ゼンヒは彷徨っている。
この廃墟街は広く、一体が廃墟なせいで一人でいると心細すぎて仕方ない。
だが、彼女はすでに一人だ。そう自身が考えているからこそ、誰にも会おうとせず、連絡せず、ただ歩き続ける。
迷い犬というには、綺麗すぎたが。
ゼンヒには分かっていた。
シャルアーの言う通り、社会的立場があって、そこから関わりを深めて友好関係なるものが出来上がると、もっといけば恋心もそこにあることも。
自分の功績ゆえに人が興味を持って、そこから交流が始まっていたのは強盗を一人で捕まえたからこそ知っていた。
______それでも嫌だった。
自分のことを問答無用で守ってくれる場所が欲しい、自分が何をしても許してくれるような人が欲しい。
そんなものはどこにもない。
当たり前のことだ。自分はその当たり前を振り回して色んな人間の居場所を奪えるくらいには、本当に自然なことだった。
それを自分にだけ許してくれ、と言うことがどれだけ理不尽か知っているはずなのにそれを欲しいと叫ぶ心が止まらない。
本来、人間はそれを親の庇護で達成する。現実的なすり合わせをするところから裏から学んで、思春期の自由を求める心を持って正面からぶつかり、覚えていく。
このキヴォトスでは一生出来ないことだ。だが、その庇護を求める幼稚な心は学生だけの世界であるから、立場と権利で無理矢理達成することがある。
誰しもが持ってる欲望を、それで達成するからこそ反発も起こるし格差というものが反映されやすい。
そして親代わりができる先生が出てきたらその権利を享受できるのは______というのが、先生の事を神格化する風潮の生まれであった事。親が出来る唯一の大人、それがしかも異性であったというだけで彼そのものは謂れの無い重責を乗せられているのだ。
この構造を理解している生徒もマコトを始め居たのだが、今更そんなものがあったところでキヴォトス崩壊の種になりかねない。一見自主性を大事にしようと言うリンネの主張だって、蓋を開けてみればその不安を薬で誤魔化す事を是とした悪辣極まるものであった。
にもかかわらず、彼女はそんなわがままを受け入れてくれる人間を求めて、彷徨うつもりでいた。
それだけ、ハクジツに裏切られたことが傷になっていることの証左でもあった。
月光が弾ける、夜。
永遠にない理想郷を探す彼女も、人と出会うことは避けられない。
「______ゼンヒ」
背が高くて、翼が4枚生えていて、金髪の長い髪をしたトリニティの少女。
「……バンリ」
かつて、自分と一緒に戦い、自分のことを祝ってくれた少女がいた。
「戻っていたのですね、ゼンヒ」
「お前のところに戻った覚えはない」
「……」
「消えてしまえよ、私がセツカにならないうちに」
「……」
ゼンヒは脅すように、ゆっくり歩く。
「お前と違って殺人鬼だったから、私はあんなことができた。退かなければ、お前が今度はそうなるだけだ。一枚ずつ翼を毟って、料理が出来なくなるまで腕を斬る」
自分の求めるものはどこにも無いことを理解しているから自暴自棄になって脅し続けた。安い脅し文句だ、普通だったら絶対言わないことだからこそ、バンリも何も言い返さなかった。
「お前が私の最初の罪になる。いや、お前の美貌を奪ってしまえば、私はセツカに戻れる。それでいい、それでこの話は終わるんだ」
腕を伸ばして相手を傷付けようとするべく近寄るが、その手は触れたとて力が出るか分からないほど震えている。
「さあ、動くな。動いたら……」
バンリは動かない。
それどころか翼を揺らして、寧ろ煽るような仕草を見せた。苛ついてしまっているが、武器がないため結局腕の範囲でしか人を傷つけられないようだ。
近づいて、近づいて、薄ら笑いを浮かべながら近寄って相手を殺そうとするゼンヒ。両腕はすでに相手の喉を捉えている。
「ほら、捕まえ____」
最後の言葉も言えないくらい、彼女は震えた。
セツカに戻るのも、正直な話自分の求めているものではない。自身でも分かり切っているようなことだ。それが手に入らないから、彼女は自暴自棄になっているに過ぎない。
ただ、時間が経って傷が癒えずに残ったまま、それでも全体で見ればゼンヒの意識をセツカが眠らせていたことによって下手にこびり付かず、生き方さえ捻じ曲げてしまうほどの傷になっていないとも言える。
PTSDだということには変わりないが。
「……ゼンヒ」
名前を呼び、彼女の輪郭をなぞるように手を置いたバンリ。
彼女の手には、さっき、カザミだけが見たはずの流星の温度が伝わる。
「嘘はよくありませんわ」
「____」
言われた方はすぐに目を逸す。
自分の欲求を伝えても、誰も叶えてくれないことを知っていたが故にその言葉を口に出すことを憚られた。
「寂しいなら、寂しいって言いなさい。溜め込んでしまうのは、よくありません」
「私にはどこにも居場所がない。それだけだ」
「ヴァルキューレは居場所ではないのですか?」
「あんな裏切り者だらけのところなんて、居場所じゃないよ」
「……他に一緒にいたい人は?」
「いるわけないだろ。一番近い人間であれだったんだから。
それにみんなには、過去がある。仲間が出来上がるだけの過去が」
結局この要素で分断を感じていたのは事実で、覆そうと思って覆せるものでもなかった。
「バンリにもあるだろう、そういうこと」
「私はそういうの捨てましたわ」
「……は?」
捨てれるものじゃないだろ、と反論したくてもできないほど彼女は真面目なトーンで返す。
「貴女が大事だと言ったものが本当にこの世でかけがえのないものなら、私はずっとティーパーティーの書記官として一生を送っていたでしょう。むざむざ仲間から逃げ出すような真似はしません」
「なんでそんなこと」
「トリニティの雰囲気というのは、上品な味わいがするだけで毒であることに変わりありませんから。わたあめに見せかけた埃が、そこらじゅうに溜まってます。その中に引き篭もることも甘美でありましたが、私には夢が出来ました。色々な人に関わる夢が」
彼女の夢。
いろんな人と関わって、幸せにすること。先生が来る前からゆっくりでも着実に頑張っていた、色々な人間が活発に交流できる社会。自分が食べ物を作って売れればそれが話題作りにもなるだろうし、事業という大局で見れば様々な技術を持った人間が関わることでキヴォトスが政治的観点で見ても都市の形に近づくと信じて頑張ってきたのだ。
「ですから、私は私の意思で、やってきたことが今生きてる場所に残ればいい。そう思って生きています」
「……」
「でも、それは確かに、貴女の言うような"居場所"があったからこそ。なのかもしれません」
結局意識して生き始めた時にはすでにティーパーティーという過去があり、そこで働いていたからこそ金目や立場的な信頼などのいい思いをしたのは事実だ。そう言った恩恵は全員受けられてないし、それは社会主義の国家でない以上当たり前の話だ。
では、ゼンヒはその恩恵を受けてはならないのか。
それは絶対に違う。
なぜならば資本主義社会において、すべての恩恵に繋がる成果というものを彼女は出し続けたからだ。
強盗を捕え、誘拐犯を捕え、政治犯を捕らえ、それだけではなく普段の取り締まり業務を行ったり猫探しや他校の業務の手伝いをしたり、彼女はできる限りのことをやってきた。彼女は『警察はそうあれば社会は良くなる』と本気で言い、信じて行動してきた成果がそこにある。それが全て"報酬のないもの"であるものを受け入れてやり続けることは、正直出来ない。給料で買えるものは増えるだろうが、結局生まれて一年の少女には友達の作り方さえ分からないのだから。
心の拠り所が唯物論になることは、宗教にのめり込み世界観が囚われることと変わりない。見えないものがもたらす安心感も必要だ。
故にゼンヒの心情も彼女は理解できたのだろう。
彼女は_____
「ゼンヒ」
名前をもう一度呼び、まだ喉に引っかかってる指も気にせずに自分の翼で彼女を囲んで、腕で精一杯抱きしめた。
「ずっと寂しい思いを、してきたのですね」
「甘い言葉は____」
「言わないで。何も」
相手の言うことまで妨げるだけのわがままを、ゼンヒは言わなかった。
「誰しもが居場所があることを貴女は知っていて、羨んだのでしょう?自分には無いものだと信じて。貴女が愛したセツカとシャルアーは、貴女を愛するには大人すぎた」
「それでも愛してくれない人よりはマシだった」
「なら、おいでなさい。ゼンヒ。私のところに」
自分に都合のいい言葉が出てくるとまず警戒するのが世の中の常だが、そんな打算的な人間が喉を締ようとするやつのことを抱きしめたりするのだろうか。そこまでして計算高いやつでいそうなのがトリニティ生だが。
「お前だって、そう言ってハクジツのように」
「貴女が愛おしいと思ったからこそ、一緒に戦ったのです。貴女が昇進した時祝ったのも、貴女のことが大好きだったから喜ぶ顔が見たくてそうしただけのこと」
「私が喜んで、嬉しいのか?」
「嬉しいに決まっているでしょう?それだけ、貴女は大事な人なのです。あの街に現れて、人を助けるそよ風ですわ」
ゼンヒの手首には、贈ったデジタルウォッチ。そして。
手に持っていた電子タバコは、起動すれば自身が送ったとわかるリキッドの香りが広がった。
「これを肌身離さず持っていたことが、何より私を愛してくれていた証拠です。
ごめんなさい。これだけ愛してもらったのに、何も返せないまま行かせてしまって」
バンリの言葉に嘘はなかった。その裏付けを自分が持っていた以上、ゼンヒも否定する気が起きなかった。
彼女の喉元に置いた指を引かせて、ゼンヒも相手を抱きしめる。
「ねえ、バンリ」
「なんでしょう?」
微笑む彼女をゼンヒは強く抱いて、慈悲を乞うような、掠れた声で言う。
「助けて」
どう助けて欲しいとか、ああいうのが嫌だったとか、そんな言葉が出ない彼女の精一杯のSOS。
「……うちにおいで、ゼンヒ。うーんと可愛がってあげますわ」
二人は互いに抱きしめてから一度離れ、少しの間別の廃墟に身を隠した。
協力者やヴァルキューレがゼンヒや怪我をしているであろう特暴課のメンツを探している間に、二人は影を縫うように移動して離脱。
ゆっくりと人のいない場所を通り、バンリの居場所へと歩いていくのであった。