翌日。
ホームルームが終わって放課後になった所で、アイリは早速例の場所へと向かうことにした。
すると、廊下に出た直後に、カズサとヨシミが待っていた。
「あ、お疲れアイリ」
「お疲れ様、二人とも。どうしたの?」
「いや、その…昨日途中で私たちだけ離脱しちゃったじゃない。それのやり直しってことで、アイリの行きたい場所に一緒に行こうかなって思ってね」
「な、成る程…」
そこでふとアイリは、今日行こうとしていた場所にいる彼女のことを思い出す。
友達というのは多ければいいって訳じゃないかもしれないけれど、私が彼女に紹介するくらいなら大丈夫ではないだろうか。
そう考えたアイリは、せっかくなのでと二人に提案する。
「それなら、丁度行く場所があるから、二人も一緒に来てほしいんだ」
「もちろんいいけど、どこに行くの?」
「昨日行った噴水の広場は覚えてる?二人と別れた後にその場所である子と出会って、仲良くなったんだ。今日も会う予定をしてたんだけど、もし来てくれたら二人とも仲良くなれないかなって…」
「へぇ…どんな子なの?」
「えっと…結構不思議な子って感じ?時々難しいことを言うけど、優しくて面白い子だよ」
「ふーん、ちょっと興味あるかも。じゃ、行ってみよっか」
「うん!」
カズサとヨシミから了承を得たアイリは、噴水の広場へ向けて足を進めていった。
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噴水の広場に到着したアイリを、例のベンチの近くでドーは快く迎えてくれた。
「やあやあアイリ、待ってたよ。…ん?そっちの二人は?」
首を傾げたドーに、アイリは自分の友達であることを説明する。
「えっと、私の友達。こっちの金髪の子がヨシミちゃんで、こっちの黒髪の子がカズサちゃん。良ければ、私を通して友達になれないかなって…」
アイリが二人を紹介しようとした矢先──
彼女以外の全員が、複雑そうな顔を浮かべていた。
カズサとヨシミは、アイリがしていることがよく分からないといったような、若干戸惑った表情。
ドーの方は、こうなることに何故自分は思い至らなかったのかという、やや虚ろで寂しげな後悔の表情。
ファーストコンタクトが思った通りのものではない歪な状況に、アイリも徐々に焦りが生まれ始めた。
「え、えっと…どうしたのみんな、そんな顔して?」
そこで最初に口を開いたのは、ヨシミだった。
「アイリ…その、今から言うことで気を悪くしないでほしいんだけど、いい?」
「え?う、うん…」
「アイリがいうその友達──
私には、誰もいないように見えるんだけど」
静寂が、全員の間に流れた。
アイリにとって、その言葉が脳内で理解するまでになるには、少しばかり時間が必要だった。それでも最終的に呑み込んだ内容から、彼女の中で最初に起きたのは感情の錯乱だった。
「…誰も、いない?」
「うん…アイリ。私にもそう見えてる。そこには、誰も居ないんだ」
側にいたカズサもヨシミの言葉に同意する。それが意味するのは、本来であればありえないはずの現象だった。
「…そんな…じゃあ」
アイリの視界には三人。カズサとヨシミの視界には二人。
瞳に映る人数の差が埋まらないまま、アイリは愕然とした。
二人が嘘をついているとは思えない。恐らく、二人にとってはそれが真実だ。
では、アイリの真実は。彼女の瞳に映っている光景は一体何なのか。
「…私にしか、ドーちゃんは見えていない…?」
視線が泳ぎ、安定しなくなっていくアイリに、ドーが躊躇い気味に答える。
「ごめんね、アイリ。昨日、もし君に話したら逃げられちゃうんじゃないかと怖くなって、話さなかったことがあるんだ」
「どういう、こと?」
ドーは、口にするのも憚られるとばかりに内に秘めていたその事実を、恐々としながらもアイリに告白した。
「私は人間じゃない。本当なら誰にも見えないはずの、実体のない意識だけの概念みたいなものなんだと思う。分かりやすく言えば──幽霊みたいなものだ」
それはまさしく──昨日彼女と話した内容そのもの。
ドーは──"ある"のに"ない"、認識のしようがないはずの存在だったということだった。
そういえば昨日、彼女は泣き出す直前に微かだがこう言っていた。
────「君には、私が見えるのかい?」と。
「…嘘」
アイリが肩から下げていたバッグが、音を立てて地面に転がる。
「じゃあ、どうして──なんで私にだけ、ドーちゃんが見えているの」
震える唇から零れた疑問に対して、ドーもまた困ったように目線をそらす。
「それは…私にも分からない。私のことを認識したのは、アイリが初めてだったんだ。正直、私も誰にも気づいてもらえないんだってずっと思ってたから。
だから──私は嬉しくて。自分が人間じゃないって、気づかれたくなくて黙っていたんだ」
「……ッ」
今の現状を否定したくなる。疑って、本当は違うと叫びたくなる。
アイリは奥底の本能が働きかけたのか、ドーに恐る恐る手を伸ばしていく。
彼女たちの手が、触れ合うように重なる瞬間。
アイリの手は、彼女の手をするりとすり抜けた。
実体があるはずと証明したかったはずのその行動が──皮肉にも、実体がないことを証明してしまった。
「……!?」
アイリは──呆然としてしまった。
昨日話したばかりの人が、実は自分以外の誰にも見えないということ。
二人で話していた、空想を肯定しても良いんじゃないかという話を何故彼女がしたかったのか、そこでようやく理解した。
彼女自身が──一種の空想であり、肯定されることを望んでいたのだ。
気まずい雰囲気に包まれた広場の中、その沈黙を最初に破ったのはカズサだった。
「…取り合えず、まずは落ち着こう。そこにベンチもあるし、一旦状況を整理しよっか」
「…うん」
「そうね…」
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席に三人で座ると、ドーはその近くでベンチに寄りかかる感じで立っていた。
アイリとしては彼女の分のスペースを確保してあげたかったのだが、ドーの方からそれを断られた。
「無理にしなくていい、アイリ。元々、そのスペースは実体を持つ君らの為のものだ」
そう返事をして立ったままの彼女に、アイリは歯痒さを感じてしまう。
「…さて。じゃ、一先ず整理しよう」
そんなアイリを横目で見ながら、カズサが話を進めてくれる。
「昨日私たちがいなくなった後、アイリはここでそのドーっていう子と会った。それで仲良くなるまでに至って、今日また会う約束をしていた。
そして、その子と私たちが仲良くなれると思って、約束の場所に私たちも誘った。
…だけど、実際に来て分かったことは、アイリにしかその子が見えないし、声もアイリにしか聞こえないってこと。
あと、さっきのアイリの動きを見た感じ、多分触ることもできなかったんだよね?」
「そう、だね…」
「アイリから見て、その子はまだ近くにいるのよね?」
「うん、近くにまだ立ってる」
「うーん…何というか意味不明な状態ね…」
両腕を組んで頭を捻るヨシミの側で、カズサは更にアイリに質問する。
「他に何かその子から聞いてる?住所とか、どこの学校とか」
「それが…実は"ドー"っていう名前もその時適当に決めたようなものみたいで…本当は、何も覚えてないみたいなの」
「え、それって記憶喪失じゃないの?アイリもちょっと前にそんな風になってたけど」
「うん、そうなんだ。だから、妙に親近感があったのかも」
「そうなると、ますますもって誰か分からないじゃない…」
「あ、でもトリニティの制服を着てるから、私たちと同じ学校に来てたのは確かだと思う。見た目は…ピンク色の髪をしてて、ふわっとした雰囲気をしてる」
「そっか…分かった。一先ずありがとう、アイリ。
じゃ、話を進める前に──」
そうして一つ息を吐き、目を閉じたカズサは──座っていたベンチに余白を作ろうと、ヨシミの方へと寄っていく。
「え、ちょ、カズサ!?」
「ヨシミ、もう少し寄せないと。じゃないと──
そのドーって子が座れないでしょ」
「「え?」」
アイリとドーが、その言葉に同時にあっけにとられる。
ヨシミはと言えば、最初こそ寄ってきたカズサに何事かと動揺していたが、その言葉を聞くと大した事なさそうに受け止めた。
「…あ、そういうことね」
そして、二人してベンチに一人分の余白を作り出した。見たり聞いたり、果てには触ることもできない認識外の子のために。
彼女達は、さも当然のように席を空けたのだ。
「あの、カズサちゃん、ヨシミちゃん…」
「ん?」
「どしたのアイリ」
「その子がいるってこと…信じてくれるの?」
アイリのその問いかけに、二人はキョトンとした顔をした後、当たり前のように答える。
「そりゃ…まぁ」
「そうだけど?」
「…………」
正直、今二人がやっている事は異常に見えても可笑しくない。そこに本当にいるかも分からない存在を、いとも容易く彼女達は受け止め、それを前提として動いたのだから。
「ど、どうして?私が嘘をついてるとか、からかってるとか…」
そこまで言いかけたアイリに、二人は同時に大きな溜息をついた。
「あのね、アイリ…あんたがそういう事を言う子じゃないって分からないほど、私達バカじゃないわよ」
「そっ。アイリがいるって言うなら、そこにいるんでしょ?まぁ、ヨシミだったら疑ったけど」
「は!?」
「アイリが私達に嘘を言ったり、からかったりしたことはなかったし。だとすれば…きっと何かしらの原因があるのかも。前にも空が赤くなって大騒ぎになったことがあるから、存外何が起きても否定できないんだよね」
そんな二人の返答が予想外だったのか、アイリとドーは二人して暫く固まっていたが、次第に顔を見合わせ、思わず笑みを零した。
「ふふっ…」
「ちょっ、アイリ!そこで笑うのは酷いわよ!?」
「あ、ごめん…正直信じてもらえるとは思ってなかったから、嬉しくてつい…」
「当然でしょ、友達だもの。さて──ドー、だっけ?取り敢えず座りなよ。まぁ、私とヨシミにはあんたがいるのが見えないんだけど…」
そうぶっきらぼうに言いながら、カズサが空いたスペースを手で軽くトントンと叩く。ドーはカズサの仕草に微笑みつつ、そのスペースに腰を掛けた。
「──アイリ。君はやはり愛されているんだろうね。良き友を得ているようだ。
それにしても、本当の意味で"幽霊部員"になってしまうとは…これには私も予想外だ」
「"幽霊部員"って…自分から言っちゃうんだね…」
「え、ドーがそう言ってるの?自虐ネタじゃないそれ?」
「…なんか思った以上にユーモラスだね、そいつ」
かくして放課後スイーツ部には、幻の4人目である"幽霊部員"が新たに加入した。
アイリを通してドーの発言を聞けば聞くほど、カズサとヨシミにはよりこの事態の信憑性が増していくのがわかった。
というのもこのドーという子なのだが、口調や考え方、態度がとにかくクセが強いのだ。
空想やロマンを語る哲学的な一面があるかと思えば、あからさまにこちらをからかってくるお調子者のような時もある。そのからかいをアイリから聞く度に二人は苛ついて「こいつぶん殴ったろうかな…」とできもしないことでキレるものだから、騒がしいことこの上なかった。
しかし面白いことに、アイリからするとこの四人の時、全体のバランスが絶妙に噛み合っているようにも感じた。
いつもなら事あるごとにカズサとヨシミは口喧嘩が始まるのだが、なんだか彼女がいるとその喧嘩の矛先が上手いこと彼女に向き、そしてギスギスとした空気にならないように逃させているように見える。
まるで苦味辛味をうまく中和し、穏やかにしてくれるミルクみたいに。
「ふぅ…聞けば聞くほど変なやつね…正直どつけないのが腹立つわ」
「全く。いつか実体で出てきたら覚えてなよ、多分そこにいるあんた…」
「おぉ〜、怖い怖い。いやはや、概念でいるのも悪いことばかりじゃないね」
「あはは…あんまり言うとあとが怖いよ、ドーちゃん…」
そうして気がつけば、持ち寄ったスイーツ入りの紙袋は底をつき、夕日も見え始めた頃になっていた。
「さすがにそろそろ帰ろっか…そういえば、アイリは昨日もドーとここで会ったんだよね。普段はどこにいるの?」
「そういえば…ドーちゃんは帰る場所ってどこなの?」
しかし彼女は、首を横に振ってその質問を否定する。
「私はどうやら、ここから出られないらしい」
「出られない?」
「無理にここから出ようとすれば、私の体は透け始めるんだ。
おそらく、この広場から出れば──私はきっと消えてなくなる。そんな予感がある」
残念ながらと肩をすくめたドーの浮かべた笑みは、アイリから見るとどこか作り笑いのようにも見えた。
「そう、なんだ…カズサちゃん。ここからは出られないんだって」
「…そっか」
自分の行きたい場所に自由に行けず、広場の中で誰にも見つけて貰えないまま一人ぼっち──どれだけ寂しくて辛いものだろうかとアイリはふと想像し、胸の奥が縮むような恐怖を覚えた。
それを察したのか──ドーはアイリを気遣ってか、ふっとため息をつく。
「やれやれ、アイリ。君はどこにもいないであろう"私"の為に哀しんでくれるのかい?
"悲観主義者は穴を見る"なんて誰かが言ったみたいだけど…君は本当に心のそこから優しいんだね」
「だって…私にとってあなたはいるって思えるから。もし自分がそうだったらって考えたらとても怖くなる。
二人はどうかな…?」
側にいる二人にそのことを話すと、先ほどとは打って変わってバツの悪い顔になった。
「そうね…もし自分がそうなったら流石に辛いと思うわ。カズサ、あんたなら耐えられる?」
「無理だと思う。最初はなんとかできてても、そのうち人肌が恋しくなってアウト」
「だよね…」
四人の間に、どこか陰鬱とした雰囲気が漂い始める。それでもアイリはなんとか元気を出そうと呼びかけようとした。
「でも、ここに私達が来ればまた会えるよ。だから、また待ってて──」
それを遮ったのは──突然彼女の脳裏に走った鋭い頭痛だった。
「うッ…!?」
「アイリ…?どうしたの、急に頭を抱えて…?」
「ご、ごめん…なんだか、目眩が…ッ…」
そのまま彼女は、体勢を崩してよろめきかける。
「アイリッ!!!」
慌ててカズサとヨシミがそれを支え、側にいたドーも心配そうにアイリを見つめる。
しかしその当人であるアイリは、脳内に突然、白昼夢のようなものが流れ出すのをただ受け止めるしかなかった。
「なにか──見える、ような──」
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「■■、常々思うけど、あんたのその発想力ってどっから出てくるの?ま、聞いてて飽きないから別にいいんだけど」
「ふっふっふ…ヨシミ。大事なのは何を見るかじゃない。どう見るかなのだよ。視点一つで、全てのものはあり方を大きく変える」
彼女はヨシミに半ば教師のごとく講釈を垂れる。側で聞いていたカズサが、それをジト目で眺めている。
「んー…でもあんたの持つその視点ってやつが、私達には難しいんだけど…」
「まぁそうかもしれない。私も言ってみただけだしね」
「思った以上に適当だったわ」
するとそこで、隣で"私"がその視点について提案する。
「それなら、■■ちゃんが何かお題を出して、それを皆で考えるのはどう?」
「へぇ、それはちょっとありなんじゃない。ちょうど暇だし。■■、なんかないの?」
「うーむ…急に言われると出てこないよ」
そうして暫く考えていた彼女は、やがてひとつ思いついたワードを口にする。
「じゃあそうだね…ホットチョコレートの如く、熱くて甘〜いもの…
"友情"なんてどう?」
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「アイリ、大丈夫!?聞こえる!?」
「ちょっと、これまずいんじゃないの!?」
意識が再び覚醒する。僅かな時間、アイリは自分が強い睡魔に襲われていたのだと自覚する。カズサとヨシミに抱きかかえられている状態から、彼女は淀んだ意識の中からなんとか立ち上がる。
そこで、アイリはドーを──"私"は"彼女"を見ていた。
「……ドーちゃん」
「…どうしたの、アイリ」
自分のことを不安げに見つめていたドーに対し、アイリは乾いて掠れ切った口をなんとか湿らせ、言葉を紡ぐ。
「私達──前に会ったこと、ある…?」
「…?」
「アイリ?」
「どうしたのよ、急に…」
側の二人に手を借りながら、アイリは自分が見ていた夢について想起する。
夢の中にあった記憶の持ち主──その正体について、彼女は大方確信がついていた。
「私、今さっき見たんだ──ドーちゃんの記憶を。
本当の名前で呼ばれてた、あなたと私達が一緒にいる記憶を」