カフェに入ると、体と服についた雨水を拭くために大きめのタオルを用意してほしいと、長髪の生徒が店員に頼んでくれた。
暫くして、スペースの一つにあった椅子にちょこんと座っていると、その子がタオルと二つのカップを持って帰ってきた。
「タオルだけというのも気が悪かったのか、店員さんがサービスをしてくれたよ」
「…これは、ホットココア…?」
「気が向いたら飲むといい。甘くて暖かいものは気を楽にしてくれる」
「ありがとう、ございます…」
ふーふーと息をかけて熱を冷ましながら一口飲む。喉に伝わった甘くてどこかほろ苦い味わいが、冷えた体にじんわりと熱を与えてくれる。
「…美味しいです」
「それは何より」
そこでアイリは、ここまで自分を介抱してくれた人が何者か知らないまま、ずっと助けてもらっていたことに気づき、長髪の生徒の方に弱弱しくも向き直った。
「あ、あの…色々とありがとうございます…ところであなたは…?」
「ん?私かい?」
見ると彼女の制服は、トリニティのものではなかった。白い上着を羽織り、その下には黒い長袖の服とシャツ、そしてネクタイ。セーラー服が基調とされるトリニティとは違った服装は、彼女が他校の生徒であることを物語っていた。
「私は白石ウタハ。ミレニアムサイエンススクールのエンジニア部の部長だ」
「ミレニアムの…?」
「少し前に、謝肉祭を通じてトリニティを訪れることがあってね。それ以来、度々こうしてやってきてるんだ。この辺りはシラトリ区も近くて、ミレニアムの地区ではあまり手に入りにくいパーツやガジェットなどを手に入れられるからね」
「なる、ほど…」
確かに、纏う雰囲気もトリニティの生徒のものとは少し異なっている。
シスターフッドやティーパーティーなど、上品さや気品さが主にくる(一部を除く)トリニティに対し、どちらかといえば研究者や科学者といった技術関係の人物が持つ、理知的な側面が表立って目に入る(こちらも一部を除く)のがミレニアムだ。
「あ、ごめんなさい。こういう時は先に名乗るのが礼儀ですよね…私は、栗村アイリといいます」
「アイリさんか、どうもよろしく。気にしなくていい、私自身はそういった形式に特に拘っているわけではないからね」
そういうと、彼女も自分用のカップを手に取り、ブラックコーヒーを口へと含んだ。
「さて…できれば何があったのかを伺いたい所だけれど…今は話せそうにないかな?」
「あ、その…いえ、なんといえばいいか……信じてもらえる自信がないんです」
「と、いうと?」
「…ウタハさんは、ミレニアムの方ですよね?」
「あぁ、そうだね」
「私がこうなっている裏にあるのは──きっと、科学や技術とは真逆に位置するもので…強いて言うなら、怪奇現象やオカルトに近いものなんです」
「………………」
「なので、ミレニアムの生徒であるウタハさんには、もしかしたら無茶苦茶な話に聞こえるかなって…」
そこまで言って、半ば自嘲気味にアイリが目を逸らした時だった。
「その話、もっと詳しく聞かせてくれないかな?」
帰ってきた予想外の返事にアイリが顔を上げると、嫌な顔をするどころか興味津々といったようにウタハがアイリを凝視していた。かなり美麗な印象を受ける顔立ちだったのだが、その時の彼女からはまるで子供のようなあどけなさが隠しきれていなかった。
「ウ、ウタハさん…?」
「是非とも聞かせてほしい。そういった話には、割と興味が尽きなくてね」
「ふ、普通は逆じゃないんですか…?」
「そういう人もいるけれど、少なくとも私はその類じゃないよ。
未知なるものを探求し、解明し、明らかにすること。科学に準ずる者にとって、不可思議なものほど好奇心がそそられるものは無い」
思っていたのとは真逆の反応に、アイリは正直ビックリしてしまい、先ほどまで抱えていた感情がどこかへと飛んで行ってしまったかのようにも思えた。
「で、では…お話しします」
「ふむ…分かった。大方は把握したよ。話してくれてありがとう」
「い、いえ…」
二人のカップの中身が空になり、土砂降りの雨が再び小雨になりかけていた頃には、ウタハはアイリから聞いた全体の概要を脳内にインプットしきっていた。
「そこにいるはずなのにいない生徒──黒い穴を持つ、未知なる管の怪物──人々の記憶から抹消され、名前を出力できないが故に存在証明ができなくなるという怪奇性…」
ブツブツと呟いていたウタハは、何かをじっくりと考えるように目を閉じた。
「…よし、方向性は定まった」
目を開いた彼女は席から立ち上がると、アイリの方へと手を伸ばす。
「ついてきたまえ。ある人を紹介しよう」
「しょ、紹介…?どういうことですか…?」
「何、答えは明白だよ。
君の友人であるその生徒さんを、如何にして取り戻すか。その算段をつけられそうな人を、私は知っている」
「!?」
どうやらウタハは、アイリの求めている答えに近づける人の元へ案内してくれるというのだ。
「多分今ならまだミレニアムにいるはずだから、私から話をすれば助けてくれるだろう。
無論、私自身も協力させてもらうけどね」
「ちょ、ちょっと待ってください!!!」
「?」
タオルとカップを返却しに行こうとしたウタハに、アイリは思わず問いかけてしまう。
「どうして、今日会ったばかりの私を助けてくれて…それに、こんな信じられないような話を信じて手伝ってくれるのですか…?」
その問いに──ウタハはさも当然と言わんばかりに笑いかけながら答えた。
「そうだね──君が泣いていたから、といえばいいだろうか」
「え…」
「友のために涙を流し、憂い憐れむ程に強く悲痛な感情。
たとえその過程がどれだけ現実味を損なったものであったとしても──君が持つその感情を戯言と言って切り捨てるほど、私は非情にはなれない」
「ウタハさん…」
「さぁ、出かける用意をしたまえ。その子を助けたいのであれば──前へと進むことが肝心だ。
大丈夫、君は決して一人ではない。私が保証しよう」
「…!」
その言葉に、アイリは心の奥底に眠っていた何かが沸々と湧き上がってくるのを感じた。それは、決意であり、勇気であり、或いは信念でもあったのかもしれない。
ここで足を止めてしまえば、本当の意味で彼女はいなくなってしまうだろう。唯一、■■を覚えている自分が諦めてしまうこと。それだけは、避けなければならない。
それは、あの子のくれた言葉を──"私とアイリのロマンを忘れないで"という言葉を、裏切ることに他ならないのだから。
「…はい!」
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「どう、ヨシミ!?」
「ダメ、こっちにもいない…!アイリったら、まさかスマホを病室に置いたままいなくなるなんて…!」
「でも、カバンは持っていったから、目的地があるのは確かだと思う。問題はどこに向かおうとしてたかだけど…」
一方その頃、病院からアイリの姿がなくなったという連絡を受け、放課後スイーツ部の二人は辺りを走り回りながらアイリを捜索していた。カズサはレイサとスズミ、ヨシミは先生に連絡を取り、彼女たちにも探してもらっているのだが吉報は未だ入らない。
その後、一旦の情報共有を兼ねて、最近アイリがよく訪れていたと思われる噴水の広場に集合することにしていたのだ。
「それにしても…ここにもいないなんて。もしありえるとしたらここだと思ってたんだけど…」
「もしかして、もうとっくに離れた後だったりするんじゃない?」
「だとしたら、いったいどこへ…」
すると、それぞれ違う方向から、スズミとシャーレの先生もやってきた。
「残念ながら、こちらにはいませんでした」
"…私の方にも、いなかったよ"
「…クソッ!」
悔しそうに、カズサは顔をしかめる。それを見て、先生が心の底から後悔した表情で謝ってきた。
"…ごめん、私のせいだ。もっとちゃんと、私がアイリと話をしておくべきだった"
「先生、それは違うわよ。少なくともあの時のアイリは、まともに話ができる状態じゃなかったと思うし。
いくら先生でも、無理やり話を聞いたりはできないでしょ?」
「…というか、なんか様子が変だったよね。こう、いつにもなく必死だったというか」
「確か、誰かの名前を言ってたけどよく聞こえなかったのよね。
それで、その子を覚えてないかって聞いてきたけど、私たちに心当たりはなかったし…」
「…もしかしたら、アイリさんはその人に直接会いに行ったのではないでしょうか?」
「「!」」
スズミの予測に、カズサとヨシミは同時に反応する。
「じゃああの時、名前を聞き取れなかったのは…ひょっとして、アイリが本当は名前を口にするのをためらってて、うまく口にできなかったからじゃない…?」
「…ま、まさか」
「アイリはそいつに弱みを握られて、何か脅されているんじゃ…!?」
「そうだとしたら…早くアイリを助けなきゃ!!!」
「もし手を出してたら、絶対許さない…ストレートでぶちのめす!」
"ま、待って、二人とも。一旦落ち着いて…"
「そ、そうです、早計すぎます。まだ脅されていると決まったわけでは…」
段々とヒートアップしていくカズサとヨシミを、先生とスズミが何とか宥めようとした時。
カズサのスマホから着信の音が鳴り、それに半ば乱暴にカズサは応対した。
「はいもしもしィ!?」
「うわぁ!?なんか怖いですよ杏山カズサ!?」
電話をかけてきたのはレイサだった。しかしながら、帰ってきた反応に思わずビビってしまっているのは彼女らしいというべきか。
「こっちのことはいいから!それで、どうしたの!?」
「え、えっとですね…アイリさんが見つかりました!」
「はい!?アイリが見つかったって!?」
「「「ゑ?」」」
本来であれば朗報であるはずの知らせに、その場にいた全員が未だかつてない奇妙な声を上げた。慌ててカズサは、スピーカー状態にして全員に聞こえるようにした。
「それで、アイリは今どこにいるのよ…?」
「え、えっとですね…実は今さっき──
トリニティの方にあるカフェから、他校の生徒さんと一緒に出てきたところなんです!!!」
「………ハアァァァァァァ!? 誰よその女ァ!?」
「嫁かあんたは!!!」
カズサの斜め上のキレ方に、思わずヨシミが突っ込んでしまう。なんというか、先ほどまでの切羽詰まった空気が一転、今度は阿鼻叫喚のカオスな雰囲気になり始めていた。
「レイサさん、その生徒さんは他校の方ですよね?どこの学校かはわかりますか?」
「た、多分ですが…ミレニアムだったと思います」
「ミレニアムって…三大校の一つじゃない!?なんでそこの生徒がアイリと一緒にいるのよ…?」
"レイサ、その生徒さんの特長を教えてくれる?もしかしたら、私が知っている生徒かも──"
そう先生が、確認を取ろうとした時。
「いいよ先生、直接会って確かめる!そっちの方が早いから!いくよヨシミ!」
「えっ!?ちょっとカズサ、あんたテンパりすぎよ!?それ絶対先生が聞いた方が早いわよ!?待ちなさいってば!!!」
カズサが未だかつてないスピードで、スマホを先生に預けたまま教えられた場所へ全速力ですっ飛んでいく。
さながらそのスピードは、もしレイサが見ていたのなら"キャスパリーグ"の時を彷彿とさせるものだったのかもしれない。
その後を慌てて追いかけるヨシミを見ながら、スズミと先生はぽかんと口を開けていた。
「…絆の強さ故、なのでしょうか?」
"…まぁ、そういうことだね"
「せ、先生!?なんかすごい風を切るような音がそちらから聞こえたのですが!?」
"あー...カズサが今からそっちに向かうと思うから、一応準備しといて。
取り合えず──そのミレニアムの子について聞かせてくれる?"
「は、はい…」