1.干支の巨獣
無敵のカノン要塞が落ちた。それは魔界全土に激震を走らせるに足る情報だった。
自国の無敗伝説に胡坐を搔いていた大国アルビオン。国の中枢たるお歴々の顔色は蒼白を通り越して土気色となっている。
『踏み潰す者』が襲来した時もカノンで駆逐できるなんて意気揚々としていたのに見る影もない。
砦を指揮していたマルテも彼らと同じような思いを少なからず抱いていたので同罪ではあるが。
今の彼女は国民から、絶対に勝てるはずだった無敗伝説を終わらせた愚将。『踏み潰すもの』からビビッて逃げてきた臆病者。と様々な詰りを受け、外に行けば石やゴミを投げられる針の筵状態。
戦場の内情を知る軍部からは、貧乏くじを引かされた可哀想な将軍と同情されているのも、エリートだった彼女の軍人としてのプライドを抉っていた。
だがそのような陰鬱な状態でも伝えなければいけない。
自分たちが思う以上に『踏み潰すもの』は強大であると。魔界の全ての国が一丸となって対処に赴かなければならないのだと。
マルテは国王アルビオンに戦況を報告すると共に、此度の戦は世界の存亡を賭けた戦いだということを言葉を濁さず伝えるが、反応は芳しくない。
「民草が言う通り、私が無能なのは確かです。そして私が言うのも憚られますが『踏み潰すもの』の力は、我々アルビオンの想像を遥かに超えています。ここは他国と協調して事にあたっていただきたくーー」
「カノンが健在なら、それも良かったかもしれん。だが今、我等が他国に同盟を持ちかけても足元を見られかねない。政治的に無理だ」
「それでは連中に我が国が蹂躙されるのを座して見ていろと!? 『踏み潰すもの』に侵攻された国々がどのような末路を辿ったか、おわかりでしょう!」
「確かにそうだが、カノンを落とされた責がある者の述べる言葉ではない」
「……っ!」
「話は終わりだ。次の戦がくるまで待機しておけ」
「……失礼しました」
肩を震わせながら退出していくマルテ。
出陣前は頼もしかった背中も今や小さく見える。
扉が閉じると共に王は深く息を吐きながら、宙を見上げた。
『アルビオンの戦女神』と称された若き女将軍マルテ。彼女が国中から誹りを受けるほどに無能ではないということを王は知っている。
軍とは男の世界と言われている程に男性優位の職場、そこを若い女の身でありながら将軍という役職にまで就いた彼女が無能なわけがない。それどころかこの国でも最高峰の才媛だろう。
現に『踏み潰すもの』が出現するまで彼女の戦績は全て白星で埋まっている。獅子奮迅の働きをし、二つ名に恥じない活躍をする名将の鑑。
そんな彼女が手も足も出ずに惨敗した。それが一体、どういう意味を成すのか理解してしまうのと同時に、これからの暗澹とした国の未来が恐ろしい。
カノンがまだ健在だったころ、他の国々から協力の打診や軍事同盟を持ちかけられたが、アルビオンの元首たる彼は全てを突っぱねた。
それは政治的な思惑が大きかったのだ。
『踏み潰すもの』が相手にしていたのは中小国家といった、アルビオンの武力と比較しても大したことのない三流。
しかも敵は所詮、魔物の集まり。
知能なき畜生どもが人に勝てる道理なし。と思いあがったのも一つ。
そして星魔の巫女が告げた終末『踏み潰すもの』をアルビオン一国が葬れば、世界での立ち位置は揺るぎないものとなるだろう。
国王たる己も伝説の名君として王国の長い歴史に名を刻むことができる。
カノン城塞は無敵であり不落、そして必ず勝てると臣民に大々的に宣伝し、勇気づけさせた。
そして夢見て挑み、己の想定の甘さを嘲笑うがごとく、現実は残酷に叩きつけてきた。
今、このアルビオンは窮地と化している。
要塞都市カノンの場所は、この国にとって最も強固な砦であったと共に一番の急所でもあったのだ。
あそこは大陸の玄関口とも呼べる場所で、様々な大陸に繋がる交通の要所で交易における最も重要な地点。
アルビオンの繁栄と強固な地位を確約していたのは、あの場所があればこそ。
マルテ将軍は同盟を結ぶべきだと進言した。確かに彼女の言う通り、アルビオンは他国と協力して戦わなければ敵に勝てないだろう。
しかし、カノンを失った我々が同盟を持ち掛けようものなら、彼等は見返りとして重要な資源の採掘権やカノンの地域での優遇措置などを求めてくる。
最悪、我々の国が滅んでから動こうと考えている国もあるかもしれない。
交易の要所を牛耳って栄えた我が国だ。他の国だって喉から手が出るほど欲しているに違いない。
『踏み潰すもの』を他国と協力して倒しても詰み。協力しなければ滅亡して詰み。
アルビオン王国の未来は最悪であるとしか言いようがない。
王は今の椅子を手放すかどうかを決めきれずにいた。夢見た名君とは程遠い、真に国民から愚策で無能という罵倒を受けるべきは自分なのだと力なく笑う。
「ままならんものだ」
されど王は、己がまだ政に耽けていられると思っている。
そんな余裕はもうないのだと気付くべきだった。
だが認識したところで少し延命できるだけで結末は変わらない。それでも救われた命は増し、アルビオンの面目はぎりぎり保てた。
けれど彼は暗愚であるが故に面子に拘った。それが全てだ。
アルビオンという国と元首たる王が後世に残せるのは、無能と汚名のマイナスイメージだけである。
◇
下を向きながら王城の廊下を歩くマルテは、この国はもう長くないだろうと悟っていた。
それは実際にかの軍勢を目の当たりにしたが故の判断。軍人として戦場で力を振るっていただけに相手の力量は判っていた。
あの地獄を思い出すだけで恐怖と悔しさが全身に甦るほどに連中は強大だ。
たった一分足らずで外にいた迎撃部隊は全滅、そこからどうにか防衛に徹し、結界を貼りながら持ち応えていたが、あの規格外な巨体をした羊擬きの厄災級が現れて全てが終わった。
奴の熱線が雑魚どもの攻撃で脆くなっていた結界を貫き、城塞都市の壁から反対側の壁、向こうの山脈を吹き飛ばし、地平線の果てまで薙ぎ払っての大爆発。
融解した壁から化け物共が雪崩込み、そしてそのまま市民たちをーー。
気づけば口の中が鉄の味で満たされていたのを知る。
あの包囲網から抜け出せたのは奇跡に近かった。今までの戦場で付き従ってくれた忠臣にして戦友たち。彼らが命を賭して突破口を開きながら、脱出させてくれた。
ーーマルテ閣下、どうかこの世界の未来を
ーーあなただけでも生き延びてください
脳裏に浮かび上がるのは、己を逃すためだけに命を散らしていった彼らの最期の言葉、そして自身を護るために晴れやかな顔で死にに逝った後ろ姿。
伸ばした手は届かず、掌からは多くのものが零れ落ちた。
かつては『アルビオンの戦女神』なんて持て囃された女が救えたのは一人の部下だけ。
そして栄光あるアルビオンの歴史を汚してしまった無能。それが自分なのだと。
死んでしまいたい、消えてしまいたい。
そうしようと思うと、それでは部下たちが何のために命を賭したのかわからなくなってしまう。
輝かしい道のりを歩んできたマルテにとって現状は生き地獄そのもの。
されど、うじうじと落ち込んでいても『踏み潰すもの』の歩みが止まるわけでもなく、アルビオンの状況がよくなるわけでもない。
王宮から宿舎に戻るため、少しの間だけアルビオンの王都を歩く。
市民たちは冷たい目で睨み、ゴミを彼女に投げつける。罵詈雑言を浴びせてくる。
必ず勝てた戦いで負けた彼女への第三者にとって正当な評価。
彼らの怒りを受け入れながら、彼女はようやく自分の家に辿り着き、薄暗い自室に入って丸くなるように座りこむ。
手首に付いている鎖のブレスレット。十一個のドックタグ同士が重なり合った音が、静かな空間で鳴り響く。
マルテの直属の部下たちの認識票。事前に個人の魔力をブレスレットに籠めることで登録され、登録者が死亡すると自動的に顕現する。便利な道具であると同時に嫌でも戦友の死を認識させられる精神崩壊道具。
放心した面持ちで、彼女はそれを見てしまう。そして理解させられる。
親愛する十三の戦友の内、十二の死と最期を。
彼女の胸の奥で傷が抉れるような痛みがした。
目から出たくもない涙が落ちた。出したくもない嗚咽が止まらなかった。
こんなことをしても意味なんてない。早く対策を練って、死んでいった部下たちの頑張りに報いないと。
カノンの失態を帳消しにするくらい、アルビオン王国が強大な軍事国家であると他国に知らしめなくては。
そう思いながら目を拭って前を向く。
そこには出陣前、この薄暗さとは違う、明るくなった部屋で笑い合っていた部下たちとの記憶が幻となって見えた。
少しだけ、ほんの少しだけの時間だから。
マルテは己の心に少しだけ素直になった。
◇
ノックをしようとした扉からすすり泣く声が聞こえる。
将軍マルテと共に唯一生き残った腹心--ユリーシャは拳を解き、扉に手を添えた。
向こう側で泣き崩れているであろう己の主の心情を思って。
「マルテ……」
マルテの側近の中で最も古株、かつ彼女と最も長い時間を過ごしてきた右腕。
ユリーシャが生き残ったのは偶然でも何でもない。
彼女は託されたのだ。
自分たちを救ってくれた彼等の言葉と願いを。
仲間たちの中でもユリーシャは特に能力が秀でていた。
副官としてマルテの隣で常に行動を共にし、彼女の功績を影で支えていた立役者。
尊敬と親愛する彼女のために、部下として、仲間として、相棒として、そして無二の親友のため。様々な形で彼女を補佐してきた縁の下の力持ち。
戦闘能力も彼女はマルテと並ぶ程に秀でていた。
国家最強の精鋭である魔導騎士と本気の模擬戦をしても勝ててしまうくらいに。
功績を評されて、国王直属の専属護衛へ勧誘されたほどである。
そんな逸材である彼女が選んだ居場所は、マルテの相棒という立場。
ユリーシャにとって彼女と共に歩む道こそ最も名誉なことだと思っているから。
マルテが『アルビオンの戦女神』と称される前、彼女が青い理想を語り、荒唐無稽だと周囲に小ばかにされてきた頃からずっと。
これまでも、これからも彼女はマルテの副官として補佐していく所存。
その先が絶望と死が蔓延る地獄であろうとも。
小さく息をこぼす。
マルテは強い少女だ。表では心配かけさすまいと普段通りに振る舞う。
部下である自分の前では特にだ。ここで部屋に入るのは、彼女の頑張りを否定することに繋がる。
ユリーシャにとってその行いは絶対にしたくない。自分だってマルテを慕う気持ちは負けていないのだ。
彼女が傷つくことは避けたい。だからこそ。
「……私も頑張らないと」
マルテだけは必ず守り通す。
たとえありとあらゆる全てを代償にしようとも絶対に。
胸に手を当て、力強く拳を握りしめる。
託してくれた亡き戦友たちの遺志を継いで。
ユリーシャは全身全霊の覚悟を決めるのであった。
◇
要塞都市カノンの跡地。
巨大な羊のような怪物が眠っている。周りにいた全ての同胞を街ごと喰らい、己の腹の足しにした。
全ては己が生きるためであり、己が周りよりも強く主人に認められし存在であるが故の特権だ。
ーー起きろ
声が聞こえた。
無数の目は開かれ、成層圏を貫く余りにも大きな身体を起こす。
分厚い赤黒雲を消し飛ばす山羊の鳴き声を上げた、主人の命を受けれる歓喜の声だ。
ーーそのまま待て
待機を命じられた未は直立不動のまま止まる。仮に主人がこのまま放置しても未は餓死するまで動かないだろう。
止まっていると何時しか未の足元の周りに巨大な黒い陰の海が出来上がっていた。そして中から浮かび上がるように己の同胞が数十、数百万と続々と出てくる。小ぶりから大きなものまで。しかし未よりも同等の個体、選ばれた同種は当然いない。
珍しいことに、己の足ほどサイズの格下個体がいつもの一、二体どころか十体もいる。
あれは美味で腹の足しになるごちそう。今回の主人は大盤振る舞いだ。散歩も長く愉しいものになるだろう。
嬉しくなり息を荒くしていると、同胞たちとは違う気配を纏ったものが見えた。
それは自分から見れば豆粒よりも小さきものであったが、存在感はこの場の誰よりもあった。
黒い筒を持った人間の女だ。彼女は
『……静かにして』
その声を聞いて確信した。
あれは主人だ。姿かたち、全てが違えど己の主人だと未は本能で理解した。
彼女ーー遠隔操作状態となっているセロの言葉を『群の傀儡』は待つ。
セロはアルビオン王国の次なる都市の方角へ指を差し、命令する。
『……行進』
その合図を聞いて群勢は行軍を始めた。
未も亀のようにゆっくりと歩く。己の役割は最後の詰めであり、先陣の突撃はチビ共の役割がゆえに。
まあ一歩進むたびに足元で這う同胞の虫けらが潰されるのは仕方ないことだろう。
価値の重きは未のほうが圧倒的に上。己は選ばれた十二の内の一つなのだから。
『……面倒』
そう言いながら、セロは群勢が進む場所とは別の方向へ足を進める。その脚力は地面が畝のように盛り上がるほど強く、またスピードも音を置き去りにする程に速い。
目指すのは都市を一望できる高い場所。そこが今回の目的。
思い返すのはカノンで逃した女の指揮官。
奴が指揮していた要塞都市カノンは本当に苦労した。
序盤は雑魚どもで殲滅できたが、防衛戦で堅固な結界を貼られ予想以上に長引いた。
なので
『干支の巨獣』を繰り出すと、共食いの際に他の傀儡全てを食らい尽くす貪食振りを見せる。かといって亜空間に収納しようとしても、次に顕現させると稼働のために共食いするので全て失う。まさに燃費が最悪な存在。
ここぞという決戦時以外、余り巨獣は出したくない代物。予定では王都侵攻時に出撃させる予定だった。
なのにそれを要塞都市カノンで投入しなければいけない事態まで陥った。
あの天才指揮官の手腕によって。
『……マルテだったかな』
確かソフィアの情報ではマルテとかいう女だったか。
彼女の頼みで、わざと逃がした連中とは違う。包囲殲滅に移行した詰めの段階で、部下らしき連中を率いて『群の傀儡』の包囲網を自力で突破した凄腕。
あれ程の有能だから、これからの防衛戦のどこかで必ず出てくるはず。
その前にセロの試運転も兼ねて、アルビオンの軍事力を削いでおかなくてはいけない。
万が一にもマルテを殺せず逃した場合、魔界の侵攻が困難になるのは間違いないだろう。
最悪なのは『群の傀儡』の致命的な欠陥に気付いているかもしれない。指揮だけでなく、死地をくぐり抜けた戦闘経験豊富な強者だ、傀儡を至近距離で観察した分、見えてくるものが多いだろう。
弱点を解析されれば計画の大幅な遅延を余儀なくされる。この状況で敗北による頓挫はないが、それは避けたい事態。
無論、ソフィアの裏工作で情報の錯綜と妨害はできようが限度はある。
相手は知能と社会性を持つヒトで、民を束ねし国家たちで、万年人界と血で血を洗う戦いをしている世界だ。馬鹿じゃない。
『……うん、良い位置』
都市が一望できる位置に付いた。群勢も間もなく到着する。都市の防衛陣地の構築と住民の避難誘導を行っていた軍隊が慌ただしく動いているのが見て取れる。
自分たちの侵攻は『干支の巨獣』が起立した時点で気付いただろう。地球最高峰のエベレストすら優に越す桁違いなサイズの怪獣だ。鳴き声の目覚ましと歩行の震動が都市全域に響いているに違いない。
何なら遠く離れたアルビオンの王都からでも目を凝らせば見えるだろう。
そこまで直ぐに向かはなくては。
能力と補給の関係上、王都に着くのは最短で七日後だ。それまでに周りの街を蹂躙して整地する。
都市に向けて魔眼を使い、魔力の流れを見ているが、標的のマルテは残念ながらいない。だがやる事は変わらない。
相手の司令部を狙撃して指揮系統を麻痺させる。
あの程度の要塞都市に『干支の巨獣』をぶつけるのは、言ってしまえば一つの家に向かって核ミサイルを放つが如きの過剰攻撃。
狙撃しなくても結末は変わらないが、戦況に影響するかの比較も必要。それに今日一日で、補給線の限界まで攻め込むつもりだ。
いつもの攻め方とは違い前情報も何もなく、単純なごり押しの物量作戦。本来なら綿密な作戦や準備を万端にして適した戦力で攻めるが、セイシロウにとって状況が変わったのだ。
最悪の可能性がある以上は仕方がない。時間との勝負だ。
すぐさまアルビオンを滅ぼし、マルテを殺す。
『……始めよう』