走れ、太宰   作:蟻広

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ちなみに森鷗外の「ヰタ セクスアリス」の意味はどうやらセ○クス三昧みたいな意味らしいです。絶対後から後悔してるよ、この名づけ。


もし太宰が走れメロスになったら

 中島敦は武装探偵社に割り当てられた自らの席に座ると同時に、探偵社の面々をぐるりと見渡し、今日も何気ない一日になるだろうと予感した。無論それは彼にとってはかけがえのなく大切で愛おしいものだ。江戸川乱歩はデスクに足を乗っけながら菓子を食べ、何が楽しいのか大笑いしている。国木田独歩は自らの手帳と時計を交互に見ながら、太宰があと10分して来なかったらふん縛ってきてやると歯ぎしりしている。谷崎潤一郎はそんな国木田をなだめながら、どうにか平和な解決策を模索している。まあ、太宰は平時においては、居ても居なくてもあまり変わらないどころか、邪魔でさえあるため、放っておくのが正解なのだろう。泉鏡花は敦の横に立っている。他の面々もそろい踏みだ。社長と太宰は居ないが、社長は部屋に、太宰は川に居るのだろう。

 

 嗚呼、実に平和だ。

 敦はそう内心で独白してそっとため息をついた。思えば最近は激動が過ぎる。孤児院から追い出されたかと思えば人食い虎に追い回され──まあ、結局それは自らの異能であったわけだが──、探偵社に入ってようやく一息かと思いきや今度はマフィアとの抗争だ。孤児院での気温程度しか変わらない日々と比べてみると、そのあまりの高低差に愕然とする。神がもし居るとするのなら、それはくじ引き感覚で人の運勢を変えているに違いないと確信する程の高低差である。

 来て早々、お茶でも飲んで一息入れたい気分になったが、出社したからには仕事をせねばならぬ。敦がまず書類の整理を始めようと紙の束に手をかけた時、外から急に「そこをどいてくれ! 私だ、太宰だ! 太宰が来たのだ」と云う大声が聞こえてきた。太宰がここまで高揚している時は、大抵自殺か美しい女性に関する時だ。今回はきっと前者であろう。死の淵からでも帰って来たのだろうか。

 そんな風に思いながら、これからの苦労に少し思いを馳せると、ドタドタと云う足音と共に勢いよく扉が開けられた。扉を壊すくらいの勢いである。弁償するのならまあ良いが、そうでないため質が悪い。いや、備品を壊す者などたとえどのようなものであろうと質が悪いのに変わりはないのだが。

 

 敦が少しばかり文句を云おうと扉の方を向くと、そこには信じたくのない現実があった。

 太宰は裸だったのだ。実際には彼は何故か包帯を巻きつけているので裸ではないのかも知れないが、それで変態度は上がっているうえに、この惨状を絶対に半裸などとは呼びたくない。半裸と云う事はつまり、半分は服を着ているという事ではないか。そんなことは認めるわけにいかんのだ。

 敦はほとんど無意識的に鏡花を引き寄せその目を覆った。その速度は正しく神速の域にあり、喩え如何なる者が相手であろうと、この速度を超えるのは不可能と断言してしまうくらいの、奇跡と呼ぶに相応しいものだった。

 鏡花を抱え込みながら、敦の脳にはぐるぐると思考が巡る。

 どうやら国木田含め、太宰の姿を見た全員がそのような混乱の極致にあるらしく、乱歩でさえ目を見開いたまま微動だにしていない。

 

 ──なぜ、太宰は裸なのだろうか。それではまるで変態ではないか。いや、自殺愛好家で美人とみるや心中を申し込むのもなかなかの変態だ。と云う事は、変態のベクトルが変わっただけなのだろうか。嗚呼、何という事か。僕があの悪癖を「まだまし」と表する日がこようとは。だって、そうではないか! たしかに彼の自殺癖は問題だ。僕らが救助せねばならん上、女性とみれば即座に口説き、心中を申し込むのだ。だが、だがしかし、そこには決して醜さはなかった。むしろ華麗で、流麗で、洗練されており、見惚れてしまうこともあるくらいだった。断じて、今のような見苦しさはないのだ! 

 …僕は何を考えているのだろう。

 

 堂々巡りに陥りながらも、蝸牛(かたつむり)と同程度の速度をもってここまで思考を進めた後、ようやっと敦は再起動を完了させた。見れば、国木田も時を同じくして活動を再開しており、彼と敦はアイコンタクトで数瞬の会話を行った後、国木田が鏡花除く探偵社の総意を問うために裸の太宰に詰め寄った。おお、国木田。そなたは真の勇者だ。敦は心の中で国木田を褒めたたえた。

「おい太宰」国木田が静寂に満ちた探偵社の中で声を発する。その声は酷く冷たく重々しいものであり、さしもの太宰も普段であれば顔を青くしながら、つらつらと言い訳を並び立てるくらいの事はしただろう。だが、太宰は微笑みながら「どうかしたのかい、わが友よ」などと宣った。国木田のこめかみに青筋が浮かぶのが、敦にははっきりと見えた。

「どうして、服を着ていない」国木田は怒りに声を震わせながら、それでも冷静さを保ってそう訊いた。探偵社の面々は、国木田のその恐ろしいまでの精神力にすっかり感服していた。

 太宰は未だに暢気さを保ったまま、「ここに来るまで走っていたのだが、そうすると全てはだけてしまったのだよ」とほざいた。敦は天を仰いだ。なぜ、走るだけで服がはだけるのか。古代ローマのような市民服(トガ)を着ているのなら話は別だが、太宰のいつもの服装は洋服だ。まさか走っただけでコートがずり落ち、ボタンがはじけ飛び、ベルトが千切れ、ズボンが裂けたとでも云うのだろうか。

 病院か服屋か、どちらに連れていくべきか。今現在、敦の中では頭の病院に連れていく派が圧倒的大多数だ。憲法の改定までできるくらい一致団結している。

 

 ブチッ。

 

 敦には、国木田の堪忍袋の緒が切れる音と云うものがはっきりと聞こえた。

 国木田は憤怒に身を任せ、太宰を蹴り飛ばすと、「服を着て出直してこい、馬鹿者!」と怒鳴った。だが、さしもの国木田も、精神異常者相手には少しばかり優しくなるらしい。いつもの反応と比べ、窓から突き落とすなどしない分、幾分か優しい対応といえるだろうと敦は思った。

 変態が消えた探偵社は大騒ぎだ。敦も、鏡花を解放して、簡単に事情を説明した後、他の社員に近づいた。まずは国木田だ。簡単にねぎらった後、太宰の急な乱心について何か知っているのかと訊いた。当然国木田は何も分からないらしく、むしろ敦こそ何か知らないかと問いかけてきた。敦も素直に知らないと答え、国木田の次に太宰の乱心について何かを知っていそうな乱歩に近づく。

 

 乱歩さん、太宰さんのあの行動について何か知りませんか。そう敦が訊くと、乱歩は飴を嚙み砕いて薄く目を開けながらたった一言、すぐ分かるとだけ返した。乱歩はもうこれ以上話す気は無いと見える。乱歩の推理力に絶大な信頼を置いている敦は、その答えに納得し、乱歩さんが云うのならそうなのだろうと自らを納得させた。

 

 敦は自らのデスクに座ると、改めて自らの業務を開始した。まずは先ほど出来なかった書類の整理だ。だが敦が紙の束に手をかけても、頭に過るのは先ほどの太宰の事ばかり。集中できないのだから仕方がないと敦は自分を納得させ、出社早々に茶で一服することとした。尚そう考えたのは敦だけではないようで、給湯室はかつてない賑わいを見せていた。

 

 敦は命からがら茶を入れて、自らのデスクへ戻ると、そのまま乱歩用に常備していた駄菓子を茶請けに、一人茶会を開催する。国木田が太宰を居なかったことにしているのを聞き流した敦は、茶を飲みながら、先ほどの乱歩の発言と太宰の奇行について考えを巡らす。

 まず乱歩のすぐ分かるとの発言。それは太宰が再び帰って来た時に自ら明かすのか、乱歩が探偵社の混乱が収まったときにでも明かすのか、はたまた第三者が明かすのか。一番目が正解とすると、太宰は自らの奇行について認識しているという事になる。そうでなければわざわざ云ったりはしないだろう。そうであれば話は簡単だ。太宰はただ巫山戯てそれらを行っただけなのだから、流石に二度目はないだろう。こういったお巫山戯は一度で充分という事は流石の太宰でも分かっているはずである。敦は念のために今日が四月馬鹿(エイプリルフール)で無いことを確認した後、二番目、三番目について思考を巡らす。

 

 二番目が正解だった場合。これはかなり面倒である。もう大分探偵社の混乱は落ち着いてきている。それでも乱歩が発言しないとなると、太宰が帰って来た後に発言することとなるだろう。その上太宰自らのネタ晴らしが無いとなると、太宰は心からあの奇行は普通の事だと考えていることとなる。

 三番目も同様だ。

 

 敦がここまで考えを巡らすと、再び階下から「待て。業務を始めてはならぬ。太宰が帰って来た。約束の通り、今、帰って来た!」と云うかすれた叫び声が聞こえてきた。

 国木田は眉間を揉みながら、それでも気丈に探偵社のドアに向かう。

 頑張ってください。誰かが小さく呟いた祈り声が聞こえた。

 

 カツ、コツ、カツ、コツ。

 

 足音が聞こえる。敦は殆ど死刑囚の様な心持になりながら、来るなら早く来い、頼むから来ないでくれと云う相反した願いを抱いていることを自覚する。

 

 カツン。

 

 足音は探偵社の前で止まる。かすかに軋んだ音を立てながら、ドアが開かれる。

 その前に居るのは、嗚呼、やはり太宰である。敦は瞬間目を閉じ、再び覚悟を決めてから太宰の服装を検分する。

 

「嗚呼…良かった」誰かの声が、探偵社の総意を示していた。果たして太宰は服を着ていたのである。いつもと同じ服装だ。正確に云うと、いつものコートの上から更に緋色のマントを羽織っている。嗚呼、だがしかし、それがどれほどありがたい事か! 探偵社の面々は、最早マントなど目に入らぬと云った様子で太宰が元に戻ったなどと喜んでいる。

 だが、その時敦は何とも云えぬ仄暗い、嫌な予感と云うものを覚えた。太宰の目は、果たしてあれほど澄んでいただろうか...? 

 太宰は国木田の前に立って、声を震わせながら息も切れ切れに云った。「友よ、我が無二の友人よ。私を殴れ。力いっぱいに頬を殴れ。私は一時、恥を棄てていた。蹴り飛ばしてくれないと自覚する事も出来なかったのだ。このままでは、私は君とほうよッ!?」

 太宰の台詞は途中で遮られた。国木田が太宰の要求した通り力いっぱいに頬を殴ったのだ。国木田はほとんど反射的に殴ったらしく、不思議そうに自らの手を見つめている。

「ありがとう、友よ」

 太宰はすぐに立ち上がり、こう云った。

 

 この奇妙なやり取りを遮ったのは、乱歩であった。

「おい、太宰」乱歩は太宰に乱暴に声をかける。

「何でしょう、乱歩さん」太宰もすぐに先ほどまでの奇妙なやり取りを中断し、乱歩に向き直る。

 

「お前の異能は何だ? 云ってみろ」乱歩が太宰に問いかける。彼はいつの間にか眼鏡を付け、目ははっきりと開かれている。

 なぜ、乱歩は太宰の異能を知りたがるのか。太宰は人間失格と云う異能を持ち、それは乱歩も重々承知のはずだ。皆が困惑を露わにしている。太宰はその様子をちらと視界の端に入れた後、何も気負うことなく口を開いた。

「私の異能は『走れメロス』。私に友を思う愛と真実の心がある限り、喩え如何様な逆境に置かれても走り抜ける事の出来る異能です」

「な、何!? 待て、太宰!! お前の異能は『人間失格』のはずだろう!?」

 国木田が慌てて太宰に食って掛かる。当然だ。未だ付き合いの短い敦でさえ、乱歩が異能力者ではないと聞いた時以上の衝撃を受けているのだから。付き合いの長い国木田の受けた衝撃はいかほどのものか。いや、そもそも太宰が友を思うだの真実だのと云っている事からして異常事態なのだ。友を思う、その心がいつもの太宰に喩え一欠けらであろうとあったとすれば、国木田の受ける心労はいつもの半分程になっていただろうと容易に想像出来る程、太宰と縁のない言葉だ。

 敦は心中で国木田に合掌した。

 

 敦は混乱したまま太宰に問いかける。「えっと、つまり、貴方は人間失格の太宰さんとは別人と云う事ですか?」

 だが答えたのは乱歩だった。「そこだよ、敦君。確かに太宰は今までと異能も、性格も、別人と云っていい程変わっている」

 別人と云っていい程と云う事は、別人ではないという事だろうか。敦が混乱を増す中で、乱歩はさらに言葉を紡ぐ。「疑問に思った事は無いかい? 例えば先ほども例に出た『人間失格』。いつもの太宰の行動はまさに人間失格と云った有様だ」

 酷い云い様だが、反論するものは居ない。それを見て嘆いた太宰が、再び国木田に「私を殴れ。このままでは私は君と抱擁する権利さえないのだ」と詰め寄り、国木田に「貴様と抱擁する権利など一生涯要らん」と殴り飛ばされている。敦はこの惨状を見てこれはこれで人間失格ではなかろうかと思った。

「僕は異能力者の性格は、その異能によって多少影響されると考えている。太宰はそれが格別デカい。これが僕の仮説だ」

 これが正しいとすれば、太宰は何らかの理由によって異能が変わり、それによって性格まで変わってしまったという事である。

 探偵社は総力を挙げ、太宰の異能を変えた原因を探る事となった。

 

 だがそれから暫らくの時を経ても、なんら手掛かりは見つからなかった。乱歩は頭を掻き回しながら、ぶつぶつと「なにか、ピースが足りないんだ。とてつもなく大きなピースが...」と呟いていたが、暫らくすると忘れたように普段通りに振舞い始めた。国木田は相方の太宰が、稀に暴走する事はあるものの基本的には好青年で、友の為ならば自らの死をも厭わない男になり感涙していた。ほかの探偵社の面々も、元の太宰よりよっぽど良いと基本的には好意的だ。

 敦はそんな探偵社をみて誰にも聞かれぬよう、そっとため息をついた。

 勿論敦も、太宰の性格が変わっただけでそれが本人とは理解している。だが、それでもあの飄々としたはた迷惑な自殺愛好家を、ふっと懐かしく思うときがあるのだ。そして、それはきっと他の面々も同じだと、敦は信じている。

 




乱歩さんの推理に歯切れが無いのは『本』と云うのがまだ明かされていないからです。ホントだったら知ってる方が自然なんですが、明智小五郎みたいに頭を掻きむしる乱歩さんが見たかったので...
それに、ほら、二次創作だし!ね!
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