その惑星は未知の{ウイルス}による感染症で異形の怪物と化した生物と、そのウイルスに対する強靭な抵抗力を得た生物との間で戦争が繰り広げられ、決して終わる事のない地獄が十年以上に渡って続いている。ウイルスは人工的な生物兵器なのか突然変異で自然発生したものなのかすら分からず、少なくともその惑星に起源を持たない外来種である事だけは明白だった。
やがてウイルスに対する免疫を持った生物の中から超能力を操るものが現れ始め、それに呼応するように戦争が激化するにつれて年々異形は強さも数もインフレが進み、気付けば両者は惑星を二分して支配領域を形作るほどに拮抗。
互いに転機が訪れたのはその時である。ウイルスも人間も、お互いに資源を使い果たして共倒れを迎えるのは最早時間の問題となり、互いの生存のために互いに殺し合う競合者から、共通の天敵である時間に貪り食われるだけの生産者にまで転落する、その直前の事。
それが最初に起こったのは異形が支配する敵地のど真ん中での事だった。
「今日は昨日の同じ時間より寒いな……」
一人の若い女が着慣れない男物のコートのフードを目深に被り、割れたガラスが残る窓越しにしんしんと雪が降り積もり、どんどん高さを増やしつつある外を見遣る。この辺りの季節は冬の初め頃だが本来これほど雪が積もるような時期ではないし、そもそもこの建物の窓ガラスが割れた原因は昨日の敵襲の余波によるもので“異変”とは何ら関係がない。
関連自体がないからこそ未知の現象への警戒心は強まる一方なのだが、現象が発生してからはこの女がいる建物の周囲は不気味なほど静かになっていて、更に遠く離れた別の拠点にいる仲間との通信も途絶えたまま。
彼女はいっその事独断で偵察を始めてしまおうかとも考えた矢先、仲間の一人から
『“
そのたった一言を聞き届けるよりも速く彼女は持ち場から駆け出す。当然自分が生き残る上で必要な全ての荷物を詰めたリュックサックをひっ掴み、全速力で階段を駆け降りて仲間が集まる部屋へと急ぐ。ひびや剥がれた部分が目立つ薄灰色のコンクリートの階段を踏み蹴るブーツの音、急な運動で大量の酸素を必要とする肺への負担を減らすためのリズミカルな息づかい。
異形どもとの戦いで培われたのであろう歴戦の戦士にも相似する身体捌きは、彼女の長い髪の艶の悪さを補うようにしなやかな美しさ、女性らしい柔軟性を表現しているようにすら感じられる。
「全く……その呼び方やめてよね」
先程“
気付けば五階、四階、三階と三つの階を二分弱もかけずに駆け降りており、二階へ続く階段に足をかけた時も踏み損じる様子さえ見せずに全力で走り続けていて、改めて彼女の身体能力と運動能力の高さの真髄を認める事ができる。
恐らく夕べから寝ていないのに疲れた様子を全く見せず、むしろ余裕綽々と言った表情もまた“
「みんな!お待たせ!」
そして集合を告げる
そして扉一枚より大きな部屋の最も奥に設置されている黒板の前に立ち、墨汁と鉛筆で黒くなった手を振る若い男を見るや、“
「今朝の“異変”からちょうど六時間経つけど、目立った変化に心当たりがある人は挙手!」
言い終える前にほぼ全員が一斉に手を挙げて「はい!はい!」と、まるで小学生のように返事を連呼し部屋は一気に騒がしくなる。戦争続きで殺伐としている敵地のど真ん中にあるまじき光景だが、今このように大声を出してふざける事も精神的安定を保つには必要な事。
それを理解し、許容し、容赦し、そして自分もそこに参加しているからこそ、彼女は敬意を込めて“
「えーと、はい
彼女に指差された二人はほぼ同時に立ち上がり、まず男が「昨日の夜より気温が低くなった」と答えて座り、次に女が「発症者の襲撃がまだありません」と答えて同じように座る。
「はい、黙ってないでじゃんじゃか答える!」
最後の文字が書き込まれる直前に報告にストップをかけて黒板に振り返り、聞き出して書き記せる限り列挙された報告の数々を見つめてニヤリと笑うと、再び百人が座る方に向き直り事態を大まかに要約して全員に告げる。
まず一つは敵襲が近い事。
電波も念波も混乱しているのか本国は愚か最寄りの部隊との連絡もつかなくなり、
これもまた異変の影響によるもので機能までは冬に入りたての湿潤な気候であったのが、土地が丸ごと別の座標に移動したかのように氷河期が終わって間もない頃の冬のようにも、あるいは温帯地域の真冬にも似た雪の降り方が何よりの証拠である。
しかし目下目先、最大の問題は四つ目。現在進行形で敵が近づいている事をも凌ぐ危険がある。
「なァんで、壊れかけの発電機を勝手にいじっちゃったかなぁ
体温を維持できるものが衣服以外にない事。
これでは暖は取れず、明かりも得られず、電池の充電もできず、増援も補給も見込めないのに真っ暗な中ただ凍死するまで戦い続けなければならなくなり、そして発電機を修理できる時間も人材も足りない最悪の状態でここに陥ったので、最早全滅は時間の問題。
食糧と銃弾に限りがある以上優先するべきは兵站である事など百も承知だが、その兵站の維持を担う兵士の健康を害しては元も子もないのである。もちろん
「い、いえ……自分工学専行なのとあんまりにも寒くて暗かったんでつい……」
「はいは~い
この場で知らされた内容は「前時代的な武装を纏う獣と人が混ざったような生物の中隊が、この前線基地を目指して真っ直ぐに進軍している」と言うもの。この報告で“異変”の影響によって現れた未知の敵である事が確定し、先程までの和やかな雰囲気は一変してピリピリとした厳しい気配へと変わる。
「総員迎撃体制!命令はひとつ!」
「この基地を死守した上で脱出までの準備時間を確保する事!」
命令を告げ終わるまでの刹那、和気藹々とした雰囲気の男女らは一斉に戦士へと変貌して我先にと部屋から飛び出し、各々の持ち場へと向かって行く。