ゼンヒは目を覚ました。
そこはいつか自分がいた場所で、それゆえに疑問に包まれた。
「起きたか」
目の前には誰もいないが、面会するための窓からはカンナがいる。
「局長!」
「……」
急いで駆け寄っては、近くにある椅子に座る。
自身の服は患者服のままだが、どうなってるか不安で仕方ない。自律神経は乱れまくりで不安が永遠に勝ち続ける。しかし、それはもうどうしようもないことだった。
「あの……!ハクジツは!」
「____彼女は生きている。大丈夫だ、しっかり受け答えは出来るし、体調に異常はなかった。もっとも、お前を襲った記憶については全部抜けているが」
「そうですか、よかった」
後輩の無事を喜ぶゼンヒ。だが、そんな動きもまるで響かないようなカンナの態度。
「その____私は、なんでここに?」
「一つ言えば、あの遺物の影響による暴走を抑えるためだ。正確な対処方法が確立された、と言うわけではないが様子見をしながら暴走しても大丈夫なように閉じ込めておく。突然の暴走などで傷つけるわけにもいかないから、人を入れたりもできない。申し訳ないが、しばらくはこの部屋で過ごしておいてもらおう。ネットも使えないが、ゲームは何個か差し入れしておくから、暇を潰しておいてくれ」
「そうですか……わかりました」
物分かりが良くて助かる、とカンナは頷く。
「そういえば、お前に話をしなければならないことがあったな」
「と、言うと?」
「あの事件の仔細についてだ」
彼女の口から、あのレストランにあった遺物の概要がゼンヒに伝わる。
「どうやらあれは人の心に作用するものだったらしい」
「そんなものが?」
「そもそもあれ自体が、アビドス駅近辺の地下にあったものだからな」
立方体の水晶。
あれは地下の水道開発などをしていたネフティスグループが、地下道の奥の部屋で見つけたもの。周囲の環境の悪さの影響など全くないほどに綺麗だったから回収し、売ったという経緯だ。
しかしあれはその後の調査で分かったことだが、ゲマトリア(と言っても元とつくが)の一人の遺体をもとに作られたと言うことが判明した。その名前は知る由もなかったが、そのせいで二人はとんでもない被害に遭ったのだという。
「当然あれの管理を怠り、調査しなかった企業側の怠慢は見過ごせるものではない。連邦生徒会名義でしっかりと注意を促している。先生も思い当たる節があるのか、今はあれこれ調べている最中だ。だからしばらく後になるだろう」
「ええ……」
「やはり、不安か?」
カンナはようやく、表情を少し変えた。それに応えるように、ゼンヒは口を開く。
「ハクジツが暴走してしまったのは私の責任です。彼女をあそこに連れて行かなければ、あんなことをさせずに済みました。私だからではなく、誰かを殺そうとするのはきっと彼女にとってもトラウマになってると思ってるんです。私が死にそうになった時であれでしたけど、それを作ろうとしたと知れば彼女はきっと」
「そうかもな」
「……局長」
「安心しろ、お前に心配させまいと笑っていた」
「そうですか」
安心した彼女。
さて、軽い様子見はこれで終わり。ゼンヒのことは一旦置いてカンナは立つ。
「では、一度失礼しよう。仕事が残っている」
「あ、あの!」
呼び止めるほどではないが、ひとつ気になることを彼女に質問するゼンヒ。
「仕事とかって、どうなりますか?」
「しばらくは労災で降りるから安心しろ。だから、しばらくはここにいてくれ。シャーレ前交番は人を工面するし、特別暴力対策課はユリが当面の間責任者になる」
「……わかりました」
そのまま、二人は別れることになった。
短い面談が終わると、待っていたのはマテバガール。
ゼンヒの面談が終わるまで待機していたようだ。ユリは仕事があるので、彼女が代わりに状況を聞く役目を負ったらしい。
「お、局長。どうでした?」
「____今の所は、何もなかった。彼女は扇皇ゼンヒだったよ」
「そうですか、まあそうだと思いますよ」
二人は廊下を歩き始める。完全防音の廊下、誰もいないなら情報が漏れることもそうそうない。
「しかしまあ、ハクジツさんの言うこと鵜呑みにしていいんですかね?私知らなかったんですけど、天衣セツカなんて少女のこと。大体殺人鬼なんかこのキヴォトスで聞いたことない。どれも傷害事件ばかりで、ゲヘナやトリニティだってあの一件あってもロクな死体を見てないんですから。なのに殺人鬼がいるなんて話、信じられると思います?」
「SRTには話が行ってないのか」
「行くわけないじゃないですかそんなの。信じられない話だって言ってるでしょ?ったくこれユリにどう説明した方がいいやら」
マテバガールは頭を掻いた。
「ハクジツの言うことをあえて鵜呑みにするなら、少なくともゼンヒの中には彼女自身とセツカがいる。それがどうなるかは不明だが、どのみち楽観視できる状況ではないな。あまり好ましくない状態であることには違いない」
「にしてもその少女、いったい何をやったら刃物で人を殺そうって発想になるんです?そしてどうしたら記憶喪失だけじゃなくて、あんな治癒能力みたいなのを会得できるんです?」
「それが分かれば苦労はしないぞ、ショウコ」
「ですよねえ_____でもやっぱ突拍子もない話だから飲み込めないというか。そりゃハクジツちゃんと比べればマシですけどじゃあ納得できるかと言われると」
「困るのだろう?」
「ええ」
部下である彼女は、自分の上司がとんでもないやつと一緒くたになってることに頭を悩ませているようだ。そして一番仲間であったユリにどう説明しようかも迷っている。
「さっきも言いましたけどこの都市で殺人なんて大ニュースじゃないですか。しかしそれを隠すなんて警察としてどうなんです?」
「とんでもないからこそ隠さざるを得ないんだ。シャーレの先生が活躍している裏でそんなものを出してみろ。混乱するに決まっている。ただでさえ連邦生徒会よりも先生の方が求心力が高いのに、殺人事件でさまざまなものに波紋を生み出したらそれこそ一大事ではないか」
「言わんとすることはわかりますけどね。仮に社会の安定ではなくこの件に先生を引き寄せるのはよろしくない。と言ってもあの遺物の調査で先生に頼んじゃってますけど」
「仕方のないことだ。あれに類するものが今後見つかった場合、相当な脅威になるからな。しかしゼンヒのことについては細かく伏せてある」
「局長」
話し合っている中で、マテバガールは一つの質問を投げた。
「一つ、申し上げてもいいですか」
「なんだ?」
「彼女にこのまま隠し通せると、そうお思いですか?」
「____いいや、ないな。だが私は、彼女に真実を話すタイミングが分からない。いつ話して、いつ彼女に知って貰えばいいのか」
「知ってもらわない選択肢はない、と言うことですか」
「いずれ彼女は知るだろう。だけれども、今は話せないと思ってる」
ゼンヒは過去を知りたいと願っていた。しかし、このような過去を願っているわけではないのは誰の目から見ても明らかであった。
彼女にとっては誰かと青春して、どこかの事故で記憶を失うようなものを想像し、渇望している。なのにその実態は殺人鬼ともう一人の人間のハイブリットです、殺人鬼の方は確定事項です、などと言われたら面食らってしまうのは当然だ。しかもそれが凶悪殺人犯で、ヴァルキューレが隠そうとしていたもの。と言うのは、流石に可哀想な話である。
「もうすでに彼女には助けてもらっている。政治的にはそれなりの外交カードを持っていて、それはお前達を纏めて真っ当に仕事を与えることだ。その基盤を作った彼女には感謝している。しかし、だ」
「彼女に恩返しするにはどうしようもないものに囲まれているし、どうにかしようとする手段もないと来た。困ったものですなあ」
「お前は何とも思わないのか?」
マテバガールは頬を掻いて答える。
「いやあ、納得出来ない理解も出来ないとくれば正直困っていると言って良いですね。しかしですよ、仮に彼女が天衣セツカという少女がただ記憶を失っただけの姿だったとしても、それ一つで全てがひっくり返るわけじゃ無いでしょ?」
彼女は笑う。
「彼女が作ってくれたものを自分達の力で維持し続けることが一番ですから、そう言う意味ではこれからが本番と言ったところです。そして仮にセツカという少女が蘇ったとしても、さして社会には影響ありませんよ。結局檻の中ですし、もしかしたらもっと好転するだけの事実があるかもしれない。そうなるのを祈るだけですけどね」
「好転するだけの事実?」
「リーダーがその少女と別れるための手段です。それさえあればリーダーはリーダーのまま……それでも自分達とは違うって病んでしまうかもしれないですけど、彼女は私達を救ってくれた。過去のしがらみを取っ払って自由にしてくれた。その恩返しが出来るなら、そのうちにリーダーを救うことができる、そうでしょ?局長」
「そうだな」
二人は頷く。
「それに先生が今調べてくれている神秘?なるものの話についても進展があればある分だけ良いですから。気楽にいきましょ」
「ああ」
そうこう話しているうちに、特別収容区画から出た。そのまま少し歩いては、エントランスの方へ。
「さて、付き合ってもらってすまなかったな。私はこれから会議に出なければならない。お前はこれからどうするんだ?」
「どの道説明は避けて通れないからなあ。ユリにどう言えばいいか……んまあ取り敢えず事務所に戻ってリーダーは無事ですってだけ伝えときます」
「そうしてくれ」
「じゃあ、お気をつけて」
_____二人は別れた。
カンナはすぐに車に乗ってヴァルキューレへ。マテバガールも車に乗っては……ため息をつく。
「何も無いと良いんだけどなあ」
そう呟く彼女は、車を走らせた。
そろそろゼンヒが記憶を失って一年経つ。春に失ったものが、一周回った季節に顔を出す。
そして記念すべきその日が来る時、ゼンヒは果たして。