トリニティの散策は、実は初めてのことである。
今まではずっと仕事で来ていて、あまり寄って帰るなどをしなかったせいでろくに見て回ったことはない。腹が減って食べ物を探した時に、バンリなる少女が営むカフェに入ったが、それくらいだろう。
実際ゼンヒの姿はトリニティからして異色であったが、基本特殊暴力対策課として活動しているときは黒いハットをかぶっている。そして、シミのように広がっていく深紅の髪色……もうこの時には薄紅色の髪の方がギリギリ少なくなっていたが、その特異な髪色も合わせてそこそこ目を引いた。
「あの人ってトリニティの人じゃありませんね」
「でもかっこいい……ちょっと、ああいうスタイルの人に惹かれてしまいます」
なんて噂立ってるのも気にせずに、川の流れを見ていたゼンヒ。自分の髪色の変化も、何となく気になってはいるものの疲労感と脱力感が何よりも身体に来ていた。歩いているうちに気力は戻ってきているので、段々と心地よくなっている。
そんな中で、ふと頭に浮かんだことをゼンヒは考えた。
(キユは一体、何であの弾を封じたのだろうな)
マリーやユリ達と同じく、使えない珍兵器だからそのまま封じて開発をやめたのだろうと考えていた。しかしセラフィム弾は、紛うことなき人殺しが出来る銃弾だった。
しかもそれを実用化まで押し上げて、その頃ろくなマガジン式の拳銃が無かった時代にピダーセンデバイスを用いた拳銃化も可能にしている。なのに、それを封じた。それも完全に隠匿され忘れ去られるレベルである。
シスターフッドならともかく、ユスティナの時代にそれをやるのは考えられない。一体何が、キユなる少女を動かしたのだろう。
空を見てみると段々暗くなっていき、濃い斜陽が彩った。あまりに忙しくて最近碌に吸ってなかった電子たばこを取り出して、彼女は吸う。
甘い匂いが、広がっていく。
(全く、とんでもないことに巻き込まれたな。だが、これであの一件は解決の目処が立つはずだ。シスターフッドもアリウスもこの件から目を逸らすことはできないし、第三者まで混じった以上ちゃんとした話し合いと着地を頑張らないといけないか。恨むやつも出てくるだろうなあ)
吐いた煙が空に吸われていくのを見ながら、彼女はぼうっとしている。
空は綺麗、それを映す水面もまた澄んでいる。その景色を明るく照らす街灯も、暴力的ではなく温かく導くガイドのような明るさだ。
そんなところで呆けているゼンヒに、声をかける人間が一人。
「……あの、いいっすか」
「イチカ」
仲正イチカ、彼女が何回か出会した正義実現委員会の一人だ。
「なぁんか結構落ち込んでそうな顔してるっすね〜、どうしたんすか」
「なに、些細なことだ」
「些細な事ならこんなところに一人で居ないっすよ」
「そういうものかな?」
「昼は青空、夜は星空、しかしこんな微妙な時間で止まるような人は居ないっす。何かあったんなら吐き出しちゃった方が良いんじゃないっすか?」
「そうか」
ゼンヒはたばこを吸ったまま、話をする。
「ユスティナ聖徒会のある人間に想いを馳せていたんだ」
「知り合い?」
「まさか。本当に他人だよ。聞いただろう?教会跡の一件。その時に知ったのさ」
「ああ、あれを作った人間の話?」
「そうだ」
彼女は憂いた、というよりかは何でだろうなあという微妙でどうしようもない疑問を抱えた表情で話を続けた。
「なぜキユは、あの弾をずっと隠していたのだろうか。宗教も利権の一環、もっと言うなら社会の一部だ。そこから必要とされることは、どの人間であれ基本は嬉しいことになる。ましてや今の法律は許さないだろうが、自治区の、それも昔の法律で考えれば異教徒殺しは正当化されて然るべきものだったはずだ。後の時代の流れで否定されても問題ない、なのに彼女はしなかった。それがどうも引っ掛かるんだよな」
「ゼンヒはそうでないとおかしい、と考えるタイプなんすね。私はそうは思わないっす」
「これ私がおかしいのか?何てったってどんなに神に祈ってても性は爛れて金に終始しそれを神聖で隠すのが宗教家のあり方だ。それはどの宗教も変わらない、天性の商人が教祖であると私は思うが」
「人の機微ってのはそんな理論然としてないっす」
イチカは笑いながら話を続けた。
「当然ゼンヒの言うことはほぼ事実で、それは歴史が証明してる。けれども、人には感情があって、その納得は実はどの人間も優先しちゃうことがあるっす。すると、その納得のために社会に背を向けることも、おかしくないとは思うっすね」
「じゃあ、キユは何を思ったんだろうか」
「そもそもそのキユって言うのがいつの時代の人間かにもよるっすよ」
メモを思い出してみるゼンヒ。
確か、キユなる少女が残したメモにはトリニティと書いてあった。おそらくはトリニティ総合学園が出来上がった以降の人間なのだろう。そう、イチカに伝える。
「じゃあ、もうやりたくなかったんじゃないっすか。そういうの」
「そうかな」
「そのメモの内容よく思い出して欲しいっす」
ゼンヒは目を瞑る。
《願わくば平穏のままに終わってほしいものだが》
書いてあったことを思い出した。
「あれ、なんかの言い訳かと思ってたが_____」
「思い出したっすか?」
「願わくば平穏のままに終わってほしいものだが、と書いてあった」
「なんで冗談だと思ったんすか」
「その前の話が恨みつらみこそないがアリウスに対するための銃弾と明言された上で、それを前提とした使用を促してるように見えたから」
「そんなの同じ時代に生きてる人へのリップサービスっすよ」
イチカは笑った。彼女の笑いは、なんというか安心感を与える。
「大体、ユスティナは秘密警察的なポジションであったのには違いないっす、しかしその人はすでにその政治思想に疑問を持っていたのではないか?そうは思わないっすか」
「そもそも恐怖政治に対する不信感を持っていた、と言うことか?」
「そうっす」
彼女は頷く。
「当然彼女はユスティナに居て、自分の組織が重用されるのは食い扶持を稼ぐと言う意味では必要だったんっすよ。しかし、彼女はそれ以降武器を作ることはしなかった。それは何故か?彼女は人を殺すことをそもそも肯定しようと考えていなかった」
考えてみれば当然のことである。
そもそもシスターとは善を肯定して率先するための体現者だ。ユスティナはそれを盾に、少数派の意見を否定して多数の、いや、無数の人間の幸福のために異教徒としてアリウスを筆頭にトリニティ設立を容認しない者達を迫害した。
「確かに本気で人を憎み、ヘイトスピーチすることはよくあるっす。今のトリニティとゲヘナのようにひっくり返らないこともある。けれども、その二つと違ってシスター達とアリウスは、元はトリニティという枠組みが出来る前から近くにいた同志と考えることもできると思うっす」
「そう思う根拠は?」
「ゼンヒはエデン条約の一件をあんまり知らないから今言うっすけど……アリウスは逃げた後も実はユスティナ聖徒会から援助を受けてたそうっすよ」
「マジ!?」
大声で驚いたゼンヒに声が大きいと言うイチカ。言われた方は謝って、声を落として聞いた。
「当然シスターフッドではそう言う動きをしてなかったっす。けど、ユスティナの時代、ある程度は援助をやっていた。理由とか理屈は不明だけど、キユさんに免じて好意的に捉えるならば“ユスティナ聖徒会だけは弱者にも肯定的であった”と考えることができるっす。調印式がダメになっちゃった時、実はゲヘナの方を憎んでいたのも“お世話になった”と思ったからそれを代々引き継いだ結果なのかもしれないっすね。まあ、それもベアトリーチェなる年増にダメにされちゃったっすけど」
「なるほど。その説で言うと、昔のアリウス一派は『ユスティナ聖徒会に非道を働かせる原因になったトリニティの設立者達と、それよりもその原因を作ったゲヘナという外敵を憎んでいた』と言うことになるか。妙にしっくりくるな」
「飲み込み早いっすね」
「こう言うのは後輩からの受け売りだ」
「ハクジツちゃんっすか?」
「ユリの方だ」
自分の後輩自慢はやってて飽きないゼンヒ。だが、話が逸れるのでそれ以上は言及しない。
「しかしそれなら、あいつらは一体何なんだ。ただのやべー奴らに成り下がる話だが」
「それはもう事実と時間の軋轢っす。彼女らはそもそも真っ当な援助を受けておらず、その上でベアトリーチェに虐げられていた。後者はシャーレによって取り除かれたものの、依然として扱いは悪い。だからこそ彼女らは自分達の待遇改善もしくはリセットのためにトリニティを色々なところ巻き込んで破壊しようと考えたと思うっす。そうすることでしか未来を期待できなかった、と言うことっすから」
「悲しい話だな」
「ゼンヒも身に覚えあるっすよね?記憶が去年の春以前から無いって聞いたっすよ」
「過去が無くても未来がある。今、イチカやユリやハクジツ、諸々の人間が話しかけてくれることによって私の人生は成り立っている。そして今は過去になる、なら私は記憶を失っても、もう一度今を集め過去を建てるだけだ」
「そうっすね。前向きなのはいい事っす」
他愛もない話だった。
それが終わると、ゼンヒのスマホが鳴る。
「ん?」
マテバガールからのメッセージだった。
『今代わりに自分とユリ隊長で会議終わって解散になったので、リーダーはそのままホテルに直帰OKです。会議の内容送っておくんであとで確認してください』
『分かった、ありがとう』
メッセージを返し終わると、のぞいてたイチカが微笑みながら話しかけた。
「可愛い後輩っすね」
「間違いなく頼りになる存在だ」
「じゃ、一人で帰ってなんかあるのも嫌なんで送っていくっすよ」
「いいのか?」
「重要な人間の護衛って言えば誰も怒らないっす」
「……頼むよ、王子様」
そう言って二人は歩き出す。
もう日も暮れ過ぎ、夜の星が顔を出し始めている。
だけど道は明るい。夜を歓喜する光は、春先の暖かさを助長するように輝いていた。