ケイオス   作:御代川辰

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第三話 生きるも死ぬも妙なりて

 その惑星は未知の{ウイルス}による感染症で異形の怪物と化した生物と、そのウイルスに対する強靭な抵抗力を得た生物との間で戦争が繰り広げられ、決して終わる事のない地獄が十年以上に渡って続いている。ウイルスは人工的な生物兵器なのか突然変異で自然発生したものなのかすら分からず、少なくともその惑星に起源を持たない外来種である事だけは明白だった。

 やがてウイルスに対する免疫を持った生物の中から超能力を操るものが現れ始め、それに呼応するように戦争が激化するにつれて年々異形は強さも数もインフレが進み、気付けば両者は惑星を二分して支配領域を形作るほどに拮抗。

 互いに転機が訪れたのはその時である。ウイルスも人間も、お互いに資源を使い果たして共倒れを迎えるのは最早時間の問題となり、互いの生存のために互いに殺し合う競合者から、共通の天敵である時間に貪り食われるだけの生産者にまで転落する、その直前の事。

 それが最初に起こったのは異形が支配する敵地のど真ん中での事だった。

「今日は昨日の同じ時間より寒いな……」

 一人の若い女が着慣れない男物のコートのフードを目深に被り、割れたガラスが残る窓越しにしんしんと雪が降り積もり、どんどん高さを増やしつつある外を見遣る。この辺りの季節は冬の初め頃だが本来これほど雪が積もるような時期ではないし、そもそもこの建物の窓ガラスが割れた原因は昨日の敵襲の余波によるもので“異変”とは何ら関係がない。

 関連自体がないからこそ未知の現象への警戒心は強まる一方なのだが、現象が発生してからはこの女がいる建物の周囲は不気味なほど静かになっていて、更に遠く離れた別の拠点にいる仲間との通信も途絶えたまま。

 彼女はいっその事独断で偵察を始めてしまおうかとも考えた矢先、仲間の一人から念話(テレパシー)を受け取る。

『“マ・リャ(母央)”、戻って来て』

 そのたった一言を聞き届けるよりも速く彼女は持ち場から駆け出す。当然自分が生き残る上で必要な全ての荷物を詰めたリュックサックをひっ掴み、全速力で階段を駆け降りて仲間が集まる部屋へと急ぐ。ひびや剥がれた部分が目立つ薄灰色のコンクリートの階段を踏み蹴るブーツの音、急な運動で大量の酸素を必要とする肺への負担を減らすためのリズミカルな息づかい。

 異形どもとの戦いで培われたのであろう歴戦の戦士にも相似する身体捌きは、彼女の長い髪の艶の悪さを補うようにしなやかな美しさ、女性らしい柔軟性を表現しているようにすら感じられる。

「全く……その呼び方やめてよね」

 先程“マ・リャ(母央)”と呼ばれた彼女は照れくさそうに頬を染め、念話(テレパシー)越しの男に短く答えて更に足に力を込める。心なしか足取りは先程より軽やかでより洗練されたものへ変わり、いつ敵が現れるか分からないと言うのにそれを忘れているかのように楽しげに見える。

 気付けば五階、四階、三階と三つの階を二分弱もかけずに駆け降りており、二階へ続く階段に足をかけた時も踏み損じる様子さえ見せずに全力で走り続けていて、改めて彼女の身体能力と運動能力の高さの真髄を認める事ができる。

 恐らく夕べから寝ていないのに疲れた様子を全く見せず、むしろ余裕綽々と言った表情もまた“母央(マ・リャ)”と呼ばれる所以なのだろう。

「みんな!お待たせ!」

 そして集合を告げる念話(テレパシー)を受け取って四分も経過しないうちに彼女が現れたその部屋には、既に男女百人程度が大量の銃と弾薬を手に集まっていた。半数程度は「遅い」と不満が見え隠れする厳しい視線で彼女を見るが、残りの半数はやや嬉しそうにも見える目で彼女を見ている。

 そして扉一枚より大きな部屋の最も奥に設置されている黒板の前に立ち、墨汁と鉛筆で黒くなった手を振る若い男を見るや、“マ・リャ(母央)”は武装した男女の間を縫うように文字通り一目散に駆け抜け、その勢いのまま壇上へと仁王立ちになると同時にはっきりと言い放つ。

「今朝の“異変”からちょうど六時間経つけど、目立った変化に心当たりがある人は挙手!」

 言い終える前にほぼ全員が一斉に手を挙げて「はい!はい!」と、まるで小学生のように返事を連呼し部屋は一気に騒がしくなる。戦争続きで殺伐としている敵地のど真ん中にあるまじき光景だが、今このように大声を出してふざける事も精神的安定を保つには必要な事。

 それを理解し、許容し、容赦し、そして自分もそこに参加しているからこそ、彼女は敬意を込めて“()”と呼ばれている。【(リャ)】は部屋いっぱいになってわめきながら挙手をする男女を吟味するように一度見回すと、適当に見繕った男女二人を指差して大声を張り上げ名を呼ぶ。

「えーと、はいク・ワー(子法)くんとノウ・ユ(娘翌)ちゃん!」

 彼女に指差された二人はほぼ同時に立ち上がり、まず男が「昨日の夜より気温が低くなった」と答えて座り、次に女が「発症者の襲撃がまだありません」と答えて同じように座る。リャ()はうんうんと頷いて先程自分に手を振っていた若い男【テュア()】に目配せをし、合図を受けたテュア()は黒いままの手でチョークをつまみ黒板に字を書き込む。

「はい、黙ってないでじゃんじゃか答える!」

 リャ()は報告を黒板に表し終えたのを確かめるとまた挙手を求めて大きく声をあげ、また男女二人ずつを指名して何かしらの報告させると言うのを何度も繰り返し、気付けば背後の黒板は文字列で埋まりきっていた。

 最後の文字が書き込まれる直前に報告にストップをかけて黒板に振り返り、聞き出して書き記せる限り列挙された報告の数々を見つめてニヤリと笑うと、再び百人が座る方に向き直り事態を大まかに要約して全員に告げる。

 まず一つは敵襲が近い事。()()()()()()()()が自分達の知るウイルス感染症の発症者か否かは分からないが、地平線の果てから何かが迫っている事は確かな事。次に二つ目はその未知の敵を呼び寄せたのは今朝の“異変”である事。

 電波も念波も混乱しているのか本国は愚か最寄りの部隊との連絡もつかなくなり、無線通信機(トランシーバー)念話(テレパシー)もどこにも誰にも繋がらないので異変の影響と見て良いとの事。三つ目は今自分達がいるこの場所の気候が根本から変わった事。

 これもまた異変の影響によるもので機能までは冬に入りたての湿潤な気候であったのが、土地が丸ごと別の座標に移動したかのように氷河期が終わって間もない頃の冬のようにも、あるいは温帯地域の真冬にも似た雪の降り方が何よりの証拠である。

 しかし目下目先、最大の問題は四つ目。現在進行形で敵が近づいている事をも凌ぐ危険がある。

「なァんで、壊れかけの発電機を勝手にいじっちゃったかなぁク・フィン(子丁)く~ん?」

 体温を維持できるものが衣服以外にない事。携行戦闘糧食(ハンドレーション)はわざわざ調理せずとも問題なく食べられるが、暖房がなければいつ凍死するかも分からないのは目に見えている。この件の発端は先日の発症者の襲撃に際して発電機を収納していた部屋に侵入され、その部屋での戦闘の余波で発電機が故障してしまった事にある。

 これでは暖は取れず、明かりも得られず、電池の充電もできず、増援も補給も見込めないのに真っ暗な中ただ凍死するまで戦い続けなければならなくなり、そして発電機を修理できる時間も人材も足りない最悪の状態でここに陥ったので、最早全滅は時間の問題。

 食糧と銃弾に限りがある以上優先するべきは兵站である事など百も承知だが、その兵站の維持を担う兵士の健康を害しては元も子もないのである。もちろんリャ()もこれにはご立腹であり、顔面蒼白のままじっとりとした冷や汗を流して顔を背けている青年の頬をうりうりと突っつき、なぜ指示を許可なく修理をしようとしたのか弁明を求めていた。

「い、いえ……自分工学専行なのとあんまりにも寒くて暗かったんでつい……」

「はいは~いトンヅォ(男の子)が言い訳しな~い」

 リャ()がまるで母親と息子のような距離感で余りにも堂々と触れ合うので、身体中を撫でさすられるフィン()の表情は疲れきっているようにも困惑しているようにも見える。電力の寸断という危機的状況にあるとは思えないほど和やかなこの場は、最早夜中まで続くものかと思われた矢先また念話(テレパシー)使いが声を張り上げ、場の全員を現実に引き戻した。

 この場で知らされた内容は「前時代的な武装を纏う獣と人が混ざったような生物の中隊が、この前線基地を目指して真っ直ぐに進軍している」と言うもの。この報告で“異変”の影響によって現れた未知の敵である事が確定し、先程までの和やかな雰囲気は一変してピリピリとした厳しい気配へと変わる。

「総員迎撃体制!命令はひとつ!」

 リャ()もまた睨み付けつつもまだ愛らしかった目をキッとした鋭い目に変え、毅然とした態度と低い声色で場の全員に指示を飛ばす。当然男女らはその言葉に応えて一斉に立ち上がり武器を構え、足はいつでも動かせるように余裕をもちつつ力を込めている。

「この基地を死守した上で脱出までの準備時間を確保する事!」

 命令を告げ終わるまでの刹那、和気藹々とした雰囲気の男女らは一斉に戦士へと変貌して我先にと部屋から飛び出し、各々の持ち場へと向かって行く。

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