むことはなかったから。
息を整えて、扉を開ける。
彼はそこにいた。
いつものようにソファーに腰かけてはおらず、旅行鞄を広げ荷物を整理していた。
旅行カバン……?
どこかへ行くつもりなんだろうかこの犬男は。
「今晩は、お嬢さん」
まだ昼間だけど……夢ジョークかな?
まぁ夢って基本夜に見るものだし、夢にとっては夜の挨拶が標準なのかもしれない。
……ってそんなことよりっ!
「今までどこへ行ってたのよ!?」
「いえ、少々支度を」
私の剣幕もなんのその、ロクはのらりくらりと鞄に荷物を詰めていく。
何だかその荷物たちに見覚えがあるような…………
訝しげに私が目を細める中、ロクは音を立てて鞄を閉めた。
「支度って、そんな大荷物でどこへ行くのよ」
「私たちはこの家を去ろうと思います」
「…………え?」
この家を去る?
しかも“たち”?
……この家の魔夢たちを連れて行くということだろうか。
「それって…………大丈夫なの?」
首輪のかかっていない魔夢が現実を闊歩することになるけど。
私……この家の魔夢管理できてないよ?
「さぁ、どうでしょう?」
どうでしょうじゃないよ。
鞄を持って立ち上がるロクの行手を阻むように私は回り込む。
今行われているのは紛れもなく魔夢たちの脱走でしかなかったから。
「それ、魔女として止めてます?」
大きな目が私を見据える。
野良犬みたいな感情の見えない瞳。
怒った時とはまた違う、つかみどころのない表情。
魔女として止めるというなら、こちらも魔夢として振る舞う、その瞳は存外にそう伝えていた。
少し、怖い。
私が魔女として魔夢を封印できたのは、ロクに鍵を貰っていたからだ。
今、私の手元に鍵はない。
止めるも何も私にはどうすることも出来ないのだ。
「そうだよ、あなたの目の前にいるのは、魔女の卵なんだから」
だけど、私はそう言い切った。
祖母のような魔女になりたい、魔夢から家族を守りたい……新しい夢から私は目を背けなかった。
魔女として魔夢の前に立ちはだかる。
ロクは予想外ととばかりに目を見開くと……
ニコリと破顔した。
「いいですね!まるで茉智お嬢様を前にしたようなこの感覚」
ロクはニコニコと私の頭を叩いた。
おい。
私が鍵を持っていないからって舐めてるでしょ。
その時、低い音と共に床が震える。
何この音?
………………汽笛?
「お嬢様の相手をしてやりたいのは山々ですが、列車が来たようです」
「ちょ!?待って」
洋間の黒い扉が汽笛の音と共に音を立てて開く。
まるで煙のように、ロクは私の制止の手をすり抜け、扉に吸い込まれていく。
「止めたいのなら、私を探してみることです、魔女様」
バタンッ!
扉が閉まる音と共に全てが掻き消えた。
黒い扉も、ロクも。
扉があった場所には大きなガラス棚が鎮座するばかり。
夢の香りはすっかり拭いされてしまった。
「あぁ、もう!!」
棚の前で地団駄を踏む。
あの祖母の使いは行ってしまった。
ちょっと前には祖母の恩義がどうとか言って私に手を貸してくれていたのに、どういう風の吹き回しだ?
もう封印が完全に解けたということだろうか。
洋間の中を見渡す。
ガラス棚の中の物がいくつかなくなっている。
やっぱり、ロクが旅行カバンに詰めている物になんだか見覚えがあると思った。
多分、棚から消えた物品は夢の通い路だったのだろう。
この家に封印された夢がまとめて脱走してしまったらしい。
やばい………………のか?
ロクはこの家には沢山の夢が封印されていると言っていた。
だけどその封印が解けかかっている割に、現実はおとなしいものだった。
現実に姿を現したのは人形の夢だけ。
ロクが抑えていた?
そんな様子はなかったけど。
「どうするの?」
背後から囁く声。
振り返ると夢の私が洋間のソファでくつろいでいた。
「魔女の卵として頼もしいところを見せて欲しいものだね、私」
夢の私が生意気に微笑んだ。
「どうするも何も、見つけるしかないでしょ」
ロクは言った、私を探してくださいと。
それは存外に魔夢という存在の本質をついていた。
ロクを見つける必要がある。
彼がどういう存在なのか理解しなければいけない。
そうすることで自ずと彼の核心、夢の通い路を見つけることができる。
だけど…………
「困ったことに、彼のこと何も知らないのよね」
「そうだねぇ」
私は彼のことを何も知らない。
祖母の夢だったこと、祖母のため紅茶を淹れ続けていたこと、知っているのはそのくらいだ。
そもそも、犬なのか人なのか……それすら分からない。
夢の私の対面のソファに身を沈める。
探せと言っても、彼のいる場所なんてこの洋間以外考えられなかった。
「お婆ちゃんは何故彼を夢見たのかな?」
「知らないよ、そんなこと」
私の問いに私は首を振る。
あの祖母が何を夢見て魔夢を生み出したのかなんて、見当もつかなかった。
項垂れる私と、綺麗な姿勢で首を傾ける私。
私たちにとって彼は既知だが未知すぎた。
「分かっていることが一つあるよ」
ややあってから、夢の私が指を一本立てて言った。
「なに?」
「彼は自由を欲した」
そんなことは知っている。
この家から出ていくと言うことはそういうことだ。
彼は目の前の私の魔夢がそうしたように、魔夢としての望みを叶えるつもりなんだ。
夢という不確かな存在ではなく、実在の存在になろうとしている。
「だけど、彼は魔女としての手ほどきを私に教えてくれたでしょ」
「うん、そうだね」
魔夢を封じ込める術、それを教えてくれたのは彼だ。
魔夢の存在も、夢を見ているか確かめる方法も、彼がいなければ私は知りようもなかった。
「それって矛盾していない?」
矛盾は……していると思う。
自由になりたいのに、自分を縛る存在を育てる。
おまけに彼は魔女として立ち塞がった私を見て嬉しそうな顔さえした。
私に封じて欲しい?
いや…………そんな風には見えなかったけど。
「…………お婆ちゃん?」
彼からいつも感じたのは祖母への敬意。
私を祖母の忘れ形見と言った。
彼は祖母のためずっとお茶を汲み続けていた。
祖母を慕っていた。
私を助けたのは私のためではなく、祖母のため、そんな気がする。
「分かってきたじゃない」
夢の私が知ったような口をきく。
自分だって彼の正体を知らないくせに。
「そんな魔夢が自由になったら何をするのかなぁ?」
祖母へ忠誠を誓った魔夢。
彼女の使いと自らを称する彼が望む自由とは?
うーん………………
「そういえば……」
一つだけ思い当たる節がある。
彼がそこにいるという保証はどこにもない。
ただ…………そこにいて欲しいと思った。
……………………………
…………………
……
「あっ!いた」
本当にいたよ、この犬。
あっけなく、私は彼を見つけた。
まさか最初のアイディアが正解するとは思わず、私自身が驚いてしまう。
こんなに簡単に見つかる???
その犬顔の夢は静かに佇んでいた。
じっと動かずに前を見つめていた。
お墓の前で。
家からほど近くの霊園、そこに祖母の墓があった。
魔夢たちはあの家に封印されていた、もしそれがあの家から出られない、という意味だったら。
もしかしたらロクはお婆ちゃんのお墓参りをできていないんじゃないか、そう思った。
あれだけ祖母の恩義を示していたヤツが、墓参りもなしに自由を満喫するとは思えなかった。
その予想は、当たっていたみたい。
「お婆ちゃんにお別れを済ませてたの?」
「ええ、お嬢様の訃報を聞いてから、ずっと……お参りしたいと思っていましたから」
墓石を見つめるその横顔は珍しく憂鬱そうだった。
やっぱり……本当に、祖母を慕っていたんだ。
彼の言葉を疑っていた訳じゃない、でも墓標を見るその瞳は私に向けられるものとは全く違くて…………
彼の中の祖母の大きさを実感した。
「…………さてと、私を見つけたからには認めざるをえないですね、貴方様を魔女と」
お参りを済ませた、ロクが私の方へ向き直る。
その瞳に宿る感情がなんなのか私には見当もつかない。
ただ、私を魔女と呼んだ時だけ、少し……懐かしそうだった。
「もう、薄々勘付いているかもしれませんが、私たちは首輪が外れたからといって好き勝手するような悪夢ではありません。私たちは皆……茉智お嬢様の使いであり、友でしたから。首輪が外れたとて忠犬は逃げたりしない、そうでしょう?」
そうだね。
あなたは祖母が来なくても、ずっと紅茶を淹れて待っていた。
もうその忠誠心を疑いはしないよ。
でも…………
「なら、なんでこんなことを?墓参りがしたいなら言ってくれれば止めたりしなかったのに」
洋間でのロクの物言いは、まるでもう帰らない、そう言っているみたいで……だから私は止めた。
今真意を聞いても、彼らから自由を望む意思が見えてこない。
首輪なんてなくても、彼らは祖母への忠義を守って実在の存在へと変異しなかった。
唯一例外があるとすれば、私を懐かしんで現れた人形の夢くらい。
「勘違いしないで欲しいのですが、魔夢が皆こうな訳ではないのです。私たちはただ、優しい魔女に絆されただけ……お嬢様に説いた魔夢の危険性も嘘ではありません」
「分かってる、自分の夢に消されかけたんだよ、私」
魔夢の危険性は今更説かれるまでもない。
夢が実際の存在となる脅威。
もしその夢がとんでもない悪夢だったら?
考えたくもない。
魔夢はきちんと管理しなければいけない、そのことに異論はない。
「そうです。我々は実在を夢見てしまった哀れな幻。ですが私たちにも忠義がある、このまま次代の魔女に封印されるのに誰も異を唱えませんでした。お嬢様は他ならぬ茉智お嬢様の忘形見なのですから」
「なら…………」
「ですが……夢に真っ直ぐなお嬢様の姿を見て、我々一同考えを変えました」
「……えぇ?」
「私たちももう少し我儘になってもいいのではないか?かつて見た夢をもう一度見ても、いいのではないか?とね」
そう話すロクの顔はいつものにやけ顔に戻っていた。
それどころかその顔はいつにもまして挑発的だった。
「ですので、今の我々一同の総意はこうです」
ロクが真っ直ぐにこちらを見つめる。
視界が揺らぎ、違和感を感じた。
何…………?
「封じれるものなら……やってみなさい、次代の魔女」
その一言と共に、世界が揺れた。
犬の顔をした名状しがたき男の存在が現実へ一歩踏み出したのを肌で感じた。
「え?」
ニヤニヤと笑う犬男の頭上に、くっきりと月が浮かんでいた。
今はまだ昼前だというのに、それは青い空に煌々と浮かんでいる。
その光に照らされて墓石の影達がザワザワと揺らめく。
ドロップを口に含まなくても分かる。
夢が、現実を侵食していた。
それも一つや二つじゃない、たくさん、たくさん。
何度も魔夢を経験した私にはそれが肌で感じ取れた。
やれるものならやってみろ?
冗談じゃない。
なんだ、必死な私を見て、かつての夢を思い出したと?
だからと言って魔夢の群れを一気に解き放つなんて、聞いてない。
ロクはたじろぐ私を見て満足そうに笑っていた。
こ、こいつ……
「とはいえ、私を見つけたのですから褒美を差し上げましょう」
「褒美?」
「ヒントをあげましょう」
怪しげな光に照らされる中、ロクは陽気な拍手を私へと送る。
問いの出題者として、回答者への褒美が与えられた。
「全てはあの家にあります」
「全て?それって……鍵も、通い路も?」
「ええ…………」
確かに、言われてみればそれはそうだろう。
祖母はずっとあの家にいたんだ。
その使い魔も、道具も、あの家に残ったままに決まっている。
私の見つけるべきもの、それは全て祖母の家にある。
「そしてこんななりをしていますが、私は犬ではありません」
「えぇ…………」
「これはあくまでも本当の姿を隠すための被り物です。そしてこれを被せたのは茉智お嬢様。お嬢様曰くお前の顔は見るのも辛い、らしいですよ」
顔も見るのも辛いって……酷い言われようだ。
もしかして祖母に嫌われていた?
にしても被り物ということはロクにもちゃんとした人の顔があるということだろうか。
というより、人だったんだ…………
それが彼の通い路を見つけるヒント、そういうこと?
「楽しみに待っていますよ、あなたに首輪をつけてもらえるのを」
ロクの身体が透けていく。
その特徴的なニヤケ顔だけ残して消えていく。
そのニヤケ顔も早く消えなよ。
最後にウィンクしてそのニヤケ顔も消えた。
後に残ったのは私と祖母の墓に添えられた花だけ、静かな霊園。
私も、祖母にお参りだけして家に帰ろう。
おかしくなってしまった空模様、夢が解き放たれたこの現実を、元に戻さなきゃ。
あの家に、全てがある。
……………………………
…………………
……
祖母の残した家、木造の古い家。
この家のどこかに、祖母の残した鍵と夢たちの通い路がある。
それは分かったんだけど……
「やっ……ばぁ、なにこれ??」
家に帰った私を待っていたのは様変わりした祖母の家だった。
外観からしてまず違う。
洋風と和風が混じった古めかしい家だったはずなのに、荘厳な洋館のような見た目に変わっている。
自由になった魔夢たちはこの家に封じられていた、だからここが一番影響を受けるのは分かるけど……まさかここまでとは。
「これちゃんと開けられるの?」
厳つくなった外装に反して玄関の扉のドアノブと鍵穴は何も変わっていなかった、なんだかチグハグしていない?
いつもの鍵で扉を開ける。
この鍵であけられるということはやっぱり見た目が変わっただけで祖母の家なのは間違いないみたい。
扉を開けるとそこはまさに異世界だった。
いつも通りの玄関、なのにその先は森が広がっている。
室内のはずなのに広がる空。
木に取り付けられたドアを開ければ見覚えのあるキッチンに繋がっていた。
家の中の空間がクチャグチャだ。
まさに夢の中という感じで振り返るたびに景色が変わっている。
全てこの家に隠されてるといっても、これじゃ探しようがなくない?
あまりに想定外の事態すぎて頭を抱えたくなる。
「ねぇ、ちょっとこれどうなってるの?」
「あ、私」
大きなウロから誰かが顔を出したかと思ったら、それは夢の私だった。
その木の裏から人形も顔を出す。
「この家に封じられてた魔夢が一気に解放されちゃったみたいで……」
2人に事情を説明する。
魔夢のこと……ロクがくれたヒントも。
「なるほどね、じゃあ手分けして探しましょう」
「探すって、どうやって?」
「見て」
夢の私は木のウロの中に入るとこちらへ手招きする。
なんだろうとその穴を覗き込むと、その中は私の部屋になっていた。
キッチンと同じだ、部屋までの空間は夢によって無秩序に変化しているけど、部屋自体は元のままだった。
「これは魔夢たちの挑戦、だから多分隠し場所には夢の影響が及ばないようにしているんだと思う」
なるほど……夢による妨害はあるけど、直接答えを覆い隠すことはしないというわけね。
このメチャクチャな夢の中で部屋を見つけ、そのどこかにある鍵とロクの通路を探せばいい。
そう考えるとなんだか希望の芽が見えてきたきがした。
「よし、じゃあみんなで探そう」
私は新米魔女として2人の使いと共に捜索を開始した。
……………………………
…………………
……
「ない……か」
かつての祖母の部屋、その机や箪笥の中を引っ掻き回してもそれらしきものはない。
机の引き出しの裏までみっちり調べたのに、何も出てこなかった。
祖母の部屋が怪しいと思っていただけに落胆が大きい。
安直すぎたのかな……やっぱりそんな簡単な場所に隠してあるはずがないか。
ジワジワと焦燥感だけが募っていく。
ロクは時間制限を告げなかった。
でも現実に夢が闊歩している現状、なんとかしなければいけない。
真昼間だというのに月が太陽に負けじと大地を照らしているし、現実への影響は見当もつかない。
「あ!」
「ん?どうした牡丹」
次の扉を開けると、そこには伊都さんがいた。
伊都さんの部屋だったみたい。
彼は読書をしていたのか、私を振り返ると栞を挟み本を閉じる。
「何か用か?」
「えっと〜……探し物?」
「なんで疑問系?」
いつもと変わらない義父の態度。
彼は部屋の外の異変に気づいていないみたい、きっと読書に集中していたんだろう。
魔夢のことを話すわけもいかないし、なんだか話しづらい。
「こんな感じの鍵探しているの、知らない?」
私の持っている2本の鍵を伊都さんに見せる。
ロクから貰った錆だらけの鍵、同じように見えて細部のデザインがちょっと違う。
鍵の頭の部分が人形と私の横顔の刻印になっている。
はじめに手にした時にはこんな刻印なかった気がする、鍵をかけた時に変わったのだろうか。
この家にどのくらいの魔夢が封じられているのか分からないけど、こんな鍵がいっぱいあるはずなのだ。
「あぁ、見たことがある。何だか懐かしいな」
「え!?」
知ってるの?
思いもよらぬ発言に驚く。
伊都さんは私の渡した鍵を懐かしそうに手の中で弄んだ。
「よく母さんが鍵束を腰にぶら下げていたよ」
「それ!どこにあるの!?」
鍵束!
考えてみればそうだ。
沢山の夢を封じていたんだから、この家のどこかにその鍵を束ねた鍵束があるはず。
「さぁ」
でも伊都さんはそのありかを知らないのか肩をすくめた。
「ガキの頃はキラキラした鍵が欲しくてよくねだったよ。だけど触らせもしてくれなかったな」
「そっか」
夢の通い路を封じるための鍵だ。
そう簡単に子供に触れさせたりはしないか。
伊都さんは魔夢を見る才能なかったみたいだし…………
でも話を聞く限り、祖母は定期的にその鍵束を持ち歩いていたみたいだ。
やはり家族には魔女のことを秘密にしていたとはいえ、全てを隠し切れてはいなかったみたい。
「鍵のしまう場所を探ってみたりしなかった?」
「それがどうにもなー…………」
「?」
「消えんだよ」
「んん?」
伊都さんはまるで怪談話をするように怖い顔を作った。
なに……?
「鍵束をぶら下げた母さんの後をつけても、消えるんだ。靴があるから外に出た訳じゃない。でも家の中をどんなに探しても、どこにもいないんだ」
「えぇ……そんなことある?」
「さぁな、ガキの頃の記憶だ」
祖母が家の中から消えた……?
本当にそんなことがあるのだろうか。
夢の中に入った?
いやでも、夢に入ったところで現実の肉体は眠っているはずだから……消える訳じゃないし……
「ただ遺品を整理した中にあの鍵束はなかった。今となってはあれが存在していたのかも定かじゃないよ」
首を振って伊都さんは鍵を返してくれた。
遺品の中にはなかったのか……
「ありがとう、伊都さん」
扉の向こうが伊都さんに見えないように注意深く閉める。
1人になり森の中で頭をひねった。
遺品を整理した伊都さんが知らないということは、私に思いつくような場所をひっくり返したところで見つからないのかもしれない。
家の中から消えた…………?
祖母はどこに行っていたんだろうか。
やっぱり夢が関係ある?
いや……でも鍵自体は確かに実在しているはずなのだ。
祖母だけが知っている……隠し部屋でもあったのだろうか?
「魔女の秘密のへや〜?なんだかロマンチックね」
背後からいきなり声がする。
もう慣れてきたな。
振り返ると夢の私が陶器人形を抱えてニコニコと笑っていた。
出るならそう言ってよ。
「そもそも子供が触れられる場所に夢の通い路を保管するなんて危ないし、確かに隠し部屋を作るのは合理的かも」
彼女の手に持つ人形の夢も天井裏に隠してあった。
夢の通い路とその鍵は人目につかない場所に保管されていると考えるのが妥当なのかもしれない。
問題はそんなものがあったとして、私は知らないってことだ。
そしてそれは、人形も知らない。
だからこそ、ロクは人形を私の手元に残しておいてくれたのだろう。
……いや、本当に知らない?
記憶の中で何かが引っ掛かる。
私はそれを見たことがある気がした。
「私……分かったかも」
「え?」
直感に導かれるままに森の中へと踏み出す。
ポシェットからドロップ缶を取り出してその砂糖の塊を口に含む。
もちろん味は感じない、私は今夢の中にいるのだから。
だけど微かに味を感じる場面がある。
夢が侵食していない部屋がある方向を向いた時、ごく僅かだけど甘味を感じる。
ドロップの使い道は自分が夢の中にいるのか確かめるだけじゃない。
夢の中で現実を探すためにも使える。
味覚だけだはなく嗅覚もだ。
注意深く匂いを嗅ぐと、極々僅かに匂いがする。
嗅ぎ慣れた、紅茶の匂い。
「こっち」
五感が指し示す目的地へと足を運ぶ。
その先は不思議と暗かった。
だけど怖くはない。
光が見えたから。
ステンドグラスの小窓から漏れる色とりどりの光が地面を照らす。
暗闇の中に佇むようにその扉はあった。
いつも祖母がいた、あの洋間の扉。
扉を開けた途端紅茶の匂いがふわっと香る。
舌で転がすドロップの甘さに、やはりここは現実だと確信する。
壁を囲むように置かれた3つのガラス棚。
夢の中の洋間には棚のある場所に黒い扉がある、だからここは紛れもなく現実のあの部屋なのだろう。
壁を覆い隠すガラス棚を見つめる。
他は同じでもここだけ夢と現実で異なっている。
私が引っかかったのはそこだった。
黒い扉の先にある駅、あんなものが存在するはずない。
だけど全てが夢の産物なんだろうか。
ガラス棚に手をかける。
押したり引いたりしてみると、カチリと何かが外れる感触がした。
大きなガラス棚が横にスライドする。
棚が壁の中へと収納され、隠れた壁が露わになった。
その壁には見覚えのある黒い扉が……あった。
「現実だったんだ」
「隠し扉ってわけね」
この扉は、ずっとここにあったんだ。
仕掛け棚に隠され、秘密を隠し続けてきた。
扉を開ける。
夢ではこの先には地下まで続く階段があった。
だけどこの先には庭があるはずで、そんなスペースは存在しない。
「梯子?」
扉の先には人1人が入れるだけの小さなスペースしかなかった。
階段ではなく梯子、それならなんとか隠せるだけの余地があったのだろう。
懐中電灯を取り出し梯子が続く地下空間を覗き込む。
そんなに深くはなさそう。
気合いを入れ、梯子を降りる。
狭い。
まず感じたのは、強烈な閉塞感だった。
夢で見た地下の駅とは似ても似つかない。
同じなのはレンガ組の壁だけ。
私でも四つん這いにならなければいけないような狭い道が暗闇の中に続いている。
祖母の家の地下にこんな隠し道があったなんて信じられない。
だけど口の中のドロップが、これは現実なのだと私に教えてくれた。
四つん這いでも足が痛くないように敷かれた絨毯、それを辿ってグネグネと曲がる道を奥へと進む。
方向的に、家の中心に向かっているみたいだった。
「あ!」
光が見えて声を上げる。
同じ光だった。
ステンドグラスから漏れ出る光。
狭い道に合わせて作られた正方形の扉。
洋間と同じステンドグラスだけどその扉はずっと古めかしく見えた。
扉に手をかけると、それは軋んだ音を立てながら開いた。
今度は広い空間。
といっても先ほどまでの狭い道と比べて、だけど。
洋間を思わせる正方形の部屋。
その四方の壁は洋間のようなガラス棚で覆われていた。
「ようこそ、本当の魔女の部屋へ」
「ロク……」
彼は、そこにいた。
沢山の鍵がぶら下がった鍵束を手に、恭しく私に頭を下げた。
「お嬢様ならきっと辿り着けると信じていました」
笑みを浮かべる彼の顔。
それはいつものニヤニヤ顔ではない、心からの笑みに見えた。
私は正解したみたい。
ここが、魔女の心臓なんだ。
私を取り囲むガラス棚に陳列された様々な物品。
これが、この家に封じられている夢たちの……現実への通い路。
彼の持つその鍵が、魔女の持つ鍵束。
それが、恭しく私へと手渡される。
想像よりずっと重い。
こんなに沢山の、魔夢たちを祖母は封じていたんだ。
「さて最後の問いを投げかけましょう」
ロクは魔女の使いとして、最後の試練を私に問いかけた。
私にその鍵束を持つ資格があるのか、確かめるために。
「私はだれ?」
私はこの沢山の通い路の中から、彼を見つけ出さなければいけない。
もう、ヒントはない。
問いの答えは私の……記憶の中にある。
人形を抱えた夢の私と目が合う。
彼女は一歩後ろに下がった。
ここからは魔女として、1人で答えを出せ、そういうことみたい。
鍵束を手に、私は魔女の洋間をぐるりと見渡した。
ガラス棚の中に目を向ける。
本、彫刻、人形、食器、瓶、骨、和洋問わず様々なものが並んでいる。
乱雑に見えて、そこには確かな法則性があるように見えた。
この中に、ロクはいるのかな?
私は……彼の何を知っているんだろう。
彼は祖母の使いだった。
毎日紅茶を淹れているくらい、彼は祖母の近くにいた。
きっと特別な夢。
だけど…………祖母は彼の顔を嫌った。
見たくもないと彼を犬の顔に変えてしまった。
それはなぜ?
彼は、嫌われていたの?
「………………」
彼は……祖母の見た夢だ。
彼の存在はあの人にとって……悪夢だったんだろうか。
「あ…………これ」
ガラス棚の中を探す私は、他とは違うものを見つけた。
「私……?」
それは私を抱く母の写真だった。
押し入れの中にあったアルバムの中に私の写真はなかったのに、こんなところにあったんだ。
そこに飾られていたのは私たち家族の写真だった。
祖母の愛した思い出の数々。
それが写真立てに入れられ、綺麗に飾られている。
魔女の棚の中でそこだけ平凡だった。
平凡な家族の思い出。
あの人は魔女であることは隠してもいても……私たちを確かに愛していたんだ。
魔女の部屋に不要であるはずの思い出、その存在に心があたたかくなった。
魔女である以前に、あの人は祖母だった。
その証がここにある。
そして彼も…………
「ここにいたんだね、ロク」
その言葉に、ロクの耳がピクリと揺れる。
私は写真の中の一つを手に取った。
確信なんてない。
だけど…………祖母が大切に並べた写真達が答えを告げていた。
祖母の愛はそこにあると。
他の写真より随分古い色褪せた写真へ、鍵をあてる。
「見つけたよ、あなたを」
ガチャリ、と鍵が閉まる音がした。
やっぱり、彼はそこにいた。
今ならわかる、なぜ祖母が彼を夢見たのか。
「ずっと私たちのそばにいたんだね。おじいちゃん」
私が手に取ったのは、若い男女が並んだ写真だった。
結婚したばかりの、祖母と祖父の写真。
幸せそうに笑う祖母の隣にいる彼こそが、ロクだった。
拍手が洋間に響き渡る。
「お嬢様はやはり、聡明ですね」
振り返るとロクはもう犬の顔をしてはいなかった。
写真の中と同じ顔。
私の知らない、だけど知っている男の人。
私が生まれるずっと前に、命を落としてしまった人。
祖父が、そこにいた。
「おじいちゃん…………」
「おっと、そのように呼ばないでください。私は彼ではありません」
ロクは首を振って、私を否定した。
確かに、本当の意味では彼は祖父じゃない。
私の夢見た理想の私が私自身ではないように、彼も祖父の夢にすぎない。
「だからこそ、茉智お嬢様は私を嫌悪した。私という存在は彼女の喪失を深めるだけだったから」
どんなに祖父らしかろうと、それは現実じゃない。
現実の彼は、交通事故で亡くなったのだから。
彼の存在は都合のいい夢で、決して喪失を埋めるものなんかじゃない。
だからこそ祖母は彼の顔を犬に変え、執事として扱ったのだろう。
どんなに辛くても、あの人はその夢を現実にしなかった……魔女として。
だけど、夢見ることは止められなかった。
だって…………祖母は彼を愛していたから。
その喪失が夢だと…………思わずにはいられなかったのだろう。
その気持ちが痛いほど分かる。
私も……失ったから。
「私の面倒を見てくれたのは……祖母への恩義だけじゃなかったんだね」
自分を封じる魔女の卵なのに、私を導いてくれた。
祖父としてずっと私のそばにいてくれたんだ、私が、知らなかっただけで。
魔女の恩義なんて言っていたくせに、それ以上の感情が、彼にはあった。
彼は私へ優しく微笑んだ。
「いいえ、私は魔女の使いとして、責務を全うしただけです」
バレバレの嘘だった。
その眼差しには、孫を思う祖父の情が隠しきれていなかった。
だけど彼はあくまでも、祖母の命に従順な魔女の使いでいたいみたい。
自分は所詮夢だから。
喪失を思い出させないため、彼はあくまでも犬顔の使いであり続けた。
きっとそれが彼なりの愛だったのだろう。
「魔女様、終わらせましょう。全ての夢をあるべき場所に」
ロクが私を促す。
その鍵束で、全てに首輪をかけろと。
夢は夢の中に。
夢が現実を闊歩する時間は、もう終わりだ。
「うん」
そうして私は鍵を閉めた…………
……………………………
…………………
……
「あぁ……終わっちゃうよ、私の夏休み。いやだな〜」
洋間のソファ上で私はジタバタと暴れていた。
日々は過ぎ、休みの終わりは刻々と迫っている。
私は魔女となり、祖母の家の魔夢達を封じた。
だけど現実はさして変わらず、私は学生としての本分を果たさなければいけない。
憂鬱だ、私は新しい環境でうまくやっていけるのだろうか……
「行きたくないのであれば、夢のあなたに代役を頼めばよいのでは」
「それはズルじゃん」
ロクは人ごとだと言わんばかりの態度だ。
まぁ人ごとなんだろうけど。
あんなに早く終わって欲しいと願っていた夏休みも、終わり間際になると途端に恋しくなる。
「お嬢様であれば、新しい学校でも問題ないでしょう」
「何を根拠に……」
「牡丹お嬢様は、茉智お嬢様を超える偉大な魔女になるお方ですから」
私が?
祖母を超える?
私はロクのその言葉を鼻で笑った。
現状私は魔女としてはひよっこもいいところだ。
知らないことが、まだまだ沢山ある。
祖母を超えるどころか、足元にもおよんでいないだろう。
「下手に褒めなくてもいいから」
「いえ、本心ですが」
またこの犬は飄々とそんなことを言う。
彼の正体が分かった今、それは孫を甘やかしているだけなのではと勘繰ってしまう。
「先代である茉智お嬢様は失った痛みから、私を生み出しました。ですがあなたは違う。同じように家族を失っても、喪失した世界を憂い過去を取り戻す夢を見なかった。あなたは自分が変わることを望んだ、世界の残酷さを受け入れ、変わろうとする意思を示した。だからあなたはきっと良い魔女になる」
「…………それは」
後悔ばかりしているからだ。
私はそういう人間だから。
世界を変えるなんて、そんな大それた夢を見ることはできない。
見るのは後悔の悪夢ばかり。
だけど、後悔は…………未来のためにするものだ。
そう父が教えてくれた。
だから私は胸を張って言うことができる。
「それが私の長所だから」
後悔はいつだって私を苛む。
それは私の心臓から生じた荊棘で、どうしたって振り払えはしない。
だけど、その痛みが私に前に進めと訴える。
過去は変わらない。
だけどその過去が私を、未来を変えてくれると。
私は信じている。