フブキの言っていた特徴をもとに探すと、お目当てのスポットはすぐに見つかった。
特徴的な噴水があったのが決め手となり、そこに着くまでそう時間はかからなかった。
「ここか…確かに、これをバックに写真を撮るのも悪くないわね」
聞いていたよりもずっと広い円形の広場は白いタイルが敷き詰められており、非常に綺麗に整えられている。中心にある巨大な噴水は、真ん中にある穴を取り囲むように水が輪に沿って吹き出したり止まったりを繰り返していた。
「丁度ベンチもあるね。あそこで食べよっか」
近くにある木製のベンチに三人で腰掛ける。そこでヨシミが、先程の収穫の入った紙袋を取り出して二人にその中身を一つずつ手渡す。
「はい、これ」
「ん、サンキュ」
「ありがとう!」
真ん中に穴の空いたプレーンのドーナツを、いっせーのせで全員一口頬張る。聞いていた評判通り見事な出来栄えだったドーナツからは、出来立ての仄かな暖かさと一緒に砂糖の絶妙な甘さが舌鼓を打つ。
外はカリッと、中はフワッと。王道ながら満足感が非常に高い絶品だ。
「こりゃ堪んないわ…」
「ふふ、リピーターが多いのも頷けるね」
「はぁ〜…幸せ…」
そうして三人でその味を噛み締めていると、ヨシミとカズサのスマートフォンが鳴る。
「ん?」
「…あっ」
「どうしたの、二人とも?」
見ると二人の表情からは、どこからか木魚の音が聞こえそうなレベルで、魂が抜け落ちかけていた。その後徐々に青ざめていった後、二人はアイリに対して申し訳なさそうに頭を下げてきた。
「ごめん…今日、追試だったの忘れてた…今、連絡が入ってきたわ」
「私も…なんで二人して忘れてんだか…」
「あー…えっと、今行けば間に合いそう?」
「一応はね。だけど、せっかく待ち合わせして集まったっていうのに…ごめんアイリ」
「ううん、大丈夫。二人は急いで行った方がいいと思うから、気にしないで」
「ありがとう、ホントにごめん!お詫びにそのドーナツはアイリに全部あげるから!じゃ、また今度ね!」
「えっ!?あっ、ちょっと!?」
アイリがそこまでしなくてもと言う前に、二人は慌ただしく追試に間に合わせんと猛ダッシュで消えていった。
暫く言い合いのようなものも聞こえていたのは、多分二人して気づかなかったのを悔やんだ故だったのかもしれない。
「…どうしよっかなぁ」
一人取り残されたアイリは、これからの予定を思いつくこともなく、ベンチの上で紙袋に入ったドーナツに手を伸ばす。一口一口齧りながら、それにしてもと空を眺める。
今日は一段と風が心地よく、差し込む陽だまりも丁度良い塩梅の暖かさをくれる。
太陽の光も、真上からやや西側に傾き、もう少ししたら夕日になる頃合いだ。
「…何だか、眠くなってきたかも…」
時には、こういう場所でお昼寝するのも悪くはないのではないだろうか。そんな風にうとうとと睡魔に誘われかけた頃には、ここであったらしい噂のことなど、アイリの頭の中からは殆ど消えかけていた。
暫くして、噴水がある広場のベンチで一人の女子生徒が気持ちよさそうに寝ている光景を、通りがかった何人かが目撃していったのだった。
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「ん…?」
手放した意識を再びアイリが自分のものにした頃には、辺りは暗くなりかけていた。
日はすっかり落ちかけていて、今すぐにでも月が顔を出してしまいそうだ。
「もしかして、ずっと寝ちゃってた?」
慌てて周囲の自分の荷物を見る。見た感じ、何か物を取られたような痕跡は見られない。
つい無防備な状態で長時間眠ってしまっていたことを、アイリは恥じていた。
「良かった…次から気をつけないと」
取り敢えずホッと一息つき、心の平安を保つためにも紙袋からドーナツを一つ取り出す。
それを一口頬張ろうとして、アイリはふとそのドーナツをじっと見つめる。
「…そういえば、この穴は何なんだろう?」
何の変哲もないことがアイリは気になり、ウインクした状態で開いた方の目を近づける。
普通に考えるなら、作る上での製法的な意味があるのではないかというのが一番最初に来る解だかもしれない。
しかしアイリは、何となく穴の向こうを見つめながら、更にもう一つ突拍子もない疑問が浮かんだ。
穴を通してでしか見えなくなった世界は、一見はさっきまで見ていた風景と同じかもしれない。
でも、もしこの穴がただの穴じゃなくて、どこか違う所に通じているとしたら──この先にあるのは一体何なのだろう。
もし──その先にあるのが、自分の知らない違う世界なのだとしたら?
「…なんて、穴の向こうが違う世界なわけないよね」
そうアイリが一人呟いた時だった。
「随分と面白いことを言うんだね」
──その穴の輪郭の外から、ひょっこりと一人の女子が現れたのだ。
「わあぁぁぁぁ!?」
突然の来訪者の登場に、アイリは驚きのあまり飛び退いてしまった。
手に持ったままのドーナツが目元から離れても、アイリの目の前にその子はいたままだった。
淡いピンク色の髪を後ろで束ね、トリニティのセーラー服を着用している。
とろんとしたような目つきと、先程聞いた独特でゆったりとした声。
一言で言えば、"ゆるふわ"という印象を抱かせてくる子だった。
ドーナツで狭まった視界の端から現れたその未知との遭遇は、アイリを驚かせるには充分だった。
「だ、誰…?」
ところがその子も、アイリが自分に気づいたのが予想外と言わんばかりに、目をぱちくりとさせた。
「…君には、私が見えるのかい?」
「え?」
その意味深な発言をしたかと思えば──徐々に女の子の瞼に涙が滲み始め、ポロポロと地面に溢れていく。
目の前の少女が、自分と会うや否や泣き始めた光景に、アイリは困惑せざるを得なかった。
「え、えっと…どうしたの?大丈夫?」
一先ず話を聞こうと、アイリはその子に話しかける。
すると、泣いていた少女は目元を腕で拭うと、仄かに笑った。
「大丈夫…嬉しかっただけ。気にしないで」
「そ、そうなの…?よく分からないけど…」
今だに状況が掴めないアイリの隣に、ピンク色の髪の子はストンと座り込む。
「何でもないよ。私はただの寂しがり屋さんみたいなものさ。
ここ最近ずっと、一人ぼっちだったからねぇ」
そう語る少女は、どこか虚空を見つめながら両手の指を組む。
微かに彼女が浮かべたその笑みが、アイリにとってはどこか寂しさを秘めたものに見えていた。
「…あ、あの」
「?」
「…私でよければ話を聞くけど…どうかな?」
それを聞くと、彼女の表情が次第に明るくなる。
「本当?」
「う、うん。うまく聞いてあげられるかは分からないけど」
「…ありがとう。君はきっと、とても優しい人なんだね」
「そ、そうなのかな?」
「きっとそうだよ。ねぇ、名前を聞かせてもらってもいい?」
「名前?…アイリ。栗村アイリだよ」
「アイリ…うん。よろしく、アイリ」
「よ、よろしく…あなたの名前は?」
自己紹介をしたアイリが、今度は彼女に聞き返す。すると、彼女は困ったように腕を組んだ。
「名前?んー…どうだったかなぁ。実は、覚えてないんだよね」
「え、覚えてない…?」
「そう。まぁこの際、どうとでも呼んでもらって構わない。
あ、”ドー”とでも呼んでもらっても構わない」
「て、適当すぎないかな…?じゃあ、ドーちゃんって呼べばいいの…?」
「うむ。ドーぞよろしく」
あまりにその場で決めたとしか思えない名前を口にしながら、そのピンク髪の少女は両手でダブルピースを作ってアイリに見せつける。いまいちテンションがよく分からない子だ。
「う、うん…それにしても、名前を覚えていないってどうして?」
「実を言うと、名前を含めて記憶そのものが無くてね~。自分が何者かすらも分からないって感じなんだ」
「そうなの!?」
「そーなのだ」
直近で記憶障害を患っていたアイリとしては、自分と同じく記憶を失った子に会うとは思わなかっただろう。
どこかシンパシーを感じた故なのか、アイリはふと自分のことについて話し出していた。
「…私も、少し前に記憶を失っていた時期があって」
「ほう?それはまた奇妙な巡り合わせだね」
「うん、何だか不思議な縁があるのかな。
その時は、一日経つと昨日あったことがさっぱり頭から抜け落ちてたりしてて…でも、色んな人に助けてもらって、何とか乗り越えていったんだ」
「…ふむ。それは人望の賜物と言うべきか──よほど君は、周囲の人に愛されていたのだろうね」
「前の私なら、きっとそう思えなかったと思う。でも今は──そう思えるし、それが嬉しい」
「…ふふ」
「あっ、ごめん…つい自分のことを話しちゃって」
「気にしなくていいよ。アイリのそういう顔、何だか私は好きだな~」
「えっ?」
ドーが自分の方を見ながら優しく微笑んできた為、アイリは火照るように顔に熱がこもっていくのがわかった。
正面切って人から肯定されるのは、案外恥ずかしいものなのである。
「まぁ何はともあれ、我々は仲良く"記憶喪失連合協会"の同士というわけだ。パチパチ〜」
「あんまり嬉しくない協会名だね…」
「それはそれとして。アイリ、君はさっき興味深いことを言っていたじゃないか」
「え?何のこと?」
「ドーナツを目に当てながら、"穴の向こうが違う世界な訳"とか言っていたと思うがね」
「あぁ~…あはは、単に変な思いつきみたいなもので…何であんなよく分かんないこと考えてたのか…」
そうアイリが、自分の言動が小っ恥ずかしいと言わんばかりに顔と手を振って否定した時。
「…いや、寧ろ素晴らしい」
ドーは椎茸のようになった目を輝かせてアイリを見つめ、右手でグッジョブのサインを作っていた。
「…え?」
「いやー、まさか私以外にそんな風に考える子がいたなんて…これは感動。まさしくロマンが叶った瞬間だ」
「ロ、ロマン?」
「うむ。ロマン。私はね、こういう事を語り合える友をずっと探していたのだよ。そしてその運命の瞬間にこうして立ち会えた。これを感動と言わずして何という!」
「お、大袈裟じゃないかな…?それに、私の言った事なんてただの絵空事というか、空想というか…実際にはないものだと思うし」
「ふむ…では逆に聞こう」
「アイリは、何故それが"ない"と言いきれるのかい?」
「え?」
「確かに、普通に考えれば空想に過ぎないだろうね。"ただの時間の無駄遣い、現実じゃ有り得ない、科学的に不可能"…まぁ、大半の人はそう言うだろう」
「そ、そうだね…」
「しかし──世界とは不思議なものだ。この世の中には、理解が及ばない現象や存在に満ちている。そして人々は、それを完全には否定できない」
「…?」
「幽霊なんてありえないと言いながら、心霊スポットを怖がってしまうように。
神様なんていないと言いながら、死にそうな時に縋り付いてしまうように。
運勢なんて信じないと言いながら、おみくじの結果を覚えてしまうように。
そして或いは──」
そこでドーは指をパチンと弾きながら、アイリが手に持っていたドーナツを指差した。
「その"ドーナツの穴"のように」
「…???」
あまりにも抽象的で、掴み所がない。辿り着く先が全くもって不明瞭なその話し方に、アイリは混乱して目を回しかけていた。
「おっと、これは失礼。もう少し噛み砕いて説明しよう。さながら硬いビスケットを食べるようにね」
ドーはそこで、ドーナツの真ん中にある穴を指差した。
「もっとシンプルに行こう。アイリに一つ質問するなら──
アイリから見て、そのドーナツの"穴"はあるように見える?」
そう問いかけられたアイリは、一旦思考をゼロに戻す。言われたことにより単純に答えを返す。
「うん…あるように見えるけど…」
「なるほど。だけどアイリ、"穴がある"って言葉、変だと思わない?」
「えっ?」
「だってさ、穴の所って見えないし触れないし、穴そのものはただの空っぽな何もない空洞じゃん。なのに、みんなそれを"ある"って言うんだよ?」
「…たし、かに?」
「人間ってのは面白いことに、目に見えるものに飽き足らず、見えないものまで概念化して呼称するんだ。"ない"ってことそのものが"ある"って感じにね。
まるで、それで自分がその"ない"を理解したのだと、認識の範囲内に収めて支配したのだと言わんばかりに」
「…でも、そうしないと説明ができないし、分からないままになっちゃうと思うけど」
「そう。だけど、私はそれが真理だと思ったりもしてる。
結局のところ、その"ない"が一体何であるのか、誰も本当の所は詳細には把握していない。
人は自分が思っている程に、目に見えているはずのものをきちんと見てはいないんじゃないかってね」
「成る程…」
「逆に言えば、目に見えないものの中には、それが実在するなんてこともあるかもしれない。アイリが言った、穴の先の別の世界なんてないっていうのも、実は見えていないだけで本当はあるのかもしれない。
私はそれを──"ロマン"と呼んでもおかしくはないと思っている」
「ロマン…」
「ロマンとは"空想"。ロマンとは"夢"。ロマンとは"心"。大人に近づくになるにつれ、徐々に考えなくなっていくその理想たちを、私は追い求めるのが好きなんだ」
「そっか、ロマンかぁ…」
そのワードに、なんとなく惹かれるものがある。自分にとってはあまり浮かばないものかもしれないが──ドーの言うそれを考えるのは、どこか楽しいのかもしれないとアイリはふと思った。
「ふふ、ちょっと面白そうだね」
「おぉ、アイリもそう思ってくれるのか。やはり私の慧眼に狂いはなかったね。
しかし…そういったロマンを語り合うには今日はもう遅い。残念だが、君はもう帰った方が良いだろう…」
そう語るドーの顔は、これでもう永遠に会えなくなってしまいそうな程、哀しい表情をしていた。どうやら、もうここにアイリは来ないのだと思っているのかもしれない。
「そ、そんなに哀しそうな顔しなくても大丈夫だよ!また明日、ここに来るから!」
「…本当に?」
「本当。じゃ、それを約束するために…ドーちゃん」
アイリはそこで、ドーの方に向き直りながら元気よく宣言する。
「私と友達になろうよ。そしたら、私が来るって信じられるんじゃないかな」
「友達…」
その響きがよほど気に入ったのか、ドーはコクリと頷いて返す。
「勿論。アイリと友達になれるなら、私は嬉しい」
「ふふ、じゃ決まりだね」
「友達のロマン、これにて達成!」
「それもロマンなんだ…」
そうして不思議なロマンチストことドーと出会ったアイリは、再びこの噴水の広場で会う約束をし、「また明日」の挨拶でその日は解散したのだった。