それから一週間が経った頃。
「やぁ、アイリ、お疲れ様」
「こんばんは、ドーちゃん」
もうすぐ夜になる日暮れの景色の中、アイリはその日も噴水の広場へとやってきていた。
ここ一週間、アイリはずっとこの噴水へと通い詰め、少しでもドーが寂しくないようにとアイリなりに会い続けていた。
「すっかり暗くなっちゃったけど…大丈夫かい?」
「大丈夫、この時間までなら平気だよ」
「そっか、それならいいけど」
広場に立てられていた街灯が、徐々に瞼を開いていく。
灯されたその視界に晒されて、アイリは眩みそうな目を思わず手で遮った。
「今日はどうだったの?」
「…ごめん、今日も特には」
「まぁ、そう簡単にはいかないだろうね~」
レイサやスズミも含めた協力体制の元、ドーの名前や正体などを突き止めようと動き続けていた放課後スイーツ部一向だが、一週間くまなく探しても効果は無かった。
ちなみに、アイリが描いてみた似顔絵に関しては四人とも心当たりはなく、アイリは半分は自分の絵が下手だったからではないかと内心がっくりしていた。
「アイリの似顔絵は上手かったと思うけど。私の個性的な見た目をよく捉えていたし」
「そ、そうだったかなぁ…」
「うむ。あまり気に病むと体に毒だよ」
被写体であったはずの本人にフォローをされてしまい、これにはアイリも思わず苦笑いをしてしまう。
一方の彼女は、暗に支配されていく夜の傍に浮かぶ月を、ぼんやりと眺めていた。
「とはいえ、思った通り厄介だね。アイリは疲れてない?せっかちにならず、ゆとりを持ってやってね。
休憩のご褒美タイムは大事だよ〜?」
「あ、ありがとう。でも大丈夫だよ。まだまだこれからだと思うしね!」
ドーの気遣いに応えるかの如く、アイリはグッと両手の拳を握ってみせた。それをみて、ドーは思わず「おぉ〜」と感嘆の声を漏らす。
「アイリは強い子だねぇ。よしよし、本当に休みたくなったらいつでもここに来たまえ。例え私が君に触れられなくとも、確かな温もりを与えてみせよう」
「ふふ、その時は頼らせて貰っちゃおうかな!」
「にへへ」
どこか大胆不敵に胸を張ったドーに、アイリはほんの少しだけ勇気を貰った気がした。やはり、こんなにも感情豊かで気配りが利く子がいないだなんて到底思えないし、思いたくもない。
「因みに、今の所は他に何か策はあるの?」
「実は明日、シャーレの先生に相談してみようと思うんだ」
「シャーレ?先生?」
その二つのワードに、ドーは心当たりが無いようだ。以前の彼女であれば、どこかで彼とは顔を合わせていてもおかしくはないのだが、その記憶も失われてしまったのだろうか。
「えっとね、いろんな学校の生徒からの要望に応えて助けてくれる、大人の先生がいるの。あの人ならきっと、この問題を解決する糸口を見つけてくれるかもって」
「ほう…そんな人が。でも、最初からその人に頼らなかったのには訳があるのかね?」
「あはは…先生はいつも忙しそうにしててね。言った通り、あちこちの生徒さんのところに行くから、この話をしに行くにも流石に気が引けちゃって。もし頼むなら、私たちのできる限りのことをしてからにしたかったんだ」
「あくまで最後の頼みの綱として、か。律儀だねぇ」
最も、先生に話せばきっとこの話を真剣に聞いてくれるという確証が、アイリにはあった。その上で、彼女は彼女なりに、ただ頼りきりになるのは嫌だったのだろう。
「明日、直接シャーレに行って話す予定にしてるんだ。ドーちゃんのことを覚えているかは分からないけど、やれるだけやってみようと────」
そう、アイリが言いかけた時だった。
明滅が、辺りを包んでいく。
光を放っていた街灯が、一つ、また一つと消えていく。かと思えば、激しく点滅を始めた。
広場の中を、明暗が目にも止まらぬ早さで交差していく。
「て、停電…?」
「…にしては何か妙だ」
カチ、カチ、カチ、カチ。
灯された明かりが光っては消え、アイリの影が現れてはいなくなる。
その不気味さに、異様な寒気が背筋を這う。
今自分たちがいる場所そのものが、まるで別次元の異空間であるかのように。
「…アイリ」
「…ドーちゃん?」
ドーの声色が、焦りを滲ませるものに変わる。一足早く、彼女は何かに感づいたようだった。
「離れた方がいい──この広場から一刻も早く」
「え───」
地面が徐々に鳴動する。
街灯が消える。
広場が黒に覆われる。
その時だけ、少しばかり長く続いた暗闇の一角で──
アイリの横を"それ"がすれ違う。
彼女が持っていた"ある"ものを一つ奪い、通り過ぎてゆく。
再び灯った照明が、その顛末を映し出す。
そこに描かれた風景では──
左腕の半分、前腕の部分を失くしたアイリが立ち尽くしていた。
「…あ」
遅れてやってきたのは、痛みだった。
皮膚の内側の肉に、熱く焼けた鉄を押し付けるような激痛。
突然来訪したその痛みは、アイリを混沌の渦へと叩き落とした。
「あああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
失った左腕のの残った部分を、反射的にアイリは爪が食い込むほどに握りしめる。
絶え間なく襲いくる神経からの信号が、脳にその危険性をこれでもかと訴えかけてくる。
「う──ッ──あぁ──あああ───」
「アイリッ!!!」
顔面を蒼白にしたドーが、慌てて駆け寄ってくる。
しかし彼女は──失われた左腕を見た瞬間、ピタリと動きを止めてしまう。
「アイ、リ…?」
「…ッ…ドーちゃん、どう、したの───」
同じく左腕に視線を向け──アイリは絶句する。
「───え」
左腕は、まるで鋭利な刃物に削ぎ落とされたかのように、綺麗さっぱりなくなっていた。
だが、命を繋ぎ止める役割を果たしてくれる、貴重な血液が流れ出すことはなく。
代わりにそこには──白く光る穴がぽっかりと虚を晒していた。
「血が、でない…?それにこの穴は…?」
自身が受けた傷の不可解な点を確かめようと、アイリは元凶が通り過ぎた先を垣間見た。
「──何か、いる──」
そこにいたのは───一言で言うならば"管"だった。
光さえも吸い込んでしまいそうな程に黒く、人の身長をゆうに超える大きさの深い穴。その穴を先端に侍らせた、ガラスのように透明で蛇の如く長く巨大な管。反射する光によって、その輪郭が微かに追えている状態だった。
そんな得体の知れないチューブのような奇妙な存在は、全身を蛇行してくねらせながら、広場の中を這いずり回っていた。
脳が理解を拒んでいる。
あれは理解してはいけない、知ってはいけない。
そういう類のものではないのかと──理性が必死になって本能に叫んでいた。
「────走るんだ!!!」
「!!!」
その命令が足に伝わるや否や──ほぼ同時に二人は走り出した。
広場の外に向けて、一目散に、がむしゃらに。
肺はいつもより多く酸素を求め、怯えて竦んだ爪先を無理やりに前へと押し進める。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ……!!!」
後ろに目を配る余裕はない。ただ今は、この身に降りかかった危機から逃れる事だけが頭にあった。
しかし、並走して広場の外へと逃れようとした二人には──やがて、徐々に差がつき始めていた。
「!?」
変化が現れたのは──ドーの方だった。
「ドーちゃん!?」
「ハァッ、ハァッ…やっぱり、こうなる、か──」
彼女の足の歩幅が、数センチずつ狭まっていく。
その体は不透明度を失っていき、アイリはドーが本当に幽霊になっていく様を見せつけられている気がした。
やがて二人は──広場の外と中を分ける、円形状の広場の外周で区切られたように隔たれていた。
「早く──ドーちゃん、こっちへ!!!」
円周の外から、アイリは残った右手でドーを掴もうとする。しかしその右手は彼女に触れる事なく、そこでドーは力なく膝を折って前かがみになっていた。
「無理だ、アイリ──私はここから出られない」
「そんな、駄目だよ──このままじゃ!」
ふと、ドーをみるために振り返ったアイリが顔を正面へと向けた瞬間、すぐそこに"それ"が迫っていた。
「後少し、ほら、すぐそこだから──ねぇ、お願い──お願いだよ……早く…」
大きく空いた穴が、コチラを覗き込むようにゆっくりと迫る。その先は、誰にも見えないはずのドーを定めていた。
そして上から捕食するかの如く、大きく空いた先端の穴を彼女の上空へと置いた。アイリはそれを自らの手で邪魔する事などできはしないのだと悟ってしまった。
「あ…………」
駄目、連れて行かないで。
私の友達を拐わないで。
そう叫ぼうとしてもできない喉に叫びを詰まらせ、アイリはドーを必死に繋ぎ止めようと右手を伸ばす。その手も虚しく空を切り、掴みたかったその誰かに届くことはなかった。
「──アイリ」
繋がれないままに重なった手の中で──ドーは何故か笑っていた。
「…どう、して…笑って──」
「アイリ、気にすることはないんだ。元より存在しなかった意識がただ消える。それだけのことさ」
「あぁ、でも。もし一つあるとするならば──
約束を、してくれるかい」
「約、束…?」
「うん。もしできるなら──
私とアイリのロマンを、忘れないであげて。
それがきっと、いつかアイリを助けてくれるから」
「ドー、ちゃん…」
「…ここでお別れだ。私を見つけてくれてありがとう。本当に…嬉しかった。
それじゃ──バイバイ、アイリ」
その言葉を最後に──彼女とアイリの右手を、"それ"が呑み込んだ。
「あ、あぁ────────────」
透明な管の怪物は、目的を果たすとそのまま地面から地中へとすり抜けながら進んでいき──最後には、どこにもいなくなった。
「…………」
伽藍堂になった暗い噴水の広場の端で、虚ろな瞳のままに揺蕩っていたアイリは──
そのままあっけなく、意識を手放してしまった。
────────────────────────────────────────────
「どうして、こんなことになったの──」
「分からない…そもそもアイリはなんであそこで倒れて──」
ぼんやりと、聞きなじんだ声が鼓膜に響く。だが、その声が誰のものだったかすぐに思い至らない。
(この声…誰だっけ…そもそも、私はどうしたんだろう…?)
「カズサ、アイリから何か聞いてた?」
「特には…でも、ここの所よくそこに通っていたのは知ってるけど」
徐々に意識が覚醒していく。と同時に、自身に起こった出来事が脳内で鮮明に蘇っていく。
(確か──広場で何かに襲われて──■■ちゃんがそれに飲み込まれて──)
「…ッ!!!」
途端に、意識が急激に引き戻される。反射的に上体が起き上がり、アイリは自身がどこかで横たわっていたことに気づいた。
空いた瞼に天井の照明の光が突き刺さり、眩しさに目を細める。その細めた視界の中に、近くで会話をしていた二人が瞬く間に映りこんできた。
「ア、アイリ!?」
「大丈夫、聞こえる!?」
「…カズサちゃん、ヨシミちゃん」
「よ、良かった。一先ずは無事みたいね」
そこで初めて、自分が今病院の一室にいることが分かった。窓から入ってくる外の日差しから、今はもう朝になっていることが見て取れる。
「私、どうしてたの…?」
「覚えてないの、アイリ?噴水の広場のところで、ぐったりして倒れてたんだよ。病院の生者が言うには、精神的に大きな負荷が掛かってしまったのが原因って言ってた」
「全く…電話にも出なくて、思わず不安になって必死に探してたんだから…」
「…そうだ、腕が…!!!」
「腕?腕がどうかしたの?」
「どうかしたって、それは──」
削り取られた手のことを思い出し、思わず寒気を覚えながら咄嗟にアイリは両腕を上げる。そこには──
無くなった筈の腕の部分が、何事もなかったかのように戻っていた。
「──どう、して──」
「アイリ?どうしたの?」
「な、なんか顔色が悪くない…?本当に大丈夫?」
カズサとヨシミが心配しても、耳にうまく入ってこない。目の前で起きることが次々と更新されては、不可解な事実に上書きされていく。今や、何が正しくて何が間違っているのか、その区別さえもつかなくなっている。
そして、そこに追い打ちをかけるようにもう一つの変化が訪れてきた。
「わ、分からない…私、噴水の広場で■■ちゃんと話してたら、何かよく分からないものが出てきて…それで…」
「ご、ごめん、アイリ。ちょっと待ってくれる?うまく聞き取れなくて…」
「え?」
「その子の名前が、聞こえなかったのよ。もう一回言ってみてくれる?」
「う、うん。■■ちゃんって子だけど──」
──あれ。
アイリは、自分の出した声を疑った。
その生徒の名前を口にしようとしても、まるで形容しがたい靄のように名前だけが出力されないのだ。ぶつ切りされて途絶えた音波は空気を伝わっていくことはなく、どこかへと消え去っていく。
(出ない…出てこない。名前が…口に出せない…!?)
「アイリ…?」
「え、えっと…そ、そうだ!一週間くらい前に、噴水の広場で私が会った子だよ!前に二人に話したから、覚えてるはず…」
ならばと、名前ではなく出来事として、アイリはカズサとヨシミに切羽詰まりながらも問う。現に二人には、姿こそ見えなくとも紹介はしていたし、その子の為に動こうと決起してくれていたはずだ。
あの事であれば、すぐに二人ともピンときて──
「…ごめん、アイリ。あまり覚えがなくて…ヨシミ、覚えてる?」
「…私にも心当たりがないわ。アイリの紹介なら、覚えてるはずだけど」
その二人の返答が──アイリの情緒と思考回路を酷く狂わせた。狂わせてしまった。
「ま、待って…待ってよ、そんな、そんな筈は──」
そんな筈はないと、言いかけて。
アイリは、あの出来事にいた"それ"を思い出す。
その正体に対して、一つの最悪の結果を想起してしまう。
「嘘」
あの時、確かに■■はあの穴に取り込まれ、そこからいなくなってしまった。だけどそれは、あくまでその場から連れ去られたのだとアイリは認識していたつもりだった。
■■がもし、あの場だけではなく。
"この世界そのもの"から、意識さえも連れ去られてしまったのだとしたら。
「あ──あぁ────」
カズサとヨシミは、■■の存在を忘れたのではなく、覚えていないのではなく。
そもそも、■■についての事柄全てをなかったことにされてしまったのかもしれないと──
「──ッ────────────」
「ちょ、ちょっと!?」
「アイリ!?アイリ、しっかりして!!」
そう思い込んだ瞬間には──アイリは、再びベッドの上で正気を失ってしまっていた。