胸から手を離し、対話を終えたアイリは、状況確認へと思考を切り替える。
「…確か、カズサちゃんとヨシミちゃんと一緒に"ブラックホール"の穴へと入って──それからは──」
三人で一斉に飛び込んだ後は、シャットダウンしたかのように意識が途切れ、次に目が覚めた時にはどこかで自分たちが気を失った状態で倒れていたようだ。慌てて周囲を見渡せば、自分の両隣でカズサとヨシミも同じように横になっていた。
「よ、良かった…二人とも起きて!」
「う、うん…?アイリ?ここは?」
「いっつつ…なんか色んなことを思い出した気がする」
頭を抱えながらも起き上がった二人にほっと安堵しながら、アイリは再度自分たちがいる場所を見渡す。
辺り一面、視界を遮る白い霧が立ち込めており、一寸先がよく分からない。しかしながら、自分たちが立っている場所は草叢の生えた柔らかい土の上で、少し先では清涼感のある匂いを放つ月桂樹の木が数多く植えられている。
もし視界さえ良ければ、地平線の先までずっと植えられているんじゃないかと思えるほどだ。
「もっと真っ暗なイメージだったけど…そうでもないんだね。何だか、どっかの林みたい」
「ね。ただ、雰囲気的に…リアルっぽくないというか。誰かの心象風景のような?」
「言い得て妙だね。さすがはキャスパリーグといった所か」
「!?」
霧の中のある方面からふと聞こえてきたその声に、三人は振り返る。そしてその声に──アイリは心当たりがあった。
「──"ドー"ちゃん…?」
「おっ、やっぱそっちの名前は戻ってたか。ドーにかなったみたいだね」
ゆったりとした声が徐々に近づくと共に、アイリだけが覚えているその姿が霧の中から露わになっていく。
ピンク色の髪を後ろで束ねたふわりとした雰囲気の女の子──"ドー"であった。
「…ッ…」
その姿を見るや否や──すぐさま、アイリが駆け寄り、ドーに思いっきり抱きついた。
「おおぅ…これまた熱烈なアプローチ…」
「…良かった…」
「…?」
「幻なんかじゃなかった…幽霊なんかじゃなかった。
確かに"ある"って、信じて良かった──
だってこうして──こうして、ちゃんと触れあえるんだからッ……」
「…そうだね。君と触れ合うのは久しぶりだ、アイリ。
──約束、覚えていてくれたんだね」
「…うん」
「…ありがとう、アイリ。
──君が友達で、本当に良かった」
ドーもまた、震えるアイリの背に手をそっと当てる。そしてその手もまた──微かに震えていた。お互い、奥底から込み上げてきた思いと喜びを留めようとはせず、ただ今だけはとその瞬間を噛みしめていた。
カズサとヨシミもまた、そんな二人を今だけは邪魔しないようにと微笑みながらただ見守り続けてくれていた。
「…この前のからかいのお返しは、また今度にしといてあげるか」
「ま、あれを邪魔するのはちょっとね」
暫くして落ち着いた段階で、再び全員が集まってこの先のことを話し合い始めた。
「"ブラックホール"に、"ホワイトホール"、ワームホール……ほうほう、大体オッケー。
何ともロマンばかりで興味深い話だけど──生憎今は真面目タイムの方が良さそうだね」
「…で、つまり…あんたがアイリの話してた"ドー"って子なのよね」
「そうともさ。ま、本名があった時は二人ともよく話した仲だったんだけど」
「というか、さっき私をそう呼んだってことは──」
「うむ。最初に飲み込まれた時に私自身から引き抜かれた記憶を、ここに入った際に直接読み込んだ影響で思い出したんだ。最も──名前だけは未だ虫食いみたいになってるけどね~」
するとドーは、片手でアイリの手を握りながら、どこかへ連れて行こうと促してくる。
「それじゃ、案内するとしよう──"彼女"の元へ」
「"彼女"?」
「もう一人──私とは別に話をすべき子がいるはずだ」
「…あぁ、そっか──確か"ブラックホール"は、ヒマリさんから聞いた話だとそうだったんだっけ…」
「にへ、分かってるなら話は早いね」
「…分かった。ドーちゃん、そこまでお願いしていい?」
「あぁ。勿論だとも」
ドーに手を引かれるままに、アイリたちは月桂樹の立つ草叢を進んでいく。
暫く行った先で、立ち込める霧は終わりを告げ──その場所へとたどり着いた。
「ここは……遺跡?」
「あそこ…あれって、神殿?」
灰色の空の下、そこにあったのは崩れかけの遺跡が発掘されたような僻地だった。
折れかけた柱、ボロボロの階段、一部が欠けた幾何学模様のレリーフ──
先ほどまでの自然と近い風景と打って変わり、殺風景かつ人の手が施されていない廃墟のようだった。
そしてその階段の前に──誰かが立っていた。
「…みんな、来てくれたんだ」
「────あなたが……"ブラックホール"……?」
その光景が現実であったというのなら、多くの人がはっきり言ってすぐに否定したことだろう。
もう一人の自分、さながらそれはドッペルゲンガーのようで──しかし、それは決して幻覚では無かった。
黒い一枚の外套を羽織り、それを腰のベルトと肩近くのピンを使って留めただけの、まるで太古の哲学者のような簡素な服装をした短髪の女子。
そして彼女のヘイローは、アイリのそれと全く同じ形でいて──しかしながら、遥かに黒い緑色の彩りへと変わっていた。
それが、"ブラックホール"──もう一人の別の世界線から来たアイリその人だった。
恐らくは、その彼女の実体こそが"ブラックホール"における核にあたるのだろう。
一言で言えば──"アイリ*テラー"とでも言えば分かりやすいのかもしれない。その変貌が、本当に恐怖によるものかはさておき。
彼女の服は既に所々がほつれたり破れたりしていて、そこから見える肌には傷や血の流れた痕が見える。それは、こちら側の世界で"ブラックホール"として受けたダメージが可視化された故か。
「もう一人の、アイリ…」
「…事前の話通りなら、別の世界線から来たっていう方になるけど」
目の前に、アイリが二人いる光景の中、カズサとヨシミもまた何とか状況を把握しようと努めていた。
その二人を見ると──アイリ*テラーは、傷ついた顔のまま薄っすらと微笑んだ。
「カズサちゃん、ヨシミちゃん、久しぶり──ううん、"初めまして"になるのかな?」
「…………そう、なるのかもね」
「…あんまそうは言いたくないけど」
一見無邪気な彼女の瞳に光はなく、虚ろながら未だ閉じることは無い。それは諦めた様子などではなく、何かの意図を孕んだ上で四人を視界に捉え続けているようだった。
「…その、大方予想はついてるんだけど…一応聞かせて貰ってもいい?私達を狙った理由」
「…それを正面切って言うのはちょっと意地悪じゃないかな、ヨシミちゃん?」
「え?いや、ごめん…そういうつもりじゃなかったんだけど…」
「冗談、冗談!私はあなたたちが知ってるアイリより口が悪いの。だからごめんね?」
「う、うん……?」
語り始めたその時から既に、アイリ*テラーは彼女たちが知っているアイリとは明らかにズレていた。朗らかな笑い方は共通しているのだが、その笑顔はどこか貼り付けたもののようで──それでいて、口調もどこか露悪的に感じた。
「簡単だよ。もう一度、みんなと一緒にいる為。たったそれだけ!」
「……私達と、一緒に…」
「じゃ、あんたの世界の私達は──」
「うん。
みんな、死んじゃったんだ」
その事実を──口にするのもやっとであるはずの残酷な結末を、彼女は坦々となんてことはない業務報告のように吐き出していた。
「最初に先生が亡くなったって聞いた時は、本当にびっくりしてたけど…すぐにそんな悠長なことをしてられないほどに、いろんな場所で揉め事や問題が起きて──気づいたら、キヴォトス全体が、だれにも止められない悲惨な状況になっていたの」
「………………」
「いやー…凄かったなぁ。あっちこっちから悲鳴が上がってて、空は土煙と火で見えなくなって。何もできないまま泣き崩れて、ただ手を引かれるままの"私"の目の前で一人ずついなくなっていったんだからさ。
そうして一人きりになった時に──空間に、"ひび"が現れたんだ。
何だったっけかな──亀裂の向こうには、空を飛ぶ二つの舟と──凄く大きな光の線が伸びてたかな?
それが気になって覗き込もうとしたら──"私"はそのまま、足を踏み外して落っこちちゃったの。
そうして──そちらの世界にある、噴水の広場に空から落ちてきたお馬鹿さんが"私"ってこと!」
「……………」
アイリ*テラーが話した、彼女がここに至るまでの経緯。四人はそれに口を挟まず、静かに聞くに留めていた。
というのも、彼女の話す体験が物語る惨状と、表情や雰囲気がまったくもって合致しないことが気になって仕方がなかった。仕草から態度まで、何もかもあべこべで不明瞭だ。
「先に言っちゃうけど、別に同情とか憐みが欲しくて話したわけじゃないから、勘違いしないでね?私はただこれをラッキーって思っただけ。
やらかしに乗じて、この世界にいるみんなを独り占めできるなぁ~って思っただけ。そこにいる"私"なんて関係なく、ね。
みんなが私のことを認めるまで──分かってくれるまで一緒にいさせるつもり。
だから──邪魔しないでほしいかなって」
久々に再会した友人を迎え入れるように、にこやかに笑みを浮かべるアイリ*テラーは──何かが狂っていた。
いや──正確には、何かが外れていた。
アイリという人物を構成するのに必要な部分が欠けたまま、どこかが損なわれて足りないままの状態──そんな感覚に四人は包まれていた。
「アイ、リ────」
「あんた──本当に…?」
「……あなたは、いったい……」
「ん?私は"アイリ"だよ?
不出来で何もできやしない、優柔不断でついていくだけしかなかった"私"。
何もできないままに、指をくわえて見ているしかできなかった私。
そのせいで──みんな、みんないなくなった。
でも、今なら。
記憶や存在まで操作できる、今の私なら。
───そこにいるアイリにとって代われる。もう一度、チャンスを得られる。
だって──みんなに私は殺せない。
──そうでしょ?」
そう言いながら──アイリ*テラーが、懐から銃を取り出し──アイリへと向ける。
「…!!!」
「下がって!!!」
すぐさまカズサが、間に割って入って自分の銃を構える。しかしその引き金にかけた指は、手汗がにじんだように力が入っていなかった。
二人のアイリの間に入ったカズサに、アイリ*テラーは笑顔のままでクスクスと笑う。
「あはは、カズサちゃん。そっちの世界の私を守るんだ。
そりゃそうだね、ずっと一緒にいたもの、当然そう動くよね。
でも──だからってこの私を撃てるの?」
「…ッ!!!」
その言葉に、カズサも動きを止めてしまう。片方を守るなら、片方を撃つことになる。
取捨選択──まるで、この状況をアイリ*テラーが望んで生み出したかのようだった。
「…わた、しは…」
「…残念だったね、カズサちゃん。──あなたの知らない人だったら撃てたのに。
でも、そういうところ、私は好きだよ?本当に"アイリ"のこと、大事に思ってくれてるんだなぁって。
…嬉しいなぁ」
「……ッ……その言葉は、ずるいよ……」
「カズサッ!クソッ…何なのよこの状況!?どうにもならないじゃないこんなの…!?」
「…あなたは…」
選択を迫られ、目が揺れ動くカズサ。介入しようにも方法が分からないヨシミ。
銃を向けられて尚、相手を見つめるしかできないアイリ。
絶体絶命の緊迫した状況で、いつ爆ぜるともわからない膠着した時が続くと思われていた。
──約一名が、思考を整理し終えたその瞬間までは。
「成程…私一人の時ははぐらかし続けていて聞き出せなかったが…今こうしてより深いところまで聞いて、確信が持てたよ。
生憎だけど──君の演技はどうにも明け透けすぎだ。そんなんじゃ、私の目は誤魔化せないよ」
ドーのその言葉をきっかけに──彼女の"重なった"仮面が姿を現す。
「…何のことかな?えっと…"ドー"ちゃん?」
「…言葉通りの意味だよ。
別世界のアイリ──いや。
アイリの中にいた、"仮想敵"くん」